No.609977

真・恋姫✝無双 想伝 ~魏✝残想~ 其ノ十三


どうも三週間ぶりの更新です。
というかこれはもはや四か月ぶりの更新と言ってもいいかと思います。


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2013-08-18 16:48:27 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:11546   閲覧ユーザー数:7915

 

『それぞれの想い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ダメよ。そんなの認めないわ」

 

 

 

「認めたくないよ、俺も……」

 

 

 

冷たく蒼い光を空から地上に届ける満月。

私は必然の別れを第三者の視点で空から見下ろしていた。

 

未だに見る夢。目を覚ました直後は息も荒く、額に浮かんだ汗を拭う。

 

 

「どうしても……逝くの?」

 

 

 

――ああ、第三者の視点で聞いてしまえばなんという愚かな問いだろう。

   彼が逝ってしまうことを分かっていながら、それでもそれを善しとした少女の表情は静かだった。

 

 

 

「ああ……もう終わりみたいだからね……」

 

 

「そう……」

 

 

――少女の纏う空気に冷たいものが一瞬混じる。

   確かこれから口にする言葉が、少女の最後の強がりだった。

 

 

 

「……恨んでやるから」

 

 

「ははっ、それは怖いな……。けど、少し嬉しいって思える……」

 

 

 

――彼のこの言葉を聞いてどれだけ心が震えただろう。

   精一杯の強がり。理不尽ともいえるそれを受け入れた上で、彼は嬉しいと言った。

 

 

 

 

「……逝かないで」

 

 

 

――逝ってほしくない。

   それなら、その方法すら探さなかったのは何故?今更ながらに自問する。

 

 

 

「ごめんよ……華琳」

 

 

 

――謝ってほしいわけじゃない。謝るべきは寧ろ少女の方だ。

   謝って、泣き喚いて、追い縋って、彼と共に消える。そうしても良かったじゃないかと、今はそう思う。

 

 

「一刀……」

 

 

――彼の名を呼ぶ細い声。

   中途半端にも程がある。最初からどちらかに決めていれば、こうはならなかった。

 

 

 

「さよなら……誇り高き王……」

 

 

 

――ただ王として振る舞っていたなら、こんな終わり方はしなかったのかもしれない。

   そんな“もしかして”は机上の空論だ。ただ王として振る舞っていたなら、彼を愛することは無かっただろう。

 

 

「一刀……」

 

 

――再び、少女は彼の名を呼ぶ。

   さっきよりも震えた、か細い声で。

 

 

 

「さよなら……寂しがり屋の女の子」

 

 

 

――明確な別れの言葉。全身に鳥肌が立った。

   驚いたことに少女は事ここに至るまで、事態を受け止めきれていなかった。

 

 

 

「一刀……!」

 

 

 

――責めるような震える声。

 だから言っているのに。責められるべきは、少女の方だと。

 

 

 

「さようなら……愛していたよ、華琳―――――」

 

 

 

――名を呼ばれた。少女固有の大切な名。真の名。

   その優しい声で名を呼ばれただけなのに、少女の胸は、顔は、熱を帯びた。

   

 

 

――ああ、本当に自分勝手だ。

   自分でもどうかと思うけれど、落ちていく意識の中で私の頬は緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして少女の夢は、物語は終わった。

後悔の無い道に、一欠片の未練を残して。

 

……だけど、でも。

幕を閉じた物語の続きを語ってはいけない――そんな決まりは無い。

 

 

――再び、紡ごう。

――再び、語ろう。

――再び、始めよう。

 

 

新しい、現在(いま)の物語を。

 

 

 

 

 

 

 

 

のどかな午後の昼下がり。修復や増築が進んでいる最中の城壁の上で一人、華琳は眼下に広がる街並みをぼんやりと見つめていた。

 

普段の彼女とは違い、言ってしまえば締まらない表情。

それもそのはず。彼女はついさっきまで城壁の陰で転寝を決め込んでいた。

 

 

 

王であったときの彼女からは考えられない、本当に何も無い時間。

 

だがまあ実際のところ、華琳はこの時間をそれなりに楽しんで過ごしていた。

 

眼下といってもそこまで極端に高低差があるわけではない。平均的な視力を持ってさえいれば、多くの人がいてもある程度の見分けは効く。何より――

 

 

「……やっぱり白も目立つわね」

 

 

着ている服の様式、色が特徴的なら、より見分けが付き易い。呟かれた言葉の通り、華琳は裾が長く白い服を着た青年を注視していた。

 

 

高低差が極端に無いとは言ったもの、青年――北郷一刀までの距離はそれなりにある。故に、彼がどんな歩き方をしているか、彼がどんな所作をしているか、彼がどんな表情をしているか、が何となく分かってしまうのは愛の力が成せる技か。

 

 

「まったく、何を考えているのかしらね」

 

 

その考えに対するダメ出しのような台詞を口にしながら苦笑し、肩を竦める。自嘲気味な台詞とは裏腹に、その頬は弛んでいた。

 

 

――と、その表情が一瞬だけ固まる。

視線の先には変わらず一刀の姿が。――と、その元に駆け寄っていく人影が見えた。

 

まるで意図的に身体の曲線を強調しているかのような服と、羨望の念さえ感じる肢体。そして色鮮やかな紫色の髪。

 

二人は二三言葉を交わした後、共に歩き出す。

その様子は端から見ても仲睦まじく、間に彼女の娘がいれば、三人でひとつの家族に見えただろう。

 

それはまさしく、嫉妬の対象になりそうなものだった。

 

故に、一刀のことを愛している華琳はそれに対し嫉妬の炎を――

 

 

炎を――

 

 

炎を――

 

 

 

「……………………」

 

 

 

――別段、燃やしてはいなかった。

 

 

 

興味深そうに、しかしどこか達観しているような表情で華琳は二人の動向を視線で追い続ける。

 

自身の心の動きと変化を改めて自覚しつつ、一刀と再会した時の事を思い出す。あの時、一刀の側には黄忠がいた。

 

しかしそれを見て嫉妬を覚えたかと問われれば、答えは否。

 

嫉妬なんてものは蚊帳の外。

あの時の自分は、たったひとつの感情を制御することで精一杯だった。

 

 

華琳は無意識に胸へと手を当てる。そこに宿る感情は小さくとも、暖かい。想うだけで人知れず笑みが零れた。

 

