教室の入り口は完全に飽和状態だった。
逃げ遅れてしまった玲は相変わらず教卓の辺りに立ち、その状態が解除されるのを待っていた。チラリと二階にある教室の窓から外の方を見る。僅かであるが校門の方が見える。そこからも何やらよろよろと夢遊病者のような者が学校内に侵入しているのが見えた。
あれが一体何者なのか。あんな者たちが相当数侵入し、暴力事件を起こしているとのことだが、果たしてそれだけの枠組みに収まるだろうか。
取り敢えず落ち着かなければならない。
この場からどこか安全な場所に避難しなければいけない。だがこの状況下でいつ脱出、避難できるか分かったものではない。それに外から校内に侵入しているということは、もしかすると校外、つまりは市の方にもそれらがいるということにならないだろうかと考える。
そうなると例え学校から避難、脱出したとしても簡単には安心できない。まるで映画の世界に来てしまったかのような感覚に陥る。だがこれは夢なのではなく、紛れもない現実なのだ。
「おい、玲やん! こないなところにとっても仕方あらへんやん、はよ逃げなぁ!」
騒ぎで完全に目を覚ましていた大河が一気にまくし立てるようにして言ってきた。
言われなくても分かっている。だが今この状況下、どうやって逃げるというのだ。
「完全に廊下は塞がっているしな……、今は四階の三年生も階段を使って降りてきている、俺たちが逃げられるのはかなり後になりそうだぞ」
廊下の方を顎で指しながら広大が言う。確かにこのままじゃいつになったら脱出できるか分からない。彼らが今向かっているのは基本的に玄関だろう。だが一番校門から近いのは生徒玄関と職員玄関だ。向こうに行けばおそらく暴力事件に襲われるだろうと思う。
その時だった。突然廊下の方から悲鳴が聞こえてきたのだ。階段の方からであり、その方向、後ろの入り口が塞がっているために前の方から廊下に飛び出した三人。廊下から見える階段の方にはすでに血飛沫が舞ったためにできた鮮血が白い壁に塗られていた。床には何人もの生徒が倒れており、その生徒たちをまるで食物を食べるように食している同校の生徒たちが見られた。思わず朝食べたものを吐きそうになる。なんとか口を押さえ、もよおした吐き気を抑えるようにする。隣にいた二人も動揺に顔を青ざめている。
ゆっくりと頭を上げる生徒。その二の腕の辺りにかまれたような傷跡があり、そこから血が流れている。しかしまったく痛がる様子もなく。こちらに視線を向けてきた。白目をむき出し、口はだらしなく開けられている。そこから唾液をこぼしているが、まったく気にしていない様子。歯には他の生徒の肉を何度も噛み切ったために血とその肉があった。聞き取れない言葉を発し、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その生徒だけでなく、倒れ付していた生徒たち、男女関係なく同じ様子に変わり、立ち上がってこちらに向かって歩いて来たのだ。まるで新しい食料を求めるかのように。
生徒たちは階段を下りかけていたが慌てて彼らに背をむけこちらに向かって走ってくる。当然まだ廊下にいる者たちや、三階の方向から来ていた二,三年生の生徒たちもそれを見て慌てて上に戻ろうとしたりする。確かに逆の方向からも外に出られる。この際命があればそれで言いという考えだろう。
玲たちもその様子を見ていよいよ自分たちが危険な場所に、危険な状況下にいるのだと理解する。当然背を向けて走り、逃げ出す。
「な、な、何やねんあれは! もう普通にゾンビやで!」
「ああ、そうだろうな! ゾンビだよ、ゾンビ!」
大河が走りながら悲鳴を上げるかのように叫ぶ。
それに対して同じく玲が答える。あれはよくゲームや映画で出てくるリアルなゾンビだ。設定が同じだなんて、この今の状況をゲームと同じように考えるわけにはいかなかった。それを口にすると両隣を走っていた二人が何かぎくりと言うように身体を震わせる。それを見てあきれる他になかった。こんな状況下、恐怖とともに興奮を感じていたのだろう。彼らはこの状況下をゲームと同じように考えていたようだ。そんな都合の良いことがあるわけがない。一度噛まれたら最後、ゲーム同様に時間が経てば彼らの仲間になるだろう。
「馬鹿かよお前ら! そんな都合の良い状況になるわけないだろ!」
「し、仕方ないだろ! 誰だって主人公になりたい時だってあるだろう!?」
「せやで、玲やん! わいらは主人公に――」
何故か逆ギレをするように二人が叫んでくる。
いい加減にしろと言いたかった。
だがいちいちそんなことに神経を使っているとこの状況下、すぐに疲れてしまう。精神的に疲れてしまえば体力の消耗も早くなるし、何より正常な嗜好ができなくなる。これは漫画などでもよくあることだ。こんな時にそう考えるのはおかしいだろうが。
「今はそんなことよりもここを脱出することが先決だろ?」
玲の言葉に二人はうっと言葉を飲み込む。
