No.655687

超次元ゲイム学園 4時間目 (~愚者の冠~)

銀枠さん

コラボ第四弾。
ほかの作者様のキャラをたくさん借りてきてるため、粗相がないかビクビクしておりますが、やっぱり誰かと共同で創り上げる作品というものは楽しくて仕方ありません。

※今日から月曜日まで合宿がある関係上、コメント返し遅れます。申し訳ございません。

2014-01-18 20:26:39 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1770   閲覧ユーザー数:1549

 四時間目――愚者の冠

 

 

 

 

「ルールローゼ様ッ!!」

 男が生徒会室のドアを蹴り破ったとき、そこはもぬけの殻であった。

 室内が荒らされた様子はない。しかし、本来ならば男の無作法さを咎めるであろう部屋の主が不在であった。今、生徒会室を支配しているのは不気味な静寂。そして、開け放たれた大窓――テラスへと通じるそこから肌寒い冷気が容赦なく吹き込んでくる。

 悪寒で背筋が震えた。身震いと共に、男は確信した。

(間違いない。生徒会長が何者かに襲撃されているっ!)

 先程、男は生徒会長アダムへの謁見を終えてからというものの、すぐに本来の業務である警備任務に戻っていった。男の仕事は生徒会室の抱える秘密の警備。それも秘密中の秘密。生徒会長の部屋の警備である。

 過去に、とある生徒が偶然この部屋を見つけてしまったという不確定な要素が発生してからというものの、警戒態勢はより密に敷かれることとなった。この学園は今でも広がり続けている。宇宙のそれと同じ現象のようにその規模は際限なく膨れ上がりつつあった。このだだっ広い校舎の中で、特定の部屋を探し出すにも地図なしでは当然苦労を強いられる。ましてや居場所を秘匿されている生徒会長室とあっては、川の中からダイヤモンドを掴み取るのと同じくらい無理難題であろう。秘密を隠すには秘密の中というわけだ。無数にも枝分かれしている廊下と教室を一つ一つ掘り分けるには大変骨が折れる話だ。だからこそ暗部組織の連中も油断していたのだろう。

 副生徒会長グリスが生徒会長室を見つけてしまうという不足の事態が起こってしまったのだ。

 これに暗部組織は血相を抱えた。

 まさか見破られるとは……という戦慄が駆け抜けた。下手に要所の警備を強めれば返って不信を高めるのではないか。そういう理由からあえて警備をしていなかったのだが、それも考え直す必要があるかもしれない。誰もがそう思った。

 今の段階で、何も知らない部外者に、この部屋と彼女を覗き見られるのはまずい。上層部はすぐにグリスの抹殺を命じたが、何を思ったのか生徒会長アダムはこう命じたそうだ。

「放っておきなさい。彼女がこの部屋と私を見たところで何も理解出来やしない。ここで下手に動いて事を大きくしたら余計に収拾がつかなくなるかもしれない。そうなった方が後々面倒でしょう?」

 そうして彼女はいつも通りの冷たい冷笑を浮かべながら、

「グリスさんでしたっけ? 彼女は生かしておいた方がこれからの計画にも役立つかもしれない。たしかなのは、私達のいい玩具としてしばらく楽しめるに違いないってこと。ふふ、そうね――もしものときは、この私が責任を取るわ。それじゃダメ?」

 彼女の言葉で渋々ながらも上層部は矛を収めた。暗部組織内でも生徒会長アダムはとりわけ重要な位置にいる。必然、その声はどんな者よりも優先順位が高くなる。だからこそ彼らも無視出来なかったし、何か考えがあっての言葉だということで生徒会長の要求を呑んだ。

 ただし、生徒会室近辺の警戒増強とグリスに監視をつけるという条件付きで。彼らにも立場や権威があったし、生徒会長の言いなりになるだけではとても収まりがつかなかったのだろう。この件はひとまずそれで手が打たれた。

 男が警備任務についているのはその為である。生徒会室近辺に近寄る影があれば、どんな者でも例外なく追い返している。まあ、もっともここにたどり着くまでも大変骨が折れる話なので、寄りつく者などまずいない。最悪な事態などそうそう有り得ないのだが。

 だが、その最悪な事態が起こってしまった。どこからここを嗅ぎつけたのか、男の目を盗んで生徒会長室に忍び込んだ不埒者が現れてしまったのだ。しかも、只者ではない。それは男自身が分かっていた。

「おかしい! 俺はずっと生徒会長室のドアの前に立っていた。今日はトイレにすら行っていない。つけこむ余地などどこにもなかったはずだ!」

 にも関わらず敵はまんまと侵入を果たしている。これが自分の不注意が招いた結果ならばまだ納得がいく。けれど、敵の接近どころか気配すら感じ取れなかった。男が侵入者の存在に気づいたのは銃声。つまりみすみす敵の侵入を許した後であった。

「敵は隠密に長けているというのか。俺に何も感じさせないとはな……しかもここを襲撃した以上、この部屋に何があるかを正しく理解しているのだろう。情報戦にも長けていると見える」

 ここまで手際が良いとなれば、ひたすら意味不明でただただ理不尽なことこの上ない。

(冷静に状況の分析などしている場合ではない! 俺が今すべきことは生徒会長の安否の確認!)

 もし生徒会長の身に何かあれば……暗部組織としての地位はおろか、自分の生命すら危ぶまれることだろう。

 ふいに銃声がテラスから響いた。天を割るような発砲音が幾度も男の耳朶をついてくる。

 不届き者がどこの誰かは分からない。確かなのは襲撃者が得意とする獲物は銃といったところか。

 しかも間の悪いことに、今まさに交戦中であるということ。状況は最悪の一途を辿っている。

 男は意を決してテラスに踏み込んだ。

「――くそったれ!」

 怒声を上げながら外気に身を晒してみれば、そこには一面を埋め尽くすようなバラの大海が広がっていた。今が緊急事態であることも忘れ、息を飲み込んで見入ってしまう程には壮観な眺めであった。

 天を見上げれば空高く月の光らしきモノが降り注いでいる。ここが部屋の中だとにわかには信じがたい思いではあったが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 鋭いイバラの海の中に身を投じるのは正直億劫であったが今はそんなことなどいっていられない。

 バラの茂みに踏み入りながらも、素早く周囲で何か動く物がないかを確認。かすかな物音ひとつ聞き漏らさないように耳を澄ましてみる。あれだけうるかった銃声は嘘のように鳴り止んでいる。

 鼻につくのはバラの香り。火薬と硝煙の臭いと、わずかだが鉄らしき香り。

「……ん?」 

 ぴちゃり、という音が足元から聞こえた。水溜りらしきものを踏んだのだと男が気づいて、視線を下に向けてみたそのとき――鉄の香りの正体があった。

 血溜まりであった。色鮮やかな赤いそれは、まだ真新しいように見える。やはり悪い予感は的中した。まさかこれは――

「生徒会長! 生徒会長!」 

 名前を呼んでも反応はない。いよいよ男の背筋にうすら寒いモノが這い上がってくる。

 この血が誰のものかは分からない。視界は生憎良好だとは言い難い。イバラの茂みで向こう側までよく見渡せない。血の跡はこのイバラの茂みの奥まで続いている。

 男は血の跡を頼りに、イバラの海を突っ切った。全身がちくちくと焼けるように痛い。新調したばかりのスーツが傷だらけになるのさえ厭わずに走り抜けた。

 すぐに真っ白い影が見えた。生徒会長アダムだ。片手には銀に輝くレイピアが携えられている。

「生徒会長! ご無事ですか?」

 男の声に、アダムは不機嫌そうな声で振り返った。

「生徒会長と呼ばないでと言ったばかりでしょう」

「はっ、申し訳ありません!」

「三度目はないわよ」

「……き、肝に銘じておきます」

 男は慌てて頭を下げながらも、ほっとため息をついた。見たところアダムに傷ひとつない。どうやら無傷のようだ。その代償にこちらは新調したばかりのスーツが台無しになったがその程度ならば安いものだ。

