「ご主人様」
朝、ご主人様に判断してもらわなければならない案件を持ち部屋を訪ねた。
「ご主人様?」
しかしいくら扉を叩いても応答がない。
勝手にご主人様のお部屋に入ってしまうのは気が引けたが、
そうも言っていられないので部屋へ入る事にする。
「ご主人様、至急目を通して頂きたいものが──」
扉を開け、そこまで口にしたところで言葉を止める。
部屋には誰もおらず、寝台にも寝ている痕跡はない。
こんな朝早くからどこへ行ったのだろうか。
一言くらい私に言っておいてくださればいいのに。
常日頃から思っていた。
あの方は仕事はきちんとこなしてくれるが、少し自由が過ぎる。
別にそれが悪いという訳ではない。
只、こんな時代、いつどこでご主人様の命を狙う輩がいるかもわからないのだ。
星や鈴々は心配しすぎだと言うが、私はそんな風に楽観的になれない。
先の戦いで充分すぎる程にご主人様の強さは知っている。
それでも私は放っておけない。
何より私に黙って行動する事にやきもきする。
「…………?」
自分で思ったことに疑問を感じる。
なぜ私に報告する必要があるのだ。
私はご主人様の臣下なのであって、
ご主人様がご自分の予定を私に逐一報告する必要などどこにもない。
政務を怠っている訳でも、警邏を怠けている訳でもない。
むしろ一生懸命こなしてくれている。
しかしご主人様の予定を把握できていないとなぜが不安になる。
不安……とは違う気もするが。
どう表現すればいいのか、自分でもわからない。
胸の奥──とでも言えばいいのか、
その辺りがすごくもやもやして苛々してしまう。
ご主人様と凪が一緒に居る時も、
同じように苛々というかもやもやというか。
そんな気持ちになってしまう。
とはいえ、ここに居ないのではどうしようもない。
探しに行きたい気持ちは山々だが、私にも仕事はある。
この案件も今すぐに終わらせなければならないという訳でもないし……
そこでまた疑問に思う。
急ぎの案件ではないのに、なぜこんな朝早くに、
それも至急目を通して……などと言い部屋を訪ねたのか。
決して急ぎではない。
確かにご主人様に判断して頂かなければならない案件だが、
それこそたまたま廊下で顔を合わせた、くらいの時に報告すればいいのだ。
自分でも訳がわからない。
ご主人様と出会ってからというもの、こういった事は何度もある。
特に用もないのに、無理にでも用事を作り部屋を訪ねたり、
自分の持ち場の警邏を早く終わらせご主人様と合流したり、
桃香様でも判断できる案件をご主人様に持 って行ったり。
ぱっと思い出せるだけでもこのような不可解な行動は多々ある。
気持ちが悪い。
自分の気持ちがわからない事が、気持ち悪い。
「……兵の調練をしなければ」
考えれば考えるだけ深みに嵌っていきそうだったので仕事をすることにする。
今日は午前は兵達の調練で、午後の予定は無く、半休だ。
その時にでもまた探すことにしよう。
そう思い直し、私は調練場へ向かった。
兵の調練をしている最中、
「何か気になることでもあるのか?」
突然、星がそんな事を言ってきた。
「なぜだ?」
「いや、集中できていない様子だったのでな。そんな事では兵達の練度が中途半端になってしまうぞ」
「む──!」
言い返そうと思ったが、星の言うことは正論だった。
私は調練の最中だと言うのに、ご主人様の事を考えていた。
「そう睨むな。嫌味を言っている訳ではない、事実を言っているだけだ。
中途半端に調練をされては連携に支障が出る」
「……すまない」
「おや」
私がそう返事をすると、星が軽く驚く反応を見せた。
「なんだ」
「いや、お主が素直に謝罪するとはな。
よほど気がかりな事があるらしい……ふむ、少し待て」
そう言い調練をしていた兵達に休憩を言い渡し、こちらに戻る。
「おい、休憩にはまだ早いだろう」
「そう言うな。本来二人でしていることを今は一人と半分の力でしか出来ていないのだ。
身にならない調練ならばしないほうが良い」
「むぅ……」
悔しいが星の言うとおりだ。
いつもどおりにしているつもりだったがそうではなかったようだ。
自分の不甲斐なさが憎い。
「で?」
さぁ話してみろと言わんばかりの姿勢で、短く問いかけてくる。
「……気持ちが悪い」
「失敬な。人が話を聞いてやろうと言うのに気持ちが悪いとは」
「あ、いやそうではない。
……自分が気持ち悪いのだ」
「ん?体調管理を怠ったのか?お主らしくもない」
「そうでもなくて!」
「すまんがもう少しわかりやすく言ってくれ。
抽象的すぎてわからん」
仕方がないので今朝から思っていたことを星に話す。
自分の不可解な行動、想い。
胸の奥に疼く、もやもや。
……………
……
…
「一緒に風呂だと!?あまつさえその場で真名を授かるなどと……!
