No.816380

天馬†行空 四十八話目 簗

赤糸さん

 真・恋姫†無双の二次創作小説で、処女作です。
 のんびりなペースで投稿しています。

 一話目からこちら、閲覧頂き有り難う御座います。 
 皆様から頂ける支援、コメントが作品の力となっております。

続きを表示

2015-11-29 23:04:46 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:3639   閲覧ユーザー数:2832

 

 

「接岸せよ! これより江陵を落とす!」

 

 湾に響く月季の声。

 二種の矢を使った床子弩による奇手により張允を退けた董卓軍先鋒はそのまま北上し、今まさに江陵にほど近い湾内へと接岸せんとしていた。

 あの後、離脱した張允は奇襲する余裕すらなかったようで姿を見せない。

 おそらくは江陵城に拠ってこちらを迎撃するつもりだろうと月季は踏んでいた。

 

「荀攸様! 歩兵隊、上陸しました!」

 

「よし、弓兵隊を続かせなさい。床子弩も取り外すよう」

 

「はっ!」

 

 迅速に行われる進軍の準備を見下ろし、月季は視線を東へ、次いで西へと巡らせる。

 

「床子弩、台車への積み込みを完了! 弓兵隊、進発します!」

 

「本隊も上陸します。準備は――」

 

「出来ております、荀攸様!」

 

 命を下すより早く支度を済ませている部隊の面々を見遣り、月季は口元に微笑を浮かべた。

 

「宜しい。――では、進軍!」

(今頃、孫策は江夏を攻めているでしょうか)

 

 勇ましく歩を進める兵達を前に眺め、月季は再び西へと目を向ける。

 

(そして、蔡瑁の水軍とは別に放たれた劉表の三つめの矢。張允を囮にし、こちらに気付かれぬよう南下させたつもりなのでしょうが――)

 

 次いでもう一度東へと目を遣り、

 

(――本当に、どこまでも見積もりが甘い)

 

 微笑みを浮かべたまま、正面へと向き直った。

 

 

 

 

 

 銅鑼の音と同時に、びいぃん、と弓の弦が鳴り。

 次いでざあっ、と音を立てて豪雨の如き黒い矢の群れが、朱色をそれ自体の色に染めていく。

 夏口の戦場、孫策らが攻め寄せる二の陣では突入した彼女達を左右から挟み込むように矢が射掛けられた。

 喉や胸、腹に矢を受けて苦悶のうちに地に伏せていく兵士達。

 

「――くっ!」

 

 真っ先に突入していた雪蓮は、未だ空を埋める黒き死の幕を愛刀で切り裂き、辛うじて空いたその隙間に身を潜り込ませている。

 

「雪蓮様!? ちっ! これでは――!」

 

「矢の飛んでくる間隔が短すぎます!? これでは前に進めません!」

 

 彼女のやや後方に追従していた思春と明命もまた矢の嵐に対処するのが手一杯で、先陣を切る主君の元に辿り着けないでいた。

 矢の応酬に勝ってからの接岸に加え、一の陣をいとも容易く抜いたことによる僅かな気の弛み。

 

「矢の続く限り撃て。孫策に下がる隙を与えるな」

 

 二の陣を挟むように設置された櫓は、その牙を剥く直前まで隠されていた。

 櫓を隠すために立て掛けていた竹の柵は倒され、その姿を現した直後には既に黄祖の策は成っていたのである。

 敢えて一の陣には少数の兵を配し、二の陣もまた旗や兵を少なくしていた――そう、猛火の如き孫策の進軍速度を殺さないように。

 ――孫策の部隊と後方に続く部隊の間隔が大きく空くように。

 

「よし、旗を」

 

「はっ!」

 

 頃合いを見て取った黄祖は即座に次の命を下す。

 砦に掲げられた黒い旗は、左右に大きく振られ、

 

「――っ!? 全軍、止まれっ!!」

 

 孫策の援護に駆け付けんと速度を上げていた周瑜ら中軍の眼前、左右の崖より大岩が転がり落ちてくる。

 辛うじて岩の下敷きを免れた中軍だが、これにより先鋒との間は完全に塞がれてしまった。

 

