No.357062

Quintetto!~前編

羆本舗 さん

結構あとの時代の崩壊しかけたドーム都市ロスベガスを舞台にした物語の実は序章。SFとスペースオペラの間くらい。
【Attention!】
温いながら暴力、殺人描写あり。要注意!

2012-01-02 21:54:40 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:342   閲覧ユーザー数:338

【登場人物】

 

甘玲花(カン・レイファ)

 通称・玲。主人公。もと陸軍人。友人でもある部下を庇い上司の汚職と不正を告発しようとしたが方法を間違え三人ほど殺してしまい、殺人罪で死刑判決を下され《首輪付き》に。義気強い性格が仇となって損をするタイプ。

 女性には珍しい大柄(非マッシヴ)、チェーンスモーカーに加えて酒豪でコーヒー中毒。「死刑にならなくても早死にするクチ」とは本人の弁。

 

マリア・ブラック

 自己コントロール可能な多重人格者。戸籍上の本名は紫水晶(スー・スイジン)。玲と共に主に実線で活躍する。別人格「ランボー(格闘系)」「エジソン(知力系)」は男性。本来の人格「スイジン」は呼び出せない事はないが、しない。

 かつて聖堂騎士計画でモルモット扱いされていたが除隊後に逃亡、普段は何となくえっちい雑誌のモデルをやっているらしい。。

 現在の人格順位は マリア・ブラック>ランボー>エジソン>長老>スイジン くらい。

 

アリス・スノーホワイト(Alices No.S-12)

 LE計画からODC計画にシフトする過程で生産された実験体のうちの1。知力、体力、容姿をある程度満たしつつ「正義の心」を持たない様に設計・教育された。少女くらいに年齢固定され成長=経年老化できない(細胞レベルの老化は進む)。

 関係者を殺害して逃亡、緑経由でレディに拾われて経歴その他を書き換え、現在に至る。

 

緑一色(リュー・イーソウ)

 本名、前歴不詳。医業含むバイオ、ケミカルに強い謎のオネエキャラ。玲より背は高いが身は細い。時折意味深な言葉を吐くらしい。自称「お世話係」。

 

 

 

ネモ・ノーマン(Nemo-Noman)

 本名不詳の子供。他人との接触が苦手。時折意味深な言葉を吐く。心身両面で他人を癒す力を持っているが自分は癒せない。

 

 

 

レディ

 玲の死刑執行ボタンを持つ人物。緑の知人、ロスベガスシティの実力者らしいが詳細不明。

 

・・・・・・・・・・

 

【用語】

 

ロスベガス(Los Vegas)

 昔のラスベガス。ガイアクエイク初期のドーム開発のモデル都市として真っ先にドーム化された。それだけに老朽化が激しく、今では緑化したものの結局は砂漠に取り残されたゴーストタウン寸前の寂れた田舎町(だからLasではなくLos)。

 

LE(リトル・アインシュタイン)計画

 遺伝子改良・組換えで人工的に優れた人間(天才)を造ろうとした計画。

 ある程度の促成、記憶、運動能力等を持つ個体は造り出せたが完全な個体は製作できなかった為、結果として頓挫。

 副産物として人体強化の技術が開発され、玲(歩兵)にも一部が投入されている。

 

ODC(オルガドール・チャイルド)計画

 LE計画を教訓として、優れた人間の完全なクローンを造ろうとする計画。

 後にチャイルド技術として完成するが、この時点ではクローンの促成栽培が辛うじて完成した程度。

 

聖堂騎士(テンプルナイツ)計画

 サイオニクス等の異能力者を兵器として利用・研究する計画。マリアはこれの関係で人工的に造られた多重人格者。

「計画」と銘打っているが流動的であり、確定的なものではない。最終的に最高責任者の辞職で終了、闇に葬られた。

 

ガイアクエイク

 100年ほど前からの温暖化、大規模環境破壊から始まった地球環境の激変。これをきっかけに都市のドーム化、地球外環境の開発に拍車がかかった。

 

《首輪付き》

 爆弾内臓首輪を装着された者。死刑未決囚。スイッチは委嘱された個人が持つ場合と、政府等公的権力が持つ場合がある。装着の時点で人間としての全権利・身分等が停止される(最低限の戸籍は機能)為、キャッシュカード類も持てない。

 作動すると首の周囲4センチほどをこそげ取る威力があるので一般仕様では即死はしない。

 ばしゃばしゃという音がうるさい。

 窓ガラスを叩く雨の音が痛い。

 今までずうっと静かなところにいたから、この車の中はやかましくって仕方がない。

 狭いのは構わない。だがこの暗いのと、両脇を見知らぬ男に固められるのと、「ほうこうざい」とかいう妙な臭いが充満しているのは堪らない。

 ラベンダーの香りだって? 嘘だ、ラベンダーの香りはもっと心地よい。泣きたくなったが、泣けばこいつらはご機嫌を取ろうとして、変な愛想笑いで妙なお菓子を差し出してくる。それも堪らない。

 お菓子は美味しいものだ、と聞いていた。甘くって、柔らかくって、たまには酸っぱかったり苦かったり。でもこいつらが差し出すお菓子は不味い。薬臭くって、変に甘ったるい。そんなお菓子なんて要らない。

 これが「自由」なのか? 嘘を与えられるのが、この拘束感が? あのひとは嘘を吐いたのか?

 心の中でだけ溜息を吐き、車は走行していただけのはずだ。

 だが突然、横に流れた。物凄い力がかかった。

 右隣にいた男が悲鳴を上げて自分に覆い被さってきた。

 左隣にいた男は自分と、それと右隣の男に押される格好でドアに押し付けられて悲鳴を上げている。

 運転手と、助手席で何かやっていた女が何か叫んでいる。言葉としては判ったが意味が判らない。

 がくんっと揺れ、一度浮いた車体は一気に沈んだ。

 衝撃。たぶん落下している。どれだけ? どのくらい? 車はがくがく揺れて、自分もボールみたいに跳ねてしまう。

 大人たちが悲鳴を上げ、ゴムチューブが千切れる様な音を一度聞いた気がする。

 ぶっつけて、頭と肩が痛い。ごんごんする。

 もっとごんごんと続いて、最大級の衝撃が背中に来た。だから吐いた。まだ明るかった頃に食べさせられた、不味いツナサンドの残骸と胃液の不快な混合物で口の中が苦かったり酸っぱくなったりした。

 車が明るくなった。ボンネットが火を噴いた様だ。

 ドアが開いている。衝撃で歪んだせいかもしれない。

 大人たちは静かだ。何も言わない。

 助手席の女の顔が見えた。頬が大きく窪んで、眼が片方、不自然に閉じられている。だが何も言わない。

 だから車から這い出る。出てから、屋根が地面についているのが判った。

 車を離れ、どこにも異常はなさそうだ。だから歩く。幸い車が明るくなっているので風景は少し判る。

 ぼんっ、という音が後ろから聞こえた。

 もっと明るくなった。

 車が炎上したお陰で、雨も激しいが風景がはっきり見える様になったのがありがたい。

 どうやら車はこの悪天候で道を見誤り、キャニオンに落下した様だ。たぶん一〇〇メートルほど。

 今まで自分の躰がどうこうと深く考えた事はなかったが、これはとても幸運な事の様だ。何せ他の大人はどうやら死んでしまったのだろうし、自分は生きている。これはとてもラッキーだ。躰が少々痛いけれど。

 でも生きている。だったら何とかなるだろう。まだ辺りを照らす輝きに助けられ、とりあえず、雨を凌げそうなところを探す事にした。だって、明るい時間になったらテラなんて歩けたものではないのだから。

 

 そして。

 あのひとが言った場所。星が見える間に向かってみよう。

 きっと何とかなるのだ、と。そう言われた言葉を今は信じてみよう。どうせラボには戻れないのだし。

 

 

 

