No.709124

艦これファンジンSS vol.10(2/5)  「北方の奮戦」

Ticoさん

むしゅむしゅして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、艦これSS vol.10、夏イベント五部作のふたつめをお送りします。
つーか書くの早いよ。前にアップして何時間後なんだよ。

続きを表示

2014-08-16 11:14:32 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1122   閲覧ユーザー数:1109

 北方の海は冷たく、空気すら凍えて感じる。

 彼女たちは暑さや寒さにはそれなりの耐性があるのだが、それでも体温が奪われる感覚というものは戦意を失わせるものがあった。

 戦っていれば、まだしも寒さを紛らわせられる。

 だが、待機して仲間の帰りを待つ身では、寒さは否応なしに襲ってくる。

 水平線の向こう、灰色の海と空の境目に目をやりながら、彼女はほうっと息をはいた。白い息が口からこぼれ、かすかな風に乗って消えていく。

 彼女は巫女にも似た独特の衣装を身に付けていた。だが、何より目を引くのは全身に身に付けた大きな艤装だろう。戦艦ならではの大口径砲、水上機を運用可能な飛行甲板――その異形の鋼鉄のオブジェが彼女が見た目どおりの女の子ではないことをなによりも如実に示していた。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 だが、戦うためにここへ来たはずの彼女は、仲間と共に留め置かれることがしばしばであった。支援砲撃は求められるが、攻略部隊としての出撃は数える程度。

 代わりに、もうひとつの部隊がひっきりなしに出ていたが、戦果は思うようにあがっていない。どうすれば良いのかは分かっている。お互いに協力して攻略に当たれば良い――だが、どうしようもないわだかまりがそんな簡単なことを難しくしていた。

 彼女は、水平線の向こうをじっと見つめ続ける。

 たとえ仲違いをしたとはいえ、姉は姉。心配にならないはずはない。

 航空戦艦、「日向(ひゅうが)」。

 それが彼女の艦娘としての名である。

 

「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 いま、彼女たちは鎮守府をあげての一大反攻作戦に打って出ていた。その一環であるAL作戦は陽動が目的であるとはいえ、いや、それだからこそ、北方の深海棲艦の拠点を攻略し、大いに暴れてみせることで敵の遊弋部隊をひきつける必要があった。

 だが、そのAL作戦は開始早々に思わぬ苦戦を見せていた。

 

 水平線にぽつぽつと影が出たかと思うと、見る見るうちにそれが大きくなってくる。

 海面をすべるように艦娘たちが駆けてくるのだ。

 だが、心なしかその足取りは重いようだった。

 見ると、彼女たちの服は煤だらけで、艤装も少しゆがんでいる。

 また敵の警戒線を突破できなかったのか――予想はしていたとはいえ、日向は負けて帰ってきた彼女たちを見て、きゅっと唇を噛んだ。

 隊伍の先頭を進む艦娘も硬い表情である。彼女の服装も、艤装も、日向のそれに似ていた――姉妹艦なのだ。名を、伊勢(いせ)という。鎮守府では最古参の戦艦ながら、ほがらかで気さくな人柄で皆に慕われている存在であるはずだった。

 だが、いまはその明るさは微塵も感じられない。

 日向の姿を認めて、伊勢が敬礼する。日向も応えて敬礼してみせる。

「――第一部隊帰投、目標に対して到達ならず。明日、再度出撃します。第二部隊は引き続き支援砲撃に当たってください」

 淡々と告げられる事務的な連絡。受ける日向はうなずいたが、ふと、

「第二部隊は準備ができている。代わりに出ようか」

 そう訊いて見たが、伊勢は目をあわせようとはせず、言葉少なに言った。

「不要よ。攻略は第一部隊が主体で行います。これは北方戦隊指揮の判断です」

 そう切って捨てられたのでは、日向は引き下がらざるをえない。

 伊勢が去ろうとする一瞬だけ、彼女と目が合った。本来なら躍るような光を宿しているはずのその瞳は、いまは北方の空のようにどんよりと曇っていた。

 きっと、自分の目も同じような具合なのだろうな――日向はそう思い、やるせなさに思わず奥歯を噛み締めた。

 

