第八話 チョコとスパイ
2月13日夕刻。
言わずと知れた聖バレンタインデーの前夜。去年までのサキにはまるで縁の無い、興味も無いイベントだったが、今年は違っていた。
「バレンタインデーか・・・ガラじゃないとは思うけど、でも今年は、ねえ・・・」
サキは部屋で独り言を漏らす。
「だけど、チョコあげたりしたら敵対関係っていう建前が無くなって、会う口実が無くなるし。」
普通に好きな男に会いに行く、という発想はサキには無いらしい。
「やっぱりやめとこう。うん。ガラじゃないしね。でもチョコを渡すって、一度やってみたいな・・・」
ふぁんふぁんふぁんふぁーん(妄想突入の音)
「轟、これ・・・受け取って。」
「疾風の・・・これってチョコ、しかも本命チョコか!?」
「もちろんよ・・・通り名なんて止めて。サキって呼んで。」
「そうか。わかった。サキ・・・」
「轟・・・」
「俺もお前が好きだ!」
「私も大好きよ!」
「なーんちゃって!なーんちゃって!やだあ!」
「ありあとござましたー。」
やる気の無さそうな接客の声で我に返る。目の前には青っぽいコンビニのユニフォームを着た茶髪の青年が立っていた。その青年は奇異な物を見るような目でサキを見ている。そこはコンビニのレジ前だった。自分の手を見ればコンビニ袋を持っている。中には板チョコが10枚ほど。
(な、何これ!?ここコンビニ!?アタイってばまさか無意識にチョコ買いに来たの!?)
青年が自分を見ている理由を理解したサキは慌てて店を後にした。
そして部屋に戻ったサキは、板チョコの束を見て途方に暮れる。
「どーすんのよこれ?食べてもいいけど、それよりなんで無意識に?自分が怖い・・・」
しかし、板チョコが目に入る度に、出来上がった本命チョコを想像してしまう。
ふぁんふぁんふぁんふぁーん
「開けてみて。一生懸命作ったんだから。」
「ああ・・・おっ凄いな。これ本当にお前が作ったのか?」
「意地悪な事言わないで。自分で作ったに決まってるじゃない。」
「ああすまんすまん。・・・お前って意外と女らしい一面があるんだな。」
「全てはあなたのためよ・・・」
「食べてもいいか?」
「勿論よ。その後で私も・・・」
「何だ?」
「もう、女の子にこんな事言わせないで・・・」
「サキ・・・」
「轟・・・」
抱き合う二人。
「なーんつって!なーんつって!いやーんアタイのスケベ!・・・はっ」
今度は自力で我に返ったサキ。目の前には母親がいた。さっきの青年と同じような目で彼女を見ている。そこはキッチンだった。テーブルの上を見下ろすと、それはもう立派な、どこに出しても恥ずかしくない見事な出来栄えの本命チョコが鎮座していた。
「サキ・・・大丈夫?」
(また・・・やっちゃたんだな、これは・・・)
「あ、ああ、大丈夫。部屋、戻るね・・・」
サキはそう言い残し、チョコを持って部屋に戻った。
「これ、アタイが作ったんだよね・・・さて、作っちゃった物はしょうがないとして、どうする?これ!折角作った物、あいつに渡せないと空しいし・・・」
その時、サキは初詣の時の事を思い出した。
「そうだ、これだ!これならチョコは渡せるし、関係は変わらないし完璧!そうと決まったら準備準備!」
翌朝。轟高校前。
サキは自分の学校に行かず、こんな所に来ていた。しかもどこで用意したのか轟高校の制服まで着て。髪の毛はシャンプーで落とせる染毛剤で黒く染め、伊達メガネを掛けている。要するに変装して、別人として轟にチョコを渡そうというのだ。
(初詣の時は気付かれなかったし、今度もきっと大丈夫だよね・・・さてあいつはっと・・・来た!)
サキは学校前の通りをこちらに歩いて来る轟を見つけた。サキはそのまま校門の前に立っている。轟は気付かず、見事にその前を素通りした。
(やった!気付いてない!よし、あとはどういうタイミングで渡すかだけど・・・)
考えるサキ。そこへ予鈴が鳴るのが聞こえて来た。
(あ、もうそんな時間なんだ。よし、行くわよ。サキ。)
サキはポケットから携帯ステレオプレーヤーを取り出すとイヤホンを耳に付け、スイッチを入れる。曲はミッションインポシブル。意外と悪乗りするタイプらしい。
そして彼女は昇降口まで来て再び考える。
(ひとまずあいつの下駄箱探して、クラスを確認しないとね・・・)
とは言っても全校生徒の下駄箱からたった一つを探すのは骨が折れる。
(いい加減疲れてきた・・・それにしても、男子の下駄箱だけ1とか2とか札が下がってるってのは何の意味が・・・?)
不審に思うサキ。読者諸君は轟高校生徒心得を参照して欲しい。
(あ、あった!)
