No.485278

ハーフソウル 第十二話・異形転生

創作歴史と創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。武器戦闘をメインにしてあり、魔術はあまり描いていません。男主人公。7883字。

あらすじ・神の箱庭・西アドナ大陸。古の神をその身に内包した少年セアルは、自らが箱庭を破壊するために作られた存在と知り、神の代行者と対立する道を選ぶ。
アレリア将軍を破り、ガイザック将軍へと対峙するセアル。その時、血月が彼を蝕み……。

2012-09-17 19:59:35 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:509   閲覧ユーザー数:509

一 ・ 異形転生

 

 封印の森を訪ねる一人の男がいた。

 

 精霊人しか知りえない森の入り口をたやすく通り抜け、男は丘の上にある屋敷へと向かう。

 ドアを叩くと、誰何の声と共に人影が現れる。セアルの兄サレオスだ。

 

 彼は一瞬驚いた表情を見せたが、訪問の理由を男に尋ねた。剣を、と男が口にすると、サレオスは彼を自宅へと招き入れる。

 

 夕刻近く、森から一羽の大鴉が飛び立ったが、それに気付く者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 一面を赤く染め上げる血月の輝きに、兵士たちは動揺した。人知を逸脱する現象に士気は下がり、命令系統は混乱する。

 

 総崩れとなった兵士の波を、なぎ払う男がいた。姿かたちはセアルであっても、それはすでに彼自身では無い。血月と同じ色をした瞳を爛々と輝かせ、逃げ惑う歩兵たちを右へ左へと斬り捌く。

 

 ガイザックは何が起こったのかすら分からず、兵に怒鳴り散らすが、まるで効果が無かった。彼らは手に手に武器を放り出し、この地獄から逃れようとした。

 

「お前か。この状況を作り上げたのは」

 

 振り向くと、そこには返り血で染まったセアルが立っている。黒曜石の剣は血に濡れ、頭上から降り注ぐ月光で、その表情は窺い知れない。

 

「バケモノが……」

 

 ガイザックは縛り上げていたレンを、セアルの前へと引きずり出した。

 

「近付くな。近付いたらこの娘を殺す」

 

 そのやりとりに、深淵の大帝となり果てたセアルは高笑いをする。

 

「その娘が何だと言うのだ。そんなものが、この私との交渉材料になるとでも思っているのか。我が存在意義は、命あるものにあまねく死を与える事。生など、ひとときの夢でしか無い」

 

 切り札さえ躱され、ガイザックは焦りを隠せなかった。失神しているレンの喉元に短剣の切っ先を当て、脅しでは無い意思表示をする。

 

 ふいに、深淵の大帝がぐらりと片膝をついた。俯きながら、つまらぬ、と呟いたのが聞こえる。

 

 目を伏せたまま再び立ち上がり、面を上げたその表情は、セアルそのものに戻っていた。

 

「レンを……返せ」

 

 苦しそうな息遣いの中、セアルはそれだけを口にした。

 

 ガイザックは、目の前で起きている事象を飲み込めずにいた。だがこの状況は、自分にとって不利では無い。

 

「返してほしくば、剣を捨てて後ろを向け」

 

 セアルはその言葉に従った。剣を二振りとも投げ捨て、ガイザックに背を向ける。

 その様を見て、ガイザックはレンを放り出した。そしてセアルの背後へと長斧を向ける。

 

 こんなバケモノとまともに戦っても、勝ち目など無い。しかしどんなバケモノにも、弱点くらいはあるものだ。

 

 血月によって視界を狭められ、赤と黒の世界しか認識出来ないようになっていたのが、彼の命運を決めた。

 

 自らの背後に忍び寄る影に気付かず、ガイザックはセアルへと斬りかかる。

 

 ――その時。

 

 レンは無事だ、と声が上がり、セアルは間一髪でその場を飛びのいた。

 

 身を翻しながら両手剣を拾い上げ、ガイザックへと切っ先を向ける。

 

「……何やってんだよ。こんな悪手打ちやがって」 

 

 セアルが振り返ると、そこにはぐったりとしたレンを抱えるラストがいた。レンの縄を解きながら、ラストは呟く。

 

「オレが来てなかったら死んでるところだぞ。……それとも、命を投げ出しても良いと思ってたのか」

 

「……そうかも知れない。でも、お前が来てくれただろ」

 