 AL作戦攻略部隊は、海域の境目、深海棲艦の勢力圏ぎりぎりのところにある小島に拠点を構えていた。テントでの仮住まいだが、それでも基地には違いない。

「はー、疲れたわ」

 青い制服のような衣装に短い黒髪、服と同じ青いベレー帽をかぶった艦娘がぐったりした様子でそうこぼす――重巡洋艦の高雄(たかお)である。

「本当にねえ。わたしたちばかり出撃だなんて」

 高雄と同じような服装で、こちらは長い金髪が目を引く艦娘も疲労の色を隠しきれない様子だった。同じく重巡で高雄の姉妹艦の愛宕(あたご)である。

「おつかれさま、まあゆっくり休みなさいな」

 そう声をかけたのは波打った長い髪が印象的な艦娘――第二部隊所属の重巡、足柄(あしがら)である。その後ろからやって来て、湯気の立つマグカップを手にしているのは、眼鏡をかけた理知的な印象の艦娘――同じく第二部隊所属の重巡、鳥海(ちょうかい)であった。

「はい、珈琲です。即席であまり美味しくないかもしれませんけど」

 鳥海の差し出すマグカップを、高雄も愛宕も地獄に仏といった顔で受けとった。

「ありがとう、いただくわ」

「味は二の次として、あったかいものがほしいのよ」

 二人ともカップを両手で持ち、そっと口をつける。ごくり、と珈琲を飲み、続いて出たのは大きなため息だった。

「どうにかしないとねえ……」

 愛宕が頬に手をあて、憂い顔でこぼす。高雄がこくりとうなずいてみせた。

 足柄は腕組みをして、鳥海は額に指を当てて、考え込む。

「……練度でいくなら第二部隊の方が上なのよねえ」

 足柄がぽつりと言った。鳥海がそれに続いて、

「ええ、航空戦力では第一部隊の方が勝っていますが、練度の高さでは第二部隊の方がベテランの艦娘が揃っています――あ、いえ、高雄さんたちが劣っているとか、そういう意味ではなくてですね」

「かまわないわ。足柄も鳥海も最古参重巡ですもの」

 高雄は肩をすくめてみせた。彼女の言うとおり、足柄たちはベテラン中のベテランといえた。随伴する軽空母の祥鳳(しょうほう)と瑞鳳(ずいほう)も、かなりの腕利きといえる。高雄や愛宕、それに随伴している軽空母の飛鷹(ひよう)や隼鷹(しゅんよう)も第一線級の実力であったが、足柄たちの方が頭みっつぶん上ではある。

 重巡の配属は提督の指示によるものだったが、実戦にブランクのある日向の随伴に、腕利きの艦娘をつけたあたり、提督もそれなりに配慮したということか。

 ただ、いま現状にあってはその配慮も空振りに終わっているわけだが。

「やっぱり伊勢さんの采配に問題があるわよねえ……」

 愛宕の言葉に、残る三人がうなずく。第一部隊が先行突破し、第二部隊は予備兵力として支援砲撃と、第二次攻撃に待機する――それなりに理にはかなっている戦法ではある。だが、こうも上手くいかないと、交互に波状攻撃をしかけるなど、やり方を変えるべきではないかというのが、あえて口に出さなくても暗黙の共通認識であった。

