No.594017

ワールド・エンド

作者の意図に反して赤毛の馬鹿が突っ走る話

2013-07-03 21:36:50 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:182   閲覧ユーザー数:180

 

 とある賢者は語る。

 ありえない世界の中で生きてきた魔物はそれが普通であると思い込み、自分が魔物であることさえも忘れてしまう。

 ありえない世界で生きた人間は、いつしか自身が人間であったことさえ忘れてしまう。

 すべては、ありえない世界のせい。

 けれども、ありえない世界とは何なのか、実の所誰も知らない。覚えていない。

 あるのは現実。

 残ったのは結果。

 この惨状。

 さて君はどちらかな。

 人間と魔物の住む世界。

 共存はない。

 食うか食われるかの世界。

 最低最悪の世界。

 君ならどちらの世界に依存する?

 

 ×  ×  ×

 子供の頃の記憶なんてない。

 親の顔も、声も知らない。どの国で生まれてどの町で暮らして、どんな家に住んでいたのかも知らない。

 覚えているのは、『臭い』だけ。

 それもたった三つ。

 三つの中で一番古いのは、花の匂い。

 濃厚で甘ったるいその匂いは、少なくとも、忘れ去られた記憶の中以外では覚えがない。けれども、花の匂いであることだけは知っている。覚えている。

 二つ目は、誰かの臭い。

 誰の匂いか分からない。そもそも人の匂いなのかも定かではない。だけど、人のものであることだけは確かで、間違いようのない事実。―非常に矛盾しているが、彼の中ではそれが現実であった―

 三つ目の匂いは、濃い血の臭い。

 もっとも、最後の臭いが何なのか分かったのは、訓練学校に入ってからだった。けれども、その程度の臭いではすまない量の血の臭いだ。

 何故自分がそんな匂いを覚えているのか分からない

 養父が言うには、子供とは記憶がなくなったとしても、五感のどこかで覚えているものらしい。

 つまり、その臭いを体感したことだけが残っている。悪く言えば、彼の中にはそれだけしか残らなかったということでもある。

 非常に、空虚なものだ。何せ、自分の中に残っているのは気持ちが悪いほど強烈な名残だけなのだから。

 何もない、空っぽな自分。

 自覚をしているのに、驚くほど平静な自分がいることに、早いうちから疑問を感じていた。

 曰く、こんな風に生きていけるのは、何故なのだろう、と。

 いつしか、そんな事を考えていたことも忘れてしまった少年は、新たに与えられた日々を過ごす。

 ――考えないように無意識に生きてきた少年は知らない。

 今日も、矛盾を抱えた空っぽな少年は、生きている。

 「南波ーーーーーーーーーーー!!」

 「はいいいいいいいいいい?!」

 南波・シレアは飛び起き、そして超光速で振り下ろされたと思われる魔術書に思い切りぶつかった。あまりの痛みに再び机に突っ伏した少年はその勢いで額をもぶつけ、二重の苦を味わった。南波がピクリとも動く気配はない。明らかに打ち所が悪かったと考えられる。しかし、『彼』はそんなことなどお構いなしに怒号をあげた。

 「見習いの分際で何寝てやがる!!その魔術文字解読するまで帰らせねえっつっただろうが」

 玖雷・K・シレアは美しいともっぱら評判の顔を、魔物のようにゆがめて大きなタンコブを作った南波を見下した。聞こえているのか聞こえていないのかはどうでもいい。必要なことは正当な理由と咎めたとい事実。頭の中身が飛んでいようが飛んでいまいがどうでもいい。

 そんな南波の隣で事の顛末を見ていたラルフ・シレアは慣れた様子で机を立ち、救急箱の用意を始めている。いくら体力馬鹿のテンプレートそのものの南波でも今のは大分効いているだろう。