 

それは自分で手に入れた自分らしさ。まだ恥ずかしさは残るものの、それは自分にも他人にも心から誇れるもの。

 

 

 

 

 

もう一度、眼下の街を除き混む。

見れば、会ったばかりだというのに二人はちょうど別れるところだった。

 

 

黄忠はこちら――つまり城へ。

一刀はまだ街に用事があるのか、近くの路地へと入っていった。

 

 

「……はあ」

 

 

やれやれ、と華琳は溜め息混じりに肩を竦める。

 

華琳の視線の先には黄忠。

立ち止まり、一刀の消えた路地を憂い顔で一瞥すると、ひとつ溜息を吐いて城へ向かって歩を進め始める。

 

 

どうやら今の自分は相当のお節介、もしくはお人好しらしい。

もしかしたらこれも一刀曰く 『敵に塩を送る』 に当たるのかもしれない。

 

一刀の性分か、それとも性格か。どちらにしてもその影響を受けているのはまず間違いない。

流石にこればかりは自分らしくないだろうと、わりと本気で悩みながらも華琳は城壁の上から身を翻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀さんと街で別れ、城へ戻ってきた私は二人の番兵に会釈をして門をくぐる。

最近になって数人の兵達が、自発的に番兵の役務をするようになった。兵たち曰く、流石に不用心――とのことだった。

 

確かにそれは否定できないところではあるのだが、賊の数人が侵入したところで、瞬く間に返り討ちだろう。

私も含め、この城に詰めているのは五人。そのうち一人を除いた他四人は皆が皆、一角の実力者なのだから。

 

 

門をくぐりきる直前、番兵の一人に訝しげな顔を向けられた。

自覚はしている。多分、私が浮かべているのは普段の表情ではない。でもそれは仕方のないことだ。

 

 

想いを寄せている人がいて、その想いを寄せている人と偶然に街で会い、今日は良い日だなんて思っていたら、すぐに別れることになる。

 

これで表情のひとつも曇らないのなら、それはもう感情が無いとしか思えない。

幸いにも私にはちゃんと感情があるようで助かった。だからと言って状況には何の進展もないのだけれど。

 

 

 

 

『あれ、黄忠』

 

 

 

そう声を掛けられただけで、私は自分の顔が熱くなるのを感じた。

その時点では姿を確認できていなかったにも拘らず、私は私に声を掛けた人が誰なのか分かっていた。

 

……種明かしをしてしまえば、私のことをそういう風に呼ぶ男性はこの街に一人しかいない、という非常に浪漫の欠片もない話。でも、その声を聴いて顔が熱くなり、胸が高鳴ったということだけは確かだった。

 

 

 

改めて私は一刀さんのことが好きなのだと自覚する。

『恋』というものが非常にままならないもので、こうも心を乱すものなのかと思った。

 

私は凡そ少女と呼ばれるべき時分に、今は亡き夫と契りを結んだ。

それはもちろん家や状況に決められたものではあったが、それを私は受け入れた。それ以外の選択肢は無かった。

 

こう言ってしまうと、望まない婚姻だったのかと思われてしまうかもしれないがそれは違う。

私はその選択を自分でしたのだし、夫のことも愛していた。それは紛れもなく私の本心だ。

 

しかしその過程には、狂おしい程に人を想うという感情――『恋』というものは無かった。

 

言ってしまえば夫――私の叔父は年齢のこともあってか周囲の女性から好意を向けられることは少なかった。

 

だから私は今、事ここに至るまで嫉妬という感情も知らなかった。

 

だけど今、私が好いているのは万人から好かれ、好意を向けられる人。そしてその傍には、私よりも絆の深い女性がいる。

 

ともすれば、間に割って入ることを躊躇わせるぐらいに、一刀さんと吉利さんの仲は深かった。

 

 

こう悩んでいると妙な考えというか望みが首を擡げる。

いっそ一刀さんの周りに吉利さんだけではなく、他にも数人の女性がいたのなら私もここまで悩まなかったのだろうか。

 

一瞬後に馬鹿な想像だった、と頭を振る。そういうことを思った代償か、より思考は混迷を極めていった。

 

 

 

 

――私は、どうしたいのだろう。

――私は、どうすればいいのだろう。

 

 

明確な答えが未だに見つからぬまま、その思考はぐるぐると回り続けていた。

 

 

 

誰にも見られていないのをいいことに、沈んだ表情で俯いたまま歩く。そんな私に

 

 

 

「まったく、酷い顔ね」

 

 

 

頭上から呆れたような声が掛けられた。驚いて空を仰ぎ見る。

城の廊下。その屋根の上に黒髪の女性が足をプラプラさせながら座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は移り、城内の庭隅に設置された小さな東屋。

華琳は用意していた茶を二つの湯呑みに注ぎ、片方を黄忠の前へと滑らせる。

 

 

「ありがとうございます」

 

「それ飲んで少し落ち着きなさい。今の貴女、濡れた小動物みたいな顔をしているわよ」

 

 

辛辣にも聞こえる言葉を聞きながら、黄忠は言われた通り自分の茶に口を付ける。

 

 

 

「ぶっ……!?」

 

 

 

咽た。

 

 

口の中に極端に苦い味が広がる。

普通の茶と思って飲んだ手前、その衝撃は大きかった。

 

現代風に例えると。

コーラを飲んだ、しかしそれは麦茶もしくは醤油だった、的な。ちゃんと匂いとか色とか確認すれば済む話なのだが。

 

 

ともかく、黄忠は咽た。危うく吐き出しそうになった。

それをなんとか女の意地的なもので堪え、呼吸を止めて喉に流し込む。少しばかり目尻に涙を浮かべながら、黄忠は恨みがましそうな目で華琳のことを見た。

 

 

華琳はそれを涼しい顔で受け止め、次に口角を少し上げる。悪戯っ子のような表情だった。

 

 

「どうやらお気に召さなかったようね」

 

「吉利さん、これは一体?」

 

 

その質問に肩を竦め、華琳は黄忠の湯呑みを掴んで一息に煽る。

コトッ、と音を立てて湯呑みを卓の上に置き、先刻の黄忠と同じようにその苦味に表情を歪めた。

 

 

「……やっぱり苦いわね」

 