「伊勢さんはもっと柔軟な考えをするはずの人だし、考え違いをしていても副指揮の日向さんがアドバイスすべきところよねえ」

 足柄が困惑気味の声で言うと、鳥海がかぶりを振ってみせた。

「見れば分かるでしょう。あの二人、うまくいってないんですよ」

「……AL海域に着くまでも、ほとんど会話らしい会話なかったものね――あの二人、どうも出撃前にこっぴどく喧嘩したみたいなのよね」

 愛宕がマグカップの湯気をあごにあてながら言った。

 指揮官クラスの連携がとれていない。憂慮すべき事態といえた。

「お互いに変に避けあっている感じですよね。いっそ真正面からぶつかれば、まだどうにかなるのかもしれません」

 高雄が人差し指を頬にあてながら、かすかに首をかしげてみせた。

「でもどうやって真正面からぶつからせるんですか?」

「そこはわたしたちから、それぞれに言うしかないんじゃないの?」

 足柄がかすかに眉をひそめて、口に出した。

「提督が重巡クラスの艦娘を指名したのはこれを予期していたのかもしれないわ。何かがあった時、物怖じせずに意見できるように、って――このままじゃAL作戦自体が頓挫しかねない。手遅れになる前に、わたしたちが動かないと」

 彼女の言葉に、重巡の艦娘たちは、揃ってうなずいてみせた。

 

 

 足柄と鳥海が日向を見つけたとき、彼女は艤装の点検をしているところだった。

 AL海域に着いてまだろくに使っていないのだから、それほどこまめに念入りに見る必要もないはずなのだが、そうさせているのはいつでも出撃できるようにとの気構えなのか、それとも暇を持て余しての手慰みなのか、足柄といえども判断に迷うところだった。

「日向、ちょっといいかしら?」

 足柄が声をかけると、日向が顔を上げた。目があった瞬間、足柄は声を張り上げて、

「意見具申いたします!」

 その声の大きさに、言われた日向はもちろん、ついてきた鳥海さえも思わず目を丸くするほどだった。

「AL作戦は目下難航しています。戦隊指揮である伊勢に方針転換を行うよう、副指揮である日向は適切に話し合う機会を設けるべきです!」

 真面目な口調でそこまで言うと、足柄は、ふっと笑みをみせて、言った。

「なんてね――出発前に何があったか知らないけど、ちゃんと話してきたら? このままじゃだめだってことぐらい、自分でもわかっているんでしょう」

 そういってウィンクしてみせる足柄に、日向は苦笑気味に言った。

「言われるまでもない――ちゃんと、話しはすべきだと思っていたんだ。ただ……どうにもきっかけがつかめなくてな」

「じゃあ、いま行っちゃいなさいよ。どーん、とね」

 足柄の声はつとめて明るい。それはまるで日向の背を押すかのようだった。

 日向は工具をしまいこむと、足柄に向けてうなずいてみせたが、ふと、

「なあ、足柄」

「なにかしら?」

「わたしは……本当に前のままのわたしなんだろうか」

 ぽつりと訊ねた日向の言葉に、足柄も思わず答えに窮した。

 日向は鎮守府で唯一の艦娘としての戦没艦である。ただしくは、一度戦没判定がされてそのあと救出に成功し、治療の末に復帰してきた――そういうことになっている。だが戻ってきた日向はどこか曖昧で、記憶も定かではなく、積み上げてきた戦闘経験もいったんはほとんど失っていた。

 救出できたとしてもそれだけのダメージが艦娘には残るのかもしれないのだが……まことしやかにささやかれている噂では、あれは日向に良く似た別人で、日向としての記憶を植え付けられた「二人目」ではないかというものがある。

 その噂を伊勢も耳にしているだろう。だがそれ以上に、伊勢は日向が撃沈したところを目の当たりにしたという。それだけに日向が戻ってきたという事実をいまだに受け入れられないのかもしれないし、それが隔意となって日向への態度に表れているのかもしれない――そして、それは日向自身も感じ取っていることだろう。

 足柄は、しばし考え、慎重に言葉を選んだ。

「大変な事故や命の危機にあった人が、その後の物の見方まで変わってしまうのはありえない話じゃないわ。まして、あなたは一度撃沈されたんですもの。そのことが心の傷になって性格に影響を与えたって不思議じゃない――と、わたしは思うけど」