 「寝てる暇があったらとっとと片付けろ」

 「玖雷さん、南波のびてます」

 「玖雷さんじゃねえ、班長だっつってんだろが」

 「そうですけど、もう僕たちしかいませんし、いいんじゃないですか?」

 「んな事言ってっと、お前も仕事中に俺のこと『父さん』とか呼ぶことになるぞ」

 「それは勘弁願いたいです、班長」

 数日前、魔物討伐の作戦中うっかり班長且つ上司にあたる養父をいつものように「父さん」と呼んでしまった南波の姿を思い出し、ラルフは訂正した。しかし、あの時、組織最強最悪と呼ばれる最前線部隊、通称伊班に癒しのオーラが流れたのは事実である。そして、他の班から伊班への評価も若干変わったとの噂も聞いている。

 曰く、凶悪すぎて新人を投入できなかった伊班で初めて投げ込まれた、もとい、配属になった班長の養子たちは普通の子である。そして普通の子でも―南波らも十分普通とは言いがたいのだが―生きていける班である、と。

 それもこれも、班長たる玖雷がすべてにおいてチートすぎるのが原因だ、とはあえて言わないのがラルフである。一応、ラルフも玖雷の養子である。南波とは違い、あまり好ましいと思っていないため、見習いから正式に配属となった暁には養子関係を解消してやろうと考えている。

 そんなことより、放置されている南波である。案の定まだのびていた。

 さきほどよりも顕著にのぞくタンコブは赤い髪でも隠れないほどの大きさになっている。

 南波もラルフ同様、班長の養子である、ラルフと異なる点は『最初から養子』であったことだ。南

 波は幼い頃に玖雷に拾われたときに諸々の理由で養子登録されている。しかしながら、魔物が跋扈する昨今、こういった養子縁組は珍しいことではなく、たとえ超一流の人間の養子でも、実力が無ければここまでこられない。

 南波が玖雷班長に拾われたのはおよそ七つの頃である。切欠は南波は知らない。南波に七つ以前の記憶がないせいでもあるかもしれない。南波の人生は七つから始まったといっても過言ではないのだ。

 立派なタンコブをつくってのびているが、南波もちゃんとした実力を持っている。ラルフに比べれば魔術学や薬学の成績は大分劣るがその戦闘力・機動力は訓練学校に在籍していた頃から一目置かれていた。また、体力と回復力は群を抜いていて、頭さえよければ玖雷に匹敵する大物になっただろう。

 そう、南波は馬鹿である。そして、呑気であった。

 街の貧民街のゴロツキよりも柄が悪いと揶揄される伊班の面々にまざってのほほんとしている南波は異質であり、そして大物であった。

 今日も、明後日の魔物討伐作戦で使う魔術文書を魔法文字に訳している時に昼寝をしたり、お菓子を食べながら解読したり、やりたい放題だった。もっとも、これらの行動は伊班の班員達がフリーダムすぎてそれを真似てしまったせいでもあるが、まさか上司の前でやるとは流石のラルフも思わなかった。

 暴君で仕事の鬼と有名な養父がそれを見てぶち切れない訳がなかった。

 そのせいで、何故か二人そろって追加課題と仕事が割り振られたのだが、この様だ。

 「おい、いい加減回復しねえともう一発だぞ」

 「班長、それはちょっと……」

 「だったらとっとと起こせ」

 玖雷はそう言うとタバコを持って執務室を出て行った。

 ラルフは溜息をつきながら、南波の手当てをするのだった。

 ×  ×  ×

 頭がぐらぐらする。

 南波は約三分後目を覚ました。

 「あたまいてぇ…」

 「おはよう、南波」

 ラルフは溜息をつきながら、しかし魔術書を見ながら言った。カリカリとペンが動く音がする。そうしてやっと、先ほどのことを思い出した。

 そうだった、追加課題の途中だった。

 「七割やっておいたから、あと三割、がんばってね」

 「ラルフ・・・!!」

 「今日から一週間は食事当番だからよろしくね」

 「え・・・」

 「班長の了承は貰ってるから、よろしく」

 班長の了承済みと聞いて南波はこれから一週間分の献立で悩むことになると頭を抱えた。シレア家の朝はランダムで早い。あるときは日が昇る前、あるときは日の出と共に。要するに仕事によって変わるのだ。それにあわせて食事当番は朝食を作って待機していなければならない。これは、南波の知る限り『最初』からある制度だ。

