真恋姫無双 幻夢伝 第七章 6話 『五丈原の戦い 上』
コオロギが鳴く夜半の長安城は、騒々しい物音であふれかえっていた。馬超軍が渡河した当日のことである。その情報を聞いた時、アキラは決断を下した。
明日、決戦を行う。
本陣では、アキラが部隊長に対して細かく指示を出していた。命令を受けた部隊長ははきはきと返事をして部隊へと戻っていく。アキラは先日の戦いで彼らの信頼を獲得したようで、彼を見る魏軍の兵士達の目には尊敬の念が見て取れた。
彼らが全員出ていくのと替わって、風が本陣に入ってくる。
「お兄さん、出陣する兵の半数が城を出ましたよー」
「了解した。明日中には決着がつくはずだ。残りの半分にも食糧を持っていく必要はない、と伝えておいてくれ」
「ちゃんと伝えましたー」
「さすがだ」
風はすたすたと本陣の奥に入っていき、アキラと一緒に地図を覗き込んだ。渭水流域が描かれている。
アキラはぼそりと言った。
「もう月たちは着いている頃だな」
風は彼の気持ちを察して、不安の解消に努める。
「大丈夫だと思いますよー恋ちゃんもいますから」
「そう願うしかないな。月に傷一つでもついたら、詠になんて言われるか…」
月たちは風の献策通り、馬超軍に与した遊牧民たちの元に向かっていた。川を挟んでいるため、馬超軍には気付かれる危険はない。長安城の敗戦で不安が広がっている遊牧民たちに裏切り、もしくは中立するように、説き伏せに向かったのだった。
眉をひそめるアキラをよそに、風はこの策に自信があった。しかしその一方で、彼女は別のことに心配していた。
「明日、勝つ見込みはあるのでしょうかー」
「なんだ、急に?」
「いえ、お兄さんのことを疑っているわけでは無いのですけど、半数になったとはいえー、彼らはまだ強力です。こちらの被害も大きいかとー」
アキラはニヤリと笑う。
「安心しろ。だから“すぐに”出陣したのだ」
含みのある言い方に、風はそれ以上問うことはなかった。彼女もまた、彼のことを信じている。
「それではお兄さん、また明日」
「おう」
風が去った。アキラは再び地図を眺め、戦いの流れを予測して書き込んでいく。
すると今度は、風と同じくらいの大きさの影が入ってきた。
「ちょっといい、アキラ?」
と、シャオが尋ねてきた。“アキラ”と呼ばれたことに、彼は口をへの字に曲げる。
「おい。それは一応、俺の真名なんだ。お前に真名を預けた覚えはないぞ」
「良いじゃないの、月たちも呼んでいるんだし。それと私の真名は『小蓮』だから、シャオっていうのも真名みたいなものよ。自分は真名で呼んでおいて、シャオには呼ばせない気~?」
アキラは肩をすくめる。その一方で、彼女の急な態度の変化に戸惑っていた。
「なあ、俺が言うのもなんだけど、復讐はいいのか?」
「それはもういいの」
あっさりと言った言葉に、彼は胸を突かれた。立ち尽くしているアキラの椅子に、シャオがどっかりと座った。
彼女はその理由を話す。
「月や恋の話を聞いているとね、アキラがそんなに悪いやつじゃないことが分かったの。シャオは変な噂話よりも友達のことを信じたいから」
彼女たちとも真名を交換しているらしい。それに、と彼女は話し続ける。
「シャオは未来に生きる女なんだから!過去に縛られるなんて、ぜーったいにイヤよ!」
そう言うと、彼女はアキラに笑った。その笑顔が“あの人”に重なる。アキラは目に込み上げてくるものを必死に抑え、彼女に見せないように後ろを向いた。
彼は取り繕おうとして、話題を変えた。
「それで、一体何の用だ」
「あっ、忘れてた。それでね…」
と、シャオが聞こうとした時、兵士が本陣に入ってきた。
「李靖様、お時間です」
「あ、ああ」
ようやく感情を抑え込めたアキラは、シャオの方を見た。彼女は仕方ないと言ったようにため息をつくと、アキラに早く行くように促す。
「ほら、時間ですって」
「用事は良いのか?」
「ちょっと長くなりそうだから、帰ってきてからでいいわ。その間、シャオがこの城を守ってあげる」
