No.63985

そして彼女は灰になった 上

mooさん

偶然吸血鬼と出会ってしまった十五歳の高校生の出来事。
翔という名のその少年は、乗っていた車が壊れて途方に暮れていた女性と偶然であった。
きれいでスタイルがよくて優しい年上の女性に、一目で魅了された翔。
彼女にお礼と称して誘われた翔。
怖れも疑うことも知らない純粋な好奇心と若い下心で、

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2009-03-18 20:44:18 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:787   閲覧ユーザー数:764

 

俺が高校一年の夏に体験したおかしなできごと。

それは夏休み前の雨の日、学校の帰りに一人の女性と出会ったことから始まった。

 

その日、昼過ぎから雲行きが怪しくなり、空が暗くなった。

 

帰る頃には大きな雨粒が激しく地面に打ち付けられ、

勢い余って地面から舞い上がっていた。

 

視界最悪。

この雨の中ではもはやなんの意味もなさない傘をさしながら下校する女子生徒。

その子の濡れたブラウスの背中に透けて見えるはずの男のロマンさえも、

見ることが叶わない。

 

俺は傘さえ持っていなかった。

突然の夕立ちだったんだからしかたない。

朝は晴れていたんだから。

 

何、ためらうことなんてない。

どうせ傘さえも無力な雨なのだから。

俺には透けて困るものだってありはしない。

 

俺は昇降口の屋根の下で、帰りあぐねている連中を後目に、

雨の中へ飛び出した。

 

最初、走っていたけれど、数分でそれすら無意味であることに気づく。

ズボンの中まで雨に侵されてしまったのだから、

もう何も守るべきものは残されていない。

 

交通量の多い、幹線道路沿いの歩道を、諦めてとぼとぼと歩いていた時だった。

背後から、けたたましくクラクションを鳴らしつづけながら、

瞬時に過ぎ去っていく車がいた。

 

それ自体、珍しいことではなかった。

何事かと一瞬振り返りはしたけれど、それ以上気には止めなかった。

また、とぼとぼと足を踏み出そうとしたときだった。

 

「うるさい、馬鹿野郎!」

 

そんな、聞きなれない罵声が耳に飛び込んできた。

 

これがいかにも恐そうな男の、迫力ある声だったなら

聞かなかったことにして、振り向きもせずに早足で去ったはずだ。

 

でも違った。

それは明らかに若そうな女性の声。

そんな粗野な言葉を奏でるのにふさわしくない綺麗な声だ。

 

驚いた。

 

声の主はすぐ近くにいた。

車道と歩道を隔てている街路樹、その反対側に声の主と思しき女性を見つけた。

 

彼女は、濃い紺色のジャケットから白いブラウスをのぞかせ、

タイトスカートというスーツ姿だった。

それはいかにもキャリアウーマンといった風で、

ピチピチした若さというよりも、少し大人の女性と表現するのが相応しい人だった。

 

けれども、この激しい雨のせいで、

その立派なスーツもまたすっかりと水を含んでいるように見えた。

きっと俺と同じようにパンツの中まで水に侵されているに違いない。

 

肩と背中の中間あたりまで伸ばされた長い髪も、

顔に、服にぴったりと張りついていて、

どこか魅惑的に見えた。

 

事実、ちらりと見えたその横顔は、きれいに整っていた。

 

そんな彼女がなぜこの雨の中、車道でずぶ濡れになっていたかというとだ。

おそらく乗っていた車が壊れて動かなくなってしまったのだろう。

 

それは真っ赤なオープンカーだった。

左側に運転席があることから、日本車でないことが見て取れる。

カッコいい、そして高そう。その車を見て俺が思ったことだ。

 

彼女は、呆然と車の後ろに立ち尽くし、ただ動かなくなったそれをじっと見つめていた。

 

あのお姉さんのために、俺にできることはないかと下心が顔をのぞかせた。

けれど、考えるだけ無駄だ。

俺にできることなんて何もない。

壊れた車をどうすれば良いかなんて、

運転免許すら持っていないたかだか高校生の俺が知っているはずもない。

 