「いくら儂が仇敵とは言え……大将が冷静さを失えばこうなる事ぐらいは予想できるであろうが」

 

 孤立した敵先陣を見下ろしたまま、黄祖は厳しい表情のまま呟く。

 

「愚かなり。――失せるがいい」

 

 老将の冷徹な瞳が、黒い雨に飲まれんとしている朱を捉えた――。

 

 

 

 

 

「そう、劉備の」

 

「我々だけで充分だったのだ! それを――!」

 

「まあまあ、そう言いなさんな夏侯惇殿。こっちも命令なんでね、何もせずに帰る訳にもいかないんだよ」

 

 黎陽。

 その城門前で華琳ら曹操軍の面々は劉備が寄越した援軍を率いる将と顔を突き合わせていた。

 くすんだ赤い長髪を黒い紐で結んで背中に垂らしており、色褪せた黄色い鎧具足に身を包んでいる長身の女性。

 ただ、瞳と鎧の上に羽織った上着の鮮烈な紅色がそれらの地味な印象を打ち消していた。

 この人物こそ徐州では一目置かれる豪族が一人、臧覇、字を宣高(せんこう)という。

 春蘭が噛み付くのを、飄々とした様子で受け流している臧覇を華琳は面白そうに見つめていた。

 そも、何故劉備が臧覇をここに寄越したのかといえば、北海より黎陽を援護しようと出立した審配を曹操軍とともに挟撃するためである。

 袁紹が孔融を追い出して北海を制圧した際に、劉備は鳳統の策により孔融を保護していた。

 鳳統は孔融や彼女の家臣達の助力を得、北海の情報を逐一入手しており、変事あらばすぐさま動けるように謀っていたのだ。

 その結果、審配が動くと同時に北海の民に働きかけて内応させ、劉備軍は無血で北海に入城した。

 一方、黎陽城の前に布陣していた袁紹軍の守備隊に加え、鄴より来襲した援軍(鉄騎兵)を難なく破った華琳達。

 あらかたの障害を退け、いざ入城といったところで西の北海より袁紹軍の軍師が一人、審配が率いる一軍が接近してくるのを斥候の報告より察知した華琳は、陣形を整えて迎撃の準備をしていた。

 そうして、地平線に金色の鎧の一団が見えた頃合いで突撃を敢行せんとしたまさにその時。

 

「な、何いっ!!? は、背後より敵襲だとっ!?」

 

「行くぞオラー!!!」

 

 鬨の声を上げて殺到してくる審配らの背後を、”臧”の旗を掲げた一軍が雄叫びを上げつつ急襲したのである。

 完全に目の前の曹操軍にのみ集中していた袁紹軍は突然の襲撃に動揺し、僅かな間だが動きが止まった。

 

「全軍突撃! 行きなさい、春蘭! 秋蘭!」

 

「「御意っ!!」」

 

 その隙を見逃す華琳ではなく、即座に夏侯姉妹ら主力を吶喊させる。

 

「っ! 馬鹿な!? このような――はっ!?」

 

「遅っせーんだよ!! ――ォラァっ!!!」

 

 思わぬ伏兵と前後からの挟撃という窮地に思考が追い付かず、混乱していた審配がようやく事態を把握した直後。

 風車のように大刀を振り回し、木の葉を散らすかの如く部下達を斬り飛ばして接近して来た臧覇が間近に迫っており、

 

「――ぅぐあああっ!!?」

 

 血に染まった大刀が、審配の右肩から左脇腹にかけて紅い線を引いた。

 

「夏侯元譲見参! 袁紹の将よ! いざ勝、負――?」

 

「袁紹が将、審配! この臧覇が討ち取った! 野郎共! 勝鬨を上げろぉっ!!!」

 

『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!』

 

 袈裟懸けに斬られた審配が落馬した直後に敵陣中央に到着した春蘭は、雄叫びを上げる臧覇達と討ち取られた審配を交互に見、

 

「すまない姉者、遅くなった…………本当に出遅れたようだな、これは」

 