《Quintetto!》

 最後の一人を蹴倒し、玲は呆れて息を吐く。こんなもの食前の運動にもなりやしない。

「たく、数ばっかり多い雑魚だな。ここはゴミ捨て場か、てーの!」

 あまり違ってはいない様だが。中央の見解としては。火をつけたばかりのマルボロを腹立ち紛れ気味に捨ててしまい、地面に落ちてから「あー」と言った。

「あー、ついもったいない事をしてしまった……貧乏なのに……」

 言い、一番最後に蹴倒した奴の懐を漁る。

「ちょっとアンタ、何やってんの」

 マリアが呆れ気味に声をかける。

 玲は手を動かしたまま返した。

「いや、こいつから煙草代を徴収させてもらおうかと」

「やめなさい、みっともない。煙草を買うくらい持ってないの?」

「ない。あたしは貧乏だ。この間、ジェンに借金を取り立てられた」

 いっそ清々しいほどに情けない事を言い、しっかり財布を発見する。

「それ、そいつの生活費じゃない? 普通は良心ってものが痛むんじゃないの?」

「良心? 何それ美味しいの?」

 中を漁って口笛を吹く。予想以上に入っていたらしい。

 実際、玲は感動さえしていた。さすがは首輪なしだ、それなりの支給があると見える。玲と違って。

「アリスみたいな事を言わないでよ……ちょっと、おっきいの二枚も抜くの? 煙草ってそんなにするの?」

「一枚は煙草代。もう一枚はあたしとアンタのランチ代。ついでにもう一枚抜こうかな……という事で姐さん、たまにはお天道様の見えるところでパスタなんぞ如何です? 奢るよ」

「おっきい札」を見せつける。マリアにもそれなりに魅力的だ。何せまだ今週のバイト代をもらっていない。

「はいはい。サラダはシーザーでね」

 嘆息するマリアに罪はない。そして自分を含む「こんな連中」に警護を依頼せねば何も出来ない州警察にも。

 仕方ない。ここは中央政府から遥かに遠い「田舎」だから。だから矯正施設送りと称する犯罪者がシティに捨てられる。まだ真っ当に暮らそうとする者も多いのに。

「あ、のっ……!」

 星の数だけはそれなりに立派な、だが結局は「田舎のシェリフさん」程度の若い役人がやっと呼び止める。玲は面倒臭そうに振り返った。

「なに、これ返せって?」

 もうほとんど空っぽの財布を見せる。本来の所有者は地べたに転がされて呻き、タグ処理前に暴れたのだからのされて当然といえば当然だ。玲に言わせれば。

「いえ、その……何もここまでしなくとも……」

「ん~、とね」

 玲は再び、血反吐を吐く男にしゃがみ込む。

「んじゃ後腐れなくシメる? 手間賃はそっち持ちで」

「どうしてそうなるんですか!」

「アンタらがヘタレだから」

 役人の頬が赤くなった。恐らくは怒りで。

 玲は鼻を鳴らした。

「それがイヤならあたしらなんぞに頼らないで、自分たちだけでこんくらい制圧してみ」

 最後の置き土産と言わんばかりに、ようやく立ち上がろうとした男の脇腹を蹴り上げる。ゴムタイヤを引きちぎる様な鈍い音と、「がっ」とかいう声が聞こえたのは玲の聞き間違いだろう。

「ほれ、とっととタグやってやりな。でなきゃここ出た途端にこいつ」

「わ、かっていますっ!」

 役人は赤い顔のまま右手のガンをスライド、情報を走らせる。呻く力が残っているかどうか判らない男の首元に銃口を押し当て、トリガーを引く。

 腰ホルダーのディスプレイが短い電子音を吐く。移送前に男に埋め込まれたタグ情報の書き換え終了、これでこの男はシティで限定的ながら住人としての権利を与えられ、「矯正」に向けて「研修」生活に入る。実情はともかく表向きは。

 床で「大」の字に寝くたばる男にそれ以上の感慨なぞなく、玲もマリアもビルを出る。

 ドーム越しに見える空は今日も青い。塗料を流した様にべっとりと。

 この街はもともと砂漠のど真ん中に強制的に造られたギャンブル都市だったそうだ。全てはその為だけに存在し、昼夜を問わぬ遊興が提供され続けていたという。

 だが非生産的であったが為に「健全な成長」とやらがなく、何だかんだで開発から取り残され、今では旧態依然の遺物と化したらしい。

 その為にガイアクエイクで真っ先にテストケース化され、もっと健全な街や外から結局捨てられたのだろう。今では墓標の様な巨大な建物が研修地と称して犯罪者の巣窟になり果て、呆然と立ち並ぶだけの、時代遅れの田舎町に成り下がっている。

 だから、それでいい。

 玲は自動販売機に硬貨を恵んでやろうと思っていたが、ご丁寧に「カードか市民IDを提示して下さい」と張り紙があった。旧式め、地獄に堕ちろ。

 ち、と舌打ちしてしまう。キャッシュカード、市民ID、そのどちらもが玲にはない。せめて「首輪なし」なら市民IDが暫定的に発行されて底辺とはいえ市民扱いしてもらえたものを。

 だが玲はとうの昔に《首輪付き》だ。この忌々しい装具のお陰で真っ当な金も稼げないし煙草も買えない。

 殺されるのとどちらがマシか、と訊かれる事もあるが何とも答えに詰まる。しばらく機械の前で立ちん坊し、マリアが嘆息しつつカードを出す。実に滑らかな動きでセンサーに読み取らせた。

「マルボロでいいの?」

「青いのな」

「赤と青の違いが判らないんだけど」

「喫い口の軽さが違うんだ」

「そんなものなのね。判らないけど」

 軽い音を鳴らして箱が落ちる。

「はい、パスタのお礼を先払い」

「さんきゅ。これで三時間生きられる」

「……本当に禁煙は考えてないの? てか一日に何箱吸うの?」

「そんな暇なよそ事は考える暇ないなぁ……三箱くらいかと」

 言う間も惜しいと言わんばかりに封を切り、ボディがべこべこに歪んだライターで点火する。実に旨そうに煙を吸い込み、ライターに「第五二九歩兵部隊《Rat Snake》 R=K」と刻印されるのは冗談にしても笑いにくい。

「……ねぇ。煙草って美味しい?」

「不味いよ」

「じゃあどうして喫うの?」

「不味いし、こんなもんは躰に毒だ。だからあたしが一生懸命消費して、世間が受ける害を減らしてやってんの」

 物凄い屁理屈に目眩がしてきた。

「早くパスタ食いに行こ。腹減った」

「……はいはい」

 連れ合って歩く。ナントカ法のお陰で短距離移動の交通機関は規制され、街中を通っていい公共の交通機関は便数はまあまあだが古臭い上に遅すぎるバスと許可制のタクシー、あとはミニバイクだけ。「交通機関は原則公共性にあるもの以外は認めない」なんて、もう五十年は前の法律がいまだにそのまま生きているとは、時代遅れを遥かに通り越して既に化石だ。さすが「お宝をなくした街」だ、いい加減にしてほしい。古臭いのは街だけで十分だ。

 それにしても天気がいい。今日なら「外」に出れば紫外線たっぷりの日光に文字通り焼かれ、一時間で食えないローストになれるに違いない。遮蔽ガラスにそこはかとなく感謝しながら靴音を聞き、ふと玲は横を見た。

 爪先の向きが変わる。気付いたマリアもついそちらを見た。

「どうしたの?」

 玲はかつてホテルだったらしい建物の陰に向かう。

 誰かがいる。何人か、固まって何かをしている。

 誰が何をしても基本的に関係ない。マリアには。

 玲には違うらしい。少々の間を置いて幾つかの声と、人影の動きが変わったのは見えた。

 今度は怒鳴るとはっきり判る声。マリアは思わず嘆息した。

「今日のランチもバーガーね、きっと」

 判ったのは幾つもの鈍い音と、男の悲鳴。ばらばらと出てくる男が数人で、顔が腫れていたり血が出ていたり。上着が乱れたどころか裂けた奴もいて、マリアは何となく事情が判るだけに泣けそうになった。まったく、あの女の性格にも困ったものだ。「困ったものだ」の一言で済ませていい話ではないとも思うが仕方がない。そんな気がする。

