No.1002743

ソラからの歌

カカオ99さん

以前書いたものを手直しして投稿。04のメビウス1中心の話。時間軸は色々あれど、カティーナ初期から中盤あたりがメイン。04、5、ZEROのネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。鷲よ、神を望みて飛べ→http://www.tinami.com/view/1003210

2019-08-25 00:41:01 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:830   閲覧ユーザー数:830

   1

 

「なあ。ピアノ弾いていい?」

 すぐ近くにあったのは、空色の目が印象的な男性兵士の顔。限りなく人間に近づけて、でもどこか人形と分かる作りみたいな、とんでもなく綺麗過ぎる人形っぽい人。

 満席の店内はうるさいから顔を近づけたんだろうけど、整い過ぎた顔って心臓に悪い。

「こら待て! たとえメビウス(ワン)でも、酒場の歌姫をくどくのは十年早いぞ!」

「はぁ!? 口説いてねえって!」

 売り言葉に買い言葉で口喧嘩が始まる。どうやら彼はメビウス1っていうらしい。記憶が正しいなら、メビウス1はISAF(アイサフ)のエースパイロット。リボン付きの死神と呼ばれた大陸戦争の英雄。

 そんな人間がこんな近くにいたなんてびっくり。なんかイメージ違うけど。

 でもこの顔は見たことある。……どこだっけ?

 メビウス1が口喧嘩してる間に、近くにいた女性兵士から注文を聞く。さっきは歌姫なんて言われたけど、実際は違う。ウェイトレスも兼ねたバイト。マスターの好意で、夜は歌わせてもらっているだけ。

「いいかお前ら! 高い酒は頼むんじゃねぇ! 他人様におごられる時は、その人の懐具合を察して頼め!」

 メビウス1が斜め上の理屈を声高に叫んだ。ブーイングが来るのは当然だと思う。

「あんだと!? てめーはISAFで一番の高給取りだろうが! ケチんな!」

「うるせぇクソッたれども! いい加減、俺様の帰還を祝って称えろ! 俺の酒を飲めない奴は、今すぐ帰って基地の薄いビールを飲め! 分かったかこの…」

 ゴツッとメビウス1の後頭部にウィスキーの瓶が当たる。

「悪い。もうウィスキー頼んだ」

 瓶を当てたのは、オメガ11っていうコールサインのパイロット。確かランパートという名字だったはず。何回緊急脱出しても死なないで復帰するから、不死身って呼ばれてた。

「今日はメビウス1様のおごりだ! 金は気にするな! 高い酒もどんどん頼め!」

 イエッサーの大合唱で、兵士たちは高い酒を一斉に注文する。メビウス1が「てめぇ!」と叫ぶものの、歓声でかき消された。

 無視された英雄は近くの席に座って、ブツブツ文句を言い始める。……情けない。

 戦争は終わったけど、基地は活気づいてる。残党狩りで大変だから、士気を高めるために飲み会を開いたと思ったら、自分のための歓迎会を自分自身で開く英雄って……しかもこの顔でこの口調って……。

 黙っていれば、生きているのかあやしいくらいの美人。それなのに、天は二物を与えてくれなかった。

 メビウス1に対する幻想が、音を立てて崩れ落ちる。思わずこっちが大きなため息をついた。情けない英雄の肩を叩く。

「ピアノ、弾いていいわよ」

「マジで!?」

 ……立ち直りは早かった。嬉しそうに軽い足取りでピアノの席に座ると、鍵盤を押す。ド、レ、ミ。一オクターブ上がってラ。座ってピアノに手を()えるだけでかっこいい。……外見だけは。

「なに弾くの?」

「パイロットのお約束といえば、『Great Balls of Fire』に決まってんよ!」

 メビウス1は歌い始めた。なんの曲か分かった男性兵士たちが合唱を始める。酒場はコンサート会場に早代わり。合唱隊は高いキーが来ると、裏声を使いまくって笑わせる。

 ピアノは鍵盤を端から端まで指で滑らせる、グリッサンドが綺麗に決まった。

 歌詞で「Baby」の部分が来ると、合唱隊は近くにいた女性兵士たちに向かって歌う。当然軽くあしらわれて終わり。

 曲が終わるとみんなで拍手して口笛吹いて、酒を一気飲み。どうよと言わんばかりに得意げな顔をしてるメビウス1に向かって、「ねえ! 二倍速で弾いてみて!」と叫んだ。

 それを挑戦と受け取ったメビウス1の目がキラリと輝く。宝石みたいな瞳。

 思わず見とれていると、勢いよく立ち上がったメビウス1が合唱隊を指差して、「お前ら二倍速で歌えよ!」と命令してから弾き始めた。

 合唱隊はろれつが回っていない人が多かったけど、ピアノは憎らしいほどうまく弾けた。これだけの美形で英雄でピアノうまいって腹立つわー。

「ほら次も早く! 三倍速!」

 あおりに乗ったメビウス1は頑張ったけど、つっかえた。曲が止まる。

 近寄って「残念でしたー!」と肩をバンと叩いた。それでも二倍速までは弾けたのでまずまず。回りもヤジを飛ばすけど、拍手も多い。

 メビウス1はまた勢いよく立ち上がると、こちらをビシッと指差した。

「次は必ずみっくみくにしてやんよ! ネギ持って待ってろ!」

 なにそのすごく懐かしいネタ。歌う時はクルクル回せってこと?

「……ネギウス1、座れ」

 この声には覚えがあった。管制官のスカイアイ。メビウス1の首根っこをつかんで、無理やり椅子に座らせた。

 結局メビウス1は帰る時にうなだれながら、「領収書お願いシマス」と言った。……経費で落ちないと思うけど。

 翌日、彼は酒場に来た。こっちがネギを用意する暇もない。昨日の曲を三倍速で弾いてみろと挑戦状を受けたのでやったけど、失敗。

 なぜか得意げに「駄目じゃん」と言われた。……ムカつく。

「三倍速をうまく弾けたら、好きなお酒をタダでボトルキープさせてあげたのにねー」

 それを聞いた彼は「ほんとだな!」と言って、真剣に練習を始める。そもそも元の曲はテンポが速い。それを三倍速でやるのは無理だと思うけど。

「この曲、パイロットには必修課目だと思って、すげー練習したんだよ」

 そう言いながら、彼はゆっくりと『Great Balls of Fire』を弾く。

「ほかの曲はどう?」

「あと一曲くらいしか弾けない」

「……なによ。その直球勝負」

「人生はいつも直球勝負でいってんの」

 そんなふうに、私と彼の会話は始まった。会うたびに話す時間は増えていった。

 話のネタに自分の生い立ちなんかを話してみた。ユリシーズで両親を亡くして、親戚のもとで暮らしたこと。親戚はよくしてくれたけど、歌手になる夢を諦められなかったこと。

 家を出て、何度もオーディションを受けたこと。天才! 世紀の歌姫! なんてあおり文句でエルジアでデビューしたこと。

 だけど戦争が始まったお陰で、次の企画は全部流れたこと。今は全然売れなくて開店休業同然だから、休みをもらって実家があった場所の近くに来てること。その場所は更地になってること。今はここでバイトしてること。

 彼は「ふーん」とか「へー」とか、流して聞いていた。今はいろいろ突っ込まれるとつらい時期。そういう反応は逆にホッとした。

 その日もいつも通り会話をしていた。店が流していたラジオから聞こえたのは、あの曲。

「私も前に出した曲が、いつか『The Journey Home』みたいにならないかなーって」

 それを聞いた彼は、「これ歌ってんの、俺の母さん」と微笑んだ。

「へぇー……今なんて言った?」

「『The Journey Home』を歌ってんのは、俺の母さん。母親似の顔をよく見てよ」

 そう言ってかっこつける彼を無視して、カウンターに行く。CDが並んでる棚を探すと…あった。

 急いで持ち帰って、彼の顔とCDジャケットに写ってる顔を見比べる。……よく似てる。

「あのリリー・マルレーンの子供がこんなになっていたなんて……」

「何気にひでぇこと言ってんな」

 彼は指一本だけでピアノを弾き始める。彼がもう一曲だけ弾ける曲。それは『The Journey Home』だった。

「リリー・マルレーンは芸名で、本名がエリザベート・マルレーン。エリザベートの愛称がリリー。普通はシシーってほうが有名か。でも母さんはリリーって呼ばれてた」

 彼から家族の話を聞くのは初めてだった。

「父さんと母さんの出会いも、ここみたいな酒場だったらしいんだ」

 父さんはパイロット。母さんは酒場の歌手。似てるよなと彼は言って、身の上話を続ける。ちょっと考えてから近くの椅子を持ってきて、「詰めて」と彼の隣に置いた。

「あなたは右手。私は左手」

 二人でたどたどしいテンポの『The Journey Home』を弾き始める。この曲は発売当時、見向きもされなかった。

 注目された事の始まりは、オーシア軍の将校。ある日レコード店に立ち寄って、前線にいる兵士たちの退屈しのぎにと、「この代金で適当に見繕ってくれ」とお金を置いた。

 数日してから将校は来店して、カセットテープやCDが大量に入ったダンボール箱を車に積んで去った。その中にリリーが引退前に出した最後の曲、『The Journey Home』があった。

