No.552787

勇者も魔王もいないこのせかい 一章

今生康宏さん

「ラスボス撃破後のRPG」をイメージして書いたものです
どこか寂しげな、祭りの後のような静けさ
当時は全く知りませんでしたが、今思うと「まお/ゆう」っぽくありますね。あの作品はどちらも健在ですが

2013-03-08 23:39:58 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:3976   閲覧ユーザー数:3976

 これは、みんなが生まれる前のお話です。

 かつてこの国は数百年の間中、ずっと魔王に支配されていました。

 魔王の圧政は人々を苦しめ、魔王がどこからか連れて来た魔物達は国を荒らし回り、人々は怯えて暮らしていたのです。

 もちろん、魔王を妥当しようとする戦士も現れました。しかし、どれだけ屈強な戦士でも、魔力と知性に優れた魔法使いでも、遂に魔王を倒すことは出来ず、幾年の時が流れました。

 そして、それは今から十年前のことです。突然、旋風のように現れた大剣を持つ勇者。彼は破竹の勢いで魔物達を蹴散らし、彼の強さと打倒魔王の志に惹かれた仲間達と協力して、遂に魔王を倒したのです。

 魔王が死ぬと、同時に国中にいた魔物も姿を消しました。この国は救われたのです。

 しかし、人々が気付いた時、勇者もまたその行方をくらましていました。

 国の復興は勇者の仲間達を中心に、今まで苦しんでいた国だとは思えないほど順調に進んで行きましたが、魔王が死に、勇者のいない国には、どこか活気がありませんでした。

 皮肉なことに、魔物達との戦いがなければ、武具は売れず、それほど豊かな国ではないため、戦争や傭兵の活躍の場もありません。魔法研究に有利な土地ではないので、優秀な魔法使いも国を離れてしまい、農業だけは今まで通り、安定した生産が続きましたが……ほかの強国と比べればずっとその国力は弱く、せっかく圧政はなくなっても、貧しい生活が続くことになってしまったのです。

 ――そして十年、いつしか人々は罰当たりにも、こう唱えます。

 

「なぜ魔王を殺した」「勇者なんていなかったら良かった」

 

 鍛冶屋や宿屋の人々にしてみれば、まるで儲からない現状は、確かに呪わしいものなのかもしれません。

 私達のような神に仕える者も、以前ほど癒しの力が重宝されなくなったため、ありがたがられることも減りました。

 それでも、魔物の王がはびこっている国など、幸せであるはずがありません。

 皆さんは、もしかすると既に周りの人達から、魔王を信仰することや、勇者を軽蔑することを勧められているかもしれません。

 ですが、滅びたことを惜しまれる魔王など存在するはずはなく、その功績を恥とされる勇者はいないのです。

 そのことをどうか忘れず、大きく立派に育ってください。

一章 魔王は死に、勇者は去りました

 

 

 

「これで今日のお話はおしまいです。静かに聞いてくれたみんなには、キャンディがありますよ。忘れずに一人一個ずつ、持って帰ってください」

 日曜日は一般の方々も神様へと祈りを捧げる日ですが、午後からは子ども達へのお話会があります。

 私はクリス・アクランド。今年から正式に教会に属することとなった修道女です。

 子ども達相手にはお話しを聞かせたり、偉そうに説教してみたりしていますが、シスターとしては未熟で、バイブルの暗唱は少し苦手。でもまあ、私はまだ十六歳。全然若者なので、その辺りは特に悲観していません。

「お姉ちゃん、ありがとう!」

「いえいえ。神様への感謝を忘れず、正直に良い子にしているのですよ?」

「はーいっ」

 田舎から出てきて、聖職者を名乗ることを許されるようになり、始めに務めることになったのは、小さな町の教会でした。

 小さい、といっても私の村に比べれば都会で、かつては鍛冶職人が槌を振るう音が鳴り響く町であったと聞きます。

 しかし、今の世の中に鋼の剣は必要なく、鍛冶屋は料理器具と、木こりの斧を打つ仕事しかありません。

 魔物にそれほど苦しめられていた土地ではないので、孤児は少なく、お話会も大盛況。キャンディの用意が大変なぐらいですが、子ども達が笑顔を絶やさないのは素晴らしいこと。私達のような聖職者は、彼らに明るい未来を与えるのが仕事ですから、多少の苦労は喜んで受け入れます。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

「はい、どうしました?」

「ぼくの弟、今日はお話ききにきてないんだけど、キャンディもらったらダメ?」

「う、うーん。そうですね……これはご褒美のキャンディなので、駄目です。でも、来週必ず、元気な姿を見せに来てくれると約束出来るなら、一つ余分に持って行っても良いですよ」

