No.786994

超次元ゲイム学園 7時間目 (~森のヌシ~)

銀枠さん

大変、お待たせしまってごめんなさい!
って、更新するたびにそれが口癖となりつつあるから、今度からは謝らないように早めに仕上げたい。

※なお、作中で出てくるニーチェやゴーギャンへの解釈ですが、これはあくまでも私個人の解釈です。興味のある人は調べてみてくださいね!

2015-07-01 22:44:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1337   閲覧ユーザー数:1229

 ――深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

「誰の言葉だったか。たしか、ニーチェだったかな」

 

 貴戸は、鬱蒼と生い茂った森林に身を隠しながら、双眼鏡を覗きこんでいた。

 彼は美しい青年であった。一見して、少年とも少女ともつかない、中性的な美貌。彼がそこにいるだけで、まるで絵画のワンシーンを切り取ったかのような華々しい雰囲気がある。こんなこそ泥まがいの行動をとっていても、絵になるあたり生まれ持っての何かが、常人とは違うのだと分かる。

 貴戸は、美術部の部長である。

 その肩書きを鑑みれば、貴戸がこうして風景を眺めていたとしてもなんら不審な点はない。部活動の一環として活動しているようにしか思えない。たとえここが学園側から”立ち入り禁止区域”に指定された場所だろうと、凶暴なモンスターが我が物顔で徘徊していようと関係ない。彼は彼自身の芸術意欲を満たすためにここへ訪れたのだ。

 貴戸が興味を占める対象。双眼鏡の向こう側に広がる世界。

 それはちょうど森を抜けた先にあった。

 そこには少女がいた。

 夜色の髪。奇跡のような造形を兼ね備えた少女。

 夜刀神十香である。

 彼女は、スライヌの群れに襲われていた。

 スライヌといえば最弱の代名詞。ずんぐりむっくりとしたボディから繰り出される体当たり。それに気を配ってさえいれば、なんてことない相手である。

 だが、たかが下級モンスターといえど侮ってはいけない。単独ならまだしも、彼らが群れているときは注意が必要である。

 それは波状攻撃だ。

 波のように幾重も間を置かず、相手を攻撃する戦法。集団の利を生かした戦略である。厳しい自然で、スライヌたちが生き残るために編み出した必殺技。

 これによって少なくはない数の生徒たちが、スライヌの絶妙なチームワークに翻弄され、散々追い回された挙句、疲労困憊の果てに倒されている。

 それに対して十香が取った行動といえば、頭部を守るようにして、両手を上段に構えている。典型的な格闘スタイル。

 だが、彼女の戦い方は、無残の一言に尽きた。

 ただ闇雲に拳を振り回しているだけ。型もへったくれもあったもんじゃない。どれだけ贔屓目に見ても、武術の素養はない。素人丸出しなのだ。

 ……にも関わらず、十香の拳は強烈だった。

 彼女の拳を受け、スライヌの身体が、水風船のように弾け飛んでいく。

 たとえ直撃を免れても、拳が纏う風圧だけで、スライヌの身体はいともたやすく吹き飛んでいった。それは、これまで見てきたどんなものより重く、鋭い一撃。

 

「ほう……」

 

 貴戸は、思わず目を疑った。

 恐ろしい威力だった。

 熟練の格闘家でさえ、あの拳を受ければ、ただでは済まされない。腕の一本や二本ですむならまだ可愛い。当たり所が悪ければ最悪、死に至る。

 

「あれが精霊の力か」

 

 心から感心しきった声だった。

 

「十分に凄まじいが、あれはほんの一部に過ぎないだろう」

 

 上層部からの報告によると、十香はいまだに本来の力を封じられている。それが本当ならば、あの少女の実力はいまだ未知数。あの細い腕のどこに、そんな馬鹿力が隠されているのか。貴戸でさえ計りかねている。

 もし彼女と自分がやり合えばどうなるか……想像しただけで胸の高鳴りを感じる。

 夜刀神十香が闘う姿は、とても絵になる光景だと思った。貴戸の中にある、創作意欲が激しく刺激されるのを感じた。自分でも気づかない内に、双眼鏡を片手に構えながら、空いた手でペンを握りしめている。あらかじめ持参していたスケッチブックにラフスケッチを描き殴っていたのだ。

 彼はいついかなるときもスケッチブックを持ち歩いている。出先で、何か気に入ったモノがあれば、こうして形に残すことにしている。というより、描かずにはいられないのだ。

 それは芸術家特有の凝り性。いわゆる偏執狂。彼は芸術という病に取り憑かれた一人なのだ。

 

 ――あの子なら、女神に対抗する存在となりうるだろう。

 

 そんなとき、懐にしまったスマートフォンが鳴った。組織からの定時連絡だ。空気の読めない闖入者に、貴戸はため息をつきながらも、通話に出る。

 

『目標の様子は?』

「予定通り、モンスターと交戦状態に入っています。いやはや、彼女は想像以上だ。あれで力を封じられているとは、にわかには信じがたい」

 

 貴戸のスマートフォンには、盗聴対策が施されている。立場上、組織と密談を交わすことが多いため、機密保持には細心の注意を払わなければならない。

 唯一、気をつけることがあるとすれば、周囲に聞き耳を立てている者の有無であろう。もっとも、こんな辺鄙な場所で聞き耳を立てるもの好きはいないと思うが。

 

「こんな初心者向けのダンジョンではなく、もう少し難易度の高いダンジョンに彼女を誘導すべきだったのでは?」

 

 精霊の力を測る名目とはいえ、スライヌ程度では力不足。弱すぎて正確な情報を得られない。

 

『お前に、それを判断する権限はない』

 

