陳留に向かって行進してくる500人からの集団。
先頭には随分と立派な赤い馬と白い馬。
一見して武装はしていないようだが、隊列の整ったその行進具合は熟練の兵を思い起こすに十分なものであった。
必然、陳留城門を預かる門番の間に緊張が走る。
集団は城門から少し離れた地点で止まる。
白馬に乗っていた者が集団に対して軽く指示を出した後、全てが下馬して6人が徒歩にて近づいてきた。
後ろの2人は少々立派な服を着ている少女であることはわかるが、それ以外の4人は皆一様に頭から足までを隠す外套に身を包み、一切の素性が分からない。
やがて6人は陳留の城門、その目と鼻の先にまでやってきた。
「貴様、何者だ!名を名乗れ!」
至極当然のことながら門番が制止をかける。
「~~」
先頭の者が制止をかけた兵士にだけ聞こえるようにぼそりと呟く。
途端、兵士が慌てだした。
「な…貴様、何を言って…い、いや……し、しばらく待っていろ!」
近くの兵士に何やら耳打ちし、自身は伝令として城へと向かう。
後ろの少女はこのやりとりに不思議そうな顔をしているが、警戒を向けられたままで無駄口を叩くほど愚かでは無いらしい。
そのまましばらく待つと先程の兵士が戻ってきて上の意向を告げる。
「曹操様よりの意向を伝える。最小限の人数だけ来ることを許可する。尚、他の者達は一時こちらの兵で包囲、警戒する」
「それで構わない。案内してくれ」
「来い。こっちだ」
6人を連れて兵は再び城への道を進み始める。
入れ替わりに城門からは曹操の兵達が次々に出て行く。
外に残った者達は突然の包囲にも驚いた様子は無い。むしろ分かっていたかのように平然としたものであった。
軍議室にて集まる華琳とその参謀達。
火急に為すべきこととして一刀の穴をどのようにして埋めるかを議題に軍議が執り行われていた。
その軍議の半ば、一人の兵が慌てた様子で駆け込んでくる。
「ほ、報告します!先程門前に”天の御遣い”を名乗る者が来訪!その後背には目算ですが500程の集団有り!」
この報告を受け、大半の者は隠すこともなく怪訝な表情を浮かべる。
だが、僅かに2人、何を察したか驚愕の表情を浮かべている者がいた。
「何を馬鹿なことを…そのような戯言に付き合う必要は無いかと思いますが」
「確かに胡散臭いにも程があるわね。すぐに追い返しなさい。なんなら誰かの部隊を…」
『お、お待ちください、華琳様!』
零の意見に華琳が同調し、兵に指示を出し終える前にその2人、桂花と秋蘭が声を揃えて華琳に待ったを掛ける。
思わぬところからの予想外の反応に華琳は多少驚きながらも問い返す。
「どうかしたのかしら、秋蘭、桂花?」
「恐れながら華琳様、今この時期にその名を名乗るのは何かしら考えがあるのでは無いでしょうか?
ですので、その者の話だけでも聞いてみるべきであると愚考した次第でございます」
「私も概ね秋蘭と同じ意見です。
加えるならば、とある情報筋から予言にある”天の御遣い”は本当に降り立っていた、と聞いたことがありますので」
現状華琳陣営の頭脳トップ陣の申し出故にそうそう無碍には出来ない。
華琳自身、胡散臭いという思いは拭いきれないものの、ここは承諾しておくことの方が吉と考えたようである。
「分かったわ。では、その者達を連れてきなさい。
集団の方はいくらか兵を出して包囲、警戒でもしておきなさい」
「はっ!」
命を受け、兵は慌ただしく駆けていく。
そのまま議場に沈黙が訪れるかと思いきや、華琳が言葉を発する。
「それで?本当に理由は話してくれないのかしら、2人とも?」
その発言に桂花と秋蘭は驚かされた。
が、すぐに気まずそうな表情になる。
「すいません、華琳様。余りに確証に乏しいので…」
「…私達が見ているのは余りにも細い、僅かな希望です。秋蘭が申した通り、確証などありません。
ですが、どうしても確かめたかったのです…」
「へ~……まあいいわ。どうせすぐ分かることだしね」
追及がほぼ無かったことに2人は安堵の息を漏らす。
それから四半刻とせず、議場に件の6人が現れた。
その出で立ちに皆一様に眉を顰め、武官は警戒を向ける。
