No.70298

恋姫✝無双 偽√ 第四話

IKEKOUさん

第三話で書いたとおりこの第四話で序章が終わりとなります。

これで書き貯めのストックがなくなってしまうので次の投稿は5月に入ってからだと思います。

自分の作品を見て下さる皆様、そして応援して下さるコメントが作者のやる気の源ですのでやる気は有り余るほどに溜まっています!

続きを表示

2009-04-25 00:17:44 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:16955   閲覧ユーザー数:12927

 そして徐州に帰る日の朝が来た。

 

曹操の言っていた期日だ。

 

愛紗を渡すか否かの決断をしなければならない。

 

「愛紗を渡す?」

 

 そんなことは初っ端から選択肢に入れちゃいない。

 

 曹操からは昨日の晩に「明日の早朝に玉座の間に来てほしい」と言われている。

 

 それで今、俺は大きな扉の前に立っている。

 

 扉を開ければそこは玉座の間だ。

 

 この作戦は俺に懸かっている。

 

 そんなつもりはなかったが事前に程昱に会っていることが布石にもなっているはず。

 

 

「覇王曹操の眼力が勝つか天の御遣い北郷一刀のハッタリが勝つか…自分で言ってみてなんだが無謀だなぁ」

 

 対等なのは異名だけ…不謹慎だけど少し笑ってしまった。

 

 でも、俺も考えに考え抜いて出した策だ。勝てる要素は十分にある。

 

「よしっ!!」

 

 両手で強く頬を叩いて気合いを入れる。

 

 制服の内ポケットに入れていたみんなからもらったガラス玉が入った小さな袋をギュッと握りしめる。

 

 カチカチとガラス玉同士がぶつかる感触が掌に感じる。握りしめた袋の感触はとても冷たかった。

 

「俺の決断は間違っているのかな?…それでも!!」

 

 そして重い扉を両手で押し開く。

 

 ギイッ

 

 鈍い音とともに審判の時が訪れた。

 

“俺がみんなことを大好きだって気持ちに嘘はないから…”

 

 同時刻、徐州の彭城内。

 

「今頃、ご主人様たちって曹操さんのお城を出発してるはずだよね?」

 

「はいっ!多分…一週間前後にはこちらに戻ってこられると思います」

 

「そっかぁ、早く帰ってきてくれないかなぁ」

 

「そうですね。無事だといいのですけれど」

 

「大丈夫だよ。私たちが願掛けをしたお守りを渡したんだから。無事に帰ってきて~って」

 

「う~早くお兄ちゃんに会いたいのだ」

 

「もう少しの辛抱だよ、鈴々ちゃん。今、私たちができることはやれることを頑張ってやるだけだよ。そうすればご主人様もきっと褒めてくれるはずだよ」

 

「にゃー!鈴々いっぱい頑張っていっぱい褒めてもらうのだ!」

 

 言うが早いか鈴々は練兵所の方に駆け出していった。

 

「現金だなぁ、最近はずっと愛紗ちゃんがいなかったからお昼寝ばっかりしてたのに。鈴々ちゃんもご主人様が大好きなんだね」

 

「も…ってことは桃香様も?」

 

「もちろん、朱里ちゃんと雛里ちゃんもご主人様のこと好きだよね?」

 

消え入るような声で朱里と雛里は「…はぃ」と頷いたまま顔を俯かせた。

 

「それじゃあご主人様が戻ってきた時にお祝いができるように準備してよっか?」

 

「「了解しました!」」

 

 二人が執務室から出ていったのを確認してから桃香は「ふぅ」と息を吐いた。

 

 大好きなご主人様に会えないことは桃香にとって苦痛でしかなかった。あの優しい声で「桃香」って話しかけて欲しい。あの心が温まる様な柔らかい微笑みが見たい。

 

「はぁ…」

 

“ため息の回数だけ月と太陽が一巡りしてしまえばいいのに”

 

 そんなとりとめもない事を考えながら桃香は今日も政務に勤しむのだった。ただただ愛しいご主人様の為に。

 

さらに同時刻、許昌城内の一室。

 

 愛紗は桃香とは異なる種類のため息を吐いていた。

 

「ほぅ…」

 

 この城に来た初日のことを思い出していた。

 