 振り返る一人が叫んだ。負け惜しみの悲鳴だった。

「《首輪付き》が偉そうに! 地獄に堕ちろ!」

 マリアは足を出してやろうかと思ったが、届きそうにないのでやめた。

 当人が出てきた。

 小さな子を連れている。玲の上着を与えられ、前を掻き合わせているがどうにもそれ以外の着衣がない様だ。そんな子供は玲のパンツの腰の辺りをぎゅうっと掴んで離さない。

「で、何があったの?」

 玲はただ首の動作で沈黙を促す。見慣れるはずの黒い《首輪》が妙に重たげに、べったりと貼り付く様に思える。

「ゴメン、パスタは後で奢る。ちょっくらオカマんとこさ行くわ」

「付き合うわよ」

 玲は眼鏡の奥で一度瞬きし、ほんの少し笑う。

「……さんきゅ」

 ぐり、と小さな子の頭を撫ぜた。

 ありものだがそれなりの服を与えられ、「検査」を終えた子供は煎れたてのホットミルクを与えられ、ゆっくり啜る。見かけは綺麗ではなかったがそれほど飢えてはいないらしい。

 緑は「発見者」玲を別室に連れ込み、説明する。

「詳しい結果はあとだけど、眼に見える異常は今のとこないみたい。怪我は擦り傷程度で、ちょっと貧血気味かしら? でもちゃんとゴハン食べれば治るくらいよ。それと、レイプの痕跡はないわ」

「そこが一番心配だったけど、それならまあいいか」

 玲はがり、と頭を掻く。寄りかかる壁で煙草を捩じり消してしまい、「こら」と叱られた。

「んー、どうかしら」

 緑は首を傾げる。

 これが少女が恋しい男に見せる動作なら完璧だ。上目遣い気味の潤んだグリーンの瞳と、それを微妙に隠すさらさらのブロンド。唇は赤く艶めき、リップの効果もあって適度に白い肌に映えるのが綺麗だ。

 だが身長一八〇を越えようかという男がそうやっては気持ち悪い。はっきり言って。

「済まんね……何がどうだと?」

 玲は内心少々、いやかなり泣きたい。オカマ野郎が目の前で少女じみた行動を取る事より、それを既に「当然の仕草」として受け入れてしまった自分自身の慣れに。ママ、人間って環境に慣れる生き物なのね、と呟きたくなった。まあ産んでくれた母親の顔なんて知らないのだが。

「まさか虐待されていたとか?」

「それもないわね。むしろ栄養状態はイイ方だと思うわ。結構イイ暮らしをしてた子……だと思う」

「何だよ、その引っ掛かる物言いは」

 緑は玲を見詰める。この女(うっかり「男」と本当の事を言うと拗ねられる。非常に不気味だし、機嫌が悪いと暴力に訴えてくる)は時々、こんな表情を見せる。こんな、鮮やかな瞳に翳りが落ちる意味深な表情を。

「あの子ね、アンタみたい」

「……どの意味で?」

 口の中が苦いのは煙草のせいだ。きっと。

 自分みたいな子なんていない方がいい。決まっている。

「アンタ、バイオアーマー移植されてるでしょ? 体表面が造りものに変えられてる」

「一応な。軍曹以上になれば志願で受けられる」

「それってどうして生着してるの?」

「詳しい話は忘れた。でも免疫機能がどうこうで異物を異物と認識させないらしい」

「そうよねー。

 あの子の全身、バイオアーマーに凄く似てるの。バイオアーマーというか」

 ふう、と嘆息する。ワンクッション置こうとしている様だ。

「あの子、変よ。造りものね」

 玲の唇から煙草が落ちる。指が間に合わなければ靴に落ちていた。それは困る。

 この躰はちょっとやそっとでは傷つかない。そのくせ苦痛や衝撃は丸被りする。多少は軽くなるものの傷が出来ないだけで痛みは受ける。

 これが志願でしか移植を受けさせない理由だ。妙なヒロイックにいわば酔える者にしか耐えられない。苦痛が続けば狂う事だってある。

 まさに「地獄の苦しみ」の挙句に狂い死んだ奴を知っている。あんなに惨めな死に様なんてあるものじゃない! 玲が正気で生き残ったのはまさに奇跡だ。

「造りもの……というと」

 ばさ、と数枚の紙切れが玲の胸に投げつけられる。煙草の灰でも火種でもない。

「まだ簡単なものよ。詳細は何日か待って」

 落ちかける紙を拾うが、中身は文字と数字の羅列。何か意味があるのだろうが理解できない。

「何だこれは」

「あの子の簡単な血液検査表」

「だったら簡単に説明してくれ。出来れば三行程度で」

「……あの子は変。免疫機能がおかしい。というか、免疫機能がない」

「そんな馬鹿な話があるか」

「ええ、馬鹿な話よ。でも」

 緑は前髪を掻き上げる。言えば本人は怒るが、やはり指の太さは性別を肯定する。

「まだ完全には判らないんだけどね。あの子の免疫系、ちょっと変なの。抵抗力がない訳じゃない、むしろ強いわ。それに損傷の回復力も強い。

 けれど、免疫系の働きが変なの。抵抗しない、とでも言うべきかしら。受け入れちゃうみたい」

「……何だそれ、免疫不全症候群とかいうやつか?」

「それだったら、とうの昔にその辺の雑菌にやられてるわ。

 これは仮説ですらないアタシの勝手な話だから聞き流して……あの子の臓器、移植したらどんな人間でも抵抗されないと思うわ。どんな人間にも移植できて、拒否反応もたぶん出ない。移植のドナーになるなら最適ね。

 それに、誰かの臓器を移植されても完璧に成功すると思う。拒否反応なんて出ないと思うわ」

「そんな馬鹿な」

 玲は半分ほど喫った吸い付けを壁で再び捻り消し、再び「こら!」と叱られた。

「悪かったよ……だがそんな話があるか。あたしだって学校で習ったぞ。人間には免疫系があるから雑菌に殺されない代わり完全な臓器移植をクリアするにはバカ高いハードルが幾つもある。免疫系が他人の臓器を異物と判断して殺してしまう。だからやたら多いドナーの中から適合者を見つけるのが大変で、それを名目に人工臓器の研究や医療目的クローンの早期生産が叫ばれたんだろ。その流れで」

「医療目的で開発されたはずの人工臓器であるバイオアーマーが軍仕様に転用された」

「……ああ。極力拒否反応を抑えているはずだが、それでも拒否反応で再起不能になる奴も多い。志願者の三分の一はモノにならずに除隊(廃棄)だ」

「アナタは運のいい一人よね」

「……ああ」

 玲はまた一本を口に運ぶ。箱の中には最後の一本が残るきりだ。

「だったら、生まれつき皮膚がバイオアーマーの人間を造ったらどうかしら? 凄いわよね。刃物も通さない、銃弾も弾く、そのくせ痛覚があるからストッパーを学べる、暴走の恐れが少なくなる。ついでに免疫機能が異常で、その個体がモノにならなくても別の誰かにパーフェクトに移植できたら便利だわ。ああ、だったらついでに完璧に移植可能な臓器を持っていたら最高ね。『無駄』が出ないもの」

「ちょっと待て」

 ジッポをポケットに突っ込む。

「少々どころか相当おかしな話にならないか? もし本当にそうだったら」

「あの子は物凄いモルモットね。目的はさておいて、健康な各種臓器を完璧に移植できるもの、軍だけじゃなくって医療業界も涎を垂らして欲しがると思うわ。そうなればお金持ちが血眼で」

