「やっとのお見えですか」
「ごめん、遅くなりました」
ううっ。初手から怒られた。
「ちょっとシャオ…小蓮と話長くなっちゃって」
「貴方の仕事は閨で女のご機嫌を取ることでは無い筈ですよ。それに貴方は皇帝なのですから言い訳などしなくて良いのです、格が下がりますからやめて下さい」
「うん、ごめ…わかった」
厳しい。三白眼気味なせいか多少上目遣いで睨まれてる様な気さえする。
『いいのよ子布なんてほっといて。一刀の事死ぬほどお気に入りだもん、ぶすーっとしたまま何時間でも待ってるわよ。だからもう一回…ね?そしたらシャオもちゃんとお仕事戻るからさぁ』
とか言われて約束の時間を過ぎちまったけど、思春よりも仏頂面に見えるんだが…。まあなににしろ、仕事に戻ってもらわなきゃいけないんだけど。
「あの、子布さん仕事の方だけど…」
「薫です」
「えっ?」
「私の真名です。御案内の署名に書いておいた筈ですが読まれてもいないのですか」
「い、いやそんなことはないけど…」
貴女は俺の事知ってるかもしれないけど、俺からしたらちょっと会って説教された以外はそれほど話した記憶も無いのに真名預けられてたとかちょっと厳しくないか!?
「ご、ごめん」
「また謝られて」
「ご…以後無い様に気をつけるよ」
「そのように願います」
…取り付く島が見つからない。聞いた呉の殆どの人が薫(張昭)さん苦手だって言うのが漸く理解出来てきたけど、また皆揃って子布さんが俺の事お気に入りだって言うのは全く理解できないんだが…。とは言えこんなところでへこたれてるわけにはいかない。
「あの、薫さん、それで…仕事についてなんだけど」
「まずお茶でも飲まれたら如何ですか。私を主君を迎えて茶も出さない臣にさせないで下さい」
「あ、うん頂きます」
黙ってお茶を淹れる薫さんはどう見ても不機嫌そうなんだが…詠は本当に不機嫌な時と照れ隠しの時とわかり易いのにこの人は本当に分からない。
「…どうぞ」
「ありがとう」
差し出されたお茶を、お礼を言って受け取った。いや、受け取ろうとしたのだけど。
「我が君には些か申し上げたいことがあります」
「うん」
それは聞くから。
「この度の小蓮様らの怠業についてはどのようにお考えなのかと」
「えっとあの…不徳の致す所なのかなと」
「そのような政治家の弁解じみた事を伺いたいのではありません。私が申し上げたいのは」
どうして両手をにぎられたままお小言なのかから先に聞きたいんだけど。
いや別にお茶は熱くないし、薫さんの手はすべすべで気持ちいいけど。
「私の話を聞いていますか?」
「うん、すべすべで」
「…」
あ、やっちった。
流石ににぎにぎが止まって睨まれた。表情が乏しいけど睨まれてるんだよな…これ?
「…天下国家の話をしているのですからちゃんと聞いて下さい。茶など置いて、もっとこちらへ」
「ご…はい」
手が離されたのでお茶を置いて、座布団を少し薫さんの方へ寄せる。
「呉には幼平・公奕という優秀な間諜が居ます、ですが他国に居ないとどうして言い切れるのですか?そのような距離では聞かれましょう、今少し慎重さを持って下さい」
「わかった」
もう自棄じゃ。座布団同士をくっつけてみた、これでいいですか薫さん。
「…それが耳打ち出来る距離ですか」
そう言いながら自分の隣の床をぽんぽんと叩く薫さんはあくまでポーカーフェイスだった。
正直、座敷で人と話すのに横に並んで座った事はない、っつーか殆どの人がそうだと思うんだが。顔色をうかがいながら座布団を動かして横に並んでみると、漸く軽く頷いた。
「およそ天下人たるは威を以って君臨する事が最も重要な仕事なのです。だと言うのに我が君は女の顔色を窺う事に汲々として」
「ええ」
まぁそれは分からないではないんだけど。
「小蓮様は兎も角、ちょっと陪臣の娘が拗ねた程度でわざわざ親征して一人ひとり御機嫌をとって回るなど、帝の品位を損ねるばかりではなくごねた者勝ちの風潮をつくり秩序を乱すものでこそあれ決して誉められたものではないではないですか」
「いやあの、御尤もなところも…あるんだけど」
「なんですか」