 男が言った。その声には徹底して、個性が削り取られていた。おそらく厳しい訓練の賜物であろう。個人の特徴よりも、より大きなモノの血肉となることを――組織との同化を望んだ、成れの果て。

 

『そもそも、夜刀神十香の監視は、お前の役目ではない』

「そういえば、そうでしたね」

 

 苦笑する貴戸。

 そもそも監視任務に就くのは、組織の中でも末端の構成員である。つまり、下っ端の仕事だ。それを貴戸が無理を言って代わってもらったのだ。本来なら貴戸の役目は、十香をダンジョンに送り込んだ時点で終了している。こうして末端の仕事を奪ったのにも、もちろん理由がある。

 貴戸が、夜刀神十香に興味があったからだ。

 より正確に言うならば、”精霊”という存在に強く惹かれていた。

 

『我々にとって、精霊は未知数の存在だ。女神以上に不明な点が多い。彼女が何を得意として、何を苦手とするか。それを詳細に測るのが、我々の方針だ』

「率直にお聞きしますが、精霊の力を、どうするおつもりですか?」

『禁則事項だ。現時点において、お前にそれを語る許可が、上層部から降りていない』

「また、それですか」

 

 またしても貴戸は苦笑した。組織に所属している以上、彼にもある程度の情報は与えられる。しかし、いかに組織の一員といえど、全ての情報が開示されているわけではない。

 

『我々はお前の力を高く評価している。然るべきときがくれば、真実の方から、おのずと語りかけてくるであろう』

 

 ――つまり、信用されてないってことか。

 

 彼は肩をすくめ、言った。

 

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない」

『――は?』

「哲学者ニーチェの言葉ですよ。彼は恩師に幻滅し、恋人に裏切られ、そして狂気にとりつかれる。お世辞にも、決して素晴らしい人生を送ってきたとはいえない」

 

 そこで貴戸は言葉をきった。

 

「にも関わらず、ニーチェの言葉には大きな希望が宿っている。世界を正しく見ようとする目が備わっていたからこそ、彼の傍らには常に光があった」

『それがどうした』

「この学校に女神や精霊を集めて、あなた方が何をするつもりかは分からない。しかし、行き過ぎた力を求めれば、身を滅ぼすかもしれません」

『無用な心配だ。女神と精霊は、すでに我々の管理下にある』

 

 男は笑っていた。それは絶対的な力を手にした者に特有の、酔いしれた声。

 

『余計なことを考えるな。お前は我々の命令に従ってさえいれば、それでいい』

 

 そう言い残して、通話が切れた。

 貴戸は苦笑しながら、スマートフォンをしまった。

 

 ――人間ごときが神を気取るとは、傲慢も甚だしいことだ。

 

 彼の脳裡では、とある神話が思い出されていた。人間たちが神の領域に近づこうとしたことで、神々の怒りを買い、天罰を下される話。バベルの塔。

 

「君たちは僕のことを見定めているつもりかもしれない。だけど、僕もまた君たちのことを見定めているんだよ」

 

 貴戸は双眼鏡を再び手に取った。

 十香はすでにスライヌの群れを残らず蹴散らしていた。この分だと、貴戸の依頼を達成するのはもう間もなくであろう。

 

「さて、このあたりで偵察を切り上げるとしましょうか。まだ不十分ではありますが、彼女の力量はだいたい掴めたことですし。……それに、丁度、部室に飾りたい絵があったんだ」

 

 そうして貴戸は茂みから身を起こした、そのとき――

 地響き。ついで、大地が震え上がった。

 

「……これは、地震か?」

 

 そこで、貴戸の声をかき消すような雄叫びがあがった。否、これは断じて自然現象などではない。モンスターによって引き起こされた災害である。

 

 ――何かがこちらにやって来る。

 

 とっさに身構える貴戸の前で、地面を突き破り、その異様が姿を現した。彼の目前に、身の丈が何十倍もあろうかという巨体がそびえていた。

 馬鹿でかいモグラ。彼は最初、そう錯覚した。だが、それが誤りであったことに気づかされる。そいつはそんな生易しい相手ではない。

 

 ――地竜か。

 

 またの名を、大地を統べる者。

 地底での活動を主とするため、翼は退化している。空を飛べなくなったかわり、異常に発達した前脚で、岩盤を掘り進んでいく。その鋭爪から繰り出される一撃をまともにくらえば、超合金でさえバラバラに砕け散ることであろう。

 とはいえ、普段はおとなしい竜である。地底にある洞窟に引き篭っているため、彼らと出会う確率はごく稀のこと。しかも、こちらから刺激しない限り、人を襲うようなことは滅多にないのだが。

 

「そうか、発情期なのか」

 

 産卵を間近に控えているときは、気性が荒くなっている。そんな話を、貴戸は思い出した。だからこうして誰彼構わず襲いかかっているのか。

 

 ――いや、それだけじゃないか。

 

 きっと、貴戸の力に引き寄せられてきたのだ。彼の奥で眠り続けるモノに、本能的な恐怖を感じたのだろう。生まれてくる我が子のために、脅威を排除しなければならない。そう考えての異常行動であろう。でなければ、わざわざ彼の前に出てきた理由がつかない。

 

「まさかこんなところで竜に出くわすとは。ここは一応、初心者向けのダンジョンだったはずなのですが……」

 

 やれやれ、と貴戸はため息をついた。

 そうだ、ここはダンジョンなのだ。たとえ初心者向けといえど、何が起こるか分からない。どんな熟練の生徒であっても気を抜けば一瞬で命を落とす可能性だってある。ダンジョンを甘く見ないほうがいい。

