第一篇第七節 【力の使い方のこと】
「ふん、来たか」
離れから出てきた一刀を確認すると左慈は、口の端を吊り上げ、獲物を狩るように獰猛な笑みを湛える。
左慈が立つの村長の宅前にある小さく開けた庭。一刀は、静かに左慈から5メートル程、離れたところに立つと、木の棒を無言で正眼に構える。
それを見た左慈も右足つま先立ち状に前出し、左足に重心を置くように腰を落とす。右手と左手は、前方に添えられるように開いて構える。
両者とも構えを取ると動くことなく、お互いの動き伺っている。
決めるなら一撃、と一刀は考えていた。
先の外史でも、アイシャやリンリンなどからボロボロになるまで、ただシゴかれたわけではないのだ。
左慈との力量差は明らかで、時間が長引けば、それだけでも不利になると考えが浮かぶ。が、これは一刀の焦りだったのかもしれない。対峙する左慈の気迫に飲まれ、動かない身体に、動け、動けと命令し、気が急いていたのかもしれない。
やっとのことで動き出した一刀は、左慈との間合いをゆっくりとスリ足で縮めていく。そして、徐々に構えを正眼から、示現流特有の一撃必殺の構え、天を突くように木刀を右側に持ちあげ、昔祖父が見せてくれた
左慈はそれをただ見ていた。左慈からすれば、一刀の立ち位置は自分の間合い内なのだが、ただ静かに待っている。
その間合いが2メートル弱になると、一刀が裂帛の掛け声をあげる。
「キエーイ」
一刀はその勢いを殺すことなく、左慈の脳天を目掛け腰を下げるように木刀を振り下ろす。
その瞬間、左慈は動き出す。前に突き出していた足を踏みしめ、それを軸に身体を左に四半回転させる。重心を乗せていたかのように見せていた右足を更に左に持っていく。背中を通り過ぎる木刀に合わせるように、今度は上半身を上から降り下ろすように思いっきり右に捻る。そのことにより、力を蓄えた右足が、木刀を振り下ろしてガラ空きになっている一刀の右肩を貫く。
それに気付いた一刀は、木刀を引き戻そうとするが間に合わない。
「ぐ」
堅い石がぶつかったような衝撃が一刀の右肩に突き刺さり、身体ごと左に吹っ飛ばされ、視界が真っ暗になる。
「があ」
一刀が気が付いた時には、左慈から5メートル程離れた位置で倒れていた。
数多が、涙目で一刀の身体に抱き着いてきているようだが、肩の痛みで聴覚が麻痺しまったのか訳が分からない状態である。
左慈が未だに不機嫌な表情を浮かべたまま、こちらを見ている。
「やっぱり勝てなかった…」
ふと、一刀の口から出た。自分が如何に弱いのかを再認識させられた。やはり、彼女達と肩を並べることはできないのだろうか、と一刀は左慈の強さを素直に羨ましいと思った。
「…北郷一刀。俺を羨んだところで、何も得るものはないぞ」
「…」
睨むような視線を動かすことなく左慈は、一刀に話しかけてくる。
「この強さが欲しいのだろう」
その声が一刀の心に突き刺さる。それを誤魔化すように左慈を睨みつける。
「ふっ、そんなに睨んでもこの強さは手に入らんぞ、北郷」
その言葉に悔しさが湧きあがるが、言い返す言葉もない。
「…」
「まあ、いい。ただ、これは俺の力だ。お前のではない」
「…それがどうだって言うんだ」
一刀は、次々と湧きあがってくる悔しさを隠さずに左慈に言葉を投げつける。
「では、お前は力を得て、何をする。何ができる」
「それは…」
その問いに明確な答えを出すことができず、次の句が出なくなる。
「今のお前は、ただ力を求めているだけだ。その対象に俺や関羽、張飛や趙雲の力を羨んでいるだけで、自分から何もしなかった証拠だ」
さすがの一刀も今の言葉には、我慢ができなかった。俺だって好き好んでアイシャ達にボロ雑巾になるまで組手をしていたわけじゃない。
「俺だって鍛錬を続けて