 それにしても、生徒会長はといえば、先ほどまで交戦中であったにも関わらず息ひとつ乱している様子すらないのが気にかかったが……そんなことよりも確認しなければならないことがある。

「しゅ、襲撃者の方はどうなりましたか!? まだこの近辺に潜んでいるはず――」

 慌てる男をよそに、アダムの方は実に素っ気無かった。

「そっちはもう片付いたわ」

「……は?」

「後始末の方、よろしく頼んだわ」

「と、申されますと?」

 なおも理解がてんで追いつかない男を、アダムは煩わしそうな目で見た。

「死体の処理をしろ――とでも言えばお解かり?」

 そう言い捨ててから、呆気に取られる男をよそに、生徒会長は懐紙を取り出してレイピアに付着した血液を拭っている。あの一振りで襲撃者を倒したというのか。銃を使う相手に対して無傷で。

「このことは他言無用よ」

「は、しかし……」

 男は言いよどんだ。暗殺者の存在を組織に呼びかけないとはどういうことだろうか。

「もしこの騒ぎが上層部に伝わるようなことがあれば、まず罰されるのはあなたの方よ」

 生徒会長は微笑を浮かべた。だが、それは男の身を気遣って作られたモノではない。出迎えるのは、仮面のように底知れない笑み。

「……っ」

 自分の心臓が握られているような恐怖がきた。たしかにこの一件の失態を上から咎まれることはない。しかし、何だろう。この大切な何かを鷲づかみにされているような不安は。

「出世を望んでいるならば私の言うとおりになさい。分かったわね」

 満足のいくまで血を拭き終えたのか、アダムはつまらなそうに立ち去っていった。

 

 実際、男が襲撃者の死体を見つけるのは時間がかからなかった。

 血の跡をさらに辿ってみると、はたしてそれは容易に発見できた。

 ゴシック調をあしらったフリフリのドレスに身を包んでいる少女がそこにはいた。

 奇妙な出で立ちをしているのにも目を引寄せられるが、一番目を惹きつけられたのは、なによりも眉間に風穴が開けられていたことか。

 文字通り、それは綺麗な死に様であった。

 瞳孔は開ききっており、挑むように虚空を真っ直ぐと睨みつけている。おそらく一瞬だったのだろう。レイピアによる脳天の一突き。それだけで少女は絶命に至ったのか。もしかすれば自分が死んだことにすら気づいていないのかもしれない。

 

 そうだ。そこには、精霊――時崎狂三の死体が打ち捨てられていた。

 

 ごくり、と男は唾を飲んだ。

 あのルールローゼとかいう生徒会長の『力』がどんなものであるか、男には知らされていない。おそらく組織の中でもごく一部の人間でしか知りえないのだろう。

 そして彼女の力がどんなものであるか。それを知るのは組織から不要の烙印を押され、切り捨てられるとき。または彼女の機嫌を損ねるような愚か者にのみ、処刑という名目で真実が明かされるのだ。

 これから何があっても生徒会長の逆鱗に触れるようなことがあってはならない。

 男は恐れと共にそう確信した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 襲撃者との騒動を片付けてから、生徒会長はシャワーで全身を洗い流していた。一連の騒ぎは汗一つ流すに至らなかった些事に過ぎなかったものの、ひとたび気になれば身体を洗わなければどうにも落ち着かない。

 それにアダムは――いや、ルールローゼとしての自分はお風呂が大好きであった。いや、好きという感情を遥かに凌駕しているのかもしれない。最早、崇拝に近い領域に到達していた。

 自分の身体を洗い流す――この行為に浸る一時はたまらなく安心感を覚える。

 どんなに時間をかけても身体の隅々まで抜かりなく丹念に洗い流していく。

 本来ならば身の回りの世話係にやらせることだが、しかし彼女は浴室には決して誰も立ち入れない。それが自分なりの日課でありルールであった。

 きっとアゲハの幼虫が蛹を突き破るときもこんな気分に違いない。ヒナが卵の殻を割って陽の目を見るときも同じ気分なのだろう。

 そう思うと、自分の身体を洗い清めるという行いは、彼女にとって神聖な儀式のように思えた。

 裸の自分には何も関係ない。生徒会長であることも、暗部組織と関係があることも、全て。

 服を脱いだ、ただ一人の女に過ぎない。

 こうして昨日までの自分を水に流すことで――またそこから新しい自分になれる気がして、心が安らいでいく。

 それだけで自分が不死鳥にでもなったかのような錯覚に陥る。

 彼女にとって、文字通りそれは生まれ変わりの儀式を意味していた。

 昨日までの自分は死に絶え、代わりに別の自分が新たな旅立ちを迎えるのだ――

 そう思うと、身も心も生まれ変わっていくようで、ひどく安心を覚える。

(いいえ、違う。これが本来の私。本当の私なのよ)

 今の自分を縛るモノはない。肩書きも、この身を蝕む呪いさえも。

 そう――今ならば空だって飛んでいけそう。どこまでも、どこまでも。

 この時間が、何よりも至福の癒しであった。

 しかしそれも長くは続かない。

 快感は霞のようにどこかへと消えていく。

 薄れていく絶頂と、代わりばんこに顔を出したのは虚無。

(嫌! 違うっ! こんなのは私じゃない!)

 拒絶――脱ぎ捨てたはずの殻に全身が覆われていくような感覚。まるで元の汚い自分に立ち返っていくようだと思った。

(私を見ないで――)

 だけど自分を見る者はここに誰一人もいやしない。その事実に深く安堵する。

 後には、身を包み込むような虚脱感だけだった。聖域は無我の彼方へと過ぎた。

 冷めた顔で浴室を後にする。バスローブに身を包み、寝室で専属メイドのマッサージを受けながら眠りにつく。それが彼女の日常であったのだが、

「お客様がお見えです。アダム様」

 メイドが事務的に告げた言葉に、生徒会長は露骨に眉をひそめる。

「もう面会時間は過ぎていてよ。お帰り願いなさい」

「それが……貴戸様が至急、生徒会長に取り成したい用件があるとのことでして」

「貴戸さんが?」

 貴戸という言葉に目の色を変えるアダム。

「いいわ。通しなさい」 

 かと思えば、いつものように余裕たっぷりの微笑みを浮かべていた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「こんばんわ、夜分遅くに失礼します」

