No.94234

帝記・北郷:華雄伝 ~真名を呼ぶ者・前~


訳あって随分と間が空きましたが、なんとかアップ
帝記北郷の外伝。華雄と龍志のお話です

komanariさん、真名をお貸し頂きありがとうございます

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2009-09-08 03:06:38 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:3946   閲覧ユーザー数:3406

帝記・北郷:華雄伝 ~真名を呼ぶ者・前~

 

帝記・北郷第二章英雄伝。

そこは数多いる新魏の将兵の中でも功績高く英雄の名を冠するにふさわしいと認められた五名がその名を連ねている。

興国の英雄・龍志、北郷一刀の両腕・曹操と孫策、不世出の名軍師・蒼亀、そうそうたる面々の中でも、龍志に次ぎその名を第二に挙げられている将。

興国の英雄・龍志の後継者として軍を率い、短い生涯を疾風の如く駆け抜けた一人の女将。

その名は華雄。

龍志を時代が求めた英雄とするならば、人は華雄を国の求めた英雄と呼んだ。

黒馬に跨り、黒き鎧に身を包み戦場を駆ける姿まさに疾風の如く。

振るう戦斧は風車のように回り、率いる軍は精強。

多くの味方が彼女に憧れ、多くの敵が彼女を畏れた。

しかし、彼女がいかにして龍志の部下となったのか、史書は黙して語らず。董卓軍壊滅以降、傭兵に身を落としていた日々から新魏維新にて龍志の片腕として再び世に現れるまで彼女の足跡を知る者はいない。

彼女の真名と共に……。

 

これはそんな女将の知られざる物語。

 

 

雪が降っている。

深々(しんしん)。そんな音が聞こえてきそうなほどゆっくりと、微かな質量をもって降り続ける雪は、大地に横たわる先に降り立った先達の上に嬉しそうにその身を横たえてゆく。

儚き雪も降り積もればその質量が確かなものであると我々に教えてくれる。

黄土を覆い、世界を白銀に染めあげながら雪はその姿を誇示し続ける。

静寂の支配する銀世界、しかしただ一か所。未だに雪の支配を逃れ続けている一点があった。

遠目から見れば見逃してしまいそうな微かな黒。それが微かに動いている事に気付けば、その黒が何かしらの生き物であると解るだろう。その呻きを聞けば、それが人間であると解るだろう。

