No.1003210

地上からのカケラ

カカオ99さん

以前書いたものを手直しして投稿。04の成長した少年中心の話。ZEROの黄色中隊カラーのエースは黄色の13という設定。04とZEROのネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。王よ、神を継ぎて飛べ→http://www.tinami.com/view/1002743  記者と13の出会い→http://www.tinami.com/view/945107  少年がコールサインで呼ぶ理由→http://www.tinami.com/view/1035862  手紙を出したあとの話→http://www.tinami.com/view/1069613

2019-08-30 18:42:15 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:755   閲覧ユーザー数:755

   1

 

 携帯電話の向こうからシェリーに笑われた。肩を震わせて笑っている光景が目に浮かぶ俺、ナイス。そんな感じで、自分で突っ込みを入れる。

「寝てたでしょ」

「昨日、ちょっと遅くて……」

「もう起きなさいよ。暇でしょ?」

 つまり、お付き合いしなさいという意味。「うん。まあ、暇」と寝ぼけた声で答える。

 彼女はちょっと強気で強引だ。年上というせいもあると思う。せっかくの休日にモーニングコール…と言っても、とっくに世間は動き始めている時間。昨日は久しぶりに友達と飲んでたから、寝るのが遅くなった。

 こっちが寝ぼけていようがなんだろうが、彼女はお構いなし。どこそこに何時に来てと強引なお誘い。断るとロクなことがないから、「はいはい」と適当に返事をして電話を切る。

 待ち合わせは四時半。彼女は待ち合わせにちょっとうるさい。時間に遅れそうなタイプなのに、遅れたことがない。昔からそういうところは変わらない。

 それでも変わったところはある。健康的だけど細いと思った手足は、すらりと長くなった。

 当たり前だけど、化粧もするようになった。ブランドの新作や限定品について話されても、正直さっぱり分からない。冬の限定品を予約したからと、お使いさせられたこともあった。

 そばに寄ると分かる程度だけど、香水だってつけている。ちょっと甘めで柔らかい花の香り。彼女に似合ってると思う。

 以前は彼女のほうが背は大きかったけど、俺が成長期に突入すると、すぐに追い越した。

 それが彼女には不満だったみたいで、会うたびに「悔しい」と言われたのはいい思い出。今じゃ、「私より背が高いでしょ」とこき使われている。

 とにかくベッドからはい出て、溜まっていた家事をこなす。ちょっとやりたいことがあるから、早めに出かけようと思った。

 バッグにいろいろと突っ込んで、昼過ぎに家を出る。今日は天気がいい。出かけるにはいい日だった。

 まずは近所のハンバーガー屋で、遅い朝食兼昼食のダブルチーズバーガーセットを食べる。ポテトの塩味がちょうどいい。食べ終えたあとは、包み紙を綺麗にたたむ。

 ——いかに綺麗にコンパクトにしてゴミを捨てるかって、面白くない?

 前はグシャグシャにして捨てていたけど、ベルカから留学してきた先輩の言葉に従って、試しにやってみた。これが結構面白い。綺麗にまとめたゴミをゴミ箱に捨てて、トレイを上に置く。

 ハンバーガー屋を出たら、次は本屋。そこの文房具コーナーで、白い封筒と便箋のレターセットを買った。

 カフェに着くと外の席を選ぶ。アイスティーを頼んだらすぐに来た。

 心の中でちょっと気合いを入れてから、レターセットを取り出す。それに筆箱と手帳と、なんとなくハーモニカ。

 手帳からは写真を一枚抜いた。戦死した13(サーティーン)(フォー)、少女だった頃のシェリーと、まだまだ子供だった俺の四人が笑顔で写っている写真。

 家族が死ぬ原因になった人で、国の敵である人々と過ごした奇妙な日々は、忘れることなんてできない。

 海の向こう側では、大きな戦争がいくつか起こった。今のところ、ユージアにはオーシア軍メインの国際停戦監視軍というのが展開していて、戦争が起こらないように監視されていた。

 そんなこんなでこの大陸の平和が一応保たれる中、エルジアが共和国から王国に戻ったり、オーシアの元大統領主導の軌道エレベーターという巨大な建物を巡っての論争が絶えなかったり、いろいろと変わっていった。

 監視軍といい軌道エレベーターといい、なにかとオーシアが幅を利かせている。だからオーシアへの反発が少しずつ大きくなっているのは、なんとなく分かる。

 あと、あの大陸戦争からそれなりに時間が過ぎて、戦争を知らない子供たちも生まれている。

 俺たちがリアルタイムで体験したことが歴史扱いされていることに、軽いショックを受けた。人や出来事が忘れられていくのはこういうことかって。

 当然、エルジアの黄色中隊や13のことも忘れられていく。彼が飛んだ空の色はずっと変わらないのに。

 13を初めて見たのは、晴れ渡った空。彼が撃墜した機体が家に墜ちたせいで、両親と犬は死んだ。

 ——いつの日か対等の敵が現れ、技の限りを尽くせるなら、たとえ墜とされても恨むことはない。

 彼がいつか現れるはずの敵に向かって言ったのと同じ。13の戦闘機動に心を奪われて、美しいと思った。見とれた。

 彼を恨まなかったと言ったら嘘になるけど、殺したいほど恨もうと努力して、自分の心を裏切る苦しさのほうが上回った。

 そうだ。あの瞬間にすべてが決まっていたんだ。

 ——その前に、相手が自分を全力で倒すに値する敵だと認めてもらわないとな。

 彼はよく空を見ていた。鷲が飛ぶのを待っているんだと、そう言って。

 

   2

 