 男――青年の声からは聡明さが感じ取れた。夜遅く……とはいってもまだ午後十九時程度なのだが。

 そんな生徒会長の部屋を訪ねる恐れ知らずの名前は貴戸鷹華といった。

 彼の表向きの肩書きは美術部の部長であるが……その美術部部長がこんな秘境中の秘境、しかも泣く子も黙る生徒会長に何の用事があるのだろうか。

「入りなさい」

 部屋の主の声。貴戸はそれがしっかり返ってくるのを確認してから、ドアに手をかけた。

 貴戸を出迎えたのは、透き通るようなミルク色の肌。上半身をはだけさせてベッドの上にうつぶせで寝そべっているアダム。絹のように柔らかそうなそれが目を打った。

 専属メイドによるマッサージを受けている最中であるためか、生徒会長の上半身が露わになっていたのである。

「好きなところにお掛けなさい」

「その前に服を着たらどうでしょう?」

 至極まっとうなことを口にする貴戸だが、

「羞恥なんて低俗なもの、私は持ち合わせていないわ」

「たしかに旧約聖書では、羞恥は人間の堕落として語り継がれてはいますけどね」

 貴戸は諦めたようにそう言うと、遠慮なく部屋に入り込んだ。

 上半身をはだけさせた女性が、ベッドの上にうつぶせで横たわっているという扇情的な構図を前にしても、貴戸は顔色ひとつ変えることはなく、ベッドの横にあてがわれた客席に淡々とした面持ちで腰掛けている。当のアダム本人ですら素肌を晒しているにも関わらず、初めての乙女のように恥じらいを見せる素振りなど微塵もなかった。

 どうやら貴戸の持ってきた話はマッサージを受けながら聞くつもりの様子。なんとも大胆で腹が据わっているというか、堂々たる態度だというべきか。客人を前にしてもいつも通りの振る舞いをやってのけようとしているあたり、常人とは何か格の違いのようなものを思い知らされる。

「話って何かしら?」

「生徒会長だけに見せておきたかったものがありましてね」

 何かを含めたような貴戸の物言いに、アダムが意味ありげな笑みを浮かべた。

「もしかして内緒話?」

「そんな大層なモノではありませんよ」

 そう言って、貴戸が左手に掲げたのは何の変哲もない封筒だった。問題なのはおそらくその中身だ。

 きなくさくなりつつある雰囲気に、

「私がこの中身にあるモノを黙っていたとしても、勘の良い彼らのことだ。遅かれ早かれ気がつくことでしょう。まあだからと言って、私はこれを生徒会長以外に見せるつもりはなかったんですけどね」

「私のことは生徒会長とは呼ばないでって言ったでしょう。まだこの学園の正式な生徒会長ではないのだから」

「だけど君は名前で呼ばれることを極端に嫌っているじゃないですか」

 彼女はルールローゼと呼ばれることをひどく嫌がる傾向を示す。その理由はルールローゼが歩んできた奇特な生い立ちが原因なのだが……。

「私のことは……アダムと呼んでいただけると嬉しくってよ」

「アダム? あの旧約聖書で語り継がれている――」

「そう。まさしく最初の人類だわ。その名は、いずれ学園の頂点に立つ私にこそ、ふさわしい冠だと思いませんこと?」

 アダムが貴戸に向けて試すような笑みを浮かべている。

 常人であれば女が男の名前を名乗ることにまず違和感を示すだろう。そんなものよりもあなたには素晴らしいモノがある。常人は決まったようにつまらない定型句を投げかける。

 けれど、貴戸の感性は人並みはずれていた。

「たしかに帽子を途中で取り替えてはいけないというルールはありません。それは名前も同様。気に入らなければ自分に合うモノが見つかるまで探せばいいだけの話。しかし、名前を冠に例えるとはずいぶんと詩的な表現ですね。しかも冠を旧約聖書から持ってくるあたり、君はよほどそのお話を気に入っているようだ」

「あらあら、詩的だなんて。貴戸さんには負けますわ。私はただの読書愛好家よ」

 貴戸の感心が心地よかったのだろう。アダムは純粋に嬉しそうな笑みを浮かべている。

「さて、アダム。君の呼び名が定まったところで、そろそろ本題に入りましょうか」

 そうして貴戸が封筒から取り出したのは、六人の少女の経歴書だった。貴戸はその中の二枚を選別してベッドへ放り投げた。

 アダムは寝そべりながら腕を伸ばしてそれを手に取り、無言で読み上げた。

 名前は夜刀神十香。2年B組。所属寮はプラネテューヌ。家族構成は父と母と、遠縁の兄妹がいるらしい。

 他にも体重や血液型など詳しい情報が記載されている。

 特に目立ったところのないありふれた女の子のようだが……。

 ひとまず夜刀神十香の書類を置き、次の児童の経歴書を手に取ったところで、

「あら、この子はさっきの……」

「何かご存知なのですか?」

 貴戸が興味深そうに顔を上げた。その面には不敵な笑みが浮かんでいる。

「ふふ、私に無断で庭園を踏み荒らしていたから殺してしまったの」

 そう言ってアダムは、問題の履歴書を見せびらかすようにひらひらと仰いでみせた。

 名前――時崎狂三。2年B組。所属寮はラステイション。家族構成は父と母。

 他にも体重や血液型など詳しい情報が記載されている。

 やはり特に目立ったところのないありふれた女の子のように書かれているが……。

「真っ赤な嘘ね」

 アダムはばっさりとそう切り捨てた。

「ここに書かれているのは全て偽造。偽りで塗り固められたまがいものばかりよ」

「流石です。この短時間で回答にたどり着くとは夢にも思いませんでしたが」

 貴戸が満足そうに頷いた。今度は貴戸がアダムを試していたようだ。

「もうお分かり頂けたかもしれませんが、この二人は普通の女の子ではありません。なんでも、『精霊』と呼ばれているのだとか」

「精霊、ね」

「はい。精霊については様々な諸説がありますが、一般的な解釈を挙げるとすれば、草木、動物、人、無生物などに宿っているとされる超自然的な存在。万物の根源をなしているとされる不思議な気のこと。――あるいはこの世界とは異なる『隣界』に存在するとされり謎の生命体だとか」 

「その発生原因や存在理由は謎に包まれているが、絶大な戦闘能力を有する上、人類からは特殊災害指定生命体とされ、天敵として恐れられている。たしかそうでしょう、貴戸さん」 

「そこまで知っていたとは……話が早い」

「狂三とかいう子のことだけど、特に危険な存在だと思えなかったわ。何か奥の手を隠していたようだけど……その前に壊れてしまったわ」

 ニヤリ、と妖しげな笑みを浮かべるアダム。

「どうやら人類は、精霊のことを過大評価しすぎていたみたいよ」

「天下の生徒会長の手にかかれば、人知を超えた存在も実にあっけないものですね」

「問題は何故このことを、上層部の方達は隠していたのかってことよ。この私に隠し事をするだなんていい度胸してるわ」

「その理由はまだ私にも分かりません。ただ分かっているのは、その経歴書も上の人間が作らせていたようですが……果たしてそれが何を意図してのことかまでは分かりません。経歴書には家族構成が記載されていますが、普通に考えれば人外に血縁者がいることすら疑わしいものです」