 セアルの言葉に、ラストは呆れ返る。

 

「お前はホントバカだな。それに命をくれてやったところで、救われる奴なんざいねえよ」

 

 切り札である人質を失った事で、ガイザックは完全に不利となった。統率を失った兵は逃げ去り、この場にいる彼の味方は誰一人として存在しない。

 

 だが今ここで、この亡霊を倒しておかねば。自らの手で殺しておけば、夜毎夢に現れる、デルミナの亡霊に怯えずとも済むのだ。

 

 ガイザックは意を決し、長斧を握り締めた。そして血の色をした月に向かい吼える。

 

「クルゴス様! どうかこの私に力をお与え下さい! 奴らを倒せる力を!」

 

 叫びとも言える請願に、返事をするように何かが輝く。次の瞬間、月がねっとりとした光でガイザックを包み込んだ。

 

 あふれ出る血が凝固するようにそれらは集束し、ガイザックは飲み込まれる。溺死する者が上げるであろう断末魔が、セアルとラストの耳へと響いた。

 

 再び彼らの目の前に現れたのは、ガイザックの死体であるどころか、人の形すら保っていない巨大な異形だった。

 

 全身は剛毛で覆われ、爪は黒く鋭い。赤い顔に毛は無いものの額は狭く、その鼻は大きく膨らんでいる。むき出しの歯は鼻と共に突き出ていた。

 

「まるで猿だな」

 

 ラストの呟きに、ガイザックであったモノは口角を吊り上げ、黄ばんだ牙を見せた。

二 ・ 猿王

 

 その身を巨大な獣にやつしたガイザックは、セアルへとにじり寄った。地に転がる自らの長斧を拾い上げると、そのまま頭上から叩き付ける。

 

 太い柄がしなり空を切った。石床を叩き割った長斧は、飴のようにぐにゃりとひん曲がる。咄嗟に飛びのき、相手の出方を窺うセアルに、ガイザックは剛毛に覆われた拳を握り締める。

 

 駆け寄ろうとしたラストを、セアルは制止した。

 

「こいつは俺がやる。……レンを頼む」

 

 それだけ告げると、セアルはガイザックへと向き直る。

 

 人間だった頃の面影も無く、ただ力で押して来るガイザックには、すでに人としての意識も無いだろうと思われた。

 

「素晴らしい。素晴らしい力だ」

 

 その時、猿の面をしたガイザックが、人の発音で呟き始めた。

 

「やはりクルゴス様は崇高なるお方。その身をもって、人間の本質を体現されているだけはある。この私の願いを叶えて下さるとは」

 

 声を上げて笑うガイザックに、セアルは嫌悪を感じた。

 

「人としての生を代償にしてまで、異形の力が欲しかったのか」

 

「お前には理解など出来ぬだろうが、私は常に望んでいた。ひ弱な人間の殻などいらぬ。全てを蹂躙する力が欲しいと」

 

 ガイザックは強靭な肉体のバネを利用して、セアルへと飛び掛った。黒い爪をむき出し、鷲掴みにしようと迫る。

 

 それを剣で打ち払いながら、セアルはガイザックを捉えようと目を凝らす。深淵の力を宿したままの紅い瞳は、常人を逸する動体視力を彼にもたらした。

 

 猿の動きを確実に捕捉し、体重を乗せた剣を真上から振り下ろす。

 鈍く重い地鳴りと共に、丸太ほどもある右腕が地に落ちる。猿の絶叫とも咆哮ともつかぬ唸り声は、場にいる者を凍りつかせた。

 

「人などに……。人などに私が負ける道理は無い! 護るべきものがない私には弱点など無い! 私は常に強者であり勝者なのだ!」

 

 ガイザックは叫ぶと目を血走らせ、ラストへと突進した。

 

 セアルが追う間もなく、猿は振り上げた左腕を二人へと叩き付けた。衝撃で土埃が舞い上がり、視界が遮られる。

 土埃を払いのけ、セアルはラストとレンの姿を探した。

 

「場外乱闘は感心しねえなあ」

 

 ラストの呟きと共に猿の呻き声が響き、巨躯が膝を折った。

 

 見ると、猿の左目には深々と短剣が刺さっている。ラストが右手に持っていた、櫛刃の短剣を投げたのだ。

 