6人は周囲に視線を向けつつ議場を進む。と、3人程の視線がとある人物で一瞬留まった。
一部、気付いた者はその行動に疑問を持つ。
が、ここでわざわざ問い正すような真似は誰もしない。
6人は華琳の前にまで来ると立ち止まる。
そして先頭の者が拱手を取り、話し出すのだった。
先導の兵に連れられ、一刀は陳留の廊下を歩く。
聞けば、今は丁度軍議中とのこと。
タイミングが余りにもいいのは運が向いてきた証拠、とでも思うことにする。
特に何をするでもなく廊下を歩いていると、ふと思い出されるのは城門でのやり取りである。
一刀は兵士にこう言った。
内容はただ一言、『天の御遣い』。
兵と言えど元は1人の民。
当然一時期流行した例の噂は知っており、覚えていた。
それ故に偽物だと断定しきることが出来ないのだった。
結果は今の状況が示す通り。
”天の御遣い”の名を出せば、少なくとも秋蘭が反応することは分かっている。
門番が噂を覚えているかどうかは一種の賭けではあったが、兵がその名を伝えに向かった時点でこの流れは決まったも同然なのであった。
そのことに心中で感謝していると、ようやく軍議場に辿り着いた。
「ここだ。少し待て。
曹操様!例の6人を連れて参りました!」
「入らせなさい」
「はっ!行け」
兵に促され一刀達は軍議場に足を踏み入れる。
中央最奥に座す華琳の下へと向かって歩いていく。
その途中、両脇に整列している文官武官達に視線を巡らせる。
やはりと言うべきか、秋蘭と桂花は穴が開くほどこちらを見つめ、観察をしていた。
そのまま視線を滑らせていくと…
武官の居並ぶその中、春蘭の隣に驚くべき人物を見た。
普段の底抜けな明るさは今は見えず、針のように細く鋭い殺気を飛ばして警戒を露わにしている。
着ている物はいつもと変わらない。下は袴に上はさらし、そして羽織を羽織ったその姿。
それはまさしく虎牢関の戦闘にて行方が分からなくなっていた霞こと張文遠その人であった。
(霞…よかった…)
僅かに視線を留め、呟く一刀。
だが今は感傷に浸っている場合では無い。
いろいろ思うところはあれど、それらは後回しにして今は進む。
華琳の前に達すると一刀は拱手を取る。
そして一呼吸置いた後、徐に口を開き始めた。
「既にお聞きしていますでしょうが、もう一度名乗っておきましょう。
私は人が”天の御遣い”と呼ぶ者。名は故あって伏せさせて頂きます」
静まり返った軍議場に一刀の声が響く。
念の為に意識して声を変えておいた効果か、ほとんどは一刀であると気づかない。
秋蘭と桂花だけは見るからに動揺し、零が不審がっている様子を視界の端で捉える。
だがそこに注目している時間は無い。
すぐに華琳から辛辣な言葉が飛び出してきた。
「そのふざけた肩書きを信じろとでも?
貴方もこの大陸に生きているのなら”天”を騙ることの意味を知っていようものだけれどね」
「それはまた後々に…今話したいことはこれからの大陸の情勢についてです。
貴女程の方であれば、近く来る乱世は既に想定の内でしょう。
そして当然の如く貴女はその流れに乗っていく。大陸に覇を唱える為に、”魏”国を建てて」
「っ!どうしてそれを?!…貴方、何者?」
「華琳様?どうかなされましたか?」
一刀の話に驚愕を隠せない華琳。
そこには普段見せない焦りが有り有りと浮かんでいた。
その様子にただならぬものを感じ、零が華琳に質問を投げかける。
華琳はその質問に一刀から目を離さずに答えた。
「今こいつの言った”魏”という名称…
私が考えていた国の名前の有力候補の一つなのよ。
しかも、これはまだ誰にも言ったことは無いわ」
「なっ…」
返答の余りの内容に零は言葉を失ってしまう。
華琳の言うことが真であるならば、それは最早推測などと呼べるものでは無い。
「…聞いたことがあります。五胡の妖術使い、その中には人の心を読んでしまう”読心術師”なる者がいる、と。
もしや、この者が?!」
「っ!華琳様!危険です!お下がりください!」
途端、春蘭が大剣を構えつつ一刀と華琳の間に割って入る。
だが、一刀は泰然自若として動かない。
「落ち着きなさい、春蘭。この者から敵意は感じられ無いでしょう?