見なかったことにして、立ち去ろうとしたときだった。

彼女は両手を車に添え、腰を落とし、おもむろにそれを押そうとしはじめた。

 

大した女だ。

そして、これなら俺にだって手伝える。

体力なら、あの人に負けないはずだと思った。

 

俺はそっと彼女の隣にたち、黙って車に両手を添えた。

 

気づいた彼女はそのままの姿勢で顔を横に向けた。

そのまま、ただ一言、微笑んで言った。

 

「ありがとう」

 

その笑顔は俺の下心を燃え上がらせるのに十分すぎた。

 

俺は渾身の力を込めて車を押した、つもりだった。

車とは、意外に力を加えなくても進むものなのだと、

この時初めて知った。

俺の隣で押している華奢な体の彼女が加えている力なんて、

数に加えるほどのものでもないだろう。

 

そんな俺の燃える下心を消さんとするかのように、

背後から抜き去っていく車がばしゃばしゃと泥水をひっかけていきやがる。

すでに濡れていないところなどないほどだったけれど、

許しがたい無礼な振舞だ。

これでは彼女も叫びたくなるはずだ。

 

「馬鹿野郎!」

 

と。

 

ただ、今度はそう叫ぶ代わりに、俺に向かって微笑んで言った。

 

「ごめんね」

 

それだけで全てが許せてしまうのだから男とは単純なものだ。

 

そうやって俺たちは、近くにあった駐車場に車を押し入れた。

そこで彼女はロードサービスに電話をかけていたようだった。

「あ、そう言えば、わざわざこんな苦労しなくても、車の中から電話かければよかったんだね」

 

彼女はてへっと笑ったようだ。

残念ながら、俺の視線は彼女の顔を捉えていなかったけれど。

代わりに、開いたジャケットから覗く白いブラウス、

それが透けて見える大きな胸を包む布っ切れに俺の視線は夢中だった。

 

それは俺が生まれて初めて目にする、巨乳と表現するに相応しいものだった。

十六年ばかりの人生の中で、そんなものを目にしたことはただの一度たりともなかった。

母親も、親戚も、幼なじみも、クラスメイトの女子だって、学校中を探したって、

今までにすれ違ってきた何百という女性の中にだって、

そんな巨乳は一人たりともいなかった。

グラビアアイドルの写真なら見たことがあるけれど、

果してそんな虚構のような存在が実在するのか疑わしいと思っていたくらいだ。

だが、今なら断言できる。

巨乳は実在するのだと。

そしてそれがこれほどまでに俺の視線を、心を鷲掴みにするものだとは思いもしなかった。

 

「どこ見てるのよ」

 

胸を隠すように両手を組み、少しばかり強い口調で怒られた。

 

「ごめんなさい…」

 

素直に謝ったからだろうか。

次の言葉はまた軟らかい口調に戻っていた。

 

「君も男の子だもんね」

 

くすっと笑われた。

それが、なんだか心の中をみすかされているようで、恥ずかしくもあった。

 

それから、レッカーが駆けつけるまでの間、

雨宿りをしながら彼女と他愛もない話をしながら時間をつぶした。

 

別に暇だったからじゃない。

そのきれいな人と、もっと一緒にいたいと思っただけだ。

このまま、「それじゃあ」と言って去ってしまうのはあまりに惜しい気がした。

 

彼女は俺にいろんなことを聞いてきた。

学校とか、年とか、住んでいるところとか。

 

「彼女とか、いるの?」

 

そう聞かれたときはどきりとした。

一体どういう意図があってそんなことを聞くのかと、

密かに期待してしまったじゃないか。

 

けれど、彼女は俺のそんな下心さえも見透かしていて、

弄ぶつもりで聞いたのかもしれない。

 

「いない…」

 

俺は正直に答えた。

生まれて此の方一人も、いない…。

 

「そうなんだ」

 

彼女は微笑んだ。

でもそれだけだった。

俺の淡い期待もそこで途切れた。

 

俺の質問にも彼女は答えてくれた。

年は二十七歳だということ。

見た目通り、有名な外資系企業のキャリアウーマンであるということ。

現在一人暮しだということまで。

六條 英里香と言う名前らしい。

 

携帯電話の番号まで教えてくれた。

 

「今度お礼したいから、教えて。嫌じゃなかったらだけど」

 

嫌だ、なんて思うわけないだろう?