「高かったんだぜそれ……。でもまあ、冥土の土産にくれてやるよ」

 

 左目に突き立てられた短剣を抜こうと、猿はもがいた。

 

 その間隙を縫い、セアルは跳躍した。

 

 両手剣を振りかぶり、もがく猿へと打ち下ろす。刃は巨躯を真っ二つに叩き斬り、言葉も無いままそれは絶命した。

 

 朝陽が血月に黎明を告げ、陽光に呑まれるように、ガイザックの屍は塵となって消えてゆく。

 深淵の器として消耗しきったセアルも、役目を終えたようにその場へと崩れ落ちた。

三 ・ 罪と妄執

 

 まだ血月が、煌々と夜空に輝き始めたばかりの頃。

 

 塔の最上階に位置する部屋で、宰相クルゴスは悦に入っていた。 

 

 ガイザック将軍とアレリア将軍の様子を王器で確認し、侵入者たちを首尾よく分断出来たとほくそ笑んだ。

 アレリア将軍発案の策は、意外にもその効力を発揮していた。一時期、王器で全く見えなかった事も忘れ、宰相は熱心に銀盤を覗き込む。

 

 王器に集中しすぎたためか、背後の気配に感づくのには時間を要した。

 

「この部屋にあったのか。その王器は」

 

 よく知るその声に、クルゴスは驚き振り向いた。

 

 そこには黒い軍服を纏い、剣を携えた若い男が立っている。編んだ黒髪を垂らし、暗菫色の瞳でクルゴスを見据えている。

 

「貴様はマルファス……。姿が見えぬから眠っているものだと思っておったわ」

 

「そこはお互い様さ。因果な身の上だ」

 

 心の内を読めぬ微笑を湛え、マルファスはクルゴスへと歩み寄る。

 

「さあ、王器を渡してもらおう。嫌とは言えないはずだ」

 

 最古の代行者であるマルファスに対して、最下位のクルゴスには選択権など無い。拒否も出来るだろうが、それは勝ち目のまるで無い勝負を仕掛ける事になる。

 

 クルゴスは意を決し、王器を引っつかみ窓の外へと躍り出た。砕け散るガラスを物ともせず、懐から術符を引き出すと三鬼祇・アマテラスを召喚する。

 翼ある女神を模った式鬼は主を乗せ、その場から飛び去ろうとした。

 

「逃がしはしない」

 

 マルファスもすかさず自らの使い魔を召喚し、後を追った。

 赤く染まる夜空に舞う二つの大きな影は、月に照らされて影絵芝居のように躍る。

 

 突如、地上から怒号が響いた。マルファスがそちらへ目を向けるよりも早く、クルゴスがその声に向かって呟く。

 

「我が忠実なる下僕よ。これまでのお前の働きに、転生をもって報いよう。ゆくがいい。サルタヒコ」

 

 クルゴスの手中から、術符が一枚ふわりと浮き上がる。それは輝ける光弾となって赤い月を撃った。血月は穿たれた穴から地上へと向かって、どろりとした月光を放つ。

 地上からは断末魔が響いたが、どちらも眉一つ動かさない。

 

「貴兄の弟子と我が弟子、どちらが勝つでしょうな」

 

 クルゴスは意味ありげに嗤う。

 

「人は玩具では無いよ、クルゴス。お前も元は人間でありながら、どうしてそこまで人を弄べる」

 

「その言葉、お返ししますぞマルファス様。貴方も自らの望みのためにお膳立てをし、人間どもを扇動されておられる。言うなれば、我々代行者は犠牲という名の土台に建つ楼閣。そこには善も悪もありますまい」

 

 それだけ言い捨てると観念したのか、クルゴスは皇帝の間にある、巨大ホールのバルコニーへと舞い降りた。マルファスも続いて降り立ち、ホールへと足を踏み入れる。

 数百人は収容できるであろうホールには、人影は無かった。ステンドグラスに覆われた高天井は、血月の輝きで深紅に染まっている。

 

「十年前と同じ場所で、決着をつけようというのか。ならばお前の好きにするがいい」

 

 マルファスはすらりと剣を抜き放つ。細身の剣は、月光に反射して艶やかに色付いた。

四 ・ 明けの明星

 

 真っ赤な月光を背に、クルゴスは三鬼祇・ツクヨミを召喚した。

 翼ある女神アマテラス、金色の弓はずに弦を張ったツクヨミを見やり、マルファスは不敵に微笑む。

 