今は剣を引いて持ち場に戻りなさい」
「うぅ…はい」
華琳に叱責を喰らい、春蘭はすぐに退いた。
一連の騒ぎが落ち着くと一刀は何事も無かったかのように話し出す。
「私は妖術使いでも無ければ、読心術も使えません。先の質問には、ただ天の知識故、とだけ申しておきましょう。
私が貴女に問いたいことは大きく言ってしまえばただ1つです。何ゆえ大陸をその手中にせんと欲するのか、ただこの一点のみ」
頭から被った外套で目元までを隠していても鋭い眼光は伝わったのか、華琳の様子もまた緊張を帯びる。
だが華琳は既に答えが用意されてあったかの如く、澱みなく答え始めた。
「いいでしょう。この私を驚かせた褒美としてそれに答えてあげるわ。
とは言っても、大方予測は付いているのでしょう?私が大陸の覇を欲する理由。それはこの大陸に安寧を齎すこと。
先の黄巾の乱に今回の事…歯に衣着せぬ言い方をすれば、漢王朝の力は最早地に落ちたと言えるわ。
原因は、知っているかしら、一口に言ってしまえば官の腐敗。けれども、その皺寄せは全て民に掛かっている。本来あってはならないことよ。
だから私がこの大陸を纏め直す。この意志は例え貴方が何を言おうと変えるつもりはないわよ?」
「なるほど。強い意志を持っていることは理解しました。
ところで、貴女の軍を調べて分かることが一つ。貴女は”魏”国を強大な力を持つ軍事国家に作り上げようとしている。
まさしく書いて字の如く大陸を制覇するつもりなのでしょう。
大きな”力”で持って”支配”する…これでは漢王朝の前轍を踏むことになるのでは?」
「逆に聞きましょうか。
私が為そうとする方法以外で大陸を纏め上げる方法がいくつあると思っているのかしら?」
一刀の追質問に逆質問を被せてくる華琳。
これはおよそ想定済みであったため、一刀もまた澱みなく答える。
「まず一つは大陸に存在する国家間で友誼を結び、大陸の共同統治を行う方法。
二つ目は国家間の戦力を均衡に保ち、互いに監視し合うことによって平穏を得る方法。
いっそ、国家などという考え自体を排することも方法の内ですね。これが3つ目。
そして4つ目。国土及び戦力の等分配。
こんなところでしょうか」
一刀の語った統治方法。それはただ聞くだけならば良いのではないかと思える方法である。
一瞬でもそう思ってしまえば内容を考えていかざるを得ない。
果たしてその回答は華琳を始めとし、その場に居合わせた軍師達がその可能性について思考を巡らせる。
やがて結論が出たのか、華琳が顔を上げて答え始めた。
「友誼を結ぶ方法はまず長くは持たないでしょうね。例え友誼を結んでもそれは表面上のことになるでしょう。王同士が知己であったとしても、次の世代で駄目になることが目に浮かぶわ。
相互監視もまた続かないわ。秘密裡に戦力を強化する方法なんていくらでもある。結局はそうやって出し抜いた国が他を支配する形に移行していくでしょう。
国という考えを排する、というのは古代の概念に戻ることと同義じゃないかしら?これは考える余地も無く却下。
最後の等分配。これは更にありえないわね。明らかに不利益しか被らないわ」
すげなく全てを否定する華琳。
細部は予想と違えども否定意見がくることもまた想定済み。
そして一刀は用意していた問いを放つ。
「それでは今私が挙げた方法は間違いであり力を持って他を制する方法が正しい、と?」
分かる者には分かる、実にいやらしい質問。
”魏”の頭脳たる零、桂花、秋蘭の3人は華琳の回答を前に緊張を高める。
そんな3人の思いを知ってか知らずか、華琳は特に詰まるといった事もなく答えた。
「戦の場に正誤の考えを持ち出すこと自体が滑稽ね。戦そのものには善など無いわ。
けれども戦無くして安寧など訪れない。戦は謂わば必要悪ね。そして私はこれを為せる力を有している。ならば喜んで悪役を演じましょう。
そうすると考えるべきは如何に早く戦を収められるか、その後の安寧を如何に長く続けられるか。
諸々の条件を考えれば、結局は漢王朝の成り立ちを準えることがこの要件をよく満たすことになるのよ。
理解出来たかしら?」
「…………ははっ」
「?」
今議題に上がっている問題に絶対的な正誤などありえない。
にも関わらず一刀は二択を迫るような質問を投げ掛けたのであった。
華琳自身はそこに引っかかることなく己の考えを余さず伝えたと考えている。
