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あさきゆめみし ~出産騒動?~
午後三時。
鍛錬と仕事と勉強の合間に見出すひと時の癒しの時間。
決してサボっているとかそういうわけではない。次の仕事へ向けての気分転換ってやつだ。
そう自分へ言い聞かせる。
大きく息を吸って、お茶の香りを楽しむ。
今日はちょっと奮発して、普段より高いお茶を使ってみた。やはり香りは格段に良い。
「肝心のお味は・・・」
一啜り。
甘さとほのかな渋み、苦味が口の中でほどよく広がる。
もう一啜り。
今まさに、俺の舌の上は桃源郷。
喉を通るお茶の熱に、体がじんわりと温まる。
・・・良い日だ。
「極楽極楽・・・」
と。
「一刀ー! 生まれるよ!」
蹴破るような勢いで、俺の部屋に飛び込んできたのは小蓮だ。
俺は黙ってお茶を啜る。至福のひと時だ。
「・・・で?」
おそらく、今の俺は縁側で日に当たりながらお茶をすする老婆のような目をしていることだろう。
「だー、かー、らーっ! 生まれるんだって!」
落ち着け小蓮。主語が抜けている。
俺の呆れ顔を見て、小蓮がばたばたと腕を振る。
「ああもう! なんで一刀がそんなに平然としてられるのよ! 早く来て!」
腕を引かれ、俺はずるずると部屋から引きずり出される。
日頃からやんちゃをしているだけあって、もの凄い力だ。
地面や扉に俺をぶつけながら、小蓮はずんずん進む。
「生まれる」と聞いて色々と心当たりがないわけではない。
背中を嫌な汗が伝う。アレか・・・いや、むしろアレのことか?いやいや、流石にまだ早・・・。
何はともあれ・・・厄日だ。
いや、生まれるっていうんだからおめでたいには違いないんだろうけど。
俺が小蓮に連れてこられたのは厩舎だ。
・・・正直、安心というか拍子抜けしたのは言うまでもない。
そこには既に呉の面々が勢揃いしていた。
何かをぐるりと囲うようにして皆がしゃがみ込んでいる。
輪に向かってゆっくりと近づく。
「あの・・・何を?」
俺がおずおずと問いかけると、小蓮は口に指を当て、静かにするように伝えてくる。
脳内に疑問符を浮かべつつ、再び歩を進める。
外側からゆっくりと輪の中心を覗き込む。
そこには、生まれたばかりの仔馬とその母馬が横たわっていた。
まさに今生まれたばかりなのだろう。
目はまだ閉じられていて、懸命に手足をバタつかせている。
何度も立ち上がろうとして、そのたびに足が挫ける。
けれど、決して諦めず、身をよじり、何度も立ち上がろうとする。
聞いたことがある。
馬の仔は生まれてすぐ立ち、外敵から無防備な身を守るためにすぐに歩けるようになるのだという。
だが、生まれたばかりの仔が、そんなに簡単に立てるはずがなくい。
仔馬はなんども泥の中に倒れ、その中で必死に立つ術を学んでいた。
俺にはその景色はとても泥臭く、けれど神聖なものに見えた。
皆にも同じように見えているのだろう。
声なき声援を送り祈る。だが、手は決して出さない。
それは決して仔馬のためにはならないからだ。