 それからラジオでじわじわと広まった。特にオーシア兵の間で。

 これがきっかけになって、リリーは活動再開。慰問で戦場を回るようになった。ベルカ国内で核が使われると、オーシアではますます流行った。

 そして終戦。この時リリーは知り合いの記者に、別れた夫の行方を調べてほしいと頼んだらしい。別れた夫はベルカ軍将校だという噂が流れて、メディアは彼女を追いかけ始めた。

 多分それに嫌気が差して、オーシアから去った。確かユージアのどこかに移住したはず。彼女がメディアで最後に大きく扱われたのは、ユリシーズの時。災害で亡くなった有名人リストの中に、彼女はいた。

 我が子がどうなるか。自分たちがどうなるか。リリーも、別れた夫も、こんな未来を想像していなかったはず。多分、結婚した当時も。

 運命なんて誰も知らない。

 

   2

 

「なあディトリッヒ」

「どうした、アントン」

 アントンは「実はな」と言いながら、食事中のディトリッヒと対面する席に座る。

「今、付き合ってる女性がいるんだ」

「とうとう恋人ができたか。良かったな」

 ベルカ公国の北方にある空軍基地。時は一九七〇年代後半。冷戦の真っただ中で、彼らはトップエースと呼ばれた。

 伝統あるベルカ空軍において、双璧を成すとまで言われたが、どちらも貴族出身ではない。空軍アカデミー出身の叩き上げ。

 先輩後輩の間柄だが、ファーストネームで呼び合い、対等な口調で話す仲だった。それでもなにかあった時は、三つ年下のディトリッヒが先輩を立てて譲ることが多い。

「それでな……」

 アントンにしては珍しく、歯切れが悪い喋り方をするので、ディトリッヒは待った。

「子供ができたから、今度結婚するんだ」

 一瞬の()のあとで、「相手は誰だ」とディトリッヒは小声で聞く。アントンも小声で「リリー・マルレーン」と答えた。

 ディトリッヒは大きなため息をつくと、スプーンを置く。おもむろにハンカチを取り出し、涙をぬぐう仕草をした。

「朴念仁がみんなを出し抜いて、ちゃっかり酒場の歌姫と付き合っていたとは……」

 基地の兵士たちが行き付けにしている酒場には、リリー・マルレーンという女性歌手がいた。本名はエリザベート・マルレーンだが、兵士たちは愛称のリリーを好んで使った。

 リリーはオーシアでデビューしたが、売れなかった。彼女の生まれ持った美貌は、歌手活動をする際に邪魔をした。「顔が綺麗なだけで歌はそこそこ」と厳しい評価も受けた。

 結局リリーは引退し、田舎に帰った。昼は歌やピアノを教え、夜は酒場で歌うことで生計を立てた。彼女にはファンが大勢いたが、誰とも付き合っていなかったはずだった。

「とにかくおめでとう。ある日突然、うしろから刺されるなよ?」

 手を差し出されたので、アントンは握り返した。あやしそうな目つきで戦友を見る。

「何気にひどいことを言ってないか?」

「気のせいだ」

「この話は……」

 みんなに言わないでくれと言う前に、ディトリッヒは手を挙げてさえぎる。不敵な笑みを浮かべながら、「大丈夫。任せておけ」と言った。

 翌日、結婚話は基地全体に広まっていた。ようやくアントンはディトリッヒの「任せておけ」の意味を理解したが、時すでに遅し。

 アントンは多くの男性から恨みを買い、戦々恐々の日々を過ごしたが、結婚式は無事に済ませることができた。

 リリーは結婚を機に、家庭に入った。彼女は「縁起がいいと思うから」と、戦闘機パイロットを続ける夫に青いリボンを渡した。

「これを身につけていた時に、デビューの話がきたの。たとえ墜ちても、きっとこれが助けてくれるわ」

 アントンは妻に言われた通り、肌身離さず持ち歩いた。

 子供も生まれ、夫婦は父となり、母となった。一人息子にはアーサーと名付けた。由来は伝説の王の名前から。ディトリッヒは「その話、本当に好きだな」と、アントンをからかった。

 年齢を重ねたアントンは現役を引退し、研究職に転じた。もともと兵器開発に才能があったための異動。国家事業にも関わるようになり、いそがしくなった。家に帰らないこともあった。それから夫婦はすれ違うようになる。

 アントンが久々に家に帰った時のこと。朝食を食べていると、幼い息子は不思議そうな顔で父を見た。彼が出かける時に、息子は「また来てね」と手を振った。

 そこでアントンは、息子が不思議そうな顔をした理由が分かった。息子は実の父の顔を忘れていたのだ。

 そのうち夫婦は、会うたびに喧嘩をするようになった。喧嘩をしたあとで、リリーは寝室にこもって泣く。アントンは書斎にこもり、酒を飲むのが常だった。

 ある日、いつものように喧嘩をして、それぞれの場所へこもった。夜中だったが騒々しかったので、息子のアーサーは目を覚ました。母親の様子をうかがったあとは、父親がいる書斎へ行く。

 アーサーはこっそり行動したつもりだが、見つかった。「おいで、アーサー」と招かれたので、書斎へ入る。

 アントンは小さな椅子を持ってきて、息子を座らせた。幼い息子は時々父の書斎に入っては、本を読んでいた。それを知った父は息子用にと、書斎に小さくて軽い椅子を置いたのだった。

「ほら、これが今考えている戦闘機だよ」

 アントンは息子に向かって、ノートに書いた設計図のメモを見せた。内容は技術的なことばかり。子供のアーサーにはよく分からないが、映画やコミックの中の飛行機を見ているようで、楽しい気分になった。

「それって、映画に出るようなすごいやつなの?」

「そうだよ。それくらいすごくて強いやつだ。これに乗るパイロットは、この世で一番の天才なんだよ。本当なら魔女が乗るための、魔女の機体だったんだが……」

 そこまで言うと、アントンは語るのをやめた。アーサーは話の続きを聞きたくて、「魔女って誰?」と聞く。するとアントンはバツの悪そうな顔をして、話題を変えた。

「この機体に乗れるのは、魔女みたいにすごいパイロットだってことだ」

 ほどなくして夫婦は別居し、離婚。息子はリリーが引き取り、マルレーンの姓を名乗ることになった。

 別れる前に、父は息子に小さな戦闘機の模型を手渡した。白く塗られた外観、前進翼、後方の大きなエンジン二基。戦闘機には、レーザーを発射すると思われる装置が乗っていた。

「これが前に話した戦闘機だ。名前はモルガン。持っていきなさい」

 

   3

 

 少年は基地内の草むらに寝転がりながら、小さな戦闘機の模型を空にかざした。

「それどこのプラモ?」

 男の問いに「オリジナル」と答えると、少年は立ち上がる。男のジャケットには赤い不死鳥のワッペンが付いていた。

「その模型、見てもいいか?」

 少年は素直に模型を渡す。男は少年が白い飛行機の模型を大事にしているのを知っていた。初めて間近で見て、あの機体だったことに内心驚く。しばしの間、思い出にひたった。

 模型をジッと見つめる男を、少年は怪訝な表情で見る。あやしまれていることに気づいた男は微笑んだ。「かっこいいな」と持ち主に模型を返すと、建物に向かって歩き始める。少年は斜めうしろを付いて歩いた。

