俺は泣いていた。
ベッドに顔を押し付け、嗚咽が漏れないように必死にシーツに噛み付きながら、ただ泣いていた。
理由は色々とあるだろう。
安堵や弛緩といったプラスのものから、寂寥や絶望といったマイナスのものまで、本当に色々とだ。
何を今更、と、自分でも思わなくもない。
訳も解らず草原に放り出され、とにかく歩き、人に拾われ。
こうやって言葉にして並べていくだけでも言葉に尽くせない、本当に色々な事があった。
俺がこうしていられる最たる理由は、件の“洗礼”とやらが成功した事が一番大きい。
そりゃそうだろう、なにせ生きるか死ぬかという二択を、勝手に一方的に突きつけられていたんだから。
街が見えてからの爺さんは表情を引き締めて口を噤み、俺の軽口にも一切応じようとはしなかった。
その横顔は俺が想像していた、なんというか人生を謹厳に生きてきた男の顔そのもので、俺もなんというか自然と言葉を控えるというか、余計な軽口を叩けない雰囲気を感じざるを得なかった訳だ。
それでも俺としては、周囲を観察する事まではやめられるはずもなく、視線を彷徨わせていたんだが、どうも安息日の最中は太陽が出ていない間は外に出ない、というのが慣例となっているようで、俺は爺さんに連れられるまま、誰とも会わずに社へと導かれていった。
社はなんというか、俺は教会みたいなものを想像してたんだが、むしろモスクのような感じではあったんだが…。
なんと言ったかな?
シノワズリだっけ?
中華というか東洋かぶれの洋風文化というか、そういうものが奇妙に融合したような、そのような建物だったのが意外といえば意外と言えた。
とはいえ、爺さんの服装というかも、和洋折衷ではないがそのような感じと言えばそんなもんだったので、むしろ奇妙に納得したのも事実なんだけどな。
そこでは特に特筆するようなこともなく、やはり誰にも会わないまま、一見すると双子の女神像とそれを支える男神像が祀られている祭壇へと案内された。
これも別に奥という訳でもなく、感覚的には教会のドアを開けたら正面にキリスト像やマリア像がある、という感じで、むしろ拍子抜けしたもんだ。
そして俺は、爺さんに視線で、神像の前に立つように促されただけに過ぎなかった。
促されるまま祭壇の中央に立った時に、一瞬なにか熱いとも冷たいともいえないものが体を通り抜ける感覚があったのだが、それを感じた瞬間、爺さんの緊張が目に見えて緩んだのは、俺にとっても有難かった。
「ふう……。カズや、すまんかったのう。ともかく儂も、お主を殺す事にならんでほっとしとるよ…」
呟くようにそう告げる爺さんの方に慌てて向き直ると、その場にへたり込みそうなくらいに緊張を解いた爺さんの笑顔があった。
その顔を見て俺もようやく知る。
俺が不安だったり緊張してたりしたのと同じくらいに、いや、それ以上に爺さんは緊張していたのだという事に。
爺さんは強張っていた体を解すように全身を細かく曲げ伸ばししながら、ほうっと溜息をついた。
「いやいや、本当にほっとしたわい…。お主がまっとうな人間じゃと思っておったでのう、もしもがあったら流石に心苦しかったわ…」
そんな爺さんに対して、俺が一気に緩んだ緊張から、嫌味のひとつも言ったのは流石に許して欲しいもんである。
「あのな爺さん……。もしかしたら殺されるかもと思いながら、無言でここまで着いてきた俺に、最初に言う言葉がそれかよ………」
「かっかっかっ…。まあ、そう言われても仕方ないのう。とはいえ、儂等ミル・ハラム様にお仕えする者は、個人の情を優先する訳にはいかん場合が殆どじゃ。儂が個人的にお主の心根が間違った方向にはいかぬじゃろうと感じてはいても、それでお主の処遇を決めてはならんのじゃ。不快じゃったろう事は改めて謝ろう」
本当に申し訳なさそうに頭を下げられては、俺としても怒りや不快感を持続させるのは難しい。