興奮のし過ぎで変な方向にハイになっているのだろうか。取り敢えず周りに注意しながら走る。生徒玄関の方はすでに危険地帯となっているのは分かる。だが他のところがそうではないという保証はなかった。それは一緒に走っている二人も理解していた。
「そ、そういえば俺たちには兄弟がいないからだけど、天音さん……大丈夫なのか?」
広大の言葉を聞いてはっと気づく。
そうだ――当然夏休みが開けての初日の学校、彼女も今日一緒に登校したので学校にいるはずなのだ。さらに彼女は怜たちよりもひとつ上の二年生。三階に教室があるということもあり、遅れる危険性もあった。遅れずに生徒玄関に向かったとしたらどうなるだろうか。そう考えて、血の海に沈み、肉を貪られ、ボロボロとなった姉が変わり果てた姿で立ち上がり、ゾンビとなった姿を想像してしまい、何度目かの吐き気をもよおした。
「姉ちゃんは……」
そう言いかけて言葉が出てこなくなる。
玲を見て二人もなんと言葉をかけていいか分からない。
階段を下り体育館へと続く踊り廊下の方に出ようとしたところで三人は立ち止まる。そこは窓が取り払われた状態であるために外と繋がっている。そのためそこにはすでに何体かのゾンビがよろよろと歩いていたのだ。
「ま、まずいで……」
大河がアワワワというように怯える。
先ほどまで強く立ったのが嘘のようだ。これが普通なので特に馬鹿にするようなことは言わない。取り敢えずここを無事に通り抜けなければいけない。そうすれば少し高いフェンスがあるが、そこから学外へと出ることができる。姉のことを考えると少し迷ってしまう。
どうするべきか、そう考えていると――
「なあ、お前天音さんのこと、心配じゃないのか?」
「心配じゃないと言えば嘘になる」
高校生の姉弟としては珍しく向こうの方から何かと手をかけてくれる。周りからはブラコンなのではないかという噂が立てられるくらいだ。彼女はあまり気にしていないようであるが、巻き込まれるこちらはたまったものではないのだ。
だがそういう姉を嫌いにはなれない。
「ならどこかで落ち合わん? さっきケータイ使こうてみたけど、やっぱり繋がらへんわ。せやさかい、場所を決めておけばええと思うんよ。携帯の電源は持つやろうし、時間帯も分かる」
耳に最新式の携帯を当てて難しい表情を浮かべていた大河が言う。つまり他の人たちも同じように電話を使っているということ。それは町中でこの騒ぎが起きていることを意味していた。
「ならどこにする? 全員が知ってるところといえば……」
「ケーサツとゆうても皆同じこと考えるやろうし……」
先ほどの電話が通じないことでそれは証明されている。必要以上に時間は掛けられない。いつこちらの存在に気付かれるかも分からないからだ。
「家族とも連絡取りたいしな……なら一番ここから遠いけど俺の家にしないか? 隣町に繋がる橋もあるし、そこから脱出できるかもしれないから」
そう提案して来たのは広大だ。
この町がすでに危機的状況にあるのは目に見えている。隣町がどうなのかは分からないが、とにかく遠くに避難する必要はあった。
とにかく今はゆっくりと落ち着ける場所が欲しい。いろいろなことを考えなければいけないからだ。
「なら、そうしよう。俺は一回戻って姉ちゃんを探してくる。うまく逃げていれば多分家の方に向かうだろうけど」
三人は頷き合う。ならばここから脱出するためにはやはり武器が必要だった。近くには掃除用具を入れるロッカーや積まれている角材くらいしかない。ゲームの知識を生かすのであれば彼らの狙い目は頭を潰すことだ。それ以外は痛覚がないためにまったくダメージを与えることができない。ゲームのように一定のダメージを与えれば倒れるという保証はない。それをお互いに言い聞かせ、確認する。
掃除用具を入れるロッカーの中には使えそうなのはほとんど入っていなかった。仕方ないということで玲は近くに積まれていた角材の仲から手ごろな長さと太さのあるものを選び、何度か素振りをする。本当は金属バットなどがあれば良いが、野球部の部室に行く必要があるし、そこには鍵がかけられているだろうと思うので、とても取りには行けないと考える。
二人は悩んだ挙句、広大は玲と同じように角材を適当に選び、大河はモップの先を折り、鋭い槍にした。
「よし……なら落ち合う場所は俺の家だ、絶対に生き残るぞ」
「ああ」
「せやな」
広大の言葉に二人は頷く。
玲はもう一度階段の方へ、広大と大河はドアを開け、踊り廊下の方へと向かって行った。
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時は2150年。
決してありえないとはいえない未来の話。
いつものように朝目が覚めればいつもの日常がやってくるだろうということを信じて疑わなかった。
だが次の朝目が覚めたら……世界が終わっていた。
町を歩き回るは生きた死体――ゾンビ。人が人を喰らい、まるで生き地獄を見ているかのようだ。
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