それは突然の事であった。
サーヴァントが現世に存在するという、非日常が日常と錯覚していたある日の出来事。
「セイバー!」
持っていた買い物袋を放り出して、アーチャーは一瞬で武装化すると、セイバーに突然襲いかかってきた何者かの攻撃を、干将・莫邪の夫婦剣で弾き返した。セイバーもすぐさま武装化し、その襲撃者を目視したが、その異様な姿に思わず言葉を失う。
黒い泥の塊のようなモノ。
それは周りに泥をまき散らしながら、辛うじて人の形態を保っていた。
「……」
アーチャーはセイバーを背に、その塊を凝視し、思わず舌打ちをする。怨嗟と呪詛の塊。それは、嘗て【この世すべての悪】と呼ばれた物によく似ており、地面に落ちる泥は黒い汚染を徐々に広げていた。このまま放置すれば、冬木の土地は穢れ切ってしまう。その上、普通のサーヴァントとはすこぶる相性が悪い。もしも、聖杯の泥と同じ性質のものであれば、黒化する可能性があるのだ。
「セイバー下がっていろ」
「しかし!」
「……遠距離で様子を見る」
投影された弓を見て、セイバーは渋々と言うように下がった。アーチャーの判断に間違いはない。敵の正体や、あの泥の性質が解らない以上、直接対決するのは余りにも危険過ぎる。嘗て聖杯の泥に飲まれ、反転したセイバーとしては今はアーチャーの言うとおり様子を見るしか出来なった。
グズグズと人の形を作っては崩れてゆくを繰り返す泥の塊。アーチャーはそれに一撃、矢を放つ。しかし矢はあえなく弾き返され、その泥の塊は、矢を放ったアーチャーではなく、その後ろに控えるセイバーへと襲いかかっていった。
「通さんよ」
後ろに飛び退いたセイバーと、その間に割って入ったアーチャー。先程は確認できなかったが、相手の獲物を夫婦剣で受け止めたアーチャーは、思わず眉を寄せて言葉を零す。
「……獲物は槍か」
まさかあのクランの猛犬が黒化したのではあるまいな、そんな事が頭を過ぎって、アーチャーはその槍を弾き返した。それと同時に形を失う夫婦剣。
「セイバー……矢張りアレはサーヴァントとは相性が悪いようだ。一撃受けただけで私の武具さえ汚染された」
その言葉にセイバーは信じられないと言うような顔をする。先程アーチャーの手から夫婦剣が失われたのは、破壊されたわけではなく、破棄したのに近かったのだろう。汚染が己の本体に至る前に、武具ごと切り捨てたのだ。
「……私の約束された勝利の剣ならば、触れる前に相手を破壊できます」
飛び道具に近い宝具の開放。それならば汚染される事はないだろう。セイバーが一歩前に出ようとするが、アーチャーは再び夫婦剣を投影して首を振った。
「威力がありすぎる。町ごと吹き飛ぶぞ」
「それは!」
食い下がるセイバーにちらりと視線を落として、アーチャーは僅かに思案する。気になったのは、襲撃者がセイバーを狙っている事であった。攻撃した自分よりもセイバーに執拗に攻撃を仕掛けてくる。その意図が解らなかったのだ。
「君はアレに見覚えはないか?」
「は?」
「君を執拗に狙っているように思えるのだが」
セイバーはそう言われ、その黒い塊を凝視した。獲物は長い槍だ。それは先程アーチャーが攻撃を受けた時にセイバーも確認できた。しかし、声も発さない、姿形もよく解らない、心あたりがあるかと聞かれれば、セイバーは首を振るしか出来なかった。
「申し訳ありません。しかし、私を狙っているのならば好都合です。ココで決着をつけてしまいましょう」
他に被害がばら撒かれるよりはずっといい、自らを囮にこの場所に縫いつけて倒してしまおうと言うセイバーを眺め、アーチャーは僅かに眉を寄せた。
しかしながら、その襲撃者はそんな事はお構いなしに、またセイバーを狙ってその槍を振るった。風王結界で覆われた約束された勝利の剣で受け止めたセイバーは、突如己の宝具から流れこんできたソレを知覚して、慌てて距離を取る。
──赦さん……断じて■■■を赦さんッ!
怨嗟と呪詛に塗れたその声。
「え?」
呆然とするセイバーに再びその槍が向けられるが、アーチャーは背後から襲撃者を斬りつけた。しかし、手応えらしい手応えはなく、ただ、襲撃者は煩そうに槍でアーチャーの剣を弾き返す。割れた干将莫耶。そして、再び投影。
一度目の攻撃をアーチャーが受けた時に流れこんできたソレを、今セイバーは受けたのだろう。アーチャーは舌打ちすると、泥を払うように干将莫耶を振る。
「俺も混ぜろよ」
飛び込んできた赤い閃光が、その泥を背後から突き破って、アーチャーの足元に刺さった。見覚えのある魔槍。
「ランサーか!」
「こーゆー時は直ぐ呼べよ」
そう言うと、アーチャーの隣にふわりと降り立ち、地面に刺さった魔槍を引きぬき笑った。それにはアーチャーも僅かながらほっとしたような顔を作った。クランの猛犬が黒化したという可能性が排除されたからだ。
「さてと……槍使いね」
ちらりとランサーは黒い塊に視線を送る。赤い魔槍は確実にあの泥を貫通したが、悲鳴も上げず、僅かに崩れた人の形を、またグズグズと修復している様に見える。
「その上、汚染か。厄介っちゃ厄介だな」
「君まで黒化されてはかなわん。無理をするな。セイバーも……」
そう言いかけたアーチャーはセイバーの顔を見て言葉を切った。蒼白とも言えるセイバーの表情と、カタカタと震える約束された勝利の剣を握る手。
「違う……そんな筈は……」
うわ言のように呟く彼女の声に、ランサーも異常を感じたのか視線を送り、口を開いた。
「セイバー?」
それと同時に、修復を終えたのか、襲撃者は再び槍を奮ってセイバーに襲いかかる。それを魔槍で受け止めたランサーは、流れこんできた呪詛に顔を顰めた。
──■■に憑かれ、騎士の誇りを貶めた亡者ども……その夢を我が■で穢すがいい!
払うように魔槍を振り、距離を取るとランサーは思わず言葉を零す。
「やべぇな。イカレてやがる」
辛うじてその呪詛を払いのけたが、サーヴァントならば飲まれる可能性がある。人であるならば、その強い怨嗟に心を壊されるであろう。アーチャーは武具を使い捨てる形で本体への侵蝕を止めているが、下手をすればマスターまで届いてしまうかもしれない程の強い汚染。マスターの魔力耐性が低いセイバーは外したほうがいい。そう思い、ランサーは再び槍を構えた。
しかし、ランサーではなく、執拗にセイバーを狙う襲撃者。ランサーは舌打ちをすると、追いすがり、赤い魔槍を放つ。
「突き穿つ死翔の槍!」
心臓への一撃が有効であるかどうか解らない以上、とりあえずセイバーへ向かう襲撃者を足止めしようと、魔槍を開放した。躱そうとしても執拗に追いすがる魔槍に、襲撃者は足を止めて己の槍で赤い魔槍を迎撃する。
「セイバー!下がれ!」
ランサーの怒鳴り声にセイバーは漸く我に返ると、地面を蹴って襲撃者から距離を取る。そして、その間にアーチャーが滑り込み、夫婦剣をその泥の塊に突き立てた。
──■■に呪いあれ!その■■に災いあれ!
流れこんでくる呪詛をマスターまで届かせないために、アーチャーは素早く夫婦剣を破棄しようとする。しかし、その襲撃者はランサーの魔槍を迎撃した槍とは、別の短槍をアーチャーに向けて振るった。
「その槍を受けてはいけない!」
セイバーの声を聞いたアーチャーは、とっさに七枚の花弁を展開し、その短槍を受け止めた。熾天覆う七つの円環はその花弁を散らしながら、短槍を弾き返す。その間も呪詛の侵蝕はアーチャーの意識を蝕んで行った。
──いつか■■の釜に落ちながら、この■■■■■■の■■を思い出せ!
