No.472164

【第4回同人恋姫祭り】 孫呉城内にて

y-skさん

寝苦しい夜が続くこの季節に、いよいよ開催されました第4回恋姫同人祭りへの投稿となります。
テーマは怪談。正にぴったりです。
無駄に長く、怪談としての出来もいまいちですが、踊らなきゃ損損なんて言葉もありますので一つ、挑戦させて頂きました。

有名所で申し訳ありませんが、おすすめ作品を。

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2012-08-18 23:39:47 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:4171   閲覧ユーザー数:3574

暑い。

 

ただ、立っているだけでじんわりと汗が滲む。

全ての窓を開け放ち、最も風通しを良くしたこの玉座の間ですら、この熱気なのだ。

他の所は推して知るべしであろう。

 

いつものように、呉の、武官、文官がほぼ揃い、朝議が行われていた。

ほぼ、となっているのは、水浴びをしてくる、と、一名ほど欠席しているためである。

位を退いた彼女は、空を流れる雲よりも自由であった。

 

この場で話されるのは、街の治安、穀物の収穫高、漁獲量、河川の整備、エトセトラ、エトセトラ。

何れも、重要な事柄ではあるが、毎度毎度お馴染みの議題であり、世の中も平和とくれば若干、食傷気味なのは否めない。

そこに、この暑さも相俟って、どこか締まらまい雰囲気が辺りを覆っていた。蓮華ですら、その瞳には力がない。

無論、自身を含めて、である。

むしろ、この中では俺が一番、暑さを感じているのではないだろうか。

正式な会議の場である、朝議には服装を正して望まなければならぬ。常識である。

しかし、俺の正装というと、フランチェスカの学生服となる。

この暑さの中、ボタンを外す訳にもいかず、だらだらと汗を流していた。

世の中には、クールビズというものがある。その時勢に則り、ワイシャツを夏の正装としても良いのではないだろうか。

 

ごほんと、咳払いが聞こえた。

そちらに目を向ければ、美周郎が涼やかな眼差しを放っていた。

それに、各々が居住まいを正す。

彼女も、暑さを感じていないはずは無いだろう。その証拠に、額には、玉のような汗が浮かんでいた。

それでも、集中を切らさずにいるのは、流石というべきに他にならぬ。見習わなければならないことだろう。

 

その後は、粛々と会議が進められた。張り詰めた緊張感が辺りを包み込み、蓮華の瞳にも輝きが戻る。

先程までは滞り気味であった議題が、流れるように処理されていく。

最後の懸案も、無事に消化し、自然と全員の目が蓮華へと向かう。

その視線を受け、彼女は口を開いた。

 

「他に、何か報告すべきことのある者は、あるか。」

 

蓮華が、居並ぶ家臣を見渡す。最後に、その瞳は冥琳の元で止まった。

彼女――冥琳が頷く。

 

「ならば、本日の――。」

「あのぅ、蓮華様、宜しいでしょうか……。」

 

おずおず、といった様子で、明命が手を掲げ、問いかける。

普段の、溌剌とした彼女には、似つかわしくない挙動であった。

 

 

「何かしら?」

 

「えっと……。そのぅ。」

 

明命が言い淀む。

やはり、珍しい光景であった。

周囲の人間も、何事かと彼女を注視している。思春の瞳が、揺らぐ。彼女だけが、僅かに心配そうな面持ちであった。

明命の様子に、何か思うところがあるのだろう。二人の関係は、友人であり、共に競い、高め合う良きライバルでもある。

思春と、目が合う。彼女は、何事も無かったように、その表情をいつもの仏頂面へと戻した。

相変わらず、素直じゃない。

彼女から、明命へと視線を移す。

明命は、胸の前で、もじもじと両手を合わせている。何度か、口を開こうとするも、音を発するまでには至らない。

余程、言い難いことなのだろうか。

そんな彼女の様子に、痺れを切らせたのか、一人の武官が声を上げた。

 

「ええい、まどろっこしい奴じゃの。言わねば終わらんではないか。ほれ、さっさと吐いて楽になってしまえ。」

 

祭である。

形の良い眉を、歪ませ、苦虫を潰すような表情で言い放つ。

その言葉に、明命は、あぅぅ、と声を漏らした。

しかし、祭の言うように、黙っていてどうにかなるのものではない。

明命は、覚悟を決めたのか、背筋をぴんと伸ばす。瞳にも強い意志が感じられた。

そして告げる。

 

「一部の兵たちの間に、良くない噂が流れております。」

 

