改めて三国の主要な面々全員の立ち会いのもと、北郷という男が紹介されるに至った。
あるものは羨望の眼差しで、あるものは興味深げに、そしてあるものは訝しげに、天の御遣いとして魏を勝利に導いたその男を観た。
あらためて、彼は。
魏に帰ってきた。
天の国ではおーぷんてらす、というらしい。
外に置かれた椅子に腰掛け昼間から酒を煽る4つの影があった。
「笑えるだろう?こんなくたびれたおっさんが天の遣いだっつって持て囃されるんだから。」
それが酒の勢いからなのか、本心だからなのか。
その男は子供のような笑顔でそんなことを嘯く。
「まったくじゃ。宿将じゃなんじゃと担がれても所詮儂らは死にぞこない。
いいやつはみんな死んだ。残っているのはダメなやつらということじゃ!」
そんな男に合わせるように、祭も笑いながらそんなことをいう。
普段の彼女を知っている紫苑と桔梗はただただそれを呆然と眺めるしかなかった。
事の発端はそれぞれお礼がしたいという建前での会合の申し入れ。
紫苑は改めて璃々を救ってもらったことへの。
桔梗も弟子である焔耶が迷惑をかけたことへの。
そんな席に、酒の匂いのするその席に、祭が来ないはずがない。
祭はかつて北郷隊に所属していたという事実は公知のところであり、彼女に対してなにか期待があったかと問われるならば、話のつなぎ役にと紫苑と桔梗が誘ったのであったが…
二人の用事、つまりそれぞれが改めて自己紹介と礼を述べるのもそこそこに、その場はあっという間に簡単な宴会場と化してしまった。
「今日は復帰直後ってことで午前だけで上がれるしな。
いい気なもんで過ごさせてもらえるって寸法よ!」
「まったくじゃ!仕事を気にせず飲む酒のなんとうまいことか!」
旧知の仲、という表現の仕方が正しいかはさておいて、これもまた久し振りの再会であることには変わらない北郷と黄蓋。
早々に真名を交換し、酒を煽り騒ぎ散らしている。
ただ、黄蓋の、つまり、祭のあの時に置かれた状況を考えると。
それを知っている、というよりもむしろ彼女をそんな状況の置かせた原因を作った北郷がその再会を祝い酒を煽らずにはいられるわけがなかった。
「急に消えたかと思ったら地に倒れ伏しておった。あんなものを見せられて儂にどうしろと言うんじゃ、まったく。」
「ほんとにすまなかったっていってるだろ?それにあれは祭の勝ちなんだからいいじゃないか。
結局なんだ?俺が戦でちゃんとぶちのめしたのって一人もいないんじゃないか?」
「お主はまことに弱いからのう。仕方あるまい!
かっかっかっ!そもそもお主が儂をあそこまで追い込んだ時点ですでに上出来じゃ!まっ儂の勝ちじゃがな!」
「バカいえ、あんときは俺はもう消えかけのボロボロだったんだから、いまやったらわからないぜ?」
「大風呂敷広げおって!吐いたつばは飲めんぞ?」
「まったくだ、冗談だよ!」
何度目かもわからないそんな話とともに杯を打ち鳴らし上機嫌で酒を飲む二人を尻目に、紫苑と桔梗は若干引いていた。
「(あんなに上機嫌な祭さんはみたことなかったわね…)」
「(おう。しかもあの顔。)」
「(えぇ。そうね。たしかにあれは恋する乙女の顔よね…)」
「なぁにを二人でぶつぶつ話しておる!杯が空いているではないか!