「大丈夫か?アーチャー」
「……まさか、人の呪詛を受けたこの身が役に立つとはな……皮肉なものだ」
ランサーの声にアーチャーは口元を歪めるとそう零す。人知れず人を助ける為に、多くの人を殺しその怨嗟を一身に受けた歪んだ英霊。自分が思っていた以上に耐性があったらしい。しかし、マスターへの汚染を防ぐ意味でも、武具を破棄しながら戦う体制は変えられない。
「■■■■……」
「え?」
襲撃者が発した唸り声のような音に、ランサーは目を丸くする。ただ、何を言っているのかはさっぱり解らなかった。ただ、その声は肌が粟立つような怨嗟の声。騎士の誇り云々という怨嗟からすると、恐らく自分たちのようなサーヴァントに近い存在なのだろうと漠然とは感じていた。けれど、その正体は一向に掴めない。
ならば粉砕するしかない。そう判断し、ランサーとアーチャーはその武器を襲撃者に向けた。しかし、その襲撃者はそれを躱そうともせずに、今度は彼等にも聞き取れる怨嗟の声を上げた。
「セイバァァァァァァ!!!!!!!」
襲いかかる槍。アーチャーの夫婦剣も、ランサーの魔槍も無視して一直線に襲撃者は騎士王めがけてその短槍を投げつけた。
避けようと思った。けれど、その声を聞いて体が動かなかった。
「あ……」
短く声を零して、セイバーは膝から崩れ落ちる。胸に刺さった黄色い短槍。じわじわと汚染されるのを感じながら、セイバーは、必死に襲撃者の姿を探した。
「……貴方は……」
「させるか!」
セイバーの首を刈り取るために、泥をまき散らしながら移動をする襲撃者に、アーチャーは新たに投影した武具を叩きつけた。それに足止めされた襲撃者。その間にランサーは素早くセイバーに駆け寄り、彼女を抱きかかえる。
「セイバー!」
ぐったりとした様子で動かない彼女の胸に刺さる武具を抜き取る。本来は出血が増える可能性があるので無闇に抜かないほうがいいのは承知しているが、汚染が急激に広がっているのでやむを得まい。溢れる血を止めるために、ランサーは、ルーン魔術を展開するが、その出血は止まる様子がなく、思わず声を上げる。
「ヤバイ!魔術回復が効かねぇ!」
「今すぐセイバーを連れて凛の所へ行け!方陣内に行けば多少はマシだ!」
夫婦剣で襲撃者を足止めしているアーチャーの声に、ランサーは頷き、セイバーを抱きかかえ立ち上がるが、襲撃者はそれを察知したのか、またセイバーめがけて槍を振るう。
「しつけーんだよ!」
苛立った様にセイバーを抱えたままランサーは飛びのくが、攻撃は止まず、移動するに移動できない。しかし、突然その執拗な攻撃が止まり、ランサーは驚いたような顔をする。泥人形の胸から突き出たのは、約束された勝利の剣。アーチャーが投影したモノである事に気がつくまで、そう時間はかからなかった。背後からその贋作を突き立てたのであろう。今まで夫婦剣で戦っていた彼が、何故その武具を投影したのかはランサーには解らない。そもそも、セイバーの約束された勝利の剣を投影した所で、宝具としてはランクが強制的に下がる。ならば魔力コストが低く、使い慣れた夫婦剣の方がいいのではないか。漠然とそう考えたランサーであったが、直ぐに、そのアーチャーの選択が間違いではないと気がついた。
「セイバァァァァァ!」
贋作である約束された勝利の剣。けれど、それが贋作と認識出来なかったのか、襲撃者は矛先をアーチャーに向けた。
「……え?何で?」
思わずそう零したランサーにアーチャーは声を上げて促す。
「行け!ランサー!」
唸り声を上げてアーチャーを執拗に攻撃している襲撃者。それを捌きながら、アーチャーはジリジリとランサーから離れていく。
「死ぬなよ!」
青い槍兵は、既に武装すらままならない騎士王を抱いて、赤いマスターの元へひた走った。
深山町にある遠坂邸。その前までたどり着いたランサーは扉を開けようとするが、中から家の主である遠坂凛が開けたことによって中断された。
「ランサー!早くこっち!」
驚いた顔をしたランサーであったが、恐らくアーチャーのマスターである彼女が、パスを通じて話を聞いていたのだろうと判断して促されるままに遠坂邸の地下へと足を運んだ。そこにいるのはセイバーのマスターである衛宮士郎。
「セイバー!」
駆け寄る士郎を押しのけるように、凛はランサーをセイバーごと魔方陣の中へ押し込めた。ランサーはそっと魔方陣の中にセイバーを横たえて、凛の傍へ移動する。
「どうだ?」
「……やっぱりおかしいわ。魔力は十分この方陣に中にあるのに、セイバーの傷に作用しない……。士郎。貴方も方陣に入ってみて」
凛の言葉に士郎は頷き方陣の中に入る。一瞬魔方陣に光りが宿るが、大きな変化はない。恐る恐ると言うように、士郎はセイバーの手を握る。そこで漸くセイバーの出血が止まり、凛はほっとしたような顔をした。
「士郎の鞘が辛うじて作用してるわ……でも……」
出血が止まっただけで、汚染も、傷も癒えない。唇を噛みながら、凛は方陣の中に入り、セイバーの傷を確認する。辛うじて急所を外れているが、胸の傷に残る呪詛はじわじわとセイバーの身体を侵食している。
「武器自体に呪いがあったのかしら……ランサー……」
「おう」
「セイバーを襲ったのはナニ?」
その言葉にランサーは首を振り困ったように口を開いた。
「二本槍で、汚染をばら撒いてるってことしか解らねぇ。けど……」
「けど?」
「執拗にセイバーを狙ってた。アーチャーの投影した約束された勝利の剣が贋作だったわかんねぇ位にな。……そんでもって、ものすごい怨嗟と呪詛を抱えてる。正直、黒化の恐れがあるから、サーヴァントも長時間戦うのは無理だ」
ランサーの言葉に、凛は、そう、と短く言うと、己の令呪を眺めた。アーチャーを呼び戻すべきか悩んでいるのだろう。けれど、呼び戻してしまえば、ココが襲われる危険もある。それに気がついたのか、ランサーは、彼女の頭ぽんぽんと撫でると、瞳を細めて笑った。
「俺が行く」
「ランサー!」
「捌くだけならまぁ、なんとかなんだろ」
「何言ってんのよ!バーサーカーだって、聖杯の泥に飲まれたら黒化するのよ!」
黒化とはすなわち魂を壊されるということだ。長い間触れていれば、ランサーとて無事では済まないだろう。けれど、ランサーに言わせれば、それはアーチャーとて同じである。彼も【人の呪詛】に耐性があるだけで、完全に防げている訳ではない。武具の使い捨てという無茶なやり方で無理矢理捌いているだけだ。
「けどよ……」
「貴方まで黒化したら手に負えないわ。止めておきなさい」
「イリヤ!」
突然現れてそう言い放った銀色の娘……イリヤスフィールに凛は驚いたような顔をする。すると、イリヤは瞳を細めて笑った。
「アーチャー、一応無事よ。今は魔女の所に預けてるわ」
その言葉に凛は弾かれたように顔を上げて、イリヤを見つめた。意味がわからないと言うような表情に、イリヤは瞳を細めて、口を開く。
「あの襲撃者の標的は、セイバーからアーチャーに変わったの。だから、彼はここに帰ってこないわ」
「……何で……」
「アーチャーがそうしたかったじゃダメかしら?」
小首を傾げて微笑んだ銀色の娘の言葉に、凛は呆然としたように言葉を失う。汚染がマスターに至らないようにと、一時的に魔力パスを切ることは承知したが、そんな勝手は許した覚えはない。凛が地下室の階段を駆け上がろうとしたのを、イリヤは腕を掴んで止める。
「放しなさい!イリヤ!」
「もしも無理を通すなら、バーサーカーを倒して行きなさいリン」
「え?」
「セイバーが回復するまではここで大人しくしていて」
ゾクリと肌が粟立つような冷たいイリヤの声に、思わず凛は怯むが、それでも、食らいつくように言葉を放つ。
「私はアーチャーのマスターよ!そんな勝手は許さないわ!」
「……でしょうね。だから、魔女に頼んだの」
その言葉の意味を把握するのに、そう時間は掛からなかった。凛が強制的に戻そうとしたアーチャーとのパス。しかし、それは全くの無意味であった。
「嘘……何で……アーチャー……」
令呪の喪失。己の手の甲に視線を落とした凛は、震える声で呟く。それを黙って眺めていたランサーは、イリヤに視線を落として、口を開く。
「勝算はあるんだろうな」
「セイバー次第かしら。ねぇランサー。どうしてセイバーは敵の攻撃を躱せなかったんだと思う?」
その言葉にランサーは、思わずオウム返しに、躱せなかった?と呟いて、その違和感に気がつく。ソレは違う。そう思ったのだ。
「……違う。躱せなかったわけじゃねぇ。躱さなかったんだ」
ランサーの言葉にイリヤは満足そうに笑うと、そうね、躱さなかったの、と瞳を細めた。ランサーの一撃必殺さえも躱したセイバーが、あの程度の攻撃を躱せなかったとは考え難い。彼女は初めから躱すつもりなどなかったのだ。
「リン、セイバーと契約しなさい。少しでもセイバーに魔力を送って。シロウの鞘は契約していなくても傍にいれば作用するわ」
「話が終わってないわ!」
「コレは、私から言うべき言葉じゃないわ。セイバーに聞きなさい。その為にも、セイバーを早く回復させる事をお勧めするわ、リン」
瞳を細めて笑ったイリヤ。それを唇を噛み締めながら眺めた凛は、方陣の中に入り、士郎に声をかけた。
「士郎」
「うん。確かに俺より遠坂と契約したほうがセイバーは回復しやすいと思う」
血の気の失せたセイバーの手を握り締めながら、士郎は困ったように笑う。今日ほど己の魔力不足に歯がゆい思いをしたことはない。セイバーを助けるためであれば、衛宮士郎は何でもするつもりであった。
令呪の譲渡は魔術師同士の了承さえあればサーヴァントの意志とは関係なく出来る。
凛は小さく頷くと、士郎の手に、己の手を重ねて、小声で呪文を呟く。
それを眺めていたランサーは、ちらりとイリヤに視線を送る。それに気がついたのか、イリヤは、小声で言葉を零した。
「不満そうね」
「勝手が過ぎんだよ。アイツはいっつも」
「そうね。私もそう思うわ。けどね、彼は【正義の味方】だもの」
だから、彼は救い続けるのだ。怨嗟も、呪詛も、憎悪も全てその身に受けて。己の全てを磨耗させてまで。それが【エミヤシロウ】なのだと。
「……女の泣かせて何が正義の味方だ」
毒づくようなランサーの言葉に、イリヤは瞳を伏せて言葉を零した。
「仕方ないわ。今回は……凛にも士郎にも、どうにも出来ない事だもの」
砕かれては間髪入れずに約束された勝利の剣を投影し続け、アーチャーは、己の魔術回路が悲鳴を上げ続けているのを無視した。人の身であればとっくに毀れていたであろう無茶な投影。それでも、これをここに縫いつけておかねばならなかった。
セイバーは恐らくコレの正体を知っているのだろう。だから、あの槍を避けることが出来なかったのだ。
剣を交える度に流れ込んでくる怨嗟の念。
──俺が懐いた■■さえ踏みにじって……貴様らはッ、何一つ■■■こともないのか!?
