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Revolter's Blood Vol'04 第一章 ~自由になれた『嫌われ者』~

C85発表のオリジナルファンタジー小説「Revolter's Blood Vol'04」のうち、 第一章を全文公開いたします。

2013-12-09 19:56:42 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:877   閲覧ユーザー数:877

 

 <1>

 

 潮騒にも似た波音が、穏やかな時を刻む。

 大陸中央部に存在する広大な湖エッセル。その南東の湖岸にある集落──ヴァンシア。

 今から五十年ほど前、このエッセル湖を利用した水運事業がもたらされるや、かつては小さな漁村に過ぎなかったヴァンシアは、大陸の東西を結ぶ水運の重要拠点として注目を集める事となった。

 そして今──かつての漁村は、大陸中央部の主要な都市の一つとして数えられるほどの発展を遂げていた。

 街が発展し、多くの人や物が流入しても、静穏を愛し、人情に厚い土地柄までは変わる事なく、ヴァンシアは長きにわたる平穏が保たれていた。

 そんな静穏な湖畔の集落の片隅。大小新古、多種多様な建物が雑然と立ち並ぶ地帯に、それは存在していた。

 廃屋と同然の古く、草臥れし一軒の家。

 長い間にわたり空き家だったのだろう。所々に傷みが生じているその家屋は、朽ちるのも時間の問題であろうといった有様。

 だが、そんな誰も寄り付くはずもない家の中に今、二人の人間がひっそりと隠れ住んでいた。

 アリシアとセリアの二人であった。

 王都を離れて二年──かつては聖騎士、そして聖女の愛娘として人々の注目と関心を集めていた彼女らは今、このヴァンシアの街の貧民街、その片隅にて、まるで人目を避けるかのような生活を送っていた。

 そんな最中、彼女らの住む廃屋は、本来あるはずのない来客を迎えていた。

「──我々に、帰還を?」

 アリシアは客へ向け、まるで問いただすかのような厳しい口調で言い放った。

 客とは僧であった。

 だが、その装いは、この大陸のいたるところで見受けられる僧衣ではない。全身に鎖帷子を身につけ、その上から大きな聖印が刺繍されたサーコートを纏っていた。

 それは『僧兵』と呼ばれる、武装兵の装い。

『僧兵』の発祥は、西の最果てにある『聖都』グリフォン・テイル。

 かつては、大聖堂の傘下に存在する武装組織の一員として、街の治安維持と、周辺に出没する魔物の討伐任務にあたっていた者達であった。だが五十年前の内戦以降、聖都にも騎士隊が派遣された現在は衰退し、高僧の私兵として僅かながらに存在するのみとなっていた。

 そう。この僧は西の大聖堂の使いとして現れたのである。

 ──聖都への帰還を要請するという、大聖堂の決定を伝える為に。

「何を言っている?」

 アリシアは静かな口調で言った。だが、平静を保っていたのは最初だけのこと。声色はすぐに厳しいものへと変じていく。

「貴様ら聖都大聖堂は、私たちを聖都から追放しただけに飽き足らず、セリアの保護の為、王都に向かう我々の旅を密かに妨害していたではないか? そればかりではない。王都では先回りしたと思しき大聖堂の僧が、セリアの母アイナを──虚言をもって唆し、自ら命を絶つよう仕向けたのだぞ?」

「──それほどの仕打ちをしておきながら、今更私が貴方達の言う事に従うと思っているのですか!」

 アリシアの怒りの声に、セリアが追随する。

 聖騎士よりも強烈な怒りをその声に孕ませながら。

「ふざけるのも、いい加減にして下さい!」

 怒りのあまりなのか、その目には涙が浮かんでいた。

 その時、彼女の脳裏には、聖都を追放されてからの二年間の出来事が、鮮明に蘇っていた。

 これら記憶の殆どが不遇なる日々の事。アリシアらの支えがなければ、到底生き抜く事などできぬほどに、過酷なものであった。

 一部でもいい。眼前の男に叩き付けてやりたいと思い至り、意を決して口を開かんとする。

 だが、それは僧が一礼とともに発したこの言葉によって遮られた。

「貴女達の怒りや悲しみは察する。だが、貴殿らもいつまでも、このような生活を続けるわけにもいくまい?」

 その態度には仁愛の情などなく、あるのはわずかな慇懃さといった、極めて無感情に近しいもの。

 あくまで『使者』としての応対であった。

 僧は続けた。

「特にアリシア殿下は、公に認知こそされてはおらぬものの、先々代国王の御落胤──前王の腹違いの妹である御方。王都議会の貴族どもが傀儡としているラムイエ殿よりも、本来は上位の王位継承権を有しているはず。にも関わらず、今の殿下はこのような有様。そればかりか国家の転覆を担う脅威として、その首に賞金を懸けられ追われる身ではありませぬか?」

「ラムイエ……」

 アリシアは、その名を繰り返し、呟いた。

 二年前、今は亡き王と、王妃──いや、その正体は、かつて王家より放逐された前王妃。即ち、王権の復活を企んだ、王の実母であるシルヴィアとの間に生まれた子。

 即ち、禁忌とされている婚姻によってできた不義の子であった。

「──我々は、その名誉が回復されるまでの間、貴女達を擁護し、支援したいと考えている」

 僧の言葉を聞き、アリシアは得心した。

 近親者同士による婚姻の規制、その先頭に立っているのは他でもない。彼ら聖職者である。故に、ラムイエの王位継承に異を唱え、その対立軸にあるアリシアの擁立に動こうと目論んでいるという事であろう。

 即ち、自分達の体面を保とうとしているだけである。

 そう、彼女は踏んだ。

「だが、聖都大聖堂は二年前、亡くなったセティ司教の後継者争いの末に候補となった高司祭を同時に失い、残されたのは力の及ばぬ中僧たち。彼らでは組織に維持すらもままなるまい。我々を保護する余裕などはないのでは?」

 遠回しに、拒否の意思を呈する。

 昔だったら、その場で激高し、怒鳴り散らしていただろうなと、心の中で思い抱きながら。

「西方教区より支援があったがゆえ、そのご心配には無用。現在、聖都大聖堂を取り仕切っておられるのは、フラムの街の元神殿長ナーディン師。『セティ様の後を継ぐには畏れ多い』として、あくまで聖堂長代行としての就任ではあるが。この申し出は、そのナーディン師のご意思によるものと心得下さるよう」

 その名には、アリシアやセリアにも聞き覚えがあった。

 神への信仰に篤いと評される善僧として名高き人物と聞いていた。

 また、生前の司教セティとの交流もあり、二年前、司教が逝去された際も賓客の中では一番に参じ、その死を悼んだと言われている。

 そんなナーディン師が大聖堂の長に就任したとなれば、話は別。

 かつての不穏当な聖地をよき方向へと改革してくれるだろう。

 これも、過去の清算の一環か──二人はそう、印象を修正した。

 しかし、アリシアは更に問うた。

「交換条件は、何だ?」──と。

 言葉の上で如何に反省の意思を示そうとも、胸中にある蟠りがとけるには至らぬ。大聖堂により聖都より放逐された後の二年間は、それほどに過酷であったのだから。

「いかにナーディン師個人が善良な僧であれども、組織の長の地位に納まれば、様々なしがらみに左右されるもの。そのお言葉は、下位の者達による清濁様々な意志によって動かされたものとなりますがゆえに」

「──何が言いたい?」

「無償の『救い』など信じられぬ、と申し上げております」

「……」

 僧の顔色が、初めて変わった。

 これこそが人間の特性──図星を突かれた刹那に必ず発現し、決して隠す事が出来ぬ瞬時の変化であった。

 そして、心髄を見抜かれた人の心は──一瞬でこそあるが、無防備な状態となる。

 そんな状態の者より、胸の内に秘めた事柄、全てを吐き出させる方法が存在する。

 アリシアは声色に脅迫めいた気配を帯びさせた。

「話せ。貴様らが思惑としている、私に対する要求、その本懐を」

 そう、全てを見通しているという気配を演出する事である。

 程なくして、僧の思考は麻痺し、やがて吐き出した。

 聖都大聖堂の思惑、その全てを──

 

「──セリア、怒っているか?」

 使者の僧が去り、数刻。アリシアが問うた。

「あの場で否と即答しなかった事に──ですか?」

 アリシアが頷き、傍らに立つ尼僧の姿を見遣った。

 二年という年月は、かくも人を美しく変えるのか。十八となり、少女から大人の女へと変革を遂げつつある彼女からは、静かながらも輝かしいばかりの生気に満ちており、そして同時に戦士として、聖職者としての気品と魅力にも溢れていた。