 あの日から毎日、といっても二日前のことだが。しかし、愛紗にとってはあの日、あの時間は当に夢心地だった。

 

 だから愛紗は思う。朝に目が覚めた時、あの夜のことは本当は夢じゃなかったのだろうかと酷く不安になる。

 

でも、しばらく布団の中にいると感覚が甦って来るのだ。

 

武人として生きる私にとって味わうことはないと思っていた愛しい男性の腕に優しく抱かれる触覚。

 

口づけした時に流れ込んでくる甘美で脳髄が痺れるような味覚。

 

互いの性器から染み出した淫らな液体が発する獣じみた臭気を感じ取る嗅覚。

 

私が苦痛に快感に喘いでいる時、耳元で囁かれると顔が真っ赤に紅潮し身体が液体になって蕩けていってしまいそうな聴覚。

 

「意外に」といえば失礼になるかもしれないが、普段なにも思わず見ているご主人様の身体が逞しいことを知った視覚。

 

まるであの時は五感すべてが研ぎ澄まされたような、戦場でもここまでは滅多にならないような…喩えるならば敵軍の猛将と一騎打ちをしている時のような感覚の鋭さに似ていた。

 

「ほぅ…」

 

 もう何回とも知れないため息を吐いた。ことわざでよくため息の数だけ幸せが逃げていくと言われるが今の愛紗にはそんなことはどうでもよかった。

 

 何もせずとも出てくるのだからしょうがない。それに愛紗の中にある幸せは何十、何百程度のため息で逃げていくような量ではないはずだ。

 

 愛紗はそう思っていた。

 

 ほんのすぐそばに迫っている別れの時は刻一刻と近づいていることに気付かずに。

 そこを抜けると雪国、なんてことはあるわけないのだが、そこにあった光景は壮観だった。

 

 三國中で最大の領土、兵力を持ち、蜀漢を滅亡させた大国、魏の根幹をなす武官・文官が揃い踏み。

 

「これはなんとも…。えらく豪華な歓迎じゃないか」

 

「当然じゃない。だってあの関羽が私の物になるのでしょう?そのせいで昨日は夜も興奮して春蘭・秋蘭・桂花、三人も失神させてしまったわ」

 

「そっか、それは御苦労さま」

 

「ちょ、ちょい待ち!関羽が華琳の物になるってどういうことなん!?」

 

「そのままの意味よ。何か不満があって?」

 

「不満とかそういうんやなくて」

 

「私は欲しい物は必ず手に入れる、それだけの話よ。それに霞、あなたも関羽のことを気

に入ってたんじゃなかったかしら?」

 

「そ、それはぁ…」

 

「じゃあもういいわね」

 

「………」

 

 曹操は張遼の方に向けていた視線を切り、俺を正面の見据え、悠然と玉座に座りながらこれが私とあなたの力の差よと言わんばかりに見下した。

 

 傲岸不遜、この言葉は当に曹操の為にある言葉のように思えた。あまりに堂々とした態度にいっそ清々しささえ感じた。

 

「それで返答を聞かせてもらいましょうか」

 

「あのさ、ひとつ質問してもいいか?」

 

「貴様!華琳様になんという口のきき方を!!」

 

「かまわないわ春蘭。いいでしょう言ってみなさい」

 

「曹孟徳、君は何を目指す?」

 

「さっきも言った通り、私は欲しい物は必ず手に入れる。それだけよ」

 

「君は周囲の人たちから覇王と呼ばれているらしいね。つまりはこの大陸もってことだよね?」

 

「質問は一つじゃなかったかしら?まぁいいでしょう。今日の私は気分が最高にいいの。では、その質問に答えましょう。無論よ」

 

「…そうか」

 

 一刀はおもむろに上着を脱ぎ出した。

 

「それはどういうつもりかしら?」

 

「仮にも敵になるかもしれない男を呼び出すんだ。ボディーチェック…武器を隠し持って

るとか思わなかったのかい?」

 

「別にあなた程度ならどうとでもなるでしょう?あなたにはこの私の可愛い部下たちが見えていないのかしら?」

 

「もちろん見えているさ。でも注意しすぎるってのは悪いことじゃないだろう?」

 