そして気がついた。
確かにコレはセイバーを探しているようであったが、呪詛自体は、別の誰かに向けられたものであることに。だからこそ、アーチャーは、逃げるという選択肢を取ることが出来なかった。
「……因果なものだ」
思わず零した自嘲気味な言葉。きっと自分とセイバーが一緒にいなければ、この呪詛は成り立たなかったかもしれない。騎士王と、騎士の誇りを踏みにじる存在。片方だけでは成立し得なかった彼の怨嗟の念。願望機たる聖杯が齎した奇跡は、【10年】の時を超えて条件を整え、成立した。
衛宮士郎ではなく、エミヤシロウで成立した条件。
「きっと私が殺して来たモノも、君と同じ怨嗟を抱いていたのだろうな」
アーチャーはその泥に、約束された勝利の剣を突き立て、それに魔力を送ると、一気に爆発させた。
四散した泥。
地面を這う、人型の塊。
もう約束された勝利の剣を投影する魔力はない。けれど、ソレをセイバーの元へ行かせないために、アーチャーは一つ、呪いの言葉を吐いた。
「『僕は手段を選ぶつもりはない』」
ピクリと、泥の塊が動いた。
磨耗した記憶を頼りに、アーチャーが【誰か】に似せて放った言葉は、確実に襲撃者の意識を捉える。
ゆっくりと顔のない顔を上げるその塊は、触れてもいないのにアーチャーの心を侵食していった。先ほどまでは途切れ途切れであった怨嗟の声は、今、明確にアーチャーの耳に届く。
「赦さん……断じて貴様らを赦さんッ!」
血を吐くようなその声に、アーチャーは鋼色の瞳を細めて、更に言葉を続けた。
「『君が呪ったのは、君の騎士道を穢した僕かい?それとも、同じ騎士道を懐いたセイバーかい?』」
ピタリと、怨嗟の侵蝕が止まった。
「……真の■■■ァァァァァ!貴様を■す■す■す■す!」
堰き止められていた怨嗟の念が一気に流れだし、地面を黒く汚染する。そして、アーチャーの心をも毀しにかかる。それを確認したアーチャーは瞳を細めて、笑った。
「そうか。君の怨嗟はセイバーへのものではないのだな……良かった」
そう言うと、アーチャーは最後の魔力を振り絞って、地面に突き立てた夫婦剣を四散させた。
重い体を引きずりながら、アーチャーは木の根本に座り込む。追っては来ていない様子で、ほっとしたような顔をすると、震える手を眺め苦笑した。既に赤い聖骸布を纏う魔力も残っていない。怨嗟と憎悪と呪詛。凛と魔力パスを切ったのは矢張り正解だった、と拳を握り締める。
「……まだ終わっていないのだな……」
10年前に炎の包まれた冬木の土地。そこに染み付いた呪詛。
「アーチャー」
銀色の娘は赤い弓兵の前に立つと、瞳を細めて笑った。それを見上げて、アーチャーは苦笑すると、見ていたのか?と言葉を零す。
「えぇ。アインツベルンの城でも異常が感じられたもの」
歌うように言葉を紡ぐと、彼女はアーチャーの前にぺたんと座り込んで、彼の頬を白磁器の様な白い手で撫でた。
「全部肩代わりするつもり?」
「……放って置く訳にもいくまい。凛が管理する土地を穢す訳にもいかんだろう」
その言葉にイリヤは少しだけ驚いたような顔をすると、そっか、と笑った。
「リンの為って言うんだったら、手伝ってあげるわ。……もしも、アイツの肩代わりをしようなんて莫迦なことを考えてるんだったら、放っておこうと思ったんだけど」
「結果的に肩代わりにはなってしまうのだろうけどな」
「えぇ。でも、そこに至る過程は大事よ。生きるか死ぬかに関わる位ね」
イリヤの言葉に、アーチャーは苦笑すると、彼女の小さな手に、己の手を添えて瞳を細めた。その顔を見て、呆れたようにイリヤは言葉を零す。
「でも、アレが何だかよく分かったわね」
「私の投影魔術は、製造的なモノだけではなく、所有者の事まで読み取る工程を経て構築されている」
それは所有をしているが、使いこなせないギルガメッシュとの大きな差である。所有者や、武具の歴史まで読み取り、それをトレースするが故に、己が武具のように振るえるのだ。無論、使いこなすためには、それ相応の訓練は必要であるが、彼は長い年月をかけて、努力でそれを埋めていった。
「そっか。それじゃ私が貴方に教えてあげられることなんてないわね。貴方は全て解っててアレに挑むんだから」
立ち上がったイリヤは、くるりとスカートを翻すと、行きましょう!と手を差し出した。その手をアーチャーは取って立ち上がる。
「今回は凛も、士郎も出番はないわね。私と、貴方と、セイバーで……終わらせましょう」
「……そう願いたいものだ」
苦笑したアーチャーを見上げて、イリヤは嬉しそうに笑った。
深夜の遠坂邸。魔方陣の中で回復のために手を繋いで眠る士郎とセイバー。そして、その側のソファーで眠る凛。それぞれに毛布をかけてやると、ランサーは地下室の階段を登り、居間へと向かった。一方的にイリヤの話は打ち切られ、セイバーの方も思うように回復はしていない。
とりあえずの警戒のために、外に出ようと思ったランサーは、居間から玄関の方へ移動するイリヤを見つけ、怪訝そうに声をかけた。
「嬢ちゃん?」
「そろそろ行かなくっちゃ」
くるりとランサーの方を向いた銀色の娘は、少しだけ困ったよう笑った。
「明日。セイバーが動けるようになったら、柳洞寺に来てね。待ってるわ」
「……一つだけいいか?嬢ちゃん」
「なぁに?」
ランサーは少し思案した後に、重々しく口を開いた。
「勝算はセイバー次第だって言ってたな。俺にそれは肩代わり出来ねぇのか?」
多分セイバーは、アレと戦えない。ランサーはそう思ってその言葉を吐いた。例え回復したとしても、きっとまたあの槍を躱すことはできないだろう。理由はランサーにはわからないが、セイバーは多分、アレに殺されても良いと考えている様にしか思えてならなかった。
ならば自分をセイバーの代わりに使うことはできないのか。
イリヤはランサーの意図を汲み取って、少しだけ首を傾げた。
「泥の汚染は私とアーチャーで何とかするつもりだから、その後なら貴方でもきっと倒せるわ。けどね。それじゃ意味がないの」
「意味がない?」
「えぇ。あの呪詛はね、この土地に染み付いたものなの。10年の時を経て、色々な条件が重なって具現化した聖杯の迷惑な奇跡なのよ。今回力尽くで排除しても、条件さえ整えばまた発動するかもしれない。だからね……あの呪詛の根本的な部分を私達は毀したいの。……正直言うなら、セイバーがダメなら、貴方よりギルガメッシュのほうが好ましいわ」
セイバーを執拗に狙う存在。そして、10年前といえば、第四次聖杯戦争があったはずだ。代打ならば、ギルガメッシュのほうが好ましいという言葉に、ランサーは、赤い瞳を細めた。
「成程……な……アレの聖杯戦争を終わらせてやるって事か」
「理解が早くて嬉しいわ、ランサー」
イリヤは嬉しそうに手を一つ叩くと、扉を開けて外へ一歩、踏み出した。
「忘れてたわ。アーチャーからの伝言ね『凛を頼む』」
「そんじゃ、俺からも頼むわ……『言いたいことは山ほどあるけど今は勘弁してやる。けどな、嬢ちゃん泣かせるような結果になったら、テメエの座まで追いかけてぶん殴ってやるからな』」
「それは怖いわね」
ふふっと笑ったイリヤを見て、ランサーは、仕方がないと言うように肩を竦めた。
正義の味方と銀色の娘。長く冬木の土地に染み付いた怨嗟の念を打ち砕くために、彼等は戦うことを選んだ。ならば、それに付き合ってやるのも悪くないと思ったのだ。
柳洞寺の外廊下に座ったキャスターは、ぼんやりと整えられた庭を眺める。所々に残る汚染の跡は、昨日突然寺を襲ってきた得体のしれない泥の塊がばら撒いていったものである。無論襲撃者に対し、門番であるアサシンはそれに対抗したが、結局消されはしなかったものの、刀を持つことは暫く不可能な状態まで追い込まれた。
そのまま庭までやってきた襲撃者からマスターを守るためにキャスターは対抗したが、泥に遮られ魔力ダメージも通らず、正直な所、マスターを連れて逃げることすら考えた。けれど、あの泥の呪いは、こうやって陣地で防御しているからこそ遮っていられるが、キャスターが外へ一歩でも出てしまえば、己自身を汚染する程に強いものだと言う事も理解してた。マスターだけでも。そう思い、葛木を逃がそうとした時に、別の侵入者によってその思考は中断された。
「我が骨子は捻れ狂う……偽・螺旋剣」
短く放たれた詠唱。そして爆発。
四散した泥の塊は、ズルズルとまた部品をかき集めるようにゆっくりと人の形に修復して行く。それを呆然と眺めながら、キャスターはカタカタと手を震わす。
「イリヤ。投影三回が限度だ」
「分かったわ」
