不死の先には何が在る? と、私は彼女に問うた事がある。
その時、彼女は実につまらなさそうな顔をして答えた。
曰く、
『…………神が』
意外だった。
彼女の口からその様な単語が発せられるとは思わなかったのだ。
と、言うのも、それは私が神という存在に信仰を抱いていないからに他ならないからだ。
私の様に、真に生涯を魔法と錬金術に捧げてきたものならば同意を得られるだろうが、そもそも上位存在への服従や絶対的価値観などへの傾倒は自己の存在そのものを薄弱にするからだ。我々の探究は、個々が唯一としての存在である事に意味を求める性質を持っているからでもある。
それ故に、我々とほぼ同質で、我々以上に奇跡を体現している彼女もまた、神を信じていないと思い込んでいたのだ。
私は彼女にからかわれているのでは無いかと考えた。冗談らしい冗談を口にした事が無い彼女ではあるが、つい口が滑ってしまったのでは無いかと。
だから問いただした。
真実は何処に在る、と。
彼女は、私こそが冗談を言っているのだと感じたのかもしれない。苦笑と言うには程遠いかもしれないが、その様な表情をしている様に見えたのだ。
『人間は地面に立っているのか、それとも地面に立たされているのか? 人間は世界を生かしているのか、世界に生かされているのか。貴方は生きているのか、それとも…………死んでいるのか…………』
有限と無限の間に、眼に見える程の違いは無いと、彼女は言った。
花の香りに誘われて…………と、言うのはもちろん嘘だ。
リコは、自分の鼻がそんなに高性能だとは考えていない。ヤカなら、3キロ先にある定食屋で出されている、その一つ一つのメニューを言い当ててしまうかもしれないが。まあ、もちろんただの冗談だ。
眼の前には花壇。エリーの邸宅。玄関近くの花壇だ。名も知らぬ花が咲き誇っている。素直に綺麗だと思った。
赤い花だった。茎が直立して花を付けている。
昨日、この邸宅を訪れた時から少し気になっていたのだ。普段は花に興味は無いが、たまにはこういうのも悪くない。そう、悪くない。
朝、眼が覚めて。
ヤカとエリーはまだ寝ていた。昨晩、洗面所へ行ったときと同じで、軽くデ
ジャブだった。異なる点を上げれば切りが無いが、夜と朝の違いはかなり大きい。暗く、それ故に広く感じられたエリーの部屋は…………まあ元からかなり大きいが…………昨晩の様に無意味な広がりを感じさせなかった。
2人が寝ているなら、花壇でも見に行こう。そう思い立って、顔も洗わずにここへ来た。
時刻は朝7時。休日なのだからもっと寝ていれば良いものを、こういう時に限って早く起きてしまう。それでも、この花壇を朝の陽射しとともに見られた事は、三文以上の得であると確信できる。
「ふむ…………なんて名前の花だろ」
「サルビアでございます、リコ様」
「……………っ!」
人間、驚きが大きすぎると咄嗟に声が出ないらしい。引きつった空気の掠れが声と言うのなら、それはそうかもしれないが。
とまれ、リコは背後から突然上がった声に、飛び上がりそうな程に驚いた。
慌てて後ろを振り向くと、1メートルと離れていない近距離に、一人のメイドが立っていた。
昨日知り合ったばかりなのに、妙な存在感でもってそこに存在する人物。
エリー専属のメイド、久遠だ。
「く、久遠さん、何やってるんですか?」
「窓を拭いておりました」
この大きい邸宅の窓を拭いていたのだという。そして恐らくは一人で。大きな脚立が彼女の右手に置かれていたので、2階部分も拭いているのだろうか。もしかしたら3階部分も拭いているのかもしれない。脚立では届かないが。とんでもない労力だ。
「気配を消して後ろに立たないで下さいよ」
「失礼しました。お嬢様にも良くお叱りを受けます。 …………お嬢様には途中
で気付かれてしまいますが」
舌を出して、細目を作る。少女の様な仕草だったが、このメイドは一体何歳なのだろうか。少なくとも、その仕草に彼女の年齢的な問題点を見つける事は出来ない。
「サルビア…………。名前くらいは聞いたことあるんですけどね」
「花としては割とポピュラーですから。種類もたくさんあるんですよ? 日本でサルビアと言えば、この…………」
久遠は、手で花壇のサルビアを指して言った。
「サルビア・スプレンデンスです」
その仕草は何処か誇らしげであり、恐らく、いや、ほぼ確実に久遠が育てたのだろう。
「エリーが好きな花なんですか?」
「いえ。お嬢様は、お花と言えばハーブティーの事にしか興味がございませんので」
「ああ…………」
エリーの部屋には紅茶の茶葉がたくさん置いてあった。紅茶の淹れ方にも自分
の拘りが有る様で、やはり紅茶が好きなのだろう。