つい先日来たばかりの客人、それも未亡人を相手にだ!」
「お、おぉ……そうか。
とりあえず少し落ち着け。兵達が何事かと見ているぞ」
「む……すまない。少し興奮してしまったようだ」
「少し……?いやまて。お主なぜ主と馬騰が共に湯浴みをしていた事を知っている。
まさか覗いたのか?」
「そ、そんな事するはずないだろう!私も風呂に入ろうとしたらたまたま二人の声が聞こえてきただけだ!」
「……風呂の順番は決まっていたはずだが」
「ひ、人は完璧ではない。間違えることもある」
「…………」
「朱里と雛里だって間違えることがあるんだ。あの二人がだ。
虎だって獲物を取り逃がすこともあれば獣道で転ぶこともある。
獅子は兎を狩るにも全力を出すとご主人様も言っていただろう。
あれは兎だってやるときはやるんだぞという事を暗に示しているのではないかと思う
つまりは私もそういう事だったのだ」
「お前は一体何を言っているんだ」
「お前がいらぬ疑いをかけてくるからだ」
「…………」
「な、なんだ」
「そうかそうか。あの愛紗がなぁ……成長したものだ。私は嬉しい」
「何を勝手に納得しているんだ!決してお前のようなふしだらな思惑など無いぞ!」
「ふ、ふしだらとは失礼な。
(そもそも声が聞こえたというだけならわかるがなぜ事細かに会話の内容を知っているのだこやつは)」
そう愛紗に問おうとしたが星はやめた。
どう考えても面倒な流れに乗りつつあるからだ。
気になることではあるが、今はそれよりも優先することがある。
「ちなみに私は何度か主の湯浴みを覗いたことがある」
「おい!!」
「冗談だ」
「ふむ」
私の話を聞き終え、納得したように頷く。
「いや愛紗よ、それはどう考えても──」
と、言ったところで口を閉ざしてしまう。
「どう考えても……なんだ?」
一番気になるところで話を切らないでほしい。
「……いや、わからんな」
「はぁ?なんだそれは」
思わず間抜けな声を出してしまう。
ここまで思わせぶりな態度をしておいてわからないとは。
いやしかし私自身もわからない事なのだから、星にわかるはずもない……・か。
「いや、済まない。
くだらない戯言だと思って忘れてくれ」
そう言い調練へ戻ろうとすると、
「待て愛紗」
呼び止められる。
「なんだ?」
「今日の調練は私がしよう。お主はもう上がれ」
「……それは私が役に立たんということか?」
思わず語尾が強くなってしまう。
「そうではない。お主のその疑問はお主が理解しないと意味がない。
いや、そうでないと納得せんだろう。
主が気になって集中できんというのであれば探しに行けば良い」
「は?」
「いいから今日は上がれ」
「あっ、おい星!」
ぐいぐいと背中を押され調練場を追い出されてしまう。
「なんだというのだ……」
しかし戻ってもまた追い出されるだけなので星の言うとおりご主人様を探しに行くとしよう。
「…………」
「あ、星さん。愛紗さんはどうしたんですか?」
「ん?あぁ、愛紗は今人生の分岐に立たされているようなのでな、
少しばかり面倒を任されてやったのだ」
「?」
「なんだかんだ言っても、愛紗も乙女だという事だ」
「愛紗さんは誰よりも乙女だと思いますよ」
生涯を武のみに捧げて生きるか、女の喜びを知って生きるか。
「はっはは、猛将と言えど、やはり心は乙女か」
そう言う自分も、心に秘めたる想いがあることを星も理解していた。
「しかし、問題は主だな」
「?、ご主人様に何か問題があるんですか?」
「ん?ああ……」
あの方は意図的に私達との距離が近くなりすぎないようにしている節がある。
決して私達の事を不満に思っている訳ではないということは充分に分かっている。
やはり”いつかは帰る”という事を気にしての事だろう。
「全く。難儀なことだ」
片や自分の気持ちにさえ気づかない鈍感娘。
片や自分に気持ちが向かないように、言ってしまえば壁を作っている男。
そのすれ違いは、本当に無駄であり、悲しい事でしかないのだ。
星に調練場を追い出されてから、私はご主人様を探し回っていた。
そんなに広くはないはずのこの城で、ここまで見つからないのも珍しい。
と、そこに月と詠の姿を見つける。
「月、詠」
愛紗が名前を呼び、二人に駆け寄る。
「はい、どうかなさいましたか?」