「何を考えているか分からないけど、いいでしょう。そこのあなたご要望通り持ち物を検査してあげなさい」

 

 曹操は俺の近くにいた兵士に命じて俺の持ち物を検査させた。

 

「これで満足できたかしら?」

 

「あぁ、それでなんだが曹操、君は大陸というのがどんなものか知っているかい?」

 

「当然じゃない。それをわからずして大陸の覇王を目指すなんて言わないわ。北はもう手に入れたから西は涼州・蜀、南は孫呉、近い未来我が手中にして見せるわ」

 

「はははっ、小さい、そりゃすごく小さい大陸だな。それは大陸とは言えない。たった一つの国の内乱を治めたに過ぎない」

 

「なんだと!!貴様ぁ!!!」

 

「それは聞き捨てならないわ。あなたを今ここで切り捨てても構わないのよ」

 

 曹操の酷薄な笑みを浮かべ、自らの得物に手をかけようとする。それに周囲の人間の怒気、殺気が肌にビリビリと伝わってくる。

 

「俺を殺したければ殺せばいい。そうすれば愛紗が手に入らないどころか曹孟徳の風評まで落として構わないんならね」

 

「へぇ…前者はわかるとしても後者はどういうことかしら?」

 

「魏の軍律の厳しさは周知の事実だ。無駄な殺戮、略奪はしない。だろう?その曹操が自分で招いた客の命を奪ったと知れたらどう思われるかな?」

 

「その程度の情報改竄ができないとでも思っているのかしら?」

 

「思わないさ。だから昨日の晩に早馬を出した。内容は『もし、俺が戻ってこなかった場合は曹操に謀殺されている。その情報を各地に流してくれ』だ」

 

「あなた達の兵は皆、城外で野営していると聞いているわ。それに夜は絶えず警備兵が警邏しているのよ」

 

「別にその命令を聞かせるのは野営している兵だけとは限らないだろう?これだけ大きな街なんだ、間諜を紛れ込ませるのはわけないさ。俺だって間諜の一人一人を把握しているわけじゃないけど、昨日市を散策していた時にたまたま見たことある顔を見つけてね」

 

「そんなハッタリに騙されると思って?」

 

「だから俺を殺せばわかるって言ってるんだから試したらいい」

 

「……案外駆け引きもうまいのね」

 

「お褒めにあずかり光栄だね」

 

 曹操の怒気が少々おさまったように感じる。まだまだ危険だということは十分わかっているが。

 

「それで結局あなたは何が言いたいのかしら?」

 

「やっぱり君に愛紗は渡せない。それが俺の答えだ」

 

「それじゃあ、徐州に攻め込んでもいいというわけね。あなたには失望したわ。せっかく少しは見直してあげたつもりだったのに」

 

「それもやめてもらいたいんだけど」

 

「はぁ!?あなた何を言っているかわかって?」

 

「もちろん」

 

「馬鹿を言わないで頂戴、そんなふざけたこと許せるわけがないでしょう」

 

「許してもらわなくちゃいけないんだよな。その代わりと言ってはなんだが」

 

 いったん言葉を区切る。そして辺りを見渡す。

 

「代わりに俺を曹操の陣営に加えて貰えないだろうか?」

 

突拍子もない俺の発言に玉座の間は喧噪に包まれた。

二日間続いた宴も終わり、徐州に帰る期日がやってきた。

 

 関羽は趙雲と共に出立の準備をしていた。許昌に赴くことになった時はどうしたものかと頭を抱えそうになったが何事もなく宴は終わり安堵していた。

 

 それ以上に愛すべきご主人様と結ばれたことが何よりうれしかった。もう一人の主人である桃香に対しては抜け駆けの様な形になってしまったことで多少罪悪感はあったものの

喜びの方が勝っていた。

 

 現在、ご主人様は曹操のところに行って今から徐州に帰ると挨拶に行っている。ほどなく戻ってきて下さるはずだ。

 

 もう私の方の出立の準備は終わっている。星と二人で分担して準備していたはずだからあちらの方もそろそろ終わっているはずだ。とりあえず声をかけることにする。

 

「星、そろそろ準備の方は終わったか?」

 

「あ、あぁすまぬ。もう少し時間がかかる」

 

「仕方のない奴め。私の方はすでに終わったので手伝ってやるとするか」

 