「では、なぜお前は、俺に一太刀でも入れることができない」
…」
一刀の怒りの声が、左慈の言葉によって遮られる。
「なぜ、歴史に名を残す猛者達に手解きを受けながら、そんなにも弱い」
「それは、俺に武の才がないから…」
「ふっ、武の才?!ふはははは!お前は俺を笑い殺す気か!ははははは」
左慈は、笑い出す。
「自分に武の才がないからだと、それは貴様の甘えでしかない。武の何たるかを知らない、覚悟もない貴様に武の何を理解している」
左慈は、ただ一刀を見下すように言葉を続ける。
「じゃあ、お前はそれが何なのか理解してるって言うのかよ」
一刀は右手を突いて身体を起こそうとするが、右肩に強い痛みが走りバランスを崩してしまう。それを慌てながらも数多がその身体に抱きつき支えてくれる。
「ふん、吠えるな小僧!貴様には到底理解のできない悠久の中を歩んできた俺が、何も思わず、何も考えずに、己が武を使い、己が力を示して来たと思っているのか」
左慈の怒号が一刀に突き刺さる。
「…」
「たかが、一外史しか持ち合わせていない貴様に、俺の何がわかる」
その言葉に一刀は言い知れぬ苛立ちを感じる。
「…わけ…だろう」
一刀は下を向き、ボソボソと口を動かす。
「何かいったか?この負け犬」
左慈はそれを嘲るように笑う。
「わかる訳ないだろうが!俺はお前じゃない!俺は北郷一刀だぁ!」
そして、一刀の感情は爆発する。
「お前にこそ俺の何がわかるってんだ!ただ、みんなの後ろで、傷ついていく仲間を大好きな彼女達から守られるだけだった俺のその悔しさが、惨めさが、その何がわかるっていうんだ!」
「ふっ、わかる訳がないだろう。俺は北郷一刀じゃない」
「なっ?!」
左慈の静かな言葉に、一刀の怒りが肩すかしを受けたように流される。
「お前は勘違いをしている、北郷一刀」
そして、意志を宿した左慈の目が、一刀の視線と重なる。
「いいか、北郷一刀。お前に武の才がないわけじゃない」
「何いってるんだ!俺はそこらの兵士と同等程度だぞ」
左慈の言葉に驚きを隠せない一刀。
「北郷。貴様の比べている連中は化物だ。あいつらと同程度になるには、鍛錬の質・量・時間というものが、まったく違っている」
「あ…」
「理解したか。一朝一夕で身に着くほど、武は生易しいものではない。それが如何に英雄と言われた者どもでもだ」
左慈は、ゆっくりと一刀の前まで歩いてくる。
「俺の名は左慈、字は元放。名を預ける証として、俺がお前を鍛え直してやる」
と左慈は高らかに宣言した。
「…」
左慈の意図が理解できず、固まる一刀。当り前だろう、何せさっきまで敵対していた相手でもあるし、こんな友好的な人物には到底思えない態度を取っていた彼だ。その言葉を素直に受け入れられるだろうか。
思考の溝に嵌りかけた一刀の袖が引っ張られる。
そちらを見ると数多が心配そうにこちらを見上げていた。
その時一刀は、ああ、そうか、と思った。この俺にも、守られるのではなく、守れるだけの力があるんだと。それならやることは、決まっている。
「俺に、俺に力の使い方を教えてくれ」
「ふん、覚悟してい
「あなたたち、何をしているの!!」
…」
左慈の声を遮る声がしたので、そちらに目を遣ると何事かと集まった村の人たちと怒りに満ちた表情を浮かべた華佗が立っている。
「怪我人を増やしてどうするのよ!」
感動的な場面にそぐわない彼女の怒号は、『たしかに』とそこにいた誰もが考えるのだった。
つづく
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第一篇第七節です。
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