「…………私の手柄がぁ」

 

 呆然としているその肩を妹に優しく叩かれていた。

 

「援軍感謝するわ、臧覇」

 

「いや、すんませんね曹操殿。何か余計な真似しちまったみたいで」

 

 全てを見透かすかの如き深蒼に見詰められた臧覇は、主の後ろに控える春蘭からの恨みの籠った視線に辟易しながらも不敵な笑みを浮かべながら頭を下げる。

 

「ふふ、構わないわ。貴女が虚を衝いたお陰で大した被害もなく後顧の憂いを取り除けたのだから――それに、心にもない謝罪を受けても嬉しくはないわね」

 

「へぇ、流石は音に聞こえた曹孟徳。肝の座ったお人だ――実に心地良い殺気を出しなさる」

 

 それを微笑みながら受ける華琳は、臧覇に礼を述べると同時に、笑みを深くした。

 臧覇もまた口の端を吊り上げ、それに応じる。

 

「あら、この程度を殺気と言うのかしら? ――だとしたら、随分と生温い戦場に身を置いていたようね、臧覇?」

 

 挑発的な臧覇の言葉に夏侯姉妹や桂花らがいきり立つ寸前、口元に微笑を湛えたままの華琳がそう告げた。

 

「――っ、く!?」

(やべ、やりすぎちまったか?)

 

 途端、臧覇は総身に走った寒気のような感覚に身を震わせる。

 眼前の少女の表情は変わらないが、自身に掛けられた言葉と共にその身より発せられた波のようなその感覚。

 

「ふふ、まあ良いわ。――臧覇、貴女の主に伝えなさい。逆賊の討伐への助力、劉協陛下に代わり感謝すると」

 

「……はっ」

 

 それも長くは続かず、次に華琳が言葉を発した時には悪寒は消え失せた。

 我知らず片膝を着いていた臧覇に、華琳は凛とした声で礼を告げる。

 

「秋蘭、全軍にこれより三刻(約四十五分)休息を取らせなさい。その後、平原に向かう!」

 

「御意!」

 

「春蘭、平原を抜けた後は貴女の出番よ。いつでも出れるよう準備をしておきなさい」

 

「はい、華琳様!」

 

 間を置かず、即座に懐刀へ指示を出した華琳は自身もまた臧覇の横を通り過ぎようとして、

 

「待たれよ曹孟徳殿。――わが軍の軍師より言伝が御座います」

 

 その神妙な声に足を止めた。

 

「何かしら?」

 

「平原は攻めずとも取れる。城門より前にて火矢を二度放つとの――」

 

「――民が内応し、門を開く。かしら?」

 

「!? はい」

 

 皆まで言わせず、華琳は臧覇の、いや恐らくは諸葛亮か鳳統が謀ったであろう策を言い当てる。

 

「臧覇。ではそれについても重ねて伝えておきなさい、曹孟徳が感謝していたと」

 

「は」

 

 ざり、と音を立て臧覇が立ち去る気配を背後に感じ、華琳は遥か前を見つめたまま歩き出した。

 

 

 

 

 

 壺関より東、鄴へと伸びる街道。

 そこでは、一方的な戦闘が繰り広げられていた。

 高幹を降した後、後詰めとして控えていた杜預へ高幹を預け、洛陽へとひき立てさせると司馬懿はすぐに東進を開始。

 壺関へと援軍が送られている事を高幹より聞き出すと、街道脇に兵を伏せて奇襲した。

 まさか要害が陥落しているとも知らず、のんびりと進軍していた袁紹軍は突然の敵襲に混乱する。

 一気呵成に突撃して来た張燕軍に、援軍を率いる将が一合足らずで討ち取られると混乱はもはや収拾がつかない状態となり応戦どころではなくなった。

 結果、一刻足らずで袁紹軍五千は散り散りとなり、

 

「ここまでで良かったのですか司馬懿殿? 我等はまだまだ戦えますが」

 

「壺関を落として貰っただけで大金星ですよ張燕殿。後はこちらに任せてくださいな」

 

