霧が跡形もなくきれいに晴れた。家を覆っていた霧も、街を散布していた霧も、湿気を含んだ空気はまるで風に流されていったかのようにきれいに無くなっている。
デジタルゲートというデジモンを召喚するものも消え、暗かった街灯も元通りに点いた。
そして霧の所為かどこかボンヤリしていた視界。それがハッキリし、契の眼には銃を構えた1体のデジモンが映っている。
「ベル、ゼブ、モンが……?」
契はデジヴァイスと呼ばれる種の赤い"D-アーク"を見つめ、唖然とした表情だ。
「ま、ニンゲンの力を借りて進化しちまったなんざ、不謹慎なんだがな」
唖然としていた契は、ベルゼブモンが近づいて来ていることに気が付かなかった。それに気付いたのはベルゼブモンが契の頭に荒っぽく肘を置いたからである。
「えっ、って止めろよ! 痛いだろっ」
体重を移すように契の頭に肘でもたれ掛かったベルゼブモンに、契は首を振る。
「俺様がご丁寧に"宜しく"って言ってんだぜ? 俺がデジタルワールドへ帰る時まで楽しませろよなニンゲン」
「はぁっ!? 楽しませるって何で俺がっ」
「つべこべ言うなって。気楽に行こうぜニンゲン!」
そう言ってひらひらと手を振りその場を去ろうとするベルゼブモンに、契は困った表情だ。
「ちょっどこに行くんだ!? 気楽にって……しかも俺には椎橋契って名前があんだよ!!」
「ちょっとリアルワールドの物見遊山でもしてくるから」
こうやって直ぐに姿を消したベルゼブモンは、何処に行くのが目的かも分からない。自由すぎるベルゼブモンの背中を追えずに契は立ち尽くしていた。
傍にいた凛とリヴァイアモンもその一部始終を見ていたことになる。凛に至っては内心「大変なパートナーを持ったな……」なんて労りながら。
それから契は家に帰り、時間は真夜中。皆が寝静まった頃、夕方にふらりと姿を消したベルゼブモンが再び凛の家を訪れた。
玄関の前に立ってはいるが、闇に溶け込んだその姿と気配。それに気が付いたのはたった1体の"赤いワニ"。
その"赤いワニ"は屋根の上から降ってくる。勿論、ワニも闇に姿を消して。
「がぁぁぁぁああああああ」
"赤いワニ"が呻いた声すらも闇に溶け込んでいる。
「もうちょっと静かに出来ねぇのかよ」
質量のある体が宙にある間に、ベルゼブモンは左脚の銃を抜いた。その瞬間、凛の家は霧に覆われる。
リヴァイアモンがベルゼブモン目がけて降り立とうとした時、斜め上に構えられた銃が発砲する。
たった一発。それだけの弾がリヴァイアモンの体を降ってきた屋根よりも高く宙に上げた。彎曲にしなった体は尻尾の先まで緩やかに曲を作っている。
もう一度大きく呻ったリヴァイアモンは紅い目をぎょろりと光らせる。月に照らされたリヴァイアモン。
その体は元の倍にまで大きくなっている。
「がぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ」
「!!」
大きさに比例するように声の大きさも増す。
「―‐!! 静かにしろって、言ってんだろうがっ」
ベルゼブモンは速度を増して降りて来るリヴァイアモンに向かって飛び、蹴りを見舞う。
蹴りを腹にまともに喰らったリヴァイアモンはそのまま家に突撃する。その衝撃は家に反映する事無くリヴァイアモンは地に落ちた。
「ぐるる……」
リヴァイアモンは体勢を整え、小さく、警戒するように声を出す。そんな声に怪訝そうにベルゼブモンが目を細めた。
「"ぐるる"じゃねぇだろ」
ゆっくりとリヴァイアモンに近づくために歩を進める。互いに睨み合いながら。
「普通に話せよ。お前、"俺が知ってる" "赤いワニ" だろ?」
2体の距離はもう数十㎝、そこでベルゼブモンは歩を止めた。
そして飽きずに呻るだけのリヴァイアモンに視線を合わせるように屈む。