緩みかけていた空気が、再び張り詰めたものへと変わる。

国を形成するものが、民なのであれば、軍を形造るものは兵である。

だからこそ、各国の軍規は厳格に定められている。

そして、この呉の国に関しても、それは例外ではない。

兵の動揺は、規律を、やがては軍全体を脅かす要因ともなり得る。

良くない噂とは何か。

皆の言葉を、蓮華が紡いだ。

 

「それが……。何でも、化け物が出る、と。」

 

「化け物だと?」

 

声を発した冥琳の表情は、怪訝なものへとなっていた。

他の家臣達も、一様に疑わしげな目を、彼女に向ける。

そうした視線に、ばつが悪くなったのか、明命は力なく頷いた。

 

「はい。古い倉庫近くの方から、夜な夜な声が聞こえると、報告がありました。」

 

「調べては、みたのか?」

 

こめかみに指をあて、周瑜が問う。

 

「一通りは。ですが、私は一度も、その声を聞くことがありませんでした。」

 

「それならば、兵たちの聞き違いではないのか?」

 

玉座から、声がかかる。

蓮華の言葉に、幾人かが同意を示す。

 

「その可能性は高いでしょう。私自身も、そう考えています。

 しかし、近頃、こういった報告が増えてきましたので、一応、蓮華様のお耳に入れておいた方が宜しいのではないかと思い、

 発言させて頂きました。」

 

「それは……。声だけなのでしょうか? 姿を見たという方は?」

 

黙り込んだ、蓮華に代わるようにして、亞沙が口を開いた。

近視のせいだと、鋭い光を放つ眼差しが、真っ直ぐと明命に注がれている。

目には映らぬ、何事かを見極めんとするかのようであった。

 

「いいえ。何名かが、その周囲を捜索したそうなんですが、何も見つからなかったそうです。

 中には、姿が見えていないにもかかわらず、すぐ側で声を聞いたという者もいるようでして。

 そのせいか、化け物の正体は幽霊だ、と、言い出す兵も現れる始末です。」

 

 

「幽霊、じゃと?」

 

祭は、呆れ果てた様相であった。

無理もない。化け物というだけでも、凡そ信じ難いのに、幽霊ときた。

余りにも、非現実的過ぎる。

これなら、まだ化け物の方が信憑性があるというものだ。

大熊猫とか、虎とか。

それなれば、いざ、蓋を開けてみれば、なんてこともなかったという結末で済む。

 

「幽霊って、あの、死んだ人たちが未練を残してー、ってやつ?」

 

くりくりと、大きな瞳を盛んに動かしながら、孫呉の末姫が言う。

彼女の言葉に、明命は頷いた。

 

「そんな馬鹿な話があるものか。未練を残す度に、幽霊などになっとったら、今頃、生きている人間より増えているじゃろうに。

 それこそ、赤壁や官渡では、死者の都となっていてもおかしくないわ。」

 

その言葉を受けたからか、亞沙が、ぽん、と手を打つ。

 

「そういえば、一時期、赤壁に祭様の幽霊が出る、なんて噂もありましたね。」

 

初耳であった。

思わず、祭の方へと視線を向ける。

 

彼女は、最早、開いた口が塞がらぬようであった。

何をかを言いかけるも、諦めたかのように、その瞼を閉じる。

そして、こちらに聞こえる程までに大きな溜息を溢し、やれやれと呟いた。

 

「まぁ、祭殿の幽霊はともかく――。」

 

肩を、小さく震わせながら、冥琳が言う。

くつくつ、と微かに笑う声が漏れ聞こえていた。

不満そうに、祭は顔を歪ませる。

 

「そんな話は、一切、儂は聞いたことがなかったんじゃが。

 そうした噂を収集していなかったのは、大都督殿の不手際なのではないか?」

 

「何、耳に入れる程のことではないと、判断したまでですよ。

 噂の出所は、主に魏の兵のようでしたし、今後のためにも、祭殿には大いに力を貸して頂いただけのことです。

 形はどうであれ、ね。」

 

今度は、声を抑えずに笑った。

 

「……この、性悪め。」

 

悔しそうに吐き捨てた祭の言葉を、冥琳は、褒め言葉です、と受け流した。

二人の間に、不穏な空気が流れるが。

別に、彼女たちも本気でやりあっている訳ではないだろう。

それでも、亞沙と明命は、おろおろとした様相を呈した。

そんな、明命たちの気も知らず、渦中の一人、祭は、ぷいとそっぽを向いてしまった。

――もしかすると、拗ねているのかも知れない。

ああ見えて、意外と子供らしい一面のある人だ。

 

 

「さて、話を戻そう。」

 

眼鏡の位置を、人差し指で正し。流れるような黒髪を、軽く払った後、冥琳が口を開いた。

 