 さっき自分は、夜刀神十香にそう言い聞かせていたではないか。精霊の観察に気を取られていたとはいえ、そのことを忘れていた自分の愚かさをちょっとだけ恥じた。

 これでは美術室に帰るのは当分先のことになりそうだ。最悪、二度と日の目を見ることさえ叶わないだろう。竜種と戦うとは、そういうことだ。

 

「竜とはいえ、同じ生き物だ。根本的なところでは、僕たちとそう変わりない。ケモノ同士、何か惹かれあうモノがあったのだろう」

 

 貴戸は逃げも隠れもしなかった。

 それどころか、諦めたように両手を上に挙げている。一見、降参のポーズのようにも見て取れないこともない。大きく息を吸い、吐いた。

 かと思うと、両手を伸ばした。それは中国武術における八卦掌。それに、彼なりのアレンジを加えた型である。

 

「竜とは一度手合せしてみたかったんです。……いいでしょう。そちらが望むのなら、相手になりますよ」

 

 瞬間、張り詰めた空気が立ち込めた。彼の痩身から、むわっと匂い立つ何かがあった。今までの人を喰ったような態度はすっかりなりを潜めている。

 そこには、見たこともない顔が覗いていた。美術部部長でもなければ、暗部組織の顔でもない。命のやりとりに、歓喜した目。完全に、血に飢えた獣。修羅の顔だった。

 それこそが、彼の本性なのかもしれなかった。

 地竜が咆哮を上げた。

 あの大地を統べる者が、怯えていた。貴戸という存在に、完全に恐れをなしていた。

 両者が激突したのは、間もなくであった。

 

    ◆ ◆ ◆

 

「ざっと、こんなものだな」

 

 ふふん、と得意げに胸を反らす十香。

 彼女の背後には、スライヌの残骸もとい――スライヌゼリーが山のようにこんもりと積み重なっている。

 

「私の手にかかればこれくらい朝飯前だ。これだけあれば、あいつも満足するに違いない」    

 

 あの親切な男の名は何と言ったか……たしかビジュツブ、ブチョウと言っていた覚えがある。

 

(なんていうか……随分と変わった名前なのだな)

 

 そのとき、十香の身体がぐらついた。

 

「ぬ?」

 

 だが、揺れたのは彼女だけではない。地面そのものが揺れていた。地震だ。横殴りの揺れである。木々が揺さぶられ、怯えた鳥たちがばさばさと飛び立っていく。

 それもすぐに収まる。どうやら一時的なもののようだった。

 

「今……一瞬揺れたな」

 

 この広大な平原といい、ここが建物の中だということを忘れそうになる。つくづく不思議な場所だ。

 それと、遠くから獣のような雄叫びが聞こえた、気がする。

 

「あれは……何だったのだろうか」

 

 ただの獣ということはないだろう。このダンジョンに棲む凶暴なモンスターだということもある。おそらくスライヌ程度では及びもつかないような、もっと危険な奴だろう。十香の本能がそう察知していた。出来ることならこのまま静かに立ち去るのが賢明だろうが。

 声は森の奥から聞こえてきた。様子を見に行ってみようか。

 そう十香が思案した――そのときだった。

 

「きゃあぁぁぁ――――――――ッ!」

 

 甲高い叫び声が聞こえた。

 こちらはかなり近い。

 獣の声とは反対側の方角だ。獣の正体も気になったが、今は人助けを優先すべきだろう。十香は迷うことなく身を翻し、悲鳴の聞こえた方角へと急いだ。

 

「たっ、たすけてーっ!」

 

 そこには少女がモンスターの大群に襲われていた。

 小学生くらいの女の子を、スライヌたちが集団でじりじりと取り囲んでいる。

 女の子はスライヌたちを寄せ付けないよう、勇ましい声を上げながら木刀を振り回している。だが、心なしか剣を振り回すたびにぜえぜえと息が荒々しさを増し始めている。額には玉のような汗が浮かんでいる。彼女が疲労で押し潰されるのは時間の問題だろう。女の子とスライヌたちの戦力は歴然。どう見ても弱いものいじめだ。

 

 ――おのれスライヌ、許すまじ。このような姑息な奸計に打って出るとはなんと卑劣な生き物だろうか。

 

 スライヌの群れはまだこちらに気づいていない。少女の方へ視線が集中している。不意打ちをしかける絶好のチャンスだ。

 間髪入れずに十香は飛びかかった。スライヌが密集する場所めがけて拳を振り下ろす。

 轟音。

 砲弾をぶち込んだような一撃に地面がめくれ上がる。直撃を受けたスライヌたちが跡形もなく砕け散った。かろうじて直撃を免れた個体も、拳の衝撃波によって吹き飛ばされていく。

 突然、現れた闖入者にスライヌたちが恐慌に包まれる。たちまち陣形が崩れ、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していく。

 所詮は下等生物といったところか。

 

「歯ごたえのないやつめ」

 

 そんなことより、少女の姿が見えなくなった。

 きょろきょろと辺りを見回す。

 

「けほっ、けほっ」

 

 下の方から呻き声がする。なんということだろう。少女は砂を頭からかぶって倒れ伏していた。おそらく十香の拳の衝撃波を受けて吹き飛ばされたのだろう。自分が助けに入ったことで、状況をより悪化させてしまったかもしれない。これならスライヌたちに襲われていた方が、まだマシであっただろう。

 

「す、少し、パワーバランスを見誤ったようだな」

 

 十香は冷や汗をかきながら、砂まみれになった少女を抱き起こす。

 

「大丈夫か。ちびっちゃいの」

 

 返事がない。それどころかピクリとも動かない。

 これはもしかすると相当危ない状態かもしれない。

 

「お、おい。生きてるか、ちびっちゃいの!」

 

 ガクガクと全身を揺さぶってみる。

 