「ふうん。まあいいわ。その程度の雑魚など放っておきなさい。どうせもう一人の夜刀神十香って子もたかが知れているでしょうしね」

 アダムは履歴書を投げ捨てた。精霊に対する興味も一緒に放り捨てたかのように。

「そうですか。では、次に見て頂きたいのは、この二人です」

 貴戸が二枚の経歴書を放った。

 ――エネット・ラドリー・オークレー。

 ――ネロ・フェケート・シュバルツシスター。

「この子達は……今年の入学生かしら?」

「はい。しかも同じ女神養成科だそうです」

 女神養成科に所属しているということ。それが意味するのは、全員女神であるということだった。

「あら、今年の一年もみんな可愛らしいじゃない。わざわざありがとう。いつも新入生の名簿は使いの者が持ってくるのだけれど――まさか今年は貴戸さんが持ってきてくれるだなんて思いもしなかったわ」

「いえいえ、お構いなく。私は当然のことをしたまでですから」

 それでは失礼します、と貴戸は慇懃に一礼して、背中を向けて生徒会長の寝室から退室しようとしたまさにそのとき、

「――そうそう。言い忘れるところでした。『例のアレ』の開発が、ようやく軌道に乗りました」

 例のアレ――貴戸が発したその響きに、アダムはうっすらと唇を引き結んだ。

「あらあら。可愛らしい後輩達を紹介した後にこんな話を持ち出すだなんて、貴戸さんも良い趣味してるじゃない」

「いえいえ、ほんの偶然ですよ。そこに他意はありません。ただ、開発が軌道に乗ったとは言っても、研究段階で実用化はまだまだ先の話です。ですが、近いうちに試作品の実験をする話も上がっているそうですよ。その被験対象をどの学年にするかで上は激しく揉めているようですが。なんにせよ近い内に女神たちの手綱は滞りなく完成するでしょう」

 おそらく貴戸がアダムの元を尋ねたのは『例のアレ』の成果を伝えるのが本命だったのだろう。アダムはそう確信した。

「……ホントにお気の毒ね。今年の女神達には同情を禁じえないわ」

 言葉とは裏腹に、女神達にこれから降りかかるであろう試練を、嘲笑うような響きが込められていたのは最早言うまでもないだろう。

 毒をたっぷり含んだアダムの声を背に受け流しながら、

「何か進展が出たら、必ず御報告いたします」

 貴戸は今度こそ生徒会室を後にした。

 

 

 

 超次元ゲイム学園/高等部/中央棟2F――二年生教室/廊下 

 

 生徒会室で怪しげな謀が交わされる件はさておき。それよりも数時間先の出来事である。

 始業式を迎えたばかりの教室は、新しい顔触れに、ぎこちない空気や慣れない雰囲気が立ち込めている。

 不安もあるかもしれない。だけど期待を隠せずにはいられない。新しい節目を迎えて誰もが浮き足立っていた。何か新しい出来事が始まるような気がして。

 例えば……恋。

 特に、男子生徒達の間でもちきりとなっているのが、

「おい、鳶一折紙!」

「……」

「ちょっと待て。私の話を聞くのだ」

「……」

 クラスメイト達の視線が注がれる先は、二人の女子生徒たち。

 なにやら揉めているようだが……そんなことよりも皆の関心が向かうところは、二人の美しい容姿にばかり目が行ってしまうことだろう。

 声を上げてしきりに叫んでいるのが夜刀神十香である。

 目を惹きつけるような夜色の髪と、水晶のように立派な瞳。人間とは思えぬ十香の美貌に、クラスメイトの何人かは身も心は魅了されていることだろう。

 実のところ人間ではないのだが、その真実に気づいている生徒はいないだろう。

 一方、さっきから無愛想な顔で押し黙っているのが鳶一折紙である。

 色素の薄い肌と、浮世のモノとは思えぬ雰囲気を醸し出す人形めいた相貌。彼女を評するならば、まさに深窓の令嬢といったところか。彼女の口数の少なさも相まって、どこか人を寄せ付けないような神々しさがあるのは疑いようもない。

 成績は常に学年主席で、体育の成績もダントツ。おまけに模試でも全国トップの超天才。

 非の打ちどころもない超人。それが鳶一折紙である。

 まさに二人は高嶺の花。大言壮語でもなく、誇張表現でもなければ、彼女たちを評する言葉としてそれは余りない。

 だが、二人に声を掛けようとする者はいない。

 そもそもそんな勇気がなければ、眺めているだけで幸せという者もいるのかもしれない。

 後から聞いた話によれば、自分なんかに釣り合う訳がない――大半がそのような諦めの心境だったという。

 そのくらい彼女たちの存在は周囲から浮いていたのだった。

(絶対に断られる)

 告白して惨めな姿を晒すくらいならばこの気持ちは胸に秘めたままでいい。彼女達を思う心に余計な傷をつけたくない。いつまでも美しい思い出として記録し続けていたい。

 それでも皆、夢想せずにはいられなかった。

 もし、なけなしの勇気を振り絞って彼女たちに声を掛けることが出来たなら。振り返った彼女たちと目を逸らさずにいられたなら。

 あの子達に告白して、もし何かまかりちがってOKされるような事態が起こってしまったとき、そいつは間違いなく周囲からの羨望と嫉妬の入り混じった眼差しを獲得することだろう。そしてそいつは名実共に、勇者として語り継がれることだろう。

 とんでもないラッキーの持ち主として、クラスメイト達の話題を独占することは疑いようもない。

 そんな二人が並んで歩いているようならば、一枚の立派な絵画のように見映えがありそうものだが、しかし二人の仲は誰が見ても険悪そのものであった。

「おい、聞いているのか!」

「……話しかけないで」

「おい、待てと言っているだろう!」

「……ついて来ないで」 

 鬱陶しそうに折紙が振り返った。もの凄く不愉快そうだ。

「ようやく観念して私の話を聞くようになったか。さあ、貴様が知っていることを洗いざらい話してもらうぞ」

「夜刀神十香……あなたと話すことは何もない」

 そう言い捨てて再び歩を進めようとする折紙だが、

「答えられないから逃げているのだな。貴様が付き合っていたという者の名前も」

 挑発的な十香の物言いに、折紙の足が止まる。何かを答えようと口をもごつかせているものの、一向に言葉が放たれることはない。しまいには眉を寄せて、悔しげに歯軋りしている。

「恋人というのも、所詮、架空の産物だったというわけだな」

「……っ、じゃあ、夜十神十香。あなたは答えられるの?」

「何をだ?」

「あなたがデートしたという人間の名前が分かる?」

「勿論だ。そんなの簡単に決まっておろう」

 十香は確信をもって頷いて見せた。そんなことは朝飯前だった。

「じゃあ今すぐ答えてみて」

「それはだな――……」

 勢い込んでそう答えたまではいいものの、すぐに告ぐべき言葉を見失ってしまう。その人物の関連事項を思い出そうとすると、なぜか頭の中に霧が立ち込めて思考が上手くまとまらない。