「ぜったいつれてくる!ありがとう、お姉ちゃんっ」

「ふふっ、気を付けて帰るのですよ」

 それにしても、子ども達と触れ合うのは楽しくて、私にはこれぐらい元気な子どものいる町が丁度良いな、と思います。

 そもそもからして、本当なら私は孤児院の配属になるつもりでした。が、平和になり過ぎて孤児が減ったので、孤児院というものも減り、私が入るポストがなかったのです。これもやはり、神様と勇者様に感謝するべきこと。不平を言う訳にはいきません。

「クリスティアナさん、そろそろ夕方の分の水やりをお願いします」

「はい、マザー」

 お話し会が終わると、夕暮れが近付いて来ます。教会のハーブ園に水をやるのも見習いシスターのお仕事の一つです。

 ちなみに、クリスティアナというのは私の本名。クリスというのはそれを縮めた愛称になります。また、私をきっちりと名前で呼ぶ方は、マザー・アンジェリカ。この教会では一番偉いシスターの方です。温厚で、非常に博識な方で、この町の人全員のおばあさま、といったところでしょうか。私にとっても、母代わりであり、祖母代わりの方です。

「おねーちゃん」

「あら、まだ残っていたのですか?暗くなる前に帰るのですよ」

 ジョウロを取りにいこうとすると、かなり年少の女の子が私の僧服の裾を引っ張りました。実は小さな子のこういう仕草はすごく好きで、私も昔はよくしたものだな、と無性に懐かしい気分になります。

「うん。えっとね、これ、おねーちゃんに」

「くれるのですか?ありがとうございます」

 いつものお礼に、なのでしょうか。手の中にあるらしい小さな物を受け取るため、屈んで手を差し出します。

 男の子の場合、手の中にいるのはカエルだったりするのですが、女の子なら大丈夫でしょう。それに、田舎でそれなりにたくましく育った私は、カエルや小さな虫は友達も同然。案外平気なので、こういうタイプのイタズラには強いです。これも、子どもの相手をするのが最適な理由の一つですね。

「はい。――それじゃあね」

「気を付けて帰ってくださ――あら、珍しい」

 何をもらえたのかと思ったら、それは小さな石でした。石といっても、その辺りに落ちている石ころではなく、かといって宝石という訳でもありません。

 魔法の触媒となる、奇麗な色と結晶の形をした特別な石……魔法が必要なくなったこの国には珍しいものですが、やはりそれほど高価なものではないので、子どもの宝物として妥当なものでしょう。

 彼女にとっては大切な物だったでしょうに、魔法の使えない私がもらってしまって、なんだか申し訳なくなってしまいます。

「でも、それだけ私があの子に受け入れられている、ということでしょうか」

 結局のところ、私はよそ者な訳ですから、小規模な村や町といった閉じたコミュニティに入っていくのは難しいことです。それは教会という強力過ぎる後ろ盾があっても同じことで、特に子どもは警戒心が強いのですが……今ではすっかり、私のことを怖がるような子はいなくなりました。

 言ってしまえば、私が人畜無害そうな見た目だからなのもあるのですが、地道にお話し会を続けて来たことが功を奏したのだと、今では確信出来ています。といっても、会でする話は魔王の話を含めて、私にも馴染みの薄い話ばかりなのですが。

「案外、役者が似合っているのかもしれません……」

 シスターが演技派なんて、嫌ですね。せめて子どもぐらいにはありのままの私で接したいものです。

 まあ、それはおいておくとして、井戸から水を汲み、それをジョウロへと注ぎ、ハーブ園に向かいます。日が暮れる前に水やりをするのは、井戸のお布施を回収するためで、中々この教会も効率化が図られています。

 普通、教会の井戸は一般に開放されており、お金を払ってもらう必要はないのですが、この町では昔から井戸を利用する際にお布施をする、それがある種のしきたりのようなものになっています。

 その分、直接教会にお布施をいただけることは少ないのですが、塵も積もればなんとやら。私がキャンディを作る材料を仕入れるためのお金などといった必要経費は、ほぼ百パーセントこの「井戸のお布施」でまかなわれています。こんな教会、ちょっとないのでは?