 その言葉に、日向はすっと口の端をつりあげて、薄く笑った。

「思い出せないんだ、撃沈の瞬間は」

 そう言う日向の声は、ひどく乾いていた。

「その時の記憶がひどくあやふやでね、深海棲艦の攻撃を受けて、どうしようもなくダメージを受けて、その時、伊勢にむかって何かを叫んだのはおぼろげにわかるんだが――自分でも何と言ったかわからない」

「それは……無理に思い出さないほうがいいんじゃないでしょうか。忘れたままのほうが心の負担は軽くて済むかもしれません」

 鳥海の言葉に、日向はかぶりを振ってみせた。

「だけど、それを思い出すまで、わたしはわたし自身を取り戻した気がしないんだ」

 そう言うと、日向は肩をすくめてみせた。

「まあ、これはわたしの問題だ――そんなことで伊勢との話し合いを逃げるつもりはないさ。ちょっと探してくる」

 彼女はそう言うと、艤装をその場において、足柄たちの元から歩み去っていった。

 

 その頃。高雄と愛宕は伊勢を前にしていた。

 伊勢は第一部隊での唯一の戦艦ということで狙われることも多い。艤装にまだ大きなダメージはないとはいえ、あちこちに凹みができ、傷がついていた。

 その艤装を、伊勢は黙々と整備している。その寡黙ぶりに、あらためて高雄と愛宕は顔を見合わせざるをえなかった。普段の伊勢なら、もっと朗らかにあれこれひとり言をいいながら作業して、仲間が来たのならきちんと挨拶はするところだ。

 それが、二人が来たのを一瞥して、「何の用なの?」である。

 これは想像以上にひどい。高雄は内心で、場合によっては伊勢を戦隊指揮から引きずり下ろすことも考えなくてはいけないか、と覚悟した。規律違反だが、やむなしと思えば提督の事後承諾を得ることを前提に動くべきかもしれない。

「意見具申にまいりました。聞いてもらえますか?」

 愛宕がやんわりと切り出しながら、高雄の方をちらと見る。きっと表情が硬くなっているのを気づかれたのだろう。話し役はまかせろということか――高雄は生真面目な自分に思わず肩をすくめてみた。