「それ、Su-47の派生型?」

 少年は短く「違う」と答える。

「X-29?」

「それも違う」

「そんじゃモルガン」

 少年は歩みを止めた。反応がないことに気づいた男は振り返る。思わず少年は半歩下がった。時々この男の灰色の目は光の加減で銀色に見えて、不気味だった。

「王様。そろそろ点呼の時間だ。よろしく」

 一九九九年、ユリシーズという名の星は降ってきた。最初の二週間で五十万人が死亡。行方不明者や家を失った避難民も大勢いた。

 少年はその中の一人。名前が伝説の王と同じ名前だったので、周囲から王様と呼ばれた。

 普通なら軍事施設に入れないが、今は非常時で混乱状態のうえ、今までの災害とは比較にならないほどの超規模クラス。空軍基地にも避難民が大勢集まっていた。

 隕石落下による一次災害や二次災害を生き延びても、安心はできない。混乱に生じて小さな子供を誘拐する事件が起き始めた。かろうじて機能していた警察や治安部隊に被害を届けても、「助かるのは期待しないように」と担当者に言われる。

 少年は好奇心から理由を聞いて、愕然とした。「人身売買だよ。世界中に売られるんだ。どんな理由でどんな所へ行くかは、聞くな」という答えに、大体の予想がついた少年は、弱々しくうなずいた。

 担当者は少年の顔を一瞥すると、「君も気をつけろ」と言った。「君くらいの年でも、顔がいいと狙われる」と。

 政府は身寄りのない未成年者を集めて管理した。下手な施設だと職員といつわって連れ出すことがある。基地だと武器を持った人間が常にいるので、威嚇になると判断した。

 少年が行った基地には傭兵部隊がいた。傭兵たちは子供のお守りという仕事が増えたので、不満をもらす。

 だからといって拒否するわけでもない。彼らは子供の相手もこなした。

 兵士ですら、金のために子供を売る手助けをするのに、なぜかこの傭兵たちは信用されていた。

 傭兵部隊の隊長は灰色の目の男。周囲からスカーフェイス(ワン)と呼ばれ、フェニックスと呼ばれた。

 スカーフェイス1がコールサインで、フェニックスがTAC(タック)ネーム。父親がパイロットだったので、それは少年にもすぐに分かった。逆に名前はあまり聞かない。

 少年は未成年者の中で年長だったため、子供の世話を手助けするよう頼まれた。定期的に点呼を取り、人数を確認。様子がおかしい子がいたらチェック。それらを傭兵たちに報告するのが彼の役目だった。

 武器庫や格納庫は基本的に民間人は立入禁止だが、施設運営の人数が足りない。手伝いをしていれば、入ることが特別に許される。その特権を活かし、少年はよく格納庫に来て軍用機を見た。

 途中で通り過ぎた格納庫はカラ。任務に出ている機体があることが分かった。任務がどんな内容か、少年を含め民間人は知らなかった。詳しく聞くことも許されなかった。

 目当ての場所にたどり着くと、白く大きな機体があった。細長い首、カナード、可変後退翼、上下二枚ずつの合計四枚の斜め尾翼、白い翼の縁に引かれた赤いライン。

 XFA-27と呼ばれるこの機体の席に、灰色の目の男が座っていた。整備士となにか話している。会話が終わると、整備士は少年のほうに向かって歩いてきた。彼とすれ違う時に、「よう、また来たか」と挨拶をする。

 整備士は兵士ではなく、XFA-27の研究開発チームの一員。少年とはよく会話をした。

 少年は男に報告を終えると、そわそわした態度でXFA-27を見る。

「なあ、これって普通のと違うよな?」

「試作機だよ。乗ってみるか?」

 男は機体から降りながらそう言った。少年は顔を輝かせたが、泥だらけの靴を見て「やめとく」と答えた。白く美しい機体を汚すと思ったからだった。

「モルガンもこれと同じように、試作機だったんだろう。俺が見たのは片羽が赤いヤツだったけど」

 少年は男の横顔を見た。突然振られた話題。少し考えたあとで「モルガン知ってんの?」と聞くと、「知ってる」と即答された。

「あれ、本当に作られたのか? あんなSFみたいな戦闘機」

「作られたよ。でも俺が墜とした」

 男は笑顔で答えた。少年は「マジ?」と間抜けな声を出す。

「ほんと。向こうはレーザー乗せるわ散弾ミサイル積むわ機銃(はじ)くわで、大変だったよ」

 ノートに書かれていた構想と同じ。少年は父親が夢を実現していたことを、意外な場所で知った。

「墜とされたってことは、モルガンに乗っていたのは魔女じゃなかったんだ」

「なんだそれ?」

「モルガンは魔女が乗るための魔女の機体だって……模型くれた人がそう言った」

 男は一瞬黙ると、少年から視線をずらす。

「お母さんの名前、リリーっていったよな? 愛称だけど」

 少年の母親が誰か、男は知っていた。

「そうだけど?」

「君のアーサーって名前、もしかして親のどっちかが、神話や伝説が好きで付けた?」

「……なんで分かんの」

 少年の問いには答えず、男は苦笑した。

「リリーとアーサーか……。うちと同じだな」

「あんたの名前、アーサーじゃないだろ?」

「傭兵やってる奴の中には、偽名も多い」

 男の名前は偽名だと宣言しているも同然。少年は興味が湧いたが、聞くのはやめた。

 ここに集まった人たちは災害によって、誰もが心に傷を負っている。深く聞かないのは暗黙の了解。少年はそのルールに従った。

「なあ。モルガンのこと知ってるなら、これを作った人のことも知ってる?」

 少年は務めて明るく振舞い、話題を変えた。

「悪いが、開発者は分からない」

「あの…その人、開発者だけどパイロットだったからさ。作戦中に行方不明になって、その年の暮れに遺体が発見されたんだ。どんなふうに飛んで墜ちたか、知りたいんだ」

「名前は?」

「アントン・カプチェンコ。ベルカ空軍の将校なんだけど、無理かな」

 男は少年の顔を直視しながら、「お父さんか?」と聞いた。少年は床に視線を落とすと黙った。数秒してから小さくうなずく。

「…そうだよ。俺の父さん」

 この子はすでになにかを予感している。それが分かっても、男はごまかさなかった。

「俺は君のお父さんと円卓と呼ばれる場所で戦って、撃ち墜とした。意味が分かるな」

 予想通りの答えにどう反応すべきか、少年は迷った。母親の遺体を見つけた時の爆発的な怒り。大切な人が突然奪われた喪失感。それらの強い感情が湧いてこなかった。

 この文明が初めて体験する隕石落下は、科学者たちの予測を遥かに超えた。隕石は千個以上の破片となって地表へと衝突。そのあとに起きた災害が多くの命を奪った。

 少年が住んでいた地域は津波にのみ込まれた。近所の人たちと急いで近くの高いビルへ避難し、屋上に出ると、世界は水没していた。まるで神話の出来事のように。

 少年はただ「うわっ」と思った。当事者でありながら他人事のような感覚。それが今この瞬間に甦る。

 うわっ、この人は誰かを殺したことがあるんだ。

 そういう反応をする自分に、少年自身が一番戸惑った。

 少年の中には、父親と会話をした記憶がある。父親の書斎に行って、こっそり神話や伝説の本を借りた記憶も。それを知った父親が、子供向けの神話の本を買ってくれた記憶も。別れる時はモルガンの模型をくれた。