「冗談じゃない」

 ぎゅ、と音が鳴る。玲の靴が煙草を踏み殺す音だ。

「冗談じゃない。何だよそれ、じゃあ何か、軍とメディカル関係が癒着でもやらかして生体実験でもやってるってか? 目的は何だ、金か?」

「アンタって本当、真面目な人よね」

 緑はさらりと言う。

「アンタ、何だかんだ言っても真面目で、いまだに軍に忠実よね。《首輪付き》でなかったら最期は間違いなく二階級特進よ」

「……それは、結局あたしは軍の飼い犬でしかないって事か?」

「違うんなら証明して御覧なさい。甘玲花、アンタは結局、そういう人間なのよ。《首輪付き》でなくっても、アンタの首には首輪がお似合いなの」

 ひどい皮肉に吐き気と笑いが込み上げてきそうだ。玲は大きく息を吐く。

「……何か判ったら教えろ」

「アンタが聞きたいんならね」

「判った」

「とりあえずあの子、ここで預かるから。アンタんちなんてどーせごみ溜めでしょ? アンタはアタマ冷やしてからまた来なさい。コーヒーくらい御馳走するわよ」

「誰の部屋がごみ溜めだ、失敬な……あの子は頼む。その気があったら明日、来る。まぁカマ野郎のコーヒーなんて飲んだら舌が腐るけどな」

「誰がオカマですって!」

 スリッパくらい投げ付けられそうになったので逃亡する。野太い声でキーキー怒鳴る声が聞こえたが無視した。ほうほうのていで逃げ出し、ハイスクールから戻ったらしいアリスと鉢合わせになったのは嫌な偶然だ。

「あ、レイだ。遊びに来たの?」

「カマに説教食らってた。あんたは?」

「今日は補講だったの。楽しかったよ」

「……馬鹿な連中に混ざって勉強するのがか?」

「馬鹿なふりをしてるとね、あたしも馬鹿になれるみたいで楽しいの」

 ひどい事をさらりと言い、アリスは笑う。

 いい笑顔だ、とは思う。やや作り笑い気味ではあるが。

「ねえ、レイは今日は泊まれるの?」

「帰れ、だとさ。また今度な」

「何だー。つまんない。チェスやろうと思ったのに」

「トーニィでも誘え。気が向いたらゲートを開けるだろ。あたしじゃボロ負けする」

 じゃあな、と手を振ってドアを潜る。後ろから「またねー」と明るい声が聞こえた。

 きっと引きつり気味の笑顔で笑っているのだろう。以前より表情が和らいだとはいえ、まだ彼女は人間になり切れていない。

 だが十分だ。以前に比べて。

 

 では自分は? 飼い犬と呼ばれて、《首輪》に繋がれた自分は?

 

「……生きていられれば、いいさ」

 やや捨て鉢に言い捨て、歩き出す。

 生き物を殺せる光に焼かれ、空は本当にただ青い。

 いつも同じ夢を見る。

 灰色の部屋。そこで手錠をかけられ、固いベンチに座らされる自分。この手錠には微弱なパルスが流され、バイオアーマーと、それを支える強化骨格の機能を一時的に弱めている。だから力任せに引きちぎっての逃亡が出来ない。

 ここで引き出され、黒い扉と白い壁のある部屋に連れて行かれる。

 軍事法廷というやつだ。そこで読み上げられる罪状文。非難と、告発の悪意と、弁護する声。それを呆然と聞くだけの自分は滑稽だ。

 判決が出るのはスピーディかつ簡素で、自分はそのまま連れ出される。

 正直、鞭打ち三十と公民権剥奪で済むとは思っていなかった。営倉に送られて一生下っ端兵卒だろう、くらいは覚悟していた。

 だが「これ」はあんまりじゃないか?

 自分の欲で起こした事件じゃない。被害者だって何人もいた。だからちょっとくらいは温情が下るだろうと、おめでたくも思っていた。要は。

 だが、結局は。

 首に走る冷感と、電流の走る鋭く長い衝撃。腕が痺れ、悲鳴と反吐を吐き、みっともない話だが下着を汚した。

 そして、自分の首には《首輪》が与えられた。スイッチを誰かに持たれ、設定エリアを出るか、「死刑執行人」に押されたら最期、首の皮と肉を器官ごとごっそりこそげ取られる。

 玲はバイオアーマーを移植されているから特別製の方だ。作動すればたぶん首から上がまるまる吹き飛ばされる。

 普通の《首輪》だと即死はしないらしい。ご丁寧に爆薬=威力は個人ごとに調整するからショック死しない程度には抑えられているそうだ。

 実際、街角でいきなり作動した《首輪》に殺される奴を二人ほど見た事があるが、そいつらはしばらく生きていた。首を掻き毟る様に蠢き、自分がまき散らした血に塗れて少々の時間を苦しみ、絶命した。

 いい気はしなかった。そして今は自分がそうなる事に怯えて生きている。

 レディは無警告で作動させないとは言っていた。だが確証はない。

 生殺しだ。普段はへらへら笑えていても、ふとした時に思い出しては拭えない寒気が走る。いっそひと思いにボタンを押される方がまだましで、それとも狂いながらドームの外に出てしまおうか、とも思わぬ訳ではない。

 怖い。死ぬ事、殺される事、何より「自分が晒さねばならない惨めな死にざま」が怖くって堪らない。

 だが、結局のところ生きていたいし、死ぬのは物凄く怖くって嫌だ。

「まだ生きていたい」、それが最大の願望。だから玲は結局レディに言われるまま、この街で他人の言いなりになって、「カマ野郎」緑に言わせれば「首輪がお似合いの犬」として生きている。死にたくないので。

 実に下らなく、そして滑稽だ。地獄に堕ちろ!

 三日ほど前は薄汚かった子供は、今日は結構身綺麗になっていた。おおかた緑がお節介精神を遺憾なく発揮して色々と揃えたのだろう。それなりに季節と流行りに乗った黄色ベースの服と、それに合わせた髪とアクセサリー。表情もやや和らぎ、玲には会釈を返してきた。

 はて、この子は昨日は女の子と思っていた。身体つきがそれなりに柔らかそうで、特に首の細さと肩の線が女に見えた。

 けれど今、こうやって見ると、果たして本当に女なのかと訊かれると何とも判らない。もう少ししっかりしていて、手が結構大きいめで、だが、では男なのかと訊かれると返答に困る。この頬の線はたぶん女だ。

 自分に朝のコーヒーを差し出す手に、玲は先日の会話をついつい思い出す。「この子は軍が造り出したモルモットの可能性がある」と。

 ならば。

「……さんきゅ」

「コナコーヒーだそうです。本物の」

 声は女の子みたいだ。たぶん。

「それは……高級品だな」

 そうだろう。テラではもう碌な一次産業は成立していない。他の植民星から、色々な物資を「ここは人類発祥の地でござい」と箆棒に安く巻き上げているだけだ。

 テラに残っているのは「人類発祥の地に生きる」という根拠の薄いプライドにしがみつく時代遅れの老人と、他の星に旅立つ金のない貧乏人と、玲の様な犯罪者くらい。特にこの街は斜陽の象徴だ。栄光から取り残された人類の驕りの歴史の残骸、ギャンブルとアミューズのみで成立していたなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 玲の心の中の愚痴りなぞ気にも留めないだろう子供は、にこ、と笑む。幾らか引きつり気味だが確かに笑顔だ。だから玲は訊いた。

「ええと、その……名前、教えてもらってもいいか?」

 子供は一瞬躊躇した様だ。けれど、ゆっくり答えた。

「ネモ」

「『海底二万浬』の?」

 えらく昔の小説名だ、と我ながら泣けてくる。

 子供は頷いた。

 ネモ(誰でもない)とはまた残念な話だ。

「そう、らしい、です」

「……そうか」

 何とも引っかかる物言いだ。玲はずず、とコーヒーを啜る。いい苦味だ。香りがまたいい。そういえばいいコーヒーなぞ、自分では煎れる事はほとんどなかった。気前のいい上司が二度ほどご馳走してくれたくらいで、あとはインスタントか、コーヒー色のジュース。