「なあに? 重巡二人が来るとは穏やかじゃないわね」

 伊勢の声はとがってこそいないが、硬いものを感じた。対する愛宕の声はあくまでやわらかで、衝突しないように気を遣っているのがわかる。

「現状の戦法ではめざましい戦果があげられていません。AL作戦はあまり長引かせることは好ましくないでしょう。短期間のうちに試行回数を増やすべきだと思われますが?」

 愛宕の提案を聞いた伊勢は、ふうっと息をついてみせた。

「あなたが言っているのは交代制での波状攻撃のこと?」

「ええ。二部隊でローテーションを組んで敵の警戒網を徐々にそぎ落とします。一定の効果が見られたところで、現状の二段階突破に切り替えてもいいでしょう」

 愛宕は頭から伊勢を否定しようとはしていない。いまの戦法も認めたうえで、違う形を試してはどうかと言っているのだ。

 普段の伊勢ならあるいは折れたかもしれない。だが。

「前回の出撃では敵の警戒網突破まであと少しだったわ。現状の二段階突破でも敵戦力は削げていると思う。作戦はこのままの形で続行します」

 あくまでも伊勢はかたくなだった。

 それを受けて、愛宕はふむ、と考えてみせて、まるでいま思いついたように、

「それなら、メインとバックアップを交代させてはどうでしょう。第二部隊を先に出してわたしたちが支援に回るんです」

 そう言って、愛宕はとびっきりの笑顔をみせてみた。

 高雄はおもわず目がじとりとなっていた――最初からこれを言うつもりだったか。

 伊勢は目を丸くし、手にしていた工具を取り落とした。

「日向を前に出すって言うの?」

 思わず口を出た言葉に、伊勢ははっとした顔になり、次いで咳払いしてみせ、

「だめよ。第一部隊が前に出ます。この戦域での経験値はわたしたちの方が上よ」

「でも、第二部隊の足柄さんたちの方が練度が上じゃないですかあ」

 愛宕がすっと目を細めながら、追求する。伊勢がたじろぐのが目に見えてわかる。

「だめ、絶対にだめ。まだ損害だって出てないし、だいじょうぶだから――」

「でもたびたびの出撃で疲労はたまってますよ? 交代してもいいんじゃ――」

「――だめなものはだめなの! 日向は前に出さない!」

 伊勢が語気荒く言い放った。

 愛宕がうなずくと、高雄の肩をぽんと叩く。

 本音は引き出したから後は任せたということか――高雄は表情を引き締め、

「そんなに日向さんを出撃させたくないんですか」

「ええ、そうよ。その通りよ。わたしは日向に出てほしくない」

「日向さんの練度は演習を経て回復していると聞いてます。これまでに出撃したのは数える程度ですが、それでも指揮にも戦闘にも問題はなかったように聞いてます」

「わかってるわよ、そんなのは……」

「じゃあ、どうして控えに回すんですか」

「日向を失いたくないのよ……もう、二度と」

 伊勢は力なくそう言った。それを聞いて、高雄は思わずため息をついた。

「日向さんはそんなに簡単に沈みませんよ。もう少し信用したらどうです」

「信じられるわけないじゃない――あの子はわたしの知ってる日向じゃない」

 伊勢の心の檻が解けて、ぽつり、ぽつりと言葉になって本音がこぼれだす。

「前の日向なら安心してまかせられた。でもあの子は違う。違うのよ」

「どう違うんですか。同じ日向さんじゃないですか」

「違うわよ! 戻ってきたあの子は違う!」

 伊勢は叫んだ。目に涙が浮かんでいた。

「高雄、考えてみて。自分の目の前で、愛宕が沈んで、その彼女が戻ってきたとしても、記憶もなにもかもあやふやで、自分のことをおぼえていなくて、それでも同じ愛宕って信じきれる? 自分との思い出を何もかも忘れていたのに!」

 そう言われて、高雄はおもわず愛宕に目をやった。

 鎮守府では姉妹艦はセットで運用されることが多い。基本的に相性のいいことが連携に効果的だからだ。寝起きも一緒、出撃も一緒、楽しい記憶も苦しい記憶も分かち合う仲の片方がもし消えていなくなったら――

 高雄は思わず怖気が走るのを感じた。単なる姉妹艦ではない、自分の半身といってもいい関係だ。それがある日急にいなくなり、戻ってきたら何もかも覚えていないのだ。それが同じ者だと言われても容易には信じられないだろう。

 日向が戻ってきても、伊勢は少しぎこちない様子ではあったが、それなりにうまくやっているように見えた。他の艦娘たちへの態度も変わらず、だからこそ日向のことを気にかける者はいても、伊勢はなんとなく安心だという印象だったのだが――

「ずっと……苦しかったんですね」

 高雄がぽつりとつぶやくのに、伊勢は小さくうなずいた。

 愛宕が高雄の肩に手を置く。高雄は思わずその手に自分の手を重ねていた。

 伊勢の気持ちは痛いほどわかる。だが、いまはその心情を忖度できる場合ではない。

「伊勢さん。第一部隊の指揮権をわたしに預けてもらいます。お気持ちはわかりますが、いまは任務中です。個人の感情で作戦の成否を左右させるわけにはいきません」

「――それには及ばないよ」

 不意に声がかけられ、高雄と愛宕は振りかえった。

 岩陰から、すっと日向が姿を現した。それを見て、伊勢の目が大きく開かれる。

「……聞いてたの?」

「伊勢があんなに苦しそうな声を出すんだ。聞いてしまうだろう」

 日向の表情は凪いでいた。

「いつも感じてた――最初は気のせいかと思っていた、伊勢の態度が微妙によそよそしいのは。だが、わたしが変わってしまったことで、伊勢も変わってしまったんだな」

 その声は穏やかだったが、優しさよりも諦めに満ちているようだった。

「明朝の出撃はわたしの部隊が出る。伊勢は支援に回ってくれ」

「日向――」

 伊勢が呆然としているのに、日向は短く言い放った。

「少し、頭を冷やすといい」

 