「城内で、不穏な噂が流れるのは、流石に避けるべきでしょうな。特に、今回のようなものは、質が悪い。早急に原因の解明をすべきでしょう。」

 

「そうね。兵が崩れては、ゆくゆく国が崩れる。明命以外に、そのような報告が上がった者は?」

 

蓮華の言葉に、全員が首を振る。

 

「ならば、明命はこれ以上、噂が広がらぬように、緘口令を。効果は薄いかも知れないけれど、やらないよりはましでしょう。

 他の者は、兵たちに目を配りなさい。少しでも動きがあれば、たとえどんなものでも、逐一、報告を入れるように。」

 

ちらりと、蓮華は冥琳へと目をやった。

冥琳が、然りと頷く。

蓮華も頷き返し、言葉を続ける。

 

「問題は幽霊の方だが……。亞沙、何か案は?」

 

「現状、例の倉庫に調査に赴く以外に、手の打ちようはないかと。」

 

「穏は何かないか?」

 

「そうですね。亞沙ちゃんの言う通りかと。

 もし、加えるのならば、倉庫付近の警戒を高めて、まずは情報を集める、という手もありますが。」

 

「それをするには時間が足りない、か?」

 

「蓮華様の仰る通りです。噂が広がる速さというものは、馬鹿にならないですからね。

 これ以上、兵たちへ無駄な動揺を与える前に、何らかの解決をみせるのが得策でしょう。」

 

「冥琳?」

 

「虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うでしょう。」

 

ただ、と言葉を続けると、彼女は口角を大きくつり上げた。

 

「この城も、虎の住まうと畏れられた地です。果たして、虎の巣穴はどちらか、思い知らせてやるのも一興かと。」

 

「そうね。」

 

蓮華も笑う。

 

「人員は? 兵を出すべきかしら?」

 

「……あれに任せるべきでしょうな。この所、酒を呑んでばかりですので。」

 

冥琳の言葉に、蓮華は酷く、草臥れたような表情を見せる。

そして、小さく口元が動いた。

――姉様、と。

 

 

 

「やっほー。一刀、待たせたかしら?」

 

「いいや。待ってないよ。」

 

仕事をサボりがちとはいえ、当然、雪蓮一人で行かせる訳にもいかない。

最終的には明命、思春、そしてなぜか俺までが同行することとなった。

この面子ならば、別に俺は行かなくてもよさそうなものなのだが。

同行するよう、冥琳と蓮華に懇願されれば、頷かぬ訳にもいくまい。

天の知識を貸してくれ。

彼女たちは、そう言っていたが。

手が空かぬ冥琳の代わりに、雪蓮の手綱を頼む、というのが本音といった所であろう。

 

暗がりの中、先導をする、明命の後をぞろぞろと続く。

隣を歩く、雪蓮は鼻歌を奏でていた。その横顔は、随分と楽しげである。

 

「ご機嫌だな。」

 

「当たり前じゃない。幽霊なんて、中々、お目にかかれる機会はないわよ。」

 

腰に提げた剣を抜き放ち、

「幽霊って、切れるのかしら?」

と、物騒なことを仰る。

 

溜息を一つ付き、後ろへと振り返れば、思春がいつもと同じ表情でいる。

鈴音を片手に提げ、目だけを注意深く動かしていた。

まぁ、何とかなるだろう。

武人としては、一級品の三人である。

例え、化け物が出たとて、少なくとも、彼女たちならば逃げるも可能だ。

問題は、自分自身の安全だが、こればかりは、今更、どうにもならぬことである。

無事に、戻ってこられますように。

そう、願う他に無かった。

 

件の倉庫は、一見、何の変哲もないものであった。

年季が入っているだけで、特に目を引くような点はない。

無論、詳しく調べた訳ではないので、注意して見て回る必要はあるだろう。

 

「さぁ、どうしたものかね。」

 

正直、幽霊なんて話は半信半疑である。

そう簡単に信じられるようなことではない。

そもそも、目に見えぬものを、どう探せというのか。

 

「とりあえずは、倉庫周りの調査といった所でしょうか。」

 

俺の呟きに、明命が答える。

是非もない。

流石に、いきなり倉庫へと踏み込むのは、余り良いとは言えぬ考えだろう。

しかしながら、世の中には、猪突猛進といった言葉があるのも、また事実であり。

不安の種である、元呉王へと目をやれば、思った通りであり、非常に有難くない反応であった。

 

「えー。そんなことするよりも、中に入ってみた方が早いわよ。」

 

口を尖らせ、如何にも不満である、といった顔の雪蓮がいた。

 

