「鬼灯、此方においで」
夕食後、白澤が鬼灯を呼んだ。
「何ですか?」
「お前最近、体の調子悪いだろ?診てやるから此方においで」
遉、医療に携わるだけの事はある。彼女の変化を正確に見抜いていた。
抵抗は無意味だと知り、鬼灯は言う通りにした。白澤は目の前の鬼灯を見据え、額を出し其処にある目を開く。
彼は、驚いたように目を見開いた。
「…どうだったんですか?」
彼の様子にただ事ではないと察し、鬼灯の声は自然と小さくなった。白澤は真面目な表情で彼女を見返し、慎重に言葉を発した。
「鬼灯…お前、妊娠してる」
「…!」
白澤の言葉に、鬼灯も目を大きく見開いた。すぐ傍で聞いていた桃太郎が「え?! 妊娠!?」と驚愕の声を出したが、今の二人はソレに構う余裕はなかった。
「…貴男、子種があったんですか?」
白澤は、女遊びが激しかった。鬼灯に恋してからはパタリと止めてしまったが、それ以前は誰彼構わず女性に「遊んで」と誘い、衆合地獄の妓楼にもよく顔を出していた。
だというのに、今迄隠し子の存在を聞いた事がない。鬼灯はてっきり、彼に子種はないものと思っていた。
彼女の質問に、白澤は腕を組んで答えた。
「僕が子を授かるには、条件があるんだよ」
唯一無二の神獣・白澤であるが故の条件である。
「第一に、僕と相手が互いに愛し合っている事。
第二に、僕と相手が互いに子を欲している事」
コレは、白澤自身には変えられない条件だ。本能で体が反応し、ソレに従って動く。
「…つまり…」
茫然としながら聞いていた鬼灯の手を、白澤が優しく、しかし強く握る。
「僕を愛してくれてありがとう。僕との子を望んでくれてありがとう。元気な子が産まれるように、子が健やかに育つように、これから二人で頑張ろう。我爱你。我喜爱的妻子」
「…はい」
白澤の言葉に鬼灯は頬を染め、しかし幸せそうに微笑んだ。
鬼灯の妊娠の知らせを聞いた日本地獄と中国天国は驚愕と歓喜に沸いた。
中でも一番喜んでくれたのが神獣仲間の麒麟と鳳凰、白澤の弟子兼部下の桃太郎、鬼灯の親代わりの閻魔大王、幼馴染のお香と烏頭と蓬。
皆、「おめでとう」、「体を労れ」、「無理はするな」、「赤ちゃん、抱かせて」等と祝ってくれる。それが、白澤と鬼灯はとても嬉しかった。
「お子さん、どっちに似るんでしょうね?」
ある日、桃太郎がワクワクと訊いた。
「ん~…僕と鬼灯って顔のパーツ似てるし、赤ちゃんの時は分からないかもしれないね」
最初の頃は、白澤は似ている事を自覚せず、鬼灯は嫌悪していた。しかし、今は二人共受け入れ、好感情さえ持っていた。
「じゃあ、角はどちらのが生えるんでしょうね?」
「あぁ、生えるとしたら僕の角だと思う」
生まれつきの鬼ならともかく、鬼灯は人の子に鬼火が憑き成った鬼だ。
「鬼火とは人の魂。鬼灯の遺伝子には含まれないんだよ」
* * *
鬼灯は、仕事量が減り、自宅である『うさぎ漢方 極楽満月』に帰る時間がはやくなった。鬼灯と胎児の負担にならないようにと白澤に言われた為だ。
そんなある日、鬼灯は大量の仕事を捌いていた。妊娠前と同じペースで捌く姿を見て、閻魔大王が声をかける。
「鬼灯君、君、体は大丈夫なの?」
「私の心配をして下さるなら、もう少しキビキビと働いて下さい」
大王の気遣いを、鬼灯はスパッと切り捨てる。結婚すれば丸くなると思っていたが、やはり鬼は鬼らしい。
(まぁ、以前よりはマシになったかな?)