何よりも、俺は個人的にはこの爺さんに恩こそあれ恨みなどないのだし。
今時の日本の若者の典型で、俺も敬老精神なんてもんは大して持ち合わせてはいなかったんだが、それでもなんというか、一本筋の通った人生を送ってきた事が感じられる、この愛嬌のある爺さんに何時までもそういう態度を取らせるのは、俺もなんとなく嫌だった。
爺さんが本気で、俺が世界に受け入れられた事に安堵していたのが伝わってきてたのもある。
「……まあ、とりあえずはいいや。それよりも、マジでなんか食わせてくんね?」
俺は苦笑いしながら、そう言って腹を摩って爺さんと和解したいと示す事にする。
そんな俺に向かって、爺さんは好好爺としか表現できない、見事な笑顔で応えてくれた。
爺さんと焚火を囲んでいたのに、なんで俺が空腹だったのか疑問に思う向きもあるだろう。
結論から言うとだが、これも落人修正によるものだったりする。
いやあ、俺はあの時は別の意味で泣いたね…。
あの時爺さんが竈の中央に据え付けた石は、この世界では基本的な発火具で、要はオドに火の方向性をもたせるものなんだそうな。
特に作成に技術がいるものでもなく、極端な事を言えば赤子でも扱える程度の代物でしかないらしい。
で、爺さんは肉を焼き始めたので、当然俺はその光景と匂いに耐え切れずに無心した訳なんだが、その事を思い切り後悔した。
だって、信じられるか?
脂が弾ける肉の香りに耐えられずにかぶりついたら、肉が粘土みたいな味なんだぜ?
まあ、これも爺さんには判ってたみたいで、俺が慌てて吐き出してポケットボトルの水で口を漱いでいるのを見て笑ってたんだが、結論から言えば当然の事だった。
この世界の万物がオドで構成されてるのだとしたら、それから排斥されてる俺がこの世界のものを受け付けるはずがない訳だ。
これを聞いたときにはぞっとしたもんだ。
だって、食物のみならず、ポケットボトルがなけりゃ水も口にできないって事だったんだぜ?
だから、後で本当に時間が経ってから思い直してみれば、爺さんのような立場の人間が、世界に受け入れられない人間を殺すっていうのは、ある意味で慈悲の産物だったんだろうと思う。
チートの方向性によってはそういうのもクリアできるのかも知れないが、少なくとも一人でいたら俺はいずれおかしくなっちまってただろう事は想像に難くない。
野菜ジュースや栄養剤で生き延びる事はできても、ものが食えないという事に耐えられる人間はそう多くはないだろう。
閑話休題。
まあ、これもほぼ定番らしく、俺は食堂に案内されてようやく食事にありつける事になった。
何日も食ってない訳じゃないんで、がっつくまではいかない(と思いたい)ペースで飯を平らげる俺に、爺さんは何を言うでもなく付き合ってくれていた。
そのまま俺は爺さんに案内されるままに簡素な部屋に案内された。
ベッドと小さいテーブルに椅子がふたつに水差しだけが置かれた部屋は、本当に余計なものがない、俺の感覚からすると牢屋に近い印象を受けた。
だけど、ここが禅寺だと思えば、むしろこんなもんだろうと思う。
細かいことは明日から教えると言われた俺は、多分魔法か何かでなんだろうが手元足元を確認するには十分な程度の光量を持ったスタンドランプのようなものを渡されて、その部屋に放り込まれるというとおかしいんだが、そのような感じで就寝を告げられた。
そして、ようやく一人になったからなんだろう。
今までの事。
これからの事。
日本の事。
家族や友人の事。
そんな様々な事が遠慮も自覚もなにもないまま、ただただ押し寄せてきた。
だから俺は泣いた。
声をあげる事もできず、ただ、泣いた。
泣くことしかできない自分に、心底絶望しながら、意識がなくなるまで、泣き続けていた。