「そ、そういう訳にもいかないのです。倉庫内には、どんな危険があるのか、わかったものではありません。」

 

「だから、それを確かめる為に行くんじゃない。」

 

からからと笑う、雪蓮とは対照的に、明命は今にも泣き出しそうである。

縋るような目を、明命がこちらへと向ける。

俺は、溜息をつきたくなる気持ちを何とか抑えこんだ。

 

「なぁ、雪蓮。中の様子が分からないんだ。用心するに、こしたことはないんじゃないか?」

 

「何言ってるのよ。明命が何度か、この辺りを調べてみたんでしょ?」

 

彼女の言葉に、明命が首肯する。

 

「それで何も分からなかったんだから、踏み込んでみるのが一番じゃないの。」

 

そう言って、抜き身の剣を軽く振り回す。

 

「まぁ、ちょっと待ってくれ。明命?」

 

確かに、踏み込んでみれば、一気に真相へと近づけるのかも知れないだろう。

しかしながら、明命が倉庫の中を調べていないはずもなく。

 

「はい、何でしょうか。」

 

「倉庫の中も、調べてみたのか?」

 

「はい。でも、やはりというべきか、不審なものは何もありませんでした。」

 

「だ、そうだけど?」

 

相も変わらず、剣を、手持ち無沙汰そうに剣を弄っている雪蓮へと目を向ける。

 

「この前は何もなくても、今は違うかも知れないでしょ? 倉庫の中のことなんて、扉を開けてみなければわからないわ。」

 

「確かにそうだけどな。ただ、俺の身の安全も考えて貰いたいんだけどね。

 雪蓮くらいに強ければ、それで問題ないのかも知れないけど、俺なんかは不安で仕方ないんだよ。」

 

化け物が出る。

信じ難いような話ではあるが、噂が兵に広がった以上、やはり、何らかの要因がこの付近、

あるいは倉庫の中にあると考えるのが自然だろう。

そんな倉庫の中に無策で突っ込むというのは、出来れば遠慮したい。

 

「幽霊なんかなら、まだ、良いんだ。でも、もし、本当に化け物――猛獣の類か? とか、どっかの刺客だったりすると、

 戦えない俺は直ぐにやられちゃうよ。」

 

両手をひらひらと振りながら、おどけてみせる。

彼女は、くすりと笑うも、譲る気は無さそうだった。

 

「あら、その可能性は低そうだけど?

 刺客なら、明命が見落とすはずないだろうし、獣が器用に倉庫の扉を開けられるとは思わないわよ、私。」

 

それを言われると、正直、弱る。

俺も明命がヘマをするとは思っていないし、鍵を使える動物など、あちらの世界でもお目にかかったことがない。

彼女の言うように、可能性は限りなく低い。

しかし、ここは俺も引けない。

ちらりと、明命を見やる。

彼女は、神妙な面持ちで、こちらの遣り取りを見守っていた。

 

「確かに、可能性としては低い。でも、全くない訳じゃないのは、分かってるだろ? 扉を開けてみないと、分からないんだから。」

 

そうね、と頷く。

 

「だったら、迂闊に踏み込むって考えは、懸命じゃないと思うんだが。それに、もし、明命が――。」

 

「明命ほどの者が見落とす刺客ならば、例え雪蓮様といえど、無事に切り抜けられるとは限りません。」

 

続けようとした言葉は、思春に取られた。

彼女は、目を閉じた儘に言う。

 

「何よ。貴女もそっちにまわるの?」

 

雪蓮が、口を尖らせる。

少しだけ、拗ねたような口調であった。

 

「蓮華様から、雪蓮様を頼む、と、仰せつかっていますので。」

 

不満そうな表情を隠しもせず、むぅ、と唸っていたが。

 

「わかったわよ。それなら、さっさと見て回りましょ。明命、行くわよ。」

 

「は、はいっ!」

 

一向に引きそうにない、こちらの様子に諦めたのか、背を向けて歩き始めた。

その後を、明命が小走りに追いかける。

 

「私たちは、こっちを見てくるから、一刀と思春はそっちをお願いね。」

 

ぶんぶんと右手を、それも剣を抜いたままに、大きく振りながら、雪蓮の姿は消えていった。

 

「と、いうことみたいだけど、どうする?」

 

無表情な相棒に尋ねてみる。

彼女は、これみよがしに、息を吐くと。

「取り敢えず、倉庫の周りからだ。せいぜい足手まといにならないようにしろ。」

俺の方を見ることもなく、すたすたと歩き始める。

相変わらず、棘々しいものである。

 