「このへんって、鷲が飛んでるの?」

 隊長が最近目をかけている少年が、不思議そうな顔でこちらを見た。私は「鷲?」と疑問で返す。

「ここは鷲の生息地ではないと思うけど…見たことないわ」

「でも13(サーティーン)が言うんだ。鷲が飛ぶのを待っているんだって」

 この子は私たちのことをコールサインで呼ぶ。名前よりもコールサインのほうが簡単で覚えやすかったらしい。私たちも戦闘中はコールサインで呼ぶから、違和感はない。

(フォー)も知らないなら、いいや」

 少年はすぐに思考を切り替えると、「じゃあね」と言う。

「お昼はいいの?」

「スカイ・キッドで食べてくる!」

 少年は元気に走っていくと、街まで行く軍用ジープの運転手に乗せてもらえるよう、交渉を始めた。運転手に頭を乱暴になでられたから、交渉はすぐに成立したみたい。

 この戦争で、あの子の両親は亡くなったという。保護者の親戚は行方不明で、いつのまにかここに出入りするようになった戦災孤児だった。

 今は私たちが行き付けの酒場で、得意のハーモニカを吹いて小銭を稼いでいる。最近では酒場の開店準備も手伝っているらしい。大人よりもたくましいと思った。

 少年が乗ったジープが出発してから、「あの子は?」と隊長が来た。

「酒場に行きましたよ。手伝いをするんじゃないですか?」

「じゃあ、もったいないな」

 手にはバーガー店の紙袋が二つ。おそらく少年と一緒に食べる気だったに違いない。

「良ければ、一つは私が食べますよ。まだお昼食べていませんから」

「悪いな」

 紙袋を受け取って、「あの子が」と話題に出す。

「隊長が空を見て、鷲が飛ぶのを待っていると言ったことを、不思議がっていました」

「ああ、それか」

 今日もまた彼は空を見上げた。

ISAF(アイサフ)のイーグルは同じ外青のカラーなのに、全然違う」

 残念そうな顔で言う。本物の外青の鷲がそこに来ると信じて、いつも焦がれるような眼差しで空を見た。

「向こうのイーグルドライバーも、なかなかいい腕をしているじゃありませんか」

 そう言うと、彼は「弱い鷲だよ」と哀れみの表情を見せた。

 彼の話に時たま出てくる円卓の鬼神と呼ばれた傭兵は、ベルカ戦争に忽然と現れて消えた。

 鬼神は「ターミネーターの機動と同じくらいに、美しい機動を(えが)くんだ」と彼が熱っぽく語るほど、戦闘機のイーグルを生き物のように操ったという。

 鳥の鷲は自然界での空の支配者。翼を広げて空を切り裂き、鋭い鍵爪で敵をとらえる。それを実践するように。

 彼は鬼神に挑んで負けた。「当時はまだ弱かったんだ」と言うけど、もともとはベルカ空軍のパイロット。当時は世界一といわれた空軍で叩き込まれた空戦技術は、他を寄せつけない。

 彼にとって鬼神はユリシーズだった。ベルカ戦争で恩師を撃ち墜とした敵を憎んでいたはず。(かたき)を取るために、円卓で鬼神に挑んだ。彼いわく「呆気なく墜とされたよ」らしい。そこで憎しみも撃ち砕かれた。

 ユリシーズは想像を絶する力で、人類が築いた物を次々と壊していった。

 難民たちの多くの憎しみの矛先は、自分たちの世話をしてくれない政府や治安部隊。ユリシーズはあまりにも圧倒的で、強過ぎて、理解を超えていた。憎しみをいだけなかった。

 むしろあの時、落ちてくる隕石の軌跡を見て、なんて美しいと心を奪われた人間はどれほどいるのだろう。

 自分のところに被害を出さなければ、美しい星の軌跡にしか見えない。

 ストーンヘンジが砕いたユリシーズのカケラたち。さらに細かい…そう言ってもそれなりの大きさのカケラが地上に降りそそいで、多くが被害をもたらした。

 エルジアは周辺諸国から難民を押しつけられて、身動きが取れなくなった。現状を打破するために選んだ手段が、戦争。

 そんな光景が、彼にはかつての祖国と重なる部分があるらしかった。

 祖国は守れなかったけれど、エルジアは祖国の二の舞にならないように。

 彼の中でベルカ戦争は終わっていない。まだ続いている。鬼神ともう一度戦えるその日まで、彼の戦争は終わらない。それまでは平和な日常になんて帰れない。

 だからずっと戦場にいる。

「じゃあこれ、もらいますね」

「ああ、悪いな」

 彼は機体のチェックに向かった。私は仮の我が家のトレーラーハウスに戻る。

 ため息を一つついたあとで、机の引き出しを開けた。奥にしまった一枚の名刺を取り出す。戦争が始まるずっと前に渡された物。

 裏に書かれた電話番号を見る。彼に渡すも渡さないも、私の自由。

 あれは珍しく、彼が酔い潰れた日だった。

 

   3

 