 私はとても機嫌がよかった。普段は少々説教でもしてやるところだが、顔に笑みさえうかべながら手伝いを申し出た。

 

「……」

 

「星、体調でも悪いのか?」

 

星は普段の飄々とした表情からは想像できないような顔をしていた。まるで能面を被っているような無表情で、少々俯きかけているからか影が差していた。

 

 

一方、星はというと昨日の晩の事を思い出していた。

 

「愛紗の代わりに俺が魏に降る」

 

「!?部下の代わりに主君が敵に降るなど聞いたことがありませぬ、ご冗談を言っている場合じゃ」

 

主は叫びを遮るように私の口元に手を翳した。

 

「あまり大きな声を出さないでくれ。見回りに兵士が気づくかもしれない」

 

「し、しかし」

 

「冗談を言っているように見えるか?俺はこんな時に冗談を言えるような性格はしていないと思ってる。そりゃただ主君と部下の関係だったら曹操に従っていたかもしれない。でも違うだろう?俺は愛紗を愛してるんだ。部下として、なにより一人の女性として。それは星も同じだ。もし愛紗と星が逆の立場だったとしても俺は同じようにする」

 

「……」

 

 主は真剣な表情でこちらを見つめている。その瞳は磨き上げられた黒い真珠のように澄み切っていて、正面にいる私とその背後にある満月を映し出していた。

 

「わかってくれたか?」

 

「…わかりたくなどありませんでした」

 

「それは言わない約束だろう。今から明日のことで打ち合わせをしたい。ちゃんと聞いててくれ返事はしてくれなくていい。多分、これが俺の主君としての最後の命令になる」

 

主は佇まいを直して話を始めた。

 

「明日の朝、俺は徐州に帰ることを報告しに玉座の間に行かないといけない。そこで曹操に愛紗を渡すか、徐州に連れて帰るか決めないかを決断させられる」

 

「結論は先に言った通り曹操に愛紗は渡さない。俺は愛した女の子を横から掠め取られて我慢できるほど人間ができちゃいないからな。もちろん星も含めた俺を主君として仕えてくれてるみんなもだ」

 

「そこで俺は、曹操に交換条件として自分を差し出す。その後、星と愛紗は玉座の間にきて曹操から俺の裏切りを聞かされるだろう。惚気るわけじゃないけど愛紗がそれを聞いたら激しく戸惑うと思う。そこで星に愛紗を引きずってでも俺から引き離して徐州に帰って欲しい。幸い徐州には劉備って言う主君がもう一人いる。誰もいなくなるわけじゃない」 

 

「そして俺のこと、天の御遣いは私たちを裏切ったとみんなに明確に伝えてくれ。そうすれば時間はかかるかも知れないけど俺が敵になったと分かってくれるはずだ。間違ってもすぐに曹操に対して敵意を持たせないそうにして欲しい。今敵にまわして勝てる相手じゃない。つまり混乱を長引かせて欲しい。その間だけは俺が曹操を食い止めるから」

 

「もしも曹操が徐州に兵を向かせる時が来たのなら、逃げろ。そういえば朱里と雛里はわかってくれるはず。これが俺考えついた策の全貌だ」

 

 私は黙って主が話し終わるのを待っていた。時間が経つにつれ頭は冷静さを取り戻していた。

 

「主、いくつか質問があるのですがよろしいか?」

 

「あぁ、かまわないよ」

 

「まず1つ目ですが愛紗の代わりとして自らを差し出すと仰いましたが、いくら主が一国の主君だとしても配下にするとしての能力からみれば、無礼は承知で申しますが主が愛紗よりも優れているとは思えません」

 

「確かに、それはそうだな」

 

「ならばどうやって?」

 

「それは俺が歴史を知ってるっていうこと武器にするしかないな。まぁ、それも俺の交渉次第だろうけど」

 

「二つ目ですが曹操に対してどうして敵意を持たせてはならぬのです?敵意を持ったところで彼我の戦力は圧倒的。むやみに戦争を起こすなどありえぬでしょう」

 

「簡単だ。曹操に対して敵意をむき出しにした愛紗・鈴々・恋を止められると思うか?それに曹操が俺を人質にしてるなんて勘違いしたら主君の桃香でさえも戦うことに賛成しかねないだろう?」

