No.471775

真・恋姫無双~君を忘れない~ 九十七話

マスターさん

第九十七話の投稿です。
冥琳の決死の策略により、風の心理戦を封じることに成功した。地理的優位を保つことで戦況をそのまま有利の状態で運びたい冥琳であったが、その前に曹操軍最強の武将が立ちはだかるのであった。

皆様、お久しぶりで御座います。謝罪と言い訳はいつも通りあとがきにて、あー、江東編は難しすぎてトラウマになりそうです。

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2012-08-18 02:50:18 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5020   閲覧ユーザー数:4249

 

 冥琳が自分を死地へと身を置き、極限まで自分を追い詰めることで生まれた疑似的な十面埋伏の計により、季衣の部隊は包囲網の中に囚われてしまった。だが、その状況においても冥琳は安堵の息を漏らすことはない。

 

 ――程昱はどこまで私の腹を見透かしているのか……。

 

 冥琳が気にしているところはその一点に尽きた。

 

 風の圧倒的なまでの心理戦の強み。冥琳はそこでの勝負を既に捨てているのだ。逆に言えば心理戦に持ち込まれてしまえば、すなわち、風が自分の戦略を見抜き、それを逆手に取るように仕向ければ、この戦の敗北が決定してしまう。

 

 地理的優勢は所有している。

 

 一般的に考えれば、風が状況を把握し、冥琳の策を見抜いて手を打ったとしても、そうしている頃には冥琳は次の手を打てる状況になるのだから、これは絶対に覆ることはない。いくら風が冥琳の心理を読み解いたとしても、物理的に無理があるのだ。

 

 しかし、冥琳はそうは考えなかった。

 

 ――この状況すらも程昱の策の一つかもしれない。

 

 冥琳の頭の中では常に可能性の取捨選択が行われている。どのような状態になろうとも、それを打破する策を構築してなければ、風を相手にすることは出来ないと思っているのだ。一瞬の油断が命取りになり兼ねないのである。

 

 冥琳の風に対する評価は相当に高い。

 

 軍師としての純粋な力は、おそらくは自分の方が上であるという自負がある。自分が風よりも下回っているということを簡単に受け入れてしまう程に、冥琳のプライドは低くはない。それを認めるということは、呉には彼女以上の軍師がいないということを認めるということになるのだ。

 

 だが、相性が極めて悪いとは思っているのだ。

 

 客観的に自分という人物を見つめてみると、感情の起伏が激しく、また敵の行動を探ってから自分の行動を開始するという癖があることを、冥琳は知っていた。そうなると、敵の心情を巧みに操り、自分の戦いに引き込むことを得意とする風は、冥琳にとって天敵とも言える存在なのだ。

 

 ――あやつは化物だ。化物を相手にする以上、私は一寸たりとも己の胸の内を開くわけにはいかない。

 

 そう思うと同時に風に対して如何なる感情をも見せたくはなかった。怒り、憎しみ、怯え、そこから自分の脳裏を覗き込まれる切欠を与えてしまうのではないかとも思う。ただ感情を胸に抑え込んで冥琳は戦場に立っていた。

 

 勿論、風は冥琳のこの戦術に途中から気付いてはいたが、そのときには既に対処の仕様がなく、冥琳の思っているように、この状態を敢えて風が作り出したなんてこともない。風にとっては、痛いところを突かれたのである。

 

 風は戦場の方をじっと見遣りながら、表情には一切出すことはなかったが、心中は穏やかではなかった。飴の棒を握るその手があまりに力を入れ過ぎているために白くなっているところから、彼女がどのような感情を秘めているのか、想像するに容易いだろう。

 

 だが、風はゆっくりと肺腑に入れた空気を外に吐き出す。

 

 今は感情を逆立てているときではない。怒ろうが、悔しがろうが、悲観しようが、それで戦況が変わるわけではなく、とにかく自分が劣勢に立たされているという事実を覆すために頭をフル回転させなくてはいけないのである。

 

 すぐに感情を落ち着けて切り替えることが出来る辺り、風ほど自分の心を上手くコントロール出来る人間もいないだろう。心を落ち着かせようと、焦りを抑えようとすればするほど、人間というのは泥沼に嵌ってしまうものなのだから。