 昼夕食に限っては食堂制度や作り置きが許されるから楽なのだ。問題は朝だった。まず睡眠時間が減る。誰よりも早く起きなければならないことが辛い。そして二つ目、意外と大変なことがスケジュール把握だ。伊班の予定は大体狂う。むしろ狂うことを前提に考えて計画をしないと朝の鉄槌をくらうことになり、ペナルティが重なってしまう。

 ――だからといって、養父から鉄槌が下る確率は意外と低い。

 流石にその辺は分かっているのか、当番が寝坊した場合、養父が朝食を作って仕事へ向かうことがある。もっとも、それは南波とラルフが伊班にやってきてからはぐんと減ったのだが、これが問題だった。

 端的に言うと、玖雷の飯は不味い。

 お世辞にも料理と呼べない何かが出来上がる。それを普通の材料で普通の手順で作ってあの様である。

 何が出来上がるかと言うと、オーソドックスなものでは焦げたパン。ちなみにほぼ炭化している。

 次いで紫のコーンポタージュ。どこに紫になる要素があるのかまったくわからない。

 さらには緑色をしたオムレツ。野菜が混ざっているらしいソレを食べてみると謎の苦味と酸味が舌を襲う。

 まず浮かぶものだけでこれである。しかも本人は味覚もチートなのかこれを食べることができる。決して舌が壊れているのではない、普通に惣菜屋に売っている料理も美味しくいただくことができる。

 残念ながら、南波とラルフは普通の人間なので、そんな無茶な味覚を持っていない。

 これを避けるためには、朝食を何が何でも南波とラルフでしっかり作る必要があった。昨晩の作り置きがあればそれを出せるが大体夕食で食べきってしまう。

 自分たちの胃袋も中々鍛えられたが、これ以上鍛えられても困る。

 おかげで南波はその単純さと阿呆さの割に不釣合いな料理スキルを身につけたし、ラルフもその辺の主婦顔負けの腕前になった。

 話を元に戻そう。

 南波は課題の代わりにその苦行を請け負うことになってしまったのだった。

 大陸に存在する国家の中で最大の人口数をほこる通称第三国は、東のウェブリンの森とローウェル大運河をもつ都市国家である。組織とは、市民を魔物の魔の手から守り、国家運営をおこなう団体である。こういった組織は名や組織形態を変え、大陸の他の国家にも存在する。

 第三国は運河を持つ貿易国として栄えている反面、ウェブリンの森という魔物の巣窟を持つ非常に危うい国家である。

 それゆえ、第三国の組織は防衛部隊と国営部隊の二派にわかれ、それぞれ機能している。その防衛部隊は大陸でも最強と名高く、中でも伊班は世界的に見ても異常な強さをほこり、魔物討伐数、作戦成功率、死亡者数どれも歴代最高の記録を持っている。

 そんな伊班をまとめあげているのが、南波の養父であり上司にもあたる玖雷である。そして、怖すぎて新人を入れるのが可哀想すぎる!と上層部から嘆かれていた所にホイホイ投げ込まれたのも南波、ラルフといった息子たちであった。

 たとえ義理でも息子は息子。誰よりも玖雷の性格を熟知していると『勘違い』されたため、若干十五歳だった若者たちは恐怖の現場に配属されたのである。

 周囲から可哀想といわれている二人は、今日も悲惨な目にあっていた。

 それは、執務室の前で伊班副班長である神楽・リュウオンが仁王立ちしていた事から始まる。

 神楽は伊班唯一の文官…いわゆる頭脳派であり、実質の伊班の運営はこの人物が取り仕切っている。元々有能な人材であったが、以前の上官と馬が合わず退役を考えていたところを偶然とおり掛かった玖雷に声をかけられたという、どっからどう考えても嘘っぽい経歴を持っている。