轟金剛と書いてある。ようやく見つけた轟の下駄箱。
(下駄箱に入れておくっていう消極的な手段もあるけど・・・やっぱり手渡しだよね。)
サキはそんな事を考えながらなんとなく下駄箱を開けてみる。
どさどさどさ!
「うわっ!」
下駄箱からはおびただしい量のチョコが溢れてきた。意外に轟はもてるらしい。
(げ・・・ちょっと待ってよ。こんなにライバルがいるの?)
そんな事を考えていると、後ろから声が掛かった。
「こら!遅刻か!」
「!」
びくっとして振り返るサキ。見れば、恐らく教師であろう男がそこに立っていた。
(あちゃー、いきなり見つかっちゃったよ・・・)
サキはイヤホンを外し、すみません、と謝る。
「いかんなー遅刻は。その校章の色は3年か。どこのクラスだ?」
訊かれたくない事を訊いてくる教師。サキは思わず、
「A組です。」
と自分の学校でのクラスを言った。しかしそれが更に悪い結果をもたらした。
「3-A?私のクラスじゃないか。」
(しまった・・・!早くもミッション失敗か・・・)
「そうか!君、○山○子君だな!」
「は?」
「よしよし、よく登校して来たな!そうだな、やっぱり登校拒否してた手前、いきなり教室には行きづらいよな。よし!先生が一緒に行ってやろう!」
「あ、あの、ちょっと・・・」
妙な誤解を解く間も無く、サキは3-Aの教室まで連行された。
「さあ○山君、こっちへ。」
こうなっては下手に誤解を解こうとするのは得策ではない、そう考えたサキは流れに任せる事にした。
「みんな、2学期の頭に転校して来た○山○子君を覚えてるか?1日だけ出て来て登校拒否してしまった彼女を。」
ざわつく教室。担任教師ですら顔を覚えていない生徒の事など誰も覚えている訳が無い。
「その彼女がやっと登校してきた。みんな、改めてよろしくしてやってくれ。○山君、君の席はそこだ。」
示された方を見ると空席がある。サキは促されるまま席に着いた。挨拶のような事をさせられなかったのは、登校拒否児に対する教師なりの気遣いだったのだろうが、サキにとっては好都合だった。だが、サキの目立ちたくないという思いとはうらはらに、教室の視線はサキに集中していた。何故なら今日のサキは、いつもの不良丸出しの外見とは180度逆の、ストレートの黒髪に眼鏡、それにノーメイクで知的な美少女、という風情を醸し出していたからだ。羨望や興味、さまざまな視線が刺さる。
「それでは私は職員室に戻る。みんな、○山君をよろしく頼むぞ。」
教師はそう言い残し、教室を出て行った。すると早速隣の女生徒が話しかけて来た。
「よろしくね○山さん。でも正直私、○山さんの顔覚えてなかった・・・ごめんなさい。こんなに綺麗な人だったのね。」
と思えばすかさず逆隣の男子生徒が話しかけて来る。
「俺、○○って言うんだ、よろしく。何か分からない事があったら何でも聞いてくれよ!」
次は前の席から
「だめよ○山さん、こいつってば結構な女たらしなんだから。」
今度は離れた席からわざわざ歩いて来た男子。
「よろしく○山さん。僕はクラス委員をやってる・・・」
「ガリは引っ込んでろ!」
その向こうから声が飛んだ。
「ねえねえ、○山さんって・・・」
「○山さん、しゅ、趣味はなんですか?ボ、ボクはフィギュア作ったり・・・」
「オタキモいよ!」
その見た目だけであっという間にクラスの耳目を集めてしまったサキ。この状況に彼女は曖昧な笑みを返すしかなかった。
「こら!何騒いでる!席に着かんか!」
そこへこの時限の科目の担当教師が入って来た。まだ若く、いかにも新任です、という風の男性教師だった。担当科目は数学である。生徒たちはガタガタと自席に戻った。
(気を付けて・・・あいつ生徒をいじめるのが生きがいみたいな奴だから、○山さんなんか格好のターゲットよ。目立たないようにね。)
隣の女子がサキに耳打ちする。なるほど、見れば確かにその教師は性格の悪そうな顔をしていた。
「ん?見慣れない顔がいるな・・・」
しかし教師はめざとくサキを見付けた。今のサキに目立つなと言う方が無理な相談なのだ。
「その席は確か登校拒否してた奴の席だったな・・・そうか、出て来たか。」
そう言いつつ微笑を浮かべる。ただ微笑とは言っても、人に好印象を与えるような物ではなかった。むしろ真逆。ぞっとするような冷たい笑顔だった。その笑顔で教室は静まり返った。
やがて授業が始まり30分も経ったころ、教師が突然脈絡の無い事を言い出した。
「そう言えば○山は、半年授業に出なかったんだよな。て事は授業なんて受けなくてもいいって思ってた訳だ。」
ニヤニヤ笑いながら勝手な理屈を展開する。
「という事は家でよっぽどの勉強をしてた訳だ。そうだ、みんなにその成果を見てもらったらどうだ?」