 

「それじゃあ、電話していいかな?翔くん」

 

俺が頷くのを見届けてから、

彼女を助手席に載せたレッカー車は降り続く雨の中へと消えていった。

 

その日の夜、彼女から電話がかかってきた。

 

実のところ、俺から電話をかけて良いものなのかどうか、

ずっと悩んでいた。

わざわざ番号を教えてくれたのだから、

かけてはいけないはずはない、と思ってはいたのだけれど、

かける勇気がでなかった。

そうして電話を前に苦悩しているところで着信があった。

 

「来週の土曜日、空いてる?よかったらお礼とかさせてほしいんだけど」

 

そんな誘いの電話だった。

 

はて、土曜日の予定はどうだったかと、思い返そうとしてすぐにやめた。

考えるまでもない。

英里香さんのお誘いの前では、どんな予定も取るに足らないことだ。

 

「はい、空いてます!」

 

空いていなくても、無理矢理空けてやるさ。

 

「じゃあ、4時に駅前で待っててね」

そんなわけで、土曜日になると、俺は精一杯めかし込んで駅へと向かった。

 

どうして夕方の4時という時間を指定されたのか、

考えてみれば少し不思議だったけれど、

そんなことはどうでもよかった。

年上のお姉様が俺をデートに誘ってくださるのだ。

そのデートプランに口出しすることなど許されるはずがない。

彼女の気分を害して、折角のお誘いがお流れになっては元も子もない。

 

そう、生まれて初めてのデートなのだ。

それがグラマラスな美人なのだから、

俺にノーの言う権利などない。

文句など、言えるはずもない。

 

彼女が十分や二十分連絡もなしに遅れるようなことがあっても、

大人しくただひたすら待ち続ける以外に選択肢はない。

 

三十分待った頃にようやく電話がかかってきた。

 

「ごめんね、後もう少しだけ待っていて」

 

と、申し訳なさそうな声で言っていた。

 

もう少しというのは、彼女の感覚で言えば三十分程度のことをさすらしい。

一般的には、一体いつまで待たせる気なのかと怒りだしたくなるところなのだが、

俺は大人しく待ちつづけることにした。

 

もう少しだけ、その言葉で許されるのは一体何分までなのだろうか?

その許される時間は胸の大きさに比例するのではないかと、俺は思う。

彼女の胸ならば、たかだか一時間待たされることなど、短い。

 

ようやく、俺の目の前に赤いオープンカーが止まった。

それは、先日俺と彼女を引き合わせてくれたあの車だった。

 

エンジンも切らずに運転席のドアが大きく開いた。

 

彼女は今日もスーツだった。

あの日濡れてしまったものとは違うもののようだったけれど。

 

足を開き、地面を踏みしめるように外にだされた左脚。

スーツに似合わないスニーカーを履いていた。

長い足を上にたどると、膝が見えるくらい短めのスカートから、

無防備にも太股が少しばかり露になっていた。

なるほど、低く座るスポーツカーとは実に魅力的なものだ。

これが男のロマンというやつか。

残念ながらそれも一瞬のことで、

すぐに右足も外に出されて足は閉じられた。

それから彼女はドアを開けたまま車の横に立った。

 

「ごめんね、遅くなっちゃって!」

 

いいながら、顔の前で両手を合わせ、拝むように謝った。

 

「待ったでしょ?」

 

馬鹿野郎!どれだけ待ったと思っているんだ!!