「そうですか……では司馬懿殿、ご武運を」

 

 張燕は兵を殆ど損じることなく上党へと引き上げる。

 

「ん、じゃあ行こうかね、士季」

 

「ええ、急ぎ参りましょう。曹操ごときに先手を取られるわけにはいきませんからね」

 

「はいはい、まあ気負い過ぎずに、ね」

 

 それを見送った司馬懿ら官軍は鄴へと歩を進める。

 南皮と鄴、袁紹が治める二大都市が一つに今、刃が迫っていた。

 

 

 

 

 

「――頭は冷えたか、二人とも」

 

「は、はい」

 

「スミマセンデシタ」

 

(なぜ私達まで……)

 

 戦っていた顔良と文醜だけでなく、周りを取り巻いていた兵達まで正座させた白蓮はいつになく怒気を溢れさせている(陳到と沮授に加え、白蓮の軍までつられて正座していたが)。

 

(こ、怖ぇぇ~……白蓮様がマジに怒るとシャレになんねぇ……)

 

 殆ど土下座になっている猪々子の心中は、もうさっきまでの覚悟とか麗羽を救う意志だとか以前にただただ恐怖が占めていた。

 

「聞いてるのか猪々子!!」

 

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 不意に鋭い声が響き、猪々子は正座したまま僅かに飛び上がった。

 

「まったく…………それに斗詩、よく聞いてくれ」

 

「はい」

 

「私は仲間の心を殺してまで一個の勝利を得たい訳じゃない」

 

 面を上げた斗詩を琥珀の瞳が正面から見据える。

 

「だから……友達を殺すような真似はしないでくれ」

 

 その瞳に映る真摯な色、真剣な声色は斗詩、猪々子だけでなく周りにいた全ての者達に染み渡っていった。

 斗詩と猪々子の瞳に涙が浮かび、辺りからは時折鼻を啜る音だけがする。

 

「――猪々子」

 

「はぃ……」

 

 しばしの後、白蓮が真名を呼ぶと猪々子は涙声で返事をした。

 

「行くぞ」

 

「ぇ……?」

 

 堂々とした声でそれだけを告げると、白蓮はゆっくりと歩き出す。

 唐突に放たれた言葉の意味が解らず聞き返した猪々子に、

 

「立てよ斗詩、猪々子。――麗羽を助けに行くんだろう?」

 

 力強い声でそう宣言した。

 

「行くぞ――全軍、私に続け!!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!!!!!!!!!』

 

 次いで飛ばされた檄に、陳到達だけでなく先程まで敵として対峙していた猪々子の部隊までもが雄叫びを上げて立ち上がる。

 

 

 

 

 

(そんなに心配することはないんじゃないか?)

 

 行軍する蔡瑁の軍中で、蔡和(さいか)は郭図の策に懸念を抱く従妹の様子に首を捻っていた。

 半日前、荊南の地を踏んだ劉表軍は董卓軍の襲撃を受けることなく順調に董卓の居城である武陵へと行軍している。

 確かにここまで一戦すらしていないのはおかしいとは思うが、郭図軍師の策が上手くいっている証拠なのだろうと蔡和は考えていた。

 

「ん? ……ああ、また土塁ですか」

 

「くく、これもまた先程と同じ。ごく最近築かれたものではないようですなぁ」

 

 進む左手、肩ぐらいの高さしかない土塁が見えたが表面は所々苔がむし、土が剥がれ落ちている。

 どうもかなり前に築かれたらしく、こちらの動きに備えたものとは思えない。

 一々含み笑いを交えないと喋れないのかこの男は、と郭図をうっとおしく思いながら蔡和は土塁を横目に馬を進めた。

 郭図からそれとなく馬を離している従妹は、機能していない土塁を見ながら眉根を寄せている。

 

(杞憂だと思うがねぇ)

 

 従妹は相変わらず首を傾げているようだ、先程から矢継ぎ早に放っている斥候からの情報では敵影すら確認できていないというのに。

 まあ、劉表の統治下にある荊北では殆ど戦が起こっていないのもあるし、久々の戦で従妹も緊張しているのだろうと蔡和はそれ以上は思い悩むのをやめた。

 