 

 ――それにしても、どうせ周瑜さんは風のことを化物扱いしているのでしょうが、それはとんだ勘違いなのですよー。

 

 と、風は溜息を吐きながら思った。

 

 ――決戦という大舞台。それは全ての兵士たちが死力を尽くして、文字通りに死を賭して力を尽くす場に、本来ならば舞台裏で糸を手繰る軍師が先頭を駆けるなんて、風にとってはあり得ないのですよー。むしろ、それを平然とやってしまう周瑜さんや袁紹さんの方がよっぽど化物だと思うのですけどねー。

 

 軍師というのは臆病な生き物である。

 

 狡猾で、非道で、残虐で、冷酷で、表舞台を彩る将兵たちとは違って、彼らは裏から誰にも気付かれないように手を尽くすのだ。その中には、正義とは程遠い行為や、武人の誇りを穢すようなものまで当然含まれている。

 

 将軍の中には、彼らのそのような行動を忌み嫌い、ときに非難する輩もいる。

 

 だが、軍師たちにとってその非難は名誉である。仮に自分が全員から嫌われる結果になろうとも、軍師たちにとって最も優先する事柄というのは、如何に被害を出さぬように自軍に勝利をもたらすことが出来るのかということなのだから。

 

 彼らは臆病者で良いのだ。

 

 いや、臆病でなければいけないのだ。

 

 それに対して麗羽や冥琳は何の躊躇もすることなく、剣を持って前線に立っているのである。しかも、自らが先頭に立ち、兵士を鼓舞しているのだ。それは飽く迄も将軍や君主の仕事であって、軍師の純粋な仕事ではない。

 

 ――まぁ、そんなことを考えている暇もありませんねー。今は風の負けということにしてあげるのですよー。

 

 風はすぐに自分の敗北を認めた。

 

 しかし、それは戦の敗北ではなく、戦術面において風に得意とする心理戦を封じられたという点で、相手の土俵に立たざるを得ないということである。この状況は風であっても地理的優位という絶対的なものを覆すことは出来ないのだ。

 

 従って……。

 

 とそのときであった。

 

「浮かない顔をしておるな」

 

 風のいる幕営の中に一人の武人が姿を現した。

 

 その顔には平時と変わらぬ傲岸不遜な表情を浮かべ、一つしかない瞳を嗜虐的に歪める、魏の中ではもっとも武人として誇り高い存在。華琳の右腕にして、魏武の大剣と称される春蘭こと夏侯惇である。

 

「……状況は悪い、か?」

 

 その問いかけに風は無言を答えとした。周囲に人がいる以上、不用意に自軍の士気を下げるような言動をしたくはなかったのだ。是と非とも取れるような回答に対して、春蘭もまた無言で頷くだけであった。

 

 だが、春蘭は事もなげに右手に持つ七星餓狼を肩に背負うと、風の瞳をじっと見ながら言葉を紡いだ。

 

「ならば、私に任せよ」

 

 春蘭は前線の状態を正確に把握しているわけではない。流琉の部隊が雪蓮の部隊と交戦中で、冥琳たちの部隊と交戦中の季衣の部隊が劣勢であり、包囲されていることくらいを報告として聞いたくらいである。

 

 風が心理戦を封じられていることや、その劣勢が地理的状況によって生み出されているというところまでは、当然のように春蘭は理解していないのだ。理解出来ないのではなく、春蘭は自分にはそのような細かいことなど理解しても無駄であると判断している。

 

 しかし、春蘭はそんな状態でも、ただ自分に任せろと言った。

 

 かつての彼女であれば、それは単に何の考えもなく、ただ部隊を突っ込ませて自分の力で蹂躙するだけだと言うのみで、桂花辺りからは苦い目で見られるのだが、今の春蘭の表情はそれとは違っていた。

 

 ――そうですねー。風には誰よりも頼りになる春蘭ちゃんがいるのですよー。風がただ一人敗北をしたところで、我が軍は負けることはありません。周瑜さん、まずは緒戦、お見事です。しかし、ここからが本番ですよー。

 

 己の敗北は全ての敗北に非ず。

 