 それからと少年は記憶をたどる。顔がこわばった。「ごめん。気分悪い」とだけ言い残すと、逃げるようにして帰る。

 一晩かけて子供時代を必死に思い出した。母親との記憶はたくさんあるのに、父親との記憶はさっきのだけ。

 本来ならば、あの人間を憎まなければならない。それができないほど、父親は希薄な存在。それが少年にとってショックだった。

 翌日、格納庫で男と会った。男はいつも通りだったが、少年は一睡もできなかった。会っても、なにを言ったらいいか分からない。

 ずっと黙っていると、男は「食べるか?」と板チョコを差し出した。「でも気をつけろよ」という言葉を無視して、少年は板チョコを奪い取る。

「それ、カカオがいっぱい入ってるから」

 勢いに任せて、すでに半分以上食べてしまっていた。あまりの苦さに、少年はその場に座り込む。

 「ほれ」とコーラのペットボトルが渡された。一気飲みをしてゲップをする。それで落ち着きを取り戻し、「父さんはどんな機体に乗ってた?」とかすれた声で聞いた。

「Su-47だ。ベルクートっていわれてる、ユークの最新鋭機」

 そう言って、男は少年の父親について喋り始めた。空戦の様子、無線での会話、クーデター事件のこと。

 男が淡々と語っている間、少年はずっとカラのペットボトルをもてあそんでいた。話を聞き終わったあとも変わらない。

 喋る順番が回ってきたので、必死に言葉を捜している。男はそれが分かったので待った。風の渡る音が聞こえたあとで、ようやく「ほんと言うと…」と喋り始める。

「父さんのこと、よく知らないんだ。クーデターの一味って言われても、ピンと来ない」

 今度はすがるように、「さっきの戦闘以外は、ほんとになにも知らない?」と聞いた。

「ああ、知らない」

「だよな……」

 ああそうかと男は思った。この少年は父親からもらった模型を大切に持っている。ただそれだけの繋がりを頼りに、わずかな思い出の中に絆を見出そうとしている。

「空に興味あるか?」

 男は突然話題を変えた。少年は驚いたが、即座に「あ、うん」と答えた。

「君のお父さんの機動を、教えられるかもしれない。一回戦っただけだから、完全再現はできないけどな」

 少年はなぜか寒気を感じた。思わず手の中のペットボトルを大きくへこませる。

「君が望むなら全部教えよう。一緒に来てみるか? 俺たちはもうすぐここを出る」

 男が手を差し出したその時、雲の隙間から強烈な午後の陽射しが差し込んだ。灰色の目は光の加減で銀色に見えた。

 この世の存在(もの)ではないなにかが、ここにいる。

 人でありながら、鬼神と呼ばれた存在が。

 これは契約の儀式だと少年は直感した。

「選ぶのは君の自由だ」

 鬼神は選択をうながした。

 この手を取るのか、取らないのか。さあ選べ。

 少年は思わず空を見た。太陽がまぶしくて、空はよく見えない。

 だが、目の前にいる神の目は見える。

 父親が言った「ともに戦う空もあっただろうに」という言葉。父親は鬼神の中になにかを見た。それは彼のそばにいれば、なにか分かるはず。

 ベルカ戦争の空で、父親はなにかを求めた。だからクーデターを起こした。クーデターの首謀者としての真意はよく分からない。

 でも戦闘機パイロットとしての真意なら。

 父親が死亡していたことを知った時、母親は満足げだったことを少年は思い出した。「戦闘機パイロットとして死ねたのね」と、かすかに笑った。

「さあ、どうする?」

 神のきまぐれは、人間にとって瞬きする間の出来事。この機会を逃せば二度とない。

「行く」

 そして少年は神の手を取った。

 

   4

 

 フェニックスのおっさんの手を取った日が、運命の分かれ道。スカーフェイスと一緒に旅する日々が始まった。

 ユージアを転戦する彼らは、雇い主が中央ユージア連合、FCUってところで、武装勢力を叩く任務だと教えてくれた。

 だけど非公式なヤツだから黙ってろ。とにかく口を閉じろ。喋るなということを最初にガッチリ仕込まれた。

 滞在期間はバラバラ。引っ越しするたびに隊員たちは「面倒くせー」とお決まりの文句を言うけど、黙って付いていく。必ず従う。

 絶対的ななにかを盲目的に信じることが信仰なら、彼らのも信仰ってやつなんだろう。隊長には顔に傷痕があって、世界一強くて、絶対に墜ちない。彼らはそう信じてる。

 中の人は何代か変わってるけど、撃墜された記録はない。不死鳥の座を継げるのは初代からの伝統で、最強のパイロットプラス顔に傷痕がある人間。分かりにくいけど、おっさんにも右目の上に薄い傷痕がある。

 代替わりしたことを悟られないために、フェニックスってTAC(タック)ネームも受け継いでいた。地位も名誉も関係なく、空で戦い続ける戦闘機パイロット。俗世の真っただ中にいるくせに、そんなの関係ねぇと言い切りやがる。

 ふとしたことでおっさんはXFA-27と出会った。戦争中は離れていたとおっさんは言っていたけど、今は一緒にいる。回りは当たり前のように、「こいつを使える奴が、次の隊長だ」と言う。

 憧れてずっと上を見ていた。いつかあんなふうに飛びたい。たとえ親の仇だって。

 ——お前、知識や才能はあるけど免許ないんだよな。それヤバいから、とりあえず免許取ってきな。金は出してあげるから。

 ある日突然、おっさんからそう言われた。ついでに真面目に人生相談したら、「じゃ、普通にパイロットやってごらん」と言われて放り出された。

 彼らは敵やライバルが多いから、どこに行くかはギリギリまで言わない。たとえ元身内でも、外にいる人間には絶対に教えない。たまに向こうから「元気か」と連絡が来るくらい。それで生きてるんだと思った。

 ユージアの東側の国々が加盟してる中央ユージア条約機構、UTOってとこには、元スカーフェイスのジョンのコネでなんとか入れた。

 …と思ったら、エルジアがサンサルバシオンに侵攻して、いつのまにか大陸なんちゃらって同盟を中心にした独立国家連合軍ってのができて、そこの所属になって戦争参加。終わってみりゃ英雄になっていた。

 しかも目の前にいたのはあのおっさんと、顔に傷跡があるのがはっきり分かる、おっさんより年上の人。「先代だよ」と初めて紹介された。

 スカーフェイスの転戦に付き合ってた時、何度か見かけたことがあった。直接話したことはない。今は小さな民間軍事会社を経営していて、スカーフェイスは全員そこの所属ってことらしい。

「お前、ストーンヘンジと縁があったんだな。魔法使いが造らせた物を王様が壊すだなんて、面白い話だよ」

 久々におっさんと会って最初に話したことは、大陸戦争での戦果。俺を王様と呼ぶのは、名前がアーサーだから。

 ストーンヘンジはもともと、巨大な石を()みたいに並べた伝説の遺跡の名前だった。その遺跡は、魔法使いが巨人に造らせたって話がある。

「神や魔法使いがやった戦争じゃないだろ?」

「あとの時代の人間にとっては、神話や伝説になるんだよ。そのへんは本当に魔法だな」

 たった十年くらい前のベルカ戦争が、伝説の出来事みたいに扱われるのと同じ。化け物みたいなパイロットは、たいてい円卓を経験している。

 化け物たちはみんな海を越えてやってきた。異世界から召喚したみたいに。神話にある始まりのように。

 その中に鬼神っていう、恐ろしい神が混じっていたってだけの話だ。

 黄色中隊の一機を墜とした時に、回りの反応がガラッと変わった。みんなからリボン付きや死神と呼ばれるようになった。

 あの時ようやく分かった。おっさんの手を取った瞬間に、俺は神の眷族になっていた。

 ただ、自分がどう呼ばれるか知らなかっただけで。

 戦争が終われば、そこからは政治のショータイム。観客に一番受けた兵士は舞台に呼び戻される。そいつは延々とカーテンコールをしなきゃいけない。つまり俺。

 メビウス(ワン)って存在は、俺が知らない遠い場所でとんでもない英雄になっていた。まるで母さんみたいに。

 母さんは、最後に出した曲が突然売れ始めたことを素直に喜んだ。父さんと同じ職業の兵士たちのためにって、慰問も進んでやった。

 敵国の人間になってしまった父さんにも歌が届くように。そんなことを願っていた。

 だけどいつしか曲は反戦歌になって、母さんは平和の使者になっていた。「そういう歌じゃなかったのに、時の流れは不思議ね」とつぶやいた母さんは俺を連れて、国籍取得が簡単なユージアの小さな国に移住した。

 多分俺も母さんと同じように、回りに嫌気が差した。除隊申請してみりゃ、「待て」の一点張り。スカイアイは「君を手放したくないんだよ」と言ったけど、冗談じゃない。逃げようかと思ったら突然許可が出た。

 そんでおっさんたちのさわやかな笑顔と、ISAF(アイサフ)のお偉いさんの超さわやかな笑顔の契約成立の場面に立ち会わされて、「今日から彼らと行動をともにしたまえ」と言われた日にはよー。

 俺はなぜかスカーフェイスに移籍していた。だから社長を紹介されたのかーとやっと分かった。そのスカーフェイスはISAFと契約。

 ていうか本人無視。スカイアイに文句を言ったら、「自業自得だ」と言われた。

「除隊したらスカーフェイスを捜してそこに行きますって、お偉方にそう言ったんだろう?」

 はいそうでした! 自業自得!