 だがコーヒーは好きだ。旨いから。インスタントでも捨てたものじゃない。

 一気に飲み干すこれは本当に旨い。酸味と苦味が丁度いい。

「……旨かった。さんきゅ」

「緑……さんが喜びます」

「緑『さん』なんて言うな。カマを喜ばせていい事はない」

 げー、と舌を吐く玲に罪はあるのだろうか。個人的には「ない」が。

「カマって何?」

「オカマってのはな、男の癖に女言葉で喋って、化粧が好きな、ち○こが腐った輩の事だ」

 金属製の鋭い音と、同時に何とも重鈍い音が鳴った。

「あっら、ゴメンねぇ~。アンタの頭に巨大な蝿が止まっていたのよ~ん」

 おっほほほ、と妙な笑い声が頭上に響く。恐らくは緑愛用の金色のトレイで思いっきり殴られた。頭を抱えて玲は呻く。

「くっそう……月夜の晩ばかりだと思うなよ……」

 頭を撫でられた。子供の、ネモの手だとすぐに判った。

「大丈夫ですか? その……緑さん、乱暴じゃ、ないですか?」

「あっは、ゴメンね。でも蝿はすぐやらないとしつっこいのよ。ちょろちょろ飛んで、折角作ったサンドイッチにたかられたらイヤじゃない? 後でお昼にはイチゴサンドを作ってあげるからね」

 恐ろしい事にウインクで笑った。

 ネモは少し笑った。

「ありがとう、ございます」

 片付けを命じられたネモはトレイと、玲の手から強奪されたコーヒーのマグを抱えて奥に引っ込む。その後ろ姿に、緑は本当に嬉しそうに笑んだ。

「子供ってイイわね~。アタシもあんな子が欲しいわ~。でもあそこまで会話する様に教えるの、大変だったのよ」

「知るか! やめろ気色悪い! 貴様は存在そのものが犯罪だ、それ以上言うな!」

「死刑未決囚に同類扱いされるなんて世も末ね。あーヤだヤだ」

「……死ね」

「賛辞と思っておくわ」

「くそう、本気で二度死ね!」

 ぎりぎり歯軋りをする玲なぞ気に留めず、緑は勝手に喋り出す。

「レディからお仕事よ。ネモを、あの子を守ってやって、って」

 頭をさすり、煙草をくわえようとした動きが止まる。

「……何で」

「知らないわよ。レディにはレディの考えがあるんでしょ」

「ふーん……そういや」

 この箱最後の一本を口に運ぶ。ライターで点火し、煙いの何のと言われても屁とも思わない。虫の居所の悪いオカマの都合なぞ知るものか。

「最近お前、人相の悪い奴から借金でもしたか?」

「アンタと一緒にしないでよ」

「そりゃ済まんね、何たって貧乏なもんで。いや、ここに来るまで後を尾けられたし、ここの周りにも判っただけで二人はいる。男と女、もっといるかもな。伺ってるみたいだった」

 緑の動きが止まる。

「……何で?」

「あたしはそいつらじゃないから知らん」

 簡単に言い、ついでに「灰皿をくれ」とも言う。

 いつもなら渋る上に小言を付け加える性別・男は今は無言で陶製の灰皿を出した。本当は灰皿ではない様だが玲は気にしない。

「ネモの関係?」

「かもな」

 今度はフルーツジュースが出てきた。今日は随分とサービスがいい。

「ネモって何者? そんな」

「そりゃあたしが訊きたい」

 一息に飲み干す。加糖したミックスフルーツだ、妙に甘くって苦さという爽快感がない。非常に残念だ。

「ご馳走さん。泊まる前にちょっくら出かけてくら。向こうさんもいきなり襲っては来ないだろ」

「資金援助は?」

「何とかするわな」

 言い、ジュースのグラスを返す。片手を上げて「じゃあ」と挨拶した。

 鏡文字で「Turn Gospel」と見えるガラス戸を押し開け、ナントカ言うガラスの鈴の音が寒々しく聞こえる。緑の耳には「綺麗で、儚い音」に聞こえているらしいが、生憎と玲の耳にはただの冷たい音だ。不恰好に大きい吊り下げのガラスの鈴なんて、グラスベルにしても笑えない。

 外の明るさには欠伸が出る。今日は暑くなりそうだ。空調がいい事を期待しよう。幸い、この街の太陽発電はテラで一番優秀だ、どんどん冷房してくれるに違いない。荒れ加減の道を歩き、近所の小さな子が走っていく。

 登校の時間だ。そしてこの街にはスクールバスはない。どこかに集まり引率の大人が連れて行く。

 そして玲は自動販売機に向き合う。白いボディのこの機械は硬貨が使えるタイプ、それでこそ人間様の道具に相応しい。例え玲が社会的権利をほとんど持たない死人同然であっても……くたびれ加減の財布から硬貨を見繕い、口を開いた。

「で、用件は?」

 近付く気配が判った。なんと判りやすい。

「貴女が保護した子供をこちらに渡して頂きたいのです」

 幾らか老けた声が聞こえた。女だ。

 硬貨を必要金額放り込み、ボタンを押す。いつもはマルボロの青だが、今日は何となく赤い方。気分の問題だ。

「なんで?」

 がさ、と音が鳴った。

「必要だから、です」

 透明な蓋の音が軽い。

 玲は振り返り、振り返った事を後悔した。

 こいつは女だ。だが雰囲気は昔の上司に似ている。部下を当然見下し、「差別? そんな事はしませんよ? なぜなら私はこんなに善良な一般常識人なんですよ?」と真顔で平気で言うタイプ。そして上にいる者にはへいこらと作り笑いで従い、ごまだってするし、命じられれば部下を慰みに差し出す。そして自分のケツは絶対に貸さない。そういう、言わば「嫌な奴」。

 そのての人間は数年前、この世から一人だけ減った。不本意ながら玲が殺したからだ。

「アンタ誰?」

「貴女と取り引きをしたい者です。貧乏だそうですね?」

「他人様から施してもらいたい程度にはな。願い下げだが」

「正直なのは美徳です。応じて頂ければ一万をキャッシュで差し上げましょう」

「たった一万か」

 女は驚いた様だ。眼の大きさが変わった。

「一万ですよ? 三ヶ月は遊んで暮らせませんか?」

「遣おうと思えば一日で消える。遣わなきゃいつまでも残る」

 買ったばかりの煙草の封を切る。ゴミはポケットに突っ込み、抜く手でライターを引き出す。

 点火し、さすが赤。吸い口が重い。

「……お幾らで渡して下さいますか?」

「逆にそっちは幾らまでなら出す?」

「……十万ほどなら……」

「じゃあその百倍」

 女は今度は怒ったらしい。眉が釣り上がり、玲は少し笑う。

「何が目的で欲しがるかは知らんが、あの子はあたしに言ったんだ、『助けてくれてありがとう』ってな。それを何で、たかが金で見ず知らずのアンタに売らにゃならんのだ」

「たった一言の為に貴女は庇うの?」

「他に何の理由が要るんだ?」

 女はまた驚いたらしい。忙しい話だ。

「……あんたはこっちの言う事を素直に聞けばいいのよ!」

「何で?」

「あんたは!」

「あたしは」

 玲は女をねめつける。

 女は思わず言葉に詰まる。

「それが他人に『お願い』する態度か?」

「……犯罪者のくせに!」

 玲は半分ほど喫った吸い付けを足元に吐き、念入りに踏んで消す。頑丈な靴底に踏み殺され、荒れた道路ががりがり悲鳴を上げる。

「金も権利もない犯罪者が何を偉そうに言っているの? あんたは犯罪者なの、誰かが持っているボタン一つで殺される死刑囚よ。それが何を偉そうに私に意見するの! あんたは黙って、素直に金でも受け取って」