情けない話だが、俺がそんな状態から立ち直って再び爺さんの前に顔を出せたのは、実に3日後の事である。
俺自身はそんなに打たれ弱いつもりはなかったんだが、なんというか非常に情けなくも気恥ずかしい。
ただ、頃合を見計らってやってきた爺さん曰く、落人は大抵こんなもんらしい。
で、一緒に食事をしながら改めて説明された事は、これからの俺の処遇についてだった。
まず、俺達“落人”は、一つの季の間、自分を回収してくれた社を拠点とし、旅祭を教師として、この世界“イシュ・ハーン”について学んでもらう事になっているらしい。
これはもう理由は明白で、いきなり放り出しても野垂れ死にするのが明白だからだそうだ。
これについては爺さんに言われて思い切り焦ったのだが、実は言葉が通じない落人も珍しくはないらしい。
なので、実際には落人と接触するのは非常に危険を伴う事のようで、爺さんをはじめとした旅祭の資格を持つ人間は、実は相当に強いらしい。
どのくらい強いのか聞いてみたところ、地球世界でいうところの象くらいの大きさの肉食獣と素手でタイマン張れる程度の戦闘力は持ち合わせているとの事。
いや、もう人間じゃねえよ、それ…。
それで、この旅祭って身分なんだが、これも実は洒落になってなかった。
社や神殿を預かる司祭どころか、枢機卿にあたる身分らしい。
俺は実際のそういう信仰上の階級には詳しくないのでアレなんだが、太陽神殿の場合、一定以上の信仰と実績を神様から認められた場合、神様から直接任じられるのが、この旅祭という身分なんだそうな。
俺としては信仰がごっちゃになってる日本人の厚かましさを発揮させていただいて、そんなもんなんだという感じでちょっと引いた程度で終わってしまったのだが。
爺さんが笑いながら言うには、実力がなけりゃ女神様も仕事を任せられない、危険な事が多い身分なんだという感じだから、真実神様の代理人として世界を股にかけてるって事なんだと思う。
で、最初にはじまったのは、実はお勉強ではなく、俺がいた地球世界について爺さんに説明する事からだった。
これも理由ははっきりしていて、まず俺のいた世界の常識が把握できない事には、この世界との常識の“摺り合わせ”ができないからだ。
で、爺さんに説明してから、この世界の基本的な事柄を聞いた俺の感想。
「………は? なんか色々やばくね?」
思わず口をついて出たのは、この一言だった。
まず、このイシュ・ハーンなんだが、ある意味ありふれたテンプレ的ファンタジー世界である。
ケモミミ・エルフ・ドワーフ・妖精に精霊に小人に魔族云々…。
まあ、呼称は少々違うようだが、そういう種族が山のように存在する。
整理すると、こんな感じ。
普人族=人間。
森人族=エルフ
機人族=ドワーフ
獣人族=ケモミミ
えとせとらえとせとら…
まあ、とにかく色々と細かいというかなんというか、本質的にはケモミミで括っちゃいけないレベルで、文化も生活圏も何もかもが違うらしい。
で、これ重要。
基本的に種族間での仲は滅茶苦茶悪いらしい。
この理由はどうも、それぞれを擁護したり贔屓したりしてる神様と、何よりもオドに対する“考え方”から来るもののようで、ぶっちゃけ常に臨戦態勢なんだそうな。
例外は幼人族と言われてる連中で、名前だけだとどこぞの大作ファンタジーの小人かと思うのだが、その成り立ちはどちらかというと地球世界のジプシーのようなものらしい。
種族や国境なんかを超えて行商人のような生活を最小でも家族単位で営んでる種族なんだとか。
そして、これが俺にとっては一番衝撃的だったんだが、地球世界の感覚では一番近いのは機人族と言われる、ドワーフみたいな連中が感覚や思考では近いようだ。
ただ、この機人族って連中は、オドを“有限資源”と考え、それを消費しないために“技術”を追求する種族で、そのためにオドを活用しようと考える大半の種族からは蛇蝎の如く嫌われてる、と言われてしまいました。