 今日も、お布施の受け皿を持ち上げるとじゃらり、と音がするほどコインが入っていて、神様と町の皆さんに感謝するばかりです。願わくは、こんな大量の日が永遠に続きますように。……邪な考えでした。反省します。

 翌朝、下っ端シスターである私は誰よりも早く起きて、教会の掃除をします。

 礼拝の日以外は、教会の中を奇麗にする必要はあまりありません。それより外回りを重点的に掃除するべきで、教会が汚くては、町全体がみすぼらしいと思われてしまいます。今は旅人も少ないので、あまり関係ありませんけどね。

「ラララー、お掃除お掃除、楽しくもなんともないお掃除ー、ランランラーン」

 箒をぶんぶん振り回しながらの歌の詞も適当。形式的にするだけの掃除とは、存外に苦痛なものです。

 そもそも、こんなことしなくても、そこまで教会は汚れていませんので。まさか教会に物を捨てるような罰当たりな人がいる訳ありませんし、今は落ち葉の季節ではないので掃くべき物は少なく、あっという間に終わってしまいます。

 ただ、あまりに早く終わらせてしまっては格好がつかないので、表面上はしっかりとしているつもり。こうして演技のスキルが磨かれてしまうのでしょうか。――ああ、神様。罪深いかもしれない私をお許しください。

「うお、これはまた、新米っぽいのに熟練な感じのするシスターがいるな」

 なんて神様に祈りを捧げていると、教会の前を通りかかる男性がいました。明らかに町の人ではない、旅人風の服装です。――この町に旅人!

 これは事件の香り、あるいは暇を持て余した冒険者の香りがします。どちらでしょうか。後者に今夜の晩御飯のおかずを賭けましょう。……聖職者なのに、賭博に手を出してしまいました。

「礼拝の方ですか?」

「あー、いや、教会を見ると、その町が大体わかるものだから、見させてもらってただけだ」

「そうなのですか」

「ま、見ての通り、田舎の平和な町、ってとこだな。そして、シスターはちょっとばかし破天荒と来た」

「……どういうことですか。後、恐らくその“破天荒”の使い方は間違っていると思います」

「どうでも良いだろ、そんな細かいこと。そして、そういう様が正に普通のシスターじゃない」

 初対面なのに、中々に失礼な方です。私はこんなにもシスターらしいシスターですのに。

「はぁ。今、掃除の最中ですので、特にご用がないのでしたら……」

「ああ、もう行かせてもらうよ。――いや、ちょっと井戸を使わせてもらって良いか?喉が渇いているんだ」

「良いですよ。銅貨一枚になります」

「堂々と代金を請求するなよ、仮にも教会が」

「さっきの仕返しです。本当に払っていただいても良いですが」

 この町だけのローカルルールを、旅人にまで強制する必要はありませんでしょう。それがいくら失礼な人でも。

 それにしても、この男性は不思議な格好をしています。背中に弓と矢筒を背負う姿は、どこからどう見ても狩人のそれですが、装備は革の肩当てに、鉄の腰当て、しかもよく見ると鞭まで腰に巻かれていて、やけに重装備に見えます。

「くー、生き返る。教会の井戸ってだけで、ありがたみが違う気がするな」

「確実に気のせいですけどね。確か、水質的には町の井戸の方が良かったと思います」

「ゆ、夢がねーシスターだな」

「リアリストなのです。そもそも、末端とはいえ、聖職者が現実的でないと考える方が……」

「ああ、そうだな。悪かった」

 昨日とはキャラが違う、と思われてしまうかもしれませんが、大人、しかも男性への対応はいつもこんな感じです。

 男の方が嫌いという訳ではないですよ?

「それでは、神のご加護を」

「ああ、それからもう一つ」

「水を飲ませてもらっておいて、まだ何か要求するつもりですか?いよいよもって、お布施をいただく必要が出て来ましたね」

「わかった、わかったよ。ほら、取っとけ」

 そう言って、私に金貨を一枚握らせます。まあ、殊勝な心がけ。

「……べ、別にこのお布施に免じてお願いを聞いてあげる訳じゃないのですからね」

「シスターの癖に守銭奴だな……。いや、ただ道を訊きたいだけなんだが、もしこの後暇なら、この町を案内してくれないか?」

「暇と言えば暇ですけども、あなたは旅人ではないのですか?」

「そうなんだけどな。ちょっとくらい町観光して行っても良いだろ?」

「追加の銀貨一枚で手を打ちましょう」

「……ほらよ」

 今度もちゃんと奇麗な銀貨を握らせてくれます。

 柄が悪いかな、と思ったのですがこの人……使えるかもしれません。

「では、掃除の邪魔にならないようにその辺りで待っていてください」

「手伝っても良いぞ?」

「聖職者が一市民に教会のお仕事を押し付ける訳にもいきません。あなたはそれで自己満足出来るかもしれませんが、私は責任問題を、ですね……」

「あー、わかったわかった。俺が浅はかだったよ」

「わかってくだされば良いのです」

 折角の好意の申し出を拒否するのも心苦しいですが、私は自分の身の方が愛しいので。

 それに、初対面同然の人なのですから、大事な教会の掃除を任せて、何か壊されたりしたらたまったものではありません。盗まれる価値がある物はないので、そこは安心なのですけどね。