「俺の処遇、実は知ってたろ」

「最終的にどうなるかは知らなかった」

 ……ちくしょう。情報は入っていたんだな。さすがAWACS(エーワックス)の管制官…じゃねえよ!

「あーあ。人生がどうなるかなんて、ほんと分からねえよ。流されまくってここにいるって感じだぜ」

 口をへの字にしていると、「その顔、そっくりだな」と言われた。

「誰に」

「君の師匠さ」

 真顔になる。両手で頬をもんでしゃっきりさせて、決め顔で「スカイアイは軍に残るのか?」と話題を切り替えた。

「できれば定年まで勤めて、ちゃんと年金を受け取りたい」

「俺も年金は欲しい」

 こんちくしょう。スカイアイの奴、「君ならちゃんともらえるさ」っていい声で笑いやがる。

「いろいろな空を経験してくるといい。君の空は、ISAF(ここ)だけじゃない」

「なにそれ」

「本格的な傭兵生活をやってみればって話だ。納得するまで追いかけるのも、一つの手だ」

 主語が抜けているけど、なにを言ってるか分かる。父さんのこと。おっさんのこと。黄色の13(イエロー・サーティーン)のこと。死んだ仲間たち。その他諸々。

「追いかけた先に、なにもなかったらどうする」

「それもまた人生だ」

「なんだよそれ」

 苦味潰した顔でまた口をへの字にすると、スカイアイももう一度いい声で笑いやがる。

「人生どうなるか分からない、だろ?」

 こんにゃろう。覚えとけ。

 

   5

 

 二〇〇五年はベルカ戦争から十年っていう節目の年だったけど、その戦争で特に影響のなかったユージアでは、外国のその季節をいろどるニュースみたいな感じで流れて終わった。そもそも大陸戦争でそれどころじゃなかったし。

 ガラッと変わったのは次の年。ウスティオの傭兵パイロットを追った、外国のドキュメンタリー番組が話題になった。戦勝国のオーシアの悪事の報道も大きかったけど、知られざる英雄のほうがみんなの興味を引いた。

 見たこっちは喉に食い物が詰まるかと思った。実際詰まったし。やばかったし。あのメビウス(ワン)の死因は食べ物を詰まらせた窒息死、なんてことになったら、マジで洒落にならん。

 当時世界最強といわれたベルカ空軍を徹底的に叩きのめした傭兵。これおっさんのことじゃんかー! と突っ込みまくった。一人でテレビを見てたから、実際に口に出た。

 鬼神と呼ばれたおっさんの過去はあやふやだ。詳しく喋らない。聞けば教えてくれる。聞かれてもいないのに積極的に喋る時は、たいてい嘘八百だ。

 それでも、外国で活躍した女性エースの子供というのは聞いた。えらくブッ飛んだ家族の話も。

 だけど苦労話みたいなのは聞いたことがない。戦争終結後に起きたクーデターでの元相棒との対決は、淡々と語ってくれた。

 ドキュメンタリー番組で、おっさんの相棒だった片羽の妖精は「またな」と言った。その人のインタビューの時、スリーアローヘッズの旗が映っていたってことは、どうもISAF(アイサフ)にいるっぽいから、その気になれば捜せる。

 俺は大陸戦争で生き残ったからか、おっさんから直通電話の番号を教えられた。どうやら教えてもいい奴ってのに合格したらしい。

 だから電話をかけて、なんとなく、多分、恩返しみたいなものをしたかった。

 親の仇といえばそうだけど、生活の面倒まで見てくれた師匠だし、空での父さんのことを教えてくれた。

 父親代わりっていうには、親子にしてはちょっと年齢が近い。兄貴がいたらこんな感じっていうには、年齢がちょっと離れている。むしろ兄貴に近いのはスカイアイのほう。

 それに、親を殺した人間と親を殺された子供がそれなりに仲良くやっているだなんて、よその人には説明しづらい。せいぜい師匠と弟子ですと言うのが関の山。

 こういうのをスカイアイにぐだぐだ言うと、五秒くらい()を置かれてから、「遅い思春期だな」と返される。まあ、間違っちゃいない。

 っていうか、多分それが答えだ。

「俺なら捜せると思うから、会いに行けば?」

「向こうが来る気になったら」

 おっさんに電話でアドバイスみたいなものを言ったら、秒で返された。情緒もへったくれもない。

「二番機を墜としたこと、許せないのか」

「いや。仇はあの場で取ったしな」

「でも相手は生きてる」

 こっちがなにを言いたいか分かったおっさんが、電話の向こうで困った顔をしてるのがリアルで想像できた。

「あいつが墜とされたのは、俺の気のゆるみが招いた結果だ。大戦果を挙げたあとは浮かれまくる奴だって、知ってたんだけどな」

 聞いたこっちはすごく後悔したけど、おっさんは「…というのを、多分向こうは分かってる」といつもの口調で続けた。

「だから、墜とした自分が責められないことを、逆に嫌がるだろ」

「……向こうは待っているんじゃないか?」

「待ってないさ。誰かに伝言を託すあたり、まだ面と向かって言えないんだよ」

「なんでさ」

「あいつが、俺たちは鏡だと言っていただろう? そういう相手のことは、よく分かることがあるんだ」

 なにその自分たちだけ分かってますって回答。思わず口をひん曲げる。

「そんなに以心伝心なら、仲直りでもすりゃいいだろ。なんなら、また組んでみれば?」

 嫌味で言ったのに笑われた。本当に分からないんだなというふうに。

「なんでもかんでも相手のことが分かるからといって、幸せになるとは限らなくてさ。適度な距離感があったほうがいいこともある」

 どのへんが適度な距離感か分からない。俺が追う相手はいつも遠くにいた。

 父さんと母さんは死んだ場所が遠い。おっさんはいつも遥か先。淡い恋心をいだいた年上のお姉さんには恋人がいた。黄色の13(イエロー・サーティーン)とは最後まで直接会えなかった。

 だから近くにいられると、逆に困る。それでいつも本命を逃す。最初は白馬の王子様役で登場したのに、だんだんと二枚目の脇役になってヒロインを送り出す側になるってやつ。

 そんな時だった。自由エルジアの件でISAFから連絡が来たのは。

 

   6

 

「ほかに注文はありますか」

 メビウス(ワン)は若い整備士に「ない。完璧」と答えた。「では失礼します」と整備士は軽やかな足取りで去っていく。仲間のところに帰ったら「メビウス1に褒められた!」と喜ぶ姿が想像できて、メビウス1は苦笑した。

 座り慣れたラプターの座席。仲間の面子や世間の流れは変わっても、ここの感触だけは変わらない。メビウス1は少しだけ座る位置をずらすと、目を閉じた。

 独立国家連合軍(ISAF)がおこなっているオペレーション・カティーナは順調に進行中。作戦を実行するのはメビウス1とAWACS(エーワックス)管制官のスカイアイだけ。

 目標は武装蜂起した自由エルジアの討伐、および彼らが旧エルジア軍の軍事工廠(こうしょう)から強奪したX-02の戦闘データの収集。

 エルジア降伏後、ISAF(アイサフ)は開発施設を接収した。そこで初めて、エルジアがX-02Aと呼んでいた可変翼の艦載機の存在を知る。

 施設にいた兵士や技術者たちは、素直に投降した。X-02Aに関する技術をすべて提供し、開発も協力する代わりに、自分たちを戦犯に問わず、身分と安全を保障するよう要求した。

 そこで驚くべき光景がもう一つ。ユリシーズ落下が原因で消滅したと噂された傭兵部隊スカーフェイスは、X-02Aの専属テストパイロットとその護衛機として、そこにいた。

 スカーフェイスは雇い主であるエルジアが降伏したため、事実上契約は切れた。ISAFはエルジアにいた頃のスカーフェイスの記録を調べたが、純粋にテストパイロットだけをしていた。戦争に参加していなかったのである。