大半の種族はオドは“活用しないと淀んで腐る”と考えているので、もう本当に相容れないという訳だ。
そういった種族差もさることながら、基本的に他種族は捕まえたら奴隷扱い、というのが基本らしい。
これは、どの種族もその主義主張から相手を認めていないにも拘らず、それぞれの種族に“苦手分野”が存在する事からきている。
太陽神殿の立場からすると色々と矛盾してそうな感じなんだが、そこは世界そのものには影響しない部分らしくて、女神様視点では全く問題がないのだそうな。
種族を捨てて結婚もしてない、というのが太陽神殿に仕える最低条件らしいので、そういう種族の柵に囚われてる時点で女神様には見向きもされないんだとか。
う~む、なんか色々難しいぜ…。
ともかくも、落人はそういう種族の在り方からは外れてる場合が多いので、見た目で最初は差別される事も多いが、概ね自分の肌に合う種族と付き合っていくことはできるのだそうな。
そして、開き直った俺はある種のテンプレではあるが、冒険者ギルドがあるのかを(期待しつつ)聞いてみたんだが………。
結果は轟沈でした。
いや、一応そういう職種というか、そういう連中は居るんだそうだ。
ここは詳しく聞いたんだが、まずはこの冒険者という連中はイシュ・ハーンでは“探索者”と呼ばれている。
名前の通り、色々な場所を“探索”する連中で、ほぼ例外なくその種族としては“変人”が多いとの事。
理由はこれまた簡単で、どの種族も基本的に成人(成人年齢はそれぞれの種族で異なる)した時に、種族に合わせた神様の洗礼を受けてコミュニティの一員となる訳なんだが、探索者はそれから“外れた”連中になる。
太陽神殿に仕えるのとは別の意味で、種族的柵を自分から拒否したという事になるのだ。
つまり、こんなものを保護したり擁護したりする存在はいない、という事だ。
自由を得た代わりに全て自己責任、これが“探索者”という連中だ。
探索者の別名が“愚者”と言われてるという点からも、その扱いが理解できるというものだろう。
ただし、落人は結構な確率で“探索者”になるらしい。
この理由は、落人の特殊性にあって、これも割と結構な確率で社会で落ち着いて生活するには不向きな能力や神器を持って落ちてくる事が多いからだと言われた。
ここで、俺がどんな能力とかを持って落ちてきたのかだが、俺はその意味では“神器持ち”というタイプらしい。
この神器ってーのも、聞いているとまあ大概なチートの産物なんだが、一番バリエーションに溢れてるパターンでもあるようだ。
さて、俺のチートはなんなのか、爺さんの監視のもとでだが、色々と検証した結果がこれである。
まずは愛すべきマイポケットボトル。
こいつは最初に俺が検証したものでほぼ間違いがなかった。
俺が必要とするだけの飲み物が、必要な量だけ湧き出してくる、というものだ。
俺が飲み物認定しているもの、という制約があるらしいので、俺がマヨラーだったりしたら、多分マヨも出てきたかも知れない。あとカレーとか…。
次が愛しのシガーセット。
これも必要な分だけ出てくるという点では同じ。
有難いのはライターのガスも無限っぽい。
それで、これは俺は気づいてなかったんだが、両耳にピアスがついている。
言語の相互自動翻訳機能があるピアスで、両耳でセットらしい。
文字には適用されないが、会話なら多分万能だろうと思われる。
最後に両手の指輪。
これはなんというか、ちょっと特殊だ。
一対なのは確かなんだが、この指輪ふたつで武器と盾を兼ねるらしい。
制限としては、まず飛道具は不可。
色々な武器をイメージしたら、その武器が手の中に出てきた訳なんだが、手から離した瞬間に指輪に戻る。弓なんかは矢が手から離れた瞬間に消えたので全く意味がなく、銃も出てきたんだが弾が飛ばない。投げナイフも同じである。