何しろ今はあまり激しく動けない体だ。彼女の負担を少しでも減らそうと、大王は自分に気合いを入れた。
「よし!鬼灯君、昼休憩に入りなよ。君が戻ってくる迄、目の前の書類、全部片付けておくから!」
「ほぉ…」
大王の言葉に、鬼灯は面白そうに、意地悪く笑った。
「その言葉に偽りはありませんね?私が戻ってきてほんの少しでも書類が残っていたら…」
「大丈夫!」
やけに力強く応える。勿論、身重の鬼灯を気遣ってのものだと理解してる彼女は、素直に甘える事にした。
「では、少し休憩します」
「うん、いってらっしゃい」
「はい…っ!?」
大王の言葉に返事をしながら立ち上がった鬼灯は、突然強い目眩を感じて体が傾いだ。ガタッ!と大きな音をたてて、テーブルに両手をつき倒れるのを阻止する。
「鬼灯君?!」
大王の焦った声を聞きながら、ゆっくりと床に膝をつけ、座り込む。目の前が揺らぐ。
「どどどどうしよう!? あ!白澤君!!」
漢方医であり鬼灯の夫でもある白澤に連絡を取ろうと、大王が電話を手に取ると、彼女が弱々しい声で制止した。
「まっ、て、ください…。あの人に…れんらくは…」
「君一人の体じゃないんだよ!」
いつもは鬼灯に叩かれる事の多い大王だが、今回は彼女の制止を振り切り、白澤に電話を掛けた。その強い口調は、彼が本当に閻魔大王なのだと鬼灯に思わせた。
《喂。お電話ありがとうございます。此方『うさぎ漢方 極楽満月』です》
「あ、白澤君?! 実は鬼灯君が大変なんだ!」
《閻魔大王?》
「大王…もう、大丈夫ですから」
通話中、突然鬼灯から再度制止された。視線を移すと、成程もうしっかりと立っている。
「ちょっと目眩がしただけです」
「白澤君!鬼灯君ね、突然目眩で倒れたんだ」
《分かった、すぐ行く》
「ちょっと!当事者である私を置いて話を進めないで下さい!」
何故か勝手に白澤が診察の為に此方に来る事になってしまった。
「…変だな」
額の目を使い診察した結果に、白澤が首を傾げる。
白澤は腕を組み思案顔だ。
「…何か気になる事でも?」
「うん…胎児の形がね…」
「え?! 赤ちゃん、異常があるの?!」
白澤の言葉に慌てたのは、鬼灯ではなく閻魔大王。だが、白澤は訝しげではあっても危機感を抱いていないようだ。白澤の医療の知識と腕を信用している鬼灯は、そんな彼の様子を見て慌てる事もなく彼の説明を待った。
「朝、鬼灯を見た時、退治は獣の形をしていたんだけど…」
「『獣』って、『神獣・白澤』かい?」
「あぁ、つまり豚ですか」
「豚じゃない!」
「じゃあ牛?」
「確かにそっちの方に似てるけど、僕は牛じゃない!」
鬼灯のいつもの罵詈雑言に、白澤はホッとして言い返す。が、いつまでもこんなやり取りをしてはいられない。今は診察中だ。
「で、子の姿が何です?」
「あぁ、朝は獣の形だったんだけど、今は人の形になっているんだ」
大王と鬼灯は、どんな反応をとって良いのか分からず白澤を見詰めるばかりだ。そんな二人に、彼は思案顔で説明を続ける。
「取敢ず、鬼灯の目眩は疲労が原因だね。もう少し体を休める事!胎児の形についてはよく分からないけど、でも今のところ母子共に体調的な異常はない。暫く様子を見よう」
それが、白澤が出した診断と結論だった。
その日の夜、白澤と鬼灯は夫婦の寝室で向かい合った。
「白澤さん、今日もお願いします」
「任せて」
鬼灯の言葉に頷き、白澤は彼女の腹に掌で触れる。己の神気を、鬼灯の腹を介して胎児に送っているのだ。白澤曰く、二人の子には一般的な食べ物の他にも神気が必要不可欠らしく、白澤は毎晩こうして胎児に神気を送り続けている。
暫く続けていると、白澤の頭に何かが流れ込んできた。
《父様》
《…僕等の子かい?》
《はい、父様》
驚愕で目を見張った。それに気付いた鬼灯が怪訝な顔をする。
「白澤さん?どうしました?」
「…今、胎児の声が聞こえたんだ」
「え?」
「『父様』って」
鬼灯も驚き、自分の腹に目をやった。
「多分、僕の神気を借りて心を伝えてきたんだと思う」
鬼灯に思考を話してから、白澤はまた胎児に意識を集中させた。
《母様は平気ですか?》
《ちょっと疲れてるけど、少し休めば元気になるよ》
《良かった…。辛そうにしていたので心配していたのです》
胎内にいるだけあり、母の体調には敏感のようだ。
《私が出している力は負担がかかるかと思い、抑えてみたのですが上手くいっていますか?》
(ん?)