「そこにブランコがありますので、腰かけてお待ちください。あ、地面を削ったら嫌ですよ?小さい子も遊ぶので、気を付けてください」

「あー、足が届かなくなるんだよな。俺の故郷の村も、村長の家の近くにあったなぁ。昼間は子どもの遊び場で、夜はちょっとしたデートスポットだったんだよな」

「そして、振られた男性が寂しくブランコをこぐ、と」

「……あんた、本当にシスターか?」

「ブラックユーモアも聖職者には必要ですので」

 いかにも納得出来ない、という顔をしていますが、聖職者は決して聖人ではありません。良くも悪くも人間臭くあって、本音と建前を使い分けて生きているのは間違いないのです。

 しかも魔王が退治されてからは、間違いなく教会も儲からない日々が続いているのですから、より懸命に生きようとあがいています。それが人々の理想とする聖職者像から離れていくのは間違いない訳で、それに対する唯一の抵抗として、私はお掃除に精を出している、という寸法です。

 十分以上かけてしっかりとお掃除のふりをして、箒をしまいました。マザーに外出する旨を伝え、昼の礼拝には帰って来る約束をします。

「終わりましたよ。行きましょうか」

「んっ……お、おう」

「……寝てましたね。私が一生懸命、精魂込めてお掃除をしている間、よりにもよって眠りこけてやがってましたね、あなたは」

「ば、馬鹿言いねぇ。俺がそんな薄情者だと思うか?」

「思います」

「奇麗な目をして言ってくれるなよ……」

 心に与えたダメージは大きいみたいですが、私だってムカっと来たのですから、お互い様です。心の健康を保つことが出来ないのであれば、その原因への報復をする。神様も仰っていることです。

「ところで、旅人さん。まだお名前を伺っていませんでしたね?私はクリス・アクランド。クリスとお呼びください」

「ああ、そういやそうだったな。俺はエルネスト・ディアス。名前じゃなく、苗字でディアス、って呼ばれることが多いから、あんたもそうしてくれ」

「わかりました。ディアスさん。……なるほど、名前で呼ぶとなると、さしずめエルちゃん、って感じですね。嫌う訳です」

「なぜにちゃん付けにした。……まあ、そういうことだ。こんなおっさんがそんな名前で呼ばれるなんて、違和感ありまくりだろ?」

「ええ」

 満面の笑顔。おっさんを自称する三十代ぐらいの男性は、下手に否定はせず、そのまま言わせておくのが吉。今までの人生で学びました。

「なんでだろうな……こんなにも胸が痛むんだ」

「恋煩いですか?シスターに欲情とは、人間として見下げ果てた変態ですね」

「あんた、本気で俺の心をへし折りにかかってるよな!?」

「ははは、まさか」

 心が折れてしまってはつまらないですから、生かさず殺さずのスタンスを貫きますとも。……なんて。

 私は間違いなく敬虔な神の徒。他人の心を苛んで愉しむなどという、ゲスい行いをする訳がないじゃないですか。

「ではでは、行きましょう。大きな町ではありませんが、一通りのお店を見て回るとなると、それなりの時間を要しますよ」

「おう……俺の思うシスターってのは、もっとこう…………」

 尚もうじうじ言っていますが、こういうお小言は生来、聞き流す性質です。聖職者に説教を出来る人間なんて、マザー以外にはいないのですから、この対処法は決して間違ってはいませんよね。

 そうして、ディアスさんにこの町の一通りの施設を案内してあげます。

 一泊あたりの価格とサービスの料金を照らし合わせ、最も良いと思われる宿屋(今時はどこも閑古鳥が鳴いているので、最高のおもてなしをしてくれるでしょうが)、弓矢を使われる人には縁がありそうな木の細工の職人さんの工房、デートスポットとして有名な公園を皮肉として紹介して、最後に酒場に案内し、私の役目は終わりました。