 軍師として、自分は冥琳の格下かもしれない――いや、風の客観的視点からすれば、格下である。力の差は覆すことは出来ない。それを補うための心理戦も完全に封じられてしまい、頼みの綱も断たれてしまった。

 

「……春蘭ちゃん」

 

「む?」

 

 風は静かに立ち上がった。

 

 その瞳には確かな意志と誓いが見える。風の真名が示すように、流れるように揺蕩(たゆた)い、掴もうとする手から滑り落ちる風の心情が、春蘭にははっきりと見えた。そして、風が何を言う訳でもないのに、頷くとその手を取ったのだ。

 

 

 戦場が動いた。

 

 包囲する季衣の部隊を救出するためなのだろうか、本陣から猛烈な勢いで突出する部隊が見えたのだ。冥琳は旗印を確認するまでもなく、それが対江東部隊司令官の春蘭であることを確信した。部隊から放たれる気がこれまでの比ではない。

 

 規模はおよそ三万程度であろうか。虎豹騎という切り札を既に使用しているので、精強な騎馬兵は残っていないのだろう。だが、春蘭が率いているというだけで、彼らの力は数倍に膨れ上がっているような気がした。

 

 ――だがっ! それを待っていたっ!

 

 しかし、冥琳は素早く周囲の部隊に合図を送る。季衣の部隊は飽く迄も包囲しただけであり、壊滅状態にまで陥れていない。それは春蘭であれば、必ず季衣の部隊を救出しに来るであろうと判断したからだ。

 

 そして、それに乗ってきたところを全力で討つ。

 

 三方から固めていた包囲網を一瞬で捨て去る。全ての部隊の進行方向を春蘭の部隊に向けさせ、逆に三方から迎え撃つ。最初からそのつもりであったため、その動きは理路整然としており、包囲されていた季衣の方が呆気にとられてしまった。

 

 季衣に背後を突かれるかもしれないというリスクを背負っても、冥琳は司令官である春蘭の首を取りにいった。さすがの春蘭であろうと、自分を含めた四人の将にいきなり挟撃を受けたのであれば被害を受けるのは免れないだろう。

 

「全軍っ! 迎撃態勢っ!」

 

 剛腕を振るい、戦場を我が物顔で闊歩する春蘭という猛将を相手に、正面から戦うのは本来ならば愚策である。しかし、冥琳は逆にそこに付け込むのだ。敵の反応速度より速く斬り込めば、防ぐのは不可能である。

 

 冥琳、祭、思春、明命の部隊が同時に動く。

 

 祭の部隊が繰り放つ弓矢の雨に続いて、思春と明命の率いる部隊が猛然と襲い掛かる。それで充分に崩すことが出来るであろう。そして、その直後に留めとばかりに自分の部隊が追撃を仕掛け、一気に春蘭の首級を挙げる。

 

 そのような算段だった。

 

 しかし……。

 

 ――くっ! 読まれているのかっ!

 

 雨霰と降り注ぐ矢を、盾をもって防ぎ、更には後続の思春と明命たちも最小限の動きだけで抑え込んでいく。苛烈さはないが、それでも実に見事な動きであった。猪突猛進の春蘭に指示出来る動きではない。

 

 春蘭であれば力で捻じ伏せようとするはずであり――しかも、厄介なのは単純な力だけでこちらを制圧出来る威力を誇ることなのだが、今の春蘭の部隊はこちらの動きを完全に読んだ上での守りの姿勢である。そして、そこには一つの狙いがあるのだ。

 

 ――後ろの騎馬隊との連携も出来ているのかっ!

 

 直後、一瞬のみ呆気に取られていたと思われていた季衣の部隊が、背後から冥琳の部隊に突撃してきた。歴戦を誇る冥琳であったから、即座の判断でそれを受け流すことに成功したが、囲みを突破された上に春蘭の部隊への合流を許してしまったのだ。

 

 ――これ程、こちらの動きを見切っているということは……。

 

 冥琳はすぐに理解した。

 

 春蘭の部隊に風がいるということを。

 

 自身に命の危険が及ぶかもしれないということを受け入れた上で、自分が地理的優位を崩しにきたのである。風がこの場に登場したことにより、手数のみで風を圧倒するという冥琳の策略の成功率は低下してしまったのだ。

