≪漢中鎮守府/北郷一刀視点≫
心配された劉弁陛下と劉協殿下の顔ばれは、ありがたい事に杞憂に終わった
考えてみれば彼らと接する機会が彼女達にはなかったわけで、その点では一番心配だった公孫伯珪に関しても、事前に叩きのめしたのが功を奏したのかそういう部分にまでは気が回らなかったようである
洛陽からの役人という事で二人を紹介した訳だが、ここで殿下は屈託なく話しかけてくる張翼徳に興味を持ったようで、常ならどうしても顔に出る食事に関する気に入らなさが全く出ていなかった
まあ、あれだけ美味しそうに、しかも大量に食事を平らげているのを見れば、普通は食う前に満腹になるか、自分も釣られるかだろうしなあ…
どうもその点では殿下は後者だったらしい
「僕、できれば毎日みんなで食事をしたいな」
こんな事を呟いていたし、これはいい傾向と言えるので可能な限り計らおうと思う
陛下は陛下で、劉備達の漢中に対する感想を聞きたがり、それに恐らく生来のものだろうが、非常に聞き上手な劉玄徳が相手をしていた
双方色々と思うところがあったのか、非常に盛り上がっていたのが印象的だ
趙子龍にはメンマがないことをぼやかれたが、優先順位は非常に低い食品といえるのでそれを伝えたところ、メンマについて延々と語られる羽目に陥った
劉玄徳以下、全員が知らぬ振りをしていた事から、趙子龍にメンマについて語るのは肯定であれ否定であれタブーという事のようだ
俺も二度とこいつの前ではメンマについて口にはすまい……
ただ、俺は思う
メンマなんぞ国を挙げて生産するようなものでは断じてない、と
来客用の夕餉と酒肴のため、常では用意しない類のかなり豪華な食事を用意した訳だが、俺はそれには手をつけず体調を理由に粥のみを口にしている
みんなの処遇が決まるまでは、これだけは譲れないところなのだ
程仲徳にはそれとなく郭奉孝の処遇について尋ねられ、隠す事でもないので正直に
「無罪放免とはいかないが、こちらで提示する仕事をひとつこなしてもらえば開放するつもりだ」
と教えておいた
生死に関しては彼女の運と力量の範疇なので知ったこっちゃないんだが、そこまで正直に教える理由もない訳でね
「なるほど~
まあ、奉孝ちゃんなら肉体労働でなければちゃちゃっとやっちゃうでしょう~」
こう言って頷いていたことから、こちらが殺したり拷問したりというのを懸念していたようだ
さて、主賓としては難しい顔をして席にいる二人をどうにかしなければならない訳なんだが
敵であるならいくらでも叩けるんだが、そうじゃないとなると調子が狂うんだよね
まあ、都合よく近くにいる事だし、やってみるとしますか
「楽しんでもらえてるかな?」
公孫伯珪に対してはなんて白々しい、と自分でも思うんだが…
案の定、彼女は恨めしそうな目をしながら、それでも席を壊すまいと無難な答えを返してきた
「……ああ、気分は優れないが、あたしなりに楽しんではいるよ」
全身で俺に“近寄るな!”と主張してるんだが、これも仕事なんで勘弁してください
「関雲長殿はどうかな?」
こちらも常識人なのだろう、やはり無難な返答が返ってくる
「あ、はい
私達の作る席とはかなり雰囲気が違いますので戸惑ってはおりますが、楽しませていただいております」
関雲長が難しい顔をしている理由もなんとなく想像はつくんだよな
俺は二人の前に陣取ると酒壺を差し出す
「まあ飲んでくれ
口に合わないかも知れないが水で割って一晩寝かせてあるから、きついということはないはずだ」
公孫伯珪は嫌々、関雲長は戸惑うように差し出してくる酒杯に俺は酒を注ぐ
「温めないっていうのも漢中流でね
飲みづらいようなら言ってくれ」