だからこそ一刀の口から僅かに漏れた笑いの理由が理解出来なかった。
一刀が思わず笑いを漏らしてしまった理由。
それはこの一連の出来事の目的の一つの達成故。
夏侯姉妹の意思を尊重して華琳の覇道を支えることは間違っていない、と自身の中で結論を得ることが出来たからであった。
「さて。月、詠、どう思った?」
不意に一刀が前を見据えたまま後ろの2人に問う。
瞬間、霞がピクッと反応を示す。
(声も戻したし、更に月と詠の名前を出したとあればさすがに気づくか)
何かしらのアクションを起こされると面倒なことになりかねないな、と考えるも、霞はその場を動かずにいてくれた。
2人はこのタイミングで質問が飛ぶことを分かっていたが如く即座に答える。
「私は詳しいことまでは考えが及ばないのですが、少なくとも曹操さんがおっしゃったことは理に適っていると思います」
「ボクもほぼ月と同意見ね。少し疑問が残るところはあったけれど」
2人の意見を吟味し、一刀は再び2人に話しかける。
「それじゃあ、構わないかな?」
「はい」
「ええ、アンタの予定通りで構わないわ」
一刀は口元に微笑を湛え、一つ頷く。
そして改めて華琳に意識を向け直し、話し始めた。
「ありがとうございました、曹操殿。いえ、ここからはこうお呼びしましょうか、華琳様…」
「貴様っ!華琳様の真名をっ!!」
「待て、姉者!!」 「待ちなさい、春蘭!!」
途端、春蘭が七星餓狼を大上段に振り上げ斬りかかってくる。
秋蘭と桂花が同時に制止を掛けるが、その声は春蘭に届かない。
春蘭が一息に振り下ろした七星餓狼が一刀に襲いかかる。
ところが、大剣は一刀に届くことなく、既のところで止められた。
見れば、いつの間にそこまで移動していたのか、恋が一刀と春蘭、2人の横合いから春蘭の腕を掴んでいたのだった。
「……させない」
「くっ…!離せ、きさ、ぐぁっ…」
恋がギリギリと春蘭の腕を締め上げる。
だが、すぐに一刀から制止がかかった。
「ありがとう、恋。だけど、それくらいで許してやってくれないか?」
「…………ん」
春蘭の殺気が収まる様子が無いため、いくらか逡巡していた恋であったが、最終的には一刀に従いその手を離す。
恋の拘束から逃れた春蘭は再び仕掛けようとするも、この間に春蘭の側まで駆け寄っていた秋蘭に物理的に制された。
「……秋蘭。それはどういうつもりなのかしら?」
一連を黙して眺めていた華琳の、底冷えするような冷たい声が響く。
秋蘭はそれに若干ならず顔を青ざめさせるが、気丈に答えた。
「言い訳は致しません、華琳様。ですが、その者の話を聞いてみてください。その上で納得出来ないと申されるのであれば如何様な罰もお与えください」
「………分かったわ。貴女の真意、この者で見極めてあげましょう」
長年連れ添った側近の頑なな反抗に何かを感じたか、不承不承ながらも華琳は納得を示す。
しかし、勿論のことながら機嫌が悪いことは変わらず、言葉を発することなく視線のみで一刀に先を促した。
一刀は苦笑したくなる気持ちを抑えて再び答え始める。
「まず、貴女を試させて頂いたことを詫びさせて頂きます。申し訳ありません。
貴女様の下に舞い戻ることが果たして正しいのかどうか、それを見極めさせて頂きました。
そして同時にこの者達が協力に納得してくれるかの確認も同時に…」
「ちょっと待ちなさい。舞い戻った?私の下から部隊を引き連れて離反した者はいないわ。
もう一度聞く。貴方は何者なの?」
「ふむ…既に声を作ってはいないのですが、やはり貴女様と言えど先入観ありでは分からないものでしたか。
では…これならばどうでしょう?」
宣言して一刀は被っていた外套をずらして頭部を晒す。
その瞬間、軍議場は異様な沈黙に包まれる。
郭嘉と程昱は沈黙の理由が分からず、周囲を見回す。
2人の目に入ってくるのは…
絶句、驚愕、まさにそれらの一言で表されるだけの表情をありありと浮かべた面々であった。
誰もが驚愕に染まって動けない中、一刀の声が響く。
「曹操軍所属、夏侯両将軍直属部隊副官・夏侯恩、只今死地より帰還致しました!」
尚も破られない沈黙。
皆、一様に事態を飲み込めずにフリーズしてしまっていた。
そんな中、秋蘭が一人一刀の下に歩み寄って来る。
そして瞳に湛えた涙を人差し指で拭い、ただ一言。
「お帰り、一刀」
「ああ、ただいま、秋蘭」
優しく笑いかける一刀。