 

 しかし、それでも冥琳は口元を歪めたのである。

 

 風がこの場に来たということは、そのまま風が本陣にいたのでは冥琳に勝てないということを宣言したも同義である。すなわち、風はこちらの戦術を見抜いてはいなかったということだ。冥琳はここにきて初めて戦術的に風に勝利したことになったのだ。

 

 だが、それでも問題はないわけではない。

 

 風は自分の身を危険に晒してまでも地理的優位をなくしたのだ。自分とは違い、将軍職の仕事を行わない純粋な軍師である風が、そこまでのことをしたということは、彼女自身が相当の覚悟を持っているということだろう。

 

 ――油断は出来ない……。だが、これで備えるべき事態の可能性は大分絞れるだろう。

 

 風がこちらの動きを看過出来ていなかったということは、おそらくは先の荊州戦のように前もった準備はあまりないということを意味しているだろう。そうなると、冥琳の計算の範囲も少なくなり、戦い自体も敵の裏を突くものから真っ向からの戦いになる。

 

 そこまでを考えた上で冥琳も動き出した。

 

 ここで春蘭を討つ。

 

 そう言わんばかりの鬼気迫る気を放ちながら、春蘭の部隊に襲い掛かったのだ。

 

 その動きを見た風も焦ることはない。

 

 ここまで前線に身を置くことはこれまでなかっただろう。周囲を将校クラスの人間に守られてはいるものの、戦場独特の空気や匂いには過敏に反応してしまう。本陣では滅多に味わうことの出来ないものであった。

 

 ――さすがにこれは堪えるのですよー。辺りを取り巻く感情の渦、兵士たち一人一人の想いが風には簡単に見えてしまうのですよー。何もせずにここに立っているだけで、その波に飲み込まれそうです。

 

 これまで数々の戦いに身を投じてきた曹操軍の精兵たちですら、今回の決戦には並々ならぬ気概を抱いているのだろう。呼吸は深く激しいものになっており、緊張を隠そうとしているのだろうが、その表情に強張りを隠すことは出来ていない。

 

「風、出るぞ」

 

「はい、お願いするのですよー」

 

 しかし、この中で唯一その激情に駆られることなく、普段の声音でそう告げるのは春蘭であった。

 

「季衣っ!」

 

「は、はいっ!」

 

「お前は一度本陣に戻り、軍を再編してから流琉の許へ向かえ」

 

「え、で、でも……」

 

「命令だ。分かったな」

 

「はいっ!」

 

 有無を言わせぬ雰囲気に季衣は返事をしてしまっていた。すぐに自分の部隊を纏めて本陣に向けて出発した。それを確認した上で、春蘭も部下たちに命令を下す。彼女が告げる命令は一つである。

 

 ――全軍、速やかに敵を駆逐しろっ!

 

 その命令に兵士たちは応、と小さく声を出した。

 

 迫りくる冥琳の部隊に対して無策の状態で迎撃を開始した。彼ら春蘭の部隊に所属する兵士たちはどんな相手であろうとも、正面から戦い続ける。動き出す直前、彼らの身体の中で気が膨れだしうねりをあげる。

 

 かつて総勢百万を超す青洲黄巾党を相手取ったときも、数倍の精兵を誇った袁紹軍を前にしたときも、そして、自分たちと同様に王を冠した西涼の餓狼たちと死闘を演じたときも、彼らは一歩たりとも後ろへ退いたりはしなかった。

 

 魏武の大剣、そう評される春蘭の部隊の一員として、この戦いも同じである。春蘭の号令のもと、自分たちは敵兵を屠り、魏王のための道を切り開く。邪魔者を蹴散らすのに、策などは不要である。ただ力で敵を捻じ伏せるのみである。

 

 冥琳も春蘭が再び小手先の戦術を使うとは考えなかった。先ほどの動きは飽く迄も季衣の部隊を救援することだけを目的としたものであり、今度は明らかに自分たちの首を狙っていることがすぐに見て取れた。

 

 あそこに風もいるのであれば、こちらの動きが読まれてしまったのも頷ける。だが、前線という常に死と隣り合わせにある状況であれば、この空気に慣れていない風はおそらく万全の態勢というわけにはいかず、こちらの心理を今までの様に巧みに読み取ることは出来ないはずだ。