 その姿に、出会った頃の臆病さなど残されてはいない。人間としての形成、その完成形の一つがそこにはあった。

 そんな美の寵児は、静かに首を横に振った。

「ナーディン様のお人柄は私も存じております。その方が養母様の後を継いだとなれば、あの聖地はかつてのような心安らかな場所に戻る事でしょう。大聖堂が生まれ変わったのならば、私もあの地に戻ることも吝かではございません」

 アリシアさんも察しているかと思われますが──そう、セリアは続けた。

「聖都大聖堂の体面を保つために、今のうちに貴女を味方に引き入れておきたいという政治的な意図も同時に感じました。神の信徒たるもの、かのような人道的な観点を持っているのか判然とせぬ以上、大聖堂を信に値すると評するには早計」

「──そうだな」

 そう言い、アリシアが小さく溜息を漏らす。

 朽ちた家屋の中に、少しだけ緩やかな空気が流れる。

 ──その時だった。

 入り口の扉が激しく叩かれる事が響き渡り、二人は一瞬、身を固くした。

「アリシアちゃん! セリアちゃん! また奴らだよ!」

 次いで響いたのは、聞きなれた女の声。

 それを聞き、少しだけ安堵したセリアが慌てて扉を開ける。

 現れたのは素朴ながらも恰幅の良い中年の女。

 その性格は、姿より連想されるままのもの。肝っ玉が太く、世話好きな好人物として界隈をまとめ上げる──まさに絵に描いたかのような、近所の名物女将であった。

 そんな笑顔の似合う好人物の表情は今、緊張によって引き締められていた。

「また、あの賞金稼ぎとやらさ。今はウェルトが引きつけてくれているけど……」

「ウェルトさんが?」

 その言葉にセリアが反応を示した。

「二か月前、周辺地域の偵察に向かったきり、そろそろ帰って来る頃合かと思ってはいたのですが……」

 ──あの人も、つくづく運のない人ですね。

 そう言い残し、彼女は奥の部屋──寝室として使っていた部屋へと向かった。

「ごめんなさい。おばさん」

 そんな尼僧を横目に、アリシアが謝罪の言葉とともに頭を下げる。

「私がこの街に流れ着いてしまったばっかりに……」

「何を言うんだい!」

 咄嗟に叱咤の声が飛ぶ。

「貴女は王女様なのでしょう? 人の上に立つ御方なら、どんな苦しい事に遭おうとも堂々としていなきゃ駄目!」

「でも……」

「しっかりなさい!」

 強い口調で言い、女はアリシアの肩を力強く叩いた。

「この街には、あんたを支持する人は大勢いるんだ。王都のお偉方や訳知り顔の流れ者どもは、アリシアちゃんやセリアちゃんの事を悪く言っているみたいだけど、本当の貴女達は、連中が言うような悪人なんかじゃない──それは近くで見続けてきた私が一番わかっているつもりだよ」

 恩情に溢れた言葉だった。その情け深さに心を打たれた二人は、目頭に熱いものがこみ上げるのを感じていた。

 言葉に詰まるアリシアとセリアの背を──今度は優しく叩き、その女は言った。

「だから自信をもって、こんな嫌な世の中にしてしまった連中を、ぶっ飛ばしてきておくれよ」

「ありがとう、おばさん」

 アリシアは、女に向かって深く一礼すると、壁際に立てかけてあった愛剣を手に取った。

 無銘の剣を。

 かつては、救国の英雄と評される聖騎士の手によって振るわれ、幾多の国難を救ってきた白銀に輝く名剣を。

 柄に触れた刹那、アリシアの表情が一変する。

 一人の女性の顔から、至高なる武人──聖騎士の顔へと。

「セリア、準備はできたか!」

「──はい!」

 快活な返事と共に、奥の部屋からセリアが現れた。

 手には戦槌と小盾。着脹れした神官衣の下には、銀色に輝く鎖帷子が覗く。

 神官戦士の装い。

 その姿に彼女の養母──今は亡き司教セティの往年の姿が重なる。

 威風堂々たるその様に、アリシアは満足げに頷いた。

「よし、行くぞ!」

 戦士と化した尼僧を伴って出ていこうとする聖騎士の背中に向かい、女は激励の言葉を送る。

「──死ぬんじゃないよ!」

 二人の戦士は振り向かず、軽く手を挙げて、それに答えた。

 

 <2>

 

「待て!」

 ヴァンシアの街を包む穏やかな波音を、濁った怒声が掻き消した。

 濁声に次いで鳴り響いたのは、多人数による駆け足と思しき足音。

 これらの殆どは粗末な布靴によって鳴らされたものであった。

 音の主は、いずれも冴えぬ顔容の男達であった。だが体躯は細部の差異こそあれども、みな屈強。各々の手には剣や槌、戦斧や槍、短刀や弓矢などといった、多種多様な得物が携えられていた。その目には豺狼のそれにも似た色を帯び、まるでこの駆け合いを楽しんでいるかのよう。

 そんな中、一つだけ別の足音が木霊する。

 上質な皮靴によって鳴らされた音であり、それはこれらの戦闘狂の群れの先頭を駆ける者より発せられていた。

 異質な足音の主は黒き装束に身を包んだ青年と思しき男。彼は時折、後方を視認し、追手と思しき一団の存在を逐一確認しながら走り続けていた。

 その手に抜き身の剣を携えながら。

 幅広な刀身を有する剛剣であった。所有者の身の丈の八割はあろうかという得物の先端からは、赤き液体が滴り落ち、石畳で舗装された道に点々とした赤き跡を刻んでいく。

 その様は、多勢に追われた無勢なる逃走者の如し。やがて青年の息は上がり、追手に追いつかれ、その各々の得物によって肉体を切り刻まれるかのように思われた。

 だが、数十秒、数分経てども、そのような結末など一向に訪れぬ。

 逃走者たる青年の息は寸分たりとも乱れてはいなかったのである。

 そればかりか、彼は追手の疲労の具合を逐一確認しては、おのれの速度を緩め、手を伸ばせば届かんばかりの絶妙な距離を保っていた。

 まるで、追手を挑発するかの如く。

 だが、そんな終わりを知らぬかのように思えた奇妙な逃走劇は、呆気なく終わりを迎える事となる。

 それは、駆け合いを演じていた一団が、街の路地裏──迷路の如く張り巡らされている地帯の奥地へと差し掛かった時に起こった。

 先頭を駆ける青年が道の選択を誤り、袋小路へと迷い込んでしまったのである。

「……手を……焼かせ……やがって……」

「だが……、こうなった……以上は……、逃げる事も……、できねぇぞ……」

 追手より威嚇の声があがる。長きにわたる逃走劇の所為か、その声は絶え絶え。

 青年は、そんな間の抜けた恫喝を背中で聞き、参ったと言わんがばかりに、後頭部を掻く素振りを見せた。

「──こんな見ず知らずの僕の為に、よくもそこまで必死になれるものだね?」

 青年が初めて声を発した。呆れの感情を内包した、比較的のんびりとした口調。とても窮地に追いやられた人間より発せられているとは思えぬ。その様はまるで、自分の置かれた状況を把握してはいないかのよう。

「お前たち、賞金稼ぎなんだろう?」

 青年は、言い捨てる。

 このような状況下に置かれても尚、一切臆していなかったのは、彼が既に追手の正体を察知していたが故に。

「──金を目的に、姑息的に徒党を組んだ程度の連中が、僕に勝てると思っているのかい?」

 そして、これらが彼にとって脅威に値せぬと判断したが故に。

「この数を見ても、そんな大言を吐けるとはな──恐怖のあまり、遂に頭が狂っちまったか?」

 追手のうち先頭の一人が言い放つと、その背後に従える、十数人からなる男達が、嘲笑めいた笑みを伴って頷きだした。

「まぁ、いいじゃねぇか」別の男が言った。「狂っていようが何であろうが俺たちには関係のない話。首さえ刎ねてしまえば、その場に残るのはただの生首なのだからな」

「ましてや、こんなガキの首に金貨五千の賞金が懸けられているのならば乗らぬ手はあるまい? これほど旨い仕事なんかあるものか」

 金貨五千──この言葉が誘発となったのか、長時間の駆け足によって意思の萎えかけた男達の目に、狂気にも似た光が蘇り始める。

 これこそが賞金稼ぎ。騎士とも、傭兵とも異なる、もう一つの職業戦士の目であった。

 急速に湧き起こる覇気を背に受け、遂に黒装束の青年は振り向いた。そして、その正常ならざる殺気に満ちた男どもの顔を眺め、そして、先頭に立つ──一行の主導者と思しき男と視線が重なる。