――だから、孤軍奮闘の末仔馬が立ち上がった時、俺達は我を忘れて手を叩き合った。
「いいものが見られたでしょ」
小蓮が薄い胸を張る。
俺達は、厩舎を離れた中庭に集まっていた。
「一刀ももう少し早く来れば、出産の光景も見られたのに」
「そうだな。出来ればもう少し早く連絡が欲しかったよ」
俺も雪蓮に同意する。
出産のシーンも一度は見てみたい。また違った感動があるのだろう。
「何度見ても、感動ですよねぇ・・・」
頬を興奮で染め、穏がうっとりと呟く。
馬は戦場では欠かせない友だ。
呉の将は馬の出産を出来るだけ見に行くようにするのだという。
その馬が、今後自分の運命を左右するかもしれないからだ。
思い思いに感動の余韻に浸る。
辺りが穏やかな雰囲気に包まれる。
その雰囲気そのままに明命が小さく呟く。
「・・・私も子供が欲しいです・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
場の空気が凍り付く。
・・・・・・明命。それを俺の世界では『爆弾発言』っていうんだ・・・・・・。
うつむいていた顔をおそるおそる上げると、案の定、そこには俺を睨み付ける数多の視線。
例のごとく声を殺して笑うのは祭さんと冥琳。・・・アンタら、たまには助けてくれ。
「そうねぇ・・・一刀は呉の種馬だものね」
雪蓮が微笑む。いや・・・声が怖いんですけど。
「・・・その、私は、一刀様が良け、れば・・・・」
うん、亞莎。ここは、この状況を鎮めるような一言をお願いしたい。
「ほう・・・北鄕は蓮華様を選ばないと・・・」
殺気を身に纏うな、思春。
そんなこと一言も言ってないから。
「一刀はシャオの夫なんだから、皆は手をだしちゃダメーっ!」
そこで小蓮が勢いよく立ち上がり、叫ぶ。
その身勝手な台詞のせいで、何回俺が苦しめられたことか。悪い気はしないのだけど。
「こら、小蓮。そんなの一刀は認めてないのだから不公平というものよ!」
蓮華もテーブル立ち上がる。場が一気にヒートアップする。
「・・・待て、蓮華」
俺は収拾をつけるべく、口を開いた。
ここはまず、数少ない常識人である蓮華に平静を取り戻させて・・・
「な、何? か、一刀がやっぱり小蓮のほうがいいというなら、私が引くのもやぶさかではないけれど・・・」
「貴様ああぁぁぁぁぁっ!」
はい。火に油を注ぎました。
思春、ちょっと頭冷やしてくれ。頼むから。
「そうね・・・優柔不断な一刀にも、そろそろ決断の時が迫ってるのかしら」
そう言って雪蓮もゆらりと立ち上がる。
正妻を決めろ、と何度も祭さんに言われていた気がする。その度にのらりくらりと躱してきた俺だったが・・・・。
皆の背後にはめらめらと燃えるのは嫉妬の炎・・・だろうか。
それに跡形もなく焼き殺される前に、俺は全力でその場を逃げ出した。
「はぁ・・・はぁ・・・ここまでくれば、もう大丈夫か・・・」
俺がやってきたのは中庭。
今ごろ、皆が城中を探し回っていることだろう。
だが、まさか俺が再びここに戻ってくるとは夢にも思うまい。
泥棒は現場に戻るって言うからな。・・・・・・・あれ?