それでも。

「何をやっている、北郷。」

三十歩も離れていない場所で、こちらを振り返り、立ち止まっている彼女の姿を見ると、思わず笑みが溢れる。

やっぱり、素直じゃないな。

そんなことを思いながら、俺は足を早めた。

 

 

倉庫は、どこにでもあるような、直方体をしていた。横十メートル、奥行き十五メートルといった所だろうか。

その壁面は、かっては白く塗られていたのだろう。

しかし、現在では黒く燻んでおり、白、というよりは灰色に染まっている。

表面にはひび割れも多く見られ、分かりやすく年季を感じることが出来た。

 

「掃除をしたりは、しないのか?」

 

前を歩く思春に尋ねる。

 

「どうだろうな。私が知る限りは、そういったことをした覚えはない。

 使ってないとはいえ、中の整理くらいなら、文官がしているのではないか。」

 

そう言って、壁面に手をあて、その表面を撫でる。

彼女を倣うように、手を伸ばした。

ひんやりとした感触を想像していたのだが、思ったよりも熱を持っている。日中の暑さのせいだろうか。

全く容赦のない日差しに、何のやる気も起きなかった今日のことが思い起こされる。

この酷暑が、明日もまた続くと考えると、うんざりとさせられた。

クーラーが、そして扇風機がやけに懐かしかった。

 

「形あるものは、いつかは壊れる。修繕を繰り返すよりは、きっと、新しく作ってしまった方が早いのだろう。」

 

使えるものは、直して、使い続ける。

自分が育った国は、そういう所だった。

思春の言葉とは正反対である。

これも文化の違いだろうか。

 

ぐるりと倉庫の周りを一周する。

結局、これといって不審な点は見つけられずに終わった。

 

「穴でも開いていれば、わかり易かったんだけどな。」

 

そうすれば、潜り込んだ何かがいるという前提で動ける。

雪蓮も、無闇に突っ込むという考えを捨ててくれたに違いない。

 

「そんなものがあったら、それこそ明命が見落とす訳がないだろう。」

 

「それもそうか。」

 

思春の言葉には、呆れが多分に含まれていた。

 

程なくして、雪蓮と明命の二人が戻ってくる。

表情を見るに、その成果は芳しくなさそうである。

 

「そちらは、どうでしたか?」

 

明命の言葉に、首を振って答える。

 

「そうですか……。こちらも、目新しいものはありませんでした。」

 

「まぁ、明命が調べて分からなかったことを、私たちにどうにかなるとは思わなかったけどね。」

 

雪蓮が、お手上げの格好を作る。しかし、その言葉には、どこか楽しげな響きが感じられた。

これは、あれだ。きっと……。

 

「だから、やっぱり踏み込んでみた方が早いと思うのよ。」

 

想像通りの言葉である。

目を、明命の方へと向ける。

彼女は、力なく笑った。

縋るように思春を見る。

瞼を閉じたまま、首を左右に振った。

 

腹を据えるべきか。

 

これ以上、雪蓮を押しとどめるのは無理だろう。

調査に関しても、手詰まりである。

 

「これ以上は、実入りもなさそうだしな。入ってみるしかないか。」

 

「そうこなくっちゃ。明命、鍵を。」

 

「はい。」

 

がちゃがちゃと南京錠に鍵を差し込んでいく。

この時代に、そんなものがあるなんてことは、この際、些細な問題である。深く考えないことにした。

錠が外され、閂が上げられる。

 

「雪蓮。分かってるとは思うけど、充分に注意してくれよ?」

 

「ええ。大丈夫だから、貴方は自分の心配をしていなさい。」

 

「俺の心配も、君がしてくれると大いに助かるんだけどね。」

 

「あら、いつだって、私は貴方の心配をしてるわよ? 勿論、私以外にも、ウチの子たちは皆、ね。」

 

ぱちりと、片目を閉じて微笑む。ウインクは、思春に向けられていた。

つられるようにして、思春を見てしまう。

 

「何を見ている。」

 

「いや、ありがたいことだと、思っただけさ。」

 

俺の言葉に、彼女は鼻を鳴らしただけであった。

 

 

 

軋み声を上げながら、扉が徐々に開かれていく。

埃っぽい匂いが、辺りに充満する。思わず、咳き込みそうになった。

当然ながら、中は暗い。

 

「なぁ、さっきも言ったけど――。」

 

「わかってるわよ。充分に気をつけるわ。貴方は私の後ろに。明命と思春は、それぞれ一刀の両脇に着きなさい。」

 