 装束から覗く、青年の顔を視認した男の口角が不気味に吊り上がる。

「あんたに恨みはないが『仕事』に取り掛からせてもらうぜ」濁声に、狂喜の色が帯びる。「──金貨五千枚の『賞金首』さんよ」

 だが、男達は知らなかった。

 何故、こんな若い男の首に、金貨五千という莫大な賞金が懸けられているのかを。

 その答えを、彼らはいずれ知る。おのれの落命によって。

 眼前の二十にも満たぬ青年こそ、敵対した者達にとって、極めて『危険』な存在であるという事を。

 青年の名はウェルト・クラウザー。

 二年前、王都で勃発した王都議会による政権簒奪以降、歴史の表舞台から姿を消した男であった。

 

 

 <3>

 

 ヴァンシアの街のあるエッセル湖岸から遥か東。そこには幾つもの絢爛な建造物を内包した都が存在していた。

 その都の名は、王都グリフォン・ハート。

 聖獣グリフォンの心の名を戴くその都は今、混迷の極みにあった。

 発端は二年前。王家を襲った、度重なる災厄。

 王と、その妃の暗殺であった。

 二人が如何様にして殺されたか、そして、何者が二人を殺害したか──真実の断片すらも判然とせぬまま、権力は王の唯一の実子である王女ラムイエへと継承された。

 だが、王女は二歳になったばかりの幼子。無論、かのような女児に権威を行使する力などなく、政権は彼女の後見人として名乗りを上げた王都議会の長・宰相ダリウスのもとで運営される事となっていた。

 その日より、王都は混乱の坩堝と化したのである。

 都は連日、国中の諸侯や豪商らの訪問を受けた。彼らは時には列を連ね、時には群をなしては宰相との謁見を求めて王城を目指して奔走する。

 その様はまるで餌に群がらんとする餓えた豺狼の群れのよう。

 民草らは、毎日のように通りを行き交う歴々の姿に、心底うんざりといった様相で眺めていた。

 彼ら民衆は知っていたのである。

 これら諸侯や豪商どもは、決して自分たちに恩恵をもたらしてはくれぬという事を。

 即ち、奴らは新政権の恩恵に与るために群がった豚。或いは二年前に殺された王と王妃の屍肉に群がる禿鷹に過ぎぬのだと。

 かのような強欲なる者達が殺到する王都の大路。人の河と化した集りが目指すは、この国の執政を司る中枢たる一際絢爛な建造物。

 王城──その最奥に存在する『謁見の間』であった。

 そこは本来、元首たる国王が、様々な公務のために下々の者達と面会する場所。

 ある時は、下々の者達の懇願を聞くために、またある時は、武勲をあげた諸侯や騎士らに褒賞を下賜するために、そしてまたある時は、外賓を出迎えるために用いられた。

 まさに、国の歴史を見届け続けた部屋であるとも言えよう。

 だが今、部屋の最奥に存在する玉座は絢爛な天蓋と、そこから吊るされし純白の幕によって隠されており、王の不在を──それより象徴される国威の衰退を暈す役割を果てしていた。

 そんな玉座を覆い隠す純白の幕の前──途切れる間もなく訪れる、強欲な賓客を出迎え、応対する一人の中年の男がいた。

 筋骨逞しく、上質な貴族の衣装が不釣り合いであり、一見すると武人あがりとも見える男。

 ──彼の名はダリウス。

 二年前、政権簒奪を目論み、その最中で標的であった王自身に討たれ、斃れた王都議会の長バニトゥの後継者。王なきこの国の最高権力者たる宰相の地位にある者であった。

 彼の来訪者に対する態度は極めて歴然にして両極端。近隣地域に拠点を置く有力者からの願いとなれば善処を表明し、貧者、或いは遠方からの異邦者で、自分の名声に直接の影響が及ばぬ相手からの懇願となれば明らかに難色を示して、これを退けるといったもの。

 その様たるや即物主義と称するに相応しく、為政者としての意識の欠落は明白。

 この本質を最も鋭く見抜いていたのは、皮肉な事に、彼が真っ先に見放した者達──貧者、民衆たちだったのである。

 あまりにも寓意に満ちた光景であると言えよう。

 だが、もとより宰相ダリウスは、そのような矛盾には一切興味を示した様子はなく、この謁見の間にて弁舌をふるっては、来訪者の願いを聞き、相手の身分云々に応じて、善処を、難色を、時には拒絶を示す。

 その背に、白き幕によって暈された玉座の威光を受けながら。

 

 夕刻。謁見時刻の終わりを告げる鐘が城内に鳴り響く。

 謁見の間の扉、その外より順番待ちと思しき者から嘆息と抗議の声が沸き起こるが、それも一瞬の事。すぐに鎮静化し、多くの足音とともに遠ざかっていく。

 衛兵に怒鳴られたか、或いは諭されたのだろうか。

「所詮は強欲さだけが取り柄の田舎貴族。恫喝とともに槍を突きつけられれば、あのようにすぐに腰を抜かす」

 宰相ダリウスは、嘲笑の感情をこめて吐き出した。

 その様は忌々しげでありながらも、どこか自嘲めいた色彩すら帯びていた。

 まるで、心のどこかで謁見を求めた賓客の姿に、おのれが重なっているのではないか──そんな自覚めいた感情を抱いたかのように。

 だが、彼はそんな言葉を噛み殺す。そして、玉座の覆う天蓋から下がる、純白の幕を見遣る。

 いや、正確には──その幕の内に存在しているであろう、一人の女に向けて。

 彼は静かに口を開き、そして、言った。

「お聞きの通り、手筈は順調に整いつつございます。これらが将来、殿下の王位継承に関する重要な支持基盤となることでしょう」

「──それは、大変に結構」

 幕の内より声がした。妙齢の女の声。宰相は、その声に一抹の不安を感じながらも、幕に触れ、捲っては、その内に身を躍らせた。

 幕に覆われた天蓋の下には、絢爛な造りの玉座があった。

 それは国が興された時より存在し、この国を権力の頂から、見届け続けて来た、由緒正しき品。

 現在、この玉座には──王が不在の今、本来空席であるべき、この椅子に座しているのは、一人の女児。

 ──王女ラムイエ。

 宰相は、彼女の姿を見るたびに、心の内に不気味な暗雲が広がるのを感じずにはいられなかった。

 そう、まるで謎に満ちた、正体不明の魔物を見るかのような──

 二年前に、この世に生を受けた彼女の体はまだ小さく、大人用の玉座など、余るであろう代物である。

 だが、この娘は浅くこそはあるが、それに器用に腰を掛けていた。

 ラムイエの肉体、背格好はもはや齢二歳のそれとは思えぬ。

 まるで五、六歳の有相であった。

 この爆発的な生育を見て、誰もが一度は摩り替えが行われたと考えた。

 だが、彼女は現在、公に認められている唯一の王族である。それ故、この王城内の一室にて、常に傍らには召使いの者の看視のもとで生活しており、彼らの証言から、かのような事は行われてはいないと証明されている。

 ──即ち、この生育は自然なものであろうとの事である。

 宰相の男は頭を振った。信じられぬと言わんがばかりに。

 そして、ダリウスは王女が座する玉座の傍らに立つ、白衣の女を一瞥する。

「──アーシュラ」

 宰相は、女の名を呼んだ。

 自分と同じく、王女の後見人の一人である、錬金術師の名を。

 アーシュラと呼ばれた女は、おのれの名を呼んだ男に一切興味を示した様子は見せる事はなかった。彼女はただ、傍らの玉座に座する少女の手を握り、愛情にも熱狂にも似た眼差しをその横顔へと向けていた。

 これらの常軌を逸した感情に起因する一連の所作に、宰相の男は吐気すら感じずにはいられなかった。

 そんな宰相の嫌悪感を知ってか知らぬか──錬金術師は不意に口を開いた。

 ラムイエより片時も視線を外さぬままに。

「東の王都と西の聖都、これら二大聖堂が認めぬ限り、この子の王位継承は完成せぬ──」

 その口より出た言葉とは、王位継承に関する規定であった。

 王位とは神の許しのもとで継承されねばならず、その慣習を破れば必ずや神罰が下るであろうと信じられている。

 それ故、王位の後継者は神の代行者である大聖堂の認めを受けねばならず、東の王都と西の聖都、これらの二大聖堂双方の公認を得る必要があった。

 だが、王都議会がラムイエの擁立を公言してから二年。

 西の聖都大聖堂は、いまだ司教の死による混乱が収まらぬのか、談話の一つも発さぬまま不気味な沈黙を守っており、東の王都大聖堂は、ラムイエへの継承に真っ向から異を唱えていた。