と怒鳴るかどうかは、相手次第。スカートの短さ次第だ。

 

それが彼女の場合だとこうなる。

 

「うん、少しだけ…」

 

「本当にごめんね!」

 

もう一度謝られた。

 

「とりあえず、乗って」

 

言われるまま、俺は車の後ろをくるっと回って、

反対側のドアから助手席に乗り込んだ。

 

俺がシートベルトを閉めるのを確認すると、

彼女はギアを一速にいれて静かに車を発進させた。

 

「土曜日なのにスーツなんですか?」

 

車に乗り込んでから最初に交わした言葉がそれだった。

 

だって、さっきからずっと気になっていたんだからしかたがない。

きっと、きれいな服装をしてくるんじゃないかと、

密かに期待していたし、

それにつりあうような服装をしなければと精一杯背伸びをしたというのに、

彼女はスーツだった。

 

「ごめんね、実は今日も仕事だったんだ」

 

驚いた。

土日は無条件に休日だと思い込んでいたから。

俺の父親だって土日は例外なく家にいる。

土日でも営業している店があるわけなのだから、

その時間働いている人がいるはずなのだろうけれど、

俺はそんなことを考えたこともなかった。

 

けれど、仕事ができる人とはそういうものなのだろうと納得することにした。

 

「本当は、約束に間に合うように帰るつもりだったんだけれど、急に仕事が増えちゃって」

 

「大変なんだね」

 

と言ってから俺は気づき、慌てて言い直すことにした。

 

「大変なんですね」

 

「いいわよ、わざわざ言い直さなくても。って言うか敬語禁止!」

 

早いうちにタメ口を許してくれたおかげで、

幾分俺も少しばかり落ち着いて話せるようになるってものだ。

 

「そう言えば、車直ったんだ」

 

「まぁね、一週間もかかっちゃったけど」

 

「車が壊れて動かなくなるのなんて、初めて見たよ、俺。

うちの車なんて全然壊れないからさ。

まぁ、うちのはでかいだけでダサいけど」

 

「こんなものなのよ、イタリア製って。

その代わり、格好はいいでしょ?」

 

そう、彼女は自慢気に言った。

格好がいいことを自慢するのはわかるけれど、

「こんなものよ」と言った彼女の口調は、

壊れるところまで楽しんでさえいるように聞こえた。

 

「翔くん、どこか行きたいところある?」

 

聞かれて、俺は首を横に振った。

もし俺が誘ったデートなら、夜も眠れないくらいに

必死になってプランを考えたかもしれない。

けれど、十歳以上も年上のお姉様に誘われたのだから、

大人しくリードしてもらうことにした。

そもそも、俺にこの人を満足させられるだけのデートプランが考えられるはずもない。

考えたところで、実現できる経済的力だってあるはずもない。

だから、お任せだ。

 

「じゃあ、早いけれど、ご飯に行こう」

 

そう言いながら、彼女は高速道路を走っていた。

 

「ご飯ってそんなに遠くで食べるの?」

 

「いいから、お姉さんに任せなさい!」

 

そうして、着いたのが丘の上にあるレストラン。

周囲は数軒の民家があるだけで、あとは木が建ち並んでいるくらいだった。

はるばる田舎にやってきたものだ。

 

けれども、見下ろせば海が見える。

その先に賑やかな対岸の街が小さく見えた。

素直にきれいだと思った。

日が落ちればさぞかし夜景がきれいなのだろう。

きっとまるで恋人同士がデートで眺める夜景のようだと。

 

そしてふと気づく。

 

恋人!?デート?

俺たちは、恋人なのか?

これはただのお礼じゃなかったのか?

俺たちは、そんな関係だったのか?

いや、そんな関係になれると、期待していいのか?