「なぜ苦いと分かっててそれを……」

 

「悪かったわね。これ、体調が悪くなった時に両親から飲まされていたものなのよ。詳しくは知らないけど、もの凄く苦いからなのか効果は凄いわよ」

 

「病気がたちまちに治るということですか?」

 

「苦みを感じた時の驚きで無理矢理元気になるそうよ」

 

「それは……」

 

 

薬では無いと思う。吉利さんのご両親には申し訳ないが。

 

 

「この間一刀にも飲ませてみたのよ」

 

「どんな反応を……?」

 

「『爺ちゃんと死合いして気絶した時に、俺を起こすために無理矢理口の中に流し込まれた、裏の山で採れた数種類の薬草を調合した婆ちゃん特製の茶の方がよっぽど苦い』って言って難なく飲んでたわ」

 

「……」

 

 

一刀さんは私の想像以上に大変な人生を歩んできているのかもしれなかった。

 

 

「『ただのショック療法って意味じゃこれもあれも変わんないな』ってね。まったく、折角面白い……えーと、なんだったかしら。……そう、折角面白い“りあくしょん”を期待していたのにね」

 

「しょっく?りあくしょん?」

 

 

聞きなれない言葉に首を傾げる。それは稀に一刀さんがよく使う言葉に似ていた。ああ、と吉利さんが納得したような声を上げる。

 

 

「一刀曰く“天の言葉”らしいわよ。厳密にいえば“天で使われている言葉”だそうだけど」

 

「吉利さんは何故それを?もしかして天の世界に行ったことが?」

 

「まさか。最近、暇を見つけては一刀に教えてもらっているだけよ。一刀が発した言葉をさっきの黄忠のように、時々理解できないことがあってね。だからそれを覚えて会話を円滑に進められるように務めているだけ」

 

「なるほど」

 

 

黄忠は納得の表情で頷く。それを見ながら徐に華琳は卓に頬杖を付いた。

 

 

「それで、少しは落ち着いた?」

 

「え?」

 

「何かを考えて行き詰っている時はね、一回そのことについて考えるのを止めた方がいいのよ。どうしようもできない問題を後回しにしてしまうやり方だからそこまで推奨する気はないけれどね」

 

「あ……」

 

 

なら、この場所に来て苦い茶に驚いてその流れで他愛ない世間話に興ずるところまで全て、吉利さんの思惑通りだったということだろうか?

 

答えを求めるように目をやると、吉利さんは穏やかに笑みを浮かべた。

私の考えていること、言いたいことを理解しているうえで肯定しているような笑みだった。

 

そう思うとその気遣いの心に当てられてか、不思議と私の表情も柔らかいものになる。

 

 

「お節介ですね」

 

 

冗談を飛ばせるくらいに、心に余裕も戻っていた。

 

 

「お人好しと言い換えてもいいわよ?」

 

 

吉利さんはニヤリと笑う。女同士の、軽い冗談の飛ばし合いだった。

 

 

「とはいえ私にもお節介を焼くだけの理由があったのだけれどね」

 

「理由、ですか?」

 

「ええ、まあ単純な話よ。ああは言ったけれど、私は気になっていることをそのままにしておいて善しとする性分ではないわ。だからひとつ……ひとつだけ、一番大切なことを聞かせてほしいの」

 

 

 

真面目な雰囲気を纏った吉利さんは私を見据える。

それだけで私と吉利さんを取り巻く空気が変わったことを理解した。無意識にゴクリと喉を鳴らす。そして――

 

 

 

 

 

 

「貴女は、一刀のことが好き?」

 

 

 

 

 

 

 

「――はい」

 

 

 

 

 

 

 

唐突過ぎる質問。単純すぎる質問。一度考えを置こうかとも思っていた問題。

条件反射のように、私は答えていた。そのことにじぶんでも驚くくらい、無意識の内に出てきた答えだった。

 

 

数瞬後に自分で自分の言った言葉の意味を自覚する。天啓を得たかのような心持ちに、目を見開いた。

 

 

――そうか。ここまで単純な話だったのか。

   間に入れるか、とか。間に入ってもいいのだろうか、とか。

   愛とはなんだろう、とか。恋とはなんだろう、とか。そんな考えは結局どうでもよかったのだと悟った。

 

 

 

だって私は彼の最も傍にいる女性を前にして、彼のことが『好き』だと奥目もなく口にできたのだから。

相手がいても関係ない。傍に居れるか、とか間に入れるか、とかは最悪今はどうでもいい。ただ、私は一刀さんのことが好き。それは誰に恥じることもない、私の中にあるひとつの真実だった。

 

 

心なしか今までよりも開けた視界に少し驚きながらも、これが私の答えだと誇るように、毅然とした表情と態度で吉利さんを見据える。

 

しばらくの間、静かな表情のまま停止していた吉利さんはやがて目を閉じ、一度何かに納得するように頷いて、再び目を開いた。静かに穏やかな笑みを湛えて。心なしか、何かを吹っ切ったような表情な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、それはそれとして。

 

 

 

「そう。だと思った。いいんじゃない?好きなら、貴女の思うようにしてみれば」

 

 

 

私は吉利さんが口にした言葉に驚くことになった。

一刀さんのことを好きか、と問われた時と同じくらい思考が定まらなくなる。

 

 

「……え? い、今なんて?」

 

「……? だから、好きなら貴女の思うようにしてみればいいじゃない。別に私は止めないわよ」

 

「……」

 

 

別段怒っているわけでもなさそうな吉利さんの様子。

この人はただ純粋に言っているのだ。好きなら思うようにしてみれば、と。

 

しばらく混乱に近い思考をぐるぐると回していた私を見て、吉利さんは何かに気付いたようにああ、と声を上げた。

 

 

「勘違いはしないでほしいのだけど、別に一刀のことを貴女に上げるとは一言も言ってないわよ?」

 

「そ、それは分かっていますけど……」

 

「私が言いたかったのは、別に私に許可を取る必要なんてないでしょう、ということ。好きなら好きで、手を握るなり口付けするなり、なんなら襲ったりすればいいじゃない」

 

 

直接的な表現を何故か投げやりに、しかも別にいいと言っておきながらどこか不満そうな顔で口にする吉利さん。

もちろん私としてもそういうことが出来たらいい、というかそういうことをしたいと思ってはいるけれど……と、考える。

 