しかし今の今までその事に気付く者はいなかった。

しょうがないだう。こんな雪の日にこんな所を通る者がいるはずがない。

力無き蠢き。

それは意識してのものなのだろうか、それとも生への願望が生み出した本能的なものなのだろうか。倒れ伏す本人にすら解らない。

「………これが…私の…最後か……」

色を無くし、ひびの入った唇から紡ぎだされた女の息吹は風に流され何人の耳に入ることも無い。

迫りくる確実な死。眼前を覆う白、それをさらに覆ってゆく黒。

にも関わらず女は笑った。引き攣った頬で作られたそれは幾分歪ではあったが、確かに笑いの形を成していた。

女は今まで多くのものを失ってきた。主も地位も金も名声も。それでも彼女を支え続けていたのは一欠けらの誇りと願い。

それすらもはや女には無い。たっぷりと己の無力さと運命の理不尽さを味あわされ、失意の内に足が向いたこの地にて、ただ朽ち果ててゆくのを待つのみ。

暗闇に支配されつつあった眼をゆっくりと動かし、倒れ伏す自分の頭上、すなわち立っていた自分が最後に見た景色をもう一度眺める。

舞い踊る雪の壁。その奥に聳え立つ黒い威容を称えた石壁。

汜水関。彼女の転落の始まりの地であり、終焉の地。

「董卓…様……」

凍りついた頬を流れてゆく二筋の涙。顎に至り大地に落ちたそれは申し訳程度に雪を溶かしては消えてゆく。

脳裏に浮かぶ、清楚で純情で…優しく、そして強かった少女の姿。

その生存を信じ大陸を何度も周り、遂に見つかることの無かった彼女の主。

「……申し訳……あり…ません……」

果たすことのできなかった忠義。護る事の出来なかった命。

そして今、こうして突っ伏す自分自身。

全てが悔しかった、情けなかった。その一方でこらえることのできない笑いの衝動が心に木霊していた。

厳しい冬に花を咲かせ、そしてどの花よりも先に散っていった一輪の花。

かつて故郷で見た光景が蘇る。自分と同じ、いや自分が同じ名を持ったその花の姿が嫌で、幾度も頭の中から追い出そうとした。

だが今はそれをすんなりと受け入れられる。やはりあの花は自分だったのだ。

「……………ああ」

眠い。気持ち悪い程に眠い。眠くてたまらない。

眠ればもう起きることは無いだろう。それでも寝ようと思う。

少なくともこの一点において自分は幸せだ。戦場で誰かの刃に倒れ苦しみもがいて死に絶えるのでなく、眠りながら逝くことが出来るのだから……。

それが彼女が歩んできた生涯、そして信念の敗北であるとしても。

 

「…っ!!おいっ!!大丈夫か!!?」

薄れゆく意識の中、最後に聞いた声。体を包んだ誰かの腕。

その温かさはこの上なく温かかった。熱いのではなく、とても温かかった。

 

 

「………夢か」

天幕の中に設えられた座臥の上で華雄は短い午睡から目を覚ます。

「……今、あの時の夢を見るとはな」

苦笑を浮かべ座臥から降りた華雄は、水差しの水を飲もうと手を伸ばしてかけてそれが空である事に気付く。

「やれやれ…ついてないな。誰かいるか!?」

「はい。ここに」

華雄の声に応えて天幕に入ってきたのは髪の長い一人の少女。

華雄の腹心の部下の一人だ。

「すまないが水を…いや、湯を貰って来てくれ」

「かしこまりました」

それだけ言うと少女は音もなくその場を後にする。

つい最近まで龍志に仕え、彼が孫呉に言った後は一時的に蒼亀の下に回されていた、龍志直属の部下の一人。

それが自分の下に回された。その意味を考え、華雄は改めて龍志が死んだ事を思い出す。

しかしそれだけ。

感傷に浸ることも無ければ、無論涙を流す事も無い。ただ思い出しただけ。

彼の死を北郷一刀本人から聞かされた時も、不思議と涙は流れなかった。

霞や魯粛が慟哭し、程普と陳到が笑いながら涙を流し、美琉はらしくなく泣き崩れるなか、不思議と華雄は落ち着いていられた。

ただ、あの人はまた自分の先を行くのだなと漠然と思い。同時に体の中に鉛の塊を詰めたかのような喪失感に何も言えなくなっていた。

そして彼女はその場で龍志の軍を引き継ぐ。龍志がその武略を託した弟子であり、彼が自分に並ぶ逸材と蒼亀に言っていたかららしい。

龍志の軍を前に彼の死を確認しても、やはり涙は出なかった。

自分でも不思議な程に落ち着いていた。

現実を受け入れられないのではない。ただ泣いてはいけないと思ったからだ。

彼の後継者として、風の繋ぎ手として。

「お待たせしました」

湯の入った陶器を手に、少女が戻って来る。

華雄はおもむろに枕元の竹籠の中から、とっての付いた陶器の湯呑二つと金属の缶を取り出し、続いて三角錐の頂点に垂直に円盤をつけてひっくり返したような器具を二つ取り出した。

「お前も飲んで行くと良い……龍志様が好きだった銘柄だ」

「……お言葉に甘えて」

器具の円盤の部分を湯呑の口に嵌め込み、繰りぬかれそこに三つ程の穴の空いた三角錐にぴったりと嵌まるように編まれた目の細かな金網を嵌め込む。

『この時代は紙がそこまで貴重じゃないとはいえ、使い捨てるのは心苦しいからなぁ』

ある日この器具を使っていてポツリと龍志はそう漏らしていた。その意味は華雄には解らなかったが。

缶の蓋を開けると、香ばしい薫りが彼女の鼻腔をくすぐった。昨日、蒼亀から貰ったばかりの品。珈琲と呼ばれる豆から作られる異国の嗜好品だ。

龍志は特にこの『青山』という銘柄が好きらしく、好んで飲んでいた。

どうやって手に入れているのかは華雄も知らないのだが……。

挽かれた珈琲豆を三角錐に入れ、湯を注ぎ口の細長いやかんに移してからゆっくりと注ぐ。

ぷっくらと膨らむ淡い黒の泡。

『新鮮な豆と確かな技術がないと巧くいかないんだ』

また思い出した龍志の言葉にふっと笑みをこぼす。

(何時の間にか…私もできるようになっていましたよ)