 東の大聖堂が異を唱える根拠は、以下の二つ。

 一つは、ラムイエの出生──息子と実母という神が禁じた縁組によって生まれた子であるが故。

 そしてもう一つは、ラムイエよりも上位にもう一人、王位継承者が存在しているという主張が存在しているという事であった。

 その名は『アリシア』。

 西の聖都にて司教の祝福のもと聖騎士の称号を受けた女。

 そう。彼女こそ死した前王の腹違いの妹──即ち、先々代国王の落胤であるのだという。

 だが、それは騎士団の上層部の間で語られ続けて来た伝聞に過ぎず、一切の物的証拠などない。そして、当の聖騎士アリシアは行方を眩ませており、その所在は杳として知れぬ。

「外堀を埋めていかねばならぬ。有力貴族らの支持を集め、この子の王位継承に異を唱える生臭坊主どもと、これを後援する騎士団に対する包囲網を築かねばならぬのです」

「──御意にございます」

 宰相は首を垂れた。従順の意思を示す為に。

 そして、不快感に満ちた表情を悟られぬ為に。

「全ての手筈は整いつつあります。かの聖騎士アリシア以下、彼女が保護するソレイアの孫セリア、そして、彼女らを護衛する騎士ウェルト──これらを、王家に敵対する者として、その首に賞金を懸け、賞金稼ぎどもにその行方を探らせております。程なくして、これらの首が殿下のもとへと献上される事でしょう。さすれば、騎士団や大聖堂も黙する他なく、否応なしに殿下の王位継承を認めざるを得ませぬ」

「──抜かりなきよう、お願い致します」

 返答を聞いた刹那、首を垂れたままの男の表情が──凍り付いた。

 この流暢な言葉の主は、大人である錬金術師ではなく、齢二歳になったばかりの王女ラムイエであったからである。

 本来ならば、単語すらも満足に操れぬ年端であるはず。だが彼女は、いとも簡単に言葉を操っては自分の感情を適切に表現していた。

「彼らは救国の英雄と呼ばれる高名な武人の血を継いでいると聞きます。だが、大きな戦は五十年前の内戦を最後に終わりを告げ、かのような血に起因する猛々しさや勇猛さの類は、この平和な世には無用なもの。王位の継承という国の行く末を左右する大事を前に、その血が不必要に騒いでいるのでしょう。ならば──」

 その時、無表情のままであったラムイエの表情に変化が生じた。

「その血の暴走が──英雄の末裔という境遇と相俟って、無用な騒乱を起こさぬ前に、駆逐する必要があります」

 ──それは笑み。

 口の端が微かに吊り上がる程度の微かな変化であったが、彼女は確かに笑みを浮かべていた。

 そう、彼女は既に自らの意思で、感情を操れるようになっていた。

 大人同然と紛うかのような、論の組み立て方を伴って。

 二歳児に過ぎぬ幼子が──である。

 これを驚愕に値すると言わずに、何と言おうか?

「宰相」

 二の句が継げぬとばかりに、その場に凍り付くダリウスに向かい、錬金術師は語り掛けた。

「これこそ殿下が、王位の継承者である歴然とした証にございます。肉体の生育、知性の発達──これらの点において、常人のそれを遥かに凌駕した能力を有しているのは全て、王家の早期復権を望む神の思し召しゆえの奇跡なのですから」

「無神論者たる錬金術師が、神の思し召しとやらを信じるとはな」

 宰相は頭を上げ、皮肉を言った。先ほどまで愕然としていたその顔に、無感情の仮面を装って。

 アーシュラは、そんな厭味の言葉を一笑に付し、そして、こう切り返した。

「騎士団が動きを表面化させつつある」──と。

 その発言にダリウスは不愉快そうに眉根を寄せた。終始、無表情のままの王女ラムイエを横目にして。

 アーシュラはそんな宰相の顔を一瞥し、続けた。

「奴ら、この王都に必要最低限の人員のみを残して、勢力を大陸中央部の──エッセル湖周辺の何処かに移しはじめているそうよ」

「何処か──とは?」

「それはわからないわ」アーシュラは肩を竦めた。「彼らは同じくエッセル湖周辺への移住を望む王都市民らの護衛との名目で、小隊規模での移動を定期的に行い、そのまま帰還せぬといった手法を用いての事。こうして王都の弱体化を図り、相対的に我々──王都議会の勢力を衰えさせんと目論んでいるのかもね」

「──なるほど。昨年に執行した人事再編が、お気に召さなかったようだな」

「それはそうでしょう?」

 錬金術師の女は愉快そうな声をあげ、笑った。

「王都の役人どもを全て──反騎士団派の人間で固めるようなことをすればね」

「国内の勢力の均衡を図るためだ」宰相は反論した。

「故に騎士団が司る武と、我々が司る政との間に癒着があってはならぬが故にな」

「白々しいことを。かつての『十年政権』時代に、散々苦汁を飲まされ続けた腹いせでしょうに?」

「──何とでも言うがいい。だからこそ、私はこうして王都周辺の田舎貴族どもに恩を売り始めているのではないか。殿下への支持を集めると同時に、騎士団が王都を離れたことによる武力の補填をさせる為に」

 アーシュラは鼻で笑い、この言い訳を軽くあしらった。

「いくら我々が強要しようとも、騎士団は殿下を支持することはなかったのです。むしろ王都から離れはじめたというのは、歓迎すべきことではあるわね。だが、それは騎士団とて同じ事、奴らはこれを機に『本来、自分達がいるべき場所』へと向かい始めたのでしょう」

「奴らが『王位継承するに相応しい』と信じている者──『聖騎士』アリシアのもとへ?」

 成程、と宰相は首肯した。

「ならば、賞金稼ぎどもへの手配書を更新させよう。捜索をエッセル湖畔に注力させ、そして、討伐した際の賞金を上乗せさせるように──」

「抜かりなきよう、お願い致します──そう、申し上げました」

 その時、凛とした声が室内に木霊する。

 声の主は、玉座に座する幼子──ラムイエ。

 表情こそは変わらぬ。だが、その口調たるや、まるで寒冷地の洞穴内に垂れ下がる氷柱のような冷たさと鋭さを有していた。この辛辣な口調と意味深長なる言い回しに、その場に居合わせた二人は凍り付く。

「宰相──今まで、貴方はどれだけの賞金稼ぎを雇い、各地に送り込んだのですか? そして、その中で、どれだけの者達が成果の報告に戻って来たと言うのですか?」

「それは……」

「それこそまさに、騎士団が聖騎士と通じ、賞金稼ぎどもの行く手を阻んでいる証左ではありませんか?」

 宰相ダリウスは戦慄した。

 眼前の娘は──その知性や知能、そして精神は、彼女の本来の年齢である二歳児のそれでも、肉体の生育具合に相当する六歳児のそれでもない。

 既に円熟の域にある大人のそれであった。

 この恐ろしきほどの外見との差異、懸隔に男は言葉を詰まらせた。その間隙を縫い、幼き女王は続けた。

「賞金稼ぎどもは所詮、金目当ての志なき連中。手頃に殺せそうな相手しか狙わぬものよ。そんな有象無象の戦士に、かの騎士団より支援を受けた聖騎士を殺し、事を遂行できる謂れなどないのですから」

「しかし彼らは、それで口に糊している連中にございます。多額の賞金が懸けられれば徒党を組み、事を為さんとする者も出てくるはず。聖騎士などと呼ばれて粋がっている小娘の一人や二人など簡単に──」

「そんな俗物が束になったとて、返り討ちに遭うのが精々ではないかしら? まさに窮鼠が猫を噛み殺すかの如くね」

 幼きラムイエは一笑に付した。

「何故ならば、彼らにはれっきとした志があり、それに害を成す相手ならば、たとえ片目片腕を失おうとも、これを殺め、排除する事を一切厭わぬ──そんな覚悟を胸に秘めた連中が相手なのですからね」

 そう語ると、幼女は二度、三度と繰り返した。

 侮ってはならぬと。

 命を賭して、揺るがぬ覚悟を胸に秘めし人間を、絶対に侮ってはならぬのだと。

 この世界に存在する、ありとあらゆる国、如何なる時代においても、世を震撼させ、動かしてきたのは、常にこれらのような人物であるのだから──と。

 傍目、六歳程度の者の口から発せられたとは到底思えぬ言葉の連続。

 しかし、彼女は生まれながらの天賦の弁士の才が備わっているのか、或いは王家の血の成せる業か、はたまた別の理由かはわからぬ。

 ──ラムイエより発せられしこれらの言葉には不思議な説得力に満ちていたのである。

 故にアーシュラもダリウスも、一切の反論が出来なかった。

「十重二十重の手をもって、聖騎士どもを封殺せねばなりませぬ」

 天才児は言葉を発した。

 たった数分のやりとりの中で覗かせたラムイエの化物じみた才に、彼女を崇拝する錬金術師は無論の事、熟練の弁士たる宰相もこれを天才と認めざるを得ず、それを認めた刹那、彼らはこの言葉の虜となっていた。