 隊長のフェニックスに理由を聞けば、テストパイロットのみという契約だったのでと答えた。さらに話を詳しく聞いたISAFの将校はあきれた。

 ——ユリシーズのお陰で、ユージアには強い敵がほとんどいなくなりました。それでは戦ってもつまらない。若手の成長を待たないといけません。彼らを育てるのもいいですが、新しい機体を開発するほうが遥かに面白そうだったので。

 おそらくエルジア軍将校も、世界の混乱は彼らにとって面白さの判断基準でしかないのかと、同じことを思ったに違いない。ため息をつきながら契約をかわした状況も同じだろうと。

 ユリシーズ落下によって大量発生した難民を、エルジアは技術や能力がある者を優先的に受け入れていた。その中にはXFA-27の開発にたずさわった技術者たちもいる。受け入れ条件はエルジア独自の機体開発に参加すること。彼らの多くは条件をのんだ。

 エルジアが望んだのは世界最高の戦闘機。それを目指すには、過酷なテスト項目と過密スケジュールに耐えられるパイロットが必要。

 技術者間の情報網で、スカーフェイスが今はフリーという噂が流れた。エルジアに亡命した技術者たちは、すぐさま彼らを頼った。

 そしてスカーフェイスはエルジアに雇われ、最新鋭機の開発を手伝った。その代わり、契約はテストパイロットのみ。彼らが得意とするはずの戦争には関わらないことを宣言した。

 当然、交渉に当たったエルジア軍将校はあやしむが、フェニックスの答えは明快だった。ISAFの将校に言ったのと同じことを言ったのだ。

 彼らと自分たちとの価値観とのズレ。エルジア軍将校はため息をつきながらも、契約をかわした。それほどに彼らは実績と経験があった。

 そもそもユリシーズ直後のスカーフェイスを雇ったのはISAFの前身、大陸諸国間経済同盟。正確には同盟の中心国家である中央ユージア連合。通称FCU。

 スカーフェイスは雇い主が命ずるままに、非公式の作戦を実行した。その情報が表立って公開されることはない。

 ユージアでは、ユリシーズ以降に消えた犯罪組織や武装勢力が多い。その原因はユリシーズがもたらした災害や内部分裂だろうと言われているが、すべてがそうではなかった。

 混乱を好機ととらえた者たちが、反乱分子を潰す作戦を考えた。空担当だったのはスカーフェイス。彼らは多額の報酬と引き換えに、大陸諸国間経済同盟に所属する国を転戦し、反乱分子を潰した。

 ほどなくして殲滅作戦は理想的な結果を出し、FCUは満足した。契約が切れたスカーフェイスはXFA-27を含め、全機体を返却して消えた。

 その後、FCUはXFA-27を扱えるパイロットを探したが断念。フェニックス以外扱えない機体だと思い知らされただけだった。以後は厳重に保管され、戦争中も封印されていた。

 ようやく日の目を見たのは、スカーフェイスがISAFと契約した時。スカーフェイスが出した契約の絶対条件の中に、XFA-27の使用があった。ISAFはそれでスカーフェイスを独占できるならと喜んで受け入れた。

 スカーフェイスが再び専属テストパイロットとなり、ISAFがX-02Aのデータを元に開発を進めた機体がX-02。メビウス1はシミュレーションと模擬戦を何度かやった。ラプターですらも苦戦を()いられる機体だった。

「メビウス1、起きろ」

 ベシッとファイルが頭に置かれる。メビウス1は目をしばたたかせながら相手を見た。

「……女の子に起こされたかった」

「ああ、酒場にいる歌手の子か?」

「違うって!」

「文句はミーティングに出たら聞いてやる」

「どうせ内容はブリーフィングと変わんないだろ? 別に出なくてもいいって」

「少しでも発言すれば、無理難題は減ると思うぞ」

「それやって減ったことあったか?」

 真剣な表情でスカイアイは考えたが、「残念ながらない」と結論を出した。

「だろ? 意味ねえって」

「だが、ミーティングに出なかった罰は受けてもらおう」

 スカイアイはズボンのうしろポケットから厚い封筒を取り出すと、メビウス1に渡した。

「なに、ラブレター?」

 中身を見ると、クシャクシャの紙幣と小銭の山。名前と金額がびっしり書かれたメモ用紙が一枚。

「基地の連中の酒場へのツケだ。代わりに君が届けてくれ」

「なんで俺が!」

「支払いが遅れたから、行きにくいそうだ。それじゃ、あの子によろしく」

 スカイアイはメビウス1の肩を軽く叩くと、ニヤリと笑った。意図に気づいたメビウス1は口のヘの字に曲げると「行ってきまーす」と言って、しぶしぶ格納庫(ハンガー)を出ていく。

 メビウス1と入れ違いで、オメガ11が「あーいたいた」と格納庫に来た。

「ツケ回収してんだって? はい、俺の分」

 金を差し出すが、スカイアイは「すまん。さっき運び屋に渡した」と答える。オメガ11は「マジで!?」と非難の声を上げた。

「どうせ運び屋はメビウス1だろ」

「ばれてたか」

「あんな律儀に(かよ)ってりゃ、丸分かりだ」

「本人はどうも気づいていないみたいだが」

「本命相手だと奥手になるタイプだろ」

「それは厄介だ。回りがなんとかしないと、逆にこっちが大変な目に()う」

「ずいぶんと世話焼くね。もしかして恋人?」

 オメガ11の揶揄をスカイアイは鼻で笑い飛ばした。

「まだ新人だった頃に参加した任務で、とんでもない人たちと組まされてな。本当に管制官の言うことを聞いているのかって人たちばかりで、逆に鍛えられたよ。それの縁で、保護者代わりを頼まれたってところだな」

 オメガ11は「ふーん」と言ったが、任務について深く突っ込まなかった。

「あいつ、英雄とはいえガキっぽいしな」

 だから自分がメビウス1と組むように、フェニックスは心配して裏から手を回したのだろうとスカイアイは思った。

 スカーフェイスは戦争に関わっていなかったが、隊長は一つだけルール違反をした。当事者が言わなければ誰も気づかない秘密。

 ——素質はある。あとは運と、女神に愛されるだけの才能があるかだ。

 フェニックスの心配は杞憂に終わった。あとは覚悟。彼のたどる運命は何通りもあるが、宿命は決まっている。

 すべての戦闘機パイロットの王になるという絶対の孤独において、ささやかな幸せを手にするのは罪ではない。スカイアイはそう思っていた。

 もし相手が素晴らしい歌声を持った歌姫ならば、メビウス1を愛する死の女神も聞きほれて邪魔はするまいと。

 

   7

 

 スカイアイは空だけでなく、地上でも俺を管制する気か。……まあ。助かるっちゃ助かる。

 体力作りを兼ねて、マウンテンバイクで酒場まで爆走。スカーフェイスから放り出された時は自転車じゃなくて、列車で移動したけど。

 ギュッとブレーキをかける。目的地到着。ドアの近くにマウンテンバイクを止めて、「うぃーす」と開店準備中の店のドアを開ける。

「ツケを代わりに払いに来ましたー」

「あなたがパシリ? なにかの罰ゲーム?」

 床掃除をしていた酒場の歌姫は、笑いながら封筒を受け取る。マスターを呼ぶと封筒を渡した。計算するので待つように言われる。

「暇なら椅子下ろすの手伝ってよ」

「はいはい」

 ピアノの一件以来、彼女とはよく話すようになった。

 母さんと似たような経歴の持ち主だから? 両親がいなくて、懐かしい我が家もないのが似てるから? あとは、回りに天才と持ち上げられてんのに、自分は疑ってるところとか?