「何日かこの町に滞在されるのですか?」

「そんなとこだな。特にあてもない旅だし、ここが気に入ったら何日でもいよう」

「……私には、どうしてあなたがこのご時勢に旅をしているのか、甚だ疑問ですが。狩人をされるのなら、町ではなく森を点々とするべきでしょうし、魔物がいない今、町を旅することによる旨みは一切ありません」

「ああ、そうだな。傍から見れば、俺は無意味な旅をしている。でも、俺にはそれが必要なんだ」

 ディアスさんは目を細め、今まで見せたことのないほど貫禄のある、しかし、どこか疲れ果てたような顔をしました。

 もうこれを茶化そうなどと、私は考えることが出来ません。

「――お嫁さん探しですか。頑張ってください」

「どうしてそうなった!」

 ごめんなさい。茶化してしまいました。

 私、聖職者ではありますが、魔王が死んでから就職した者ですので、シリアスな雰囲気というのは大の苦手なのです。

「本当、あんたと話してるとシスターなんかじゃなく、昔の仲間と一緒にいるような気になるな。疲れて、懐かしくて、……本当、困るぜ」

「仲間、ですか。もしかするとディアスさんも、かつては魔王を?」

「人に言って聞かせるほどのことじゃないさ。俺は結局、何一つとして為すことが出来ず、誰も救えなかった。おまけに魔王が死んで、狩人の真似事をして騙し騙し生きてる身分だ。輝かしい功績なんて、一つもない」

「それを恥じる必要はありませんよ。正義の徒であった、ただそれだけの真実がある。それで十分ですよ。神は見ていますから」

「……そうか。今日はありがとうな、それじゃあ、これ」

 ディアスさんは再び、私の手のひらに銀貨を乗せました。

「私はこれでも聖職者ですから。理由もなくお金を受け取る訳にはいきません」

「あんたの言葉で救われた。懺悔の礼のお布施とでも思ってくれ」

「でしたら……」

 変な人です。聖職者でなくても言えるような台詞で救われた、なんて大層な。

 それとも、そこまでこの男性は追い詰められていたとでも言うのでしょうか。私のような新米シスターの大してありがたくもないお話を聞かなければ、心が救われないほどに。

 気が付くとディアスさんは背中を見せていて、私はそれを追うことを断念しました。彼が早足だということもありまたし、そろそろ教会に帰らなくてはなりません。

 

 

「へぇ……で、あんたはその人と付き合うの?」

「姉さん、私の話、ちゃんと聞いていましたか」

「もちろん。町中をデートしてたんでしょ」

「違います。いくら姉さんでも、馬鹿の烙印を押さざるを得ない理解力の乏しさ……いえ、桃色の脳だと言わざるを得ませんよ」

 女の子というのは噂話が好きなもので、お昼に私はディアスさんとのことを話さない訳にはいきませんでした。

 誰かに強いられたのではなく、なぜか使命感のようなものが生まれ、あの奇妙なエピソードを話させるのですから恐ろしいものです。

 そうして、見事にお話を曲解した人が現れます。私より二歳だけ年上のシスター「姉さん」ことエセルさんです。

「顔はどうだったの?」

「お姉様まで……」

 教会の中の暗黙の了解では、一番年が近い先輩シスターのことは「姉さん」と呼び、それ以外の先輩は全て「お姉様」と呼ぶことになっています。このヘレンさんもお姉様の一人、と言うことになります。

「三十代前半ぐらいの、まあ、可もなく不可もなく、と言った感じの男性でしたよ。残念ながら、私のようなうら若き乙女と釣り合う人ではありません」

「あら、本当に釣り合わないわね。まさか自分の倍の年の男の人とは、ねぇ……」

「でしょう?年上は嫌いではありませんが、五歳上ぐらいまでが許容範囲ですから」

 気になる人では、ありましたけどね……どうにも放っておけないと言いますか、下手をするとそのまま終わりのない旅に出てしまいそうな危うさがあり、それを救うのが聖職者の役目のように思えます。

「しばらくこの町にいらっしゃるそうですから、気になるのでしたら、少し探せば出会えると思いますよ。一目見れば、なんとなくわかると思います」

「それだけオーラがあるんだ?」

「なんと言いますか、老兵の貫禄……みたいな。年の割に、悟りを開いたような雰囲気があるように思えました。……何者なのでしょうね、本当。どうもただの疲れた元冒険者だとは……」

 エルネスト・ディアスさん。この日出会った彼は、私やこの国の運命を変える存在となるのでした。

 そのことをこの時の私は知る由もなく、本人も決してそんなことを知りはしないでしょう。

 ただ、静かに運命の歯車は回されたのでした。見えざる神の手によって。


 
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