「しかし、ここに至っても我らの進軍に気付かぬとは――っくくく、はははは!!」

 

「あんま大声で笑わないで下さいよー。どこに伏兵があるかも分からんのですから」

 

 順風満帆といっても過言ではない状況に、郭図が抑えきれぬ笑い声を上げ、蔡瑁が心底嫌そうな顔でそれを窘める。

 

「いやいや蔡瑁殿。よもやかほどに我が神算が冴え渡るとは――ふふふ、我等が突如現れたと知れば董卓や賈駆はどれ程滑稽な面をするのかと思いましてな。くく、ぅふふふ」

 

「だからキモいんですって」

 

 自己陶酔極まる郭図には、最早蔡瑁が口に出す嫌悪すら耳に入っていなかった。

 ――ここで、蔡瑁自身がもっと土塁の近くまで寄ってよく観察すれば、或いはソレに気付けたかもしれない。

 

(んー……まあ、使い古しっぽい土塊にそこまで気を払わなくてもいいですかねぇ?)

 

 不運にして、この軍中で最も慎重な蔡瑁はソレに気付くことはなかった。

 

 ――その土塁群が最近になって盛られたもので、苔や剥離した形跡すら全て偽装されたものだということに。

 

 斯くして、最後まで誰も気付かぬまま、盲いた群れは進んでいく。

 

 用意されたその結末へと、ただ、静かに。

 

 

 

 

 

 ――武陵城にて。

 

「うん、計算通りね。――郝昭殿達に合図を出して」

 

「はっ!」

 

 月の執務室にて片膝を着く伝令兵に、詠が素早く指示を出す。

 郭図の推測とは裏腹に、詠は彼等が船を出した時点からここに至るまでの情報を逐一入手していた。

 長江を容易く渡らせた事により、蔡瑁率いる熟練の水軍と当たる危険を廃す――但し、後方に続いてきた輜重隊は上陸間際に陳応、鮑隆に沈めさせている。

 その後、陳応らは劉表軍の鎧を纏い、偽の輜重隊として蔡瑁らの後方に続かせた。

 ぼろぼろの土塁は、領内の備えが疎かであると敵に誤認させる為――苔や表面の傷や剥離痕などは、士燮からの援軍である郝昭、馬鈞、薛綜らが上手く施してくれている。

 また、郭図が扇動した賊徒は一斉に荊南四郡で蜂起して城や周辺の村々を襲撃した、が。

 予てより備えを怠らなかった各郡の太守(約一郡だけ太守代行)が迎撃している。

 更には潘濬、そして武陵蛮の王沙摩柯も遊撃部隊として各郡の援護に動いている為、賊徒の殲滅も時間の問題だろう。

 これで月が指揮する本隊は、あと一日足らずで武陵城に殺到するであろう蔡瑁の軍と後顧の憂いなく当たれる。

 呂布や張遼ら主だった武官は出払っているが、月や詠には焦っている様子は窺えなかった。

 

「伝令!」

 

「入って下さい」

 

「はっ! 失礼いたします!」

 

 詠が机の上に広げられた地図に、×印を一つ書き込んだところでまた一つ、戦況が伝えられる。

 月が入室を促すと先程とは別の伝令が片膝を着く。

 

「報告を」

 

「はっ! 益州の程昱様より『道を閉ざした』と」

 

 それを聞いて、詠は口の端を吊り上げた。

 

「やるわね、仕事が早くて助かるわ」

 

「それからもう一つ、劉表が上庸へ向けた斥候も馬超殿が討ち果たしたとのことです!」

 

「――へぇ」

 

 齎されたその報を聞くと、詠はすうっ、と目を細める。

 

(やるじゃない風、伊達にアイツの軍師を名乗ってはいない、か。……べべ、別に悔しくなんかないんだからっ!)