ありがたいのだが、女の子に守られるというのは、やはり情けない。

見栄を張って、どうにかなるものでもないと分かっていても、胸の奥にしこりのようなものが残ってしまう。

剣を握った所で、自身の頼りなさが薄れる訳もなく。

千に鍛え、万に練る。焦っても、仕方のないことであった。

 

僅かな燭台の明かりを頼りに、倉庫の中を進んでいく。

足の折れた椅子や、底の抜けた鍋、何に使うのかも分からない器具など、雑多なものが所狭しと収められていた。

その何れも、うず高く埃が積もり、床には、四人分の足跡だけがくっきりと残る。

耳を澄ませてみても、自分たち以外の息遣いを感じることもない。

 

「何も、いなさそうね。」

 

雪蓮が、剣の腹で自身の肩を叩く。

先程までの威勢の良さも、すっかりと鳴りを潜め、興が削がれたのか物憂げな表情で辺りを見やる。

物と物の影、棚の下、古ぼけた木箱の中。

思いつく限りに見て回ったのだが、目につくようなものは無かった。

 

「取り敢えず、朝までは様子を見てみるべきでしょう。」

 

緩みきった雪蓮に対し、未だ警戒を緩めることもなく、思春が言う。

 

「まぁ、思春の言う通りよねぇ。私としては、直ぐにでも汚れを流したい所だけど。」

 

誰も彼も、体中が埃まみれである。それだけでも、充分に不快なのだが、汗のせいで黒々とした汚れとなって、こびり付いていた。

軽く払っただけでは、全く落ちる様子がない。

不意に、学生寮に置いたままの本棚が、何故か不安に思えた。

 

「水浴びの時は、一刀も一緒にどう?」

 

雪蓮が、撓垂れ掛かるようにして、腕を絡ませてくる。

しっとりとした熱気が、じわじわと伝わり、広がっていく。

 

「大変魅力的なお誘いだけど、遠慮しておくよ。」

 

明命の視線が冷たかった。

思春の視線が痛かった。

 

「それじゃ、二手に別れましょ。思春と明命は外。私と一刀は中ね。」

 

このタイミングでその組み分けを言うのか。

気温が、一気に下がった気がするぞ。

 

「いえ、雪蓮様は明命と組んで頂きます。」

 

「あら、嫉妬かしら? 倉庫の周りを一回りするだけでは時間が足りなかったかしら?」

 

にやにやとした表情で、楽しそうに、それはもう、本当に楽しそうに小覇王様が仰る。

絡みつかれた腕から、何とか抜けだそうとするも、確りと締め付けられ逃れようがなかった。

心なしか、先程よりも力が増しているようにも思える。

 

「いくら雪蓮様とはいえ、建物の中に種馬と二人きりにすることは危険だと判断をしたまでです。」

 

「なら、そういうことにしてあげる。」

 

口元を、にやけたままに雪蓮は去る。

きょろきょろと、明命は辺りを見渡した後に、その背中を慌てて追っていった。

残されたのは、俺と思春である。当然ながら、空気は重い。

 

「もし、莫迦な真似をしたら、わかっているな?」

 

ちりんと、鈴の音がする。嫌な音だった。

風鈴の音が、何故か無性に恋しくなった。

 

待てども待てども変化なし。

既に、二時間ほどは経っているのではなかろうか。これ程までに、腕時計をしていないことを悔やむ日はなかった。

暗い倉庫の中、只管、神経を尖らせ続けるというものは、非常に辛いものである。

例え、少し前までは戦場に出ていたとて、中々慣れるものではなかった。

無口なもう一人に目を向けてみれば、涼しげな面持ちで佇んでいる。

あれで、集中は全く切らしていないのだから、歴史上の偉人とは何処までも段違いなのだと、改めて思わされるのであった。

その後も沈黙が続く。

もはや、どれだけの時が経ったかもわかない。

暗闇の中は、耳が痛くなる程の静寂で、叫びだしたくなる衝動に駆られる。

そろそろ、限界かも知れなかった。

 

「疲れたか?」

 

誰かの声がした。

水中で話しかけられたかのように、その言葉は酷く不明瞭で、理解するには時間がかかりそうだった。

頭を振り、無理やりに意識を覚醒させる。

脳内に、鈍い痛みが走った。

 

「余り無理をするな。」

 

気が付けば、直ぐ目の前に思春の顔があった。

 

「いや、大丈夫だ。まだ、何とかなるよ。」

 

満面の笑顔を作ってみたはいいが、彼女は呆れ顔である。

その上、思い切り溜息を疲れる始末であった。

 

「そんな状態で、動き回られるとかえって手間が増える。一時程度なら、寝ていても構わん。」

 

「大丈夫だよ。朝まで持つ。」

 