次に、どうも俺のオドから構成されるものらしく、使い続けていると非常に疲れる。
威力としては、両手持ちの棒にして軽く振るったら土塁が吹き飛ぶくらいだった。熊程度なら当たれば一撃っぽい。
爺さんの見立てでは、形状による威力に差は恐らくない代わりに、俺のオドを常に食い続けて武器としているのだろう、という事だ。鍛えていけば威力の上方修正は可能だろうと言ってる事から、ゲームでいうところのMP総量が関係するようだ。思わず「なにこの光○の杖…」と呟いた俺は、国民的RPGもそれを題材にした漫画も大好きです、なんかごめんなさい。
そして、武器と同じ原理で盾のようなものも出る。
これはどっちかっていうと受動能力らしく、意識しては出せないみたいだ。
どのくらいの強度があるかは、怖くて限界は確かめていない。
ただ、爺さんの拳の一撃は防げたので、その強度は相当なものだろう。
これも爺さんの見立てでは、どちらかというと火事場の馬鹿力方式の能力だと言う事だ。
つまり、意識して防御力を調整できる代物ではない上に、俺が意識していない攻撃は恐らく防げないという事だ。
他に重要だったのは、この世界の魔法には“属性”とか“詠唱”という概念は存在しないという事。
魔法というか、正確には魔術というべきなんだろうが、要はオドに“方向性”を持たせる事が肝要なのであって、オドそのものには“属性”など存在しない、という事だ。
平たくいうとイメージが重要で、それを補強する為に各自で単語(キーワード)を扱う事はあっても、属性やら詠唱やらというものは存在しないのだ、と。
例外はあるんだそうだが、例えばそれは日本でいう読経とか聖歌とかみたいなもので、多人数のイメージを統一する場合以外には意味がなく、それができるなら別に言葉にする必要は全くない、と言われた。
そもそも、一々言葉に直して色々とやっていたら、いざ危険と対する時になにもできん、と言われて納得してしまった俺がいる。
そんな感じで爺さんに教えを請いながら、様々な知識や常識を身に付けつつ、俺の感覚では約3ヶ月が過ぎていく事となった。
「爺さん、なんつーか……本当にお世話になりました」
ひとつの季を越え、明日から安息日となるこの日、俺は社の入口で爺さんと相対していた。
俺は今、本当にこの人に感謝している。
もう帰れるかも判らない遠くにいる家族を別として、これほどに感謝をした人は爺さんがはじめてだった。
確かに地球世界にも恩師はいるが、一生頭があがらないと思える程に尊敬できる人は、俺の学生生活ではひとりもいなかった。
基礎的ともいえるオドの扱い方からこの世界で生きていくための肉体改造をはじめとして、本当に赤子にものを教えるとしか表現できないような状態の俺に、根気よく厳しく、そして優しく物事を教えてくれた爺さんは、間違いなく俺の恩師と言えるだろう。
ろくに包丁も握った事がない俺が、魚は言うに及ばず、豚くらいの大きさの動物まで捌けるようになったのも、爺さんのおかげだ。初めて野鳥をもってきて羽毟りからやらされた時は、嘔吐くわ涙目だわで迷惑以外の何者でもなかったし、剣どころか棒のひとつもまともに扱えずちょっと走ればすぐに顎があがっていた俺を見捨てずにいてくれたのは、いくら神様が言った事だとはいえ、爺さんの人柄によるものを絶対に無視はできないだろう。
色々な意味で甘やかされて育った日本人の俺を、まがりなりにも鍛え上げてくれた事は、言葉を尽くして感謝しても尚足りない。
「ミル・ハラム様の恩寵がお主の頭上にあらん事を」
厳かにそう告げる爺さんの顔を見て、思わず涙が浮かびそうになる。
なぜなら、実質これが俺と爺さんとの最後の会話となるからだ。