ふわりと空から降ってきたのは、黒い男と銀色の娘。あの攻撃がアーチャーの物であるということは直ぐに分かったが、何故遠坂の娘ではなく、アインツベルンの娘と一緒に現れたのか理解できず、キャスターは言葉を失う。それを察したのか、葛木がキャスターとイリヤの間に入り口を開いた。
「君達は我々を助けに来た……と言う事か?」
「今のところはね。早速だけどキャスター。私達と取引しない?」
「取引ですって?」
イリヤが口を開くと、アーチャーは身を翻してあの泥の塊の前に立ちふさがった。話が終わるまでは彼がアレを引き付けると言う事であろう。
「そう。一時的にアーチャーと契約して欲しいの。あと、ここの寺の貯蔵魔力、全部頂戴」
銀色の娘の突然の提案に、キャスターは目を丸くした後に視線を彷徨わせた。アーチャーと契約する分には、破戒すべき全ての符を使えば問題はないが、寺に貯蔵した魔力を根こそぎ持って行かれるのは困るといえば困るのだ。キャスターというカテゴリ上、魔力というのは命綱である。その上彼女のマスターである葛木は魔力回路を持っておらず、十分な供給は出来ない。自前でコツコツと貯めてきた魔力を手放す事に抵抗があるのも仕方が無いだろう。
それを察してか、イリヤは更に言葉を続けた。
「ここで私達が引けば、アレは必ず貴方を狙うわ。そう言う順番だから」
「……順番……ですって?」
「アレはね、キャスター。第四次聖杯戦争で、セイバーのマスターである衛宮切嗣の奸計に嵌められて自害を強いられた、ランサーの成れの果てなの」
第四次聖杯戦争と聞いて、キャスターはますますどうしていいのか分からなくなった。ならばあの泥は聖杯の汚染の所為であろう。ならばなおさらキャスターに対抗手段はない。不安そうに視線を彷徨わせるキャスターの視界で、アーチャーの使っていた夫婦剣が音を立てて毀れていく。そして、新たに投影される夫婦剣。
「第四次聖杯戦争での敗退順番は、アサシン、キャスター、ランサーの順番。解る?この寺は一番危ないのよ」
「アレは第四次聖杯戦争を再現しようとしているってわけ?」
漸くまともに質問を投げかけたキャスターに、イリヤは満足そうに笑うと大きく頷く。
「アレはね、聖杯の泥のせいでおかしくなって、アーチャーと衛宮切嗣を取り違えてるの。だから、今のところはアーチャーを執拗に狙ってる。けど、いなくなれば貴方が狙われる。だからね、取引しましょう?貴方が魔力を差し出してくれるなら、私とアーチャーでアレを何とかするわ。詳しい方法は後で説明するけど……駄目?」
「宗一郎様……」
迷った末にキャスターが縋るように名を呼んだのを聞いて、葛木は小さく頷く。
「私には魔術的な事は解らないが、寺の魔力を差し出すことで、お前が守られるならば、そう悪くない条件だと思うが」
「優しいマスターね」
ふふっとイリヤは嬉しそうに笑うと、キャスターに視線を送る。キャスターの身を案じるマスターの言葉に、きっと彼女は逆らうことはないだろう。そう確信してイリヤは再び口を開いた。
「アインツベルンの名において約束するわ。アレは私達が冬木の街から祓うって」
「……分かったわ」
頷いたキャスターに満足すると、イリヤは声を上げた。
「バーサーカー!少しだけ足止めしなさい!」
霊体化していたバーサーカーが実体化し、咆哮を上げて泥の塊へと突撃していった。短い時間ならばバーサーカーでも対抗できるだろう。丁度二つ目の夫婦剣を破壊されたアーチャーは、そのままバーサーカーと交代してイリヤの側に滑りこんでくる。
「交渉成立よ」
「感謝する」
アーチャーが笑ってイリヤに視線を送ると、彼女は瞳を細めて、さて、と呟きキャスターに破戒すべき全ての符を使うように促した。
「行くわよ」
「頼む」
アーチャーの胸にその剣を突き立て、キャスターは遠坂凛から令呪を強制的に奪った。キャスターの手の甲に浮かんだ令呪を確認し、アーチャーは、小さく頷くと、赤い聖骸布を展開しイリヤに言葉を零す。
「行ってくる」
「後は任せて。バーサーカー!戻りなさい」
バーサーカーが霊体化したことで的をなくし、大きく槍を地面に突き立てた泥の塊は、ピタリと動きを止めた。アーチャーが舞い戻ってきたのに気がついたのか、咆哮を上げて襲いかかってくる。
「魔力の貯蔵は十分だ。存分に相手をしよう!」
夫婦剣で槍を受け止め、アーチャーは吼えるように言葉を放った。
「……ほんの少し相手しただけで、バーサーカーが汚染されかけるなんてデタラメだわ」
不満そうに言葉を零すイリヤを見て、キャスターは不安そうな顔をした。彼等は必ず祓うと言ったが、大丈夫なのだろうかと。
「もう一つ手伝ってくれるかしら?」
「まだあるの!?」
流石に弱みに漬け込んで好き勝手し過ぎだろうと思ったキャスターが声を上げると、銀色の娘は、しれっと、ちょっと手伝ってもらうだけよ、と笑った。
「アーチャーとアレ、空間移転で飛ばして」
「……私が自分で飛ぶ分には問題ないけど、サーヴァント二体とか無理よ」
「座標軸は私が設定するから」
要するに、移転魔術に必要な座標設定はイリヤが受け持つので、とりあえず魔術展開だけしろと言う話である。無論、イリヤスフィール自体は優秀な魔術師であるから、二人の力を合わせればできないこともないだろう。
「分かったわ」
そう言うと、キャスターは術式を展開する。それに合わせるように、イリヤは詠唱を重ね、己の身体に刻み込まれた魔術刻印を総動員して座標設定を行った。
「アーチャー!」
イリヤの上げた声に、アーチャーは光の方陣の中へ滑りこんでいく。それを追っていく泥の塊。キャスターは成功しろ、と祈るような気持ちで空間移転を発動した。
急激に静かになった境内。キャスターはへたり込んでイリヤを見上げる。
「人の足元見て……」
「ありがとうキャスター。これでアーチャーもマスターの汚染を気にせずに戦えるわ。ここからは出ないでね」
「……分かってるわ。あんな酷い呪詛……サーヴァントなら飲まれるし、普通の人間なら心が毀れるわ」
だからアーチャーは魔力供給と、呪詛に耐えうる仮のマスターを必要としたのだ。少なくともこの陣地にいる間ならば、キャスターが汚染される心配はない。それほどここは強い霊地であり、キャスターが構築した最強の陣地なのだ。
「どこに飛ばしたの?」
「ここに来る前にね、一箇所アーチャーと地脈を壊してきたの。後で治すけど、その場所ならば、聖杯からの魔力供給は途絶えるわ」
「消耗戦か……」
葛木の言葉に、イリヤは大きく頷くと、寺の境内を見回した。
「今の状態では泥に汚染されすぎてて、彼の魂を聖杯から引きはがせないから」
「……祓うって言ってたわよね、貴方達」
キャスターの言葉にイリヤは、えぇ、と言葉を零して、困ったように笑った。
「祓うわ。でも、普通に倒したんじゃ、また条件さえ揃えばあの呪詛は発動する可能性がある。だから、私達はね、彼の聖杯戦争を終わらせることにしたの」
衛宮切嗣への呪詛。そして、アレが第四次聖杯戦争で残した無念。聖杯の汚染によってかの男は既に己の望んだことすら忘れているのかもしれない。だからこそ、思い出させる必要があった。
「私とアーチャーが地脈を壊した場所は、アレが死んだ場所なの。そこで、彼の魂に決着をつけさせる。それで終わり。……アーチャーが一番大変だけどね」
「……どうしてその、セイバーのマスターとアーチャーをアレは誤認したの?」
キャスターの疑問にイリヤは哀しそうに瞳を細めた。
「アーチャーが衛宮切嗣の理想を継いだからよ。呪詛対象である、己の騎士道を穢す者。100人を助けるために50人を殺す存在。衛宮士郎は、まだそこに至ってない。けど、アーチャーはそこに至って英霊になった。こんな丁度いい代替品なんて存在しないわ」
その言葉にキャスターはどう返答していいか解らなかった。決してキャスター自体は他のサーヴァントと良好な関係とは言えない。けれど、それは、本当にアーチャーが肩代わりしなければいけない事なのか。そう感じたのだ。
「リンの所に行ってくるわ。明日、セイバーが回復したらここに来るように言うから」
「?貴方はその後どうするの?」
明日セイバーが回復してから云々いうのならば、一緒に来ればいいのに、そう思ったキャスターが言葉を零すと、イリヤは笑った。
「一旦ここに戻ってくるつもりだけど、その後アーチャーの所に行くわ。アーチャーがキリツグの代わりなら、私はね、お母様の代わりをやらないと」
「……え?」
「呪詛対象である騎士道を穢すもの、彼の騎士道に共感した騎士王、そして……アインツベルンの小聖杯。それが、呪詛成立、そして、聖杯戦争を終わらせるトリガーなの」