流石に、女の子を立たせておいて、自分一人が眠りこけているというのは、何とも気がひける。

彼女の言うように、寝ていた方が双方に負担が少ないのも、充分に承知している。

それでも、と思ってしまうのは、我ながら浅ましい性格であった。

 

「言っても聞かぬか……。」

 

切れ長の目は、いまや半分ほどにしか開かれていない。

じろりと睨まれる。

少し、背筋がぞくぞくした。何というか、こう、思春がいつもよりも可愛らしく見えるのだ。無論、いつでも非常に可愛らしいのだが。

 

仕方がない。

 

彼女がそう呟くと同時に、腹部に痛みが走る。

細い腕が、臍の辺りに叩きこまれていた。

そのまま前のめりに倒れこむと、思春に優しく抱きとめられる。

暖かく、柔らかく、そして汗の匂いがした。

 

 

目を開けると、しなやかな足が映る。

細身でありながらも、確りと引き締まった筋肉が美しい。

それでいて、柔らかな丸みと帯び、女性らしさを損なっていない。

踵から脹脛、膝の裏から太腿へと流れるように曲線が続いている。

 

これは、良いものを見た。

 

一人、悦に入る。

このまま、目の保養を続けてはいたかったのだが、現状を思い出させるように腹部が痛んだ。

身を捩る音を聞いたのか、彼女が振り返る。

 

「起きたか?」

 

「ああ。どの位だ?」

 

差し出された手を掴み、立ち上がる。

視界には、古ぼけた布が入り込んだ。直接、床に寝かせられていた訳ではなかったようだ。

彼女らしい、細やかで、気づかれ難いような気配りであった。

 

「丁度、一時といった所だ。もうじき、夜も明ける。」

 

そう言われ、辺りを見回してみれば、真っ暗であった倉庫内は、薄い紫色に染め上げられている。

夜のうちには見えなかったが、屋内一杯に小さな埃が舞っていた。

酷く、体に悪そうである。

 

「何か変わったことは?」

 

「特にない。鼾以外は静かなものだ。」

 

「そんなに五月蝿かったか……。」

 

余程、疲れていたのかも知れない。

少なくとも、今まではそんなことを言われた試しは一度もなかった。

それとも、皆、気を使ってくれていたのだろうか。

朝議に、『鼾が五月蝿くて眠れない』なんて議題が挙がらないよう、願うばかりである。

 

「悪かったな。随分と迷惑をかけたみたいだ。」

 

「それは、私の言うことを聞かなかったことか? それとも、鼾か?」

 

口元を吊り上げ、彼女はにやりと笑った。

照れや、恥を隠すように、半ば投げやりに返す。

 

「どっちもだよ。」と。

 

 

唯一の窓から差し込む日差しは、温かなものへと変わり、薄暗かった室内は既に目に痛いほどに明るい。

もはや、得るものはないと判断を下し、外へと出る。

澄んだ空気が、肌にも喉にも心地良い。今まで、埃まみれになっていたのが、馬鹿らしくなる程である。

 

「昨日は、楽しかったかしら?」

 

にこやかな顔で、雪蓮が近づいてくる。

隣には、何故か、酷く憔悴しきった様子の明命が控えていた。

 

「それなりにね。そっちは、何かあったか?」

 

「全然ね。退屈過ぎて、死にそうだったわよ。」

 

「その割には、明命の様子が酷いんだけど……。」

 

「うん、ちょっと暇過ぎてね。夜通し稽古を付けて貰ったのよ。」

 

「そりゃ、ご愁傷様。」

 

明命には悪いが、心の底から、雪蓮と一緒でなくて良かったと思った。

今度、何か差し入れてを持って行こう。

 

「終わってみれば結局、収穫なし、か。」

 

やはり、兵たちの聞き違いなのだろうか。今となっては、他に思い浮かぶものはない。

どうにも腑に落ちないものは残るが、この場は退くしかなかった。

 

「仕方がありませんが、戻りましょうか。」

 

力なく、明命が言う。

数度に渡り調査をするも、これといった成果がないのだ。

責任を感じているのだろう。おまけに、一晩中彼女に付き合っていたのだから、無理もない。

 

「ああ、帰ろうか。」

 

横並びになって歩く。

しかし、その中に雪蓮の姿はなかった。

辺りを見回してみても、それらしい影はない。

 

「雪蓮はどうした?」

 

「雪蓮様なら、水浴びをすると言って先に戻られた。」

 

「そっか。なら、良いんだ。」

 

流石に、城内で呉の王族を見失ったとあっては洒落にならない。

件の噂について調べていただけに、神経質になるというものである。

 