 がつ、と音が鳴った。

 バイオアーマーで強化された玲。触れる感触は生身とさほど変わらない、これだけは判決を下された時にも奪われなかった腕は、脚は時にコンクリート程度は容易くはないが砕く。その通り玲のパンチの大きさに相応しい窪みが女の顔の真横に出来上がった。相応に痛いのだが知らん顔をしておく。

「オバサン、いい加減にするのはそっちでない? ここはロスベガスシティで、アンタはどう見てもよそ者のしかも誘拐犯志願だ。幾らあたしが犯罪者でもな、ポリスに『こいつは可哀想な迷子の子供を誘拐する悪い人でござい』と突き出せば、とっ捕まるのはあんただ。その辺判ってる?」

「失敬な! 私は」

「あんたが誰だって構わんわな。どーせあたしは法的に死人だしな。だったら」

 玲の指が女の喉を撫ぜる。

 女の皮膚が引きつって鳴るのが判った。

「ここ、抉られたくなかったら失せな。どーせ向こうで待ってる奴も仲間だろ? アレ連れて消えろや」

 向こう、と親指だけで指し示す。

 女の口元が軽く痙攣する。

「今、帰れば黙ってる。選べ」

 女の唇が痙攣する。玲は知らないフォボス・テラで売り出されたばかりの新作が厚いめに塗りつけられた、値段だけは高い唇だ。

「……何も持たないくせに正義の味方ぶって。せいぜいいい気になっていなさい!」

「そうする」

 後ろから気配が迫る。玲は女を掴み、振り向きざまに女を突き飛ばす。

 バランスを崩された女は悲鳴か罵声を吐いた様だが玲はさっさと走り出したので判らない。

 ポリスなんて冗談じゃない。下手に行ったら捕まるのは自分だ。だったら逃げるが勝ち、とっとと消えるに限る。

 だがその前に。玲は幾らか走り、物陰のテレフォンボックスに入った。

 はじめて食べたイチゴサンドは甘酸っぱくって美味しかった。上手く「美味しい」と言えたかどうかは謎だが。

 栄養価が偏っているのは一目で判った。糖分と炭水化物が多くって、ビタミンは水溶性の上に少々足りない。ミネラル関係はホットミルクで補えるとして、やはり糖分が一食の配分として多すぎる。不健康な食品だ。

 けれど、やはり美味しい。ラボで与えられてきた、栄養価の計算された「だけ」のレンジ調理のレーションと違いすぎる。甘すぎるのはいっそ歓迎だ。

 なぜ美味しいのか。こんなもの、甘いだけで栄養価が狂っているのに。

「一人じゃない」からだ、と漠然と考えた。ここはラボで暮らしていた時の様な、壁に囲まれた「箱」の中、会話相手はドクターとその助手しかいない世界ではない。

 一緒にいるのは、知識としては知っていたが実物としてははじめて見た「オカマ」という人種だ。正しくはセクシャルマイノリティか。MTFではないだろう。

 この「オカマ」は実に甲斐甲斐しく自分の面倒を見てくれる。親切というカテゴライズでいいだろう。

 実のところ、基本的な事は何でも一通り出来るつもりだ。知識はある。ある程度はラボでも教えられた。

 けれど「オカマ」はこちらが頼む前に何でもしてくれる。暑くないか、寒くないか、採血跡は痛くないか、腹は減ってないか、退屈じゃないか……その他。実にこまめに気を遣う。

 それ以外にも掃除、片付け、少ない客の接待その他。実に働き者だ。というか、掃除は付き合わされてモップ掛けの極意というものを伝授されてしまった。なるほど、掛ける方向と腰の入れ方が重要なのか。

 だから、気になって「なぜそんなに働くのか」と訊いた。

「楽しいからよ」と「オカマ」は答えた。

 そういうものなのか、と納得する事にしながらモップをかけてみた。

 

 納得した頃、もう一人が増えた。

「オカマ」と一緒に暮らしているらしい、見た目は自分より少し上の女。普段は「ハイスクールに通って、馬鹿をからかって、馬鹿のふりをして一緒に勉強して、遊んでいる」らしい。よく判らない。

 とても賢い女だ。知識が豊富で、判断力があり、行動に伴う体力があり、そして意地が悪い。自分は下らない悪戯を仕掛けられ、気付いて回避したら「引っ掛かるのが礼儀よ!」と訳の判らない文句を言われた。意味不明だ。

 女は「オカマ」に叱られ、謝罪した。

 謝罪を受け入れたら「だったら今度は一緒にやろう」と持ちかけられ、「オカマ」がシャワーから帰ってきたら引っ掛かる程度の悪戯を仕掛けた。

「オカマ」は見事に引っ掛かり、自分たちはまとめて、極めてヒステリックに叱られた。低いめなのにかんかんするという矛盾ある声で、たっぷり一時間は怒鳴られた気がする。

 これらは実に意味のない行動だ。むしろ非生産的で、実に不利益だ。

 だが「楽しい」と思えた。実に下らない行為であったにも関わらず。

 女も、あとから陰で「今度はバレない様によそでやろうよ」と言った。

 気付けば、私は実に自然に賛同していた。その為の計画ならば進んで立てるだろう。

 

 気付いた。

 ここは実に居心地がいい。ずっといたい。

 

 だが、そう遠くないうちに出て行かねばならないだろう。判っている。

 なぜなら、自分は「買われた」者だ。あの女の使いに応えたのだから。

 

 だから、せめて。

 せめて、それまではここにいたい。

 ここは下らぬ喜びに満ち溢れ、実に快適だ。

 通話を切って電話をポケットに押し込み、半分地面に埋もれた階段を下りる。

 行き止まりの店で働く、久し振りに会った男は笑顔を見せ、敬礼する。

 玲もつい習い性で敬礼してしまったが、酸っぱい顔で手を下げた。

「お久し振りですカン曹長! ご無事の様で安心しました!」

「やめてや。あたしはもう曹長じゃないよ、ロゥイ」

「自分も軍人ではありません」

 どうぞ、と椅子を勧める。

 玲は立っている。この女の癖だ、「外」では滅多に着席しない……男は苦笑してしまった。

「モノは来ていますよ」

「さんきゅ。スタンガンは便利なのは判ってるけど勘弁な、アーマーに電流が流れやすい」

「それはメンテ不足ですよ。今度、検査のスケジュールを立てます。お時間を作って下さい」

「無理。払う金がない」

「ツケで結構です。それに、以前お預かりした証券もあります」

「……ああ、そんなもんもあったっけ」

 忘れていたわ、と言いながらショーケースを眺める。

 最新式の銃は魅力的だ。使い方は腕が覚えているだろう。

 だが自分は犯罪者だ。迂闊に持ち歩けば末路が見えてしまうし、弾代は自分の懐には高すぎる。

「てかあれ、まだ効力あんのか? 保険金は一括払いした記憶はあるけど」

「弁護士にも確認しました。いざとなったらそれから頂きます」

 ごとっ、とガラスケースが鳴る。

 大袈裟な木製の箱の中身はいいフォールディングナイフ。刃は指定通りに強化セラミック、グリップも硬質ラバーに交換済み。刃渡り含めたサイズも言った通りで、悪くない。

「本当にこのくらいでいいんですか?」

 玲は短くも丁寧に礼を言う。この大きさならポケットに入れられる。

「悪いな。前のは折ってしまってさ」

「これで何とかして頂けますか? あとは」

「いざとなったら現地調達する。何とかなるべさね」

 財布から紙幣を出すが、止められた。

「払うよ」

「お代は要りません。プレゼントと思って下さい」

「ここまでしてもらう理由はない」

「あります。貴女はムィムーとシーヤの名誉を守って下さった」

 玲は煙草をくわえる。

「カン曹長、貴女は部下の名誉を、部隊の尊厳を身を呈して回復して下さった。それに応えるのは部下だった私の義務です」

「やめとけ。死人に深入りしてもいい事なんてないぞ」

「貴女は生きています!」

「あたしは死人だ。ここは払う、助かったよ」

 相場の倍くらいの紙幣を出す。

 男はもうしばらく躊躇し、受け取った。

「……また何かありましたらいつでも仰って下さい」

「さんきゅ」

 店を出る。

 男は敬礼で見送った。

 