「お前も変わりばえしないね。そんなもので、僕に対抗出来ると思っているのか」

 

「勿論、これだけではありませぬ」

 

 肉薄い頬を引き上げ笑う骸骨は、さらに二枚の召喚術符を取り出した。

 

「マガツヒ。ミカボシ。参れ」

 

 名を呼ばれた古き神は、符を依り代として現世に顕現した。黒の翼に星の冠を載せたミカボシは、その輝きに表情すら窺えない。対するマガツヒは、朽ちた骸に似た巨体を引きずり、禍々しい怨念を纏っている。

 

「これは随分と集めたものだ。東アドナの古神をこれだけ従えるのは、さぞかし苦労があったろう」

 

 マルファスの皮肉にも、クルゴスはただ睨め付けるだけだ。

 

「あの女を引き渡した今、あとは貴様を消滅させれば、シェイルード様から冠の王器を譲り受ける事が出来るのだ。王器のためならば、何でもするわ」

 

「あの女とはデルミナの事か。彼女は驚くほどシェイローエに似ていたから、シェイルードが執心するのも無理はない。だがお前のその浅はかさが、全ての悲劇を生んだ」

 

 そう言うが早く、マルファスは抜き放った剣を真横になぎ払う。空を引き裂く一閃は、さながらたなびく紫雲に見える。

 たった一薙ぎでツクヨミは両断され、その場に崩れ落ちた。

 

「一応訊こう。お前の望みは『王に復讐する事』か。それとも『王に認められる事』か」

 

 マルファスのその問いに、クルゴスは乾いた笑いをこぼした。

 

「それを知ってどうなさるおつもりかな。もうフラスニエル様は、この世にはいない。消滅など叶わぬ」

 

「だが統一王の再来と言わしめたラストールなら、それも可能と僕は見た。もしラストールの生死が僕の消滅に関わってくるとしたら、お前はどうする?」

 

 その言葉にクルゴスは、ハッとマルファスを見た。

 

「僕はラストールを次代の王にしたいと思っている。もしあの子の死が、僕の消滅の鍵だとしたら。お前はこの賭けに乗るかい」

 

「お互い消滅を賭けた大博打という訳ですかな」

 

 ミカボシとマガツヒを繰りながら、クルゴスは微笑する。

 

「だがその手には乗りますまい。貴兄が分の悪い賭けなど、持ち出して来るはずがない。マガツヒよ。マルファス様を眠りにつかせるのだ」

 

 黒い闇を纏った凶神は、鈍重な足取りでマルファスへと進み出た。両手、両足を太い鎖で繋がれ、顔を白い布で覆われたその風貌に、常人なら昏倒してしまうだろう。

 

 マガツヒにまとわりつく瘴気は色濃く、剣では払いきれない。

 

 マルファスは術符も無しに、詠唱を呟いた。顕現した青白い炎は輝きを増し、不浄な黒い霧を一瞬にして焼き払う。

 炎が全て燃え尽きる前に、彼は剣を振るった。その優美なる刀身に似合わず、剣はマガツヒの巨躯を鎖ごと斬り倒す。

 

 地鳴りにも似た振動と共に、マガツヒは倒れ塵芥と消え失せた。

 召喚術符にすら戻れぬほどの破壊力を加えられ、呪縛から解き放たれたマガツヒは、元いた彼の世界へと戻って行く。

 

「残るはミカボシか。明けの明星と謳われた輝ける者。この世に二千年間存在した僕でも、この目で見るのは初めてだよ」

 

 感嘆のため息をもらしながら、マルファスはミカボシを見据えた。

 冠の輝きで逆光になっているために、その表情は読み取れもしない。ただミカボシの手にする七星杖刀が、その力量を油断ならぬものと示している。

 

 先に動いたのはマルファスだった。自らの剣を構え、ミカボシへと斬りかかる。

 それに対しミカボシは杖刀を抜き放つ。杖拵えの刀身は鋭く、マルファスの動きを正確に捉える。

 

 剣を持った右腕を庇い、マルファスは右側へと跳んだ。代行者の身体能力をもってしても、ミカボシの斬撃を躱しきれず、その刃は彼の左腕を吹き飛ばした。

 

「そうだミカボシ。マルファス様を倒すのだ!」

 