「あの…話し難くない?」
しなだれかかって肩に頭を乗せて、指絡めて手を握りながら話すってのは俺の知ってる天下国家の語り方と違う気が。
「耳元で話すにしましても男性の我が君に寄りかかられては女の私が支えられるわけが無いでしょう。この姿勢がもっとも盗み聞きされる恐れが小さく話しやすいのです」
「…いや、薫さんが苦痛で無ければと思っただけだから」
「必要な事ですから私は構いません」
事此処に至ってようやく俺はこの人が恐ろしく不器用な人なんじゃないかと思えてきた。仲達さんとはまた違った方向に。
「今何か他所の女の事など考えていませんでしたか?」
「とんでもない」
「そうですか。話は戻りますがこの大陸の長であるならば、一地方の多少の問題などわざわざ出向かずそこの政務の長である者を呼びつけて事情を聞けば良いのです。呼びつける小蓮様も小蓮様ですが私が陳情に上京すると言っても貴方の日程が合わないだのこちらの政務に差し障るなど言って越させない公瑾も公瑾です。おまけに私の代わりに子敬などを都へ出向させると言うではありませんか、子敬は仕事はそこそこ出来た方ですが先の三国事務方懇親会で蜀の徐庶と胸元の開き具合と裾の短さ具合を競って口論した挙句に貴方の枕席を荒らしていたと言うではありませんか。長幼の序を蔑ろにするどころか呉の品位を疑われるというものです、はしたない」
「…まぁ小蓮には小蓮なりの気持ちも考えもあったんじゃないかなとは思うんだ、夕(魯粛)さんもまあその、仕事は頑張ってくれてるし。それにほら、今日はこうして薫さんの意見を伺う機会も得られた事だし、まあ今回は勘弁してよ」
「我が君がそう仰るのであれば今回は大目に見ましょう。…ですが、次からは」
きゅ、と握った手にわずかに力が篭もる。
「私を呼んで、事情を聞くようにして下さい。宜しいですか」
「分かりました」
言いながら、何故か顔を伏せた彼女に即座に答える。
「…」
「…」
ふと訪れた、謎の沈黙。俺なにかやらかしただろうか。つか何か気の利いたことが言えないのがやらかしなのか。
薫さん、と声をかけようとした寸前に彼女の後方、部屋の扉が音も無く開き、不機嫌そうな明命が顔を見せた。俺が反応するや直ぐに『喋るな』というように口元に指を当てて、四枚の紙を順に見せた。
「雪蓮様より」
「『うるさいから」
「ヤッといて』」
「とのことです」
見せ終わるとやっぱり不機嫌そうなまま音も無く扉を閉められた。
…えっ?
おかしいよね?
なんでいきなりそうなるの?
「…薫さん?」
「何でしょうか。…我が君の方から仰りたい事があれば、なんなりと」
そんなことはないよね、と思いながら覗き込んだ彼女の白く端整な顔には赤みが差していた。
「…仰りたい事は、御座いませんか。私は積年の積もり積もったものを吐き出させて頂きました。今度は貴方の番です」
喋り方は変わらないけど、雰囲気が。えっとその、そういうことなの?
「…私に仰りたい事は、何も無いのですか」
「いや、薫さんたちがこっちで頑張ってくれてるから俺とかが都で安心して暮らせてる、本当にありがとう」
そんな泣きそうな顔されて抱き寄せないほど俺は心が強くない。
薫さんのうなじがみるみる朱に染まっていく。
「…それだけなのですか?」
「いやそれだけじゃない。女性として大事にさせてほしい。…もし薫さんさえ、嫌じゃなかったら…いいかな」
ぎゅっと抱き返しながら長く色っぽい溜息を吐く彼女に、腹を決める。
「…貴方の都での風評も聞いてはいますが、英雄は色を好むものと心得ています。私としては我が君がお求めになるのであれば…覚悟は出来ています。ですが」
「ですが?」
「私は…初めてなのです。下手くそでも、どうか笑わないで…」
震える声で呟く彼女の心音が、その豊かな胸越しにどくんどくんと脈打っているのに漸く気がついた。笑うわけない、優しくすると囁きながらゆっくりと彼女を押し倒すと、陶然とした表情で嬉しい、と溜息をつきながら唇を合わせて来た。
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