 

 まだ夜明け前のことである。

 高雄はというと、夢にうなされて、いつもより早い時刻に目がさめてしまった。

 どんな夢だったかはおぼえていないが、きっと伊勢の話をきいてしまったせいだ。

 高雄はそう思い、ため息をついたあと、ふと、外で何か音がするのを聞いた。

 テントから顔出してうかがうと、艤装を身に付けて完全武装の伊勢が、忍び足で出て行こうとするところだった。とはいえ、鋼鉄の艤装の音まで隠しきれるわけではない。

「なにやってるんですか」

 高雄がじとっとした目で声をかけると、伊勢はびくりと身体を震わせた。

「あ、ああ、高雄? これはね、あのね、えっとね」

「出撃するつもりですね」

 高雄のじとりとした目に射すくめられて、伊勢は口をもごつかせたが、うなずいた。

「まったくもう、一人でどうするつもりなんです。自殺行為ですよ」

「でも、このままじゃ日向が先に行っちゃう……」

 伊勢は両手を合わせて、高雄を拝んでみせた。

「お願い、行かせて! 一回だけでいいから!」

「その一回であなた死にますよ」

「そこをなんとか!」

 懸命に拝んでみせる伊勢に、高雄はふっと笑ってみせた。

「だめです。一人では行かせません」

 その言葉に、伊勢がはっと顔をあげる。高雄はうなずいてみせた。

「伊勢さんの気持ち、わからないでもないです。だから、一回だけならつきあってあげます。第一部隊の皆を起こしましょう。あの子たちなら十分もあれば支度できます」

 

「これはどういうことだ!」

 日向は思わず声を荒げていた。駆けつけた足柄と鳥海が思わず口に手を当てている。

 出撃前に第一部隊と打ち合わせをしようとしたら、テントはもぬけの殻だった。

「逃げ出したわけじゃないわよね……」

「はい、その可能性はありえません」

 足柄と鳥海の言葉に日向が眉をしかめて言う。

「伊勢め、抜け駆けする気だな」

 日向は怒っていた。そこまでして自分を出したくない伊勢に本気で怒っていた。

 そこまで気遣うのなら、そこまで守ろうとするなら、なぜ壁を作るのか。

 伊勢がわからない。わからない伊勢に腹が立つし、わかれない自分にも腹が立つ。

「第二部隊、ただちに出撃! 第一部隊の救援に向かうぞ!」

 

 日向たちの部隊はすぐに準備を整え、伊勢たちの後を追った。

 道中に深海棲艦の残骸が浮かんでいるのを目にして、日向は舌打ちした。

(思ったより奥まで進んでいる――突破に成功したのか?)

 進路に敵の妨害はない。伊勢たちが先に撃破していったのだろう。

 しばらく進み、足柄が声をあげた。

「前方に影あり! ――深海棲艦じゃないわ、艦娘よ!」

「数は?」

「三つ!」

 日向たちは増速して、艦娘たちと落ち合った。伊勢たちに随伴しているはずの軽空母の飛鷹、隼鷹、それに軽巡洋艦の川内(せんだい)の三人だった。

「君たちだけか。伊勢はどうした!?」

「……伊勢さんと高雄さんたちは敵中枢にたどりつきました」

 損傷を受けている飛鷹が、痛みをこらえながら話した。

「わたしたちはそこで被弾して、そしたら伊勢さんが退避しろ、って」

「じゃあ、まだ伊勢たちは戦闘中か――!」

 その問いに、飛鷹がうなずいてみせる。

 日向は自分の顔から血の気が引くのを感じた。

「おまえたちはこのまま拠点に戻れ―――急ぐぞ、みんな!」

 