 そんな神楽は、オールバックに眼鏡というインテリを体現したかのようないつもの格好で腕を組み、南波たちを見下ろした。 

 「南波、ラルフ。班長の行方を教えなさい」

 「行方って…ふつーに出勤してったけど」

 「ほう……」

 「あの…あの人、何かやらかしたんですか?」

 恐る恐るラルフが問うと、眼鏡をキラッと光らせ、フレームを上げた。

 「あの野郎に、明日から一週間休暇の辞令がでたんですよ今さっき」

 「え、マジで?!何やったんだよ父さん!!」

 「こっちが聞きたいくらいですよ……一週間なんてアホですかどんだけ仕事が溜まっていると……」

 休暇の辞令が出たことなど聞いていない。南波もラルフもいつもより早く出て行った養父しか知らない。それゆえに、おそらく、養父も知らされていなかったのではないかと思われる。何しろ、休暇なんて南波の知る限りほとんど取った事がない…もとい、取れたことがない人である。ワーカーホリックと誤解されそうだが、ああ見えて適当なところがある人だ。

 「ということは、上官命令…ですか」

 「じょうかんめいれい?」

 「衛生委員にでも目をつけられたんでしょう。まったく、だからあれだけ言ったのに…」

 「ラルフ、衛生委員って…」

 「ああ組織の健康管理を担うおばさんたちのことだよ。南波知らない?」

 「ああ、そういえばそんなのあったな」

 「まあ、下りてきたものは仕方ありません、二人には特別メニューを組ませていただきましたのでそちらを片付けてくださいね」

 「へ?」

 「特別メニュー…ですか?」

 「当然です。監督官に休暇命令が下ったんですから、見習いのあなた達も休暇になります」

 「マジで?!」

 「私達にはあなた達の監督権がありませんからね」

 神楽は眼鏡のフレームを押しながら不適な笑みを浮かべた。

 「君達の分の仕事もきっちり片付けてから休んでいただきますよ」

 「?!」

 「そう、なりますよね・・・」

 南波は顔を青ざめ、ラルフは諦めの溜息をついて、神楽を見上げるのだった。

 ×  ×  ×

 

 「いやね、俺もそんな休みなんて渡したくないわけなのよ…君、山ほど仕事抱えてるし?俺も悪いとは思ってるんだけど、上からの命令でねえ……」

 「ざけんじゃねえぞ禿オヤジ」

 「まあ、神楽君がうまくやってくれると思うから……うん、一週間どっか行って来て」

 真円・アルバートは頭痛を感じながらも辞令が書かれた書類を机の上に広げた。三人分の休暇命令は今朝出されたばかりの出来立てほやほやである。

 端的に言えば、労働基準をオーバーしているから休ませないと減給、という内容だった。

 「俺の労働状況なんざ入ってからずっと変わってねえだろ」

 「まあ、ぶっちゃけ君の方はどうでもいいんだけど…」

 「だったら撤回してこい禿」

 「俺のこれは禿じゃないの。スキンヘッドなの……君の下にジュニア達がついたでしょ?その子達が心配みたいでねぇ…だから今回限りだと思って休んで頂戴」

 息子達のことを持ち出され、玖雷も少しばかり納得をした。どうやら突然のこの辞令は自分に向けられたものではないらしい。もうすぐ正式な配属へ変わる息子達への配慮、というのが真の目的。

 まあ、一番忙しい班にぶち込んでおいてノーケアというのも心が痛むのだろう。何せ、配属が決まった時も一波乱では済まなかったのだ。それこそ上層部が配属を一時見合わせるレベルの事を立て続けにおこしてのことだった。あれだけの騒ぎあっての新人投入だ、有体に言えば、今度は騒ぐなという念押しにも近い辞令だ。こっちは渡すもん渡したから納得しろというのも大分勝手だが、渡す物がずれている所も上層部らしいっちゃあらしいだろう。