 

 また、季衣の部隊が一度下がったことを見て、すぐにその理由にも気付く。一瞬だけ雪蓮が戦っている方向を見遣る。流琉の部隊だけでもおそらく苦戦はするだろう。そこに季衣の部隊まで参戦すれば、さらに雪蓮は苦境に立たされることになる。

 

 自分たちが支える王として、また唯一無二の親友として、自分が雪蓮の横で戦えないことを悔い、すぐにでもそこに駆け付けたいという想いがあるが、今はそうするわけにはいかない。雪蓮もきっとそれを願っているだろう。

 

 ――もう少しだっ! 耐えてくれ、雪蓮っ!

 

 自分に気合を入れて、手に持つ白虎九尾を掲げる。

 

 自分を中心に、祭の部隊が左から、思春と明命の部隊が右から春蘭の部隊とぶつかった。ついに姿を現した春蘭との死闘が始まったのである。それぞれの覚悟を胸に、魂の咆哮が周囲を包み込んだのであった。

 

 

「はあぁぁぁぁぁっ!」

 

 先頭を駆ける一人の女将軍。

 

 逆手に構えた曲刀を縦横無尽に振り回しながら、確実に敵兵の命を黄泉へと送り届ける死神。大振りに見えるその剣の軌道も、そのいくつかはフェイクであり、本命となる斬撃は一太刀で敵の急所を切り裂いていた。

 

 彼女の名は甘寧、真名を思春という。

 

 右側から春蘭の部隊に突撃を仕掛け、次々とその兵士たちを打ち倒していく。だが、それだけの活躍を見せる彼女ではあるが、極めて冷静に努めており、戦闘中にも関わらず絶えずその目は冥琳のいる場所へと向けられる。

 

 ――旗が振られたかっ!

 

「我が隊はこのまま前進するっ! 明命っ! 更に右側へと回り込み、敵を崩せっ!」

 

「了解しましたっ!」

 

 正面からの春蘭の部隊との衝突。

 

 剛腕で知られる彼女が率いる部隊は勢いが凄まじく、並みの部隊であれば一蹴されてしまうだろう。しかし、江東軍の歩兵は精強であり、また冥琳も乱戦にありながらしっかりと戦況を見極め、正確に指示を飛ばしている。

 

 しかし、それでも春蘭の部隊を完全に止めることは出来ていない。

 

 華琳の右腕として旗揚げ当初から従ってきた猛将だけあり、冥琳が多少の揺さぶりを仕掛けたところで動揺することはなく、力技であるが故に簡単に切り崩すことが出来ずにいるのだ。

 

 だからこそ、冥琳の狙いは一つである。

 

 それが、敵の司令官である春蘭を討ち取ることであり、雪蓮が別の戦線を支えている以上、この場で春蘭と戦うことが出来る人間は、江東軍でも指折りの実力を持つ思春であるのだ。明命と共同で春蘭がいるであろう中央部隊へと食い込んでいく。

 

 兵卒程度の実力では思春の動きはほぼ捉えることは出来ないであろう。彼女は春蘭のような力は持っていないが、速度であれば誰にも負けない自信がある。兵士たちがぶつかり合うこの状況を利用して、一気に春蘭の首を落とす狙いである。

 

 思春の鈴音が振られ、また一人血飛沫を上げて地面に倒れる。

 

 その上を何の躊躇もなく踏み越えて、春蘭へ一歩近づくのである。

 

 ――見えたっ!