「何よそんなに慌てて、急用?」
言われて気づく、私は慌てているように見えるのだろうか。
「いや、ご主人様を見かけなかったか?」
「ご主人様、ですか。
今日はまだお見かけしていませんね」
「そうね、あたしたちが部屋を掃除しに行った時にはもう居なかったし」
「そうか……」
「あいつのことだから街へ出て遊んでるんじゃないの?今日は非番なんだし」
「あの……お見かけしたら、愛紗さんが探していたってお伝えしましょうか?」
「……あぁ、頼む」
ご主人様が見つからない、それだけでこんなにも不安になるのだということに困惑した。
とにかく詠の言うとおり、街へ出ているかもしれないのでそっちを探してみよう。
どれくらい探し回っただろう。
もう日は沈もうとしている時間で、出ていた市や店も看板を下ろし始めている。
どうしようもない焦燥感が襲ってくる。
ふと、ご主人様が最初に言っていた言葉を思い出す。
──俺は、いつかは居なくなるんだよ──
その言葉を思い出した途端、胸の痛みが膨れ上がった。
上手く呼吸もできないくらい、胸が締め付けられる。
縋る様な思いで探し回った。
街を外れ、外まで出ていき、森の中へ入る。
しばらく歩いていると、小川のせせらぎが聞こえてくる。
漠然とした不安に襲われながらも、少し森が開けたその場所に足を踏み入れる。
「すー…すー……」
「はは……」
腰を抜かすように、ぺたんと地面に座り込んでしまう。
私の口から出たその笑いは、どんな気持ちから出たものだったのだろうか。
もう弱くなった日差しをうけ、気持ちよさそうに寝ている彼の姿を見て、心の底から安心した。
───まだ居てくれた───
「…………」
そこで気づいた。
自分でも信じられないし、認めたくはない。
敬愛するご主人様の臣下という身でありながら、
私はこの方に想いを寄せてしまっているのだ。
なんという分不相応な想いだろうか。
笑ってしまう。
私は一人前に、一番ご主人様の近くにいる凪に嫉妬していたのだ。
自分以外の誰かと居るご主人様に苛ついていたのだ。
それだけではない。
私に一声掛けずに出かける事にさえ、不満を抱いていたのだ。
私の今までの不可解な行動も、只ご主人様と一緒に居たかったからだ。
星の言葉の意味も理解できた。
自分で理解しないと意味がない。
確かに。
他人に私の気持ちを代弁してもらったところで
私がそれを受け入れたとは到底思えない。
なんとか腰を持ち上げ、寝ているご主人様のところへ移動する。
人の気も知ら ないで気持ちよさそうに寝ておられる。
もう少しこの寝顔を眺めていたいとは思うが、もう時間的にも流石にまずい。
完全に日が暮れてしまえば森の中で迷ってしまうかもしれないし、
ご主人様の命を狙う者もいるかもしれない。
「ご主人様、起きてくださいご主人様」
ゆさゆさと体を揺らし、耳元に囁きかける。
「んー……」
まだ寝ぼけているのか、生返事はするものの起きようとはしない。
「ご主人様、もう夕刻です。起きてください」
揺らし続けた甲斐あってか、気怠そうな声を上げながら起き上がる。
「……愛紗?」
「はい」
「…………」
キョロキョロと周りを見渡し、
「んお!?もうこんな時間!?」
「こんなところまでお一人で来て、さらには寝ているなんて危険すぎます」
いつもなら声を荒げて進言しているところだが、
先ほどの安心感からか、そんな気にはなれない。
「いやぁ……非番ですることなかったから
ちょっと市を覗いてここで鍛錬してから水浴びしてたんだけど、
気持ちよくってさー」
寝ぼけ眼をこすりながら説明する。
そんな姿を愛らしいと思ってしまうのは
先ほど自分の気持ちを自覚したからだろうか。
「あー……探してくれてたの?」
「え?」
「服、ちょっと汚れちゃってるし、汗もかいてる」
「っ!?も、申し訳ありません!お見苦しい姿を……!」
その場から後ずさり、今の自分の状態を把握する。
「いやいや、全然見苦しくなんてないよ。
只そんなに探し回らせちゃって申し訳ないなって思って」
その場から立ち上がり、大きく伸びをしたあと
「ごめんね、探してくれてありがとう」
そう言いながら笑顔を向け、頭をぽんぽんと撫でられる。
「ご主人様の身を案じない臣下などおりません!