 尾けられている。面倒だ。かといって今更撒こうとしても無駄だろう。がり、と頭を掻いて左に曲がる。丁度いい、と考えればいいだけの話だ。許可は出たし。

 広い道を進み、二ブロックほど行くと噴水のあった建物の真正面に出る。往時には毎晩ナントカいう水のイベントが行われていたそうだが、今では枯れた堀が空しく横たわる巨大な廃墟だ。勝手にタチの悪いホームレスがわんさか住み着き、真っ当な住人は近付こうともしない。

「もういいか?」

 立ち止り、言う。

「ここなら幾ら暴れてもポリスは来ない。出てこいや」

 振り返る。

 五人ばかりいる。全員が一見、観光客だ。派手すぎない服で、バッグやリュックを背負っている。中身のほどは判らないが。

「甘玲花。もとフォボス陸軍所属。最終階級は曹長」

 進み出たのは昨日の女。今日は少々派手なワンピース。

「三年前、あのテリュース・スキャンダルの発端を作った殺人事件を犯し、死刑判決を受けた」

 女が進み出る。昨日は脅されたのに、大した心臓だ。

「間違いないわね?」

「違うな。あのスキャンダルはあたしが何もしなくっても表沙汰になった。マスコミが前からうろついてたしな」

「でも切っ掛けになったのは事実よ。あれのお陰で軍のガードが緩んだ」

 玲はライターを取り出す。

 第五二九歩兵部隊《Rat Snake》は、玲が突撃隊長だった小隊ナンバーは今では欠番になっている。上官である中隊長は殺され、小隊長は死刑判決を受け、隊員二名がライオンハート。残ったメンバーも何だかんだで軍に都合の悪い事をぶちまけては排除されて当然だ。名誉回復できただけ果報だろう。

「最初は貴女を排除しようと思った。けれど、考え直しました。ミズ・リーファ、私の部下におなりなさい。きちんと手続きを踏んで《首輪》を外してあげましょう。貴女に」

 ごつっ、と音が鳴った。一人が顔を押えてうずくまる。

 女には一瞬理解できなかった。玲の足が足元の小石を蹴り上げ、それが部下の片目を直撃した事なぞ。

 だから理解できなかった。喉が急激に熱くなったのは、素早く抜かれたフォールディングナイフに切り裂かれたからだ、とも。もんどり打って倒れ、痛みも理解できずにもがく。

「お前ら、シティにいられっと厄介だっていうから死んでもらうわ」

 スタンガンを抜かれた。あれは厄介だ、バイオアーマーは通電に滅法弱い。

 だが杞憂だった。大した練度ではない、軍関係だとしてもおおかた情報武官だろう。あっという間に始末され、全員は首や胸から血を吹く。

 女に近付き、漁る。

 身分証明になりそうなものはない。パスポートの記載が本当ならマーティリアンだがどこまで信用できるものか。

 全員を確認するが似た様なものだ。嘆息し、立ち上がる。まあいい、自分はレディの「お願い」通りに動くだけだ。

「終わったんかい」

 聞き慣れた声がうっそりと聞こえる。玲は「ああ」と応えた。

「始末は頼んでいいもんかい?」

「勿論だぁ。着てるもんも血を洗いやきっちり売れるやねぇ。パスだって親分が買ってくれるさねぇ。『中身』が健康なら『お医者さん』も買ってくれるわいなぁ。ありがたいねぇ」

 スライムイーターと名乗るこいつの両手で拝む姿は苦手だ。玲は鼻を鳴らす。

「ほれぇ、姐さんの手間賃だぁ」

 スライムイーターはいつも通りラムの小壜を投げてよこす。シティでは売っていない高級なやつだ。いつも疑問なのだが、この小男はどこからこれを調達してくるのだろう。

 わらわらとスライムイーターの仲間が現れる。薄汚い身形で、いわゆるホームレスの集団。それが死体から文字通り身ぐるみを手際よく剥いでいく手際は実に見事だ。

「ところで姐さんよぉ。《首輪》の調子はどうだいねぇ?」

「……別に」

「なら、いいんだがねぇ。こないだメインストリートでまた一人死んだぜぇ。可哀想にぃ、風船売りの子ぉの真正面でドーン! てなぁ。その子ぉ、げえげえ吐いてたぜぇ」

「……そうか。可哀想だな」

「姐さんもぉ、せいぜいマスターのご機嫌を損ねん様になぁー」

 ああ、と応えて道を戻る。オカマなんてどうでもいいがネモたちは無事だろうか。

 

 ドアにひびが走っているのが照り返しで判った。胸がざわっとしたので慌てて押し開ける。

 中ではマリアはジュースを飲み、緑は何かぶつぶつ言いながら掃除機を引っ張り、アリスとネモがモップをかけていた。

「……何があった」

 ハリケーンでも来たのだろうか。いやそんな馬鹿な……緑は極めて剣呑かつ胡乱な表情で、親指で「あっち」と指す。

「あっち」カウンターの手前を見て、玲は「ああ」と言ってしまった。

 殴り倒されたか、蹴倒されたか。そんな感じで折り重なる人間が五人。玲が始末したのと同数で、二手に分かれたのか、とは思った。それだけだ。

「マリアか」

「そー。だから店の中で暴れないで、って言ったのに。わざわざここで暴れないで頂戴よ。今日はもう店仕舞いしなきゃないじゃない!」

 ああもう! とヒステリー気味に叫び、掃除機を強引に引っ張る。当たったバーチェアががつっと揺れた。

「ゴメンね、緑。でも、こいつらも悪いのよ。外に出ましょ、って言ったのに出ないんだもの」

 いわゆる「銭の取れる」優雅な脚が一人の手を踏み躙る。実に優雅な動作だ。やる事はえげつないが。

 踏まれて微かに呻くのは判った。つまりまだ生きている。面倒な事に。

「これ王風んとこに引き渡すか?」

 ついでに玲も手を蹴ってみた。骨が折れた感触があった。

「イヤがられるに決まってるでしょ! 生きてるのよ、シメるなら外でやってよ、血の掃除は面倒なんだから!」

 殺すのが前提なのか、「やるな」と言わない辺り緑もてんぱっている様だ。玲はとりあえず物置から発掘してきた梱包用のビニール紐で縛り上げる。伸張性がある紐の拘束力は侮れない。

「ねえ、どうしたの?」

 アリスの声が聞こえた。足をかけて引っ張りながらそちらを見ると、ネモが静かに泣いていた。

「どうしたの、怖いの思い出した?」

 ネモはふるふるっと首を振る。涙が散るのが見えた。

「……ちょっとアンタ」

 察した玲は「侵入者」をまとめて引きずり、路上に突き飛ばす。運がよければポリスが拾ってくれるだろう。いや管理局に連絡する方がいいかもしれない。ゴミを引き取ってくれ、とでも。