白澤は何を言われたか分からず、首を傾げた。
《父様から頂いた力は、お疲れの母様には負担があるようで、フラフラしていました》
それは、昼の目眩の事を言っているのだろうか?
胎児は体の成長と共に神気と妖気も成長している。
(そうだったのか…)
我が子ながら大したものだと思う。何だか誇らしくなってきた。
《君のお陰で、母様は元気だよ。ありがとうね》
《母様が元気なら、嬉しいです》
白澤は、安心して胸を撫で下ろした気配を感じた。
「昼に起こった鬼灯の目眩、アレはお前の疲労と胎児の神気に当てられての事だった」
胎児のお食事タイムが終わり、白澤は先程の会話を説明した。
「胎児の神気は、普段であればなんの問題もない。でも、今日のお前は疲れていた。疲労して弱った体に神気は、負担が大きかったんだ」
そこで胎児は、己の神気を押さえた。その結果、胎児の姿は獣から人に変じた訳だ。
「私の為に…」
呟き、己の腹を労るように触れる。
「僕等の子は、鬼灯が大好きだね」
「だったら嬉しいです」
鬼灯は、くすぐったそうに笑った。
* * *
鬼灯の腹が大きくなってきた頃、彼女は閻魔大王の第一補佐官を降りた。彼女が選んだ三代目第一補佐官は小鬼の唐瓜。唐瓜の補佐に、同じく小鬼で彼の友人でもある茄子を任命した。
「ああああの!第一補佐官なんて、俺、出来ますかね?!」
端で見ていて可哀想に感じる位にテンパっている。鬼灯は、そんな唐瓜の肩に手を置きまっすぐに見詰めて言う。
「唐瓜さん。私はこの仕事を継がせる為、貴男を今迄育ててきました」
唐瓜と茄子は、鬼灯が結婚したあたりから本来の仕事を離れ彼女と行動を共にする事が増えた。
「アレってそういう事だったんですか?」
「そうです。そして今、私は貴男に任せられると判断しました。これから貴男が、怠け癖のある閻魔大王の尻を叩き、地獄を上手く回して下さい」
いくら身重でも、生半可な者を第一補佐官に据えるつもりはない。きっちり教育し、これなら大丈夫だと確信してから現役を退くつもりでいた。
それを理解した唐瓜は、決意の表情で鬼灯を見る。
「俺、鬼灯様のようになれる自信は全くありませんが、頑張ります!鬼灯様は、安心して子供を産んで下さい!」
「鬼灯様、赤ちゃん産まれたら抱かせてね!」
真面目に話す唐瓜の隣で、茄子は楽しそうに頼む。何だか平穏で、可笑しくて、思わず鬼灯は笑ってしまった。
「はい。是非、二人共たまに遊びに来て下さい」
「はい!」
小鬼二人の元気な声が響いた。
『その時』は、昼にやって来た。
桃太郎は薬草を採りに外へ出ていて、白澤は店内で薬を作っていた。鬼灯は白澤の傍で座っていて、いつも通り暴言込みの雑談に花を咲かせていた。
「ところで貴男、子の名前は考えていますか?」
「そうだね…結構迷った」
「性別はもう分かっているのですよね?」
「うん、九つの目を使えば簡単に分かるよ」
実に便利な能力である。
「それで、何という名前に…んっ!」
「鬼灯?」