「このサルビアは、私が個人的に買ってきたものです」
何故? とは聞かなかった。
久遠の瞳には寂しげな色が宿っており、それがエリーの家庭事情を思慮しての事だと、用意に想像できた。
だから聞かない。他人の家庭事情に深く踏み込み、尚且つ上手く立ち回るには、リコはまだ若過ぎた。
久遠はリコに向き直り、笑みを作る。
「お食事はどうされますか?」
「え? えーと…………え? もう出来てるんですか?」
「ええ。厨房係のものが円環邸より本邸へ。30分ほど前に出来上がりまして、何時でもご用意できる状態です」
円環邸とは、おそらくこの邸宅を取り巻いている円状の建物の事を言っているのだろう。そこからわざわざこちらへ移動して食事を用意するという事は、久遠以外のメイドは本邸に待機していないのだろうか。気が付かなかったわけでは無いが、そういえば昨日から、久遠以外のメイドをここで見かけていない。リコ達が気兼ねなく過ごせるように、との配慮なのか、それとも普段からそうなのか…………。どちらにせよ、家が広いのも考え物だ。掃除一つとっても一人では解決し難い。
「えーと、私一人で食べるのも寂しいんで、2人が起きるまで待ってます」
「そうですか。では、御用の場合は何時でもお呼び下さい」
軽く微笑んで、久遠は窓拭きを再開した。花壇の側に脚立を立て、小気味良く上へ昇っていく。
その途中。
服のスカート部分が脚立の出っ張りに引っかかり、グイっと引っ張られた。リコは『あっ』と声を出しかけたが、それよりも早く、久遠のスカートの中から何かが落ちた。
トサッ…………と軽い音を立てて落ちたそれは、僅かに跳ねる事も無く、むしろ地面にめり込んだ。
それは鉄の塊であった。細部まで精巧に作成されており、一種の芸術品でもあった。その用途は暴力的であり、それ故に芸術的な側面を持ちながらも芸術的では有り得なかった。
端的に言うならば、それは銃だった。
「はっ…………?」
間の抜けた声を出しながら、咄嗟にそれを拾う。人の落とした物は、拾って渡してあげましょう。幼い頃からの、教育の賜物だ。
リコは、それを本物だとは思っていなかった。本物であるはずが無いという認識が、当然の如くあるからだ。エアガンか、またはモデルガン。そう思って拾った。
だから、手に持ったそれが恐ろしく重いことに気付き、冷や汗が流れる。手に伝わるその感触は、今まで感じた金属の何よりも冷ややかで淀んでいた。
本物…………?
今ひとつ確信に至らないのは、本物の銃器に触れたことが、幸いな事に無いからだ。
「申し訳ございまぜん。私とした事がお客様の前でとんだ粗相を」
久遠が脚立から降りてきて、その、本物かどうかリコには判断が付かない鉛色の金属をさっと取った。
粗相をしているのは私にじゃ無くて法律にでは無いだろうか。
「あの、久遠さん。それ…………」
「これは1911、古くはフィリピンの先住民に対抗す…………ただの鈍器です」
なにやら良く判らなく、とても長くなりそうな事を言い始めそうだった久遠は、途中で何かに気付いて強引に話を纏めた。
鈍器て。
「それでは、私は仕事がありますので」
久遠は、リコの中ではすでに本物と確定したその銃器を太もものベルトにしっかりと装着し、再び窓拭きを始めた。
「……………………」
まあ、世の中色々あるものだ。
そう自分を納得させて、邸宅に戻った。
廊下を歩いて、エリーの部屋へ。ここ一日で、とても良く歩いたような気がする。家が広いと、健康的にもなれるのかもしれない。しかし、現実的に考えればそれも難しい様な気がする。
部屋に入ろうとすると、テラスに出て紅茶を飲んでいるヤカとエリーの姿が見えた。
なんだ、2人とも起きているじゃないか。しかも、珍しく穏やかな表情で話してなどいたりする。 よし、それならばまず、顔を洗ってこよう。そして、2人が起きたのなら朝食だ。
部屋をスルーして、洗面所へ向かう。
洗面所までの行程は、昨日は暗かったので妙な感じがしたが、今は明るいのですいすいと。
その廊下の途中。ふと立ち止まる。
横を向けば、そこにはドアがあった。
古ぼけた、あるいはアンティークなドア。ステンドグラスと円形の紋様が目立っている。
昨日、やはり気になって立ち止まったドアだ。
「…………………………」
リコは…………気が付いたらそのドアノブに手をかけていた。
開けなければならない。
開けるべきだ。
そう、自分に言い聞かせるでも無く…………ほとんど反射的に、それが正しい事だと絶対の自信を持って。
リコはドアを、開けていた。
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物語の核心部分のパート3です。