「いえ、珍しくはありますが美味しくいただいております」
「………」
追従であるかもだが即答してくる関雲長と違い、無言で杯を見つめている公孫伯珪に内心苦笑しながら、俺は二人に話しかける
「君達にもまあ、色々と思うところはあるんだろうけどさ
俺はこう思うんだよ」
唐突に話し始めた俺に向かって二人の視線が集まるのを感じながら俺は続ける
「結局、自分は一番何が欲しいのか
裸になったときに何が必要で何がいらないのか
徹底的に削ぎ落とし脱ぎ捨てて、それでも残るものを大事にできればいいんじゃないか、とね」
「裸に、ですか……?」
要領を得ないという表情で呟く関雲長とは対照的に、公孫伯珪は杯に視線を落として疲れたように呟く
「……本当に必要なもの、か………」
「ああ
それは玄徳殿のように、みんなの笑顔なのかも知れない
まあ、彼女の場合はちょっと特殊というか、色々と大変だろうけどね」
俺の言葉に再び二人が顔をあげる
俺はそれに、これは予測を含むけれど、と前置きしてから答える事にする
「彼女のいう“みんな”というのは、結局のところ君達だったっていう事さ
そりゃあ、民衆がとか苦しんでいる人達が、というのも本当でそこに嘘はない」
一瞬否定されたかと思ったのか何かを言おうとした関雲長だったが、否定ではないと理解したのか言葉を飲み込む
「目に見えるもの、見てきたものを基準にみんなを救いたい、というのは簡単なようで実はとても難しい
それに、誰もが思ってはいても口にできる事じゃない
だからこそ俺は彼女にはこの漢中で色々と知ってもらいたいと思っている」
先を促す二人の視線を感じながら、俺は酒杯を口に運ぶ
「劉玄徳が望む“笑顔”とはなんなのか
そこに浮かぶのは誰の顔なのか。それを知ってもらってはじめて彼女は歩き出せる
俺はそう思うんだ」
そうして俺は関雲長に視線で尋ねる
君の望みはどこにある?
「私は……」
物憂げに視線を揺らがせる彼女に、俺は諭すように答える
「君の望みは
“劉玄徳の下で民衆が彼女の理想に準じて暮らす未来”
なんじゃないかな?」
いくつかの外史では、俺本人や俺と劉備を主と仰ぎ、その武を揮ってきた関雲長だ
数多の可能性の中で例外はない、といえるのは、彼女は自身の武や理想を体現できる“立場”を持つ人物を欲し、その右腕であり同胞として“一番重要な位置”に自分を置く事を望んでいる
もっとも、俺はこの望みが過分だとも自己中心的だとも思わない
それだけの実力を有し、自分が主導してそれらを行う事が破綻に繋がる、という自己判断ができているという点を考えても、彼女は十分以上に非凡なのだ
つまり、関雲長の不安はただひとつ
それは、劉玄徳が“王”でなくなった時にどうなるか
些細に過ぎるものではあるが、ただこれだけが彼女にとっての不安材料なのだ
民衆と共に歩み、仁と義を体現して高祖の再来とも後世に言われる仁王・劉玄徳
彼女の掲げる、その崇高にして英邁なる理想は、現実として人類には恐らく永遠に手が届かないものである
だからこそ彼女はそれに妥協したり諦めたりするべきではない
例えその結果、頂点が彼女ではなくなったとしても
そうして頂点にいなくなった彼女を自分は支え続け、その上で他の人間に頭を垂れることができるか
関雲長の懸念はその一点に尽きるのだ、と俺は思っている
敢えて“自分が側らにあって”と告げなかったのは、その必要がなかったからだ
その程度の推察力もないようなら、俺は関雲長という人物を見誤っていたという事になるんだけどね
心配そうにみつめる公孫伯珪を気にすることなく、彼女はぐっと酒杯を呷るとふっと溜息をつく