 

 顎に手を当てて思案する詠だが、途中から赤面して勢いよく頭を振った。

 

(詠ちゃん、一刀さんとしばらく会ってないから思い出してるのかな。……へぅ、私も会いたいな)

 

 親友の様子に思い当たる節があったらしく、月は微笑ましく見守っていたがその笑顔はどこか寂しそうなものだ。

 

「ごほん! ――とと兎に角! これで策は成ったわ! 月、後は――」

 

「――うん、私達で蔡瑁さんを迎え討とう」

 

 赤面していた詠が咳払いしてなんとか立ち直ると上座の月を見る。

 視線を受けた月は一つ頷くとゆっくりと玉座より腰を上げ、強い意志を秘めた瞳を輝かせた。

 

 

 

 

 

「急ぎ渡航するぞ! 準備はよいか!?」

 

「はっ! 蔡勲(さいくん)様、間も無く完了いたします!」

 

 江陵より西、夷陵にほど近い河岸で劉表軍の一隊が小船の準備を進めている。

 部下に命を下しているこの男、蔡勲は今武陵を目指し進軍中の蔡瑁の弟で、彼もまた姉譲りの水練達者であった。

 彼は、かねてからの作戦通り王威が江陵を進発し、次いで張允が出陣した直後に武陵へ秘かに渡航するよう命を受けている。

 上手く事を運べれば、姉と共に董卓の居城を挟撃できるだろう。

 失敗は許されない、蔡勲は自身に言い聞かせると真剣な顔つきで長江を臨んだ。

 

(敵に察知されぬよう少数で、且つ足の速い走舸(そうか)蒙衝(もうしょう)を用いる、か。ふ、我らに向いた任務だな)

 

 彼の眼前には三丈(七メートル)ほどの船と、それより二回り大きく船体に牛の革が貼られた細長い船がある。

 小さい方が走舸、大きい方が蒙衝。

 また、蒙衝には船の舳先に衝角が据え付けられており、これで体当たりされれば並みの船ではひとたまりもないことを蔡勲は知っていた。

 

(万が一、巡視船に見つかっても始末してしまえばよい。その為の蒙衝だ)

 

 董卓軍が水練を行っていることは諜報済み、しかし水軍の強さはやはり経験だ。

 鍛錬を始めてから一年すら経っていない者達に後れを取るなど、蔡勲は毛ほども考えてはいなかった。

 

 ――そう、確かにその通り。

 

 ――後れは取らないのだ、相手が同じ水軍であれば。

 

『ワぁアアアアアアアアアアッ!!!!!』

 

「ご、ご注進!」

 

「何事だ!」

 

 矢筒や火計用の干し草を積み込んでいた途中、後方から突然上がった悲鳴のような雄叫び。

 同時に駆け込んで来た兵士に、蔡勲は周りの喧騒に掻き消されぬよう声を大にした。

 何が起こった? まさか江賊でも襲撃して来たのか?

 少数の兵とはいえ我らに楯突くとは愚かな、と蔡勲は怒りを露にしようとして、

 

「て、敵襲です! 旗印は”馬”、先陣には、馬、馬超がっ!!」

 

「な、ななな何ィイイっ!??」

 

 予想だにしない敵将の名を聞き、瞠目する。

 

「て、敵の勢いは凄まじく既に中央まで達しております! 蔡勲様! ど、どうしましょう!?」

 

「あ、か、ど、どうしようと言われても――――っ!?」

(う嘘だ! そんな筈はない、何故西涼の軍がこんな所にいるのだ!?)

 

 狼狽する蔡勲は、乱戦中の自軍を掻き分けるようにして現れた”馬”の旗印をはっきりと見た。

 そして、今起こっている事態が夢や幻ではないとようやく悟る。

 

 ――だが、蔡勲が理解に至るまではあまりに遅く。

 

「馬孟起見参! 敵将、覚悟しやがれッ!!」

 

「――うぐっ!!?」

 

「さ、蔡勲様ぁっ!?」

 

 軍中を、まるで無人の野を往くが如く飛んで来た(比喩ではなく本当に飛んで、いや跳んで来た。しかも馬に乗ったままで)翠の槍に一突きにされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはまるで巨大な鳥が翼を広げているように見えて。

 

(あ――やば、これは死んだ、かも?)