そう言い残すと、銀色の娘は、闇夜に姿を消した。
その後キャスターは水晶玉でアーチャーの戦いをずっと眺めていた。吸い上げられる魔力と、流れてくる呪詛。魔力パスを通して流れこんでくる呪詛でこのレベルならば、直接受け止めている彼はもっと酷いのだろうと考えて、瞳を細めた。深夜に戻ってきた銀色の娘は、転移魔術の下準備をし、少しだけ話をした後に、アーチャーの元へ行った。だからと言って彼女が戦うわけではない。彼女の役割は、見届ける役割なのだ。現にアレは現れたイリヤに目もくれずに、アーチャーにだけその憎悪を向けていた。
衛宮切嗣に、そして世界に向けられた怨嗟。
それを受け止め続けるアーチャー。
聖杯からの魔力供給が途絶えているせいか、泥は次第に余計な部分を削り落とし、人としての形状をとりつつあった。この場所を訪れた時は不明確だった輪郭は、嘗てランサーと呼ばれたサーヴァントであることを確認する事がかろうじて出来る。
「……キャスター」
「いらっしゃい。お嬢ちゃん」
青ざめた顔の遠坂凛。そしてその隣に控えるランサー。少し遅れてやってきたのはセイバーと衛宮士郎。
「イリヤにここに来るように言われたわ。……アサシンはどうしたの」
恐らくこの境内に来る前の石段で、あの汚染を見たのだろう。自己修復をかけているが、完全に拭いされていない昨日の戦いの跡。
「アレにやられたわ。暫くは動けない」
「イリヤとアーチャーは?」
「……別の所でアレの相手をしているわ」
凛の言葉に淡々と返事をすると、キャスターはちらりとセイバーの表情を伺う。イリヤの話では、セイバーは槍の呪いを受けて、回復魔術が通らない状態らしい。士郎の鞘の力で汚染を辛うじて食い止めていると聞いている。
「私はあの娘に、貴方達を送るように頼まれてる。だから、そうしてあげたいんだけど……その前に確認するわ。貴方達はアレが何だか理解してるのかしら?」
その言葉にセイバーは息を飲み、遠坂凛は苛立たしげに声を上げた。
「大方聖杯に汚染された何かでしょ?」
「……そう。残念ね。貴方達を向こうに送ることはできないわ」
「キャスター!」
「セイバー。黙っていればバレないと思っているの?アーチャーもアインツベルンも娘も、全て承知でアレを祓うつもりでいるわ。だから、少なくとも貴方は向こうに送れない。貴方は邪魔だわ」
凛の怒鳴り声を無視して、キャスターは静かに言葉を紡いだ。呆然としたようなセイバーの表情に、士郎は口を開く。
「確かにセイバーは今呪いを受けてるし、戦うのは無理だろうけど……」
「呪いが解ければ、あいつの槍を躱せるか?セイバー」
士郎の言葉に反応したのはキャスターではなく、今まで沈黙を守っていたランサーであった。赤い瞳を細めて、ランサーは冷たくセイバーに言葉を放つ。
「ちょっと、ランサー。アンタあいつの正体分かってるの?」
「大方予想はついてる」
凛に憮然と言い放ったランサーは、セイバーを睨むように視線を送った後、キャスターに視線を戻す。
「まぁ、魔女のほうが詳しく聞いてるだろうけどな。……俺の役目はリン嬢ちゃんを守ることだ。どうする?嬢ちゃん。もう少し魔女の話に付き合うか?」
相手の正体が解らないまま突っ込むのと、正体を知って突っ込むのでは雲泥の差だ。それは凛も承知している。だから彼女は焦る気持ちを抑えつけて、魔女と向き合った。
「話して頂戴。それで、どうするか決めるわ」
「……そうね。私がアインツベルンの娘から聞いたことを話すわ。そして、セイバーを向こうに送るか否かは貴方達が決めなさい」
キャスターの口から語られたのは、第四次聖杯戦争で衛宮切嗣の奸計にはまり、自害の追い込まれた男の話。そして、いくつかの条件が整った事によって、彼の呪詛が成立したこと。アーチャーとイリヤは、彼の聖杯戦争を終わらせるために戦っていること。
その話を聞きながら、セイバーは今にも泣き出しそうな顔をして俯いていた。忘れていた訳ではない。けれど、多分忘れてしまいたかったあの忌まわしき呪いの言葉。
「……聖杯戦争の再現……ですって……」
「無念を晴らしてやらないと、何度でも条件さえ整えば呪詛が成立すると言ってたわ」
凛は唇を噛み締めながら、キャスターの言葉を聞く。また勝手に背負いこんでと、アーチャーを怒鳴りちらしてやりたかった。いつもそうだ。勝手に決めて、勝手に行動して。自分の命が一番軽い。
「あいつ莫迦よ。何で他人の呪詛まで引き受けてるの」
「そうね。私もそう思うわ。……セイバー。貴方が考えているように、貴方が死ねばきっと条件は破綻して呪詛は成立しなくなる。けどね、きっと彼は、呪詛が成立するトリガーである、セイバー、イリヤスフィール、そして、自分自身、どれか一つでも欠けてしまうのが嫌だったんでしょうね。全部守りたかったんでしょ。そうでなければあんな分の悪い消耗戦なんかしないわ」
凛の言葉に返答したキャスターの言葉に、弾かれたようにセイバーが顔を上げる。それを眺めて、キャスターはやっぱり、と言うような顔をした。
「アレに殺されるつもりだったんでしょう。そうすれば、アレが満足すると思って……」
「わ……私は……キリツグの所為とは言え、彼の誇りを結果的に踏みにじってしまった。……だから……私は……」
バン!と、凛がキャスターの座る外廊下に拳を叩きつける。
「キャスター」
「何かしら?」
「第四次聖杯戦争の再現をすればアレは満足するってことよね」
「……聖杯にかける望みのなかったサーヴァント。彼は騎士として最期を迎えることを望んだのよ」
「いいわ。やってやろうじゃないの。その茶番。ランサー。ギルガメッシュ呼んで」
「ちょ!嬢ちゃん!?」
慌ててランサーが声を上げるが、凛はギロリとランサーを睨みつけると、更に声を上げる。
「アーチャーがセイバーを死なせたくないって言うんだったら、その望み、私が叶えてやるわ。奸計にハマった自分の迂闊さを棚に上げた挙句に、人の土地荒らして、私のアーチャーに呪詛を叩きつけるなんていい度胸じゃない。アイツがセイバーのマスターとアーチャーを勘違いしてるんだったら好都合よ。私をお父様と勘違いしてもらおうじゃないの。ギルガメッシュ引き連れて、莫迦の聖杯戦争終わらせてやる」
「リン!」
悲鳴のように声を上げたセイバーを凛は見つめ、口を開く。
「いい?セイバーはここにいなさい」
「しかし!彼が恨んでいるのは私です」
「……私には騎士道っていうのがどんなものか解らないわ。魔術師だから。けどね、貴方がわざと負けてあげるってのは、騎士道を穢す行為じゃないの?」
凛の言葉にセイバーは大きく瞳を見開くと、視線を彷徨わせる。
「ギルガメッシュはアレが自害した時にはまだ存在した筈だから、別にギルガメッシュが倒しちゃってもいいじゃない。英雄王に倒されるんだったら、納得するわ!寧ろさせる!」
最後が力技だ!と思わずランサーはツッコミを入れたくなったが、間髪入れずに境内に響く声によって中断された。
「我手ずから相手をしてやるのだ、誉に思うだろうな」
「ギルガメッシュ!」
呼んでもないのにやってきた英雄王の姿にランサーは唖然とする。しかし凛は、瞳を細めてギルガメッシュを眺め、口を開いた。
「一緒に行ってくれるかしら?英雄王。貴方なら当然勝てるでしょ」
「愚問だな小娘。放置しようかとも思ったが、我の庭で好き勝手されるのは癪に障る」
「同感ね」
このコンビなら聖杯戦争を勝ち抜けただろうと言う様なやり取りに、ランサーは大きくため息を吐くと、諦めたように、俺も行く、と短く言う。すると、ギルガメッシュは眉を寄せて少し考え込んだような顔をした。
「そうなると、貴様はコトミネか。似合わんな」
「え?なんかそれはヤダ」
思わずそう零したランサーを見て、凛は笑った。
「ありがとうランサー」
「おうよ」
そして、王の財宝から召喚された派手な船。それを眺め、凛はほぅっとため息をついた。
「凄いわね」
「同乗を許す。来い、トキオミの娘」
ヨイショと、ランサーと共に船に乗り込んだ凛を見上げて、キャスターは声を上げた。
「今聖杯の泥をアーチャーが払っているわ。それが完了したら、アレの聖杯戦争を終わらせてあげなさい」
キャスターの言葉に凛は小さく頷き、セイバーの顔を眺めた。蒼白な顔。多分戦えないだろう。凛は仕方が無いと哀しそうに笑ったが、ギルガメッシュは口元を歪めて言葉を放った。
「良い顔だなセイバー」
「!?」
驚いた表情で、セイバーはギルガメッシュを見上げた。それに満足したような顔をすると、彼は再び口を開く。
「10年前の様な顔だぞ」