「ねぷぅ!」

 

 素っ頓狂な声をあげて少女が跳ね起きた。

 

「あー、死ぬかと思った。もしかして、わたしは自覚がないだけで死んでたりしてね。いや、実際死んでもおかしくないよあの一撃は」

 

 落ち着きのない様子で辺りを見回している。どうやら目覚めたようだ。

 さっきは頭に血が上っていて気づかなかったが、少女の髪は紫色だった。しかもショートで、ギザギザとしている。目を惹くような、奇抜な髪型だ。

 かと思うと、十香と目があった。

 

「ねーねー、そこのおねーさん。お尋ねしたいことがあるんだけどぉ、ここは……もしかして天国だったりする?」

「テンゴク? それは何なのだ?」

 

 小首をかしげる十香。その反応を見て少女は、がっかりしたようにため息をついた。

 

「もうっ、分かってないなぁ。ボケにボケで返しちゃダメだよー。そこはツッコミを入れるところなんだよ、おねーさん」

「ツッコミ? よく分からんが、突っ込めばいいのだな?」

「違うってば、そんな手刀かまえなくていいから早く手を下ろして! さっきの一撃もらうとさすがのネプ子さんでも三途リバー渡りかけちゃうよ!」

「ぬ、違うのか」

 

 構えかけた手刀を下ろす。とにかく少女は無事のようだ。安心する。

 だが、どうにも納得のいかないことがある。

 なにゆえこの少女はこんな場所にいるのだろうか。偶然、近くを十香が通りかかったからいいものの、こんな危険な場所に一人でいるだなんて自殺行為も甚だしい。

 

「ちびっちゃいの。こんなところで何をやっているのだ?」

「むむー、失礼なぁ。わたしはちびっちゃいのじゃなくて、ネプテューヌっていう名前があるの! たしかに今でこそこんなちんちくりんな感じだけど、成長したらボンッキュッボンのになるんだから。現に、零次元界ではナイスバディになった私が出てくるんだからね!」

 

 よく分からないことをまくし立ててきた。

 

「ぬ……なんだかよく分からないが、すまなかった」

 

 ネプテューヌの言っていることが半分も理解出来なかったが、とりあえず謝っておく。もしかしたら打ちどころが相当悪かったのだろうか。

 

「あーっ! 思い出した!」

 

 かと思うと、突然、ネプテューヌが大きな声を上げた。

 

「ど、どうしたのだ?」

 

 びっくりして聞き返す。

 ネプテューヌはあたふたと取り乱している。普通の慌て方ではない。この慌てようは尋常のものではなかった。

 ああ、よっぽどひどい後遺症を与えてしまったのか。ものすごく申し訳ない気持ちになる。

 

「悪いんだけど……おねーさんの力を見込んでお願いしたいことがあるの!」

 

 強引に腕を掴まれ、引っ張られる。

 

「……ぬ?」

 

 ネプテューヌのテンションについていけず、戸惑いを覚える十香。

 一体、何をそんなに慌てているのだろうか。

 というか、彼女の思考パターンがまるで読めない。

 さっきから何が何だか分からないまま、ネプテューヌに振り回され、翻弄されてばかりいる。よくもまあこれだけ次から次へと素っ頓狂な言葉が飛び出てくるものだと関心してしまう。

 顔をしかめる十香に、ネプテューヌは言った。

 

「”ネプギア”がピンチなんだよー!」 

 

   ◆ ◆ ◆

 

 まだ昼間であるというのに薄暗い森であった。

 ネプテューヌを先頭に、十香がその後ろに続いている。

 ここは”神隠しの森”。

 その名のとおり、鬱蒼とした森に覆われており、迷路のように複雑に入り組んでいる。

 いや、というよりも同じような地形がずっと続くのだ。印象が薄いというか……同じような風景ばかり。そんな場所を延々と歩かされれば、前に進んでいるのか元の場所に戻っているかの判断もつかなくなってくる。ちょっとした前後不覚に陥りそうになる。

 ここに足を踏み入れた者たちをじわじわと精神的に追い詰めていく。そんな意図を感じた。現に、ここに足を踏み入れた生徒たちは大半がそうした不安に陥っている。引き返そうとしても自分がどこから来たかも分からない。それを繰り返していく内に、少しづつ精神を蝕んでいく。そうして疲労が限界に達して足を止めたときが最後。その生徒たちの行方はどこにも知れない。遺体どころか、骨さえ見つかってないのだという。

 まるで森が人を喰ってしまったようだと恐れられた。

 それ故、初心者はこの場所に足を踏み入れることはない。

 ネプテューヌの足取りは迷いない。ときおり立ち止まっては、手に持った携帯端末を見比べている。うんうんと頷きながら、確信のこもった表情で歩を進めている。

 彼女の持っているものが何なのか、ちょっとだけ気になった。

 

「それは何なのだ?」

「これはNギアっていうんだ。いーすんからもらったんだよ」

 

 えへへー、いいでしょー、とネプテューヌが紫色の携帯端末を見せびらかしてくる。

 

「この学校ってただでさえ迷いやすい構造をしているでしょう。おしっことか我慢してて、トイレとか行きたくなったときとかすごく困るんだよね。でも、これさえあれば大丈夫!」

 

 えっへんと、ぺたんこの胸を張るネプテューヌ。

 

「なんと、ネプギアに電話すれば、トイレの位置をいつでも教えてくれるんだ!」

「ほう、そいつは便利だな」

「でしょでしょー。調査団が使ってるリストコムとかは一定の距離でしか通信できないんだけど、このNギアは距離の壁なんてお構いなしなんだ。いつでもどこにいても連絡出来るし、お互いの場所もマッピングされてるから遭難したときとかすごい便利なんだ。要するに、このNギアはリストコムの上位互換なんだよ!」