部屋に立ちこめる珈琲の薫り。豆の時とは一味違った爽やかな匂い。

それを嗅いでいると思いだす。あの日、自分が目覚めた時もあの人はこの薫りを漂わせていたことを。

 

 

嗅ぎ慣れない。しかし不快ではない匂いに、華雄は重い瞼をゆっくりと上げてゆく。

まず目に入ったのは天井。それも初めて見る白く塗装されたもの。

次に気付いたのは、自分が布団をかけられ座臥の上にいるという事実。

次に始めたのは思考。どうして自分はここにいるのか。記憶を辿る限り、雪原に倒れ二度と冷めること無い眠りに身を委ねたはずだったのだが……。

(ではここがあの世か?それにしては想像していたものよりも随分と……)

「おや、気付いたようだね。良かった。大丈夫かい?」

不意に響いた男の声。弾かれたように華雄は飛び起き…ようとして全身の激痛に再び身を座臥に横たえる。

「おいおい。無理をするな。まだ治りきっていないんだ。凍傷に成りかけていた上に体中が傷んでいた……本当だったらとうの昔に死んでいるところだぞ」

痛みをこらえながら声のする方を見る。そこには恐らくこの匂いの元であろうと思われる取っ手付きの湯呑を机に置き、こちらへと歩いてくる男の姿があった。

年のころは二十より少し上といったところか。後ろで結んだ長い黒髪が柳のようなしなやかさで揺れ、男にしては長い睫毛に彩られた切れ長の目が優しく華雄を見つめている。

一目見て敵ではないと華雄に思わせる。そんな不思議な雰囲気を纏った男。

「ここは…どこだ…私はどうして…それにお前は一体……」

「ああ。そう一遍に訊かないでくれ。君も混乱しているだろうが答える口は一つしかない。それに君の頭も一つしかない。とりあえず何か温かいものでも飲みながらのんびりと話そうじゃないか」

そう言って男はパンパンと手を叩く。

「お傍に」

戸が開き入ってきた髪の長い少女が恭しく礼をする。その少女に男が何か告げると、少女は音もなく戸を閉めて部屋を後にした。

「さて…飲み物が来るまで自己紹介といこう。俺は龍志。字を瑚翔。しがない役人だ。ああ、役人と言っても別に君を捕まえようというわけじゃない。実は君が誰かもうすうす気づいているんだが…まあ、お互い初対面だし」

「……華雄だ」

役人という言葉に身構えようとして機先を制された華雄は、ぶっきらぼうにそう言った。

 

部屋に立ちこめる二つの薫り。一つは清々しく、一つは優しく。

「まずこの屋敷だが…ここは洛陽にある俺の私邸だ。こうみえてそれなりに面倒くさい身分でな」

ふっと笑みを浮かべて珈琲を口に運ぶ龍志。その姿を見ながら、座臥に身を起こした華雄も温めた牛乳が入った容器に口を付けた。

言いようのない温かさが胃腑を満たす。牛の乳を飲むのは初めてだが、悪くないと思った。

「そして君がここにいる理由だが…簡潔に言えば任地から洛陽に向かっていた自分が気まぐれで遠回りをしたら、君を見つけた。そして助けた。それだけだ」

「そうか…かたじけない」

「気にするな。人助けが好きな性分なんでね…おかげでよくお人好しと言われるが」

肩をすくめて笑う龍志。その笑顔に、不覚にも鼓動が一つ大きく鳴る華雄。

そんなことには気付かず、龍志は笑みを浮かべたまま視界にかかっていた前髪を指先で小さく払い。

「次は俺の番だ…華雄殿ともあろうお人がどうしてあんなところで倒れていたのかな?差しさわりの無いところだけでも良いから話してくれるか?」

華雄を射抜く視線。それは鋭さの中に温かさを秘めた眼光。

意識を失う寸前に自分を包んだ温もり。その存在を華雄は思い出す。

そして、時折躊躇いを挟みながらも華雄は語った。自分の旅路を。

董卓軍が壊滅し、野に下ってからも必死に主の行方を探し続けていた事。その為に時に傭兵や用心棒まがいのことも行ってきたという事。その果てに董卓の生を信じられなくなり、失意の内に汜水関へ辿り着きそのまま行き倒れたこと。