「ギルガメッシュ!」
「ははっ!そうだ、その顔だ!貴様は何一つ変わっていない。今のお前は歪んだ望みを懐いた哀れな小娘のままだ。それすらも救いたいなど、贋作者も滑稽なモノだな!」
高笑いをしながら船は空に舞う。それを見送ったセイバーは、唇を噛み締め、拳を握りしめて、俯いた。
場所は新都の外れの廃工場跡。昨日その場所の地脈が不自然に毀れたのを凛は把握していた。恐らくアレの聖杯からの魔力供給を止めるために、アーチャーとイリヤが毀したのであろう。そこまで考えて、凛は、ふと顔を上げてギルガメッシュを見上げた。
「アレの名前なんていうの?」
「む?確かディルムッドとか言っていたか」
言峰綺礼がアサシンを使って収集していた情報を思い起こしながら、ギルガメッシュが返答すると、ランサーはゲッと思わず声を上げた。
「マックールの小僧のとこの奴か」
「ディルムッドって……上司の婚約者寝とった?」
凛の言葉にギルガメッシュは愉快そうに笑った。余りにも身も蓋もない言い方だったのが可笑しかったのだろう。
「ランサーと同郷だったかしら」
「まぁ、俺はアイリッシュだけど、アイツはどっちかって言うと、スコットランド方面だからな……つー事は、セイバーの受けた槍は、必滅の黄薔薇か。そりゃ傷がなおんねーわ」
ランサーの顔を眺めながら、凛は不思議そうに口を開く。
「同郷で、同じ騎士なのに随分違うのね」
「騎士としてのあり方が根本的に違うんだよ。多分な」
そう呟いてランサーは思わず眉間に皺を寄せた。きっとディルムッドと言う騎士は、生前果たせなかった忠誠を、サーヴァントとして果たしたかったのだろう。それを衛宮切嗣に妨害された。けれど、ランサーに言わせれば、そんなもの手前の勝手である。主を守れなかった事を棚上げして、何を勝手にと凛が怒るのは無理も無い。
本来忠誠とは、己が選んだ主に捧げるものなのだ。
けれどサーヴァントは主を選ぶことはできない。
根本的に破綻しているのだ。
「……見えたぞ」
ギルガメッシュの言葉に、凛とランサーは目を凝らす。恐らく他からの妨害が入らないように、イリヤが結界を張っているのだろう、魔力同士のぶつかりは感じられるが、音も、衝撃も感じられない。
「行くわよ英雄王。貴方の力存分に見せてちょうだい」
「……よかろう。刮目して見よ!」
そして、英雄王は空に王の財宝を展開する。
それに驚いたのは、泥の塊の相手をしていたアーチャーである。突如現れた黄金の船。そして、展開される王の財宝。来るのならセイバーだと思っていたというのに、ギルガメッシュと……その隣に赤いコートをはためかせて立つマスターの姿を見つけて、思わず声を上げそうになる。
「なッ!」
ぱちんと指を鳴らすと同時に降ってくる宝具の雨。アーチャーは慌てて泥の塊から距離を取り、イリヤを抱えて熾天覆う七つの円環を展開する。
それを船から眺めていたランサーは、呆れたように言葉を零した。
「……アーチャーにも当たるんじゃね?」
「私のアーチャーなら大丈夫!多分!」
そう言い切った凛は、人の形をした泥を見て、顔を顰めた。余りにも酷い呪詛。アレでもアーチャーがかなり削ったのであろう。現にランサーは、はじめに会った時より人っぽくなったな、と感心したように言葉をこぼしている。
いくつかの宝具を身体に受けた泥の塊が、唸り声を上げて空を仰ぐ。それを確認した凛は、優雅な微笑を浮かべて言葉を放った。
「覚悟なさい【ランサー】。遠坂家自慢のサーヴァントが、貴方の聖杯戦争を終わらせてあげる」
「……■■……アー■■ー……」
「ほぅ。我を思い出したか雑種。輝く貌と歌われた美貌も、その泥では台無しだな。……我の前に立つには些か不恰好。その泥、我が払い落としてくれる!」
そして再度展開される王の財宝。それに驚いて、アーチャーが声を上げた。
「まて!イリヤに当たる!」
「知らんな!貴様が抱えた小娘だ!貴様が何とかしろ!」
横で聞いていたランサーは呆れるしかなかった。テンションが上がりすぎてギルガメッシュも凛も楽しそうにさえ見えてくるから恐ろしい。アーチャーの方も、イリヤを抱えて避難するのが精一杯と言うで転がるように場所を移動している。魔力こそは十分の様子であるが、傷の治療にまで回せていないのか、見るからにボロボロである。こうやってギルガメッシュと凛が馬鹿騒ぎを起こしているのは時間稼ぎをしているに違いない、と良い方に捕らえて、ランサーは敵の動きに注視した。
雨あられと降り注ぐ宝具。二本の槍で弾き返す姿は、一番最初にであった頃の力任せの戦い方とは明らかに違って、ランサーは思わず声を上げた。
「おー。やるな。何か、人っぽいぞ」
「魂の形を思い出してきたのであろう。手間のかかる雑種だ」
吐き捨てる様にギルガメッシュは零すと、また指を鳴らした。
なんとか射程外に移動したアーチャーは、イリヤを抱き抱えたまま肩で息をする。
「……無茶苦茶な……」
「でも、思い出してるみたいよ」
「そのようだな」
一晩かけて削りとった聖杯の泥。そして取り戻しつつあるディルムッドの魂の形。もう少し削れば、引き剥がすことが出来るだろう。ただ、残念そうにアーチャーは言葉を零した。
「……セイバーは無理か……」
その呟きをかき消すように、宝具を食らった泥の塊が、痛みの悲鳴を上げて、その場に蹲った。
「痛いか?痛かろう!当然だ!貴様はそんな事すら忘れていたのか?【ランサー】」
ゲラゲラと笑いながら言葉を降らすギルガメッシュ。それに対して、地面に伏した泥の塊が、空を仰ぐように顔のない顔を上げた。
拳を握り締めるセイバーは、黙ってキャスターの水晶玉に視線を送っていた。キャスターの膨大な魔力のバックアップがあったとはいえ、一晩中、呪詛を受け続け、かの男と剣を交え続けたアーチャー。自分の代わりに聖杯戦争を終わらせると、ギルガメッシュを引き連れて挑んだ凛。それに比べて自分はと、怒りと羞恥でおかしくなりそうだった。
怨嗟の声は今でも心に残っている。
自分の騎士道を認めてくれた、彼の祈りを踏みにじった事実。
だから、彼に殺されれば、彼は満足すると思った。
「セイバー」
カタカタと震える彼女の手を握ったのは、衛宮士郎であった。
「シロウ……私は……」
「もしもセイバーがアイツに殺される結末を望んでいるなら、俺は絶対にセイバーを行かせない」
明確な意思を持って士郎は言葉を放つ。
「けど……セイバーがアイツを倒すために行くんだったら……俺はセイバーを応援する」
士郎の言葉に弾かれたようにセイバーは顔を上げた。
「俺はセイバーが大事だ。アーチャーだって、他の皆だってそう思ってる」
「だからといって……私だけ……」
「確かに爺さんがアイツの騎士道を穢したかもしれない。けど……セイバーはアイツと正々堂々と戦うつもりだったんだろ?それに……」
「それに?」
「……ギルガメッシュがアイツの聖杯戦争を終わらしたんじゃ、今度はセイバーの心に後悔が残るんじゃないか?そうさせない為に……セイバー自身の心に決着をつけさせるために、遠坂と多分契約を結ばせたんだと思う」
マスターとしての魔力供給が十分ではない自分。勝算はセイバー次第だと言ったイリヤ。そして何より、アーチャーならそう考えるのではないかと士郎は思っていた。
諭すような優しい士郎の声に、セイバーは涙を零す。そうだ。彼に殺される事を望むのは、凛の言うとおり、彼の騎士道を穢す行為だ。懺悔もある。後悔もある。けれど、今、自分は彼に何をすることが出来るだろうか。
嘗て王の選定をやり直すことを望んだ。
今回もまた、ただの自己満足のために全てを投げ出そうとした。
「……戦います。そして……勝ちます。殺されて、私一人楽になるなど……それこそ愚かな選択だ」
アーチャーはきっと、全てを救いたいと思ったのだろう。己の身を削っても。人の呪詛を肩代わりしても。けれどそれは、決して己を投げ出す為の選択ではない。セイバー、イリヤ、そして、己自身だれひとり欠けることも許さないという、鋼の意思。そして、ディルムッドの魂さえも彼は拾うのだろう。だから凛は、そんなアーチャーを助けるために戦うことを選んだのだ。だから、ランサーは何も言わずに彼等に協力したのだ。
第四次聖杯戦争の再現。
ならば己が彼と剣を交えるべきだ。
「……キャスター。私を向こうへ送って下さい。出来ればシロウも一緒に」
その言葉にキャスターは、瞳を細めると、術式を展開した。昨日の晩のうちにイリヤが座標固定をしたので、キャスター一人でも彼等を移動させることは出来る。淡い光に包まれた魔方陣に、セイバーは一歩踏み出すと、士郎に手を差し出した。