そんな考えが頭の中を巡った。

 

「きれいでしょ?」

 

俺の隣に並んで立った彼女が言った。

 

俺は海の方を向いたまま悩みつづけていた。

そんな心中を知る由もない彼女は、

俺がその景色に見取れているのだと思ったのだろう。

 

「私一度来てみたかったんだ」

 

俺が返事をしわすれていたせいか、

彼女は悲しそうに続けた。

 

「ひょっとして迷惑だった?」

 

俺は慌てて大きく首を振った。

 

「そんなことない。

でも、こういうの初めてだったから、なんだか信じられなくて…」

 

果してこれは現実なのだろうか。

ときおり、そんな疑問が浮かんでくるほど、信じられない。

きれいなお姉さんに連れられて、二人きりで眺める景色。

まるで恋人同士のように。

こんな日常を過ごす男もいるのだろうけれど、

俺にとってはファンタジー並の非日常感だ。

 

「じゃあ、こんなことも初めてかな?」

 

だらしなく垂れ下がっていた俺の左手を彼女はきゅっと握った。

と言うよりも、指を絡めた。

そして俺の目を見つめようとしている。

 

俺は慌てて目を逸した。

 

美しく魅力的な顔がすぐ近くに迫っている。

見つめつづけたら目が眩みそうな気がした。

そうでなければ理性が潰れる。

 

「可愛い」

 

そんなことを言われたのだって初めてだ。

手を繋いだまま、彼女は俺を店内へと引っ張っていった。

 

なぜだ?

彼女はどうして俺を誘惑しようとする?

俺を誘惑して一体何の得があるというのか?

俺には近々莫大な遺産を相続する予定があるわけでもないのにだ。

 

それだけ俺が魅力的なのだろう、

と自惚れるほど自信家ではない。

 

彼女の魅力をもってすれば、どんな男だろうと十中八九ひっかかるだろう。

それなのに、俺を選ぶのはなぜ?

 

彼女が俺を悩殺するたびに、そんな疑問が浮かんでくる。

 

「ひょっとして、魚料理嫌いだった?」

 

俺がどうでもいいことで悩んでいたから、

彼女に余計な気をつかわせてしまったらしい。

 

「そんなことない」

 

正直なところ、魚は嫌いだ。

そう思っていたけれど、認識を改める必要がありそうだ。

嫌いなのは、安い魚料理であって、

いかにも高そうなレストランの、腕のたつシェフが作ったものならば、

その限りではないということだ。

 

ひょっとしたら高そうなのは雰囲気だけなのかもしれないけれど、

今までの俺には全く無縁な店だった。

そして彼女に連れてこられなければ、この先何年も来る機会はないだろう。

メニューに値段が書いてなかったから、実際に高いかどうかはわからないけれど。

 

「お金の事なんて気にしなくていいわよ、お姉さんに任せなさい」

 

俺がこっそりと自分の薄っぺらい財布の中身を気にしていたら、彼女がそう言ってくれた。

 

「今日は、お礼だって言ったでしょ?」

 

よかった。そうでも言ってくれなければ、

俺が入れるのは近所のファーストフード店くらいしかない。

 

いかにも高級で堅苦しい雰囲気の店ではなかったけれど、

それでも安くなかったはずだと思う。

気がついたとき、彼女が会計をすませてしまっていたものだから、

実際どうだったのか確かめようがないけれど。

 

食事を終えて外に出ると、すっかりと暗くなっていた。

案の定、海の方を眺めてみると、対岸の夜景が綺麗だった。

ふと上に目を向ければ、どこまでも暗く黒い夜空にきらめく無数の星が散りばめられていた。

遮る光がないから空の向こうの宇宙まではっきりと見えるようだ。

 

田舎も悪くないものだ。

 

そんな星空も車に乗り込めば見えなくなる、普通は。

 

彼女がスイッチを操作すると、

頭上を覆っていた帆がするすると後ろに下がっていき、

トランクに収納された。

そして再び空一面を覆う星空が現れた。

 

満点の星空の下を走り抜ける、

それが彼女の密かな楽しみなのだとそっと教えてくれた。

 

なるほど、オープンカーとは実に良いものじゃないか。

 

それから彼女は来た道を戻ったのだろう。

あろうことか、いつの間にか俺は眠ってしまっていた。

少しばかり気が緩みすぎてしまったようだ。

初デートで居眠りとは。

「起きて」

 