 しかし、皮肉にもお互いの事は分かっていた。夜刀神十香と鳶一折紙は敵対関係にあった。

 精霊と人間。相容れない存在として、目に見えない線引きが成されていたこと。互いに乗り越えられない境界線があったということ。

 そのことだけはより鮮明に思い出せる。嫌というほど。

「まあ、聞くまでもなく最初から分かっていた。あなたの言う恋人が妄想だってことくらい」

 折紙の冷ややかな目線が突き刺さる。

「な、なんだとぉ!?」

「わたし用事あるから。邪魔しないで」

 折紙は再び早足で歩き出した。これ以上は時間の無駄だといわんばかりに。

「用事だと? どこへ行くつもりなのだ」

 すかさず十香が追いすがる。

「あなたに答える義理はない……と言いたいところだけれど、丁度良かったわ」

 今までの突き放すような態度から、打って変わったような不敵な眼差しに見つめられる。

「? うん?」

 思わず首を傾げる十香に、折紙がこう言った。

「クラス名簿を集めるのを手伝って」

「クラス名簿だと?」

「そう。それを見ればお互い何か思い出せるかもしれない。私の恋人や、あなたの妄想について白黒つけられるはず」

 折紙の申し出に、十香は目を輝かせた。

「おおっ、それは本当か! 貴様にしては名案ではないか」

 頭に立ち込めるモヤモヤが晴れるかもしれない。それだけで十香は胸が期待でいっぱいになった。折紙の嫌味さえどうでもよくなるくらいには。

「私は三年と二年のクラス名簿を集める。夜刀神十香、あなたは一年の名簿を集めてきて」

「む、そんなに必要なのか?」

「本当は二年だけで十分だけど、念には念を入れて全学年集めておくべき」

「一年だな、任せておけ! ところで、鳶一折紙よ。一つ聞いてもいいか?」

「何?」

「クラス名簿とは何だ? 食えるのかそれは?」

「……」

 先ほどよりも冷ややかな眼差しが十香に突き刺さる。

 そう――十香は人間じゃない。精霊だ。人知を超えた存在である。

 これまで人とまともに接したことはないため、彼女にとって人間の文化は目新しいものばかりらしい。

 それ故に、人間界の常識にはかなり疎い。

 目下、まずはこの常識知らずの精霊にクラス名簿が何であるかを叩き込まなければならないらしい。

 鳶一折紙はため息をつきながら、さっそく人選を誤ったことを後悔していた。

 

 

 

 超次元ゲイム学園/高等部/中央棟1F――視聴覚ホール

 

 名簿を見つけるのは容易かった。

 各教室に置かれている教卓には、名簿が貼り付けられている。やはり新しい学年ということで担任も生徒の名前をまだ把握しきっていないため名簿はとても重要なアイテムだ。または講師でやってくる先生のために備えられているのだろう。十香たちはそれを無断で剥がして持ち出してきたのだ。

 おそらく明日はクラス中が大騒ぎになるだろう。どこかのバカが新学期から名簿を持ち出したと。しかも全部の教室から一斉に紛失したことが分かれば、最悪学年集会にかけられる事態へと成りうるかもしれない。

 わざわざこんな盗人みたいな真似をしなくても職員室で教師から許可を得ればコピーをもらえたかもしれないが――あいにく二人にそんな心の余裕はなかった。

 教室棟を駆け回ってクラス名簿をかき集めた二人は、さっそく視聴覚ホールで紙束の山とにらめっこしていた。

 視聴覚ホールでは新入生歓迎会が今まさに行われており、ステージ上では上級生達がアピールを繰り広げていて、会場内には新入生達の歓声が響き渡っている。

 見渡せばホール内はどこもかしこも新入生達で埋まっている。

 入学式当日に……ちょっと気が早いような感じがしないでもないが、やはり既存部員としては少しでも多く新入生を獲得したいのだろう。二年をはじめとした上級生たちが、あれやこれやと催し物を始めている。

 なんにせよ、ここならば新入生に紛れて名簿を見ることができる。騒がしいのがネックだが、人の多いこの場所ならば怪しまれる危険性はない。なにより、この場所を選んだのは折紙の提案だ。

 紙束をめくる二人の手つきは真剣そのものだった。何かわかるかもしれない。二人の胸を独占するその思いが彼女たちを夢中にさせた。

 何でもいい。

 この違和感の霧を晴らす手がかりさえつかめれば。藁にもすがる思いで、名簿の隅から隅まで目を走らせる。

「……」

 折紙はため息をついた。ようやく一通り名簿に目を通し終えた。

 しかし、得られたのは達成感とは程遠い。どれもこれもピンとこないという実感だった。顔も知らない生徒たちの名前をにらんでいてもうんざりしてくるばかり。なんでこんなに人数が多いのかという不満まで湧き上がってくる。

 何度も何度も見返してみたが、何もめぼしいモノはなさそうだった。そのとき、

「むっ……これは!?」

 隣から十香が声を上げた。

「何か分かったの?」

 自然、声に期待の色が灯る折紙だが、

「何て読むのだ……これは?」

「あなたを頼ったわたしが馬鹿だった……」

 小首を傾げながら名簿を指差している十香にうんざりする。たしかにクラス名簿さえ分からないような彼女ならば字が読めなかったとしても不思議じゃない。

 何も分からないという事実だけが分かった。事態は振り出しに戻ったも同然。

 そんなときだった。

 ガタン――と会場の電気が消えた。

「なっ、なんなのだ。何が起こったのだ?」

「これは……停電?」

 突然の停電に、会場内がざわついた。暗闇の中から生徒達の不安な声が飛び交っている。

 かと思えば、スポットライトがステージを照らし上げる。何事かと前方に目を凝らしてみれば、派手派手しい衣装に身を包んだ二人の女の子がステージ上に立っていた。

 身にまとった華々しさと、堂々とした雰囲気。さながら学園のアイドルといったところか。さっきの停電はこのための演出だったらしい。

 二人はあざとさたっぷりの笑顔を振りまきながら、マイク片手に叫び出した。

「「僕達の歌を聴けー!」」

 音楽が鳴り響いた。

「おっ、おい。なんだアレ……」

「さ、さあ。プログラムには何も書かれていないようだけど……」

 周囲から戸惑う声が上がる。どうやらあの二人の出番は予定にないらしい。折紙はそう悟った。

「あの二人……どっかで見覚えがあるような」

「もっ、もしかしてアレは……」

「謎の美少女アイドル――女神ヴェルデハートさまじゃないか!」

「なにっ、あの伝説の!?」

「その素性、正体ともに不明。普段の活動内容は伏せられ、突発的なゲリラライブしか行わず、現れては観客の心を魅了していくという噂の――?」

「なんでそんな御方がこんなところに現れたんだ?」

「さあ、俺にはよく分からない。だが、そんなことはどうでもいい! うお――ッ! ヴェルデハートさま――――ッ!」

「愛してるぜ――――ッ!!」

 瞬間、会場内に割れるような歓声が上がった。

 会場内は一気に熱狂的な空気に包まれていった。

 十香と折紙には何がなんだか分からなかったが、実際、二人の歌はすさまじいの一言に尽きた。

 当初混乱に包まれていた場の流れが一瞬にして変わっていった。今では熱気のようなモノが立ち込めている。

 それは聴くだけで、魂が震わされるようだと思った。

「なんなのだ……アレは?」

「分からない。しかし……良い歌ね」

 わりと窮地に置かれているにも関わらず、二人の口から感動の溜息が漏れた。

 今の状況を忘れ、聞き入ってしまう何かがあった。これだけ狂信的なファンがいるのも頷ける。

 それは魂のビート――聴いているだけで身体の奥底から力が湧き上がってくるような気がする。

 たとえ八方塞りの迷宮であったとしても、暗闇のどこかにきっと光がある。そう信じさせてくれるような前向きさ、ひた向きさがヴェルデハートの曲には込められている。

 まさしく歌の力だった。

 歌に元気付けられる――そう言うとどこかクサイものがあるかもしれない。けれど、この歌を聴いているだけで不思議とそんな気持ちになっていく。ひょっとすればヴェルデハートなら本当に歌で戦争を終わらせることが出来るかもしれない。そう思った。