ざわっ・・・教室の空気が変わる中、教師は黒板に問題を書き始める。
「さて、このぐらいの問題なら簡単に解けるよな?」
それを見た女子の一人が発言する。
「先生!それってまだ私たちも教わってないって言うか、高校では習わない・・・」
その女生徒が言い終わらない内に教師は食い気味に返答する。
「だからなんだ?○山は学校なんかいらないぐらい頭がいいはずだろ?このぐらい大した事無いさ。さ、○山、やってみろ。」
教師に促され、仕方ないな、という風に立ち上がり黒板に向かうサキ。そして黒板の前に立ち、問題をを見つめる事数十秒。
「どうした?このぐらいの問題・・・」
「うるさいよ。黙って見てな。」
無意識に姉御口調で言うサキ。
「な、何を・・・」
教師が何か言いかけた時、サキはチョークを持って黒板に答えを書いていく。水を打ったように静かになった教室に、チョークの音がカツ、カツと響く。
やがてサキはふう、と息をつき、チョークを置くとぱんぱんと手を叩き合せてチョークの粉を払い、
「これでどうでしょうか?先生?」
と訊ねる。黒板に書かれたのは完全無欠の正解だった。実は彼女、自分の学校では相当成績がいい。
「・・・・・」
「どうだって訊いてるのが聞こえないのかい!?」
ボリュームを上げ、更に迫力を上乗せした姉御口調で言う。
「ヒッ・・・せ、正解だは!」
声が裏返った。完全にビビっている。
わっ、と歓声が上がる。教室中拍手喝采。方々から○山さんを称える声が投げかけられる。
「すげえ!痺れた!」
「かっこいい!」
「ざま-みろ!」
「惚れた・・・」
そのタイミングでチャイムが鳴った。
「じ・・・時間だ時間!今日はここまで!」
教師はそう言い捨て、逃げるように教室を出て行った。サキが実は2年生だと知ったら彼はどう思うだろう。そしてその途端、クラスの全員が黒板の前の○山さん、いや、サキを取り囲んで賛辞の言葉を投げ掛ける。
(あっちゃー・・・面倒な事になってきちゃったよ・・・)
2時限目、3時限目、4時限目。状況はサキの思惑とはどんどん逆の方へシフトして行った。やがて放課後になる頃には、彼女は3-Aのちょっとしたアイドルになってしまっていた。
きーんこーんかーんこーん
ホッパーエンプティー、もとい、終業の鐘が鳴り響く。
(お、終わった・・・疲れる一日だった・・・早く帰ろう・・・)
律儀にも一日授業に出続けたサキだった。
「○山さん!一緒に帰りませんか?」
「(た、頼むからもう開放してくれ・・・)ご、ごめんなさい。きょ、今日は父が車で迎えに来てくれる事になってるから・・・」
でまかせを言うサキ。
「あーん、そうなんだ。残念。それじゃまた明日ね!」
「それじゃ。(ごめん。明日はもう来ないんだ。)」
サキは両の眉をハの字に歪め、本当に済まなそうな笑顔を向け一日限りのクラスメイトを見送った。
そして教室から生徒が一人減り二人減り・・・サキは適当な所でそっと教室を出た。
そして日も傾いた帰り道。普通そんなボケをかますかというボケをサキはかます。
「あれ・・・アタイ今日は何しに来たんだっけ・・・っておい!目的忘れてる!」
走って取って返す。チョコが机の中に入れっぱなしなのだ。
3-A教室。
サキが教室に戻った時には、もうそこに生徒の姿は無かった。サキは自分の、いや○山さんの席に向かう。
「はあはあ・・・よかった、あった・・・それよりあいつは!?」
サキはまた走って教室から出る。引き違えの戸を勢いよく開け、廊下に飛び出した・・・所で通りがかった人影に危うくぶつかりそうになり、バランスを崩しよろける。
がしっ
ぶつかりそうになった相手がサキを抱き止めた。辺りはもう薄暗く、お互いの顔は良く見えなかったが、
「おい、危ないな。大丈夫だったか?」
聞き覚えがあるどころか絶対に聞き間違えたりしない声がサキに聞こえた。
(と、轟・・・なんて幸せな状況なの・・・)
うっとりするサキ。しかし今度こそ目的を忘れる訳にはいかない。
「あ、ありがとうございました!」
と言って轟の腕から離れると、
「これ受け取ってください!」
脈絡無くチョコの包みを差し出す。訳の判らないまま轟が受け取ると、
「それじゃ、失礼します!」
そう言い残し、逃げるように走り出した。今日はどうもよく走る日である。
再びの帰り道。
「やった、やった、渡しちゃった!でも最後はラッキーだったな・・・やっぱりすごく逞しくて・・・やだあ、もう、アタイったら!」
見ていられないほどの勢いで、一人はしゃぐサキ。その見ていられない状態を、冷たく見詰める視線があった。その視線の主は、サキの女子高の制服を着た生徒だった。
つづく
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