 重巡リ級、それも最高ランクのFlagshipクラスの砲弾が伊勢たちへと飛んでくる。 

 水柱があがる中を懸命に応戦していたが、ここまでの戦闘で皆少なからずダメージを負っている。重巡の高雄や愛宕はもちろんのこと、戦艦の伊勢といえどもまともに食らえばただではすまない。

「撃ち負けないで! ここを突破すれば航路が開ける!」

 伊勢の言葉に、高雄と愛宕がうなずく。あと一歩、もう少しなのだ。

 だが、深海棲艦の砲撃は熾烈を極めた。至近弾がいくつも愛宕を襲い、彼女の姿が水柱に包まれる。

「愛宕――!」

 高雄が叫んで、愛宕の元へ駆け寄ろうとする。

 その隙に、重巡リ級の砲がぎょろりと高雄に向かう。

「させるか!」

 伊勢は叫んで、足を止めて、主砲を撃ちはなった。

 高雄をねらっていた重巡リ級に砲弾が当たり、炸裂する。

 爆炎をまといながらのたうつ重巡リ級を見て、伊勢は思わず、

「どうよ!?」

 と叫んだが、次の瞬間、残る重巡二体の砲が自分を指向しているのに気づいた。

 足を止めている上に、重巡二体の位置は自分をほぼ直角に挟み込んでいた。

 十字砲火のキルゾーン。今から主機を動かしてもよけきれない。

 伊勢は思わず目を閉じ、歯を食いしばった。

 敵の砲撃音と同時に――伊勢は日向の声を聞いた。

 

 日向は主機が悲鳴をあげるのにも関わらず、いっぱいにあげた。

 全速で海面を駆け、身をすくめる伊勢の前に飛び出した。

 重巡リ級の砲が火を吹く。

 日向は身をよじり、鋼鉄の艤装を盾として、その砲撃を受け止めた。

 爆音。衝撃。次いで苦痛。

 悲鳴をあげそうになるのを必死にこらえて、顔をあげる。

 重巡リ級の砲がまだこちらを狙っている。

 次に当たれば戦艦といえどもひとたまりもないだろう。

 時がゆっくりと流れるような感覚――不思議と日向の頭は冴え冴えとしていた。

 この感覚は初めてではない。過去にも同じものを味わっている。

 そう、あのときは戦艦が相手だった。無理を押して先へ進んだことが仇となり、損傷を受けていた自分は良い的にされ、そして――

 ――沈んだのだ。

 日向は、その時の伊勢の顔を「思い出して」いた。

 顔面蒼白になり、必死にこちらに手を伸ばそうとして、だが、届くはずもなくて。

 そんな伊勢に自分は何と言ったのか。

「そうだ――生き残れ、だ」

 日向はつぶやいた。自分が的になることで伊勢が助かるなら本望だった。

 確かにあの時、自分は沈んだのだ。では、いまここにいる自分はなんだ?

 亡霊か? 日向の記憶を持った別人か? それとも本当に命拾いしたのか?