華雄が語る間。龍志は何も言わずに彼女を見つめていた。時折、華雄が言葉に詰まる度に珈琲を飲み華雄にも牛乳を飲むよう促し、それも干されてからはただ優しげな瞳で華雄を包んでいた。

やがて彼女の話が終わる。部屋を包む沈黙は重く。隙間から吹き込む風は身震いするほど冷え切っていて、火鉢の火が懸命にそれに抗っている。

「………よく話してくれた」

ただ龍志は一言そう言った。

辛かったな。とも頑張ったな。とも言わない。

それは救いにはならない。何よりも龍志が軽々しく言って良い言葉ではない。

彼は華雄ではない。少なくとも彼女の忠義に口出しはできない。

またしばしの沈黙。

もう外は黄昏なのだろう。鮮やかなオレンジが窓から注ぎ込み、頬杖を突きながら椅子に座る龍志と俯きながら座臥に身を起こす華雄を等しく染めあげた。

「……一つ。訊いてもいいか?」

再び沈黙を破ったのはやはり龍志。

華雄は無言で彼へと顔を向ける。それを肯定と受け取り、龍志は言葉をつづけた。

「もし、董卓殿が見つかったとして、君はどうするつもりなんだ?再び彼女に仕えるのか、別の道を探るのか……」

「さあ…それはその時にならなければ解らん。もしあの方が私の力を必要としているならば当然力になる。もしどこかで平和に暮らされているならば…別の道を探すだろうな」

「そうか……」

その答えに、一瞬だけ何故か複雑そうな表情を龍志は浮かべたが、再び俯いていた華雄にはそれに気付かなかった。

龍志はおもむろに座臥の横の机に置いて行った華雄の湯呑を取るとくるりと踵を返し。

「長々と話しこんで悪かった。今夜はゆっくり休んでくれ、ここにいれば安全だ……何かあったらそこの鈴で呼んでくれ。では失礼」

振り向くことなく部屋を後にする龍志。残された華雄は一人、彼が去って行った扉を見つめる。

そこにどのような思いがあるのか、何人にも窺い知ることはできない。

 

部屋を後にして、屋敷内の廊下を歩く龍志。

その顔は華雄の部屋にいた時は打って変わって厳しいものとなっている。

「……桜」

「ここに……」

龍志の言葉に応じどこからともなく現れたのは、先ほどの長い髪の少女。

「調べてもらいたい事がある。内容は…判るな?」

「今回の三国祭に来ている蜀の面子…ですね」

桜の言葉に静かに龍志は頷く。桜はそれを見てニコリと笑うとまた音も無く姿を消した。

何事も無いかのように龍志は歩き続ける。

だから自分は【打算的な】お人よしと言われるんだろうなぁと溜息をつきながら。

 

                       ~続く~

 

 

あとがき

 

お久しぶりです。タタリ大佐です。

更新が遅くなって申し訳ありません。用事と体調不良…そして知人の不幸が重なりまして……どうしても筆をとることが出来なくなってしまっていました。

大分復帰しましたので、連載の方も復帰させていただきます。

 

今回は外伝として華雄と龍志の出会いの話です。長さとしては一話分くらいを想定していたのですが……何で長くなるかなぁ、まあ、自分で言うのもなんですが地の文が多いんですよね私って。しかし簡略化するのは性に合わないというか…そしてそのせいで後半の失速ぶりが目立つという罠。

 

……だらしねぇなぁ

 

何はともあれ連載再開。待っていてくださった方がどれくらいいらっしゃったか存じ上げませんが、頑張って書かせていただきます。

 

 


 
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