「行きましょうシロウ。私の戦いを見届けて下さい」
その言葉に士郎は頷くと、セイバーの手を取った。
ゆらゆらと立ち上がった泥の塊は、ギルガメッシュを見上げて声にならない声を上げた。
「■■チャァァァァァ!」
「ははははははははッ!駄犬、【ランサー】の泥をもう少し剥がしてやれ!」
愉快そうに笑い続けるギルガメッシュの声を聞いて、ランサーは赤い魔槍を構えると、泥の塊に突進した。それを長い槍で弾き返し、ランサーの心臓目掛けて短い槍を突き出す。後退することで躱したランサーは、尻上がりの口笛を吹いて冷やかした。
「漸く俺を認識出来たみてぇだな。いいぜいいぜ!存分に殺りあおうぜ!」
武具を通して流れこんでくる呪詛は明らかに弱くなっている。これならかなり長時間でも捌ける筈だ。ちらりとアーチャーに視線を送ると、彼は立ち上がり、夫婦剣の投影を完了していた。
「よそ見すんなよ、坊主!手前の槍は、俺とアイツで、砕いてやるからよ!」
その言葉と同時に、赤い聖骸布が翻った。
「調子にのるなよランサー」
「それはどっちに言ってんだ?」
ニヤニヤと笑いを浮かべて、ランサーは槍を振るう。飛び散る泥は、聖杯からの魔力供給を受けていないせいか、汚染の力が弱く、地面に染みこむだけであった。夫婦剣と、赤い魔槍の攻撃を捌きながら、泥の塊は唸り声を上げる。
パチンと、指を鳴らす音が聞こえ、ランサーとアーチャーは同時に飛び退く。反応が遅れた泥の塊を貫く宝具。
「■■■■!!!!!!」
声を上げて膝から崩れ落ちる泥の塊を見たギルガメッシュは、瞳を細めると、頃合いか……と言葉を零した。
「……鶴翼、欠落ヲ不ラズ」
アーチャーの口から溢れる詠唱。
「凍結、解除」
夫婦剣がその真の姿を晒す。二枚の翼にも見えたその夫婦剣は、セイバーへ呪いを送り続けた槍を砕いた。
己に向けられた憎悪の視線。そう、今まで存在しなかった、視線を感じてアーチャーは、夫婦剣を破棄すると、破戒すべき全ての符をその手に投影した。
「……後は君が、君自身の手で終わらせるといい……」
そう零し、アーチャーはその剣を、泥の塊に突き立てた。
剥がれ落ちるように泥が地面へと零れてゆく。
息を飲んで凛はそれを眺める。
ぐらりと倒れこむアーチャーの身体を抱えると、ランサーはイリヤのいる場所まで素早く移動して、事の成り行きを眺めた。
「……どうだ?」
「多分泥は剥がせたわ……。ランサーやギルガメッシュのお陰で予定よりずいぶん早いけど」
「そりゃ良かった」
連続投影で消耗しているのだろう、アーチャーはピクリとも動かない。それを船の上から心配そうに眺める凛に気が付き、ランサーは小さく舌打ちをした。
「あっ……」
脱皮するようにその姿を晒した、ソレは、小さな声を零し呆然とした様子で、己の手を眺めていた。
そして、それと同時に突然展開された光の方陣。
地面に舞い降りたのは、青い騎士王。
「セイバー……大丈夫か?」
「はい。どうやらアーチャー達が彼の宝具を破壊したのでしょう。傷は癒えました」
セイバーは淡く微笑むと、士郎の手を放し、己の剣を握りしめた。纏っていた泥は綺麗に払われ、騎士王と向かい合うのは、ディルムッド。
「待たせましたね、【ランサー】」
「……セイバー?」
ぼんやりとしたような顔をディルムッドは彼女に向ける。それに対して、セイバーは小さく頷くと口を開いた。
「手出しは無用です【アーチャー】」
その言葉に船の上に立つギルガメッシュは愉快そうに口元を歪めて声を降らせた。
「良かろう。存分に我を楽しませろ。水を差す輩は我が排除してくれる」
ビクリと、ディルムッドの肩が揺れる。自分が今まで何をしていたのかはよく思い出せない。けれど目の前に【騎士王】がいる。そして、セイバーの仮のマスターである【アインツベルンの女】も存在する。そして、無意識に視線を巡らせて、探したのは、名も知らぬ【セイバーの真のマスター】
「……」
アインツベルンの女の足元に倒れている男を見て、何故かほっとした。あぁ、これなら大丈夫だ。『邪魔は絶対に入らない』と。
「ここまで来るのに随分と長くかかったような気がします……」
微笑む騎士王の姿に、ディルムッドは小さく頷いた。長い間待ち望んだ騎士王との決着。風王結界が解かれ、その美しい姿を晒した約束された勝利の剣をその目に焼き付けたディルムッドは、赤い愛槍を軽く振り口を開いた。
「……フィオナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ……推して参る!」
「ブリテン王アルトリア・ペンドラゴンが受けて立つ……いざッ!」
ぶつかり合う強い気迫。そして、武具。
一合、二合、と数を重ねるごとに、剣戟は激しさを増していく。
凛は惜しみなくセイバーから吸い上げられる魔力に、思わず顔を顰めたが、それでも、この戦いをじっと眺めていた。全ての動きを凛の目で追いきれている訳ではない。けれど、大きな力のぶつかり合い位は感じることは出来る。彼女の隣に立つギルガメッシュは、僅かに眉を寄せたが、どこか嬉しそうに口元を歪めた。
「嬉しそうじゃないの」
「……何時の世も力と力のぶつかり合いというのは、愚かで、愉快なものだ」
「騎士道なんか私には解らないわ。聖杯戦争は相手の裏かいてなんぼよ。けど……確かに真剣勝負に水を差されたら腹は立つわね」
凛の言葉にギルガメッシュは少しだけ眉を上げると、愉快そうに笑った。あのつまらぬ男からこの娘が出来上がったのはある意味奇跡だろう。突発的な事には弱いが、腹を据えるのが早い。そして何より、戦場に立つ気概がある。女の身でと笑うのは簡単だが、ただ蹂躙させるだけの小娘など面白くない。
そんな事を考えていると、セイバーとディルムッドが互いに距離を取り、それぞれ大技を仕掛ける体制に入ったので、ギルガメッシュは視線をそちらに移した。
ぶつかる魔力。
そして、光。
大気が震えるのを肌で感じながら、ギルガメッシュは口元を歪めた。
「……茶番は終いだ」
「そうね……」
黄金のサーヴァントが零した言葉を聞いて、凛は瞳を細めると、無事に全てが終わったことに安堵した。
己の胸を貫く約束された勝利の剣を眺め、ディルムッドは手を伸ばすとセイバーの頬を撫でた。
「……強いな……初めて対峙した時よりずっと強い」
その言葉にセイバーは瞳を伏せると、約束された勝利の剣を引きぬいて、傾くディルムッドの身体を抱きとめる。
「私の剣は、私の選んだマスターに捧げられたものです。負ける訳にはいかない」
それは衛宮士郎に捧げられた常勝の剣。10年前にディルムッドと戦って勝てていたかどうかはセイバーにも解らない。けれど、今の自分なら勝つ以外はないと、彼女は信じていた。
「……そうか……」
「本来騎士の剣とは、己が選んだ主に捧げられるものです。……ディルムッド。貴方の敗因があるとすれば、それは、貴方が己の忠誠をマスターに押し付けたことに他ならない」
驚いたように瞳を見開いたディルムッドは、暫く思考を止めたが、どこか諦めたように、儚く笑った。
「気がついていた……けど、俺はそれに目を瞑っていた……。今度こそはという気持ちのほうが勝ってしまったんだな。あぁ、セイバーに負けても仕方がない」
「先に座で待っていて下さい。私が戻った暁には、また再戦しましょう。何度でも」
「……有難う……」
次第に重みを失っていくディルムッドの身体。彼は最後にセイバーの顔を眺めると、満足そうに笑った。
遠坂邸で紅茶を飲みながら、セイバーは今回のことを皆に謝罪した。しかし、ランサーは咽喉で笑うと、ポンポンと彼女の頭を軽く叩く。
「まぁ、上手く行ってよかったじゃねーの」
「……イリヤスフィールにも苦労をかけました」
その言葉にイリヤは淡く微笑むと、別にセイバーの為じゃないわよ、と赤い瞳を細める。
「アインツベルンの尻拭いにも近いわ。キリツグが悪いんだから気にしないで」
実の父親だというのに酷い言われようだと思いながら、セイバーは苦笑して、凛にや士郎にも再度詫びた。
「……うちの管轄だし仕方ないわよ。っていうか、イリヤ!壊した地脈直したんでしょうね!」
「ちゃんと昨日のうちに直しておいたわよ。明日には正常値に戻るんじゃない?」
「だったらいいけど……。けど、本当に無茶な方法ばっかりとって……相談ぐらいしてもいいじゃない」
不機嫌そうな凛の言葉に、イリヤは困ったように笑う。
「だってあんな汚染ばら撒かれたら、凛が後で困るってアーチャーが言うんだもの。時間掛けている余裕は正直なかったわ。アーチャー自体もどこまで持つか解らなかったし」