 

そしてふと気付いた。

あくまで推測でしかないけれどまさか吉利さんは、私が一刀さんとそういうことをすることになったら、を想像して妬いているのだろうか。

 

 

……なんだろう。同性の私から見ても凄く可愛いのだが。

 

 

 

「……何笑ってるのよ」

 

「いえ別に。ただ、可愛いなと思って」

 

「……」

 

 

機嫌を損ねたように吉利さんはあらぬ方向へ、プイと顔を背けた。

 

一刀さんがここにいれば、私と同様その仕草も可愛いと感じただろう。

なるほど、一刀さんが吉利さんのことを好きだということにも納得がいく。

 

 

 

「……実を言うとね」

 

「はい?」

 

 

 

吉利さんがそっぽを向いたまま、ぽつりと呟くように話を始める。

 

 

 

「貴女に一刀のことを好きかと聞いたのは、私自身の為でもあったの。他の女性が一刀を愛するということを、私がどれだけ許容できるのかの分水嶺」

 

 

 

――分水嶺。

 物事の方向性が決まる分かれ目の例え。華琳からしてみれば、許容できるかできないかの例え。

 

 

 

「それは、当たり前に考えることだと思います。私も吉利さんからそういう答えが返ってくるとはまさか思ってませんでしたから」

 

 

最悪、想いを打ち明けた上で私は逃げるように荊州を出ていたかもしれない。

もし吉利さんが許容していなければそういう道も、考えられるひとつの選択肢だった。

 

 

 

吉利さんは明確に一刀さんの伴侶を名乗っているわけじゃない。それはもちろん、一刀さんも。

婚姻というのはある意味でひとつの牽制だ。私には大切な人がいます。手を出さないでください、のような。

 

既に吉利さんと一刀さんの仲睦まじさは一種の牽制になっているから、然程問題ではないけれど。

しかし私のように、相手がいようともそんなことは関係なくその人のことを好きだと豪語してしまう者も間違いなくいる。

 

そんな中で、吉利さんは許容した。

自分以外の誰かが一刀さんを愛し、関係を持つことを。それはどういう思考の中で組み立てられ、打ち出された答えなのだろうか。

 

この時代で一般的といえば。優秀な跡継ぎをとか、男を生む、とかそういう話だろう。

しかしそういうことは関係が無い気がした。あくまで私固有の女の勘というやつに過ぎないけれど。

 

 

 

ただ、真実は私の勘の斜め上を行くものだった。肩を竦めて、吉利さんは言う。

 

 

 

「十五人よ?十五人。私含めて」

 

「十五人?何の数ですか?」

 

「一刀の傍に居た女の数。一刀が愛した女の数。一刀を愛した女の数」

 

「――え?」

 

 

 

今日一番、呆気に取られた。

吉利さんが何を言っているのか今度こそ理解が追い付かない。それに気付かぬまま吉利さんは続ける。

 

 

 

「今まで許容していたとはいえ、そういう場所から離れて久しかったのよ。一刀の傍に自分以外の女がいて、その女が一刀を愛すとなった時に今の私はどうなるのか、どう思うのか。それを知るための質問でもあったのよ。……ただ、結果を言うと。あれは一刀の 『業』 のようなものだと理解している自分がいたわ。まあ、半分は諦めみたいなものだけどね」

 

 

 

肩を竦めて、吉利さんは話を終えた。

しかし私には何のことかサッパリわからない。

 

分かったのは二つ。

一刀さんが過去に十五人の女性?少女?達を愛し、また愛されていたこと。

 

そして吉利さんはその十五人の中にいて、それを許容していたこと。

 

 

つまり、あれだろうか。

過去に十四人もの女性と関係を持っていたことを許容していたのだから、私が一刀さんを愛するということぐらい何とも思わない――というか普通。そういうことだろうか。

 

それをそのまま吉利さんに伝えると、返ってきたのは。

 

 

 

「ええ、そういうことよ」

 

 

 

非常に軽い返事だった。

なんというか、今まで私が悩んでいたことは何だったのだろうと思わさせられた。

 

同時に私は自分の馬鹿な想像が現実のものだったことに驚く。

まさか本当にそうだとは、流石に思わなかった。当たり前だが。

 

 

 

――色々と話しを尽くした。辺りはもう、夕焼け色に染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

 

華琳は居住まいを正す。それに釣られて黄忠も同じように居住まいを正した。

 

 

「黄忠。これで私たちは対等よ。同じく、北郷一刀という男を愛するただの女。ある意味では、敵」

 

「……はい」

 

 

神妙に頷く黄忠。しかし、そんな黄忠に反して華琳は固くなっていた表情を緩める。

 

 

「でも私はそんなギスギスした面倒な関係は御免なの。だからね、黄忠」

 

 

華琳は黄忠に向かって手を伸ばした。

 

 

「改めて私は、貴女のことを友人だと思いたいの。敵として一刀のことを互いに愛すのではなく、友人として互いに一刀を愛す、気負いの無い友人だと」

 

 

その言葉を聞いた黄忠は神妙な表情を緩め、クスリと笑ったかと思うと華琳の手を握り返した。

 

 

「そうね。そういうのは一刀さんも望まないと思うもの。改めてというのも変だけど、友人としてこれからもよろしくね」

 

 

互いに心から微笑みあって、手を離す。再び華琳は居住まいを正した。その表情も真面目なものへと変化する。

 

 

 

「――姓は曹、名は操、字は孟徳、真名は華琳よ。姓と名、字に関しては昔の名だから、今は真名の華琳か呼び名の吉利を使って頂戴」

 

 

「――姓は黄、名は忠、字は漢升、真名は紫苑です。友人に遠慮はいらない、が私の考え。これからは敬語は使わないけれど、構わないかしら?」

 

 

「当たり前でしょう。というよりも今まで敬語を使っていたのが不可解だったわ」

 

「私もちょっと遠慮をしていたから」

 

 

紫苑は誤魔化すように笑う。互いに真名を預けた二人。

これからは探り探りの関係ではない、開けたものへとなるだろう。

 

 

 

――ここに、北郷一刀を取り巻く女の問題は。不協和音へと成長する前に消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまーっ!ごはん食べよーっ!」

 

 