このやりとりを切っ掛けに止まっていた皆の時が動き出し、幾人もが駆け寄った。
「兄ちゃ~んっ!」 「兄様~っ!」
真っ先に飛び込んできたのは季衣と流琉。
2人は涙を拭うことも忘れて一刀の腰に抱きついた。
「兄ちゃん…えへへ、良かった…本物の兄ちゃんだ…」
「兄様…うぅ、兄様…」
外套に顔を埋めて嗚咽と共に呟く2人の頭を優しく撫でてやる。
将軍に匹敵する力を有するとは言っても、やはりまだ子供である。
随分と辛い思いをさせてしまったな、と申し訳ない気持ちになった。
「一刀殿、よくぞご無事で…」
「ホンマに一刀はん、なんやんな?いや~、やっぱりさすがやね~」
「沙和、ちょ~嬉しいの!一刀さん、お帰りなの!」
「ああ、ありがとう、凪、真桜、沙和。ただいま…」
次に側まで来たのは3羽烏こと凪、真桜、沙和。
季衣や流琉に比べれば随分とドライな反応に見えるが、3人の瞳には確かに光るものが存在している。
先発の2人の様子を見て、中途半端に冷静になった結果の行動だったようだ。
「一刀さん…あの時は申し訳ありませんでした……私にもっと武があれば……」
三羽烏の後ろから謝罪と共に菖蒲が現れる。
こちらも例外無く涙を湛え、近くまで来るものの伏し目がちのままであった。
「菖蒲さん、それは違う。あの武はさすがに想定し得ないものだった。
あそこに残ったのも勝手な自己判断だ。だから気に病む必要は無い…いや、気に病んで欲しく無い、と言った方がいいかな?」
「一刀さん……ありがとうございます…」
礼を述べ、さめざめと泣く菖蒲。
一見すぐに立ち直ったかに見えたが、ずっと自身を責め苛んでいた。
そんな彼女は今この時、ようやく自身を赦すことが出来たようなのであった。
ここで一刀は改めて辺りを見回す。
桂花と零は立ち位置を動かず、努めて冷静たらんとしていた。
桂花は一刀の正体に気付いていたようだが、零はその性格から考えると慌てた様子が無いだけ十分に凄いものである。
霞もまた片手を上げるだけの軽い挨拶で済ませている。
そんな各々の反応、行動を示す中唯1人、春蘭だけは未だにフリーズが解けずにいた。
目の前にある光景が信じられない。自分は今、夢の中にいるのでは無いか。
だが現実であって欲しい。夢で片付けられて再び傷つきたくは無い。
思考が堂々巡りし、何も行動に移すことが出来ないでいたのだった。
それでも時間と共に徐々に硬直が解け、よろよろと一刀に近づいていく。
一刀と真正面から対峙したのは菖蒲が落ち着きを取り戻し、涙を拭った時点であった。
「………………本当に……本当に一刀、なのか?」
「ああ、そうだよ」
「呂布に…やられたのでは、なかったのか?」
「いや、敗けたよ。バッサリいかれた。でも、何とか一命は取り留めたんだ」
「そう、か……生きていて、くれたのか…」
途切れ途切れにそこまで喋ると再び黙り込む春蘭。
やがてその肩が震え出す。
同時にポタポタと水滴が地面に落ちた。
そして…
「一刀……一刀っ……一刀ぉっ!!」
力なく一刀に縋り付き、その胸に顔を埋めて嗚咽を漏らし始める。
「良かった…本当に、良かった…」
「心配かけちゃったね…ごめん。それと、ただいま。春蘭」
「ああ…おかえり、一刀」
明確に聞き取れたのはここまで。
再び春蘭は泣き崩れる。
だが、ここでカァン!と乾いた音が鳴り響いた。
一同の注目は一様に音の発生源、華琳に向けられる。
華琳はいつの間に取り出したのか、愛用の鎌・絶の石突を床に打ち付けていた。
再び静まり返った軍議場、その静寂を破って華琳が皆を代表するようにして疑問をぶつける。
「秋蘭の反応から見て貴方が本物であることは疑わないわ。
けれども一刀、どういうことか説明してもらえるかしら?」
軍議が進むとあって、一刀は春蘭を優しく剥がしにかかる。
春蘭も華琳に逆らってまでする気はないようで、無理矢理自身を落ち着かせて一刀から離れた。
「説明は致しますが…その前に一つ確認をば。
霞からは何もお聞きになってはおられませんか?」
「霞?何故ここでその名が出るのかしら?」
心底不思議そうな顔をする華琳。そこに嘘の気配は感じられない。
そこに霞が少し罰の悪そうな顔をして横合いから会話に参加する。
「悪いな、孟ちゃん。いくら下ったとは言え、ウチにも譲れんもんがあったさかい…」
「いや、ありがとう、霞。下手に情報が漏れてしまっていたら大変だったし、こっちとしては相当助かったんだ。