 「……しゃあねえな」

 「納得してくれてうれしいよ俺は」

 「納得してる訳ねえだろ。ズレズレだって上に言ってとけ」

 「はいはい」

 玖雷は足音荒く『上官』の部屋を出て行った。

 「あれ、俺の部下なんだぜ…嘘みたいだろ?」

 真円は窓から見える蒼い空を眺めながら誰ともなしに呟いたのだった。

 ――玖雷は廊下を歩きながら休暇のことを考えていた。

 どうせ上のことだ、余計な気を使って旅行券までつけているに違いない。おそらくデスクには辞令と三人分の旅券、それから山ほどの仕事がのっているに違いない。

 「九年か……」

 誰ともなしに呟いた言葉は珍しく無人の廊下に消えていった。

 言葉にすると短いように聞こえるが、実際はその数倍も長く感じた。南波を養子にしてからそれだけの年月が経ち、ラルフと出会ってからまだそれしか経っていないことに少々驚きもした。

 逆に言えば、それは『あの日』からそれだけの年月が経ったとも……。

 やめよう。

 あのことを考えるにはまだ自分には早すぎる。玖雷は首を横に振った。のばしっ放しにしていた髪が揺れる。

 正直行きたくないが、いくしかない。

 玖雷は腹を括って自身の執務室へ向かったのだった。

 女は走っていた。

 愛する人の肉親を抱え、もてる力を振り絞り深い闇に覆われた森を駆け抜けていた。

 追手の気配を背中が叫ぶ。

 その中に明らかに殺意を感じる。

 どうしてこうなってしまったのか自分には最早考える必要性さえないように思えた。

 なぜなら、ここには結果しか残っていない。女の愛し慕う王はもういない。

 ならば、あの方の願いを全うするのが部下であり、護衛であり、そして妻でもある自分の役目。

 腕に抱えた少女の息は荒い。

 やはり、先ほどの矢に毒が仕込まれていたのだろう。自分と違い、少女には毒への耐性がない。

 命の危険はないだろうが、予断を許さない。

 どうにかしなければ。

 風が鳴る。

 頬に一瞬の熱が走り、散歩先の幹に矢が刺さる。

 けれども女の脚は止まらない。ゆるがない。

 ただ、この腕の中の少女を守るために、女は考えた。

 「――時尾様」

 必ず、姫様をお守りいたします。

 女は主君の名を呟き、いっそう脚に力を込めた。

 

 ×  ×  ×

 第三国の南方にある馬車乗り場は今朝も混雑していた。国民だけでなく商人や子供たちで溢れている。

 その喧騒の中に混ざって、南波と玖雷、ラルフは自分達の乗るはずの馬車を待っていた。

 定刻通りならばあと五分ほどで大型の馬車がやってくる。国家間の移動にはこういった馬車が多く使われる昔は鉄道なんてものもあったらしいが資源の枯渇と魔物に襲われた時の対処方法の少なさから、自然と廃れていったそうだ。馬車も中々に危険に見えるが、こういった大型移動馬車には特殊な装備がついているし、列車より速度は劣るものの機動性にするぐれるため、魔物に見つかっても逃げやすい。それに、魔物の出ない場所も最近ではわかりはじめている。そういったことから、馬車は主要な交通手段として人々に利用されていた。

 玖雷は溜息をつきながら、事前に渡された旅券を見た。

 案の定、組合から贈られていた旅行券には、ここから南に下った場所にある観光地への切符と宿泊券がついていた。組合の保養施設なので、豪華旅館!とまではいかないのが組合らしいところだ。