 

「すみませぬ。まだ少し頭に血が昇って冷静になりきれていないようです」

 

「しかたないさ。こんな状況なんだから」

 

 主は落ち着かせるように私に肩に優しく手を置いた。

 

「…最後にもう一つよろしいですかな?」

 

 

 声が震えた。

 

 

「私が主を愛するこの気持ちはどうすればいいのでしょう」

 

 

 頬を暖かい雫がつたって冷たい石の地面に吸い込まれた。

 

 

次の瞬間、私は暖かい何かに包まれた。

 

「ごめん」

 

 主は一言だけ告げて強く私の体を抱きしめた。これまで必死に押しとどめようとしていた感情は堰をきったように涙となり、嗚咽となり私の外に溢れ出た。

 

 声が漏れないように主の胸板に顔を押し付け、今度は自分から主の腰に手をまわし強く抱きしめた。

 

 それからどれだけ時間が経っただろう。月の位置はだいぶ変化していた。

 

 今、私は城壁にもたれかかり座っている主の胸に背を預けるように座っている。

 

 肩越しに私のおなかにまわされている主の手の感触が心地よい。

 

「なぁ星、なにか俺にして欲しいことや物はないか。あんまり時間もないけどできることだったらなんでもしてやるぞ」

 

「いきなりどうしたというのですか?」

 

「いや…星にはつらい役回りをさせるなぁと思ったら無性に落ち着かなくって」

 

「別にありませぬよ。今このひとときを主と過ごせるだけで私は幸せです」

 

「そうか」

 

 再び辺りを静寂が支配する。気まずさなど微塵もない。

 

「一つだけ、一つだけよろしいですか?」

 

「もちろん」

 

「いずれ必ず主を曹操の手から救い出してみせます。その時は主の子をこの身に宿したいのですが、約束していただけますか?」

 

「いいよ。星、ちょっとこっちを向いてくれないか?」

 

 振り返ると主の顔が真近にあり、唇を奪われた。

 

 ただ触れるだけの接吻。

 

「約束は必ず守る」

 

 主は屈託のない笑みを浮かべていた。それにつられるように私の顔も綻んでいた。

 

「それじゃ、俺は先に部屋に戻って明日の交渉の内容を考えることにするよ」

 

 そう言って主は城壁を後にした。

 

 誰もいなくなった空間を見渡すと酒と杯が目に付いた。

 

 手に取り、コハク色の液体を杯の注ぎこみ静かに呷った。

 

「よい酒だな」

 

 傾きかけた月を仰いだ。

 

「おい星、聞いているのか?」

 

 愛紗の声で一気に現実に引き戻された。

 

 至急、玉座の間に来てほしいという伝令が来たのもほぼ同時だった。

「静まりなさい!…北郷一刀、あまりふざけたことばかり言ってると首と胴体が離れることになるわよ」

 低く、底冷えするような声で俺に話しかけてくる。

 

「当然だ。それが自分の仲間を裏切ることになるのはちゃんとわかってる。その上で俺はこの提案をした」

 

 言いよどむことなく、はっきりと自らの劉備達からの裏切りを告げた。

 

「へぇ、それを私が受け入れると思って?」

 

「そうせざるを得ないようにさせてみせるさ。言葉は悪いが俺が劉備達の所に戻ったら君は天下を取ることはできない。少なくともここにいるすべての人間が生きている間はね」

 

 瞬間、俺の頸元・胸元に白刃が突き付けられた。その後方では夏候淵が矢をつがえていた。

 

「これ以上、あなたの戯言に付き合うつもりがなくなったわ。ここから先は私の許可なく喋っても殺す。一寸でも動いても殺す。わかったら頷きなさい。聞けないのなら…この先は言わずともわかるでしょう?」

 

 先ほど感じた以上の殺気に背中が水でも浴びせられたかのようにグッショリと濡れるのを感じながら顔に平静を装う皮を貼り付けて首を上下に動かした。

 

 …おそらくうまくはできていなかっただろうけど。

 

「いいわ。私があなたを配下にすることにどんな利があるのか答えなさい」

 

「……」

 

「あぁ、話してもかまわないわ」

 