 酔い潰れた男から連絡を受けた女は、行き付けのバーへ急いだ。車を店の近くに止めて、中へ入る。

 見回すと、フライトジャケットを着た男がカウンターで酔い潰れていた。その隣で恰幅の良い男が手を振っている。女は「すみません」と言いながら、小走りで駆け寄った。

「いえいえ、いいんですよ。初めまして。ロベルト・グローデンと言います」

 女は握手をしながら「初めまして」と言い、自分の名前を名乗った。

「わざわざ迎えにきてもらってすみません。送ろうかと思ったんですが、彼が大丈夫だと言い張って……」

「いつもなら酒量を分かっているのに、酔い潰れるなんて珍しいですよ」

「ベルカ戦争についていろいろ喋ったんですが、懐かしかったんでしょうね。楽しそうに喋っていましたよ」

「あなたもあの戦争に参加したのですか?」

「ええ。これでも空軍パイロットとして」

 少し目立っている腹をポンと軽く叩いた。

「円卓で戦いました?」

「私はそっちの担当じゃありませんでしたが、彼と同じように鬼神に墜とされました」

「あのパイロットに…?」

 女はロベルトと喋りながら、勘定を素早く済ませた。

「あ、これは申し訳ない」

 ロベルトは財布を取り出そうとするが、女はそっと手で制する。

「隊長の介抱をしてくださったんですから、これくらいのお礼はさせてください」

 にこやかだが強い口調で言われ、ロベルトは素直に引き下がった。

「隊長…隊長! 基地に帰りますよ」

 女は酔い潰れた男を軽くゆする。「うーん」とぐずった声が聞こえた。

「このまま寝るなら、機体をコインで傷つけます」

 酔い潰れた男はすぐに立ち上がり、「帰る」と踵を返すが、足元がおぼつかない。とっさに女が支えた。

「車まで運ぶの、手伝いますよ」

 ロベルトが女とは反対側の腕を首にかけた。女はとっさに「ありがとう」と礼を言う。二人は酔い潰れた男を両脇から支えながら車まで歩き、後部座席に寝かせた。

「今日は本当にお世話になりました」

「いえいえ。できれば私にもお礼をさせてくれませんか」

「お金でしたら……」

 今度はロベルトが「そういうことではなく」と、そっと手で制する。

「サンサルバシオンに来た際は、当ホテルにお泊まりください」

 ロベルトは胸の内ポケットから名刺入れを取り出す。名刺を一枚抜くと、「……あ」とつぶやいた。

 さらに手帳を取り出し、なにか調べてから名刺の裏に書く。それから女に差し出した。

「はい、表がうちのホテルの住所と電話番号。裏は、スカーフェイスという傭兵集団の連絡先です」

 女は名刺を受け取ると、裏側を見る。確かにスカーフェイスという単語と電話番号らしき数字が書かれていた。

「ここは、ユリシーズのせいで全滅したという噂が……」

「彼らには彼らの都合があったんでしょう。内緒ですよ?」

「なぜ、そんな重要なことを教えてくれるんですか。お返しはなにもできません」

「彼の腕の良さは、軍人仲間から噂で聞いています」

 そう言って、ちらりと熟睡している男を見る。

「もしエルジアをクビになっても、スカーフェイスなら雇ってくれるでしょう。それに、ベルカ空軍にいたパイロットが朽ち果てる姿は、もう見たくありませんから」

 おそらくロベルトは、そういうパイロットを何人も見て、心を痛めてきた。彼の心情が分かっても、女は渋った。「失礼ですが、この電話番号は……」と言いよどむ。

「ええ。本物ですよ。実はうちのお得意様なんです。これも内緒ですよ」

 相手の笑顔に釣られて、女もぎこちなく笑みを浮かべた。

「……よろしいんですか? 大事な顧客情報でしょう?」

「どうやら彼は、本当に鬼神に会いたいようですね。そういうのを聞くと、どうもね」

 ロベルトは「経営者としては駄目ですが」と自嘲気味に笑う。女は「そんなことはありません」と言ったあとで、改めて礼を述べた。

 車に乗り、エンジンをかける。窓をノックされたので、運転席の窓を下ろした。

「電話番号は、もしよろしければということなので、彼に教えなくてもいいですよ」

「どうして……」

「夢は夢のままでいいかもしれませんから」

 女は微妙な表情で「そうですね」と言う。ロベルトは車から一歩距離を置いた。

「では、次はサンサルバシオンでお会いしましょう」

 

   4

 

 サンサルバシオン南部のこの基地上空は今日も快晴。

 昨日は基地の男性陣から、「黄色の4(イエロー・フォー)に愛を込めて」とクッキーをもらった。「三月十四日はホワイトデーっていうんだって」と少年が教えて広めたらしい。二月十四日のバレンタインデーのお返しを男性がする、一種のお祭り。

 クッキーはチョコをあげていない男性兵士からももらった。多分、お祭り騒ぎに参加したかったのだろう。

 基地の騒ぎとは反対に、戦況はあまり良くない。昨日はストーンヘンジの開発技術者が、旅客機での亡命に成功した。きっと情報は流出する。エルジアに()が悪い。

 そんなニュースがここの市民たちに流されることはない。おそらくレジスタンスが流すだろうけど。

 せっかくサンサルバシオンに来たのに、戦争中だなんて皮肉。今、あの経営者はどうしているのだろう。

 あの名刺。私は選択をゆだねられた。

 実際に電話して……もしなにも分からなかったら?

 夢は夢のままでいいかもしれないと言われて、痛いところを見透かされたと思った。

 彼に下手な望みを与えなくない。それに——。

「新曲を覚えたので吹きます!」

 聞こえてくるハーモニカの音色。少年が新曲を披露している。

 今日もあの少年はここにいる。隊員たちや整備兵たちにもかわいがられて、マスコットみたい。すっかり馴染んだ。

 彼はあの少年とはよく一緒にいる。もしベルカに残って第二の人生を歩んでいたら、得たかもしれないもの。彼らのうしろ姿を見ているだけなら、まるで親子。

 皮肉なことに、彼らを巡り合わせたのは戦争がきっかけ。彼が得たいものは、戦場でしか得られないのかもしれない。

 ユリシーズがもたらしたカケラを、彼は必死で手に入れようとしている。

 部隊には鷲座を意味するアクィラと名付けた。エンブレムも鷲にした。機体はターミネーターで統一した。カラーリングはベルカにいた頃と同じものにした。

 初めてこのカラーリングを見た時は驚いた。黄色だなんて目立つ。こっちを見ろと言っているようなもの。

 「味方に分かりやすいようにだ」と言われたけど、「派手じゃありませんか?」と聞いたら、「いいんだ」と言われた。

「このカラーリングは覚えていなくても、ディレクタスで戦ったゲルプ隊のカラーリングは覚えているはずだ。それと似ているなら、もしかしてと思うだろう?」

 そうまでして待ち望むのに、なぜ外に向かって広く言わないのか聞いてみた。

「口だけのパイロットは相手にしないさ。それに一度表舞台から消えたなら、彼がまた表舞台に登場するのにふさわしい相手じゃないと駄目だ」

「……鷲と会ったら、どうしますか」

「戦うさ」

「本物かどうか、すぐに分かります?」

「空で会えば、必ず分かる」

 少年が彼を見る目と同じ。彼も少年と同じように輝くような目で、なにかを見る。

 彼は鬼神を見つけたら、命をも惜しまない気がした。鬼神ともう一度戦うことが、彼にとっての生きる力。

 もう一度戦うためにエルジアの元エースの教官に鍛えられて、ここまで強くなった。ずっと空を見続けた。

 今でも鬼神がイーグルに乗っていると思っている。思い出も手がかりもそれしかないから。

 だからといって、今も同じ機体とは限らない。私たちと同じターミネーターかもしれない。

 もしイーグルに乗っていなかったら? 傭兵を辞めていたら? パイロットそのものを引退していたら? 犯罪者になっていたら? 死んでいたら?