「よう、何でこんな所にいるんだ、リヴァイアモン」
同じ目線になったベルゼブモンとリヴァイアモン。このように低い自分に目線を合わせる"ベルゼブモン"、否、"デジモン"は只一人しかいない。
リヴァイアモンは同じ七大魔王ベルゼブモンに、それもリアルワールドに来て初めてその声帯を震わせたのである。
「お前こそ、何故ここに来た」
大きな口が言葉を紡ぐと、ベルゼブモンの顔が少し緩む。
「俺が知りてぇな。それにしてもお前……随分ニンゲン慣れしてるみたいじゃねぇか」
「それは皮肉か? 中傷か? 凛を悪く言うならば許さんぞ」
「悪い悪い。別にそういう訳じゃねぇけどな」
へらっと笑ったベルゼブモンに、リヴァイアモンは口を閉じた。
「取り合えずさっきの大きさに戻れよ。ちょっとこの世界を見物してきたが……どうも俺達には居心地の悪い場所だ」
リヴァイアモンの大きさについて居心地が悪いと言ったのか、他の意図があったのか、小さく戻ったリヴァイアモンを見るとベルゼブモンは続けた。
「俺達の世界にいるような機械はいっぱいあるが、喋るのは人だけ。おまけに人はどれもこれも似たような容姿しかしてねぇ。俺達みてぇに"どんな格好したやつ"でも喋るって事はない訳だ」
これがリアルワールドか、と最後に付けし、溜息を洩らす。
「それでも我らは存在する」
リアルワールドでもデジタルワールドと同じようにデジモンは存在する。世界は同じだ、とリヴァイアモンはそう言った。
「まぁ、存在してるな」
ひょいと黒い尾を振ってみると確かに自分のものだ。
「我らは我らの世界でなくても存在出来るという事。じきに此処の居心地も良くなってくるさ、ベルゼブモン……」
のっそりと手足を動かし、リヴァイアモンは背を向けた。就寝用にほんのり付いている部屋の灯り。それに向かってリヴァイアモンは姿を消した。
闇に溶け込んでいた筈だった彼の姿は、ほんの小さな灯りによっても姿を消す事が出来た。
「……」
リアルワールド。ニンゲン。
ベルゼブモンは不思議そうに霧が晴れた家を後にしたのだった。
▼▼▼▼▼
背を布団に向け、顔は天井を向いている。朝の光が直接顔に当たると、契は眩しそうに顔を布団に埋めた。
もう少し……と思い布団を握るとそれを遮るように声が聞こえる。
「おい、起きろ」
聞きなれない声に契はスルーの勢いだったが、後から2・3度同じことを言った声は段々と殺気が混ざっているように聞こえた。
そして4度目。
「起きろって言ってんだろうがっ!」
契は耐えきれなくなりガバッと布団から身を起した。
「うるさいなっ! 誰だよ! 目覚まし時計なんかこの部屋にないっつーの!!」
こんな目覚まし時計もある訳がない。ドスの効いた声の目覚まし時計なんて誰が好んで買うのだろうか。
「俺は目覚まし時計じゃねぇよ!!」
「へ? ベ、ベルゼブモン!?」
「他に何に見えるんだ? おはようニンゲン」
「お、おはよう」
正面に屈んでいたベルゼブモンに契は赤い髪を掻いた。
「何で俺の家……分かったんだ?」
「さぁな。直感、ってやつか」
「そ、そうか」
枕元に置いてあったデジヴァイスに気付いたベルゼブモン。赤いデジヴァイスは、契の髪の色の象徴か、それとも自分の眼の赤か。
どちらにせよ、ニンゲンと共にゆける、デジヴァイスとはそういう証だった。
(俺がニンゲンと、一緒に?)
これ以上先の事なんて想像もつかなかった。嫉妬心がいっぱいで生きてきたリヴァイアモン、そんな彼に変化をもたらしたニンゲンに、少し興味が湧いたのかもしれない。
「飯だ飯。早く起きて用意しろよ。腹が減って仕方ねぇ」
一緒に過ごしてみようと思った。
「はぁっ!?」
驚いて、困った顔をするニンゲンを、軽く笑いながら。
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