 とにかく一緒に笑うのは楽しかった。綺麗な顔をしているけどガサツ。良く言えば姐御肌。

「……でね。今、曲を作ってるの。その曲が売れなかったら引退しようかなって」

 掃除道具を片付けながら、彼女はそんなことを言った。ほんとは諦めていないのが分かったけど、そのへんは突っ込まない。

「へー、どんな曲?」

 彼女は「こんなの」と言って、ピアノを弾き始めた。さわやかな感じを受ける優しい曲調。

「歌詞は?」

「少しできたんだけど、まだタイトルが決まってないせいか、もやもやしてて……」

「聞かせてくれたら、俺が付けてやるよ。売れるかもよ?」

「…逆に売れなさそう」

 文句を言おうとしたら歌が始まった。「毎朝目を覚ますたびに自信をなくす」というフレーズから始まる。ところどころ飛んでいたけど、最後は「青空はたくさんの希望をくれる」というフレーズが繰り返された。

「これ、パイロットの歌?」

 はにかみながら彼女は「そんな感じ」と言う。こういう時はかわいい。

「題名、そのままにすれば? 『Blue Skies』でどうよ」

 さっきの表情は消えて、「単純」と冷めた眼差しで言われた。

「え、いいじゃん。分かりやすいだろ?」

 彼女から返事はない。なにこの沈黙。

「世間にウケるように、いろいろ複雑に考えちゃってるから……そういうの、いいかもね」

 なんかごまかすような笑い声をもらすと、「机ふくからどいて!」と彼女はカウンターヘ消えた。

 今度は俺が椅子に座って鍵盤を押す。たいてい適当にやっていると、いつのまにか『The Journey Home』を弾いていることが多い。

 戦争中は一生懸命に上を見て、一段ずつ昇って、手を伸ばして。みんなが言うほど完璧でも天才でもない。必死になってバタバタしてここまで来た。ほかの奴らと変わらない。

 天才。うまい。才能がある。そんなふうに持ち上げりゃ、勘違いしてなにかやるだろ。回りのそんな雰囲気に気づいて泣きそうになる時を、彼女は知っている。

 初めてたった一人だけで飛ぶ本格的な戦場は、スカーフェイスの奴らやおっさんに試されていると思った。うしろに素人を乗せて、平気で戦場に出て帰ってくる。スカーフェイスにいたのはそんな奴らばかりだった。

 それがおかしいとはっきり気づいたのは、戦争が始まってから。

 ISAF(アイサフ)にいるのは、普通の感覚と腕を持ったパイロットばかり。

 この中でお前は生き残れてエースになれるか。才能があっても死ねばそれまで。運がない奴はさようなら。

 すべての恐怖を押さえつけてねじ伏せて、ただひたすら遥か頭上にある影だけを見て飛んだ。その途中で見えた黄色の翼。身内以外で初めて強いと思える相手に出会えた。

 影の向こうのその先の、カケラを持っていたのはあんたか。黄色の13(イエロー・サーティーン)

 彼との戦いで分かった。空で戦っている時こそが生きている証し。政治なんか関係ない。空を飛ぶことが希望のすべて。

 父さん。本当に人の出会いは皮肉だ。それを気づかせてくれた相手は、俺が倒した。俺を溺愛する死の女神は、敵が生き残ることを許してくれないらしい。

 だから余計に、自由エルジアの奴らに腹が立つ。奴らは最期まで国に尽くした兵士たちの死を無駄にする気かと、別方向で腹が立った。この仕事を引き受けた一番の動機はそれ。

 ——全員が潔く負けを認めて前を向くなんて、無理だ。奴らの言い(ぶん)も分からなくはない。

 俺より年上で、場数も踏んでいるスカイアイは理解を示したけど、俺はそんなふうに割り切れなかった。

 黄色の13は国に殉じるために、あの空に来た。多分、誰かに国の未来を託した。そのはずだ。それはISAFもエルジアも変わらない。

 あの戦争で出会った人たちの中で、一番話したかった相手。

 きっと父さんも鬼神と話したかった。だから父さんは戦うことで会話をした。

 多分俺は鬼神が死んで父さんが、自分が生き残った時はどう行動するかっていうのをしているんだと思う。

 この年になったからなんとなく分かるけど、父さんはずっと、魔女と呼ばれたパイロットを追っていた。その魔女の生死も、それが恋かどうかも分からないけど。

 ——お父さんは器用貧乏の典型だったの。

 母さんは父さんが根っからの戦闘機パイロットだとよく分かっていた。出世したけど、パイロットとしての輝きを失っていく父さんを見ることに、母さんが耐えられなかった。多分。

 父さんは最期に、自分が一番輝ける場所に行った。そこで死んでも、鬼神が自分の飛び方を覚えていてくれる。血となり肉となる。アントン・カプチェンコはそこにいる。

 俺は今、それを受け継いでいる。父さんとの思い出は少ないけど、技術ならちゃんと。

 鬼神は親の仇。

 だけど恨むことはできなかった。

 あのおっさんが、フェニックスが、サイファーが、父さんの最期を幸せなものにした。

 サイファーが父さんのことで謝ったことはないし、こっちもお礼を言ったことはない。多分これからもない。

「お待たせ。ツケの代金、ぴったりだって」

 スランプ中の歌姫なヒロイン登場。笑顔がまぶし過ぎ。

「そりゃ良かった。合わなかったら、運び屋は海に捨てられるかと思ったよ」

「そんなことしたら、こっちにはゼロばっかり並んだ請求書が来るってば」

 横に立った彼女に、「その曲、また弾いてたんだ」と言われる。思わず弾くのをやめた。

 そんなに何度も弾いてたっけ。母親の思い出の曲を何度も聞かせるのはさすがに……。

 彼女がマズいこと言ったという顔をして、空気が重くなる。慌てて席を立った。

「さっきの曲、もう一度聞かせろよ。こんな曲だったっけ?」

 適当に鍵盤を押すけど曲にならない。彼女はあきれた顔で「ちゃんと聞いてよ?」と自分で弾き始めた。ひと通り弾き終えると、「分かった?」と先生のように言った。

「この曲、いいな。きっと売れるよ」

 彼女がちょっと嬉しそうな顔で「ほんと?」と言うもんだから、心の中で慌てる。

「だって、あのメビウス1命名! なんて宣伝したら絶対売れるだろ? 俺にも印税が——」

 みるみるうちに、彼女の眉間にしわが寄る。…やべ。

「あんたバカ!? さっきの題名は却下!」

 ふきんを投げられたので、歌姫を送り出す脇役になっちまったと後悔しつつ、奥にいるマスターに「また来る!」と一声かけると店を出た。

 

   8

 

 マウンテンバイクに乗って基地に帰る道すがら、寄り道して小高い丘を目指す。前はこのへん一帯に住宅地があったらしいけど、隕石の被害で消えた。彼女の家はここにあったとか?

 今度の作戦が終わったらどうしようとか、ぼんやり考える。多分、スカーフェイスが仕事をなにか割り振ってくれる。それでもいいか。

 この仕事は上司に当たるおっさんをスルーして、直接俺のところに話が来た。一応おっさんに相談したら、雇い主が困っているなら力貸せば的雰囲気。

 ……今思えば、あれは最初から知っていて、わざと俺に回しやがったな。あんにゃろう。

 そんな今の俺の身分は派遣社員みたいなもん。その気になりゃISAF(アイサフ)に戻れる。いっそ戻っちゃおっかなーと思ったり。スカイアイもいるから何事もスムーズ。

 もし管制官がスカイアイじゃなかったら、大陸戦争で生き残れなかったかも…って思う時がある。才能だけがあっても死ぬ。運も良くないといけない。俺は運が良かった。

 スカイアイはフレンドリーでウィットもあるのに、妙にロボットくさい。パイロットを全員ちゃんと道具として扱う。

 そんなの当たり前だろって話になるけど、距離感が近過ぎ遠過ぎず、優秀な管制システムのロボットってこうだろうなと思う。

 それを本人にそのまま伝えたら、「お前は優秀な戦闘マシンだよ」と言われた。「ただし空では」って注釈がついて、はいはいそうですかってなった。

 ISAFにスカイアイっていう管制官がいてさーとおっさんにあれこれ話すと、「いい同族だっただろう」と言われた。おっさんとスカイアイは昔、仕事で一緒になったことがあるらしい。

 …ま、俺がISAFに戻っても、戻らないで会社の仕事をこなしても、どっちでもおっさんは笑顔で送り出すんだろう。来る者は拒まず、去る者は追わない人だし。

 っていうか、出入りが激しい傭兵の会社はそういう精神の人たちばかりだ。それだからやっていける。

 どうやったら父さんのように、戦闘機パイロットとしての自分が生き残れるか。今のところ手っ取り早いのは、X-02と戦うこと。今回の作戦は、実戦でX-02と戦って墜とせる絶好のチャンス。

 俺とX-02が戦った記録はどこに反映されるんだろう。俺との記録をもとに、X-02はまた進化するってことか。

 ISAFで完成したX-02は、開発メンバーの間じゃワイバーンなんていう名前で呼ばれ始めている。

 伝説の王の御旗は竜。ワイバーンの意味は『飛竜』。ここでも縁がある。

 親の仇を師と仰ぐ。その人の本名は自分と同じ名前。自分がオーシア風であっちはベルカ風。母親の愛称も意味は同じで『百合』。

 あっちはエクスカリバーを抜いてモルガンを倒した。こっちはストーンヘンジを壊して、これからワイバーンを倒す予定。これが運命ってやつか?