 多分、そういう可能性を全部考え抜いて、全部拒否した。

 彼が追い求める夢は、幻と言っていいくらい。夢を追い求めてここまで来た。

 だけど必死にあがいてたどり着いた先に、求める相手はいない。

 もしかしたら、気づいていないだけかもしれない。本当は近くにいるかもしれない。メビウス(ワン)かもしれない。

 でも彼は、「あれは若い。まだおびえがある」と言う。人として真っ当な感情。おびえ抜いた人間だけが生き残れる。

 その感情を捨てた時に、なにかを越える。その先で生き残るか、死ぬか。

 先を越えた彼は、まだ飛んでいる。生きている。上を目指している。

 これからもずっとそうであってほしい。彼ほどの現役のエースは、エルジアにはいない。

 エルジアは彼を切り捨てる?

 いいえ。最後まで手放さない。軍としても個人的にも、死なせるわけにはいかない。

 彼はこのまま飛び続けて救われるのだろうか。それは分からない。

 それでも私は、あなたが飛ぶ限りずっと寄りそう。

 たとえ魂だけになっても、あなたのそばに。エーリッヒ。

 

   5

 

 ——エーリッヒ。お前、いつも走ってるな。

 昔、イェーガー少佐に言われた。一分一秒が惜しくて、習う時は走っていたから。今日のストーンヘンジ防空の救援任務は間に合わなかったが。

 薄汚れた愛機を見上げる。ベルカにいた頃と同じカラーリングそのまま。

 Su-37、愛称ターミネーターを初めて見たのはテスト飛行の時。「実戦の際は、役に立たないかもしれないが」という注釈つきで、第五航空師団のゲルプ隊がさまざまな機動をおこなった。

 ありえない機動をあまりにもなめらかに飛ぶ。重力と慣性に逆らい、空という海を泳ぐ。この動きを制御するだけで、パイロットは大変な目に()っているのは想像がついた。

 そばで見ていたユークの人間が、「うちの最高傑作をあれほど美しく動かせるなんて」とうなるほどだった。

 扱いに大胆さと繊細さを必要とする美しい機体。人間で言うなら一目惚れをした。

 チャンスが訪れたのは九二年。政治的な思惑で第三は権力を手に入れ、強化が始まった。ほかの師団のスパイをするという名目を得て、念願の第五へ異動した。

 当時のユークの最新鋭機、ターミネーターを専有していたのは第五。彼らが飛ぶためのマニュアルを作っているようなもの。どうしてもターミネーターを使いたかった。

 小さい頃から、いつもなにかを追いかけていた。空を見上げていた頃は飛行機を、操縦を習ってからはターミネーターを、円卓で墜とされてからは鷲を、ただひたすらに追った。

 ウスティオの傭兵たちは、次の稼ぎ場所をユージアととらえていたらしい。実際に行けたのは軍事裁判から解放されたあと。

 ユージアでよく聞いたのは、スカーフェイスという集団。名前は聞いたことがある。

 古くから存在する傭兵部隊といわれているが、正規軍が編成した臨時部隊という噂もある。実際のところは正体不明だが、鬼神捜しの一番の近道に思えた。

 エルジア軍に入隊する時、個人で当てもなく捜すよりはと、大国の情報網に期待をかけた。条件として、スカーフェイスの情報を優先して回してくれるように求めたら、エルジアは応えてくれた。

 ところが、空の傭兵集団は大規模なクーデター鎮圧を最後に、行方が分からない。どこかが囲っているという噂もあったが、すべてはあやふや。

 そんな時にユリシーズと名付けられた隕石の破片が落下して、スカーフェイスは災害に巻き込まれて全滅したという噂が流れた。

 だからといって、鬼神がユリシーズで死んだとは限らない。ただ、ここを追えばいいかもとスカーフェイスに目をつけただけ。スカーフェイスに鬼神がいるという確定情報もない。

 エルジアの被害は大きかったので、「ここにいるよりも、ベルカに帰ったほうがいいんじゃないか」とシラージ教官に言われた。彼に鍛えられて、ずいぶんと腕は上がった。エルジアでの恩師。

 「軍の個人記録は消されたので、帰る国はもうありません」と答えると、いつもは表情がとぼしいシラージ教官が「そうか」と、おそらく微笑んだ。

 彼の祖国もエルジアにのみ込まれ、彼自身は革命によって祖国から追い出された。似た匂いを感じ取ったのかもしれない。

 ベルカ軍に個人記録がないのは、エルジア軍が身元確認のため、エルジアに移住してきた親族が確認するという体裁を取って、正式にベルカに照会をして分かったこと。

 スパイの件が原因だったのかは分からないが、祖国から切り捨てられたと感じた。

 身の上を隠すことなく伝えても、記録がなければ当然あやしまれる。そのうえベルカ出身。突き出してもおかしくないのに、エルジアは不問にした。腕の良さを買い、国の状況を考えたうえでのことだった。

 ユリシーズの破片落下後は、自分の出身地は破片が直撃して消えた街ということになった。街が消えたならば、それ以上の情報は誰も追えない。

 鬼神はまだ生きているのか。死んでいるのか。もういい。いやまだだ。そんな自問自答を時折繰り返していたところへ、戦争が始まった。

 エルジアの状況を考えれば、戦争をするのは仕方がないと思えた。大国というだけで、周辺諸国からユリシーズ難民を押しつけられる。一国だけでなにができるのか。

 その姿はかつてのベルカと重なった。状況や主義主張は違う。ただ身動きが取れず、悲鳴を上げるというところがよく似ていた。

 ベルカ戦争の再現とはいかない。それでもISAF(アイサフ)は傭兵を雇うはず。戦争となれば、少しでも多くの戦力が欲しいのが本音だ。

 まだ飛んでいるのならきっと来る。あの鷲は再び戦場の空に舞い降りる。

「中尉。鬼神とどんなふうに戦ったか、いつか教えてくださいよ」

 笑い声とともに、「いつかね」という返事が聞こえた気がした。機体にかかったタラップに見えたのは、中尉の幻。

 昔、彼はそこに昇って機体を見回し、「まあ、いいと思うよ」とカラーリングを褒めてくれた最初の人間だった。

 ベルカ戦争で少佐は空に散ったが、中尉は生き残った。彼ならこのカラーリングに気づくはず。第五でさんざん迷惑をかけた師団長も。

 並んでいるターミネーターは一機減った。004のナンバーの機体がない。彼女は墜ちた。

 これから撃ち墜とすのだから、どんな敵にも敬意を払え。戦うのはお前一人ではないのだから、ともに戦う仲間を守れ。

 ベルカにいた時、そう教え込まれたのに。

 一日ずれていたらエイプリルフールと言えたが、今日は二日。ジョークにもならない。

 今はあなたとすごく喋りたい気分ですよ。アルトマン中尉。

 