さっさと飲まんか!」
確かに酒の席では普段から饒舌になり機嫌も良い。
だが、今日のそれはいつもの比ではない。妙に声色も高く、ひと目で上機嫌であることがわかる。
「(あながちあの噂も間違いではない…ということか?)」
「(そうかもしれないわね…。)」
戦後、三国が同盟を結んだ直後から、お互いを知るために活発に交流をしようということで頻繁に互いの領地を行き来するようになった。
その中心となったのは、ほかならぬ祭だった。
赤壁を舞台にしたあの大戦において、彼女は偽りとはいえ魏に身をおくこととなり、それは蜀の軍師・鳳統の手引によるとこであって、三国各国に事情を通じている彼女がふさわしいということが理由であった。
彼が消えてしまった日の宴の席で、祭は気がついていた。
北郷が消えてしまったという事実に、彼女は気づいていた。
だからこそ、普段はめんどくさがりの彼女が各国の繋ぎ役など引き受けたのだろう。
目の前で、その姿が一度消えるところを見ているから。
死なない心構えと生きて帰る勇気を教えられたから。
彼女はそんな役目を何も言わず引き受けた。
後日、天の御遣いが終戦を迎えたあの日に消えてしまったと、各国の面々にしれた日の祭の表情は、周りのものの記憶に鮮明に焼き付いている。
友を失ったような。
家族を失ったような。
話をするにも感情を繕いきれない魏の皆と、その表情は大差なく見えた。
「心中察するにあまりある。」
戦時中、間諜から公私ともにいかにその男が魏の要となっていたかを、「情報として」知っている者の如何なる慰めの言葉よりも、祭のその一言が重かった。
それから、より一層繋ぎの役目に励むようになった祭をみて、表立ってはいわないまでも、皆が皆、こう噂をした。
「祭は、彼を慕っていたのではないか。」
事の真相はついぞわからぬまま、あの日、彼が帰ってきた。
実習と称して曹魏の進んだ警邏の訓練を受けていた蜀、及び呉の者達のほとんどがその命令を遂行することが出来なかったなかで、祭は自らの主君を相手に啖呵をきって見せた。
そして…
いま紫苑と桔梗の目の前での姿である。
祭は、御遣いを慕っている。
その噂の真相など推して知るべし。
だったらというか、だからこそいうべきか。
余計に気になることがある。
「(あんな顔になる理由、気になるな。)」
「(えぇ、そうね…。)」
孫呉の宿将、黄蓋を女たらしめる天の御遣いという男に、俄然興味が湧いてきた。
…
………
………………
「…なんて話を紫苑さん達から聞いたんですよ!
確かに紫苑さんの言うとおりで、わたしもちょっと気になってたんですよね。」
そう興奮気味に雪蓮に話すのは桃香だった。
三国同盟の交流会期間中は、定期的に各国の君主が会談を開いている。
その場に向かう途中で、桃香は雪蓮にそんな話をしていた。
「ね~。祭ばっかりいい目を見てちっともこっちには回ってこないし、華琳は回す気もないだろうし。
蓮華もあたしを自由にさせないためにこんな会合に引っぱり出されるし。
あ~あ、つまんな~いの~。」
「あはは…。でもでも、愛紗ちゃんも妙にあの御遣いさんを気に入ってるみたいですし。何かあったのかな?」
「う~ん、うちの祭は直接あの男の部下だったからわからないでもないけど。
愛紗に関してはあなたがわからないんじゃさっぱりよ。何か心当たりはないの?」
話し合うのは北郷という天の遣いと呼ばれたのこと。
桃香の義妹、愛紗は、北郷一刀が消えてしまうもっと前から妙に彼のことを気にしていた。
何かにつけて彼のことを話題に出すのは、ただごとではないとは思っていたが、そもそもなぜ彼女がそんなにまで気にかけるのかは定かではなかった。
「それがわからないんですよね~。接点があるとすれば戦場で…なんでしょうけど…
愛紗ちゃんもあんまりあの人との戦の話をしたがらないですし。」
だからこそ、知りたい。
そう思うのは当然だった。
でも方法が…。
どうしたもんかと皆が首をひねるその問題に辿り着いた時、雪蓮の眼が怪しく光る。
「う~ん…そうね…だったら、いっその事もう一回やってみる?」
「…え?なにをですか?」
「なにいってんのよ、戦争よ、戦争。」
「な、なななななななな何いってるんですか!?」
突拍子もないことを言い出す雪蓮に、桃香は縋り付きバカなことは言うなと言わんばかりに涙目になる。
だが、そんなことはお構いなさそうに、とびっきりの遊びを思いついた子供のような笑顔で雪蓮は続ける。
「あはは!そんなに慌てなくても冗談よ、冗談。ものの例えってやつ。
愛紗も祭も、恋も、誰も彼も、一度は彼と戦ってあんなになっちゃってるわけでしょ?