 聞き入っている内に、いつの間にか二人の歌は終わりを告げていた。

 ライブが終わった今でも熱狂的な余韻が会場内に立ち込めている。皆、揃って憑りつかれたような目をしているのはおそらく気のせいではないだろう。

 観衆に見つめられる中、ヴェルデハートが言った。

「いやぁ、こんなにカワイイ僕達の歌を聴けるなんて幸せ者ですね!」

「みんな今日はどうもありがとう。えー、今回はボクこと5pb.とヴェルデハートの……そういえばユニット名とか考えたことなかったね」

 どうしようか、というちょっと困ったふうな目で隣のヴェルデハートを見やる5pb.。

「みんなで適当に決めちゃってください」

「いいの!? そんな適当で!」

「ユニット名と謡うことは関係ないでしょう」

 しれっと言ってのけるヴェルデハート。どうやら歌うこと以外に興味はないらしい。

「まあいいや。そんなことよりも、えー、今日、ここに来たのはある重大な発表があるからです!」

 ヴェルデハートの宣言に、会場内が再びざわめいた。

「もしかして新しいメンバーを勧誘しにきたのかしら?」

「三人目のメンバーがこの中から選ばれるというのか!?」

 そう――今日は新入生歓迎会。今その真っ最中であり、ここはその会場である。

 新しいメンバーの勧誘――ゲリラライブをわざわざこんなところで行った理由としては妥当ではなかろうか。

 皆の期待を浴びながら、ヴェルデハートはマイクを片手に携えてこう言い放った。

 

「新入生、募集してねーから!」

 

 会場内が別の意味でざわついた。

「なん……だと!?」

「どういうことだってばよ!」

「じゃあ、なんでわざわざこんなところでライブに来たんだ?」

「謎過ぎる。だが、それでこそ謎の美少女女神――ヴェルデハートだぜ!」

「アンコール!」

「アンコール! アンコール!」

「アンコール! アンコール! アンコール!」

 よく分からないが流石は熱狂的な信者といったところか。次々と都合のいい解釈をしはじめる新入生達。

 だが、そのとき事件は起こった。

「ぐばあぁっ!!」

ヴェルデハートがゴボっと血を吐いて倒れたのだ。

「うわぁぁぁぁぁっ、エクシス! 大丈夫!?」

 隣で5pb.があたふたと取り乱している。

「こ、こら……どさくさにまぎれてちゃっかりボクの本名をバラすな……」

「こんなになるまで無理していただなんて……だから歌うのは反対だったんだ」

「ボクは歌える場所さえあればいい。それだけなのに……この身体はそんなワガママさえ叶えてくれない。まったく、憎らしいことだよ」

「しゃべっちゃダメ! 今すぐ保健室に連れて行くからね!」

 駆け寄ってきた生徒会のメンバーがエクシスを担架に乗せると、実に慣れた仕草で会場内を後にした。5pb.も慌てながら、

「ごめんなさい。ホントごめんなさーい!」

 ぺこぺこ頭を下げながら逃げるように去っていった。

 突然の事態に、ざわざわと混乱に包まれる会場。

 次に控えている部活のメンバーが出てきていいものかタイミングを計りかねている。司会進行役である上級生達もこのまま進めていいものか迷っているようだ。

 事態をいまいち飲み込めていないらしい十香が折紙に向き直った。

「な、何だったのだアレは?」

「……ただのバカだと思う」

 折紙は呆れた目でそう言った。 

 

 

 

 超次元ゲイム学園/高等部/中央棟1F――1年教室/廊下

 

 視聴覚ホールを後にした二人は、難しい顔で一年教室のある廊下を歩いている。

「なんだ。結局何も分からずじまいではないか」

「そうね。……どこかの誰かさんのせいで余計に疲れが溜まった」

 でも、と折紙が腰を上げた。

「わたし達の探している人が、どの学年にも属していないということは、なんとなく分かった」

 司会進行は見ていられないほどグダグダではあったが、あの二人の歌はとてもすさまじいものがあった。それだけは感謝してもいいだろう。

 おかげでこれからのおおよその目星がついた。

「鳶一折紙。どこに行くつもりなのだ?」

 確信を持って歩き出す折紙を、十香が不思議そうに見つめてくる。

「この校舎を隅々まで探索する。そうしたら何か分かるかもしれない。まだわたしは諦めた訳じゃないから」

「そうか……それなら私も――」

「その必要はない」

 十香の言葉を、折紙がさえぎった。

「ここからはお互い別行動を取るべき」

「どういうことなのだ?」

 驚く十香をよそに、折紙は冷たく言い放った。

「わたし達は敵同士。人間と精霊は決して相容れることなど出来ない。……そんなことも忘れたの?」

「なっ……」

「そういうことだから」

 言いたいことだけを言うと、折紙はきびきびとした足取りで去っていった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「全く……何なのだあいつは」

 十香はぷんすかと腕組みしながら、校舎内の廊下をアテもなく歩き回っている。

 特にすることもないので寮に帰ってもよかったのだが、いまだに頭のモヤモヤが晴れないのはすっきりしない。そこに先ほどの折紙のあの態度。これで落ち着いてなどいられるだろうか。

「自分から勝手に手伝えと言っておきながら、ついてくるな、などと……」

 その美貌をたっぷり歪めて不機嫌さをあたり構わず放出している。

「ええい、やっぱりあいつは嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ!」

 あのかわいげのない表情と、冷え切った声。それを思い出すだけでも腹が立ってくる。

「そういえばあいつは――鳶一折紙は、校舎内を隅々まで調べると言っていたな」

 ふむ、と思案げにアゴに手を当てて、

「よし、閃いたぞ。こうなったら私も校舎内を探索しよう。それであいつよりも先に目的のモノを見つけ出してやるのだ!」

 ふふん、と堂々と胸を張ってみせる。我ながら名案だと思った。そうすればあの偉そうな冷血女に一泡噴かせてやることが出来るかもしれない。

「そうと決まれば行動あるのみだ!」

 そうして走り出そうとした十香だが、唐突に『ぐぅ~』とお腹の音が鳴った。

「ぬ……」

 そういえば今日は朝から何も食べていない。いささか空気が読めない自分のお腹に苛立ちを覚えながらも、その事実にようやく思い至り、

「腹が減っては戦も出来ぬ……か。悔しいがまずは腹ごしらえをしなければ」

 食堂に行こう――そう気持ちを切り替えたところで、またしてもあのモヤモヤとした違和感が湧き上がってきた。

 いつもであれば食事の心配もなかった。今日の衣食住を心配無縁の状況にいた。たしかに自分はそんな環境にいたはずだった。

 どうして自分は今日の食事の心配など不要だったのか。それも上手く思い出せないが、自分が探し求めている人物とどのような関係があるのだろうか。

「なんか気持ちが悪いぞ……」

 空腹だけではない。思い出せそうで思い出せないという奇妙な気味悪さ。それが十香の大半を占めていた。

「いかんいかん。今はそんなことなど考えるな。分からないことを考えても時間の無駄だ。それより……何か食べ物を口に入れなければ、お腹がすきすぎて死んでしまいそうだ……」