璃々の声が城内に響き渡る。

それに二人そろって反応し、視線を合わせた。もうそんな時間か、と目で会話する。

 

 

「璃々が帰ってきたのなら李通も帰ってきているはずね。あとは一刀が揃えば――」

 

「あ、そういえば忘れていたわ」

 

 

華琳の台詞を遮った黄忠は自分の口元に手を当てる。やっちまった!的なジェスチャーだった。

 

 

「今日一刀さんと街で会ったのだけれど、今日は少し遅くなるらしいわ」

 

「遅く?」

 

「ええ。なんでもまだ数件寄る場所があってその一件一件に掛かる時間がそれなりになるそうだから、夕食の時間に帰れるかどうかは分からない、って」

 

「そう……」

 

 

一瞬だけ華琳の顔が曇る。

それを見て、紫苑は微笑んだ。改めて、友人の可愛いところを再認識する。

 

 

「なら仕方ないわね。私たちだけで夕食を取るとしましょう」

 

「ふふっ」

 

「……紫苑、なんで笑っているのかしら?」

 

「さあ、なんでかしらね」

 

 

仕草やら繊細な心の動きやらが可愛いと思われていることなど露とも思わず、冷静な時は余裕たっぷりの紫苑に華琳はジト目を向ける。その姿がまた愛らしく、危うく危ない道へと走り出しそうになった紫苑は思考に急制動を掛けた。

 

 

どちらともなく厨房へと歩き出した二人は他愛ない世間話や今日の夕食の献立話に華を咲かせる。

 

 

「そうね、今日は豚を使って……いや野菜や芋を中心にしても……」

 

「華琳は相変わらず献立を深く考えるわね」

 

「そういう貴女はあまり考えないの? 紫苑」

 

「私は昔から毎日作っていたから、もう頭で考える前に食材を手に取っていることが多いのよ」

 

「ある種の境地ね、それ。その食材で食事を作るということ?」

 

「ええ、稀に璃々の嫌いなものを選んでしまうのだけれど」

 

「それは別に構わないでしょう?好きなものばかり食べていたら色々と偏るわよ」

 

「そうは言っているのだけれど最近は聞いてくれなくて……あ、でもこの間は一刀さんが同じことを言っていたら素直に聞いていたわ」

 

「ならこれからは一刀に頼めばいいんじゃない?」

 

「そうね、少しお願いしてみようかしら」

 

「それより紫苑。貴女、一刀のことも“さん”付けで呼ぶつもりなの?」

 

「どうしようかと悩んでいるのが正直なところよ。なんとなく呼び捨てはし辛いのだけれど……」

 

「そうね……じゃあ『旦那様』とか」

 

「……そ、それはどうかしら。まだそういう関係ではないし、華琳もそうは呼ばないでしょう?」

 

「ええ、私は一刀のことは一刀と呼ぶもの。公的な舞台ならともかくとして、多分これから先その名以外では呼ばないでしょうね。というかこの際、そういう関係かそうでないかはあまり関係ないんじゃない?」

 

「そうね……私も“さん”付けはしないほうがいいのかしら」

 

「その辺りは自分で考えなさい。自分の好きなように呼べばいいわ。一刀も呼び方ひとつでどうこう言う男じゃないんだし」

 

 

 

淀みのない会話。二人の足は思いのほか速く、既に厨房に近付いていた。

――と、会話の途中にも拘らず華琳は唐突に足を止めた。何かを思案しているように顎に手を当てている。

 

 

「華琳?」

 

 

前触れもなく唐突に止まった華琳に、紫苑は呼び掛けた。しかし反応はなく、その瞳だけが忙しなく動いていた。

 

 

「ねえ、紫苑。今日一刀は帰りが遅くなるのよね」

 

「え?……ええ、そう言っていたけれど」

 

 

さっき言ったばかりのことを聞き返す華琳。戸惑いながらも紫苑は肯定した。

 

華琳は一度紫苑の顔を見て、そのまま視線を下にずらしていく。

そうして少しの間眺めていたかと思うと視線を外し、再び思考の中へと戻っていった。それから待つこと数秒。

 

 

 

 

華琳は、ニヤリと嗤った。明らかに何かを企んでいる顔をして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり日も落ち、皆で定めた夕食の時間も当に過ぎている時間帯に、一刀は城の中を自分の部屋へ向かって進んでいた。

 

 

 

 

淡い期待を抱いて厨房へ行くと、そこには残り物と言うには少しばかり無理があるキチンとした料理が置いてあった。

今日は確か華琳が食事を作る日だったよな、と思い出し、有難くそれを頂戴してからの部屋への帰路だった。

 

 

ふと、一刀の足が止まる。前方には自分の部屋。そこから小さな違和感を感じた。

しかしながら連日連夜の蜜事や、仕事の疲れで感覚が鋭敏になっているのだろう、と一刀は考えを自己完結させて自室の扉を開く。

 

当たり前だが自室内は暗闇。そのまま部屋の中に入り、後ろ手に扉を閉めた――と、同時に。

 

 

(――っ!?)

 

 

 

妙な気配を感じた。間違いなくここ、自分の部屋の中から。

辺りを見回すも、暗闇のせいで視界が効かない。月が雲に隠れている今夜は、月明かりも頼みに出来なかった。

 

刺客か?と、半ば本気で考えそうになったが頭を振ってそれを振り払う。

明らかに気配は殺気の類では無かった。言い表すとするならそう――邪気、か。

 

 

「ん?」

 

 

自分の思考の中に出て来た『邪気』という単語に何か引っ掛かりを覚えた一刀。

先刻までの緊迫した表情はどこかへ消え、単純な疑問を浮かべる人の表情へと変わった。

 

 

――そして、彼の背後で何者かの目がキラリと光る。

 

 

 

 

「はっ!まさか――」

 

 

 

 

しかし気付いた時にはもう遅い。

 

 

 

「捕まえたわっ!」

 

 

 

襲撃者の気配がどこにあったのか気付いた時には、一刀は後ろから羽交い絞めを決められていた。

羽交い絞めにする直前にご丁寧にも膝カックンという高度な技を駆使して自分の身長と釣り合わせるという荒業をやってのけた覇王様に、見事にも。

 

 

事態に思考が追い付いていっていない中、不意に部屋の明かりが灯る。

眩しさに目を細める視線の先には優雅に佇む黄忠の姿があった。……漠然とだが、嫌な予感がした。

 

