真恋姫無双 幻夢伝 第九章 4話 『朝日よ、昇れ』
明かりのついていない工房。沙和が見たのは、倒れ伏す真桜の姿だった。
「真桜ちゃん!」
彼女の体を抱え上げる。炭で黒く汚れた顔で、彼女は呻いていた。
「真桜ちゃん、真桜ちゃん!」
周りを見ると、職人たちも工房の床に倒れたり座り込んだりしている。まさか銀を大量に吸い込んだことによる中毒か。
「さ、さわ……」
真桜が、かすれた声で名を呼ぶ。沙和が彼女の体を揺さぶりながら尋ねた。
「何があったの?!」
「うう……」
その時、真桜のお腹がぐうと鳴った。
「おなか…へった……」
「はあ?」
「それで、大丈夫なんだな?」
「頑張りすぎて、あんまり食べてなかったらしいです。まったく、心配したの!」
ほほを膨らます沙和が持ってきた資料を、アキラが読み進めていく。そして呟いた。
「全部で一万本か……」
「銀が見つからなかったのよ。それ以上は用意できなかったわ」
隣にいた詠が眉間にしわを寄せる。音々音も、ため息をつくしかなかった。
中国大陸はもともと銀鉱山が少ない。明代に銀が貨幣として流通することになるが、その原料の多くは日本から輸出されたものだった。元代にマルコ・ポーロが、日本を“黄金の国”と呼んだのは、日本と比べて鉱物生産量が少ない中国の事情を示している。
剣が一万本、ということは、一万人しか動員できない。アキラたちの見立てでは、白い一刀は100万人を超えるほど増えている。これで勝負になるのか。
「やるしかない、か」
「アキラ」
と呼ぶ声がした。華琳が部屋の入り口に立っている。心なしか、表情が暗い。
「ちょっといいかしら」
「ああ。こっちも言うことがあるんだ」
彼らは空いている部屋に入った。2人の他には誰もいない。アキラが扉を閉めると、華琳は窓の外を眺めながら、口を開いた。
「アキラ、その…」
「俺がおとりになる」
華琳が驚いて振り返った。彼女の視線の先には、彼の笑顔があった。
「敵は、俺に引き寄せられている。そうだろ?」
「……ええ」
華琳はうつむいた。
数々の戦いの中で彼女たちは、敵はアキラを目標にしているという“法則”を見つけた。たとえば、敵の集団に別々の道から攻め寄せた場合、数キロ以上離れていても、敵はアキラがいる方に集まっていた。中には、目の前の魏軍の兵士に背を向けてでも、アキラの方に動いていった敵もいた。
「やつらの根幹があるとみられる“あの場所”に近づくには、俺がやつらを遠ざけないといけないだろう。この兵力差だ。そのくらいはしないといけない」
「……なんで」
華琳は震える声で彼に尋ねる。
「なんで、そんなに冷静なのよ……」
「………」
「死ぬかもしれないのよ!」
アキラはまだ笑みを浮かべている。その態度が、すでに命をあきらめているようで、彼女は気に食わない。
「もっと怯えなさい!抵抗しなさい!」
「華琳…」
「もっと…」
華琳の目から、涙がこぼれた。
「私を、頼って…」
アキラは彼女を抱きしめた。彼女の顔が、彼の胸にうずまる。
「すまない。つらい思いをさせる」
「あなたがこのまま消えてしまいそうで、わたしは、わたしは…」
「約束するから」
アキラは彼女を強く抱きしめる。彼女の涙が、彼の服を濡らした。
「絶対に、絶対に、戻ってくる」
「ああ、アキラ…」
いよいよ明日、出陣する。洛陽の一室に集まった魏、呉、蜀、そして汝南の武将たちは、桂花の説明に耳を傾けている。
「…ということで、我々は太原まで移動して、東から敵の本拠地を攻撃します。陣容は先ほど申し上げた通りですが、なにか質問はありますか?」
「ある」
桔梗が手をあげた。立ち上がり、アキラを指さした。
「李靖がいないではないか。いまいましいが、奴は重要な戦力だ。理由が知りたい」
「俺は…」
アキラが、その理由を述べる。
「西に向かい、奴らを引き付けるおとりとなる」
「なんじゃと!?」
桔梗が驚きの声をあげ、動揺が広がる。まだアキラや華琳しか知らなかった。
詠が代表して、アキラを問いただした。
「なにを言っているのよ!アキラ!」
「落ち着いてくれ。これには意味がある」
アキラはやつらの“法則”について語った。それでも、彼がおとりになることは、蜀の武将でさえ眉をひそめた。
詠が悲鳴に似た声で、彼に詰め寄る。
「あんた、どういうことか分かっているの?!しかもさっきの作戦通りだったら、アキラ一人だけじゃない?!逃げられないわよ!」
「逃げるつもりはない。お前たちがたどり着くまで、粘り続ける」
「ふざけないで!」
詠が髪を振り乱して怒る。彼を信奉する部下たちも立ち上がって、口々に非難した。
「かっこつけるな!お前についてきた私たちはどうなる!?」
「アキラさん!行ったらダメです!」