では、順を追って簡潔に説明する前に…月、詠、恋」
一刀の促しに応じ、3人が羽織っていた外套を脱ぎ捨てる。
すると…当然と言えば当然のことであるが、春蘭、秋蘭、菖蒲の3人が一様の反応を示す。
驚愕、そして即座に警戒、戦闘態勢。
他の者が状況を掴みかねている中、春蘭の次なる呟きによって俄かに緊張が走る。
「呂布っ…!」
ギリリと歯を食いしばって恋を睨みつける春蘭。
ほとんどの者はその瞬間より恋から目を離せなくなってしまう。
だが、華琳、桂花そして零の3人。彼女達だけは違っていた。
彼女達の視線は恋ではなくその前、月と詠に注がれていた。
頭の中では様々な推測が断続的に為されているのだろう。
やがてそれはある一つの推測へと収束していく。
霞が今にも暴走しそうな春蘭を何とか宥めようとしている中、一刀はさっさと説明をしてしまった方が無難だと考えていた。
「華琳様、この者達は…」
「董卓と賈駆…とでも言うのかしら?」
3人以外の首がグリンと回り、今度は月と詠に注意が集まる。
想定外の事態の連続故に、頭が回りきらないままに状況の変化の影響を受け、同じ様な行動を取ってしまっているようである。
「…さすが華琳様。まさにその通りです」
華琳を始めとする3人は、やはりそうか、と考えるも、そうすると何故ここにいるのかが全くもって理解出来ないでいる。
だが、無為に考え込んでしまうことにはならなかった。
そこからは一刀が滔々と説明するその内容をただ相槌を打つことしか出来ずに聞くのみなのであった。
「簡潔に虎牢関よりこれまでの経緯を説明致します。
まず、虎牢関での事ですが―――――――」
「―――――――そして、その街からは特に障害もなく陳留まで帰還した次第です」
一通りの説明を終える。
一刀が報告を終えたことで一時的な静寂が訪れた。
連合から知らされた情報、そのほとんどが誤りであった。この事実には少なからず一同を打ちのめされている。
さらに、一刀は表面上の出来事のみを語っていたため、依然として謎は残っていた。
その中でも一番大きな謎。それが月達3人を連れてきた理由である。
「なるほどね。事のあらましは理解したわ。よくぞ無事だった、とまず言っておきましょう。
ただ、それを聞いても分からないわね。何故董卓達を連れてきたのかしら?」
謎を謎のままでよしとはしない華琳のこと、そこは当然の如く質問を投げかけてきた。
さて、第二幕だ、と緩みかけていた心持ちを入れ替える。
「彼女達を連れてきた理由は主に2つあります。まず1つ目ですが…」
「待ってください、一刀さん」
説明を始めようとした一刀であったが、ここで思わぬ事態が発生する。
なんと月が一刀に制止を掛けたのである。
「えっと…どうしたの、月?」
「その説明、私が自分の口で行いたいと思います」
予想外、予定外の宣言。
実は陳留に入る直前、一刀は月と詠にとある提案をしていた。
それは今回のことのもう一つの目的。
一刀は月のカリスマ性、詠の情報戦能力を高く評価している。
更に月に心酔している兵達が500人から既に集まっている。
これを一つの部隊として考えると、少数精鋭の非常に屈強な戦闘部隊を作り上げる事が出来ると考えた。
そこで一刀は陳留に帰還して華琳に報告に行く際、華琳の心意気を暴きにかかることにした。
その上で月達には3つの選択肢を示した。
一、華琳の考えに共感あるいは納得出来るなら手を貸して欲しい。
二、共感出来ないのであれば、静かに暮らせる場所を提供する。
三、そもそもからして今後戦に関わりたくないと言うのであれば、華琳の下に連れて行くことはしない。
一か二を選択してくれるのであれば2人の返事を確認した後は一刀が全てを交渉するはずであった。
それ故に一刀は驚いたのである。
しかし、月と詠にとっては既定路線であったようだ。
その証拠に詠が直ぐ様月の援護射撃を行う。
「アンタと流れを打ち合わせた時から2人で決めてたことよ。
アンタは十分以上にお膳立てしてくれた。私達が納得したのであれば、その先は私達の義務だわ」
「……なるほど。分かった。それじゃあ、ここからは月に任せよう」
「ありがとうございます」
こう見えて月は強い芯を持っており、ここぞという時には、はっきりと主張して憚らないだけの胆力も持ち合わせている。
なればこそ、この場は任せきったとしても問題無いだろうと判断したのだった。
