プロローグ
「やはり、か。予想はしていたさ……」
俺の隣で、思春はそう絞り出すように小さく呟いた。
安邑から西へ千里。古都長安を通り越しこれから約六十年後に歴史に名を残す戦場となる地、五丈原。
黄河を挟みその対岸のとある小さな集落。そこが、思春の江賊団の拠点だった。
女性のみで構成されたその江賊。
この場所には最盛期には黄河を下り洛陽へと米と特産品を運ぶ船の半数を支配しているとまで言われた一大勢力があった。
その拠点は、今、全てが灰に帰した姿で主人だった一人の少女を出迎えた。
崖の上から見下ろした集落は燻ぶる煙と十の次の形をした不思議な木が、捕まり殺された江賊の仲間達の磔にされた成れの果てがそこにあった。
全てが煤と血と欲望で汚された中で、骸の回収が出来なかったのだろうか。ここを襲撃した官軍の総大将だったらしい『孫堅』という人物の墓碑だけが、綺麗に手入れされた状態で佇んでいた。
「……嫌です。こんなの、私は嫌です! 思春様、仇をとりましょう。愛煉の、舞莉さんの、恋々ちゃんの、仇を!」
「っ……落ち着くんだ明命、いくら私達が恨み仇をとったって、皆は」
「だからって! だからってこんなのは酷過ぎる!! 恋々ちゃんなんて、まだ九歳だったのに!」
「落ち着け周幼平!!! 私だって、私だって……!」
ぎり、と唇を噛みしめた思春の口元から、一滴の血が線を引いて落ちた。
「奴らは、……官軍の豚共は私達の家族を犯したんですよ? ……なのに、なんで、思春様ぁ……」
「分かっているさ……」
思春が、泣き崩れた幼平を抱きしめた。
声には先程の復讐に燃える力強さなどこれっぽっちも無く、ただ悲しみに沈む女の子が居るだけだった。
「なら、どうしてですか……? 戦場で豚共の大将を討ったから、皆犯されて殺されたんですか? そうなら、私達は官軍の豚を陵辱して滅ぼす権利があるじゃないですか……!」
そう言って、幼平は綺麗な墓碑を指差し泣き叫んだ。
思春はより一層唇をきつく噛み、震える手で幼平の頭を撫でた。
「怒りを鎮めるんだ、明命。私達には、生き残った責任がある。それを、死んだ人間の為に無為にする事など、許されない」
「うう、っくぅ……う、うわあああああっ!!」
「く…うぁ……つぅう……」
抱き合い涙を流す二人にかける言葉なんて、俺には何も思い浮かばなかった。
**
「もう、大丈夫なのか?」
「……一刀か」
「よっ、と。隣、失礼するぜ」
五人で天幕を張った場所から少し離れたところ。昼過ぎにその惨状を目にした崖の縁に、思春は一人腰掛けていた。
隣に座った俺は、ちらと横眼で思春を窺った。表情には、曇りも憎悪も感じられない。
「構わんよ。そろそろ寒くなって戻ろうかと思っていたが……」
「まあ、そゆこと。一杯付き合えよ」
思春の後付けな同意を受け取りつつ、俺は小さな酒壺を掲げた。
中身はもちろん馬乳酒……ではなく昼間偶然見つけた老酒だ。言わずもがな、超高級酒である。
酒豪の霞に見つかれば問答無用で盗られそうだったので隠しておいた俺の一品だ。
「うむ。偶にはかじゅっ……北郷の酌で飲む酒も良いだろう」
相変わらずの噛み噛みっぷりに俺は何故か安心をおぼえた。
文醜や顔良の様に復讐に囚われてしまわなかったからだろうか。それとも、ぶれない思春のあり様を確認できたからだろうか。
とりあえず聞き流すのは優しさだろう。バファリン顔負けの優しさ配合率だ。
「俺にもお酌頼むぜ。美人の酌なら一層旨く感じるもんだ」
「よ、止してくれ、美人だなんて」
美人、と褒めた所為だろうか。思春は耳まで真っ赤に染めてそっぽを向いてしまった。
その反応に俺の悪戯心がひょこり、と首をもたげた。
「残念ながら思春が美人なのは十人中九人が頷く程だ」
「……そ、そうなのか?」
「自覚なかったんかいっ」
「う、うむ……良く言うではないか、男は胸のある方が良いと。しかし、私は……」
「あー……」
コンプレックスを感じていたのか。でも、それだけで自分が美人ではないと判断した訳ではないと思った俺は、さらに言葉を続けた。
「でも、それって好みと傾向の問題んだろ?」
「まあ、そうなんだがな……。私は昔からどうも異性には怖がられ、同性に懐かれる質だったんだ。明命は特例だがな、他の部下達には一時期お姉様等と呼ばれた時期もあってな……」
リアル女子校のボーイッシュ運動部長だった。
百合百合な感じだったりするのだろうか。禁断の乙女の花園とか、処女はお姉様になんとやらみたいな感じで。