 夕闇が迫る空に一番星が輝く。右手を拳銃の形にして、左手で右の手首をつかんで固定。「バン!」と一番星を撃ってみる。

 王よ、神を継ぎて飛べ。なら次はどこへ?

 すべての答えは空に。もう一度空を飛べ。この空が在る限り。

 鼻歌を歌いながら基地に帰ると、夜になっていた。スカイアイに「金は渡したか?」と聞かれる。

「ぴったりだと。海に落とされずに済んだ」

「金が足りなくても、君を海に落とそうなんて人間はいないさ。ISAFが怒る」

「てめぇ謀ったな!」

 勝利の笑い声が向こうから聞こえた。……こんにゃろう。

「そういえばさっきの鼻歌、なんだ。えらく響いてたぞ」

「ああ、あれ? 新しいおまじない」

「……君のはリボンじゃなかったか?」

 所属する部隊のマークと縁起を担ぐものが一緒だったので、「俺は運がいい」とスカイアイに言ったことがあった。

 母さんのゲン担ぎは青いリボン。

 リボンの思い出はもう一つ。移住先で仲良くなった子たちと近くの基地に行った時、年下の女の子は戦闘機の爆音が怖いと言った。

 だから同い年の奴とこっそり忍び込んで、赤いスプレーで戦闘機の尾翼にリボンを描いた。リボンがついてるならかわいく見えるだろって発想だった。

 今思えばとんでもないことをやったけど、あの子に俺たちがかっこいいと思う戦闘機は怖くないものだって、いい格好をしたかった。

 二人とも、この世にはもういないけど。

 メビウスの輪みたいな赤いリボンを直接描いた俺は、あのユリシーズで生き残った。基地に入るのを手伝った奴と、リボンがついてるからかわいいと喜んでくれた子は、星が向こうへ連れていった。

 リボンを直接描いて、神の手を直接取って、そういう奴が生き残る。ただの思い込みだと分かっているけど。

「今の任務用に、一個増やしてもいいと思ってさ。空からの歌ってやつ? これで向こうをボコボコにしてやんよ。任しとけ」

 

   9

 

 小さく震える手を何度も握ったり開いたりして、深呼吸をする。

 任せてくださいとプロデューサーには言ったけど、本当は久々のレコーディングで緊張している。

 慣れ始めたバイトを辞めて、顔馴染になった基地の兵士たちとの別れも済ませて、ようやくここに戻ってきた。

 結局、自分じゃいい題名が浮かばなかった。ムカつくけど、ダメウス(ワン)が付けてくれた題名でいくことに決定。すると歌詞が次々と出てきて、曲はあっというまに完成した。

 新曲ができたことをマネージャーやプロデューサーに伝えると、「信じていたよ」と言われた。本当にこの人たちは待っていてくれた。それが分かって、すごく嬉しくて、涙が出そうになった。

 バイトを辞める前に、曲の名付け親には完成版を聞かせた。彼は「ふーん。いいんじゃない?」とそっけない反応を見せたかと思ったら、「餞別」と青いリボンをくれた。

「母さんがよくしてたおまじない。青いリボンを付けるといいことがあるって」

「ステージではいつも付けてたっけ」

「これ、俺が戦争中にずっと持ってたヤツだから、少しは効き目があると思う」

 それを聞いてこっちが慌てた。パイロットの願掛けに対するこだわりは知っていたから。

「でもあなたは? 今、任務中なんでしょ? こういう願掛けって大事なんじゃないの?」

「大丈夫。新しいのならもらった」

 新しいのってなに? と聞く前に、彼は無言でリボンを持っている私の手を握らせた。その上に自分の手を重ねる。まるで、大理石から掘り出されたばかりの彫刻のような手。

 彼はハンサムで、二枚目で、美形で、とにかく綺麗。美しい。

 黄金の髪は絹糸。空色の瞳は宝石。白い肌は陶器。神様が細心の注意を払って作り上げた傑作みたいな芸術品。なにも喋らなければ、出来が良過ぎる人形みたいで目を奪われる。

 ただ、生きてるとは思えない。

 今にも動き出しそうな彫刻の作品みたいに、生を石の中に閉じ込めたような作品があるけど、彼は逆。本当はよくできた芸術品なんじゃって思える時があった。

 道が分かれる段階になって気づいた。彼の言動はガラが悪い部分があって、外見とあまりにも不釣り合いなのだけど、それで生と死のバランスを取っている。多分、無意識で。

 彼は戦争で誰よりも敵を倒して殺したから、死神と呼ばれた。それもあるけど、持って生まれた才能は、この美し過ぎるほどの美しさは、どれもが完成され過ぎていて、元から死に近い。

 生に近づくために、完璧過ぎるものを自分で壊している。人間らしく振る舞っているロボットって、多分こんな感じ。

 でもすごく人間。

 彼も私も、才能があると言われ続けた。褒めてくれたし。デビュー曲もちょっとは売れたし。最初は嬉しかった。

 嬉しかったけど、自分ってなんだろうって思った。私っていう偶像を周りが作っていくみたいで、私自身が置いていかれる気分だった。みんなは持ち上げてくれるけど、才能なんてあるんだろうか。

 君はすごいって言われても、周りの人たちも頑張ったからできたことだし、本当はよく分からない。自分よりなにかがうまい人たちは、それこそたくさんいる。

 だけどここでしか生きられないし、表現できない。どうしようもなくバカ。

「じゃ、レコーディング失敗するなよ? お守り渡した俺が疑われるから」

 完璧な笑顔で言った彼を、すぐにホウキで追い出した。ときめいた私の時間を返して。

 ムカつくことは多かったけど、あのメビウス1が付けてくれた題名とお守り。これって強力。あそこまで言われて負けるのも嫌だし。

 防音ガラスの向こうには、エンジニアやプロデューサーがいる。彼らはこっちの準備が整うのを待っていてくれた。歌うことに集中しなきゃ。

 誰のために?

 そうね。お礼をしないと。地上ではダメだけど、空では一番格好良く飛ぶバカのために。

 売れたら彼に教えてあげようかな。これは私と似てるあなたの歌。あなただけの歌。

 飛ぶことしか能がなくて、なにか迷っていても飛ぶことを諦めるなんて無理で、必死にもがいて上ばかり見て。

 だけど自分が輝ける場所は空だけだと分かっている。

 『飛ぶ』を『歌う』。『空』を『ステージ』と置きかえれば、あなたは私そっくり。この歌があなたの支えになればいいんだけど。

 マイクの前でゆっくりと、もう一度深く息を吸って吐く。手の中には青いリボン。

 大丈夫。さあ歌いなさい。

「準備できました」

 新曲の譜面を見る。題名は『Blue Skies』。

 空からの歌を、今あなたに。

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラの解説です。

 

ディトリッヒ・ケラーマン:ZEROミッション10ナイトで登場。アサルトレコードNo.093。カプチェンコと友人なのはオリジナル設定。

 

アントン・カプチェンコ:ZEROミッション16ソルジャーで登場。アサルトレコードNo.145。妻子がいたのはオリジナル設定。

 

元ネタの解説です。

 

The Journey Home:5のエンディング曲。

 

Great Balls of Fire:映画『トップガン』で主人公が歌った曲。

 

みっくみくにしてやんよ!:ボーカロイド初音ミクの曲『みくみくにしてあげる』から。当時書いた名残です。

 

ネギ持って待ってろ!:ボーカロイド初音ミクのカバー曲『VOCALOID2初音ミクに「levan Polkka」を歌わせてみた』から。当時書いた名残です。

 

   後書き

 

作中でのメビウス(ワン)の母親の名前の元ネタと『The Journey Home』の流行の仕方のモデルは、ドイツの歌謡曲『リリー・マルレーン』です。


 
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