   6

 

「中尉!」

 初めてこの家の母子(おやこ)に助けられた時からずっと、この子の呼び方は変わらない。この子の母親と結婚してからも、無理に呼び方を変えさせなかった。

 義理の娘にとって本当の父親は、亡くなった父親ただ一人なのだから。

「ターミネーターが載ってる『エアー・ウスティオ』、まだある? プラモデル作るから、借りたいんだけど」

「ああ、それか」

 前にも借りにきたことがあるので、すぐに探し出せた。この子の趣味は戦闘機中心のプラモデル作り。

「前も作らなかったか?」

「今度は黄色中隊カラーなの」

「あれか?」

 最新号の『エアー・ウスティオ』も取り出してページをめくる。黄色中隊は望遠でとらえた小さい姿しか映っていない。この前見た大陸戦争のニュースでは、いい距離で映せた映像が使われていた。

「ほら、写真は小さいのしかないぞ?」

 真剣な顔で「想像力でおぎなう」と言う。この子のフランカーシリーズへの熱意はすごい。特にターミネーターへの愛着は人一倍で、こちらも驚くほどだった。

「たまにはメビウス(ワン)の機体にしたらどうだ。大陸戦争では一番目立ってるじゃないか」

 写真を吟味しながら、「黄色中隊がいい」と言う。

「好きなのか」

「中尉が乗っていたのとカラーが似てる」

 雑誌を見ながらつぶやかれて、その答えにじんわりと胸が温かくなった。

 この子が小さい頃、お絵描きに付き合ったことがある。乗り物の絵を描いた時、私はお世辞にもうまいとはいえないターミネーターの絵を描いて、現役で乗っていた頃のカラーリングで色を塗った。

「それも持っていくといい。参考になる写真は、多いほうがいいだろう?」

「ほんと? ありがとう」

 雑誌を大事そうにかかえると、満面の笑みを浮かべて出ていった。

 机に戻ると、伏せていた手紙を見る。ようやく書き終えたところだった。

 先日、ベルカ戦争のドキュメンタリー番組の取材で来た記者から、懐かしい話を聞いた。

 エーリッヒ・クリンスマン。ライアー隊の隊長だった青年。今はエルジアにいるらしい。

 イェーガー隊長のほうがいろいろと知っていたようだったが、組織には付き物の内部抗争がベルカ空軍にもあった。彼が異動してきたのは、師団ごとの摩擦が目立っていた時期。

 エーリッヒがもともといた師団は、敗戦を機に力を失った。いわゆる戦犯中の戦犯の師団の不利な情報が、終戦のどさくさにまぎれて消されるのは、自分でも想像がつく。

 それが尾を引きずったのかもしれない。彼が一切連絡を取ってこないのは、事情があるのだろう。

「隊長。あの青年、ずいぶんと格好良くなったようですよ」

 二人で並んで写っている写真に向かって語りかける。この写真を撮ったのはエーリッヒだった。結構うまく撮れている。ライアー隊の隊員からブランド物の古いカメラを借りて、愛機の写真を撮るついでに撮影した写真だった。

 だが、撮った写真を見せびらかしたのが運の尽き。「そんなに写真の腕がいいなら、俺たちのも撮れ」と、基地の部隊ごとの集合写真を撮らされる羽目になって、半泣きだった。最終的には広報にも採用された覚えがある。

 そんな若気の至りの話が豊富な彼も、ずいぶんと丸くなったらしい。記者のトンプソンから話を聞いていると、そういう印象を受けた。過去とのギャップが激しくて笑ってしまう。

 若い彼はターミネーターの虜だった。まるで、一生をそい遂げる相手と結婚したような浮かれ方。いつほかの機体に浮気するか、よく賭けの対象になった。

 恋愛で彼を振り向かせることができる生身の人間は少ないだろう。いるとすれば、ターミネーターを使いこなせるような人か。向こうで出会えているといいが。

 今はターミネーターに加えて、鬼神にも夢中らしい。だから、出会っても気づかないかもしれない。あるいは優先順位が低くなっている可能性もある。

 この十年、私はあの戦争に関する思い出を、できる限り閉ざした。

 それでも、空はもっと自由なものとして自分を引き上げてくれた人が戦死して、その人が亡くなった場所から離れがたかった。

 あの時、街(はず)れに墜ちてきた敵兵の私を助けてくれて、その後帰国することなく復興を手助けした私と結婚した妻も、戦死した夫と暮らした場所から離れがたかった。

 大事なものを失った者同士、私たちはたがいを見つけ、相手を欠けた部分を埋めるカケラのように、寄りそうようにして、子供を守りながら暮らしている。

 エーリッヒはベルカに残れば手に入れたかもしれない、平和な人生をすべて引き換えにして、あの時に得たわずかなカケラを追い続けた。

 彼はエルジアの空でなにかを手に入れるだろうか。できれば手に入れてほしいと願う。そして生き残ってほしい。

 ディレクタスの空で、どうやってガルム隊と戦ったか。この十年間なにをしていたか。彼と喋りたかった。

 その前に仕事を終えないといけない。締め切りまでそう何日もなかった。

 カレンダーを見る。赤丸で囲ってある締め切り日は九月十九日。頑張るか。

 

   7

 

「頑張れよ。気負い過ぎるな」

 若い隊員は「はい」と力強く返事した。みんな出撃前の準備でいそがしい。いつもより気合いが入っていた。おそらくこれが黄色中隊最後の出撃だと、肌で感じ取っている。

 ISAF(アイサフ)の首都侵攻が始まろうとしていた。ファーバンティは落ちるだろう。それでも逃げるわけにはいかない。特に発破をかける隊長だった俺が逃げたら、隊員たちに申し訳ない。