体を揺すられ、重いまぶたを開いて最初に飛び込んできたのが彼女の顔のアップ。

寝ぼけていたせいで、一瞬本気で驚いてしまった。

なぜ、美女が俺を揺すり起こしているのかと。

数秒もすれば、さっきまでのデートが夢でなかった事を思い出す。

 

駐車場だろうか、周囲にはたくさんの車が止まっていた。

気づけば、屋根も元通りに帆が覆っていた。

コンクリート製の壁に、コンクリート製の柱、

天井に備え付けられた蛍光灯が明るくてらしている。

防犯カメラと思しき形もいくつかあった。

 

「ここ、どこ?」

 

彼女のあとに続いて歩き、エレベーターホールに入った。

彼女がボタンを押し、エレベーターが来るのを待った。

 

「私の家だよ」

 

「えぇっ!?」

 

驚いた。

夢じゃないかと、本気で疑いたくなる。

 

「言ったでしょ?今日は泊まるつもりできてねって」

 

確かに、彼女からの誘いの電話で、そう言われた。

だから、俺も一応そのつもりはしていた。

けれど、それは一応だ。本気にしていたわけではない。

だってそうだろう?会って間もない男と、

しかも彼女にしてみれば年下のガキと一夜をともにするなんて、ありえないじゃないか?

 

そりゃあ、夢のような妄想を全くしなかったかと言えば、それは嘘になる。

でも、妄想は妄想。

そうなると嬉しいなと思っていても、

こうして現実に迫られると、嬉しいと言うよりも戸惑ってしまう。

 

早い話、心の準備ができていない。

 

「でも、家だなんて言ってなかったから…」

 

「あら、ホテルの方がよかった?」

 

彼女はくすくすと笑っていた。

 

一体どういうつもりなんだ?

 

「でも、どうして…?俺なんかが泊めてもらってもいいのか?」

 

「あら、女が男を部屋に誘うってどういう意味か、

わからないわけじゃないでしょ?」

 

俺は言葉が出なかった。

これでは俺の妄想を上回る展開じゃないか。

 

「わからないって言うなら、お姉さんが教えてあげるわよ?」

 

俺は部屋に通された。

 

エレベーターは20階よりも高いところまで登った気がするけれど、

俺の頭の中はそれどころじゃなかったからよく覚えていない。

高層マンションなのだろうか。

 

ドアを開けるといきなり部屋があるような、狭い作りではなかった。

一体いくつ部屋があるのだろうか。

案内してくれなかったからわからない。

ただ、俺が通された部屋も十分に広かった。

独身でこんなに広い家に住む必要があるのかと思えるくらいだ。

たぶん、俺の家よりも広い。

 

彼女はお茶を入れてくれた。

部屋には小さなテーブルがあって、俺はそれに向かって座った。

 

「着替えてくるついでにお風呂入ってくるね」

 

そうしてしばらく一人にされてしまった。

大きなテレビがついていたけれど、さっぱり頭に入ってこない。

と、いうよりも、俺の頭はこれからの事でいっぱいいっぱいだ。

 

後ろには大きめのベッドがあった。

嫌でも目に入ってしまう。

 

俺はこれから何をどうするべきなのか、

わずかばかりの知識をかき集めて精一杯イメージしてみた。

それは、妄想とは全く別物の、イメージトレーニングに近い。

考えれば考えるほど、俺は何も知らない、ということがわかっただけだ。

 

彼女が部屋着に着替えて戻ってくるまで、あまり時間がかからなかったように思えたけれど、

俺の気のせいだったらしい。

たっぷり四十五分くらいは過ぎていた。

 

「お風呂入る?」

 

俺は思わず首を横に振ってしまった。

 

マナーだとかそんな些細な事を気にする余裕は、もはやない。

 

「ひょっとして、緊張してるの?」

 

俺は素直に頷いた。

 

「可愛いね」

 

いいながら、頭を撫でられてしまった。

 

「大丈夫だよ、痛くしないから。こっちおいで」

 