「なんでやねん?!ウチも連れて行け!」
「そうです!隊長、我々も!」
「ウチらが信用できないんですか?!」
「ずっと一緒だったの!これからも!」
「アキラ…!」
「おまえだけじゃ心配なのですぞ!」
蓮華も激昂して立ち上がった。
「アキラ!姉さまのところに行くつもり!?そんなこと絶対に許さないわよ!」
「蓮華さま、落ち着いてください」
「思春、黙りなさい!…アキラ、姉様たちに続いて、あなたまでいなくならないで。私を一人にしないで……」
魏の武将たちも怒鳴ったり、すがったりなど、部屋の中は大混乱に陥った。特に季衣と流琉は、愛らの服にしがみついて泣きじゃくっていた。華琳だけは静かに座っている。
それらの姿を見て、星が愛紗にぼそりと言った。
「私たちと同じだ」
「ああ」
騒々しい部屋で、アキラが声を張り上げる。
「聞いてくれ!俺は死ぬために行くのではない!」
「じゃあ、何だっていうのよ!?」
「未来をつかみに行くためだ!」
詠たちは静まり返った。アキラは、季衣たちの手を外すと、彼女たちに優しく諭した。
「これは、俺に与えられた運命だ。俺にしかできないことなんだ。お前たちを信頼しているからこそ、俺は戦いに行ける」
「………」
「だからさ、早めに倒してくれ。俺もくたびれるからな」
と、おどけて、アキラはにやりと笑ったが、笑いかえす者はいなかった。彼は、詠に聞いてみる。
「納得したか?」
「してないわよ、そんなの……」
うつむく彼女の肩を抱こうとするアキラ。だが、詠は頭をあげると、その涙目でキッとにらんだ。
「これだけは覚えておきなさいよ」
「なんだよ?」
「ここにはね、あんたを愛している人が大勢いるっていうことよ。死んだら、ひっぱたくからね」
笑った詠のほほに涙がこぼれた。他の武将たちも熱いまなざしを向けてくる。黙っていた華琳や怒っていた蓮華は、唇をかんでこらえていた。
アキラはふうと息を吐くと、きっぱり言った。
「必ず、戻るから」
翌朝、まだ星が瞬いている頃、アキラは馬に乗った。彼女たちには同時に出発すると伝えていたが、どうしても湿っぽくなることは目に見えていた。彼はそれを嫌がったのだ。
永遠に別れるわけじゃない。アキラは、そう信じている。
誰もいない大通りを進む。昔、季衣や流琉とここを歩いていたことを思い出す。屋台をしながら、彼女たちと暮らしていた日々が、瞼の裏に浮かんでくる。ここで笑い、怒り、泣き、そして笑った。復讐に燃えていたあの時の気持ちさえ、アキラは懐かしさを感じる。
やがて城門が見えてきた。アキラは目を疑った。そこには、大勢の人影があった。
「遅いぞ、アキラ」
と、華雄が彼に微笑む。彼女たちは馬に乗っている。見送りではない。
「華雄…お前……」
「私だけではない。彼らも一緒に行く」
といわれて、他の者たちが笑みを見せた。まだアキラが李民と名乗っていた頃からの部下たちだ。数十人が、この場に集まっていた。
アキラは、怒った。
「お前らがどうこうできる相手ではない!死ぬ気か?!」
「“死ぬ”だと?お前が言ったんじゃないか。『未来をつかむため』だと」
「しかし……!」
「アキラよ、聞け」
空が白み始めた。華雄は、彼らの前に立ち、自分たちの気持ちを大声で伝えた。
「われらが君主よ!導きたまえ!あなたが示す光に、われらは集おう!」
オオー!と、彼らの声が響く。全員がアキラに笑顔を向けている。彼らは覚悟を決めたのだ。アキラは熱くなった目がしらを押さえ、それを隠すように顔を下げる。
やがて彼は心底困ったように、やれやれ、と口にする。その顔は、言葉とは裏腹に、ほころんでいた。
「まったく、バカばっかりで困るものだ」
「あるじに似たのだ」
笑い声が起きる。アキラも笑みをこぼして、そして言った。
「しょうがねえな!お前たちの命、俺があずかった!」
城門が開く。北の空はまだ暗かったが、彼らの後ろから、太陽が昇るはずだ。
アキラは、あの頃のことを思い出す。
「また、このメンツに戻ったな」
「ああ。ずいぶんと時間が過ぎたものだ。途中まで付き合うつもりだったが、こんなところまでたどり着いてしまった」
「後悔してないか?」
と聞いたアキラの肩を、パンッと叩いた。
「後悔させないように、頑張ってくれ。我があるじよ」
「お前こそ、しっかりついて来いよ」
「任せろ」
城門が八の字に大きく開き、黒い遠くの山々が見えた。アキラは南海覇王を抜き、北を示す。そして彼らに命じた。
「バケモノ退治に向かう!覚悟はいいな!?」
鬨の声が、洛陽の早朝に響き渡った。
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出発の日。衝撃の事実に、彼女たちはどう向き合うのか。