なんですかそれは!子供扱いして!」
恥ずかしさのあまり声を荒げてしまう。
しかしそんな事を言いながらも頭を撫でる手は払いのけられずにいる。
「早く帰りますよ!」
「水浴びなくていいの?」
「今日は風呂の日なので結構です!」
そう言いながらご主人様の手を引き歩いていく。
いつかは居なくなってしまう。
それは最初から分かっている事だ。
だけど、今握っているこの手が、いつか自分の手の中から消えてしまうとかんがえると、不安に胸が締め付けられる。
考えるだけで、歯をくいしばってしまうくらいに耐え難い苦痛に包まれる。
思わず、手を握る力が強くなってしまう。
でも、その力を緩めようとは思わなかった。
「愛紗、どうかしたのか?何か重要な案件があったりした?」
そんな些細なことにも気付き、こうして気遣う言葉が、今では胸を締め付けてくる。
肘のあたりまで捲られた袖から覗く彼の腕に目をやると、無数の傷がついているのが一目でわかる。
愛紗は彼と一緒に風呂になど入ったことは勿論無いが、それでもこうして毎日を共に過ごしていれば、それなりに肌を見てしまう機会はある。
例えば着替えの最中。
最初は気にもならなかったが、だんだんと自分の中に羞恥心のようなものが生まれ、まるで女子のような声を上げてしまいそうになる時があった。
しかし、それよりも自分の目に飛び込んできたものがそんな思考をあっという間に消し去った。
身体の至る場所に、所狭しとついている数々の傷。
切り傷や打撲痕、擦り傷、既に治療済みである縫い跡。
彼いわく、自分は他の子達よりも弱いから、こうしてたくさん傷がついてしまうんだと言っていた。
しかし愛紗はそれだけではないと思っていた。
あれは彼が自己を犠牲にして他者を守った証なのだと。
彼の心が強い証だと思った。
それは確信とも言えるものだった。
呂布の時も、董卓の時も、彼は自分が傷ついても尚、怯むこと無く敵に挑んでいく。
それは暴走とも言えるものだけど、その暴走に自分たちはどうしようも無いほどに心うたれてしまうのだ。
彼の言うとおり、周りを顧みずに巻き込んでしまった。
自分のせいで桃香達の事を潰してしまうところだったと頭を地面に擦り付けた。
周りから見れば確かにそうかもしれないし、あの場にいた者がどう感じたかはわからない。
ただ愛紗は、それで潰れてしまうなら自分たちの力が足りていない故、仕方のない事だと思ってしまった。
この人を守れずにいた自分達のほうが愚かだと思ったのだ。
命を賭して人を救おうと、傷だらけになっても、地べたに這いつくばってもあがき続けた彼を、どうして愚かだと思えるのか。
たとえそれが彼の自己満足であっても、只々、愛紗の目には彼の行動が美しく映った。
「そうですね。桃香様一人では到底終わらない量のものがたくさん来ています。
ご主人様も今日は寝られるかわかりませんよ」
「うわぁ……」
こんなにも身を焼かれるような気持ちになってしまっている自分に、
彼のいない世界が耐えられるのだろうか。
この手の中にある温もりを、少しでも長く感じていたいと思うのは贅沢なのだろうか。
ずっとお傍に居させてほしいと思うのは、叶わぬ願いなのだろうか。
運命などというものを信じるつもりはないが、彼と出会えたことが運命であるというならば、信じることが出来るだろう。
だけど、そんな彼とずっと共に居られないこともまた運命であるというなら、自分はそれを信じるつもりはない。
いつかは帰る。
彼が、私達に協力する上で最初に放ったその言葉が、今は、何よりも重くのしかかり、押しつぶされてしまいそうになる。
Tweet |
|
|
38
|
4
|
追加するフォルダを選択
物語とは何の関係もない、愛紗のある日を書いたものです。
短いです。
そしてあそこがおかしい、ここがおかしいというメッセージを何件か頂いているので出来る限り修正していきます。
確かに自分で読み返すと、なぜこうなったとしか言えない場面がありましたので(・_・)
更新が遅いのはお許しください、ここ半年以上どうにも無気力感が。
続きを表示