「それじゃあ、紙と筆を貸して貰えないかな?」

 

「よくわからないけど、いいでしょう」

 

 そういって曹操は部下に命令させて、紙と筆を用意させてくれた。

 

 そこに簡略化された世界地図を書いて曹操に見せた。

 

「これが何か分かる?」

 

「…地図、かしら?ずいぶん汚いけれど」

 

「それは俺が下手なだけだよ。そう、これは世界地図だ。簡単にだけど、俺たちが生きている世界の陸地の全てが書いてある」

 

「とてもそうは見えないのだけれど」

 

「そうだな~、曹操は大陸全体の地図はわかる?」

 

「大まかにではあるけれど」

 

「それで構わないよ。それを別の紙に書いてみてくれないか?」

 

「私に命令する気?」

 

「そんなつもりは全然ないんだ。それがあれば俺の言いたいことがわかってもらえると思う」

 

 曹操は何も言わずに筆を取り、サラサラと筆を走らせた。

 

 当然、俺の書いたそれより見やすくてわかりやすい。

 

「すごいな」

 

「当たり前でしょう。私はこれ全部を手に入れるのだから。あなたにしてみれば小さいことなんでしょうけど」

 

「そんなに凄まないでくれ。じゃあ、こことここを見てくれないか?」

 

 現在でいうところの朝鮮半島と遼東半島とその付近の海が陸地に食い込んでいるような地形を指でなぞった。

 

「それで俺の地図を見て欲しい。さっきの場所がこことここだ」

 

 さっき曹操の書いた地図で指し示した場所と重なる場所を指さす。

 

「一か所なら偶然と思うかもしれないけど、俺の話信じてくれたかな?」

 

「まぁいいでしょう。それで何が言いたいのかしら」

 

「俺が君の言う大陸が小さいって言ったのは、俺たちのいたところでは大陸の定義が陸続きになっている場所。つまり、大陸って言うのはこれのことなんだ」

 

 俺はもう一度筆をとり、大きくユーラシア大陸を丸で囲んだ。

 

「なにぃ!?」

 

 近くに来ていた夏候惇は驚きの声を上げた。

 

「曹操が言っていた大陸っていうのはここの部分だけだ」

 

 当然、この時代に世界地図なるものがあろうはずもない。俺から知らされた事実に玉座の間にざわめきが奔る。

 

 ここでもうひと押し。

 

「驚くのはまだ早い。まだずいぶん先の話になるけど、この国を統一して俺がさっき言った大陸、ユーラシア大陸の大半を支配した国家がある。しかも、それを成し遂げたのはこの時代で言う匈奴の子孫に当たる人たちなんだ」

 

「そんなことがありえるとでも言うのか!?」

 

「まぁ、それでも何代もかかってだけどね」

 

「それで北郷一刀、あなたは一体何が言いたいわけ?」

 

「率直に言おう。君に天下をあげる。その代わりに愛紗のことを諦めてくれないか?」

 

 

「あげるとは尊大な言い方ね。あなたが言うほど天下というものは甘いものじゃないわ。そうでなければこの私が天下を統一するなんて思う?」

 

「思わない」

 

 俺は即答する。

 

「それならば天下な」

 

曹操の言葉を遮るように言う。

 

「君にならばできる。それも一代で。そう思ったからこの提案をした。曹操、君は侵略の天才だ。他に類をみないほどの」

 

「侵略とは心外だわ。討伐よ」

 

「それはすまない。それで討伐してどうするんだ?」

 

「はぁ?じぶんの領地として支配するわ。支配と言ってもそこに住む民達に害を与えるわけじゃなく私たちの法に従ってもらうだけ。そうすれば今まで以上にいい暮らしができるようになるわ」

 

「そうだな。君が支配すればそうなるだろうな。それが君のいう大陸内だったら」

 

「どういうこと?」

 

「この世界には大きく分けて4つの文明が存在する。まず俺たちのいる黄河流域に栄えた黄河文明。インダス川流域に栄えたインダス文明。チグリス・ユーフラテス川流域に栄えたメソポタミア文明。最期にナイル川流域に栄えたエジプト文明。君がこの大陸を制した場合、黄河文明という文明を一つ支配したわけだ」

 

「結局何が言いたいわけ?」

 