「ふむ、すごいな」

 

 機械にめっぽう疎い十香には、ネプテューヌの説明がほとんど暗号にしか聞こえなくて半分も理解出来なかったが、どうやら彼女の持つNギアとやらが、ネプギアの居場所を指し示している。ということだけは理解出来た。だからこの森でも迷わずにいられるのだろう。このNギアこそ、ネプテューヌとネプギアを繋ぐ、希望の光なのだ。

 なんにせよネプテューヌの案内がなければ、自分なんかすぐに迷ってしまっただろう。そうでなくても、こんな場所に一人で足を踏み入れたくはない。こんな薄暗くてじめじめとした場所に一人で取り残されたところを想像するだけでも寒気がする。このおちゃらけた少女の背中が、ほんの少しだけ頼もしく感じられた。

 しかし、あれだけ騒がしい彼女も、どこか元気がないように思えた。よっぽどネプギアという人物の安否が気になるのか。それとも、この先に待ち受けるモノが、相当の難関なのだろうか。

 ネプテューヌの話によると、ネプギアは神隠しの森に棲みつくモンスターに捕らわれてしまったのだという。このエリア一帯を根城とする”ヌシ”に。

 

(十香さん。あまり奥には足を踏み入れないで下さいね。入り口付近ならば弱い魔物ばかりですが、奥地には危険なヌシが住み着いております。くれぐれもご注意を)

 

 ビジュツブブチョウの言葉が脳裡に蘇る。お互い初対面だというのに、何から何まで親切なやつだった。しかし、折角のありがたい忠告も、こうして破ってしまったが。

 

「普段ならあんなやつわたし一人で十分なんだけど、油断してたら手痛い反撃をくらっちゃってさー」

 

 そのときのことを思い出したのか、ネプテューヌは苦々しそうに言った。

 

「……もう色々と吸い取られて力が出ないんだ。女神化を封じられるどころか、スライヌに苦戦する羽目になるとは思わなかったよ」

「ぬ?」

 

 十香は首をかしげる。一体、ナニを吸い取られたというのか。

 ネプテューヌにそう聞こうとした、そのときだった。

 背筋がぞわっとした。

 

 

 ――見られている!

 

 

 とっさに振り返る。

 姿は見えない。

 だが、気のせいではない。木々の間から、何かがこちらを見ている。

 

 

 ――何者だ!

 

 

 粘り気のある、嫌らしい視線だった。

 暗闇の向こう側からじっとりとした、濃密な気配を感じる。

 剥き出しの殺意。

 相手はそれを隠そうともしていない。

 少しでも隙を見せようものなら飛びかかってきそうな、危ういものを感じる。

 びっしょりとした汗で、ワイシャツが張りついている。汗を吸ったブラが重い。

 十香は目を逸らさない。

 おそらく相手もそうしているだろう。

 無言のにらみ合いが続く。

 かと思うと、視線が外れた。身を翻したのだと分かった。

 枝の折れる音だけを残して、そいつは立ち去った。

 

 ――なんだ、諦めたのか。どういう風の吹き回しだ?

 

 十香は警戒を解いた。

 時間にしてわずか数秒。だが、あの一瞬は永遠のものであるように十香は感じられた。

 

 ――何だったのだ、あれは。

 

 ただならぬ相手だと思った。スライヌなんかとは比べ物にならない重圧を感じる。

 しかし、前を歩くネプテューヌがそれに気づいた様子はない。

 脅威はひとまず去ったが、油断は出来ない。彼女にも知らせておく必要がある。

 

「ネプテューヌ――」

 

 彼女に注意を呼びかけようと試みたそのとき、

 

「しっ! 静かに」

 

 ネプテューヌが口の前に人差し指を立てて、遮ってきた。

 

「どうしたというのだ」

 

 十香の疑問に応えるように、前方を指差した。

 

「見える? ほら、あそこに……」

 

 ネプテューヌが指差した方角を見る。

 なんと切り株の上に、少女が横たえられていた。

 

「あの子がネプギアだよ」

「なんと……あれがお前の探し人か」

 

 清楚な乙女。

 それが十香の抱いた第一印象だった。ネプギアの顔立ちは少女のようなあどけなさが残るものの、腰まで届くロングヘアーは大人の魅力のようなものを感じさせた。

 身の丈もネプテューヌより頭一つぶん高い。発育もネプギアが勝っている。出るところは出て、引っ込むところはしっかりと引っ込んでいる。

 そして、二人が姉妹であることは、十香にも分かった。

 紫色の髪といい、服のセンスといい、頭につけた髪飾りといい、何から何まで二人の雰囲気はそっくりだ。

 

 ――ネプテューヌが妹で、ネプギアが姉だな。

 

 十香はそう目算をつけた。誰の目にも、アレが姉であることは間違いない。

 

「見て、あれがヌシだよ」

 

 緊張した声でネプテューヌが言った。

 暗闇に目を凝らす。ネプギアの傍らに、スライヌがいた。

 一見すると普通のスライヌにしか見えない。だが、驚くべきことにそいつは身体の一部を蝕手のように伸ばしている。どうやらあの個体は、身体の一部を自由に伸縮出来るらしい。

 それからネプギアの衣服の隙間という隙間から蝕手を突き込み、身体を執拗に撫で回している。

 そのたびに、ネプギアの口から喘ぎ声が漏れる。

 なんだか妙に色っぽい。というか彼女の上げる悲鳴の中に、ところどころ喜色が入り混じっているのは気のせいだろうか。

 もうこのまま放置してもいいんじゃないの? なんて考えを抱いてしまう。

 