 エルジア人ではないから関係ない、と言えないところまで関わっている。たとえ敗北が決まっていても、一矢報いるために。実際、ベルカ人の俺に、この国はよくしてくれた。

 ふと、戦争が終わったあとのことを考える。胸に忍ばせてあるハンカチの持ち主の遺品から出てきた、一枚の名刺を思い出した。

 表にはサンサルバシオンにあるホテルのオーナーの名前と連絡先。裏にはスカーフェイスという文字と数字の羅列。多分、数字は電話番号。彼女から、この番号についての話を聞いたことがない。

 彼女は俺の人生の大半を知っている。格好悪い部分は教えていないが、スカーフェイスを追っていたことは知っている。

 ここに電話すれば、鬼神の手がかりが得られる。そう思って一度は電話しようとして、結局やめた。

 あれほど知りたいと願ったのに、知ったら最後まで戦えなくなると思った。

 彼は少年時代に憧れるヒーローそのままだった。現実を知って夢を壊されるのが怖いだなんて。こんなに臆病だったとは、自分でも知らなかった。笑ってしまう。

 エルジアに来て以来、多くのものを背負った。途中で投げ捨てることはできない。全部が終わったあとで聞くのは、まだ遅くないはず。

 唯一なにも聞けないのは、先に空で散ってしまった彼女。初めて操縦を教えた時からセンスがあった。腕がいい人間は、最初から目を引くものがある。

 ——お前にも(つがい)のような相手ができればな。

 イェーガー少佐はそう言って、「辛抱強く待っていれば、いつか現れる。うちの二番機みたいにな」とこっそり喋った。一目見た時からセンスがあって、自分に付いてこられると分かって、アルトマン中尉を自分の隊に引き入れた。

 そういう人間とずっと飛び続けたいという小さな願いも、性別が違うといろいろややこしくなる。

 だが、上下関係がはっきりした関係なら一緒に飛べた。昔は教官と生徒。今は上司と部下。それ以上の関係では飛びづらい。

 彼女は言った本人も忘れた、「この匂い、いいな」という言葉をずっと覚えていた。その匂いに近い香水を探し出して、最後まで使い続けていた。彼女の女としての部分。

 そんなことに気づいても、気づかない振りをした。それよりも優先することがあったから。番号のことで彼女を責められない。

 外青の翼が現れる気配はなかった。それでもと、なにかにすがった。いつの日か対等の敵が現れたならと、少年に言ったことがある。

 お前は戦うに値すると相手が認めてくれるなら。そんな思いも混ざる。

 ターミネーターと同じ。出会ったのが運の尽き。あの円卓の空で、誰よりも美しい軌跡を(えが)いた外青の羽のイーグル。

 墜ちた地上から必死で空に手を伸ばした。届かなかった。砂粒のような人間の想いなど無視して、鬼神は消えた。

 追いかけ過ぎて、前にはもう誰もいない。見上げても、あるのは太陽だけ。時折見えるのは影。それも本人かどうか分からない。

 だが、影の向こうにいた。あの鷲に似た誰かが。

 気づけば、青いリボンを付けた機体が真下にいた。今では死神と呼ばれている。

 ベルカ戦争では鬼神。この戦争では死神。

 そうか。ずっと神を追い続ける。これが宿命なのかと思ってしまった。

 最強といわれたベルカ空軍でさえ、神と呼ばれたパイロットはいなかった。だからこそ、鬼神の存在は衝撃だった。自分はただの人間。どこまでできる。

 新設する部隊の隊長に抜擢された時、すべてを任せられた。人選を自由にやった。部隊の名前をアクィラに、エンブレムを鷲にした。

 その黄色中隊も、設立当時の強さは見る影もない。機体の整備もやっとという状況で、部品の確保もままならない。ベテランパイロットはほかの部隊に引き抜かれた。補充された隊員は若過ぎて、経験も技量も足りない。

 もはや形だけだとしても、それでも。

 鷲よ、神を望みて飛べ。そういうことか?

 ならばこの存在のすべてを賭けて、魂を賭けて、必ず神を墜としてみせる。

 戦えるチャンスは、多分一度きり。最後に賭ける。それこそが、今まで生きてきた意味のすべて。

 つかめるか。あの時円卓の空で見えたものが。もう一度見えるのか。

 影の向こうのその先の、カケラを持つのはお前か。メビウス(ワン)

 とうとう出撃命令が下る。気分を引き締めて機体のもとへ。乗り込んだあとで、「すまないな」と機体に謝った。

 今、憧れたゲルプ隊と同じ道を歩もうとしている。おそらく夕暮れの中で、陥落後の首都を飛ぶ。少佐のように空に散るか、中尉のように地上で生き残るか。道は二つに一つ。

 タキシングして滑走路で待機していると、管制塔から許可が出た。そばにいてくれと彼女に祈ってから離陸。先に上がっている隊員たちを追った。

 太陽の光を浴びた彼らの機体、黄色の下部がいつもと違う色に見えた。

 間違いない。あれは金色。

 

   8

 

 金色の空が窓の向こうに広がる。燃えるようなというより、輝くような夕暮れの空。これから夜になるのに、輝くなんて不思議。

「メビウス(ワン)が黄色中隊を全機撃墜したってニュース、今でもよく覚えてる」

「あの当時のニュースじゃ、首都陥落と同じような扱いでしたよね」

 この国の夕日はきついと思う。その中で後輩と一緒に、サークル内でやるビンゴ大会参加賞のお菓子の袋詰めをしていた。

「十年一昔って言うけど、今は特別扱いされていないのが悲しい…って、飛行機好きは別だけど」

 お菓子を詰め終えると袋の口を折って、テープで止める。ダンボールへポン。

 なぜこの作業を業者に任せないかというと、経費削減のため。しかも決め方はクジ引き。結果、運が悪かった私と後輩が作業を担当するという名誉を賜った。

 最初は当たりさわりのない会話をしながら、淡々と作業をしていた。なにかの流れで、彼が「戦闘機に興味あるんですよ」と言ったのがきっかけ。大陸戦争のことを話題にした。

 こんなふうに、ある程度砕けた会話ができるくらい、外国生活にも慣れた。お母さんには「なにかあったらいつでも、必ず、連絡ちょうだいね」と言われたけど、今じゃ元気でやっている。極度なホームシックにもかからなかったし。