 「あ、来た!」

 大型の馬車がゆっくりこちらに向かってくる。二十人乗りの馬車にしては小さなそれは定刻より少し遅い時間に到着した。南波たちと同時に数人の乗客らしき人間たちがザワつく。

 それらと一緒に、止まった馬車に乗り込んだ。

 行商人もいる。親子連れもいる、一般市民もいる。

 馬車はゆっくりと動き出した。

 「すっげー、俺馬車なん久し振りだぜ」

 「騒ぐな。叩き落すぞ」

 「まあまあ・・・」

 何の変哲もない馬車の中で、南波はふと、それに気付いた。甘ったるいような、そうでないようなソレは、同じ馬車の中から『匂って』くる。

 頭の中にこびりついて離れない匂いと同じソレは、花の香り。

 第三国でもこんなに濃厚な同じ匂いを感じたことはないのに、初めて、それに出会った。

 一体どこから?

 南波は自然とその人を探していた。

 男、女、子供、女、女、男……

 いた。

 南波から三人分向かいに座っている中年の女から、あのにおいがする。恰幅のいいその人は豪快に笑いながら、隣に座っている細身の男の肩を叩いている。どちらの衣服には花の飾りものやそれらしいものはついていない。聞こえてくる会話から、どうやら二人が夫婦らしいことがわかった。随分でこぼこな二人であるが、南波は何故かその夫婦に目がいった。

 「どうしたの?」

 「……いや、なんでも」

 「なんでもないなら、そんなに見てちゃ失礼だよ」

 「あ、ああ」

 そりゃあそうだ、と南波は珍しく居住まいを正した。いくらなんでも注目しすぎだ。

 それでも、頭のどこかで引っかかるこの匂いが気持ち悪くて、居眠りをするどころではなかった。

 

 ×  ×  ×

 

 その町は別名『鳥の町』と呼ばれる、緑と鳥の歌声が響く美しい町であった。

 南波は馬車から降りてうん、と伸びをした。窮屈だった旅もこれで終わりだ。

 あの夫婦は途中で降りてしまって、結局何がなんだろうか分からなかったが、もう気にしようとは思わなかった。気にしたいとすら思わない。

 観光シーズンから大分外れているというのに、町は人で溢れており、その誰もが観光客に見える。露天商が軒をつらねいており、誰もが笑顔で溢れている。第三国も賑やかだがこちらもかなり賑やかだ。

 南波はつい浮き足立ったまま、軽やかにステップをふみながら、傍の露天へ入っていった。

 「まずは宿に行って荷物をなんとかしましょうか」

 「だな」

 「行こうか、なな・・・」

 ラルフは振り返り南波の同意を得ようとしたが、そこには誰もいなかった。

 それどころか、あの目立つ赤い髪が周囲のどこをみわたしてもない。

 ラルフの背を嫌な汗が伝った。

 「あんのガキ・・・!!」

 「玖雷さん、いつものこと・・・」

 「いつものことじゃねえオラ行くぞ狐!!」

 「え?!」

 「あの馬鹿の匂いを追いかけろ!!」

 「ちょっ!!無理ですって……玖雷さん!!」

 

 ×  ×  ×

 「やっべここどこだろ・・・」

 ちょっと露天を眺めていたらこんなところまできてしまった。

 南波は鳥のさえずりが聞こえる森と思われる場所の真ん中で頭をかいた。

 方向音痴の自覚はあるが、こんな突拍子もない所に出ることになるとは思わなかった。

 周囲は緑一面であの賑やかさのかけらもない。

 元来た道を戻ろうにも、どうやってここまで来たのか覚えていない南波にはどうしようもない。

 これは、確実にどやされる。

 南波はうーん、と唸った。

 しかしながら、唸ったところでどうにかなる話でもない。

 「まあ、なんとかなるか」

 きっといつものように、なんとかなる。

 南波はそう考え直すと、さっそく、森の中の探索を始めた。

 この少年に一箇所に留まるという精神はない。南波は道なき道を歩いていった。

 森は第三国に隣接しているウェブリンの森に比べれば非常に明るく、そしてどこかのどかな雰囲気が漂っている。だからこそだろうか、南波はこの森が危険なものには見えなかった。小鳥達がさえずる森のどこに危険があるのかまったくわからない。どうして、こんなに人気がないのだろうか、そればかりが不思議でならない。