「お願い。ネプギアを助けてくれる」

 

 ネプテューヌの声で現実に引き戻される。

 

「今のわたしじゃ、ダメなの」

 

 それはさながら姉の安否を気遣う、健気な妹。本当は自分の手で救い出したいのだろう。自分の無力さに打ち震えながらも、こうして他人に頼ることしかできない。

 十香は、その献身的な姿に心打たれる。

 

「いいだろう。ここは私に任せておけ。お前の姉を救うと約束しよう!」

 

 そっとネプテューヌの肩に手を置いた。お前の願いはしかと聞き届けたと安心させてやるように。

 しかし、当のネプテューヌがきょとんとした顔でこちらを見返している。

 

「どうしたのだ?」

 

 何か納得のいかないことでもあったのだろうかと心配になる十香に、

 

「えっと、違うよ。わたしは妹じゃなくて姉だよー」

 

 ネプテューヌはさらりと言ってのけた。

 ぽかんとなった。間抜け面を晒していた。

 

「ぬ……イ、イモウト?」

 

 まじまじとネプテューヌ見つめ返す。

 

「お前が、アネ? イモウトじゃ、なくて?」

「ううん、ネプギアが妹だよ。わたしはその姉なのさー」

 

 なぜかよく間違えられるんだよね、とネプテューヌは笑った。

 

「なんと……」

 

 雷に打たれたような衝撃に襲われた。

 まさかこのちびっちゃい方が姉であったとは。言われなければずっと勘違いしていただろう。にわかには信じがたいことではあるが……そもそも建物の中に、こんな異次元空間が広がっていること事態が奇想天外。ならば、ちびっちゃいのが姉だという話も有り得る話かもしれない。

 世の中はまだまだ広いのだと思い知らされる。

 

「た、大変だよ!」

 

 ネプテューヌの声で、はっと我に返る十香。

 なんと、ネプギアの衣服が溶かされている。もうすでに布一枚しか残っていない。あの蝕手には触れたものを溶解する能力があるのか。溶かされたのが衣服だけで済んだのは僥倖だといえよう。

 

「このままだとネプギアが、ムフフでアッハーンなことになっちゃうよー!」

「むふふであっはん?」

 

 それが意味するところを理解できなかったが、おそらく大変であることには変わりないと解釈。あれが皮膚に直接触れればただでは済まされないだろう。考えただけでもぞっとする。

 早いところあの子を助けなくては。

 十香はヌシめがけて疾駆した。

 こちらに気づいたヌシが、十香の行く手を阻まんと蝕手を伸ばしてくる。

 

 ――遅い。

 

 身をかがめて蝕手を交わす。

 ナメクジのように緩慢な動作だった。

 やはりヌシといえど所詮はスライヌ。というより、今まで相手にしてきたスライヌたちよりも鈍く、動きが読めてしまう。拍子抜けしてしまうほど余裕だ。

 この程度の相手ならば《塵殺公 ( サンダルフォン)》を解放するまでもない。

 だが、今は人命救助が先だ。それに、この程度の相手ならば無理に撃破を狙う必要もないと判断。スライヌを無視してネプギアへと向かう。まずはネプギアの身体から、スライヌを引き剥がしてやろう。そう思って蝕手へ手を伸ばした――が、そこで思いもよらぬことが起こった。何かにつまづいて十香の身体が、地面に叩きつけられる。

 

「ぬ?」

 

 脚に何かが巻きついている感覚。見れば、蝕手が十香の脚に絡みついていた。

 

 ――いつの間に?

 

 振りほどこうと拳を振り上げる。

 しかし、その動きを読んだように、また別の蝕手が十香の腕に巻き付いた。

 

「なにっ?」

 

 意外に素早い。さっき見た緩慢な動きが、嘘のような俊敏さだった。

 まさか、最初の鈍い動きはこちらを油断させるためのフェイクだったとでもいうのか。

 そうこうしている内に、十香の全身に蝕手がぐるぐると巻き付いてくる。思いもよらぬスライヌの反撃に、十香は戸惑いの声を上げた。

 

「な、ななっ、何をするのだ!」

 

 蝕手が衣服の中に侵入してくる。

 素肌をなぞるざらざらとした感触。あまりの気色悪さに鳥肌が立った。

 抵抗しようともがく。

 手足を封じられていて、ろくに身動きなんて取れるわけがない。

 身体の敏感な部分――とても口には出せないような、あんなところやこんなところを撫で回される。気色が悪い。だけど身体は嘘をつけない。感じちゃう。

 

「や、やめろっ、そんなところに入るんじゃない! く、くすぐったいではないか。やめろ、やめるのだぁ――――――――っ!」

 

 奇妙なむず痒さが全身を駆け巡る。ビクンビクンと痙攣する。

 

「おねーさん!」

 

 ネプテューヌの叫び声が聞こえる。それも段々と遠ざかっていく。

 傍らでは、ヌシが勝ち誇ったように何かをしきりにわめいている。

 遅れて、ヌシが笑っているのだと気づいた。スライヌの顔が、中年男性のソレに変貌を遂げていた。愛くるしかった顔は面影すら残っていない。醜悪で、いやらしい表情をしていた。

 頭がおかしくなりそうだ。全身から力が抜けていくのが分かる。

 何かが、自分の身体から吸い取られていると思った。

 ヌシの蝕手には、触れた相手の生命力を吸収する能力があった。まずは近寄った相手を油断させ、じわじわと相手を弱らせる。そして、最後には自らの養分として取り込んでしまう。