 マリアはドアに「Close」の看板を出す。シェードも降ろし、ライトを切り替えて明りで満たす。

「ねえネモ、どうかした?」

 子供からモップを優しく取り、高い椅子に座らせる。こうすると喋りやすい。

「ねえ、どうしたの? 今になって怖くなっちゃった?」

 首を横に振る。これだけでは判らない。

「ねえ、言わなきゃ判らないのよ。おねーさんに言って御覧なさいな?」

「(『おねーさん』だとさ。カマ野郎が図々しい)」

「(言わせてあげなさいな。本当ならオジ)」

 がん、ごん、と音が鳴った。掃除機のノズルが玲とマリアを殴った音だ。

 頭を抱えて呻く女を掃除機とまとめて放置し、緑は問いかける。

 ネモはやっと言った。

「……出て、く……」

「なに?」

「ここ……出て、いく。あいつら、私を……連れて、いこうと、した」

 ぼふっ、とネモを叩く寸前に撫ぜる。

「何そんなこと言ってんの? あんなケチ臭い誘拐犯が来たくらいで、大袈裟ね~」

「……あいつら……私を」

「モルモットにしたいだけでしょ? じゃなきゃ兵隊に育てるつもりかしら、それとも?」

 ネモは震え上がった。

「ん~、アンタが普通の子じゃないのはとっくに判ってるわよ。そんな事で心配なんかしなくっていいから。ここ、普通じゃないの三人もいるから」

「四人だろ、オカ」

 どごっ、と鳴った。要らない事を言おうとした玲が今度は蹴り倒された音だ。床に転げつつ低く呻く。

「あたしっ……私は、人間じゃ、ない! 私は、モルモットで、造られて……私は、利用される為に」

 緑の掌が頭を撫ぜる。少々乱暴に撫ぜ回し、頬に下りる。

 ようやく立ち直る玲とマリアが声にならない声で「う」と言うのと、アリスが同じく声にならない声で「あ」と言うのと、ネモが声に出して悲鳴を上げるのはほとんど同時だった。

 緑の指が容赦なく頬をつまみ上げる。ぐいぐい引き、堪らないネモは痛い痛い(実際には「いふぁいいふぁい」と聞こえる)と泣き声を上げる。

 あれは痛いのよ、あたしもやられた事があるから……とアリスも涙目になってしまう。

「まったく。アンタ何様のつもり?」

 ぎゅうぎゅう引っ張られ、さすがに痛いだろう。赤みが差し、たっぷり一分はつままれた頬は幾らか腫れたと思う。押さえてネモはにいにい泣き、緑は大仰に嘆息した。

「アンタ何様? アンタがブーステッド(強化された人間)だからって、それくらいが何だって言うの? そのくらいで大変だったらコイツらは何なの?」

 険悪な親指が二人の女を指し示す。

「コイツらなんて死刑囚と脱走兵よ。ブーステッドは受けてるし人殺しの方法だって幾らも知ってるわ。下手に武器なんて持たせたら五分でこのシティくらい壊滅させるのよ。アンタなんかよりこいつらの方がよっぽど悪人じゃない!」

「何もそこまで言ってくれなくっても……」

「お黙り、借金持ちの死刑囚くせに!」

 玲は言葉に詰まってしまう。そんな、幾ら本当の事だとしても言わなくっていい事が世の中にはあって……第一、武器があっても五分程度で壊滅は無理だ。意外とここ広くって……的外れ気味に泣きたくなってきた女を捨て置き、緑の語調はこんな時はえらく強い。

「いいこと? アンタが幾ら造り物だってね、アンタは子供なの! 子供は大人に優しくされていればいいの! そうすりゃそのうち色々覚えんだから! 自分が何者か、なんて事はその後で悩みなさい!」

 アリスは心の中で頷く。そう、自分が拾われた時もこの女(暫定的)は同じ事を言った。ラボの連中を皆殺しにし、ついでに建物を爆破して逃げ出したのに。ひどく汚れて怪我をした自分をこの店に引き入れ、風呂を使わせ、全ての世話をした奴は同じ台詞を吐いた。

 自分には倫理観がないが、この女には差別観がない。「人殺し? ああそう。だから何?」と平然と言い、世話をする。

 最初は偽善者と嘲笑った。軽蔑もした。何度もそうした。

 だのに、返礼はいわば愛情。打算含みとはいえ優しくされ、甘やかされ、そして礼節を叩き込まれた。

 だが、そうされるのは心地よいのだと気付いてしまっては裏切るなぞ出来ない。

 そして、一度得てしまえば「失う」なぞ考えるだけで怖くって仕方がない。アリスは懇々と「説教」する緑を見詰める。

 オカマだけどいい奴だ。きっと。慣れるまでは色々と大変だったが。

 ネモはもうしばらくしくしくと泣いて、だが泣き止む。

 玲は泣き止むのを見計らって一本をくわえ、火を点ける。これだけ散らかっているから構わないだろう、と灰を床に落としたら、緑に尻を蹴られた。

 まだ片付かない店でライトも点けず、転がった破片もほとんど片付けず、緑はカウンターでジンジャーエールを啜っていた。灰皿を探しに来た玲は義理でとりあえずの声をかけ、緑はゆっくり振り返る。

「まだ起きていたの?」

「寝酒くらいくれ」

「ニコチン中毒にアルコール中毒だなんて。本当に依存症外来に行ったら?」

「そんな金があるか」

 そうね、と言って緑は向い側の椅子を勧める。

 玲は素直に座り込み、半分ちょっと喫った一本を灰皿にねじ込む。新しい一本をくわえ、点火してからだが。

「せめて目の前で喫うのはやめてくれない?」

「無理」

「肺癌で死ぬわよ」

「何を今更」

 たぶん安いバーボンのフィンガーグラスを出される。玲は受け取り、緑は低い声で言う。

「アンタ、戦争ってどうすれば終わるか知ってる?」

「はあ?」

「いいから答えて。どうしたら終わると思う?」

 深い色の瞳が見詰めてくる。玲はやや考え、言った。

「……相手の戦意を削げばいい。敵の弱味を突き、屈服させる」

「じゃあ、どうやれば劇的な短期間で戦争を終わらせられる?」

「こっちが強く、向こうが弱けりゃ簡単だ。と、なると彼我戦力差がないときついが」

「それをやろうとしてるのよ」

 緑はジンジャーエールを啜る。

「なに?」

「レディの目的はそれなの。レディはこの、見捨てられつつある星に巨大な『権力』を創ろうとしているの。戦争を起こさない為の、起きてしまった戦争は一分一秒でも早く終わらせる為の『権力』を。いわば戦争のコントロールね」

「出来る訳がない」

「ええ、一人では無理。他にも仲間がいるわ。レディたちはその為にマリアを、アリスを、ネモを手元に集めた。戦争の道具になり得る新しい力を『他人』に奪われない為にね。他のところにも何人かいるわ」

「あたしは?」

「アンタはついで」

 玲は「死ね」と返す。

 緑は軽く笑う。

「アタシね、子供が産めないでしょ」

「お前が産んだらビックリだな」

 睨まれたところで玲は動じない。バーボンを啜り、まあまあ旨い。

「でもアタシは子供が好き。そして人間が好きよ、この世界が……壊れかけた星だけど、でも」

「えらく壮大なボランティアだな」

「アンタはそういう好きなものってないの?」

「生憎とな」

 そんなもの、家族と思っていた部隊が潰された時に……半分以上残る酒を一気に呷る。喉が焼けてさすがに痛い。

「あたしらは兵器っつか道具か」

「不満?」

「別に。死人を生かしてくれるのはありがたいしな」

 グラスをカウンターに置く。ごとっ、と鈍く音が鳴る。

「まあ『博愛精神は平等に無関心という事だ』とならん様にな」

「それ誰の言葉?」

「昔の戦技教官」

 緑は鼻を鳴らす。

 玲は背伸びする。

「二・三日泊っていくわね?」

「何だよ、その限定的な物言い」

「片付け。力仕事があったら大変だから。ホラ、アタシ非力だし」

「死ね」

「褒め言葉に取っておくわ」

「いいから死ね」

 緑は薄く笑う。

 玲は酸っぱい顔で箒を拾う。

「アラ、片付けやってくれるの?」

「手を動かせば早く終わる。ここ使えなきゃお前、休業しなきゃならんだろ。店が開かないのはどうでもいいが、アリスとネモの飯を作ってやれなくなったら可哀想だ」

「アタシが?」

「あの二人が、だ。子供に要らん心配かけさせんな」

 緑はモップを持ってくる。

「手伝ってあげる」

「つか本来、お前がメインで掃除するべきだろ」

「一宿一飯の恩義は返してちょうだいね」

 玲は大儀そうに「へーい」と返した。


 
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