司馬懿の突然の爆弾発言によって騒ぎへと発展した謁見の間。
曹操軍の重臣達の中には少しばかり引いていた者や、怒りを抱かずにはいられない者など様々な反応があった。
「あ、あなた……!自分の真名を忘れるとか本当にどうかしてるわよ!」
猫耳の形をしたフードを被っていた少女、荀彧、真名を桂花が司馬懿に怒鳴り散らす。
「今回ばかりは桂花の言う通りだ!貴様、自分に神聖なる真名を名付けた親君に対する敬意はないのか!」
春蘭も怒り心頭のご様子であった。
このように司馬懿に怒りを表していた者や、
「……これが司馬八達の一人なのか」
「………」
「……世の中色んな人間がおるモンやなぁ」
秋蘭、凪、霞のように感情的には反応しなかったものの、若干引いていた者もいた。
ちなみに一刀の方はというと。
「(もしかしたら司馬懿さんだけかな……?この世界の住人で真名を重要視していない人間って)」
皆とは少し違った考えをしていた。
一刀はこの世界の独自の価値観である真名とはちょっとした因縁があったのだ。
この世界に来て間もない頃、自分を賊から救ってくれた少女とその仲間であった小柄な金髪の少女の真名を知らずに呼んでしまい、危うく命を落としかけたのだ。
今では完全に慣れているとはいえ、もしも出会ったのが彼女達ではなく、春蘭のような人物だったら自分は訂正する余地も与えられずに斬首されてしまうだろう。
「静かになさい!」
この騒動を止めるべく、華琳は威圧感が込められた声を上げる。
その大声は周りを静粛させするには十分であり、再び謁見の間に静かな空間が戻る。
「……司馬懿。あなた、さっき自分の真名を忘れたとか言っていたけど、この場でふざけた冗談を言っているのではないでしょうね?」
華琳は表情にこそ出さなかったが、声質からして相当不機嫌なのが伺える。
「冗談などという無意味な手段を取って得られる「利」が見当たりませぬ。我の発言は単なる事実。真名がない、というわけでもなく、それが何なのかが思い出せぬ。ただそれだけです」
司馬懿もまた、先ほどから同じ表情と声で華琳の質問に返答する。
「……私が納得できる理由はあるのかしら?私達の命と同等に尊い真名を忘れてしまうほどの理由を」
そして、司馬懿は何の躊躇もなく、堂々と語る。
「あります。幼少期から我が父、司馬坊の元でありとあらゆる知識と技術を叩き込まれた我は故郷で姉妹と共に私塾でさらなる経験を積んでいきました。しかしながら卒業後、我以外の姉妹は皆遠くの方へ登用され、我も屋敷を父から譲られた後、今日までは一人暮らしとなりました。我はあくまで他者とは損得関係を重視するため、真名を呼び合うような人間関係も構築せずに過ごした数年間、長年真名で呼ばれなかったせいか、いつの間にか自身の真名を忘れました。ですが、真名を知らぬ状態で不都合な事態など起こりはせぬと考え、今に至るわけです」
「…………」
さすがの華琳もこれには呆然せざるをえなかった。
何年も真名で呼ばれなかった、という理由で自分の真名を忘れてしまうなど尋常な話ではないのだ。
しかも当の本人は覚えなくとも不便はない、という理由で思い出そうともしない。
この世界の人間から見れば司馬懿は異常者と捉えられるか、極端にまで無欲で冷徹な女だと判断されるだろう。
何故真名を呼び合うほどの大事な友人を作ろうとしなかったのか、と思う者もいたが、司馬懿の合理的で冷徹な考え方では損得関係以外の人間関係は作りにくい 。
今まで司馬懿に怒声を浴びせていた春蘭や桂花も先ほどの発言を聞いてからは怒るべきか呆れるべきか、複雑な心境でいた。
「そういう事になるので、我が真名を思い出すか、もしくは親族に連絡をして真名を聞き出すまでは、我の事は司馬懿なり仲達なりとお好きにお呼びください。無論、真名が判明するまでは、誰一人とも真名で呼びはしませぬ」
「……いいでしょう。ならばあなたが自分の真名を再び思い出すまでは我が真名は預かっておきましょう。皆もそれでいいわね?」
華琳の問いに誰も異議を唱える事はなく、そろそろ終了させる頃合いだと判断した華琳は謁見の間全体響くほどの声で、
「それでは、解散とする!」
と告げる。
重臣達は司馬懿と軽い自己紹介を終えた後、それぞれの役職へと戻っていき、一刀は謁見の後に司馬懿を彼女の自室へと案内するよう華琳に頼まれたので、そのまま司馬懿を廊下の奥にある空き部屋へと連れていく。
廊下の途中で司馬懿は一刀の職務についていくつかの質問を聞き出し、一刀は少し謙遜しながら司馬懿の問いに答えていくといったやり取りをしている間にようやく目的の空き部屋へ着いた。
「ここが司馬懿さんの部屋だよ。まだ基本的な家具と寝台しかないけど、もしも何か追加したかったら聞いてね。俺は普段警邏に出ているし、この街でいい家具屋はいくつか知っているから、案内ぐらいなら出来るよ」
「いずれはそうさせてもらおう。個人用の本棚は三つや四つでは足りぬほど必要になる」
「うん、それじゃあ俺仕事に戻るから。頼りにならないかもしれないけど何か困った事があったらいつでも聞いてくれよ!」
部屋へ案内し終えた一刀は、歩いていた方向の逆を走っていき、仕事場へ急ぎの様子で向かっていった。
彼の姿が見えなくなるまでその背中をずっと司馬懿は見つめていた。
「(天の御使い……北郷一刀)」
こうして、司馬懿の文官としての新しい生活が始まった。
あとがき
次回から司馬懿の魏での日常、および他キャラとの交流などを書こうかと思います。
ご感想やご指摘など、お待ちしております。
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前回とんでもない発言をしてしまった司馬懿。その真相とは……?