 二人は、心酔する主君の次なる言葉を粛々と待つ。

 程なくして、それは与えられた。

 

 <4>

 

 乾いた石畳の上に、赤き液体が飛沫いた

 ヴァンシアの街の路地裏。袋小路を背にした黒装束の男──ウェルトが、追手のうち先頭に立つ男の脳天に得物を叩きつける。

 これが契機となり、戦闘は開幕した。

 怒声と金属音が木霊し、辺りを支配していた穏やかな波音を悉く掻き消していく。

 ウェルトの首を刎ねんと、今まさに襲い掛からんとしている追手、賞金稼ぎの数は二十を遥かに超えているかのように見えた。

 多勢に無勢の様相。だが、狭い路地とあっては、標的に向かって襲い掛かるのは同時に二人が限度であり、それ以外は、戦場の背後で怒声を発するのが精々。

 ウェルトは、そんな虚仮脅しには一切耳を貸さず、今まさに刃を合わせている二人を仕留める事──それに注力する。

 流石は賞金稼ぎ、職業戦士とも言うべきか、連中はみな、複数人による連携戦術に熟練していた。

 しかし、ウェルトはそんな熟達の戦士たちによる技を、いとも簡単にあしらい、そして大剣による一撃をもって、これらを仕留めていく。

「こいつ……若造の分際で!」

「剣を手にして、五年程度の未熟者じゃなかったのか!」

 戦場の遥か向こうより、驚きの声が上がる。

『この二年間、何度も狙われていれば覚えるさ──お前達のような連中の手口と技、そして、その弱点もね』

 その声が発せられた刹那、ウェルトは心の中で毒づく。

 次の瞬間、彼によって放たれた大剣の一振りが、二人の戦士の胴体を横薙ぎに両断する。

 切断面より血の花を咲かせ、頽れる二つの肉体に目もくれず、次なる襲撃者に備え、血に濡れた剣を再び構えなおす。

 数的不利は地理面、経験面といった様々な条件によって真逆の戦況を作り出していた。

 最初、多勢であった襲撃者の半数は、既にウェルトの足元を流れる血河の源泉と化し、その地獄絵図めいた様は、有象無象の戦士どもを戦慄させ、尻込みさせるには十分な光景であった。

「さて」

 幼さを残す顔を返り血に染め、その青年は言った。

 まるで、敵方の戦意喪失を見透かしたかのように。

「金貨五千の賞金首を目の前にして、仲間が半分失うなんて随分な大損じゃないか? これでは依頼人からの信用も失墜。今後の稼業に影響しなければいいけどね?」

 挑発の言葉をもって、敵方の戦意を煽る。

 最後の一人になるまでの殺し合いへと誘うために。

 一見すると矛盾めいた行為。しかし、逃亡生活を生き抜く為には必要な行為でもあったのだ。 

 逃亡生活を続ける者にとって、討伐の依頼者たる者に自分の居場所の情報が漏れる事こそが、最も避けるべき事態であるのだから。

 だからこそ彼は、相手の逃走を許しやすい広所ではなく、このような狭所に誘い込んだのだ。

 一人たりとも、討ち漏らさぬために。敵の走狗の生存を──逃走を許してはならないのだから。

 故に、ウェルトは挑発の言葉を繰り返す。

 ──生き抜くために。

 このヴァンシアの街は──自分だけではなく、自分が守ると誓ったアリシアとセリアが隠れ住む街でもあるのだから。

 故に、失敗は許されぬ。

『逃走者を出す』という失態など。

 だが、そんなウェルトの願いは神に届くことはなかった。

 戦いの開幕より、ほんの数十秒の間に、仲間のうちの半数が斃されてしまったのだ。そんな手練れからの挑発など、それによって煽られるのは戦意ではなく、恐怖であるのは言うまでもない。

 賞金稼ぎとは、賞金が懸けられたものの首を取り──即ち命の奪い合いをして糊口を凌ぐ者達である。武器を振るえるほどに五体が満足でなければ商売は成立せぬ。

 言わば、命あっての物種。自らの生存を何よりも優先するのが当然。たとえ、一生遊んで暮らせるほど高額な賞金が懸けられている者が目の前にいようとも、その標的が明らかに格上の相手──到底勝てそうにもないと察すれば、そのような戦いには決して挑もうとはせぬ。

 そして、賞金稼ぎとは、そういったおのれの直観の類に、極めて忠実であった。

 そう。彼らはウェルトを格上と認め、逃亡を選択した。

 二歩、三歩と後退を始める賞金稼ぎらの所作を見て、ウェルトは焦りを感じ始めていた。

 騒ぎを聞きつけた騎士隊が駆けつけるまで、数分は必要であろう。

 ならばせめて、それまでの時間だけでも稼がねば──

 ウェルトは剣を構えながら思案を続けるも、相手に対する警戒を怠らぬまま、意識を思考の世界へと向けられるほどの天才的な器用さなど備わっているはずもなく、彼の脳裏に妙案の類など一つも浮かびはしなかった。

 戦士達の足首が、ぴくりと動く。踵を返す時機を狙っているかのように。

 それを見て、ウェルトは心に決めた。

 ならば、せめて一人でも多く、討たねばならぬ──と。

 それはまさに絶望的な選択でもあった。

 自分とアリシア、そしてセリアの三人は、その首に賞金が懸けられている。

 賞金の出資元が、田舎の一貴族家程度ならまだしも、相手は王女ラムイエを擁する現政権の重鎮ども。

 その上、連中は自分たちに『政権の顛覆を狙う政治犯』という嫌疑をかけている。そういった事情ゆえ、追跡の手は止まぬはず。

 そんな中、連中に自分の所在がヴァンシアにあると情報がもたらされたら?

 自分達こそ、真っ先にヴァンシアを離れ、別天地を目指せば良いだろう。

 だが、自分達を匿ってくれたヴァンシアの住民たち。壮絶な逃亡生活を送って来た自分達の境遇に同情し、安住の地を提供してくれた人達はどうなると言うのだろうか?

 間違いなく、隠匿の罪を着せられる事だろう。況してや、現政権──その傀儡と化している王女ラムイエは、母子相姦の末に産まれたという疚しい過去がある以上、その醜聞が漏洩されるのを恐れ、その際に与えられる罰は理不尽なほどに重いものとなるのは想像に難くない。

 善良で温情深き人々が苦しむ姿など、ウェルトは考えたくもなかった。

 だが、現実は非情。

 既にウェルトに背を向け、逃走を図らんとする戦士達の数は十にも及んでいた。この袋小路を抜ければ、彼らは散り散りとなってしまう。

 そうなれば、一人で全てを追討する事など不可能。騎士隊に掛け合い、街の外へと通じる門を封鎖させても、間に合わないだろう。

 二人の戦士を背より斬り捨てる。

 だが、これは先に逃げんとする戦士達に押し退けられ、盾として利用された者。前方を見遣れば、逃走者の背は十分な距離を取られた先に存在していた。

 ウェルトは歯噛み、毒づきながらも、必死に追いかける。

 疾走するなか、先ほど祈りの言葉を聞き届けてくれなかった神に怨嗟の矢を向け、恫喝した。

 この人間からの思わぬ反旗に畏怖したのか、神の加護は、遂にウェルトへともたらされた。

 逃走を図らんとしていた戦士達の先頭から、血飛沫があがり、それを見た後続の者達の足が、一斉に止まったのである。

 群れの先頭で何が起こっているのか、最後尾のウェルトには一切判然とはしなかった。

 ──騎士隊が援護に来てくれたのか?