「じゃあ思春は百合百合な感じの青年時代な訳?」
「あ、生憎私にはそう言う趣味が無くてな……それで、一時はどうにかしてこの現状から脱却を図ろうとも思ったのだが……」
「そこで男に怖がられた、と」
思春は吊り目で細目だから常時睨んでる様にも見えなくもないからなぁ。
視線で殺されそうなんて言われたりしたのだろうか。
「そうだ。酷い奴には『視線で殺されそう』とまで言われた」
ドンピシャだった。しかしそいつ等は多分従順儚げいつまで経っても少女なお嫁さんに幻想を抱いてたんだろう。
哀れな奴らめ……そんな人居る訳無いのに。
「成程、それで自信が無くなって百合百合な感じになったと」
「ああ、いや違うぞ。百合っては居ない、断じてだ」
「でも幼平は満更でもなさそうだぞ」
あの小動物系思春大好きっ娘のことを引き合いに出してみる。
すると思春は余程頭を悩まされているのか露骨に眉をしかめた。
「……やれやれだよ。何処でそんな事覚えたのやら、だ」
「まあ頑張れ。意外と文顔姉妹みたいに百合百合しくなるかもしれんぞ?」
「断固拒否する。私は普通だ」
先程から百合で攻撃を仕掛けているのに思春は全く動じない。
何となくエンターテイメント性に欠けると思った俺は次の手を打った。
「へえ、ホントに? じゃあさ、思春。俺はどう?」
「本当だとも……は?」
「いやだからさ、俺ならどうよ?」
「……。……。……はぁぁっ!? な、なななな」
一順、二順、三順。ゆっくりと思考を巡らせ、俺の言葉の意味を咀嚼し理解するまでに30秒。
すると思春は面白い程慌てふためき口をパクパクさせた。
「駄目なのか?」
「いやそんなことは無いがな私だって既に処女で無いにしろ心の準備だってそれなりに居る訳でだな大体こんなに突然雰囲気全開にされても困る訳だし」
「私だってどう反応するべきか困るしそれに」
「……ぷふっ」
「一刀には霞や風が居るのに私なんかにうつつを抜かしてたらいけないと思う訳だしそれに『ぷふっ』なんて言われても……ぷふっ?」
「ぷははははっ、あーっははははは!」
一度吹きだしたら止まらない。思春がきょとんとしていることさえ俺には笑いを誘うネタの一つに感じられた。
余り笑い過ぎるのは思春に失礼だって分かっているのに。いつ以来か腹の底から笑う俺は止まらなかった。
「か、一刀? もしかして、からかっていたのか?」
「ひー、ひー、あー、お腹痛い。そりゃそうだよ、つい先週軽く思春に言っただけで後ろの貞操奪われかけたのにそんな何度も出来ないって。
ソレに思春だって俺なんか見て無いからよっぽど予想外でそんなに慌てたんだろ? 面白かったぞ、思春の早口言葉」
普段寡黙な思春の口が高速で回っていたあの瞬間。……思い出すとまた何処からか笑いがこみあげてくる。
そして、俺はそろそろ悪いなと思い笑いをかみ殺すのに必死になった所為で一つだけ、思春の言葉を聞き逃していた。
「……ふふふ、そうか。一刀はそういう対応に出るのか。そうか……分かった。では、私も相応の対応をさせて貰うぞ」
「んあ? 何か言ったか?」
「いや、何も」
──そう、何も。な……。
ここで、にやりと笑ったであろう思春にさえ気付いていれば、あんな悲劇は起こらなかった。
過去の俺よ、人の失態は蜜の味だというのも大いに理解できるが、TPOは大事だぞと今一度警告させてもらおう。
**
春は別れの季節、そう言ったのは誰だったか。俺はこの春に計五十人もの友人や同僚と別れを体験しているから満更でも無いと思う。
春は別れの季節。この言葉を未来で知った意味通りに使える時代が来る事を切に祈りたい心境に駆られながらも、俺は極々普通の離別に感慨深い想いを感じ、同時に悲しみを感じていた。
「では、我々は南へ」
「ウチらは北へ」
魏に張遼あらば、呉に甘寧ありよ。なんて後世で言われる二人が、拳を合わせ別れの挨拶を交わす。
例え二人が同名なだけの人物だったとしても、歴史学者と三国志ファンならば大枚を叩いてでも目にしたい光景だろう。
「……しかし、本当に思春はそれでいいのか?」
「ああ。私と明命なりに折り合いを付ける旅をする良い機会さ」
「全く、北郷さんが一番未練たらたらですね。情けないです」
「……そう、だな」
皆は軽く言うが、俺には生涯の離別である様な気がしてならない。
実際通信網が未発達なこの時代では、一度別れれば偶然の再開を果たせる確立など小数点以下で天文学的な数値だろうし。