 

 見上げる空を黒く染めて降り注ぐ矢の雨を前にして、雪蓮は漠然とそう思った。

 

(ん? 死ぬ? 私が? ――母様の仇を目の前にして?)

 

 それも一瞬、胸中に沸き上がる衝動が萎えそうになった自身を奮い立たせる。

 

(まだおばさまにも勝ててないのに?)

 

 ぐっ、と南海覇王を握る手に力が篭る。

 

(あとついでに――――まだ、禁酒令が解けてないのに! つか、私にお酒飲ませろー!!)

 

「――ぇああああぁああアアアアアアっっ!!!!!」

 

 ――斬。

 

「――邪魔じゃあっ!!!!」

 

 ――轟。

 

 戦場に響いた二つの音。

 その瞬間、両軍の兵はピタリと動きを止めた。

 いや、止めざるを得なかったのだ。

 

 ――思春は見た。

 雪蓮が振るう南海覇王が、降り注ぐ矢の雨――千は下るまい――を一閃にて断ち切ったのを。

 

 ――祭は見た。

 朱儁が繰り出した炎を纏う拳が、進路を塞ぐ大岩を粉々に破砕したのを。

 

「馬鹿な――!」

 

 静まり返る戦場の中、ポツリと零れた黄祖の呟きが全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 

 お待たせしました、天馬†行空四十八話です。

 引き続き各方面での戦闘をお送りしました。

 さて、次回でどちらかの戦を終結させたいと思います。

 

 

 では、次回四十九話でお会いしましょう。

 それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 超絶小話 副長、吼える

 

 ※四十五話目の超絶小話のその後のお話です。

 

 

「成る程、一刀様と昼食を共にされた、と?」

 

「うん、えへへ~」

 

 書類を片付けながら、張翼は鷹のノロケを聞いていた。

 今までにない程幸せそうにしている上官の様子に軽い驚きを覚えつつ、張翼は更に質問を投げ掛ける。

 

「それは良かったです。して、一刀様とはもう閨を共にされたのですか?」

 

「――ぶふぅっ!? え、えほっ! げほっ!」

 

 瞬間、鷹が咽せた。

 

「鷹様のお子……むぅ、ようやく現実味を帯びてきましたね」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと張翼!!」

 

 慌てふためく鷹を見てなにやら得心いったように頷く張翼に、鷹は赤面しつつも待ったを掛ける。

 

「どうされたのですか?」

 

「ね、閨って、あの、その、わ、私と一刀はそんなんじゃないんだってば!」

 

 ぱたぱたと両手を振る鷹。

 

 

 

 

 

 ――ぷちり。

 

 

 

 

 

「き、聞いてるの!? ねぇ、張よ――」

 

「――ぅぬぶるああああああああっ!!!!!」

 

「きゃああああっ!!???」

 

 突然、張翼が綺麗な、それはもう震えが来るほどの綺麗な笑みを浮かべ――――奇声を発した。

 

「――なんじゃそりゃあああああっ!!? 食事だけ!? 手を繋いだだけ!? 処女ですか貴女はあああああっ!!?」

 

「な!? ななな何で怒鳴るのよ張翼! そ、それに何で私が処女って知っ――――あ」

 

「ぬがあああああああああああああああああああああああああああぁっ!!!!!!!!! ウチの隊の玉無し共めが!! 私がその玉と竿、引っこ抜いてくれるわァアアッ!!!」

 

「って、だ、誰かぁー!!! は、伯恭が乱心したー!!」

 

「――ぅんずぶりゃあああああアアアアアアアッ!!!!!」

 

 この日、成都城に一つの事件が起こった。

 

 後日、鷹の部隊の兵士達が張翼に調練(という名の壮絶なナニカ)を受けて放心している姿が見られたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おのれ…………こうなれば、一刀様を焚き付けて一刻も早く鷹様を女にして頂かなければ」

 

「廊下でなに恥ずかしい事言ってんのよ伯恭ぉっー!??」

 

 

 

 


 
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