 そんな思考が、彼の脳裏に浮かぶ。

 だが、青年は思考の輪を止めた。

 連中が足を止めた理由など、所詮は些末な問題。おのれの為すべきことを遂行する、その最後の好機を得たのだから、如何なる幸運や偶然にも甘えるべきであるのだと。

 そう考えを改めたウェルトは、混乱の渦中にある群れに向かい無慈悲な刃を振り払う。

 困惑の戦士達が屍の山と化すのに、然程の時間はかからなかった。

 

 ウェルトは、その両の手に握られし大剣を振り払い、刀身に付着した大量の血糊を払い除けると、援護に訪れた二人へ視線を向け、その顔に微かに笑みを浮かべた。

「助かったよ、セリア。それに……アリシア」

 逃走を図らんとする賞金稼ぎらの行く手を遮り、ウェルトとともに、これらを挟撃したのは二人の女戦士。

 アリシアとセリアだった。

 礼の言葉を述べる彼が途中で言葉を詰まらせる。その表情に若干の照れくささが浮かべていた。

 その理由に気付いたアリシアがウェルトのもとへと近づき、その頭を軽く小突く。

「もう二年になったのだ。もう、その呼び方に慣れたらどうだ?」

 そんなアリシアの顔にも、同様の照れの色が浮かぶ。

 彼女の不器用な反応を知ってか知らぬか、ウェルトは「そう簡単にはいかないよ」と反論した。

「十七年もの間、貴女の事を従姉として──姉弟も同然のように接してきたんだ。それが、実は先々代国王の忘れ形見。況してや、そんな自分を呼び捨てで呼べと言われて、戸惑うなと言われてもね」

 そう言うと、彼は自嘲めいた笑みを浮かべ、眼前に山と積まれた死体の数々を見遣った。

「英雄の血筋たる人間の因果かな。どうも、僕にはこういう悶着の類を招聘してしまう体質のようだね」

「では、やはり──」黒髪の尼僧セリアの表情が沈む。

「まぁ、ね」ウェルトは彼女の言葉の意図を察し、頷いた。

「二年前に発足した新政権による国政運営が安定し始めたのだろうね。このエッセル湖よりも以東の集落には、王都からの役人が派遣され始めていたよ」

 そこまで言うと、ウェルトは歩き出した。

「これから先は少し気の滅入る話になる。場所を変えよう」

「──とは言え、帰るところと言えば、あのボロ家だけだがな」

「いや、上等さ」

 自嘲気味に吐き捨てるアリシアに、ウェルトは肩を竦めた。

「気心の知れた人達との寝食は、今の僕にとって極上の癒しだからさ」

「ウェルト……」

「ああ、でも」

 次の瞬間、青年の表情が悪戯めいたものへと変じる。

「アリシアは台所に立たないでくれないか。貴方の料理は──味は兎も角、見た目が最悪だからね」

 ──そんな軽口を叩いた刹那、ヴァンシアの街、その路地裏に鈍い音が鳴り響いた。

 

 <5>

 

 アリシアらの隠れ住む廃屋。

 返り血を洗い流し、簡単な食事を終えた三人が食後の茶を嗜んでいる最中、ウェルトが話し始めた。

「現政権の連中が各地に役人が派遣しはじめている。勿論、その目的は一つ──ラムイエ王女を傀儡とする現政権にとっての最大の脅威を取り除くため」

 脅威とは無論、アリシアの事である。

 彼女こそ騎士団、そして大聖堂が主張する王位継承者。二年前に死去した前王の異母妹。

 前王の娘であるラムイエよりも上位の継承権を有するというのが、その主張の趣旨。

 だが、所詮アリシアは妾腹の娘──非嫡出子であるが故に王都の役人たちは、それに真っ向から反発し、排除せんと動いているのであった。

「奴ら、僕達の首に懸けられた賞金に、かなりの上乗せをしたみたいだね。相当の数の賞金稼ぎが集められていたみたいだ」

「では、先ほど戦った戦士達も……」

「その中の一部なのだろうね」

 ウェルトとセリアの応答を聞き、アリシアは思案する。

「私達がこのヴァンシアに流れ着き、お前を周辺地域の視察に出した後、賞金稼ぎの襲撃を受けたのは今回が初めてではない──無論、誰一人として生かして帰しはしなかったが──騎士隊の支援を受けながら、隠れ住み続けるにも、そろそろ限界なのだろう」

「新天地を目指すにしても、ここから東に安息の地はないだろうね」

「ならば、西か──」

「極力、王都のある東からは離れた方がいいだろうね。ラムイエ政権が安定し始めているとはいえ、実権を掌握しているのは王都議会の連中だ」

「ラムイエ政権が発足して二年が経ちます。彼らは一体、何をしようとしているのでしょう?」

 セリアが尋ねると、ウェルトは苦しげな面持ちで天を仰いだ。

 そして「噂には聞いていたが──最悪だ」と、忌々しげに吐き捨てた。

「奴ら──バニトゥが推し進めんとしていた民衆の衆愚化に取り組み始めたみたいだ。士官学校や識者の私塾への受講料、更には書物の売買に至るまで法外な税をかけやがった。結果、民衆に知識が及ぶ事に大幅な規制がかけられてしまった状態さ」

「騎士団や大聖堂は何をしている?」と、アリシア。

「二年前、国王が暗殺された事により、王都では相当な混乱があったようだね。ラムイエ政権は、これ以上の混乱を疎んじた人々に縋られる形で擁立したという側面もある。そういった事情に対する配慮からか、騎士団や大聖堂も、これに表立って批判し、対立構図を演出させることが出来ずにいる」

「……では、ラムイエ政権に対する民衆の評判は相応に高いという事なのでしょうか?」

 ウェルトは首を横に振り、セリアの問いに対する答えとした。

「実際、ラムイエ政権を支持しているのは、知識の独占を行う事ができる富裕層。そして、元々の経済面の事情から満足な教育を受ける事が出来ない──即ち、今回の悪政の影響を受ける事のなかった下層の連中が殆どだ。大多数の中流層の人達は今の政治の動きに強烈な不信感を抱いている。中には王都からの移住を望む人も現れているのが現状さ」

「移住を望んでいる──か」

 アリシアは眉根を寄せた。

「移住とは即ち、現在の生活基盤を捨てて新天地を目指すという事。民にそれほどの負担をも厭わぬと思わせるほど、今の政策が酷いという証左だ」

「──で、これに支援の手を差し伸べているのが騎士団と大聖堂の二大勢力さ。騎士団や大聖堂の勢力を地方へと移すための口実として彼らを利用し、王都の衰退・空洞化を狙うためにね」

「なるほど」セリアは言った。

「王都が過疎化し力が衰えれば、その機能は著しく低下します。無論、その責任は現政権にあると見做されますからね」

「そう。その為に騎士団や大聖堂が選んだのは──経済面において、王都に次ぐ規模を誇るこのエッセル湖周辺だそうだ。王都の過疎化に従い、次第に騎士団による活動拠点の中心を移していくことにより、エッセル湖以西を現政権による悪政の影響を受けにくい防衛線としての役割を果たさせるのだとか」

 故に、とウェルトは言う。

 新天地を目指ならば、西へ行くべきであると。

 アリシアは、そう結論付けるウェルトの真摯な顔を一瞥する。

 そして、一度、溜息を吐いた。

「西を追い出された私が、再び西へと誘われる──か。まるで、運命の悪戯だな」

「──え?」

 素っ頓狂な声をあげる青年に、アリシアは語りだした。

 賞金稼ぎの討伐に出向く直前、西の聖都大聖堂の使いからの面会を受けた事を。

 そして、その場にて要請された事の全てを──

 

「聖都への帰還要請──だって?」

 話を聞き終えたウェルトは、思わずそう聞き返していた。

 その表情は、不愉快さと訝しさが入り混じった感情に彩られる。

「いくら、ナーディン師が長の代理の立場に据えたところで、あの生臭坊主どもが改心するとは思えないが……」

「そうだ。聖都大聖堂の改革は、いまだ成就してはいない」

 そう言い切り、アリシアは器の中に残された、冷めた茶を一気に呷る。

 そして、続けた。

「聖都に戻り、私とナーディン師が協力関係にあるという事を公言してほしい──との事だ」

「その見返りとして、大聖堂がアリシアを支援すると?」

「体よく言えばな」

「体よく言えば……か」

 ウェルトは、この言葉に嫌な予感がするのを感じていた。

 かつて聖都大聖堂は、救国の英雄である司教セティの名声の下、その威光を保っていられたようなもの。

 司教なき今、その後継者の座を巡って、高僧らが権謀術数を弄した末に共倒れとなった果て、力なき中僧どもの手で運営されるようになってしまったという体たらくである。

 その内情たるや推して知るべし。ましてや、かつてソレイアという悪魔を輩出してしまったという暗い過去を改竄し、歴史の『浄化』を企んで、その血縁者たるセリアに迫害を強いた過激派まで内包していた組織である。

 現在、大聖堂を構成する僧の堕落ぶりも顕著と考えるのが自然。

 そんな中、外様の善僧が飛び込んで孤軍奮闘したところで、大勢が変わるとは思えなかった。

 それ故、アリシアに助力を乞う事を考えたのだろう。旧体制時に放逐された人物を利用する事によって、旧体制派との対立関係を明白にすると同時に、国内最大級の騎士隊と評される聖都騎士隊との協力関係を築くことが出来るのだから。