 

 思春の視界が夏侯旗を捉えた。

 

 猪突猛進な春蘭のことだ、おそらくは正面にいる冥琳の部隊しか見ていないのだろう。その周囲は兵の厚みがあるものの、明命と上手く連携を取りながら、敵陣を崩していく。そして、ついに春蘭自身を射程圏内に捉えたのだ。

 

「敵将、夏侯惇っ! 覚悟っ!」

 

 朱色の具足を身に纏う隻眼の将、春蘭はその声を聞くや否や、まるでそれを待っていたかのように凄惨な笑みを浮かべ、思春に向けて強烈な殺気を放った。それは今にも飛び出そうとしていた思春の動きを一瞬だけ止める程であった。

 

「……っ! 明命っ! 援護しろっ!」

 

 堪らず思春は右方へと回り込んでいた明命に合図を送る。

 

 その声に反応し、春蘭は思春の動きを注視する。だが、それこそが思春と明命の狙いである。直後にどこから近付いたのであろうか、音もなく忍び寄った明命が春蘭の背後から飛び出し、斬りかかる。

 

 援護しろ、とは言葉だけで本命は明命の斬撃である。

 

 そう言われると、援護対象である思春にどうしても注意が向いてしまい、その隙を狙って完全に気配を絶った明命の一撃を避けることが出来ないのだ。思春と明命の文字通り必殺の連携である。

 

 だが相手はあの春蘭である以上、思春は油断することなく、更に追撃の一撃を放つべく春蘭へと飛びかかる。前後からの挟撃、ここで春蘭を討ち取ることが出来れば、間違いなくこちらの勝利であると確信した。

 

 しかし……。

 

「……なっ!?」

 

「……えっ!?」

 

 思春と明命から同時に驚きの声が発せられる。

 

 両名とも江東では名の知られた将軍であり、その腕は各国の将と比べて劣ることはない。しかも隠密行動を常とする二人の斬撃のスピードは、動きを追うだけでも相当の力量が必要であり、完全に見切ることなど出来る筈がないと自負していた。

 

 だが、目の前の春蘭はそれをしてみせた。

 

 身体を九十度反転させ、七星餓狼にて思春の鈴音を受け止めると、反対側の手で明命の魂切を握る手を掴んだのだ。しかも、彼女は隻眼である以上、この態勢では明命の姿が見えているはずがないというのに。

 

「……良い太刀筋だ」

 

 二人の最高の攻撃を防ぎ切った春蘭の表情には余裕すら窺えた。口元を好戦的に歪ませると、思春の斬撃を力で弾き返し、明命はそのまま地面へと叩きつけた。しかも、その後はまるで二人が立ち上がるのを待つかのように、大剣を肩に背負ったまま二人を見下していたのだ。

 

「どうした? その程度か?」

 

 素早く片膝をついて臨戦態勢を維持する思春は、ぎりっと歯噛みした。

 

 春蘭はかつてその姿を見たことがある。だが、目の前にいる将はそれとは別人と思える程である。敵を目前にしたまま、激情に駆られるでもなく、だが、身体の内に滾る炎をしっかりと保つその姿は、自分の王と重なるところすら見られたのだ。

 

 ――この化物がっ……!

 

 内心で毒づく思春だが、先の打ち合いで相手の実力の片鱗を知り、動けずにいた。

 

「そちらが来ぬなら、私の方から行くぞっ!」

 

 更に周囲に膨大な殺気を撒き散らしながら、春蘭は思春の方へと詰め寄ろうとしたそのときであった。彼女の鼻先を弓矢が掠り、寸でのところで春蘭は態勢を後ろへずらすことでそれを避けた。

 

「させぬぞ、夏侯惇っ!」

 

 左側から攻め寄せていた祭も春蘭のいる位置まで攻め寄せ、更には中央から冥琳の姿まで見えていた。だが、四人に囲まれても尚、春蘭の表情には焦りの色は見られず、逆に冥琳がこの場に来たことを喜んでいるようにすら見える。

 

「周瑜、待っていたぞ」

 

「ふっ、この場においてまだそのようなことを言うか。覚悟しろ、夏侯惇。ここが貴様の墓場だ」

 

「貴様の首に用があるっ!」

 

 春蘭が冥琳へと襲い掛かろうとすると、それを遮るように思春、明命、祭の三名が春蘭の前に立ちはだかる。ここで春蘭の首級さえ挙げてしまえば、冥琳の目論見通りであり、そのままこちらの部隊を一掃することが出来る。

 

 と、そこへ間の伸びた声が聞こえた。

 

「おやおや、直に会うのはこれが初めてですねー、周瑜さん」

 

「……貴様は」

 

「程昱、字を仲徳と申します。初めましてなのですよー」

 

