温かい日差しが差し込む昼下がり、新城の夏侯邸では、炬燵に足を入れながら食い入るように竹簡に眼を通す
少女がひとり。その隣では、膝に娘を乗せながら、絵の描かれた竹簡を娘と共にゆっくりなぞるように読む男の姿
「ねえ、美羽を私にちょうだい」
「ダメだ・・・」
断られることを承知しながら、それでも男のもう一人の娘。美羽を自分に仕えさせたいと言う華琳
理由は手にする竹簡。題名は【神農本草経】。あの伝説の炎帝、神農大帝の書き残した書
この書には、本来365種の薬物が書き記されているのだが、美羽が更にこの書を増広し、現在は730種の薬物が記されている
なので、正確には【蜂王本草経】と呼ばれている
この書は、華佗の弟子達の教本の一つとなっており、更には一般の人々が活用できるよう解りやすい解釈が付いていて
手軽に手に入るほどに流通しているのだ
「意地悪、これ程の知識を野に放しておくのはどうかと思うわ」
「あの子は弄くり回して良いものじゃない、自由にさせてこそ、その美しい羽を広げることが出来るんだ」
男の言葉に華琳は酷く残念なため息を一つ吐く
「本当に残念、今も此処に記された薬物以上に知識は増えているのでしょう?」
「ああ、この間きいてみたら、詳細がわからない植物も含めれば約千以上の植物が美羽の頭に入っているらしい」
ますます残念そうに、華琳は一つ一つ解りやすく絵までつけられ、書き記された書をみながらため息を吐く
頬杖をつきながら、書に眼を通していくと、ある箇所で華琳の細い指先が止まった
「ねぇ、何故ここだけ塗りつぶされているの?」
「ん?ああ、それは大麻について書かれていた場所だからだ」
「大麻?大麻油の?」
「そうだよ、房中術の書なんかでも書かれてるよな。阿呆な使い方をしなければ、身体に良い物なんだけどな」
華琳は【阿呆な使い方】という言葉に首を傾げる。男は、華琳の対面、男の隣で足を炬燵に居れながら寝息を立てる
華佗を見ながら頷いた
「華佗が言うには、油にも種にも栄養が多く含まれていて、免疫力,細胞合成、神経、筋肉、血圧機能なんかに効くらしい
手術なんかにも使える事は華琳も知っているだろう?」
「ええ、素晴らしい植物よね。それでも消すと言うことは、何か他に危険な使い方があるということね」
男は膝の上で春の陽気に誘われ、寝息を立て始めた娘の頭を撫で、竹簡を閉じて茶を啜り頷く
「葉を乾燥させて煙を吸う。呪術師なんかがやってるだろう?あれは阿呆な使い方だ、華佗に言わせれば自殺行為だとさ」
「自殺行為ね・・・それほど身体に影響がある物なの?」
「そうだ、中毒性はもとより徐脈と血圧低下を起こすし、虚血性心疾患、狭心症症状、突然死の危険、血管攣縮による心筋梗塞
一過性脳虚血発作や脳卒中等など、あげたら切りがないって言ってた」
「余計に消した意味が解らないわ、知っていれば使用する者など居ないでしょう?」
「いや、そうは言えないよ。こんな時代だ、大麻がもたらす幸福感やまるで天国に居るような感覚に酔いしれ、手を出す者が
必ず出る。誰だって、辛いことから逃げ出したくなるし、酒とおなじように拠り所にしてしまったりするだろうしな」
上げられる様々な症状に華琳は表情を固くする。こんな物が出回れば、中毒となった患者が大麻を求め、何をするか解らない
賊を幾ら排除したとしても、国の中から腐りだす要因となる物が出回っていれば意味がない
「だから消したのね、大麻の項目を。でも、塗りつぶしてあると言うことは、華佗の弟子達が持つ物にはちゃんと記されている
ということ。使い方を間違え無ければ、此れほど良い植物は無いから」
「うん。だから、出来れば国で管理して栽培したいんだ。使用するには許可書や免許を発行してさ」
「そうね、栄養があり、医術にも使用できる。それに、たしか繁殖力が強いはず。上手く使えば飢饉で苦しむ民の助けにもなる」
「栽培が出来て、安全に流通するようになったら蕎麦を食わせてやるよ。大麻蕎麦って言ってな、大麻を使って蕎麦が作れるんだ」
大麻で作った蕎麦という、聞いたことも無い食べ物に華琳は眼を輝かせる。この所、蕎麦を食べることにハマっているらしい
「くしゅんっ・・・」
是非作って欲しいと男に訴えようとすると、寝ていた華佗がくしゃみを一つ
男は、炬燵に入らない華佗の上半身に自分の外套をかけると、華佗はもぞもぞと外套の端を掴んでくるまってしまう