 そして、それはウェルトやアリシアらにとっても好都合であった。

 ラムイエ体制の基盤が整いつつあり、東方地域の殆どを、再びその影響下に置き始めている今、逃亡先の選択肢は西方面しかないのが実情。

 そんな状況下で、西の聖都と敵対関係を続けることは好ましくはなかった。

 だが──

「セリアは聖都を許せるのか?」

 ウェルトは言った。

「君の養母上を裏切り、君を傷つけた聖都グリフォン・テイルを。聖都大聖堂を。君は──そんな街に帰りたいと考えているのか?」

 セリアは頭を振る。「許せるはずがありません」──と。

 だが、彼女はこうも言った。

「あの街は、養母上との思い出の場所でもあります。あの場所を、昔のような本来の意味での『聖地』へと生まれ返させることが出来るのならば──」

 尼僧は瞳を閉じた。何かに思いを巡らせる。

 そして開眼し、適度に潤みを帯びた瞳に純然たる光を湛え──意を決したかのように、言い放った。

「私は、如何なる尽力も惜しむつもりはありません」

 聖都から追放されて以降、彼女自身、あのソレイアの血を引く人間の一人として──かつての凄惨なる内戦を引き起こし、今も尚、その爪跡を深く残した張本人の孫として、贖罪の道を模索していた。

 そんな中、ソレイアの血を濃く残した人物──ラムイエが王権を継承、現政権の傀儡として存在し、悪政を振るっている事が判然とした今、ウェルトやアリシアと共にこれを除く事こそが、その第一歩であると、考えを固めていた。

 セリアの発言は、その覚悟に裏打ちされた決意であると受け止め、ウェルトは頷いた。

 次いで、彼はアリシアに問いかけた。

 同じ質問を──聖都を許せるのか、と。

「貴女の人生は、聖都によって捻じ曲げられたと言っても過言ではない」

 そう、ウェルトは語り掛ける。

「祖父母上の善意によるものではあるだろうが──事実、貴女は産まれて間もなく、その出生を偽られ、聖騎士直系の家にて育てられる事となった。そして、騎士となって四年、今度は娘を守りたいが為に司教セティ様が貴女を『聖騎士』の地位に任じた」

 これこそが──世間の評価。一切の内情を知らぬ大多数の愚者の視点。

 アリシアは近い将来、騎士団や宗教勢力によって擁立されるであろう人間なのであり、そして、遠い将来、王として人々を導いていかねばならぬ人間でもあるのだ。

 そう。彼女はかのような冷たい目に晒され続ける運命にあるのだから。

 ウェルトとて理解をしている。

 彼の祖父母が、王家に戻った後のアリシアの人生を案じるがゆえに、産まれたばかりの彼女を王家に返すべきとの周囲の声を撥ね付けた事も。

 自らの死期を悟った司教セティが、その深き愛情ゆえに、唯一残す事の出来た愛娘セリアの将来を案じ、最も信頼するアリシアに彼女の保護を懇願した事も。

「そして、『聖騎士』の役目に従い大聖堂に干渉してセリアとイデアの救出に尽力した結果、聖都を追放されたんだ。非人道的な方法を用いてまで後継者とならんとしていた高僧を駆逐したにも関わらずに」

 しかし、彼は敢えて冷淡なる言葉を投げかける。

 冷たく、無責任な『世間』の代弁者として──

「事実だけを冷静に並べれば成程──確かに碌でもない人生だ」

 アリシアは呟き、自嘲気味な笑みを浮かべた。

 だが──と、彼女は続けた。

「だからこそ、何を恐れる?」

「──!」

 この思わぬ返答に、ウェルトとセリアは目を瞠った。

「聖都では僧どもに嫌われ、グリフォン・アイでは『区画』の住民以外の貧困層に嫌われ、そして王都では議会の貴族どもに嫌われている。だが、私はこの境遇に感謝している」

「……どういう事ですか?」

 恐々とセリアが尋ねる。

 聖騎士の称号を冠する王女は、その顔に笑みを湛えた。

「一切の遠慮は要らぬという事だ。私を愛情もって育ててくれた聖都に報いる為、全力を尽くせるのだからな」

 だが、その目は笑ってはいなかった。

「故郷を徹底的に改革する」

 そう言うと、アリシアは立ち上がり、窓辺へ向かって歩を進めた。

 廃屋の西側の窓。その向こうには貧民街の街並みが──古惚けた木造の家屋が立ち並んでいる。

 彼女の目線は、その上──澄んだ青空の向こう。その視線の先に、かつての故郷──聖都グリフォン・テイルの街並みを幻視していた。

 アリシアは言った。

「その際、私を辱めた連中に、少しばかり強烈な仕返しをしたところで罰はあたるまい?」

 

 <6>

 

「西へ人を送る?」

 王都グリフォン・テイル。王城・謁見の間。

 幼き王女ラムイエによって発せられた言葉を聞いた宰相ダリウスと、錬金術師アーシュラは困惑の声を発した。

 その声を無視するかのように、主君の言葉は続く。

「……聖騎士アリシアは間違いなく西の最果て、聖都グリフォン・テイルまで退き、力を蓄えんとする事でしょう」

「ですが、王女殿下」

 すかさず、ダリウスが口を挟んだ。

「聖都大聖堂は二年前、アリシアの介入によって不正を暴かれた結果、有力な高僧を二人も失ったと聞いております。その際、アリシアは損失の責任を問われる形で聖都を永久追放された身であると聞いております。その大聖堂が、アリシアを許すとはとても……」

「神の定める禁を犯して生まれた私と、些末な罪で放逐された女」

 不義の娘の澄んだ声が室内に響き渡る。

「聖職者らは、これら同じ王家の血を継ぐ者のうち、どちらを選択するかなど、明白ではありませんか?」

「では、まさか……」

「間違いなく西の大聖堂は、アリシアを擁立するための基盤造りに取り掛かっていることでしょう。さすれば、後継者争いが半ばで頓挫し、様々な醜聞が明らかとなったことにより失墜した信頼や、人々からの信仰心を取り戻す事が可能であろうと踏んで──」

 ゆっくりと頷きながら語る幼子の瞳の奥に、鋭き光が宿りはじめていた。

 悪魔めいた意の込められた、おぞましき光が。

「勢力を緩やかに東から大陸中央部のエッセル湖周辺に移動させている騎士団の動きと併せて鑑みれば、連中の思惑は歴然でありましょう」

 ラムイエは天を仰ぐ。

「奴らは、この国を東西に分断するつもりなのでしょう。騎士団や神殿勢力どもは『正当な王位継承』を旗幟に我々に楯突くため、あの聖騎士アリシアを祭り上げてくるでしょう」

「では、西の聖都大聖堂は──?」

「言わば、アリシアはチェスで言うところの王の駒。これを我々の勢力の及び難い場所に配置する必要があります」

「即ち、我が国最西端の都市、聖都グリフォン・テイル──という訳か」

「恐らく西の大聖堂は、二年前の貴方達による政権簒奪の事実を知った時より動きだしたのでしょう。西の聖都にはアリシアの出生の事情を知る者が多く存在しているのですからね」

 ──そのような事情など、一体、どこで知りえたのだろう?

 淡々と言葉を連ねる幼子に向かい、宰相は訝しげな視線を投げかけた。

 その視線の先、ラムイエの頭越しに、アーシュラの怪しげな笑みを捕えると、彼は得心して頷いた。

 ──やはり、貴様の仕業か。

 殿下の、この異常な生育も知性の発達も──何もかも。

「人を送るにしても、一体誰を──どうやって?」

 ダリウスは思考を止め、主君たるラムイエに問うた。

「東西分断の準備を進める為、水面下で騎士団が動いている程ならば、我々の一挙手一投足にも看視も怠ってはおらぬはず。我々が不穏当な行動に出れば、何かしらの牽制に出てくるはずでは?」