 春蘭の背後から兵士に守られた風が姿を見せたのである。春蘭たちが殺気による火花を散らしているというのに、風は平時と変わらぬ無表情で、まるで彼女たちの姿が見えていないといった感じで冥琳に話しかけたのだ。

 

「貴様が程昱か。直接会うのはこれが初めてだが、挨拶など無用。我が王に貴様を涙目にしてみせると誓った以上、この場で夏侯惇ともども切り捨ててやる」

 

「ふふふ……」

 

 鋭い眼光で睨みつける周瑜に向けて、風は静かに微笑んだ。場違いなその感情に冥琳は眉を顰めながらも、周囲への警戒を怠ることはない。戦況はほぼ互角、それがどう転がるかはこの場の決着にかかっているのだ。

 

「……何がおかしい?」

 

「風は確かに緒戦における戦術での戦いでは敗北したのですよー。ですから、風がこの場まで足を運んだのですから」

 

 まるで歌うかのように言葉を綴る風に、冥琳の背筋に冷たい汗が流れる。何故ここまで風が余裕の表情を浮かべるのかが理解出来ず、その頭脳は再び可能性の取捨選択を行うが、どうしても分からなかった。

 

 それは当り前の話だったのだ。

 

「ですが、それは飽く迄も開戦からの話なのですよー。周瑜さんたちは誰か大切な人をお忘れでありませんか?」

 

 その瞬間は冥琳も風と同じ結論へと達した。それはいくら冥琳が誰よりも可能性の取捨選択の速度で勝っていようが、関係のないものであった。何故ならば、それは冥琳の定めた範囲の外の事象なのだから。

 

 次の瞬間、自軍の兵士が冥琳の許へ伝令として来たのであった。

 

あとがき

 

 (」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃(」・ワ・)」(⊃・ワ・)⊃

 

 第九十七話の投稿です。

 

 言い訳のコーナーです。

 

 どうも皆様お久しぶりで御座います。

 

 インドげふん――『人類は衰退しました』のOPが頭から離れずに、妖精さんとわたしちゃんが可愛すぎて生きるのが辛い作者です。

 

 さて、戯言は置いておきまして、本作が遅れてしまったことへの謝罪へと言い訳をしたいと思います。一か月以上放置してしまい、少ないとは思いますが、お待たせしてしまった読者の皆様には大変申し訳ありませんでした。

 

 謀サイトから移民による大量の作品投稿をやり過ごそうとしていたことと、作者が八月は一年でもっとも忙しい時期の一つであるということが理由です。

 

 ブラック企業並みではないのですが、体力的にきつい時期ですので、撮り溜めしたアニメを見るだけで精一杯の一日でして、あ、いや、アニメを見ずに執筆しろと仰る方もいるとは思うのですが、そこら辺はご容赦ください。

 

 さてさて、では本編にて。

 

 既にお忘れの方は前回を復習して頂くとして、冥琳の戦術により風は得意とする心理戦を封じられてしまったわけでありますが、彼女はそれを簡単に受け入れてしまうのでした。

 

 簡単にと言えば、誤解があるのですが、彼女が目指すのは華琳の勝利であり、自分の勝利ではないのです。自身が戦術的に冥琳に敗北しようとも、自軍さえ勝利に導くことが出来れば何の問題もないと割り切り、自らも前線へと向かいます。

 

 そこに登場したのが春蘭です。

 

 彼女は猪突猛進として、それだけを捉えると非常に書き辛いキャラではあるのですが、作者の話としては、当然のように彼女もまた成長しているのです。自らの剛腕を武器に、しかしそれだけに拘ることなく、思春、明命の二人を圧倒します。

 

 そして、風の怪しげな余裕から冥琳は一つの結論に達するのですが、一体彼女は何に気付いたのでしょうか。

 

 さてさてさて、久しぶりの執筆作業で少し拙いなと自覚しながらも、今日の投稿を逃してしまうと、次はいつ投稿できるのか分からない状態ですので、そのまま投稿させて頂きました。

 

 江東編に入ってからどうにも調子が悪く、支援数も相当低下してしまっている今日この頃、こんなところで心が折れ掛かっているようでは、この決戦が終わってからの展開に耐えられる筈がないと溜息を吐きながら、今回はこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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