だったら、いっそのこと…ごにょごにょごにょの、ごにょごにょっと。
どう?」
その耳打ちに、桃香の顔も少し和らぐが、そしたらそしたで、また別の問題が生じる。
「う~、確かにそれだったらいいかもしれませんけど~…」
「あら、何か不満でもあるのかしら?」
「いえ…それだとあたしはまたお預けになっちゃうなーって…華琳さんだったら絶対無理はさせないでしょうし。」
「あ…確かに…でも、相手は華琳じゃない?今回の件を盾に取るのは気がひけるけど、でも欲しいものは手に入れなきゃ!
大丈夫よ、絶対にうまくいくわ!」
力強くそう言いはなつ雪蓮の顔を見て、桃香は思う。
悪いようにはならないんじゃないかな。
それが彼女のいいところであるし、本当に、悪いようにはならない。
そう思えるからこそ。
「はぁ…でも、面白そうだし、提案してみましょう!」
「そうこなくっちゃ!」
二人の顔は、子供のような笑顔に変わっていた。
そして、実際に会合の場で。
ひと通りの近況報告という名の雑談を終えた後に、雪蓮はこう切り出した。
「ねぇ~え~。この前の騒動で中止になっちゃった武道大会のかわりって、どうするつもりなの?」
悪巧みをする猫(といってもどう見ても虎や獅子のそれであるが)のような笑顔で、華琳に問う。
「まぁ、そうね、あなたならそれを聞いてくると思っていたけれど。
あれでも武官の者達は相当入れ込んでいたようだし、このまま終わったのでは士気に関わるのは間違いない。
しかし、申し訳ないけれど、今舞台を復旧している最中で、それが結構掛かりそうなのよ。
だからもう一度同じ規模の大会をひらくのはむずかしいのよ。」
華琳はそう渋い顔で答えた。
なにせ三国をあげての祭典の目玉の企画だったのだ。
戦働きが主たる仕事であった武官は、小競り合いの鎮圧こそありはするが、その腕を全力でふるう機会は格段に減っている。
そういった鬱憤ばらしの場があのような形で終わりを告げたとあっては吐き出しきれない力はどこに向かうかわからない。
かと言ってすぐに代案が思い浮かぶわけでもなく、華琳はそれを気にかけていた。
「どうしたものか…いい案があればよいのだけれどなかなか…。」
「じゃあじゃあ!さっき雪蓮さんがいってたアレ、ちょうどいいんじゃないですか?」
「そうね。ねぇ、華琳…?」
我が意を得たり。
と言わんばかりに。
雪蓮はある案を提示する。
「どう?これなら代案としてはいいんじゃない?」
「…そうね、確かによさそうだけれど。
それだと、少し公平さを欠くのではなくて?」
「えぇ、だからね…と、こうするのよ。」
「確かに、悪くないわね。
…なるほど、要するに…。」
渋る素振りは多少見せはしたが、華琳は先日の事件の手前強く断ることは出来ず。
「まぁ、いいわ。今回の件は我々に落ち度があるのだもの。このくらいは飲まなければならないわね。
わかったわ。すぐに手配しましょう。」
押し切られる形で雪蓮たちの提案を飲むことにした。
「(ね?うまくいったでしょ?)」
「(本当ですね!楽しみだな!)」
こうなってはしかたがない。
雪蓮たちの狙いはわかっているが、背に腹は代えられない。
彼を、信頼しよう、と。
「ただし、やるからにはもちろん。勝たせてもらうからね?覚悟は良い?」
そんなことを思う自分の心が、まるで乙女のようではないかと、自覚して華琳は少し楽しくなった。
祭りの準備が、着々と進み始めた。
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