 

「……えーと、華琳サン?これは一体どういうことでしょうか?」

 

 

探り探りの為、口調がおかしなものへと変化する。

それは既にこの先に起こる何かしらの事態を見過ごしているが故の達観か、はたまた恐怖にも見て取れた。

 

完全に羽交い絞めを決められた状態ではあるが、なんとか回せるだけ首を後ろに回して一刀は華琳に尋ねた。

 

 

 

「ふふん。分からない?」

 

 

 

ドヤ顔である。してやったり、という表情に三割の憎らしさと八割の可愛らしさを感じる一刀だった。

 

あとすいません。俺は超能力者じゃないし、エロい妄想が常に頭の中を駆け回っている人でもないのでこの先何が起こるのか、今何が起こってこうなっているのか、殆んど見当が付きません。

 

 

――と、気付けば優雅に佇んでいた筈の黄忠が膝を付いて頭を垂れていた。疑問を挟み込む余地もなく、黄忠は間髪入れずに告げる。

 

 

 

「姓は黄、名は忠、字は漢升、真名は紫苑と申します。一刀さん、これから私のことは紫苑、とお呼びください」

 

 

 

少しの、沈黙。羽交い絞めにされたままという、端から見れば間抜けこの上ない格好にも拘らず一刀は、しかし真摯にそれを受け止めた。

 

 

「真名を預けるってことは、俺のことをそれに足る人間だと思ってくれたってことでいいのか?」

 

「はい。ですが、真名を預けるのはもう少し前でも良かったかと思っています。だって私はしばらく前から、北郷一刀という青年のことを認めていて、なおかつ一刀さんという人を私にとっての大切な人と認識していたのですから」

 

「……そっか。うん、ありがとう。黄忠――いや、紫苑。君の真名、確かに預かった」

 

 

一般的ではない、大切な人という言葉のニュアンスを感じ取った。何となく、気付いてはいた。紫苑から向けられていた、好意に。

 

しかしそれを明確でないままに指摘は出来なかった。

何故なら、好意に関してだけ言うなら俺は間違いなく『受け』ることしかできないから。

 

 

彼女らが俺のことを好いていると知って、それを口にしてくれて初めて俺はそれを受け入れられる。

 

俺から彼女らのことを好きだと口にすれば全てが崩壊するだろう。

こんな俺のことを好きになってくれた彼女らが、俺に好きだと言ってくれて初めて成立する関係だ。

 

言わば俺は手を出せないんじゃない。手を出しちゃいけない、んだ。

 

これは複数の女性を愛し、受け入れてきた俺の業であり、罪。

だから、だからこそ俺は俺のことを好きだと言ってくれた人のことを大切にしたい。幸せにしたい。一緒に居たい。

 

だからこそ俺は俺を好いてくれる娘達を、平等に見るのではなく。全員を『特別』に見れる。

 

これは華琳にすら語ったことのない、俺だけが抱えるべき俺の問題。これから先、多分死ぬまで一生語ることは無いだろう。

 

 

しかしまあ、とはいえ――

 

 

 

 

 

ミシミシミシッ……!!

 

 

 

 

 

 

そんな浅はかな俺の独りよがりなんて、お見通しなんだろうけどな。

あ、すいません。マジで痛いんで止めていただけると非常に有難いんですけど、羽交い絞め。

 

 

華琳がここにいる以上、紫苑と俺がそういう関係になるということを認めたからだと思うが。

納得しているなら、仲睦まじくて結構なことですねえ!(青筋)みたいな感じに締め付けを強くするのは勘弁してほしい。

 

 

しかし同時にそれが無理なことも理解している。

嫉妬とか羨望とかって、相手のことを認めてはいても必ず付いてくるものだし。まあ、だからそれが俺に返ってくるんですけどね、はい。

 

 

 

 

「……やっぱり良いですわね、大切に想う方に真名を呼んでもらえるというのは」

 

「終わった?紫苑」

 

 

ご機嫌な声が前から。不機嫌そうな声が後ろから。

対極に位置する声質が交互に響く。……何この複雑怪奇な愛憎劇。

 

 

「あら、華琳。もしかして羨ましいのかしら」

 

「……」

 

 

 

ミシミシミシミシィッ……!!!!

 

 

 

待った!紫苑さん待った!悪戯心からの挑発は止めて!割とうちの華琳さん余裕ないから!

顔ははっきり見えないけど多分青筋浮かべてるから!笑いながら怒ってるから!力が強まってるからあっ!!

 

 

「華琳。それ以上やると一刀さんの骨、一本か二本は折れてしまうわよ?」

 

「……この借りは閨で返すわ」

 

「望むところ、ね」

 

 

女同士が視線をバチバチと交差させる。

しかし不思議とそこにはドロドロしたものは見受けられない。お互いに胸襟を開いた上での会話、関係だからだろうか。

 

 

首筋に華琳の吐いた息、つまるところ溜息が当たると同時に羽交い絞めの力が緩くなった。

体を縛っていたとんでもない拘束力の消滅にホッと安堵の息を吐く。しかしまあ、脱出は出来ない。

 

 

 

迫り来る現実から少しの間だけ目を逸らそうと、今日の夕食は美味しかったなあ……とか考え始める。

 

結果としてそれは逆効果だった。夕食の献立を頭に思い浮かべ、思い当たった。

 

この計画的犯行は既に俺が厨房へと入った時点で始まっていたらしい。

恐ろしいことに今日の夕食の献立は、非常に精力の付きそうなものばかりだった。

 

 

 

チェックメイト。王手。詰み。試合終了のお知らせ。既に相当前の手で俺の敗北は決まっていたらしい。

言わばあれだ。どうやったのか分からないが、キングの駒が敵の駒に四方固められている的な話だった。

 

 

 

「こりゃあ、朝までコースかな……」

 

「覚悟は決めたようね、一刀」

 

「潔いところ、男らしくて素敵ですよ?」

 

 

 

――潔い。聞こえはいいが、あまり良い印象は無い。ほら、諦めが肝心的なニュアンスが特に。

 

 

 

「紫苑、勝負よ」

 

「負けないわよ、華琳」

 

「いつの間にやら勝負ごとに……はは、もう勝手にしてくれ」

 

 

 