「ふふっ、無防備ね。よく来るの?」
「あまり華琳は会わないか、昼間は多いな。昼飯を食い終わった後とか、夜勤あけはよく来る。といっても、殆ど寝てるがな」
他愛のない話をしていると、新城に響く鐘の音。一つ、二つ、三つと音を響かせ、華琳は開け放たれた居間から庭を見る
「三時か、時間を知ることが出来るのはやはり良いわね。予定が立てやすい」
「漏刻、役にたってるな。町の皆からも評判が良い」
「良かったわ。時間を知ることが出来れば、此方も管理がしやすい」
新城に響いた鐘は、漏刻番の兵が時刻をみて鳴らした鐘。元々は、天子様のお住いになられる御所に置かれた時計、漏刻
要するに水時計である。宦官であった曹騰様がいらっしゃった頃から漏刻に眼を付けていた華琳は、天子様と交流を持たれて
から、真桜に漏刻を見せて、仕組みを理解させて小型の漏刻を作成。水路を張り巡らせた水の豊富な新城の要所要所に設置し
町の人々が時間を把握出来るようにしていた。更に、目の不自由な人の為、そして足が不自由な人のために、一定の時間で
鐘を鳴らすようにしていた
「何時も皆を考えてくれる。俺は、華琳のそういう所が好きだ。皆の代わりに礼を言うよ、有難う」
「きゅ、急になに?私は民から納められる税で生活をしているし、民を考えるのは当然
王として当たり前の事をしているだけよ」
「素直に言葉にしないと、何時、言えなくなるか解らないからな。秋蘭にも、できるだけ愛していると言うようにしてるんだ」
「そ、そう・・・急に言われると・・・」
突然の感謝の言葉に、華琳は眼を男から逸らし、かすかに頬を染めていた
「兄様、出来ましたー!」
そういって、土間から姿を表すのは流流。手には盆を持ち、上には皿に乗せられたケーキ
「良い香りね、優しい牛乳の香り」
華琳の目の前に配膳されたのは、薄く焼かれた生地を生クリームと交互に何枚も重ねたミルクレープ
「木苺を砂糖で煮詰めたものを、なまくりーむと一緒に挟めてみました」
良く見れば、木苺のソースが間に挟まれ、鮮やかな紅色が見た目を楽しませる
そして、一番上の段には一枚、小さな薄荷草(ミント)の若葉が乗せられ、爽やかな香りが鼻をくすぐる
「此れは俺からの感謝の気持ちだよ。何時も有難う、ご苦労様」
優しく微笑む男に、華琳は笑を返す
「わかっていても、言葉に出して言ってくれるのは嬉しいものね。ありがたく頂くわ」
華琳は、箸ではなく、添えられた木製のフォークをミルクレープに入れれば、ふわりと柔らかな弾力
上品に、一口大に切り取ったミルクレープを口に含めば、木苺の甘酸っぱさと生クリームの優しい甘さに顔を綻ばせた
「ふふっ、おいし」
「何時もご苦労様です、華琳様」
「有難う、秋蘭」
土間から現れた秋蘭は、美羽の栽培した紅茶を淹れた手作りのティーカップを労いの言葉と共に配膳し
華琳は、味わったことのない茶の味と香りに心を酔わせていた
「今年も良い年になりそうね・・・」
庭に挿し込む温かい日差しを眺めながら、華琳は満たされた温かい心を堪能しながら眼を細めた
「・・・くしゅっ・・・うぅ・・・ぐすっ」
「華佗、風邪ひくぞ」
「ぅ・・・もう少しだけ、寝かせてくれ」
「部屋で寝た方がいい、客間の布団を使って良いから」
「・・・・・・ぐぅ」
「仕方ないな・・・起きろっ!友よっ!今こそ立ち上がる時だっ!」
「応っ!任せろっ!どんな病魔であろうと、俺は負けないっ!我が身、我が鍼と一つとなり!一鍼同体!全力全快!
必察必治療!病魔覆滅!げ・ん・き・に・な・・・・・・・・・・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「客間の布団で寝た方がいい、風邪ひくぞ」
「・・・・・・あ、ああ」
「馬鹿ね」
夏侯邸に反響する華佗の気合、そして華琳呆れ気味の呟きが響く、そんな平和な昼下がり
流流は乾いた笑で、客間に向かう華佗の後ろ姿を見送っていた
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内容を凝縮しているせいか、書くのが進まず
遅れて申し訳ありません
とりあえず、繋ぎとして後で書くはずだった拠点話をUPします
続きはもう少しお待ちください(´;ω;`)
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