 なんだっていいさ――日向は歯を食いしばった。

 伊勢を守るために、自分は戻ってきたのだ。愛する自分の姉妹艦。

「ぁあああああ!」

 考えている時は刹那の間、次の瞬間、雄たけびをあげて日向は身をよじり、残った艤装の砲を重巡リ級に向けた。狙いをさだめ、すかさず主砲を撃ちはなつ。

 砲撃はあやまたず重巡リ級に命中し、戦艦の大火力をまともに受けた深海棲艦は爆炎に包まれながら波間に沈んでいく。

 やった、と思った次の瞬間、日向を更なる衝撃と痛みが襲った。

 残った重巡り級が狙ってきたのだ。艤装でかろうじて防いだが、これ以上はもたない。 ここまでか――そう思ったが次の瞬間、重巡リ級をいくつもの水柱が囲んだ。

「日向さん、ここはまかせて!」

「次発装填、次は当てます!」

 足柄と鳥海の叫ぶ声が聞こえる。それを聞いて、日向はほっと胸をなでおろした。

 背中にかばっていた伊勢を振り返る。

 伊勢は、目に涙をいっぱいに浮かべて、顔を真っ赤にしていた。

「だいじょう――」

 そう言いかけて、日向は先を言えなかった。

 伊勢が自分の頬に思い切り平手打ちをくらわせたのだ。

「どうして来たのよ、ばか!」

 伊勢の声は泣き出す寸前だった。

 日向は安堵し、次いで、あきれ、そして――怒った。

 きっと眉をつりあげ、伊勢の頬に平手打ちをお返しして、言った。

「ばかはそっちだ! どうしてわたしを頼ろうとしない!」

「頼れるわけないじゃない! あなたはわたしの知ってる日向じゃない!」

「そんなことは関係ない!」

 日向は伊勢の肩を掴んだ。自分でも涙声になりながら、叫んだ。

「あなたにとってわたしは二人めの誰かなのかもしれない! でもな、わたしにとっては伊勢はあなた一人なんだ! わたしのかけがえのない姉さんなんだ!」

 その言葉に、伊勢の目が大きく開かれる。

 日向は、じっと伊勢の目をみつめた。

 伊勢の目から、ぽろぽろと涙がこぼれだした。

「ごめん……ごめんね……あなたにとってはそうなんだよね……」

 伊勢の頬を涙が幾筋も伝う。

「それなのに……わたしは日向の気持ちも考えないまま、ずっと壁を作って……あなたを傷つけていたんだね……」

 そう言うと、伊勢は日向の胸に顔をうずめ、わんわんと泣き出した。

 日向は、そんな伊勢をそっと抱きしめた。

 ずっと欠けていた何かが、ほんのわずかに埋まった、そんな気持ちだった。

 

「――それでは、拠点攻略部隊、行ってまいります」

 高雄がそう言うと、脇を締めた見事な敬礼をしてみせた。

 見送る伊勢と日向も敬礼を返す。

 高雄は目を細めて笑ってみせると、海面をすべるように駆け出した。

 愛宕、足柄、鳥海がそれに続く。敵拠点、北方棲姫を叩きに行くのだ。

「戦艦の援護なしで大丈夫かな」

 伊勢がそう言うのに、日向はうなずいてみせた。

「金剛たちの支援部隊が向かっているそうだ。彼女たちが着くころには間に合うさ」

「そっかあ」

 伊勢は天を仰ぎ、大きく息をついた。

「帰還したら懲罰ものよねえ。提督からこっぴどく叱られるわ」

「戦隊指揮がメインもサブも揃って戦線離脱だからな」

 日向がおかしそうにくつくつと笑う。それを見た伊勢がむすっとした声で、

「そんな笑い方、日向はしないんですよーだ」

「そうか? 前からこうだぞ」

「前はもうちょっと聞き分けがよかったなあ」

「おっちょこちょいの姉を持つといやでも面倒みなきゃならないからな」

 日向は笑みを浮かべながら、言った。

「艦娘は変わるものさ。なにせいったん地獄へ行ったんだ。変わらざるをえないさ」

「――やっぱり、あなた、前の日向じゃないわ」

「そうかもな。それでいいんだ。わたしにとって伊勢は一人きりだから」

「ずるいなあ」

 伊勢はそういうと、くすりと微笑んでみせた。

「――これから、また、ゆっくりやり直そう。ねえ、日向」

「そうだな。新しい思い出をまた二人で紡いでいけばいい」

 伊勢が日向の手をそっと握る。

 二人は顔を見合わせた。お互いに微笑みを交し合う。

 やがて、どちらからともなく、指を絡み合わせた。

 もう二度と離れない――そんな思いを込めるかのように。

 

 

〔続く〕


 
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