 お腹をさすりながら、今度こそ食堂へ歩き出そうとしたとき。

「む……」

 十香は気づいた。

「食堂はどこにあるのだ?」

 おそるおそる周囲を見回した。今更のように自分が食堂の場所を知らないことに思い当たった。

 それは決して彼女特有の常識知らずな一面からきたものではない。

 とある者達の手引きによって自分は高校に通うことが許されていた。そこまでは覚えている。

 だが、はたしてここは自分の知っている場所なのだろうか。

 それさえも思い出せない。

 自分の勝手知ったる学校とは全ての施設の配置が――それどころか構造そのものが根本的に異なっているような気がする。

 またしてもモヤモヤとした霧が頭の中に立ち込めてきて十香の思考を阻んでくる。

「一体、何が真実で……何が虚構なのだ」

 自分は性質の悪い夢を見ているかもしれない。そう思って頬をつねってみるも、鋭い痛みがこれは紛れもない現実であると告げるだけ。

 真実はいつだって残酷だった。

「……」

 ふう、と観念したように溜息をつきながら、お腹の虫をそっとなだめる。

 やたらとだだっ広い校舎ではあったが、道すがら廊下ですれ違った生徒に食堂の場所を尋ねることが出来たので、たどり着くのは容易な話だった。

 しかし、問題は意外なところで発生した。

「きつねうどんが300円……?」

 券売機の前に立つや否や、十香は衝撃を受けたようにぽつりとそう漏らした。

 何かを求めるには、その対価として何かを支払わなければならない。

 例えば、こうして食べ物が欲しいと思ったらその対価として通貨を支払いを求められる。流石の十香さえもその程度の常識は持ち合わせている。

 では何が問題なのかといえば、

「お金が……必要なのか!?」

 そう、十香はサイフを持っていない。文字通り、一文無しのすっからかんである。

 その点に尽きた。

 まるで拷問のように食堂内には様々な臭いが入り混じっている。カレー、そばつゆ、チャーハンなどの香ばしい臭いが、十香の空腹を刺激するには十分に余りある材料だった。

 恨めしい。楽しく談笑しながらそれらを食べている生徒達がただひたすら恨めしい。

 わなわなと震えながら立ち尽くしている十香の背後から、

「働かざる者、食うべからず。それがここの基本ですよ」

 声がかけられる。そこには穏やかな微笑を浮かべる少年がいた。

 十香は一瞬、女かと思った。

 そのくらい目の前の少年は、女と見間違えてしまうような美麗さを兼ね備えているが、ぴんと張り詰めた雰囲気の中には、凛と澄んだ気品と、不思議な男らしさが感じられる。

 有り体にいうならば中性的な男だというべきか。

「おや、これは失礼。てっきり新入生かと思っていたのですが、まさか二年生だったとは」

「うむ。その通りなのだが、何故分かったのだ?」

「スカーフの色で分かりました。その色は二年生が着用するように指定されているものですからね。僕が君の事を新入生だと思ったのは視聴覚ホールから出てきたところを見かけたものでして、それでついつい勘違いしてしまいました」

「そうだったのか。スカーフの色とはな……」

「失礼ですが……この学園には転校してきたのですか?」

「それが……よく分からないのだ」

「分からない、と言いますと?」

「上手く説明できないのだが、頭の中がモヤーっとしてて、ぐるぐるーってなってて、考えがまとまらないというか……それのせいか物忘れが激しいのだ」

「ふむ、察するに記憶喪失みたいなところですかね?」

「キオク、ソウシツ?」

「記憶喪失と一言でいっても色々種類があるのですが、大まかに言わせてもらうと、健康だった人が自分に関する全ての記憶が思い出せなくなったり、新しいことをまったく覚えられなくなったり、周囲の状況を把握できなくなって混乱におちいると言われています。ひどいものになると自分の名前さえも分からなくなるのだとか」

「そんなことはない。私は夜刀神十香だ!」

 言って十香は思い知らされた。だが、それだけだ。所詮それだけなのだ。自分が以前から学校に通っていたという記憶も、二年生だったというのも曖昧な実感に過ぎない。やはり頭の中がモヤモヤして思考を阻んでくる。

「ならば夜刀神十香さん。君を知っている人に心当たりはありますか?」

「あるにはあるのだが……それが分からないのだ」

 それこそ十香の探し求めている人物であるという実感はあるのだが、それがどんな容姿なのか、どんな人柄であるとか、人物像が不思議なほど全く浮かび上がってこない。

「先ほどの方は、十香さんのお知り合いではないのですか?」

「ぬ?」

「白髪の女性です。何か口論されていたようですが」

「……断じて違う。あんなやつなど私は知らん!」

 やっぱり折紙のことをちょっと思い出すだけでも腹が立ってくる。

 ついでに腹の虫までうるさくなってくる。

「とりあえず、私のでよろしければどうぞ」

 そういって貴戸は「カレーライス」と書かれた食券を差し出した。

「い、いいのか!?」

 よだれがだらだらと垂れ流しになるのを押さえ切れない。

「はい。はたしてこれが十香さんのお口に合うかどうかは分かりませんが、それでもよろしければ」

 かたじけない。そう言って食券に飛びつこうとした十香だったが、男が食券を高く上げてそれをさえぎった。

「その代わりと言っては何ですが、ひとつお頼みしたいことがあります」

「何だ。何でも申せ」

「実は僕、美術部の部長をやっていましてね。先ほど絵の具を切らしてしまったので購買部に行ったのですが、間の悪いことに絵の具が品切れてしまったようでして」

「なんと、なくなってしまったのか?」

「はい。店員から話を窺ったところ、絵の具の材料となる素材がまだ入荷されていないそうなのです。一応、予備は置いてあるのですが、それもあまり多くはありません。このままではいずれ部の活動に支障をきたすでしょう。そこで十香さん、君にお願いしたいのですが、絵の具の材料を取りに行ってもらえませんか?」

「絵の具の材料だな。任せておけ!」

 脱兎のごとく走り出した十香だが、

「十香さん、場所はご存知なのですか?」

 部長の声で足が止まる。

「分からん。どこにあるのだ?」

「……」

 

 ◆ ◆ ◆

 

「しかし、この学園はすごくだだっ広いのだな」

 十香と部長は東棟の一階に辿りついた。

 中央棟からここまで歩いてくるのに三十分も要することになるとは誰が思うだろうか。空腹も手伝ってか、いささか疲労の度合いがいちじるしい。

「はい、ここに在籍している人たちは皆それを覚悟の上で入学を決めていると思ったのですが……やはりそこら辺も忘れてしまったのですか?」

「よく分からないのだ。でも忘れてしまったというよりも……まるで初めて聞かされた事のように思う」

「そうですか。ならば、これから僕が言うことをよくお聞き下さいね」

 部長はかく語る。

 

 この学園は百をも超える様々な学科が設けられております。国の機関や冒険者ギルド等に所属する諜報員を育成するエージェント科、戦闘に関する事柄を学んでゆく戦闘技術科、音楽科やクリエイター科などの基本学科から、多岐多様に渡って存在しています。向学心に満ちた若者達にあらゆる分野の道を示すために最良の環境を提供しているという名目により、あるとき学園は校舎の増改築を発表しました。