月は一刀に礼を述べると前に進み出て拱手を取る。
「お初にお目にかかります、曹操さん。私は董卓、字を仲穎と申します。
先程曹操さんが呈された疑問。そちらには私の方から説明させて頂きます。
一つ目の理由は想像に難くないかと。月並みではありますが、こちらの街で匿って頂くためです」
簡単に言えば亡命の受け入れ要請。月の言った通り、それは脱走者にありふれたもの。
それ故、華琳もサラッと流して視線で続きを促す。
「そして二つ目の理由。こちらが本命のものとなります。
二つ目は、私達を一部隊として受け入れて頂きたい、ということです」
さすがの華琳もこれには目を剥く。
通常亡命者は自身の痕跡を消そうとするもの。
しかし、月はそれとは真逆、しっかりとした土台をここ曹操軍に築きたいと言っているのである。
そして何より不可解なこと、それは…
「…当然のことながら、私も連合の一員として貴女の凋落に一役買ったわ。そしてそれに対して悪かったとも思っていない。貴女に関する麗羽の話が全て嘘だと知った後も、ね。
更に、貴女の立場ははっきり言って敗軍の将。本来であれば今この場で捉えられても世間的には文句は言えないのよ。
それでも貴女はその要請を取り下げないのかしら?」
「私も為政者の端くれです。その心の裡は理解しているつもりです。ですから私の凋落に対しての文句などはありません。
それに、私の命は既に一度尽きたようなものです。一刀さんがいらっしゃらなければここにこうして立っていることさえ叶いませんでした。
先程の様子を見た上でこれを申し上げるのは反則かも知れないと思いますが、その一刀さんがここに身を寄せることを提案して下さったのです。それも、選択権を与えた上で。
ならば私は自分に出来ることは全ていたしましょう。それが私を救ってくださった一刀さんへの恩返しになると信じて」
時に対峙する者を尻込みすらさせてしまう華琳の覇気の前に一歩も退かない月。
その瞳の奥に確かな芯を華琳は感じ取っていた。
確かな芯を持つ者は色々な意味で強い。そして何よりそういった者は非常に良い人材であることがほとんどである。
つまり、今の月は人材コレクターたる華琳にとってはストライクな物件であった。
「……分かったわ。董卓、貴女達を私の名の下に保護することを約束しましょう」
「ありがとうございます、曹操さん」
深々と頭を下げ謝意を示す月。
一刀は上手く話が纏まったことにホッと溜息を吐く。
そこに華琳の追及が飛んでくる。
「まだ質問は終わってないわ、一刀。
貴方が天を騙ったその理由、よ。もし何の考えも無くその名を騙ったのだとすれば、そのような危険分子を我が陣営に置いておくことは出来ないわよ?」
まあ、そうだろうな、と一刀は独りごちる。
この時代、天とは即ち皇帝を指す。
天の名を騙るとはつまり皇帝を侮辱する行為でもある。
理由もなく国家の最上位たる者を侮辱するような考え無しが一人でも陣営に居れば、いつ陣営がその者の大ポカで崩れるとも限らない。
華琳のこの慎重さは至極当然のことであった。
「勿論、理由はございます。ですが、それを語るにはまず私の身に関する情報を正さなければなりません。
先に謝って置きます、華琳様、私は初めから貴女を偽っておりました。私は春蘭、秋蘭の従兄弟でも、また夏侯恩という名でもありません」
「…はい?」
軍議場に会するほとんどの者は理解が追いつかない。
だが、一刀の次の一言は一部の者に衝撃を与えた。
「私の本当の名は、北郷一刀。数年前、別の世界よりこの大陸へとやってきた者なのです」
「!?ちょ、ちょっと待ちなさい!貴方今、”北郷”と名乗ったわね?まさか…」
「恐らく華琳様の想像通りかと。直近で言えば、”公園制度”を献策しましたね」
”公園制度”は反董卓連合出陣直前に献策され、華琳が桂花、零との間で少々話題に出した程度のもの。
これを知っているということはつまり…
「……どうやら本物のようね。なるほど、確かに貴方の知識が素晴らしいことは認めるわ。
けれども、それだけでは天の国から来たという根拠には弱すぎるのでは無くて?」
「でしょうね。所詮知識は知識。孫武然り、知識が時代を超越している者は存在しないとは言い切れません。
ですが、物質に関しては話は別です。これをご覧になれば一目瞭然となるでしょう」
そう宣言するや否や、一刀は外套を完全に剥ぎ取った。