 ――これが最初の過ちだったのだと後に『彼女』は思い、『彼』は笑った。

 ガサガサ、と音がした。

 そう思った瞬間にはもう目の前にそれがいた。

 「うわぁ!!」

 「――っ?!」

 それは、黒い女だった。

 いや、正しくは黒髪、黒い服、黒い目をした、明らかに見たことのない女である。

 見た事がないでは語弊がある。

 その女は人間に見えるのに、見た事がない見た目をしていたのだ。深すぎない掘りと、切れ長の目は多種多様といわれる第三国でも見た事がない、南波の脳では形容しがたい姿をしていた。

 女に驚いた南波は、一瞬ひるんだ。その瞬間に、女は鋭い眼光を南波へ向けてきたのだ。

 さらに、南波はその鋭さに腰を抜かしかけたが、それでも留まったのは普段養父から鍛えられていたお陰だろう。

 「小僧・・・」

 「あ、あの・・・」

 女は目の前の少年を無害だと瞬時に判断した。ここで殺しておくべきだろうか。いや、ここで手間を惜しんでいる場合じゃない。早く、姫をどうにかしなければ・・・。

 「その子、大丈夫か?」

 「?!」

 少年は『いつの間にか』彼女の前にいた少年は、女の抱く少女を見下ろしていた。

 「なあ、顔色悪そうだけど・・・」

 「お前、」

 「すぐそこに町があるからそこで診て・・・」

 ―キングクリムゾン―

 女は森の中を駆け抜けた。

 この先の峠を抜ければ、西南国の領内に入る。そこまでたどり着くことができれば、すくなくとも異変を外界へ伝えることができる。

 女はそれを信じてただ走り抜けた。

 負担がなくなった分、随分身軽に走ることができる。

 自分でも愚かな選択だと分かっている。けれども、限りなく零に近い可能性をあの少年に託すしか自分には道がないのだ。

 女は――揚羽は、少女を託したのだ。

 可能性を信じて、揚羽は走る。

 自分はどうなってもいい、姫君だけでも安全な場所へ。

 追手の気配はしない、けれども、それはただの予兆にすぎない。なぜなら揚羽は知っているからだ。鬼と呼ばれるあの存在を。

 あれだけのことがあったのに、あの男が未だに姿を現さないことに揚羽は違和感を感じていた。島で最も優秀とされた異能者であり卓越した能力を持つあの男が、揚羽の前に現われないはずがないのだ。

 目的は分かっている。

 あれは自分達の探索を命じられたのではない、たかがそれだけなら、追手はいらない。

 あるとしたらそれは……。

 「遊びは仕舞いだ」

 「――」

 来た。

 揚羽は脚を止め、「前方」に立つ男と対面する。漆黒の衣を纏った男は、唯一赤い目をこちらに向け、そして揚羽を捕らえている。

 その目は何者も逃がさない。そう称えられた『護衛官』は、かつての同僚と対峙した。

 「そこをどけ、雪那」

 「それは、同僚としての言葉か?それとも国母としての命令か」

 「好きにとるがいい。どちらにせよ、退く気はないのだろう」

 「そうだな」

 揚羽は小刀を抜いた。曇りのない刀身に、男の姿がうつる。

 雪那と呼ばれた男は身動き一つとらない。まるで、必要ないかのようにただ佇んでいる。

 「姫はどうした」

 「答えると思っているのか」

 「いや…」

 ならば、用はない。

 男は右腕を突き出した。

 そして――。

 「俺だ。揚羽を始末した。姫の姿はない」

 非常な声が森に響いた。

 

 
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