アキラの背中を小さい手で勢いよく押す。本陣から追い出されたアキラが振り返ると、そこには満面の笑みの彼女が手を振っていた。
「さっさと戻ってきてよ!負けたら承知しないんだから!」
その姿がまた、“あの人”に重なる。
早朝、草原に立ちこめる濃い霧の中に、数えきれないほどの人や馬の影が浮かんだ。五丈原に荒々しい息遣いがこだまする。風が吹いてきているものの、まだ敵の姿は見えない。
稟はあの大きな外套を羽織って、戦場を見渡している。彼女は長安城の攻防の後、アキラからその外套を貰い受けていた。『別に良いが、大きすぎると思うぞ』と不思議そうに言われたが、今日もそれを羽織って戦場に赴いている。
彼女の隣にアキラがやってきた。馬を並べて、状況を話し合う。
「まだ動かないか」
「はい。おそらく咸陽のことを気にしているのでしょう。戦闘が始まるのは視界が開けてからだと思います」
咸陽の戦いでは、埋め込まれた壺からによる死角からの攻撃で、彼らはアキラに敗れている。霧で見えない状態に、馬超たちは警戒心を働かせているはずだろう。
彼はもう一方の状況について聞いた。
「対岸の様子はどうだ?」
「長安に残った風から連絡が届きました。動く気配は無いようです。2人の説得が一定の成果を上げたと思います」
「こちらはほぼ全軍を出撃させてきている。こちらが戦っている隙にやつらが急襲したら、すぐに戻らなくてはならない」
「ご心配なく。風の策はいつも手堅い。きっと成功しますよ」
と言って、稟はアキラに微笑んだ。その時、やっと霧が晴れてきて、敵の姿がうっすらと見えるようになってきた。
アキラは稟と一緒に敵の姿を眺めた。
「さて、始めましょうか」
「俺は前線で指揮をする。稟、お前は後方で戦局を見極めてくれ」
「分かりました」
彼らが乗った2頭の馬は、それぞれ分かれていく。霧はますます晴れていくばかりだ。
遠い山の頂上まで見渡せるほど、視界が開けた。真っ青な空の下に、黒い敵の塊が翠の目にはっきりと映る。広い平原に、自分たちを防ぐ策などは見てとれない。正面から相手と相対していた。
彼女の元に伝令が到着した。翠は敵の姿を見たまま聞いている。
「韓遂様より連絡。『自慢の騎馬で敵を打ち砕け』とのことです」
「分かった」
「それと、馬岱様からも連絡があります」
翠は始めて伝令の顔を見た。その兵士は首を傾げながら、彼女の言葉を伝える。
「『後ろにいるから、安心して』とのことです」
「……了解した!」
翠は槍を大きく振り上げ、愛馬の手綱を強く握る。馬の前脚が大きく上がった。
「西涼の戦士たち!あたしたちの強さを思い知らせてやれ!全軍、行くぞ!」
鬨の声と馬の嘶きがこだました。
馬超軍の一の太鼓が鳴る。この頃の合戦では、総大将が銅鑼や太鼓などで合図を出したり、兵を鼓舞したりする。平原での合戦の場合、太鼓は三回鳴らされ、それぞれ前進、突撃前の小走り、突撃を表す。
普通なら敵の太鼓に合わせて、こちらも太鼓を鳴らす。そうしないと、勢いに乗った敵を止められないのだ。
翠が馬超軍の先頭に立って、兵士達と一緒に歩き出した。全体の指揮は韓遂に任せており、彼女はいつも先陣を飾っている。
しかしこの日は今までと違い、いつまで経っても相手の太鼓の音が聞こえない。
(どうした?)
彼女が疑問を抱くと同時に、後ろから二の太鼓が聞こえた。全員が小走りになる。彼女の愛馬の息が荒くなる。
それでも奴らは太鼓を鳴らさなかった。
(ビビったな、李靖!)
三の太鼓が鳴る。翠は槍を小脇に抱えると、馬を駆けださせた。周囲の兵士や騎兵も全力で駆け出していく。
ようやく相手の太鼓が鳴った。だが、こちらはもう目前に迫っている。今、動き出しても遅い。
「西涼の剣を味わえ!」
翠を先頭とした騎馬隊が、盾を構えた敵の歩兵の頭を越えるようにして、魏軍に雪崩れ込んだ。
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アキラが率いる魏軍と馬超軍の決戦、ご期待ください。