露になる聖フランチェスカ学園の制服。
ポリエステルで出来た真っ白なその制服は、部屋を照らす灯をはね返し、まるで光り輝く衣を纏っているようであった。
「わぁ…」
「キラキラだ~」
「きれいなの~」
周囲からは感嘆の声が聞こえる。
華琳もまた例外では無く、思わずといった声が漏れていた。
「触れて頂ければより分かることですが、これは絹ではありません。この大陸には存在しない素材で作られております。
この他にも、私の部屋に行けば献策時に使用していた紙もあります。あれもまた、この大陸では作ることの出来ないものです。
これらの物質は十分に証拠足り得るのではないでしょうか?」
華琳も零も、納得したとばかりに頷いている。
それを見届けてから一刀が天を騙った理由を説明する。
「大陸はこれより動乱の時代へと突入するでしょう。数年前の予言の如く…
かの予言は多くの民の心を掴んでおりました。それだけ、民の心は既に漢王朝を離れてしまっている。
ならば、予言の特徴を兼ね備えた上で”天の御遣い”を名乗り、大陸の統一に乗り出せばそれだけでも民の心は多少なりとも軽くなる。
この名を名乗れば、今後統一に向けて動く中で不利益を被ることもあるでしょうが、それ以上の利を得ることが出来ると考えたのです。
そして、先程の問答で華琳様に我が知識、力の全てを捧げることに間違いは無いと確信致しました。
お許し頂けるのでしたら、今後とも私の出来る限りのことを致します」
一刀の言葉を一つ一つ噛み締めていく華琳。
やがて全てを理解し終えた時、華琳の口を突いて出たのは…
「ふふ…あははははははは!」
爽快な笑い声であった。
一頻り笑った後、華琳は上機嫌を隠すことも無く一刀に、そして一同に告げた。
「これは運が向いてきたということかしらね。いいわ。一刀、貴方のこの場での一切を不問とする。
それと先程も言ったけれども、董卓達も全て受け入れるわ。但し一刀、貴方が責任を持って管理なさい。
ふふ、それと皆に伝えておくわ。
先程一刀も言っていたけれど、大陸は間もなく、いえ、既に動乱の時代に入っていると言ってもいいわ。
これより我らは国号を”魏”と定め、大陸の統一に向けて動き出す。
皆の者、一日も早く統一を為すために奮励努力せよ!」
『はっ!』
こうして数多の波乱を巻き起こした軍議は終了
「ちょっと待って欲しいのですよ~」
しなかった。
軍議の成り行きを黙して眺めていた程昱がここで口を挟んだ。
尚、郭嘉の方はまだ情報の処理が追いついていないようである。
「意気揚々としているところに水を差して申し訳ないとは思うのですが、取り敢えず風達の目的も忘れてもらっては困るのですよ~」
むくれながら一刀にそう言う程昱。
一刀は謝りながらも約束を果たすべく華琳への進言を行う。
「ごめんごめん、程昱さん。ここまでで言う機会が無くてね。
華琳様、帰還早々の仕事として、この者達の推薦を申し入れます。
どちらも傾向は違えど、一流の軍師たりえる人物と保証致します。
今時期、募集を掛けてはおりませんが、一度試験を課してやってみてください」
「構わないわ。優秀な人材は多いに越したことはない。
桂花、零。隣室で2人に試験を行いなさい」
『はっ!』
命じられてすぐに桂花が程昱達の下に来る。
零は一足先に隣室へと向かっていた。
「あんた達、付いてきなさい。こっちよ」
「おぉ、これはこれは。稟ちゃ~ん、行きますよ~」
「…はっ!ふ、風?行くとはどこに?」
「試験ですよ~。ほらほら、行きますよ~」
「あっ、待って、風。引っ張らないで~」
まるで漫才のようなやり取りをかましつつ桂花に付いて行く2人を、一刀は心中でエールを送りつつ見送った。
4人が部屋を出て行くと華琳が軍議の閉会を宣言した。
「今日の軍議はこれで終わりとする。ただ、霞と一刀達。貴女達は残りなさい。今後のことで少し話をしておきたいわ」
『はっ』
こうして、長い長い軍議はようやく終わりを迎えた。
そして次の日から、”魏”国は今まで以上の活気を持って活動していくことになる。
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第三十一話の投稿です。
ようやく陳留へと帰ってきた一刀。
何を思い、何を話すのか。
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