 クルゴスは自らの優勢に狂喜した。手許にある王器の存在も忘れ、ミカボシへと注目する。

 

 その一瞬をマルファスは見逃さなかった。

 

 剣を手に、クルゴスへと一気に距離を詰める。予想だにしない動きに、クルゴスはとっさに銀盤を盾にした。

 王器は巨大な鎖さえ断ち斬る刃を、たやすく弾き飛ばす。

 

「さすがは王器。術だろうが刃だろうが反射するだけはある」

 

 剣を弾き返した事で、クルゴスは銀盤を差し出す格好になった。マルファスは素早く剣をくわえると、残った右手で銀盤を取り上げた。

 

「お前の負けだ、クルゴス」

 

 王器と剣を手に、マルファスは凍りつく笑みを骸骨へと見せた。

五 ・ 弑神の剣

 

 左腕を落とされながらも、右に王器と剣を抱え、マルファスは十小節以上に及ぶ詠唱を口にした。

 

 詠唱の終了と同時に辺りは灼熱の炎に包まれる。地獄の業火は亡者の悲鳴を上げて、灼ける大地に立つアマテラスとツクヨミ、そしてミカボシを覆い尽くした。

 

「これは、創世神話にある『審判の炎』。何故、貴様ごときがっ……」

 

「文献すら失われた術があったとしても、僕の中にはそれらが生きている。世界の均衡を崩しかねないものは全て、僕が冥府まで持って逝こう」

 

 すでにツクヨミは灰燼に帰し、クルゴスはミカボシを符に戻してアマテラスを浮上させた。

 

「覚えておれ……。次にまみえる時こそ、貴様の最期だ」

 

 クルゴスの捨て台詞をマルファスは冷たい微笑で返し、その飛び去る姿を見送る。

 

 ふと彼は懐から符を取り出した。一言囁くとそれはカラスの姿となる。

 小さな使い魔は主人の命令を承ると、夜空へと消えていった。

 

「シェイルードの許へ逃げ帰るがいい。次に会う時こそが、お互い最後だ」

 

 

 

 

 炎の勢いが終息した後には、一面に焼け焦げた床と灰だけが残った。

 

 マルファスがその場を後にすると、廊下にある柱の陰に長衣の男がいた。白金の髪をさらりとまとめ、マルファスの方を見るでもなく呟く。

 

「……左腕を損傷したのか。まるで十年前の事柄を見ているようだ」

 

「平気さ。この程度ならすぐ再生する」

 

 マルファスが右腕に抱えた王器と剣を、男はちらりと見やった。

 

「その剣をどうするつもりだ。弑神の剣を貸して欲しいと訪ねて来た時は驚いたが、お前が使う訳でもないだろう」

 

「さすがに僕でもこれからの状況は読めないから、念のため手許に置いておこうと思ってね。出来れば使わないに越した事はないけど」

 

 剣は取り立てて装飾も無く、一見ただの骨董品だ。だがその抜き身は青白く発光し、清浄なる輝きを放っている。

 

「弑神と呼ばれたエレナスが、親友を殺めた神殺しの剣。そんなものが再び持ち出される日が来ようとは。歴史は繰り返すのか。それとも……」

 

 男は言葉を継げなかった。

 

 黙り込んだ彼を見るでもなく、マルファスが口を開く。

 

「それよりも夜が明けたら忙しくなるよ。今回の血月は、キミの弟が呼び寄せたものだ。あれだけの力を解放して無事でいるとは思えない。けが人も多そうだし、医術の心得がある者がいないと話にならないからね」

 

「セアルが……」

 

 男は消え入るような声で呟く。

 

「セアルとラストールがクルゴスを追うつもりなら、その時は僕も同行しようと思っている。僕だけにしか出来ない事があるから」

 

「……セアルを頼む。どうか、生きて帰ってきて欲しい」

 

「分かっている。家族を失う苦しみは、僕自身がよく……知っている」

 

 バルコニーから差し込む月光は次第にその色を失い、白み始めた太陽が覗き込む。陽光は深紅の澱みを洗い流し、血月に巻き込まれた者たちを清浄な世界へと引き戻す。

 ふと見ると、マルファスの左腕は何事も無かったように再生し、元へと戻っていた。

 

 セアルたちを探すために、二人はその場から離れ、外へと向かった。


 
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