「騎士団とて市民の動きにまで監視は及ぶまい?」

 答えは即座にもたらされた。

 その返答に宰相と錬金術師は、心底より驚愕する。

 即答をもって答えを発した事もさることながら、短くも意味深長な言葉を用いて、周囲の興味を刺激する──

 その様は、まるで異能者の片鱗。五十年前、この国を泥沼の内乱へと誘い、混乱に導いた女にして、アーシュラとラムイエの祖先ソレイアに酷似していた。

 そんな周囲の驚愕をよそに、異能者は語る。

「騎士団とて勅命を受けし公人の動きにまで手は及ぶまい?」

 答えは即座にもたらされた。

 その返答に宰相と錬金術師は、心底より驚愕する。

 即答をもって答えを発した事もさることながら、短くも意味深長な言葉を用いて、周囲の興味を刺激する──

 その様は、まるで異能者の片鱗。五十年前、この国を泥沼の内乱へと誘い、混乱に導いた女にして、アーシュラとラムイエの祖先ソレイアに酷似していた。

 そんな周囲の驚愕をよそに、異能者は語る。

「そう。我々が送るのは、我が命を受けた公人。執政官よ。そして、彼らに言わせるのです──」

「何と?」

「民族の浄化の為、過ちを犯した者の血を絶やせ。『区画』に住まう者達の殲滅を許可する──と」

「まるで、二年前のグリフォン・アイのように?」

 ラムイエは即座に頷いた。自分の心情を察してくれた事に喜び、顔には笑みを湛える。

 その様たるや、まさに年相応の幼子であった。

「ですが、殿下」アーシュラは、そんな彼女の頭を撫で、愛でながらも言った。

「かつての暴動の結果、それを引き起こした連中は騎士隊に捕縛され、抵抗した者は、その刃にかかって殺されております。騎士隊による一連の処置に、多くの差別主義者らは委縮し、活動を自粛しているという有様。いくら我々の言葉をもってしても──」

「動かない──とでも?」

「ええ。残念ながら」錬金術師は頷いた。

「所詮、奴らは貧困層の若者に過ぎませぬ。『区画』の住人という、無抵抗な者達が相手ならば、幾らでも暴威に出られるのでしょうが、騎士団の介入があるとわかった以上は」

「そうかしら?」

 だが、幼き女王は反論する。

「私は彼らの事を高く買っております。勿論『導火線に火の着いた火薬樽』としての評価ですがね」

「導火線に火が着いた火薬樽──とは?」

「だって、そうではありませんか? 他者より批判され、否定されるべき思想を有しながらも、それを批判・否定されるや忽ちのうちに発狂し、周囲に多大なる迷惑を及ぼすのですから」

 悪魔の幼子が嗤う。

「再び、各地に眠る臆病なハイエナの頬を叩き、その中に流れる獣の血を呼び覚ますのです」

 人を魔物へと変貌させる、あの『純白の羽』を添えて──

 そう、彼女は告げる。

「我々にとって肝要なのは、西の最果てという安全な地帯に居座らんとするアリシアの地盤を揺るがし、崩す事」

 アーシュラは得心して頷いた。

「なるほど。初手は堅実に──という訳ですか」

「いいえ」

 ラムイエは首を横に振った。

 その際、視界に一瞬だけ、宰相の姿が飛び込んでくる。

 彼は、狙いがわからぬと言わんがばかりに首を傾げていた。

 だが、ラムイエは続いた。

 彼の『理解』になど、興味がないと言わんがばかりに。

 そして、自分の言葉を理解できぬ者に、補足する必要もないと言わんがばかりに。

「今、この大陸は──駒入れから白黒二色、六種、三十二個の駒が無造作に盤上に撒かれたに等しき状態にあります、敵味方に分かれてこれらが配置され、理論に従った第一手が差される前に、仕込む必要があります。駒の力を殺し、或いは駒の配置を狂わせる『毒』を、ね」

 

 <7>

 

 女が立っていた。

 眼下に雲海を望む高山、その断崖の上に。

 複雑にして強烈な寒風が、これを掻き攫い、谷底へと落とさんとばかりに吹きすさぶ。

 しかし、細身の身体は僅かたりとも揺らぐことはなかった。まるで足の裏より根が生え、この地に根差しているかの如く。

 驚くべきは──この妙齢と思しき彼女の様相。

 それは、この過酷な地の環境に全くそぐわぬ代物であった。

 その身を包むは、胸と腰を覆う布のみ。まるで砂漠の国の貴婦人の如き風貌であった。

 女は、この地に吹き荒び続ける寒風に一切の身震いすらせぬ。

 ただ、一点を眺め続けていた。

 空を。

 限りなく透明に近き青空を。

 そして今、そんな──この世の者とは思えぬ女のもとに近づかんとする一団があった。

 登山用の装備を整えた、十余名からなる男達。

 寒風に備えた厚手の上着には、西の大聖堂の文様が刺繍されていた。これらの気配を察知した女は、それを一瞥し、一団の素性を知った。

 再び視線を空へと戻す。

 一団は、そんな彼女の元へと近づくと、その場で跪いた。まるで騎士が主君に対して行うかのように。

「聖騎士殿のもとへと遣わせた者が無事、帰還いたしました」一団の先頭にて引率していた男が言った。

「要請に応じる──との事にございます」

「──ご苦労様でした」

 男からの報を聞き、女が初めて口を開いた。

 そして発せられたのは、彼女の視線の先にある空のような、透明な声。

「ナーディン師には、私が感謝していたとお伝え下さい」

「詮無き事」男は答えた。「貴女のご意思は何よりも優先する。これこそが盟約にございます。如何に我々──聖都大聖堂が混乱の最中にあろうとも」

「……」

 女は視線を空へと固定させたまま、何も言おうとはしなかった。

 ただ一瞬、その表情に暗さを宿らせるのみ。

「──心中、お察しいたします」

 一団のうち、一人の神官が──その微かな変化を鋭く察知した。

「我々は二年前、聖騎士アリシア様と、その従騎士ウェルトを聖都から追放致しました。あのソレイアの血を引く娘、セリアを庇護した結果、大聖堂の後継者であった二人の高僧の死に関わったとして」

「──ええ」

 天を仰ぎ続ける女が、相槌を打つ。

 そんな何気ない声が発せられた刹那、跪く一団はざわめき、そして低頭した。

 まるで神の言葉を賜ったと言わんがばかりに。

「続けなさい」

 薄着の女が促す。その声に微かな嫌気を孕ませて。

 発言者たる神官は、その言葉に飛び上がらんばかりの反応を示し、慌てながらもそれに従った。

「そんな中、その決定に異を唱えた貴女に従い、我々は一日も早く、その御意志に叶うよう努めて参りました。麓のフラムの街よりナーディン師を大聖堂の新たな指導者に迎えた現在、聖騎士様のご帰還させるに相応しい環境は整いつつあります」

 強硬な手段が用いられたという事は容易に想像が出来た。

 秘密裏に流血があったとも噂されており、それが女の表情を暗くさせる真因であった。

「──事は一刻を争う事態ゆえ。すぐにお願い致します」

 女は感情を押し殺し、言った。

「ですが、一度追放した人間を呼び戻すのです。かつての決定、その善悪如何は兎も角、自らがかつて下した決断を覆さんとしているのです。それはまさに掌を返すのと同義であり、恥ずべきことと考える者も多い事でしょう──彼らの対する説得は十分な時間をかけ、誠意をもって穏便に事を運ぶように」

「──心得ました」

 三度、訪問者の一団は低頭する。

「ええ、宜しくお願い致します」

 この間、女は一度たりとも彼らに視線を向ける事はなかった。

 風が唸り、その赤く長い髪を舞い上げようとも、彼女は一切動じることはなく天を、虚空を眺め続けていた。

 まるでその先に、見つからぬ何かを探し続けているかのように。

 本来はそこに在るべきであった『何か』を。

「では、我々はこれで──」

 訪問者一団の引率者は最後にそう、言葉を添える。

 彼らは顔を上げ、そして見た。

 神の如く、或いはその同等の存在として信仰の対象としている眼前の女。その肌の露わとなっている四肢を。

 そこには文様が刻まれていた。

 植物の蔦を意匠化された、刺青と思しき文様が。

 彼らは知らぬ。その文様が一体、何を意味しているのかを。

 だが、彼らは同時に知っていた。その文様を四肢に刻む者が如何なる素性の者であるのかを。

 ──霊術師。

 西の最果てに存在する高山地帯。聖都の更に西。大陸の最西端に存在する最高峰──『霊峰』と呼ばれる山の守護者であり、頂上に祀られているとされる聖獣グリフォンの魂と交信し、様々な奇跡の術を起こす異能者の俗称である。

 五十余年前の内戦の折に殆どが虐殺され、更には継承者も確認されてはいない。現在、霊術師は失われたもの。伝説上の存在として考えられていた。

 しかし、その実は伝聞と異なり、かの伝説の霊術師は、血塗られた歴史の狭間で微かに息づいていたのである。

 信仰の対象として。まるで生き神の如く、現世に確かに存在しながらも、現世から遠く切り離された存在として。

「ここは寒い。これ以上の監視は貴女の御身体に障りますゆえ、ご無理をなさらぬよう」

「では、さらば──」

 神官らは立ち上がり、一礼すると、まるで神の名を唱えるかの如く静謐な面持ちで、彼女の名を唱えた。

「最後の霊術師リリアよ」──と。


 
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