強力な呪詛をばら撒かれれば、遠坂の管理する土地が汚染される。それは凛にも分かっていたが、相談なしに令呪まで取り上げられた事を腹立たしく思っているのだろう。今は彼女の右手にはちゃんと令呪が戻っているが、彼女はそれを無意識に撫でながら、不服そうに口を尖らせた。
「……まぁ、誰も欠けること無く終わったからいいけど……」
「でもリンとギルガメッシュのコンビは傑作だったわ。同じアーチャーだし、ギルガメッシュにしたら?赤い方は私が貰ってあげるわ」
クスクスと笑いながらイリヤが言うと、ランサーは思わずあのテンション高く乱入した二人を思い出して咽喉で笑った。
「私のアーチャーは一人だけよ。他は要らないわ。……黄金律は魅力だけど……」
最後は小声になっていたので、セイバーは思わず吹き出した。金のかかる宝石魔術と、ギルガメッシュの黄金律は恐らく相性は悪くないだろう。けれど、セイバーのマスターが衛宮士郎であるように、遠坂凛のサーヴァントも赤い弓兵だけなのだろう。実際彼女は【遠坂家のサーヴァント】とギルガメッシュを呼んだが、一度も【私のアーチャー】とは彼を呼ばなかった。
「……あの、アーチャーはまだ動けないのですか?お詫びをしたいのですが」
恐る恐ると言ったようにセイバーが切り出すと、凛は、別にアイツが勝手にやったんだからお詫びなんかいいのよ、と言い切ると、外を向く。それにセイバーと士郎は驚いたように顔を見合わせるが、ランサーは笑いながら口を開いた。
「逃げちまった」
「は?」
「嬢ちゃんに怒られるのが嫌で、どっか行っちまったんだよ」
ランサーの言葉に凛は不機嫌そうに眉を寄せると、何か言おうとするが、結局言葉を発することはせずに黙った。
ディルムッドとの戦いが終わった後、アーチャーは結局一度も目を覚まさなかったのだ。そのままキャスターに令呪を返してもらった後に、遠坂邸に担ぎ込んで丸一日。魔力こそキャスターをマスターに立てたために潤沢にあったが、宝具クラスの連続投影や、汚染された泥を払う為に一晩中戦い続け、心身ともに疲れきっていたのだろう。消耗しているだけで、死ぬことはないとキャスターもイリヤも言い切っていたので、凛も大人しく回復を待っていたのだが、今朝方部屋は蛻の殻であった。
その時の凛の怒り様を思い出して、ランサーは咽喉で笑うが、凛に睨まれ笑いを引っ込める。
「そうですか……」
ションボリとした様子のセイバーを見て、凛は小さく咳払いをすると、伝えておくわ、とだけ言い残し席を立った。
それを見送ったイリヤは呆れたような顔をして口を開く。
「素直じゃないわね」
「そう言うなって。心配して心配してずっと傍にいたのに、ちょっと仮眠取った隙に逃げられたんじゃ怒ってもしゃーないだろ」
ランサーの言葉に、イリヤは瞳を細めると、そうね、と素直に頷いた。
アーチャーが実際怒られるのが嫌で逃げたのかは解らないが、顔を合わせれば凛にこれでもかというほど文句を垂れられるのは予想していただろう。それでも、アーチャーは何もかも拾いあげたかったのだろうし、遠坂の管理する土地を守りたかったのだろう。挙句の果てにディルムッドという聖杯戦争の生み出した亡霊の魂まで救い上げた生粋の正義の味方。そのあり方は凛が一番理解しているだろう。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。ほとぼりが冷めた頃にふらっと戻ってくるだろうから」
「……そうですか。では改めてその頃に」
イリヤの言葉にセイバーは少しだけ安心したような顔をして笑った。元々アーチャーは冬木の土地をふらふらしている傾向にある。衛宮邸や遠坂邸に定住しているわけではないのだ。また会った時に、そう思い、セイバーは温くなった紅茶を飲み干した。
長い石段を登り、凛は柳洞寺の敷地に足を踏み入れた。今までアーチャーに回していた魔力を陣地補修に当てているのか、汚染の方はほぼ元通りになっているようで安心したように敷地内を見回す。
冬木の中でも特に上等な霊地であるこの場所が汚染されるのは非常に困るのだ。
そして、凛は足を止めると、視線を寺の屋根の上へ移した。
「……お疲れ様、アーチャー」
その声に、今まで姿を消していた彼女のサーヴァントが姿を表し、少し驚いたような顔をして彼女を見下ろす。霊体化していたので見つからないと思っていたのだろう。その表情を見て、凛は満足そうに笑うと、降りてらっしゃい、と短く言う。
「……」
暫し沈黙していたアーチャーであるが、素直に彼女の前に降り立つと、少しだけバツの悪そうな顔をした後に、すまなかった、と短く詫びる。
「やり方は相変わらず拙いけど、まぁ、うちの土地を守るためだったんでしょ。私のサーヴァントなんだから仕方ないじゃない」
不機嫌そうであるが、凛がそう言葉を零すと、アーチャーはどことなくほっとしたような表情を作る。かなり勝手をしたのは自覚しているし、凛に無許可でイリヤと組んで無茶もした。
アーチャーが言葉を発さないので、凛は小さくため息を吐く。
「柳洞寺の魔力も悪くないけど、私の魔力と相性がいいんだから、素直に家で療養しなさい」
豊富な柳洞寺の魔力を蓄積すればアーチャーも回復はするだろうが、それより遠坂邸にいたほうが圧倒的に早い。けれど、アーチャーは勝手をした手前、家に居辛かったのであろう、ひっそりとこちらへ来て回復を図っていたのだ。
「君にこれ以上迷惑をかけるわけにもいくまい」
「……迷惑かけたって自覚あるんだ。私が来なさいって言ってるんだから、従いなさい。行くわよ」
くるりと踵を返した凛の後に、アーチャーは少し迷いながらついていく。本来は凛を巻き込むつもりはなかったのだが、結果的に彼女はギルガメッシュを連れて参戦してきた。それはアーチャーにとって予想外のことであり、彼女を危険から遠ざけようとしていたのに、全くもってその努力は無意味な物となった。ただ、今となって考えると、それも彼女らしいと納得してしまうのが不思議で、アーチャーは思わず口元を緩めた。
「反省してるの?」
「……はい」
ぎろりと睨まれ、思わずアーチャーが素直に俯くと、凛はイライラとした様子で足を止めてアーチャーを見上げた。
「次は相談ぐらいしなさい。忘れないで、私のサーヴァントはアンタだけなんだから」
例え、一時的にセイバーと契約しても、遠坂家のサーヴァントだとギルガメッシュを引き連れても、自分のサーヴァントはアーチャーだけである。そう宣言した凛を見て、彼は驚いたように彼女を見下ろした。
「凛?」
思わず彼女の名を呼び、顔を覗きこむと、凛は僅かに瞳を揺らして彼の睨みつけた。今にも零れそうな涙。
「人の呪詛まで肩代わりして、莫迦じゃないの!莫迦よ!莫迦!挙句の果てにディルムッドの魂も救いたいとか、どんだけ貧乏くじ引くのよ!」
泣き出すかとおもいきや、いきなりまくし立てるように怒鳴られて、アーチャーはどんな顔をしていいのか解らず、思わず情け無い顔をした。
「いや……しかしだな……凛……」
「うるさーい!金輪際勝手にマスター変えるの禁止!分かった!?あと、勝手に貧乏くじ引くのも禁止!あと、イリヤとセイバー甘やかすのも禁止!」
「イリヤスフィールやセイバーは関係ないのではないか?」
思わずそう零したアーチャーに、凛はぼふっと抱きつき顔を埋めると、ぎゅうっとアーチャーの身体を抱いた。
「……心配したんだからね」
「すまない」
ありとあらゆる可能性を持ったこの円環世界だからこそ、あの呪詛は成立したのだろう。放っておくこともきっと出来た。けれど、アーチャーはこのぬるま湯のような日常が嫌いでは無かったし、結果のみが残るという特殊な条件下だからこそ、あのディルムッドの呪詛を祓うと決めたのだ。
あの呪詛が発動する度に傷つく人間が存在することをどうしても許容出来なかったのだ。正義の味方としても、エミヤシロウとしても、アーチャーとしても。
10年の時を経て漸く彼の英霊は心置きなく冬木の土地を去ることが出来たのだろう。
凛の身体を抱きしめて、アーチャーは言葉を零す。
「ありがとう、凛」
それを聞いた凛は、少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめると、小さく頷いた。
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zeroシナリオネタバレがあるのでご注意ください(具体的に言うなれば16話) ありとあらゆる可能性が存在するhollowで、こんな話はないかなと夢飛翔しました。