 まるっきり食虫植物のような手口だ。恐ろしい相手だった。

 きっとネプテューヌもこうして力を吸い取られてしまったのだと思った。

 十香の意識はすでに飛びかけている。

 目の前が真っ白になる、その寸前――

 閃光が駆け抜けた。

 触手が切り裂かれ、全身を締めつける圧迫感がなくなる。瞬く間に、十香の身体が解放されていく。

 

 ――な、何だ。

 

 一瞬のできごとに、何が起こったのかまるで分からない。とにかく、自分が助かったということだけは分かった。

 

「……あなた、何をしているの」

 

 無愛想な声に、振り返る。

 そこにいたのは怪訝そうな目をした、鳶一折紙であった。手には輝くような光の剣。レーザーブレイドが握られている。おそらくそれでヌシの蝕手を切り裂いたのだろう。

 

「お前ッ……何でこんなところにいるのだ!」

 

 十香は叫んだ。

 

「それはこっらのセリフ。おかげで探すのに苦労した」

 

 折紙はちらり、と横目でヌシを睨みつけた。

 

「よりにもよって、あんな雑魚に手こずるなんて、恥知らずもいいところ。これだとあなたに手こずっていた私が馬鹿みたい」

「何だと……っ!」

 

 ぎりり、と唇を噛みしめる。

 なんでこいつはこちらの感情を逆なでするようなことしか言えないのか。そりゃ油断していた自分が愚かだと言われれば、否定のしようもないのだが。

 そこへ新たな蝕手が飛んできた。

 二人は後ろに飛んでそれをかわす。鞭のように激しくうなりながらしつこく追尾してくる。ヌシの動きは蛇のように諦めを知らず、より嫌らしさを増したものに変化している。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。これがやつの本性なのだと思った。

 

「夜刀神十香……あなたは後ろで大人しくしていて」

「お前に指図される謂れはないぞ」

「どうせ、その身体ではまともに動けない。足手まといだから下がってて」

「ぬ……」

 

 見抜かれていた。身体がふらついて立っていることさえやっとだった。

 

「でも、あなたが引っかかってくれたおかげであいつの特性が掴めた。それだけは感謝してる」

「ぐぬぬ……」

 

 蝕手が迫る。折紙がレーザーブレイドを振り回してそれらを両断。じゅっと音を立てて、スライヌの蝕手が蒸発していく。だが、斬っても斬ってもそこから新しい蝕手が生えてくる。どうやらあの身体には相手の力を吸い取るだけではなく、自己再生能力も兼ね備えているらしい。スライヌのくせになんとも厄介極まりない。

 折紙は悔しそうに歯噛みする。

 

「これでは埒が明かない……こんなやつCR-ユニットさえ使えれば」

 

 吐き捨てるようにそう言いながらも、蝕手を斬り落とす手を止めない。奴の再生を上回るだけの力がこちにあれば。しかし、泣き言をいってもそんな都合の良い兵装はこちらに存在しない。

 

 ――考えろ……。

 

 折紙は、スライヌの全身を舐め回すように観察する。必死に思考を巡らせる。

 どんなに強靭な相手でも、どこかに必ず綻びが存在する。生き物である限り、それは覆しようのない事実であろう。多分、あの軟弱そうな頭部が核。敵の急所であろう。

 

 ――あそこを突けば、殺せる。

 

 そう見切りをつけてからというものの、折紙の動きは迅速であった。レーザーブレイドの出力を最大にまで解放。ヌシめがけて文字通り、飛んだ。

 折紙のただならぬ気配を感じ取ったのだろう。ヌシが慌ててネプギアを解放する。そして、全部の触手を折紙めがけて飛ばしてきた。

 自らに殺到する蝕手を光剣で残らず防ぐ。その威力は攻守共に申し分のない。触れたものを片っ端から焼き払っていくトンデモ兵器。

 白兵戦最強と謳われた、最新鋭の武器の前では、どんなモンスターも歯が立たない。

 ヌシの必死の抵抗もむなしく、折紙は本体へと到達。

 致命の一撃を与えてやるべく、折紙はレーザーブレイドを振り下ろした。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「本当にありがとう」

 

 ネプテューヌは頭を下げた。

 

「いや、いい。私は大したことは出来なかったしな」

 

 十香は後ろを振り返る。折紙は腕を組んだまま、我関せずと言わんばかりに、木に寄りかかっている。あまり認めたくはないが、あそこで折紙が来なかったらあのスライヌの養分と成り果てていただろう。

 

「で、お前はこれからどうするのだ」

「一回、寮に帰るよ。ネプギアがこんな状態だし、放っておくわけにもいかないしねー」

 

 ネプギアを背負いながら、ネプテューヌが言った。当の妹の方はというと、すうすうと可愛い寝息なんか立てている。命に別状はなさそうだ。

 

「あっ、そうだ。おねーさんたちクラスどこなの? 今度お礼に行くからさー」

「私も、後ろにいるやつも2‐Aだ」

「あれっ、同じクラス。なんだぁー、同級生だったんだぁー」

「なんと、そうだったのか」

 

 またしても驚かされた。ネプギアの姉だったという事実を上回る驚き。まさか同級生だったとは。ということは自分と同い年ということ。

 しかし、こんな目立つやつが同じ部屋にいれば気づきそうなものだが、全く気づかなかった。

 

「じゃあねっ、また明日」

 

 ネプテューヌが手を振った。十香も手を振り返す。

 

「ああ、またな」

 

 その姿が遠方の彼方に消えてなくなるのを見届けてから、十香も歩き出した。

 さて、思わぬ道草を食ってしまった。早いところスライヌのゼリー体を持って、ビジュツブブチョウの元に届けなければ。さっきの場所まで戻る必要がある。通りかかった誰かが、持ち去ってなければいいが。だが、その前に――

 

「何でついてくるのだ」

 