突然、腹に痛みを覚えた。顔を歪めた鬼灯に気付き、白澤が心配そうに妻の名を呼ぶ。
試しに目を開くと、胎児が出たがっているのが分かった。
「ただいまかえりました!」
桃太郎の声だ。
「你回来啦、桃タロー君!在正好好的时候,回家了!」
「!?」
いきなり白澤に中国語で捲し立てられた。正直『你回来啦』(おかえり)しか分からなかった。
「桃タロー君、手伝って!鬼灯が産気付いた!」
「ええええええーーーーー!!!!」
白澤の慌てた顔を見、余裕のない絶叫を聞いて、桃太郎自身も絶叫した。
夫婦の寝室は、鬼灯の苦しそうな声と白澤の指示が響いている。
「ほら、もう一回りきんで!」
「はぁ…はぁ…んんんんん!!!」
鬼灯は白澤の指示に従ってりきむ。桃太郎も白澤も鬼灯も、てんやわんやだ。それでも子は順調に出てきている。もう少しだ。
「頭が出てきたよ!ほら、もう少し!」
「はっ…はぁ…んんんんん!!!」
シーツを強く握り締め、思いきりりきむ。頭が完全に出た。
そうなれば、後は割とスムーズに出てきた。人の子の姿で産まれた我が子は、女児だった。
「鬼灯…僕達の子だよ」
白澤は我が子を鬼灯に抱かせてやる。
「…可愛いです」
我が子を見る鬼灯が嬉しそうに微笑む。が、すぐにその表情は驚きに変わった。
自らが抱いている我が子の姿が、みるみる変わっていくのだ。
両耳の上と背から、角が生える。その数は神獣・白澤と同じ数。
体全体から純白の毛が生える。特に尾のフサフサ感が凄かった。
腕と足の形が変わった。小さな手や足が、偶蹄類を思わせる二つに割れた蹄に変化した。
我が子の変化が止まった。白澤と鬼灯は未だに動けず、無言で子を見詰めていた。
獣に変じた子の姿は、白澤にそっくりだった。ただ一つ、違う所は『目』だ。『白澤』の額と体にある目が、子には無かった。やはり彼女は『白澤』の血はひいていても『白澤』ではないらしい。
我が子は、声を出す事なくスヤスヤ眠っているようだ。腹が規則正しく上下している。白澤が目を開く。
「この子、随分疲労してる。胎の中にいる時から人の姿に化けてたからね」
「大丈夫なんですか?」
鬼灯がとても心配そうに訊くので、白澤は安心させるように微笑み、答える。
「大丈夫。疲れて眠ってるだけ。母子共に異常無し」
「そうですか」
我が子のフサフサの毛を撫でる鬼灯の表情はホッとしていて、母性に満ちていた。白澤はギュウッと鬼灯を抱き締める。
「ありがとう、鬼灯。頑張ってくれてありがとう、元気な子を産んでくれてありがとう、僕の子を産んでくれてありがとう」
言っているうちに涙腺が緩んできた。ボロボロ泣く白澤の頭を、鬼灯が撫でてくれる。
谢谢你选我。
谢谢你在我的妻子有。
正在世界最爱的、鬼灯。
「そうだ、鬼灯。この子の名前なんだけどね…」
白澤と鬼灯の子の名前が、彼の口から紡がれた…
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妊娠した鬼灯(♀)の話。