 学園がおかしくなったのはそれからです。

 当初、設計された部分からさらに増改築を繰り広げているためか、僕達がこうして息をしている合間にも、宇宙のように無限に膨れ上がっているのだといわれています。 

「まさか――それはいくらなんでも大げさではないのか?」

 いいえ、大げさなどではありません。その中身はまさに異次元と言ってもいい程の広がりを有しております。これほど見た目が当てにならない校舎はまず他に存在しないでしょう。

 その全貌と概要は誰にも把握しきれておらず、教師が把握しているのは設計当初の部分のみだけ。この学園の設立に携わった理事長と学園長がその全貌を把握していると言われていますが、真偽の程は不確かです。

 そもそも誰が好き好んでそんなことをしているのか、それすらも謎に包まれています。誰に頼まれたわけでもなく校舎を大きくさせようという心意気は褒められたことではありますが、そこを利用する生徒や教師からすれば傍迷惑な話だから皮肉以外の何者でもありませんよね。これは学園の七不思議としてまことしやかに囁かれているのですが、それはさておき。

 とにかく学校内で多少迷うことは珍しくもない話かもしれませんが、遭難するなどという実に馬鹿げた事態が発生するのがこの学園の特徴の一つでしょう。

「遭難だと?」

 はい。学園側は校舎の一部を立ち入り禁止区域と指定し、特別な許可がない限り、生徒の立ち入りを禁じている場所もあるそうです。

「ぬ。おかしくないか。何故、学び舎にそのような場所があるのだ?」

 目の付け所が良いですね。このようなことを学園側がわざわざ取り決めたのかと言いますと、それは年々、増加していく傾向にある生徒の死亡者数にありました。

「し、死亡者!?」

 はい。さっき僕は異次元という例えを用いましたが、この校舎内は一部次元が歪んでおります。それ故に、モンスターの住処へとつながっている部屋もあるそうでして、そこに足を踏み入れた生徒が帰らぬ人になるという話も珍しくはありません。この学園では。

「そんな危険な奴らが住んでおるというのか?」

 それが職員の間でも最大の悩み所でもありました。そこで学園は新たに学則を成立させました。

 学園の立ち入り禁止区域に許可(授業または課外授業以外で)なく近寄るべからず。仮にこれを破って生命が危ぶまれた場合、自分の身は自分で守ること。尚、防衛の手段は個々の判断に委ねる。というモノです。

 学園側は学則を制定することで、生徒間の危機意識を煽りつつ、そこで如何なることが起ころうとも学園側は一切責任を負わないという保身の策を立てたのですが、これが逆効果だったようです。

 面白半分や怖いもの見たさで危険地帯に入り込む生徒が後を絶たなくなりました。

 中には、己の勇気と力を誇示すべく、腕に自信のある生徒が自ら危険地帯へ潜り込んでいくのもよくある話です。

 そして、その無謀な生徒の消息がつかめなくなるもの珍しくない話なのですが、運よく生還する強運の持ち主が現れたのだそうです。それが全ての皮切りでした。

「なんと……」

 挙句の果てには調査団なるものが生徒間で組織され、今では学園の全貌を明かしてやろうという目標が掲げられ、今では生徒達がこぞって危険地帯に足を踏み入れるのもそう珍しいことではなくなりました。

 たしかに立ち入り禁止区域は危険な場所ではありますが、なにも悪いことだけではありません。

 そのエリアで採取できる資源や、モンスターから取れる素材は、僕達に様々な恩恵をもたらしてくれました。その素材を売買することで中には生活費をやりくりしている生徒も多数います。

「成る程……さっきの働かざる者、食うべからずとはこのことだったのだな」

 これは定かではりませんが、この世界には存在しない未知なる物質もあるのだと言われております。おかげで僕達のこの学園は飛躍的な発展を遂げ、世界に誇れる学び舎としてその名を轟かせています。

 そういった背景から、表向きでは推奨されていませんが、立ち入り禁止区域へ入るのは禁止されていません。

 以上、お分かりいただけましたか?

 

「うぬ……よく分からんがすごいところなのだな!」

 十香は目を輝かせてそう言った。半分も理解できているかどうかも怪しい。

「まあいいでしょう。本題に戻りますが、先ほど僕が言った、絵の具の素材は立ち入り禁止区域の一つにあるのです」

「そうなのか……なんか緊張するぞ」

 立ち入り禁止、という張り紙がされた扉を前にして十香はいささか身体がこわばるのを感じていた。

 この中にどのような危険が待ち構えているのだろうか。

「そう身構えないでください。立ち入り禁止区域とはいっても、モンスターも穏やかであるため、数あるモノの中では比較的安全なところです。新入生達の肩慣らしとしてよく使われるダンジョンとして有名ですよ」

「絵の具の材料とやらはモンスターが持っておるのか?」

「はい。スライヌというモンスターから採取できるそうですよ」

「なんだか名前からして弱そうなヤツだな。それなら簡単そうだ。よし、とにかく行って来るぞ」

「あっ、言い忘れてましたが、十香さん。あまり奥には足を踏み入れないで下さいね。入り口付近ならば弱い魔物ばかりですが、奥地には危険なヌシが住み着いております。くれぐれもご注意を」

「分かった。心得ておこう」

 こんなところでグズグズしてはいられない。一刻も早く食事にありついて、折紙のやつより先に目的を達成しなければ。

 十香は扉に手をかけて、勢いよく開け放った。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「全く、単純な子ですね」

 一人取り残された美術部部長――貴戸鷹華は、十香が入っていったドアを見つめている。

「さて、ひとまず僕の役目はここまで。精霊の観察は下の者がやってくれるでしょう。そろそろ部室に戻らなければ。描きたい絵のイメージを形にしたいと思っていたところでね」

 ふっと扉から視線を外して、来た道を引き返していく。

(そう。まさしく最初の人類だわ。その名は、いずれ学園の頂点に立つ私にこそ、ふさわしい冠だと思いませんこと?)

 ふと、貴戸の脳裏に生徒会長の声がよみがえった。

「生徒会長は僕のことを詩人と呼んだが、君程の才能は持ち合わせていませんよ」

 昨日のやり取りを思い出して、自然と笑みが零れる。

 あの生徒会長は気づいているのだろうか。

 アダムは最初の人類でありながら、最初に過ちを犯した人類だということを。

「まさかね。愚者の冠を見せびらかして、喜ぶ王ではあるまい」

 貴戸は封筒を取り出した。それは先ほど生徒会長のために用意した資料をしまっていた容れ物である。

 その一番奥に入っていた経歴書を取り出す。それは生徒会長にはあえて見せなかった一枚の書類。

 そこにはこう書かれていた。

 ――イヴ。

 肌の白い少女。所属は二年のB組とある。

 それだけではない。あの生徒会長とうりふたつの見た目をしている。

 経歴書によれば、この二人は血縁関係にある。姉と妹として。

「……アダムとイヴが約束の地で再会を果たすとき、どのような奇跡が起こるのか見ものではあるな」

 貴戸は底の見えない薄笑いを浮かべながら、先を急いだ。 

 その影は、巨大な獣のようにどこまでもどこまでも伸びていた。


 
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