「何、北郷は心配し過ぎだ。例えの今生の別れだったとしても来世で会えば良いだけの話では無いか」
「おおっ、思春さんにそこまで言わせるとはー。お兄さんお兄さん、何時の間に思春さんを落としたのですかー?」
「風っ! なな、何を言っているんだっ!」
「なん、やと……。一刀、あとでちょいとお話しよか」
「北郷さん、ちょっと私にもく・わ・し・くお話聞かせて貰えないですか?」
皆がいつも通りに笑って会話している。そんな姿を見ていると、俺だけが沈み空気が読めていなかった事に気付いた。
「……」
例え邂逅から一月経って無い相手であっても、真名を交換し合った仲の人間と別れるのだ。
皆何も感じずいつも通りの訳が無い。よく知っている間柄の人間だからこそわかる僅かな表情の曇りや、仕草に現れる悲しみ。
大なり小なり、それは皆に見る事が出来た。
そして、だからこそ皆、明るく振る舞っているのだ、と。この時代の離別がほぼ間違いなく今生の別れになることなんて皆も分かっている。
だけれども、だからこそ敢て明るく振る舞って見せている。クサイ台詞だが、涙の別れより笑顔の別れを、ってことだ。
そしてそれに気付かなかった俺は一人しょんぼりしていた、という事だろう。
我ながら呆れたものだ。親しい人間の想う意図すら汲む事が出来ないのだから。
だけれども、気付いた今なら……、俺がすべきことは一つ。
「思春! 幼平!」
「な、なんだ?」
「いきなり大声出さないでくださいよ」
驚く思春に、ツンツンする幼平。
「俺は、お前等の事を、大事な友だと思っている。だから……。
いつか、また会おう。会って、一緒に呑もう」
いつか、必ず。大切な友と、再会の約束を交わす。
それが、離別を前にした俺のすべきこと。
「……勿論だ。楽しみにしてるぞ」
「思春様がそう言うなら……全く、仕方ないですね」
二者二様の反応も、これで暫くの間は見る事が出来なくなると思うともの寂しい感情が沸き上がってくる。
だけれども、今生の別れだとしても再会の約束をした今は、俺は何処か晴れやかな気持ちになれた。
「……ほな、そろそろいこか。また仕合しよな、思春!」
「そうですねー。夜までにはどこかの邑に着きたいですしー。幼平ちゃん、またお猫様談義しましょうねー」
また明日、とでも言いだしそうな軽さで別れの挨拶をする二人。
二度と会えないかもしれない、その確率が高くてもだからと言って絶対に再会できない訳じゃない。
そういう姿を見ると、俺のマイナス思考も次第にプラスになる。
「ああ、ではいつか……っと、ちょっと待て一刀!」
「ん?」
再会の言葉を考えていた俺に、思春が話しかけてきた。
呼び止められ顔を上げると、下馬し目の前まで近づいた思春の姿が。
「ちょっと近くに寄ってくれないか?」
「へ? あ、ああ。いいけど……」
そうして思春のすぐ傍に寄り、俺は言葉に耳を傾けようとした。
「あのな、大切な話があってだな………………」
そうして勿体ぶる思春に先を促す意味合いも込めずい、と近づいた瞬間。
突然頭を掴まれ、無理やりに思春と視線が合う。一瞬の出来事に混乱する俺を余所に、見る見る間に思春との距離は近づき……。
ちゅっ。
唇に柔らかい物が、一瞬だけ触れた。
一拍置いて伝わる女の子の甘い香りが混乱を益々助長する。
「……え? え、あ、え……っえええっ!?」
「ふふっ。昨夜のお返しだ」
「ゆ、昨夜?」
「ああ。からかわれたからな」
そう言いクスクスと笑う思春。
そう言えばそんな事をしたなあと回らない頭で考える俺。
そして……。
「かーずとっ」
「お兄さん♪」
「北郷さんっ」
イイ笑顔で迫る三人。ああ、まただよ。ゴゴゴゴゴって背後に見えるよ。
「弁明は一行までやで」
「情状酌量の余地は無しなのです」
「刑執行は即日速攻ですね」
俺、終わったな……。そっか、一行しか弁明出来ずに且つそれも意味無しと来たか。
ならば……。某世紀末覇王様のアレを言うしかないか。
もはや俺は刑の執行を待つだけの状態。逃げ道も無し、どうにもできないならばこそ、あの台詞を言う資格があると言うものだ。
俺は、カッと右手の拳を掲げ、大きく息を吸い込み、そして言った。
「我が生涯が一片に台無し!!」
あ、間違え──アッー!?
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