聞きようによっては世の中の男全員を敵に回すような発言をした一刀はズボンを脱がされる感覚を味わいながら乾いた笑いを浮かべるのであった。

 

 

 

こうして、今日も夜は更けていく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

一刀、華琳、紫苑の三人は一室で共に仕事に追われていた。時刻は昼近く。

 

何故こんな時間に仕事に追われているのかはまあ、察してほしい。

実のところ三人が起きてからまだそれほど時間は経っていなかった。

 

 

「……ひどい目にあった」

 

 

疲れを感じさせる台詞と共に一刀は机に突っ伏した。

部屋には紙や竹簡を動かす音だけが響いている。一刀は机に突っ伏したまま、無言で顔だけを上げた。

 

部屋にいるのは自分以外に二人。華琳と紫苑。一刀が顔を上げるや否や、二人はサッと明後日の方を向いた。

その頬はほんのり赤く染まっている。俺だって昨夜のことを思うと頬の一つや二つくらい染めたくなるわ、と思いはしたがそれを口に出すことは無い。華琳も紫苑もそれは重々承知しているだろうからな。

 

 

仕方なしに頭を切り替えて仕事に戻る。

一応この街、というかこの郡の太守が行うべき仕事だ。疎かにしていいことじゃない。

 

二人がいて本当に助かったと思う。もちろん李通も。

多少の知識が増え、仕事の要領を掴んでいるとはいえ流石に限界がある。

 

その証拠に二人の手は忙しなく動いて数々の案件を片付けていく。正直、自信喪失しないでもない。

まあしかし、やると決めたからには自信を喪失している暇なんて無いわけで。兎にも角にも任された仕事を片付けに掛かった――その矢先。

 

 

 

「一刀。いくつか報告があるわ」

 

 

華琳に話を振られた。……あれ、もしかして。

 

 

「もしかしてもう終わったのか?」

 

「ええ。この程度の案件、造作もないわ」

 

「……」

 

 

一応、俺は精一杯やってます。能力の差とかに凹むな、俺。

 

 

「ん、了解。仕事進めながら聞くから報告頼むよ」

 

 

言って仕事に戻った。

聖徳太子じゃないが、紙や竹簡に目を走らせていても耳で拾った話の内容を理解することぐらいは出来る。

 

 

「まずは街の改修状況について。街に住む人間が増えてもいいように住居を増やしたわ。殆んど崩れかけていた家を改修しただけだからお世辞にも良い住まいとは言えないけど」

 

「それは最悪仕方がないな。俺が商人達との取引で増やしてた貯えもそこまで多くはないし、それだけに費用も割けない。雨露がしのげて、暖を取れるならそれでいいと今は納得するしかないな。一応、そこに住んだ人達の感想を聞いておくよ」

 

「ええ、そこは任せるわ。それと、街の角に兵の詰所を簡易的ではあるけれど数軒作ったわ。今のところ治安に問題はないけれど、外からの人間が多くなれば不思議と治安は乱れるものね」

 

「ん、了解」

 

「それから、城の入り口に兵を二人配置したわ。どうしてもって言って聞かないものだから、仕方なく」

 

「了解」

 

「同様に街の外壁警備も増強したわ。特に眼の効く人材を置いて、ね。兵の数が圧倒的に少ない現状では気休めにしかならないかもしれないけど」

 

「いや、充分だ。次の報告頼む」

 

「……洛陽から書簡が届いたわ。内容は、『北郷一刀を魏興郡の太守に任ずる』――ですって」

 

「……了解。次」

 

 

「「えっ?」」

 

 

不意に華琳と紫苑の声が重なった。

止まった報告とその声に一刀は、ん?と顔を上げた。

 

視界の中に、驚きの表情を浮かべた華琳と紫苑の顔が入った。

 

 

「え……何?」

 

「何?じゃないわよ。ちゃんと聞いていた?」

 

「一刀さん。仕事を意識を割いていても、報告はしっかりと聞くべきですよ?」

 

 

華琳には不満そうに、聞いていたかと尋ねられ。紫苑には苦言を呈された。しかし、一言物申したい。

 

 

「聞いてたよ」

 

 

俺はちゃんと聞いていた。紙に筆を走らせながらも。

 

 

「それじゃあ言ってみなさいよ」

 

 

華琳が仏頂面のまま言った。それじゃあまあ、僭越ながら。

 

 

「俺がこの郡の太守に任命されたって話だろ?聞いてたよ」

 

「「……」」

 

 

二人そろって微妙な表情で顔を見合わせていた。何だ、俺が話を聞いていたのがそんなにもおかしいのか?

 

 

 

「何とも思わないの?」

 

「別に。公的にそうなったってだけで、やる仕事は変わらないんだろ?」

 

「ええ、まあ」

 

「ならどうでもいいよ、そんなこと。正式な太守じゃなかったとはいえ、あのクソ太守を結果的に追い出したのは俺だ。その責任を取るくらいの覚悟は当の昔に出来てるさ」

 

「「……」」

 

「……二人そろってその表情はどうしたんだ。さっきから」

 

 

「いえ、その……」

 

「あなたがそういう人間だったということを改めて再認識していただけよ。……まったく」

 

 

なぜそこで笑う。そしてさらになぜそこで二人そろって笑いながら顔を見合わせる。まったく意味が分からなかった。

 

この話題をそんなに引っ張りたいのか?……まあいいや。それじゃあついでに聞いておこうかな。

 

 

「この話題を報告の間に挟み込んだ辺り、何かしらの作為を感じるけどさ。その書簡が洛陽から来たってことはさ、この街の太守のこととか、この街で起こった出来事とかを向こうが把握してないといけないわけだろ?郡単位の問題とはいえ、もし洛陽が政争とか黄巾の問題に追われてるならこんなに早く手が回らない筈だ」

 

「お見通しってわけ?」

 

「お見通しっていうか、予想だよ。華琳の性格を知った上でのね。んで、華琳。この件に関する何か、洛陽に送った?」

 

 

特に何の気の無い一刀の質問。

それを聞いて、華琳は溜息と共に肩を竦めた。

 

 

「太守不在となれば洛陽から勅命が下るか、その州の刺史か州牧が郡の太守を決めるわ。だから、そいつらが任命した太守が郡に着任する、という話になる前に先手を打ったのよ」

 

「先手?」

 