「それで、雑誌を返すついでにそのニュースを知らせに行ったんだけど、中尉…って、うちの義理の父ね。いつもと様子が違ったから、すぐに自分の部屋へ帰ったの」

 あの時もいつものように雑誌を返しに、中尉の書斎に行った。いつも通り中尉はいた。ラジオからは音楽。窓からは街で一番大きい教会が見える。

 違ったのは壁を感じたこと。中尉は一通の封筒を手に持って、それをジッと見ていた。

 いつもならドアをノックする前に足音ですぐ気づいてくれるのに、その日だけは違った。「中尉?」と小声で話しかけると、「ああ、ごめん」と笑顔で返事をされた。

 だけど、いつもと違う。なにかを必死でこらえている表情。まずい時に来たのは理解できた。

 ニュースのことはとっくに知っていた。「そのニュース、ラジオでも流れたよ」と言ったから。

「あとで義理の父がいない時に、書斎に雑誌を見にいったの。そうしたら、前に借りた雑誌の黄色中隊のページに手紙がはさんでいて、住所はエルジア空軍宛てだった」

「それって……黄色中隊に送ろうとした手紙、ってことですか?」

「多分ね。でも、手紙の中身は読んでいないから…分からない。封はされていなかったけど、そういうのって見ちゃいけないでしょ」

「プライバシーがありますもんね」

「そのあと、手紙がどうなったか知らない。多分、まだあるんじゃないかな」

「雑誌と一緒に?」

「捨てていないと思う」

 話しているうちに、お菓子を詰め終わった。一袋完成。

「……というわけで、うちの義理の父と黄色中隊は、関係があるかもという話」

 彼は感慨深げな表情をしながら、手の中にあるバナナ味の小さな四角いチョコを見る。

 包装紙にはゲルプ隊のマーク。久しぶりに発売されたベルカ空軍シリーズの復刻版だった。

 ベルカ戦争以前から、基地限定でベルカ空軍が売っていたもの。終戦後にプロパガンダと見なされて、製造中止になっていた。

「こんなところに繋がりがあったなんて、意外ですよ」

「本当にあったかどうかは分からないよ。…ほら、手を止めない」

「あ、すみません」

 彼はお菓子をビニール袋に詰める作業を再開する。

「黄色中隊のこと、お義父(とう)さんに詳しいことは聞いていないんですか?」

「なんかねえ……。いまだに詳しいことが聞けないの。同じ隊の隊長のことは何度か話してくれたんだけど、あの手紙の相手のことはなにも話してくれなくって」

「そういうの、無理に聞けませんしね」

「なんていうか……伝えたいことがあるのに相手がいないって、つらいよね」

 彼はなにも答えず、「そういえば」と話題を切り替えた。

「このチョコ、実家にも送りました?」

「ぜんぜん。きっと読者からたくさん送られてくるだろうし、今頃近所に配って歩いてるよ」

「読者?」

 ……あ、しまった。やっちゃった。

 でも言っちゃったからには仕方がない。ごめん中尉、許して。

「小説を出してるの。知ってるかな。ライナー・アルトマン」

 

   9

 

 ライナー・アルトマン。意外なところに意外な人がいる。今はシリーズ最新刊を読んでる真っ最中。

 先輩には遠回しだけど、なかば強引にサインが欲しいと頼んだ。嬉しいことに、先輩はこころよくオーケーしてくれた。「じゃあ、デビュー作の初版本を持ってきます」と言うと、「ファンなのねー」と笑われた。

 先生の本の感想文なら書ける自信はあるけど、今書こうとしてる手紙は白いまま。いざ書こうとすると、なにを書いていいか分からない。言葉を選んでいると、ますます書けない。

 先輩はベルカ戦争、俺やシェリーは大陸戦争を経験した。

 多分、先輩の中でも引きずるなにかがあると思う。「中尉は映画みたいに、本当に空から降ってきたんだから」と明るく言ったけど、どこかいびつだ。本当のお父さんの話はいっさい出てこない。

 みんな引きずっている。そのなにかを表に出す人、出さない人。それぞれだけど、みんななにかをかかえていた。かかえたまま、ひっそりと死ぬ人もいる。それはその人の選択。

 俺自身はどうなんだろうって思った。

 俺は地上での黄色中隊しか知らない。たとえば(フォー)は、優しくて綺麗なお姉さんという印象しかない。彼女は黄色中隊不動の二番機だった。それなら空では、すごい飛び方をしたはずだ。

 空での13(サーティーン)を知りたかった。誰かに聞きたかったけど、黄色中隊は壊滅。教え子がいても戦死したり散り散りで、行方が分からない。

 確実に行方が追えるのはたった一人。メビウス(ワン)