それとなく爺さんから告げられていたのだが、太陽神の旅祭の殆どは、ある程度世界を巡った後に“世界の渦”と呼ばれる海の彼方にある場所に挑む事が目標らしいのだ。
そこは“昇人”と呼ばれる異邦人がやってくる場所で、そこに挑む事で神様達の住む世界へと旅立つ事ができる、らしい。
全ての善きものも悪しきものも、この世界に落ち、昇り、世界は巡る。
イシュ・ハーンとはそういう“世界”なのだ、と。
“世界の渦”を通れば、俺も“地球世界”に還れるかも知れない。が、海を越えて渦に辿り着くには根本的な“力”が足りない。
自分の意思で万難を排し世界を渡るには、落ちてきたばかりの俺では“存在”が弱いのだ。
爺さんはそう言って、俺に希望と絶望を投げかけた。
それを聞いてからの俺は、悩みに悩みぬいたと言っていい。
また地球に、あの世界に戻りたいという想い、これは本物だ。
ただ、こういうとおかしいんだが“住めば都”との言葉もあるように、イシュ・ハーンでこのまま過ごす自分もまたありだと思う。
今の俺に何ができて何が足りないのか。
凡ゆるものが足りていない、それが今の俺だ。
たかが3ヶ月、それっぽっちの時間で世界を知った気になれる程、俺も若くも青くもない。
たからこそ、俺は敢えて“探索者”となる道を選んだ。
残るにせよ戻るにせよそうではないとしても。
まずは俺の“目”で世界を見て“耳”で世界を聞き“肌”で感じるべきだ、そう思ったのだ。
思えば、今の俺は爺さんから見ればまだまだ青臭いガキなんだろうが、それでも漫然と過ごしていたあの頃よりは、少しはましな人間になったと思っている。
これが思い込みや勘違いな可能性も多分に大きいが、それを自分で認められる程度には大人になったんじゃないか、くらいは自画自賛してもいいんじゃないかと、そう思ってる。
だから俺は、緩む涙腺を必死で押さえつけながら、恐らく生まれてはじめて、心から頭を下げる事で爺さんの言葉に応えた。
「………ありがとうございましたっ!!」
そして俺は、顔を見られないように一気に体を翻すと、そのまま爺さんの視線を背に歩きはじめる。
爺さんがいつだったか、照れるように笑いながら言ってくれた言葉を思い出しながら。
「ミル・ハラム様が受け入れてくださった落人はの、儂等にとっては息子や孫みたいなもんじゃ。家族と別れ仲間と別れ、子も孫もない道に入った事を後悔した事はない。じゃが、それでも落人には儂等の持つものを伝えて導く事ができる。それは本当に嬉しい事なんじゃよ」
本当は太陽神殿の全てで俺をはじめとした落人を導きたい、叶うならその全てがこの世界で受け入れられ、望むなら元の世界へ戻れる手伝いをし、この世界を愛してくれるなら根付く手伝いをしたい。
それが出来ないからこそ、僅かひとつの季の間だけ、たったひとりの旅祭としか触れ合えなくとも、何かを残し伝えたいのだ、と。
だから俺は、まずこの世界を歩いてみようと思う。
決して楽な道ではない。
自分に都合のいい物語でもありえない。
後悔しかない世界かも知れない。
でも、俺は胸を張ってこの道をいこうと思う。
日本人“渡辺和樹”として、この世界でまずは生きようと思う。
それが、俺に貴重な時間を割いて様々な事を教えてくれ、今日この日の為に全ての旅支度を整えてくれた、ウォーレン爺さんの人生に報いる、たったひとつの方法だと思うから。
俺が“俺”から逃げずに、人生を選び抜く、ただそれだけを胸に抱いて。
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当作品は所謂テンプレものの異世界ファンタジーものとなります。
最初に申し添えておきますが、世界観の構築や設定において、以下の作品に多大な影響を受けている点を明記しておきます。
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