「黄巾党が大陸のあちこちで決起しているこの状況下で、太守の任名や着任程度に時間を掛けて直面している問題に手を拱いていることがどれだけ漢王朝の損失になるかを書にしたためて送っておいたのよ」

 

 

……なんというか、それは大丈夫だったんだろうか。下手をすれば争いの種になりそうな気がするのだが。

 

 

「大丈夫よ。愚かな権力者が好きそうな世辞をたっぷりと書き連ねておいたから」

 

 

なるほど。流石、抜かりは無かった。

 

 

しかし唐突に華琳の表情が曇る。

 

 

「言ってしまえばこれは私が勝手にやったことよ。本来ならあなたに了承を得るべきだったのに」

 

「俺は華琳のやったこと間違いだったと思ってないよ。何より、俺を太守に据えようと書簡を送ったってことは、俺がそれぐらいの器だって認めてて期待してくれてるってことだろ?要職に着ける人材を華琳が贔屓目で選ぶとは思ってないからな。素直に嬉しいよ」

 

「……もう」

 

 

華琳はほんのりと頬を赤く染めて俯いた。

一刀としては本心を言っただけなのだが、華琳にとっての破壊力は抜群だったらしい。

 

 

どんなことでも、理解されるということは嬉しい筈だ。それが思いを寄せる人物からのものであれば、なおさら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、妬けますね」

 

 

その声に一刀と華琳が視線を向けると、紫苑が羨ましそうな表情で二人を見ていた。

そしてスッと自然な動きで、紫苑は一刀の傍らに動いた。そのまま二の腕を掴んで、意図的に胸を当てる。

 

 

「ちょっ!」

 

「なっ!」

 

 

個々人が思ったことは違えど、華琳と一刀の声が重なった。

自分に無いものを使って一刀を誘惑する紫苑に、華琳は恨みがましい視線を向ける。

 

その視線を真っ向から受け止め、紫苑は微笑んだ。

 

 

「得意な武器を使って事を有利に進めるは、戦の常道ですよ?」

 

「私だって少しは大きくなったのよ!!」

 

「まさかのカミングアウト!?」

 

 

予想外の発言に大きく声を上げた一刀だったが、その意識は二の腕に当たる脂肪の塊×2に半分くらいは持って行かれている。女性の胸部に付いている脂肪の塊は偉大だった。

 

 

昨夜に引き続き、このままだと状況によっては第二ラウンドが開始されそうな予感がした一刀はなんとか誘惑と煩悩をを振り払い、やんわりと紫苑の手を引き剥がした。

 

あ……、と残念そうな声を残す紫苑に若干の罪悪感を覚えつつ、移動した一刀は素早く部屋の扉に手を掛ける。

 

 

「ちょっと俺、外の空気吸ってくるわ」

 

 

そしてそれだけを言い残して、すぐに部屋を出て行った。

部屋に残るは沈黙と、顔を見合わせる女性二人。やがて二人は大きく溜息を吐いた。

 

 

「さすがに積極的過ぎたかしら」

 

「というより、昨夜から今日に掛けての疲れが溜まっているんでしょう」

 

「なるほど。それにしても、なんとなく分かってはいたけれど少し意外だったわ」

 

「一刀のこと?」

 

「ええ。本当に権力というものへの執着が無いのね」

 

「そうね。私も比較的そうだけど、権力というものはあくまで手段でしかないもの。多分、一刀もそういう考え方なのよ」

 

「大切な人と見定めた眼も、主足りうると見定めた眼も、狂いは無かったようね。安心したわ。私の眼、曇っていなかったみたい」

 

「一刀はそれ以上に化けるわよ」

 

「確かに。一刀さんにはその片鱗が見え隠れしているわね。でも華琳。貴女が王として一刀さんと共にいた時から、その予兆はあったのかしら?」

 

 

昨夜、一刀の部屋を訪れる前に紫苑に語って聞かせた自分の境遇。曹孟徳としての人生。

 

それを思い返して、華琳は答える。口を開く前に、首を横に振って。

 

 

「いいえ。あの頃の一刀は良くも悪くも平凡だったわ。何か例を挙げるとすれば、状況に適応する能力と、頭の回転が少し早いくらい。他にはそうね……優しいところ、かしら」

 

「ふふ。それじゃあ一刀さんが変わったのは華琳への想いによって、かしらね」

 

「……否定はしないわよ」

 

「華琳、顔が赤いわよ」

 

「煩いわね……今に見てなさい。貴女もそのうち、私のようになるから」

 

「あら。既にそうなっているつもりよ?」

 

 

他愛ない会話。同じ想い人を持つ女同士の世間話。

どちらがより一刀に愛されるか。勝負こそすれ、敵対はしない。それが彼女たちの、言葉にはしない決め事でもあった。

 

――何故なら、一刀がそれを望まないだろうから。彼女らの考えは、その一点に尽きていた。

 

 

 

 

「ねえ華琳?ひとつ聞きたいことがあるのだけれど」

 

「何かしら?手短に頼むわ」

 

 

 

一刀の机から半分近くの竹簡を移動させてきた華琳は、それに目を通しながら紫苑の質問に応じる。

 

 

「もし私が一刀さんを籠絡していたり、手籠めにしていたり、寝取っていたり。とにかく自分一人のものにしようと画策していたら、私のことをどうしていたと思う?」

 

 

それは今だから聞くことのできる疑問。

結果的にそうはならなかったが、思い詰めた末にそうなっていた可能性も無くは無い、と思いながら紫苑は尋ねた。

 

 

――しかし、紫苑はそれを後悔することになる。

 

 

 

 

「そうね、もしかしたら――」

 

 

 

竹簡に目を通していた故に下がっていた顔。

その表情は窺い知れなかった。考えるような間が少しあった後、華琳は俯いていた顔を上げる――

 

 

 

「――っ!?」

 

 

 

その表情を視界に捉えた瞬間、背筋が凍った。

得体の知れない悪寒が紫苑の全身を駆け巡る。戦場でも感じたことの無い、殺気を超えた何か。

 

 

 

華琳は嗤っていた。酷薄な嗤いを浮かべていた。

そして、口にする。紫苑の質問に対する、自分の答えを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――殺していたかも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

華琳は凄絶とも言える笑顔を浮かべたまま、そう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 
 
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