 教えてもらう代わりに、自分が知ってる13を教えようと思った。地上で彼がどんなふうに思っていたか、どんな思いをかかえて空を飛んだか。

 メビウス1が生きてるか死んでるか。そんなのは分からない。

 でも、死んでしまう前に伝えておくべきだと思った。アルトマン先生のように、手紙を永遠に出せなくなる前に。

 最初は電話でアタックをかけようと思ったけど、やめた。

 口ではうまく伝えられないから、手紙で伝えることにした。多分、手紙なら相手を邪魔しない。好きな時に好きなペースで読むことができる。

 住所はどこにしよう。ISAF(アイサフ)は監視軍に吸収されたから、そこに送ればいいんだろうか。

 宛名は……どうしよう。メビウス1の名前を知らない。

「いや、大丈夫だ!」

 声が大きかったらしい。店員にちらりと見られた。…ちょっと恥ずかしい。

 直筆で手紙を書くなんて久しぶりだ。ちゃんと書かないと。言葉遣いも気をつけなきゃいけない。俺じゃなくて私。君じゃなくてあなた。

 とにかく思いついた言葉を並べていこうか。あの戦争の最初の思い出。

 空を見る。青空。昔はたくさん星が降ってきた。昼も夜も関係ない。カケラもたくさん降った。

 ……そうだ。戦争よりもっと前。戦争が起こるきっかけになった出来事。そこから始めよう。

 ペンを握り直して、真っ白な便箋に向かった。思いつくまま書いてると、名前を呼ばれる。顔を上げるとシェリーがいた。彼女はいつもちょっと早めに着く。

「どうしたの? 早いじゃない」

 そう言いながら向かいの席に座る。店員にアイスコーヒーを頼んだ。

「遅れないように心がけたのさ。それで…お呼び出しなんて、なにかあった?」

「ライブのチケットもらっちゃった。ほらこれ」

 シェリーはテーブルの上に封筒を置いた。中身を見るとチケットが二枚。

「へえ、誰…って、マジ?」

 人気女性歌手のライブのチケットだった。戦後に出した『Blue Skies』という歌がロングヒット。今でもチケットが手に入りにくい。

 この女性歌手は、シェリーの実家の酒場で歌っていたことがあった。俺は実際に会ったことないけど、戦争が始まる前の話。

 シェリーが言うには、時々酒場に来ていたらしい。酒場に置いていたギターを弾きながら歌って、歌手になる夢を諦められず、家を飛び出した。最初は泣かず飛ばずだったけど、今じゃスター。

「シークレットライブをこの近くのライブハウスでやるんだって。昔のよしみでもらったけど、友達を誘っても予定があるって言うし、このままじゃチケットもったいないから、君を誘ったの」

「なんか寂しい誘い方だな」

「いいじゃないの。暇でしょ?」

 たまには選択肢の最初にしてくれよ。「はいはい。暇ですよ」と答えながら、ペン先をキャップに収める。

「もしかして、課題やってた?」

 彼女はひょいと便箋をのぞき込む。風に飛ばされないよう、手帳の下に置いていた写真に気づいた。「あ、これ!」と勝手に写真を手に取って、「懐かしいー!」と連呼する。

「今見ると親子みたいだよね。かっこいいお父さんに、綺麗なお母さん」

「綺麗なお母さんに嫉妬した?」

 いつもなら「バカ」と言われるのに、今回はなかった。

「この頃って、もうちょっと子供っぽい喋り方してたよね」

「そりゃ成長すれば変わるよ」

「そうじゃなくて……なんだか小さな子供から急に男の子になっちゃった気分で、お姉さん悲しかったんだから。息子が育つって、こういう感じかなあって」

「おいおい。なんでお姉さんなのに息子という単語が出てくるんだ」

「いいの! ねえ、なに書いてるの?」

 今度は書きかけの手紙を奪われた。

「なになに? 子供の頃、星が降った夜を覚えている……?」

 彼女は真面目な顔で手紙を読み始めた。まだ一枚目を書いている途中。推敲だってしなきゃいけないから、中途半端もいいところ。

「……これ、あの戦争のこと?」

「13のこと。メビウス1に出そうと思って」

「どこに出すのよ。もう退役したかもしれないじゃん」

「手紙が返ってきてもいいんだ」

「今更出すの?」

「うん。今更」

 ちょっとだけ彼女は眉をしかめた。どうも機嫌を損ねたらしい。

「もし、運良く本人に届いたら…どうするの?」

「喋りたい……かな。彼がどれだけメビウス1を待ち望んでいたか、直接伝えたいんだ。今なら敵のことを喋っても大丈夫だろ?」

 彼女は少しイライラした感じで、アイスコーヒーを勢いよく飲み続ける。

「今まで誰にも喋ったことがないのに」

「別に、酒飲みのくせに甘党だったとか、そういうことは教えないから」

「そんなこと教えなくていいッ」

 小さく鋭い口調で言う。飲み切ったグラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。氷がカラカラ鳴る。

「多分メビウス1が知りたいことは、パイロットだった彼のことだと思うよ」

 彼女がイライラするのは分かった。

 直接顔を合わせていないし、喋ってもいない。そんな相手が自分以上に13を理解するのが分かっているから、悔しいんだと思う。4みたいに。

 13は彼女にとって初恋の人で、永遠の憧れの人。悔しいけど、俺は絶対にかなわない。

「バカ」

 今日初めて言われる。そのうえ、テーブルに置いてあったペンで、額を軽く突かれた。痛くはない。

「こんなふうに小賢しい子になっちゃって、お姉さん悲しい」

「いくつだと思ってるんだよ」

「ほら行くよ。私、ライブ行く前にご飯食べたい」

 彼女は立ち上がると、ペンで突いたところにキスをする。家族にするみたいに軽いもの。深い意味はないと思う。

 でも彼女はちょっと意地っ張りだ。自分が負けたなんて素振りは絶対見せないし、知らせない。笑いを吹き出したら負けってヤツじゃないけど、告白したら負けってヤツ?

 彼女は今フリー。彼氏はいない。

 ご飯のあとはちょっとなと思う。ライブのあとに、このキスの意味を聞いてみようか。

 テーブルに散らばった私物をバッグにしまう。先を行くシェリーが、「早く!」と笑顔で言った。

 いつも彼女は先に行動する。13を最後まで追いかけようと言ったのも彼女だった。

 俺たちが……僕たちが、こうして大人になるくらいの時間。今でも黄色中隊のことを思い出すと悲しくなる。

 けれど、前よりは痛くない。思い出すのは、いい思い出のほうが多くなった。

 僕たちの中にある傷は、ゆっくり癒やされてる気がする。メビウス1の中でも、敵を受け入れる余裕みたいなのができたと勝手に思いたい。

 きっと、彼が13の渇きを癒やしたのだと思う。

 13がファーバンティの空でなにを得たか。彼なら答えを知ってるはず。

 そう思うから、メビウス1。勝手なお願いだけど、待っていてくれないか。必ず書いて送るから。

 時間はかかっても、必ず地上からの手紙を、いつかあなたに。

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラの解説です。

 

ロベルト・グローデン:ZEROミッション5ソルジャーで登場。アサルトレコードNo.041。

 

オルベルト・イェーガー:ZEROミッション6で登場。アサルトレコードNo.045。

 

ミハイ・ア・シラージ:7で登場。

 

ライナー・アルトマンの義理の娘:ZERO攻略本「巻末付録:エースパイロットプロフィール」で存在のみ判明。

 

   後書き

 

酒場の娘の名前は某巨大掲示板のネタから。黄色の13の格好良さはあがきから来るんだろうなと思ったり、心が受けた傷は時だけが癒やすんだろうなと思ったり。


 
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