促されるまま、彼女が腰かけていたベッドの隣に座った。

 

「これ、脱いで」

 

俺が上に着ていたものを脱がせようとするから、

大人しくそれに従った。

 

もう、なにもかも彼女に任せてしまおうという気分だった。

俺が何も知らなくったって、彼女がリードしてくれるさ。

 

彼女は俺を仰向けに寝かせた。

 

そして俺の上に四つん這いになる。

 

彼女の顔がすぐ近くに迫った。

 

一瞬、口づけをされるのかと思ったけれど、違った。

 

彼女は顔を俺の首元に埋めた。

 

彼女の息がくすぐったい。

 

シャンプーの香が俺の鼻を刺激する。

 

それは彼女の舌だったのだろうか。

温かくて軟らかいものが、首の左側に触れた。

 

次の瞬間、痛みのようなものがそこに走ったような気がした。

 

気のせいだったのだろうか。

 

それから俺は今までに感じたこともない快感を覚えた。

 

それは未だかつて味わったことがないほどのもので、

俺の理性だとか思考だとかそんなものが瞬時に消えてなくなった。

頭からも体からも余計な感覚は全て消えてなくなり、

ただただ気持ちいいという感覚で満たされている様な感じだった。

 

だらしなく、閉まらなくなった口から、

情けない声が漏れていたことだけを微かに覚えている。

 

あとの事は何も覚えていなかった。

きっと、その後意識を失ってしまったのだろう。

 

気がつけば、一人、ベッドに寝かされていた。

 

窓の外はすっかり明るくなっていた。

 

何時なのだろうか?

時計を探して時間を確認した。

 

午後三時、俺はそんなに眠りつづけていたのだろうか。

 

だるくて重い上半身をやっとの思いで起こす。

寝すぎだろうか。

 

頭がぼーっとする。

 

両足をベッドから降ろし、立ち上がろうと体重をのせた。

 

一瞬立ち上がったものの、強烈な目眩に襲われた。

そして、腰の力が突然抜けて、

俺はその場に崩れるように座り込んだ。

 

その音に気づいたのか、彼女がドアを開けて入ってきた。

 

「やっと起きたんだ」

 

「ごめん、俺すぐに寝ちゃったみたいで…」

 

情けない。

まだまだ寝ぼけ調子の鈍い頭だったけれど、

そんな感情は湧いてくるらしい。

 

「いいのよ、みんなそうなんだから」

 

優しく、そう言って慰めてくれた。

 

「ひょっとして、立てなかった?」

 

こくりと頷く。

 

「ごめんね、やりすぎちゃったかな」

 

謝られた。

 

足腰が立たなくなるようなことがあるのかと、

俺は信じてしまった。

自分の身で体験したことなのだから疑いようがなかった。

 

「じゃあ、家まで送ってあげるね」

 

俺はベッドに捕まりながら、ようやく体を起こし、

昨日脱がされたシャツだけを来た。

 

そう言えば、シャツを脱がされた記憶しかない。

他は脱がされなかったのだろうか?

 

仮に、俺が寝ている間に彼女が着せてくれたのだとしても、

脱がされた形跡が全く見られない。

それとも、俺が気を失ってしまったから、彼女はその後なにもしなかったのだろうか?

 

俺は、昨日の夜、彼女に何をされたのだろうか?

 

子供の俺には到底想像も及ばない、大人の快楽を味わわされたのだろう。

そう考える他なかった。

 

彼女の手作りのご飯を食べさせてもらって、少しくらいは立ち上がれるようになった。

 

それでも足取りがおぼつかないから、

彼女に支えられながらようやく車へとたどり着いた。

 

情けない。

 

約束通り、彼女は俺を家の前まで送り届けてくれた。

 

「また会ってくれるでしょ?」

 

頷く以外の選択肢はない。

 

俺が頭で何を考えていようとも、

俺の意識とは別のところで、勝手に体が頷いたはずだ。

 

 

 

そして彼女は灰になった 中 へ続く

 

 
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