植え込みの陰に身を潜める。
ここに逃げ込むのは都合が悪くなった時の常套手段だ。
俺はほっ、と息をつく。
直後、首筋にひやりと冷たい感触が走る。
「で・・・誰を選ぶのかしら」
ゆっくりと振り向く。
そこには刀を構え、冷ややかな目でこちらを見下ろす雪蓮。
「な、何のことだ?」
俺の苦し紛れの言い逃れ。
「・・・冗談よ」
それに冗談とも本気ともとれないため息をつき、雪蓮が刀を収める。
―――そして、ただでさえ狭い植え込みにその身を滑り込ませてきた。
「ちょ、雪蓮! 狭っ――!」
必死の抗議も、雪蓮は意に介す様子が全くない。
俺の横に三角座りでちょこんと座る。
「へぇ。なかなか良い場所ね」
雪蓮がゆっくりと辺りを見回しながら呟く。
「・・・狭いだけだと思うけどな」
「その分、くっついていられるでしょ?」
小首を傾げて可愛く笑う雪蓮。・・・全く、反則だ。
そんな顔をされたら、出てけなんて言えないじゃないか。
「そうか?」
そうとぼけて言ってやると、ムキになって身体を押しつけてくる。
・・・ある意味至福の一時ではある。苦しいけど。
それにしても、間近で見ると本当に雪蓮は綺麗だ。
均整の取れた顔に、くっきりと浮き出た鎖骨。そこから・・・。
「どこ見てるのよ」
額をぴん、と指で弾かれる。
けれど、その顔にあるのは柔らかな微笑。
そして流れる、心地良い静寂。
爽やかな風が植え込みを通り抜け、雪蓮の髪が揺れる。
「ねえ、一刀」
雪蓮がゆっくりと口を開いた。
「今日の馬ね、中々お母さんのお腹から出てこなくてね・・・大変だったのよ。今までに見たことがないくらい長いお産だったの。小蓮に一刀を呼びに行かせたのは、天界の知識に、そういうお産関係のものがあれば何とか助けてもらおうと思ったのよ」
語る目は真剣そのものだ。
「いや、俺はただの学生だしな・・・知ってるのはお産の時の呼吸法くらいだな。そういうのは華佗の方が詳しいんじゃないか?」
ただ、俺にはそれに応える知識がない。
それが、ちょっと悔しい。
「・・・そうね、今度来た時でも聞いてみようかしら」
ちょっと考え込んだ後、雪蓮は続けた。
「この国はね、お産で死んでしまう子供がまだまだたくさんいる。お母さんの方が死んでしまって片親になってしまうことも多くある。でも、城内は違う。医者がいる。今日みたいな場合のための動物の医者だっている。だから、お産の失敗は極めて少ないのよ」
「――絶対的に医者の数が足りないの。これだけ世が荒れていれば、勉学をする機会など滅多にないわ。だから医者の数が少なく、かかるのにも多くのお金が必要。私は、この状況を何とかしたい。安心して子供を産めない世の中に明日なんて、未来なんてない。私が天下統一を狙う理由は数多あるけれど、これはその一つよ」
その決意に燃える瞳を見つめる。
俺は、この意思の、この夢の実現を少しでも助けたいと願う。
いつだって雪蓮が望むのは、本当に皆が笑って過ごせる世界なんだ。
「やっぱり・・・雪蓮かな」
俺が唐突に発した台詞に、一瞬、雪蓮の瞳が大きく開かれる。
だが、俺の言葉の裏に冗談の色を感じ取ったのだろう。
雪蓮が膨れっ面を作る。
「本気にするわよ?」
耳元近くで囁かれ、俺は思わず言葉を失う。
それを見て、雪蓮は悪戯っぽく微笑む。
・・・また一本取られた。
「さて、そろそろ皆の怒りも冷めるころだろうし、帰りましょ?」
雪蓮が立ち上がり、土を払う。
そこに、先ほどの深刻さはカケラもない。
「なんていうかさ。雪蓮は公私混同しないっていうか、切り替えが早いというか・・・隔たりが凄いよな」
俺が呆れたように言うと、雪蓮がこちらを振り返る。
やや不服そうな顔を浮かべているが、そういう自覚はあるのだろう。
「一刀は・・・どっちの私が好き?」
その声はやや小さく、心細げだ。
・・・そんな不安そうな顔するなって。らしくないぞ、雪蓮。
「そんなの」
俺は言葉を紡ぐ。
「―――両方に決まってるだろ?」
そう言って俺は立ち上がり、雪蓮に口を寄せる。
願わくば、拒まれることがありませんように。
そう。
真剣に国のことを憂う雪蓮も。
渋面する俺を見て笑う雪蓮も。
王としての孫策も。個人としての雪蓮も。
どちらも魅力的で、俺の愛する雪蓮に違いないのだ。
~Fin.~
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出オチだったりします。
Ifの雪蓮生存√end。
つまりは続編エンディングです。
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