「その、雪蓮様のことなんですが。」

 

思春と話していた所に、明命が口を開く。

 

「雪蓮が、どうかした?」

 

私の思い過ごしかも知れませんが、と前置きをして、明命が言葉を続けた。

 

「違和感がある、か……。」

 

明命が言うには、夜通し剣を合わせていたのだが、いつもと雪蓮の動きが違ったらしい。

違うといっても、些細な所だったそうだ。普段ならば、攻めて来る所で攻めず、逆にいつもと違うタイミングで攻めて来たそうだ。

雪蓮様にも、何か考えがあるのだろう。

明命はそう、結論付けた。

 

「でも、今にして思えば、どこか変なんです。朝まで打ち合って、呼吸一つ、乱さずにいたんです。」

 

「単純に、雪蓮様の体力の方が上だった、という話ではないのか?」

 

「はい。そう考えるのが自然ではありますが……。」

 

そうは言うも、その言葉にはどこか力がない。

 

「まだ、何か気なることがあるのか?」

 

「相手は、雪蓮様でしたから、私も本気でお相手させて貰いました。それでも、あの通り涼しいままだったのです。」

 

確かに、雪蓮は強い。

しかし、いくら強いといっても、果たして、本気の明命相手に息を荒げることなく打ち合うことなど、可能なのだろうか。

視線を思春へと向ける。

彼女は首を左右に振った。

私にも、分からん。

そう、言っているかのようであった。

 

「やっぱり、私の考え過ぎかも知れません。」

 

最後に、明命は努めて明るく言った。

 

その後、口を開く者は居らず、暫し沈黙が続く。

黙々と足を進めるばかりであった。

 

城内への入り口が見えた所で、一人の女性が立っていることに気づく。

 

「首尾は、どうだ?」

 

冥琳であった。

何事もないかのような佇まいではあるが、やはり、その額には汗が滲んでいる。

長い間、そうしていたようである。

 

「残念ながら、何も。」

 

「そうか。」

 

細い指先をこめかみへと伸ばす。

恐らく、彼女の頭の中では、これからどう動くかが、ぐるぐると回っているのだろう。

 

「所で、話は変わるんだが。」

 

不意に、冥琳が言葉を発する。

その表情は、大きく歪んでいた。苦虫を噛み潰す、とは正にこのことなのであろう。

 

「雪蓮を見なかったか?」

 

「あいつ、また、何かやらかしたのか?」

 

彼女は、先に帰ると言っていた。

戻って早々、冥琳が小言を言いたくなるようなことを仕出かしたのだろうか。

相も変わらず、忙しい奴だ。

 

「まぁ、そうなんだが。どちらかと言うと、何もしていないから探している。

 昨日は、迷惑をかけたな。私からも謝っておく。済まなかった。」

 

「いや、もう、俺は慣れっこだからね。今回は、明命の方が大変だったよ。」

 

お互い、慣れたくはないものに慣れてしまったな。

そう言って、冥琳は微笑む。そして、視線を明命へと向けた。

 

「大変だったそうだが、何かあったのか? 内容によっては、私から雪蓮に文句の一つでも言っておいてやろう。」

 

彼女の言葉に、明命はぶんぶんと首を振った。

 

「いえ、夜通し稽古をつけて頂いただけですから……。」

 

「一晩中だと? あの莫迦が……。」

 

額を抑え、大きな大きな溜息を付く。

その表情は、暗澹たるものであった。

 

「それで、いつの話だ?」

 

冥琳が明命に尋ねる。

何ことですか、と冥琳に返した。

 

「一晩中、付き合わされたという日のことだ。」

 

「それなら、昨日のことです。」

 

明命は笑顔を見せるも、昨夜のことを思い出したのか、酷く疲れたものであった。

 

 

仕事をサボるに飽き足らず、明命まで巻き込んだのか、雪蓮は。

 

俺が、想像していたのは、そんな言葉であった。

 

しかし、冥琳の口から紡がれたのは、

「本当に昨日なのか? 昨晩の雪蓮なら、頼んだ仕事にも行かずに、私の部屋に入り浸って酒を呷っていたぞ。」

全く、予想だにしていない答えだった。

 

思春を見る。

その表情から、何を考えているのかを窺い知ることは出来ない。無表情のままであった。

明命へと向ける。

顔全体が、強張っていた。

彼女――明命がぽつりと溢す。

 

「私に、稽古をつけてくれたのは、誰なのでしょうか……。」

 

答えることができない。

俺には、分からなかった。

ただ、唯一分かることはといえば、化け物騒ぎが収まるのは、まだ当分先のことだろうということだけであった。

 


 
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