 十香の後ろを、折紙が無言でついてくる。

 

「別に。なんとなく気が変わったから」

「私とは別行動を取るんじゃなかったのか」

「本音を言えば、そうしたいのは山々だけど、あなたと行動することが、今の私にとって最善だと思えたから」

 

 折紙は訳のわからないことを言った。嫌いだけど行動するとは、どういうことなのか。

 

「何が言いたいんだ?」

「残念だけど、校舎の隅から隅を探しても”あの人”の痕跡はどこにも感じられなかった。あと探していない場所といえば、立ち入り禁止区域のみ。だけど、私一人ではそこを探すのは骨が折れる」

「ふむ。だから、私の力を借りたいと?」

「そう。精霊の力を借りるのは癪だけど、CR-ユニットが使えない以上、あなたの力に頼るしかない。それに……元いた場所の繋がりを感じられるのはあなただけ。それまでは、お互いに協力し合う方がいいと思う。もちろんあなたにも手を出さないことを約束する」

「私を利用するつもりか?」

「有り体に言うならそういうことになる。お互いにとって、それが一番だと思うけれど」

 

 十香は折紙の顔をまじまじと見つめた。嘘をついているようには見えない。だが、本当のことを全部話しているかというと、そうとも思えない。腹の底では何を考えているのか分からない。

 

「いいだろう。私もこの校舎の造りに、途方に暮れていたからな。異論はない。だが、これだけは言っておこう。私はお前を信用するつもりはない」

「安心して。こっちもそのつもりだから」

「よし、そうと決まれば、折紙。さっそく手伝ってもらうぞ」

「何を?」

 

 首をかしげる折紙を、さっきの場所にまで連れて行く。スライヌのゼリーが山のように積み重なっている。これにはさすがの折紙も驚いたような声を上げた。

 

「こんなゴミ……何に使うの?」

「ゴミとは失敬な! ビジュツブブチョウを馬鹿にするのは許さんぞ!」

「美術部、部長?」

「ああ、そうだ。お前に振り回されたあげく、途方に暮れていた私を助けてくれた親切なやつだ。ご飯も食べさせてくれたんだぞ。だから、これはせめてものお礼なのだ」

「ふぅん」

 

 折紙が曖昧に頷いた。

 

「で……これ全部どうやって運ぶつもり?」

「そりゃ手で運ぶに決まっておろう」

「そう……」

 

 折紙は呆れたようにため息をついた。

 

  ◆ ◆ ◆

 

 結局、全部を持ち帰ることは出来るわけもなく、持てる分だけ持ち帰った。渋る十香を諌めながら、ダンジョンを後にする。

 それでも両手いっぱいに大量のゼリー体をもって校舎を歩き回る羽目になった。道行く生徒たちの好奇の視線をたっぷりと浴びながら、歩き回ること数時間。

 やっとのことで美術部の前に辿りついたときには、

 

「い、いったい何事ですか!」

 

 中にいた女子生徒が悲鳴をあげて後ずさった。モンスターの死体の一部を持って、見知らぬ人たちが乱入してくるのだ。驚くのも無理はない。

 部長からの正式な依頼であることを伝えると、

 

「あー、そういうことだったんですか。でも次からは直接手渡しじゃなくて調査団の方に渡してくださいね……モンスター素材の納品やら管理とかは、あの人たちの管轄ですから」

 

 あぁスライヌとかマジきもいですぅ、と不平不満を漏らしながらも中に入れてくれた。なんとか誤解が解けたようで安心する。

 

「ところで、ビジュツブブチョウはどこにいるのだ?」

 

 十香が言った。

 

「部長? ああ、あの貴戸さんなら今外出中ですよ」

「いつ戻るか分かるか?」

「うーん、ごめんなさい。それは私にもわからないです。今日はまだ部室には一度も顔を出していないようですが、来るかどうかまではなんとも……もし明日以降でよければ、私の方から伝えておきますけれど」

「ぬ、そうなのか」

 

 残念そうに肩を落とす十香。せっかく飯にありつけると思ったのだが、本人がいないなら仕方がない。

 と、そこである物が目に入った。

 壁に立てかけられた一枚の絵画。とても巨大な絵だ。

 

「……あれは何なのだ?」

 

 十香が指をさした。

 

「ああ、それですか。ポール・ゴーギャンっていう、昔の画家さんの作品らしいですよ。題名は何て言ってたっけなぁ。たしか……我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか……だったかな」

 

 私はこういうのからっきしで、と女子生徒は笑った。

 

「たしか、ゴーギャンさんはこれを遺書として描きあげたらしいですよ。貴戸さんがいたらもっと詳しく教えてくれたんでしょうけどね。ほら、あの人ってミステリアスなところがあるでしょう。まあ、そこが憧れてしまうところなんですけどね」

 

 二人は、絵に視線を戻す。

 右の方には子供がいて、真ん中には成年、左には老女がいた。左に行くにつれどんどん成長していってるのが分かる。作者がこれをどんな気持ちで描いたのかは分からない。

 十香と折紙は互いに押し黙ったまま、絵画をしばらく見続けていた。

 

 ――我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか。

 

 それを皮肉と呼ぶのなら、あまりにも出来すぎているように思えた。

 自分たちは訳も分からないまま、この校舎をさまよい続けている。いるかもどうかも分からない”あの人”を探し求めて。

 私たちはどこから来たのか。そもそもこの世界は実在するのか。どこからが本当で、どこまでが虚構なのかが分からなくなってくる。

 この旅の果てに、私たちはどこへたどり着くのか。

 その答えを、二人は見つけられないでいる。

 見つけられるかも定かではない。

 見えるのは先行きの見えない不安だった。

 


 
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