「俺は君の力を持ってすれば、全ての文明を君の支配下に置けると思っている。他の文明を支配下に置くということは君の支配するこの大陸をもっと豊かにすることができる。文明とは独自の文化を持つ人たちの織り成す一つの社会だ。それを支配するということは文化の支配に他ならない。他の文化を支配し、それの持つ良いところを吸収してこの国に普及させればそれを治める君は千年帝国の礎を築いた偉大な覇王として君臨できるだろう。それに君の大好きな美女を世界中から集められるしね」

 

「大変魅力的なお話だけど、それは机上の空論よ」

 

「俺はそうは思わない。君はこんなところで燻っているたまじゃない。俺には曹孟徳の覇業を手伝える力がある。路傍の石で転ばないように支える杖になれる」

 

「……」

 

「俺は天の御遣いなんて言われてるけど、本当は普通の人間だ。頭も体力も並かそれ以下だと思う。それでもここまで生きてこられたのは愛紗や桃香の力、そして…俺が今存在するこの時代のことを歴史と知っているからだ」

 

「なんですって!?自分は未来から来たとでも言いたいの」

 

「あぁ、その通りだ」

「馬鹿らしい。春蘭この男を私の視界から消しなさい。不愉快だわ」

 

「はっ!ほら貴様来い!」

 

 夏候惇は曹操の命を受け、俺を玉座の間から連れ出そうとする。

 

「さ、最後にもう一つだけいいか?」

 

「……」

 

 曹操はこちらに目も向けようとしない。それに夏候惇に引きずられ声も詰まってしまう。

 

「次に、軍を進める…なら荊州経由の江東攻めはやめて…おいた方がいい。きっと…痛い目をみるから。攻めるなら」

 

「春蘭、その男を離しなさい」

 

「えっ!?」

 

「いいから!!」

 

「は、はいっ」

 

 夏候惇がいきなり手を離したせいで俺は情けなく倒れてしまう。

 

 それといきなり新鮮な空気を吸ったせいで思いっきりむせた。

 

「どうして、なんであなたがその情報を知っているの!?」

 

「言っただろう。俺は“歴史を知ってる”って」

 

「…信じられないわ!どうせ間諜が情報を…いえ、あり得ないわ…」

 

 曹操はブツブツと声を出しながら考え込んでいる。

 

「そう、あり得ない。夏候惇・夏候淵・許緒といった猛将ひしめく宮殿内に、それも最高機密である軍議を盗み聞きされるなんて。だろ?」

 

「…本当に信じられないけど未来から来たというのはウソではないというのね。ということは、私たちはあなたの言う歴史どおりに進んでいるというわけ?」

 

「大局的にはそうだけど、細々とした違いはあるよ」

 

「たとえば?」

 

「俺たちの歴史では曹操や桃香や孫策、全員男なんだ。そういえばここに典韋って娘はいるかい?」

 

「いるわ」

 

「そうか、不謹慎かもしれないけれど俺たちの歴史では典韋は張繍に殺されているんだ。曹操、君を守ってね。そういう違いはあるけれど大きな時代の流れは変わっていない。黄巾党・反董卓連合・官渡の戦い、全部史実通りだ」

 

「今の言いようは許せないわね。それじゃあ私の可愛い部下である流琉が死のうが死ぬまいが歴史に何の影響も与えないと?」

 

「そうは言ってないけど、もし死んでいたのが曹操、君や夏候惇、夏候淵、荀彧だったら?曹魏の大黒柱、柱石とも言える者が死んだとすればどうだ?俺は命の価値は平等だと思いたい。でも違うだろう?」

 

「…この曹孟徳ともあろうものが少し感情的になってしまったわ。確かに命の価値は不平等よ。それは認めるわ」

 

「俺はこの場にいるほとんどの人間の死期と原因がわかる。自分を除いてだけど。その中には事前に手をうつことで死を回避できるようなものもある」

 

「この私を脅迫しようというの?」

 

「いいや、違う。これは君が三日前にやった脅迫じゃない…交渉だ。それでもう一度だけ聞かせてくれないか?愛紗のことを諦めて欲しい」

 

「……………………いいでしょう。北郷一刀、あなたを我が陣営に加えることを認めましょう」

 


 
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