「……なるほど、天の御使い殿は人の心の奥底を写し取る鏡でもお持ちなのかと疑いたくなる」
干された酒杯に酒を注いでやりながら、俺は関雲長にはこう告げる
「劉玄徳が今すぐ民衆と同じ暮らしをして田畑を耕す事を選んだとしたら、君は一緒に“何の不満もなく”共にいれるのか、そういう事だと思うよ」
酔いと共にゆっくりと思考に耽る関雲長から視線を外し、俺は公孫伯珪に向き直る
「つまり俺が言いたかったのはそういう事さ
君にとって譲れないものはなんなのか、ただそれだけなんだよ」
「あたしが絶対に譲れないもの、か……」
酒杯を見詰めながらそう呟く公孫伯珪
俺はふたりを置いて席を後にする
それを期に人が動き始めた宴席を眺めながら、俺は周囲に悟られないように溜息をついた
≪漢中鎮守府/張儁乂視点≫
宴もたけなわ、といった風情でござるが、客人達の大半はかなり酔いが回っているようでござるな
それも致し方ないところで、漢中の酒は一刀殿が持ち込んだ技術により、相当にきついものが多くなってきております
拙者らも慣れるまでは苦労したもので、口当たりがよいものが多いため最初の頃はすぐに酔いが回っていたものです
劉玄徳殿の配下で意識を保っているといえるのは、どうやら趙子龍殿くらいのものでありますな
挨拶を受けながら杯を干していた折に伺ったところ、かの御仁はかなり酒好きらしく酒を手放す事はまずないという話でござったし
「さて、そろそろ片付けかね」
公祺殿が酒気を帯びた吐息を漏らしながら、腰に手を当ててそう呟きます
この光景は漢中に客人が来る度に見られる恒例行事のようなもので、公祺殿の合図で介抱するための人員がやってきます
「ふにゃ~……にゅふふふふ…」
「も、もう呑めないのだ~…」
「うふふふふ…明日は八百一本探しでしゅ…」
「えへへへへ…漢中にはどんなご本があるんでしょうにぇ~…」
「あたしだってなあ…本当はなあ……」
「朕も明日こそは………」
「くー……くー……」
各自慣れた風で介抱したり潰れた者達を運ぶ者達を眺めていると、趙子龍殿が声をかけてきます
「いや、これはお手数をおかけしますなあ
普段はここまで酒に弱くはないはずなのですが、旅の疲れでも出ましたかな?」
「なーに
漢中じゃ客人が来る度にこんなもんさね
みんな慣れてるから気にすることはないさ」
「そういえば、天の御使い殿は早々に座を辞していたようですな」
梅の香りをつけた蒸留酒に口をつけながら子龍殿はゆったりとしております
なんというか、そこに居るだけで絵になる御仁でありますな
「一刀殿は年少の者達と一緒に下がってござるよ
あまり丈夫なお身体でないのも本当の事ですのでな」
「あながち演技ばかりでもない、という事ですか~」
おや、隅っこで寝ていたと思っていた程仲徳殿、実は起きていたようですな
見たところ、そう酒精に染まっている訳でもないようです
「まあ、体力はないね、あの男は」
周囲の様子を見ながら指示を出している公祺殿が、あらかた終わったと判断して軽く手をあげます
「んじゃ、アタシも今日はお暇するよ
アンタらも程々にな」
「ご苦労さまでござった」
「おや、残念
次はゆっくりと飲みましょうぞ」
「おやすみなさいなのです~」
公祺殿を見送っていると、物足りなそうに子龍殿が呟きます
「いやはや、漢中に集う方々は生真面目な方が多いようですなあ
今宵はこれほどに月が見事だというのに、もうお開きとは」
確かに、この場にはまだ飲み足りないという者のために酒肴がある程度整えられているだけで、拙者らのうちで残っているのは他にはおらぬようです
普段なら、会議の延長みたいなものでありますが、語らうために残っていたりはするのですがな
なので拙者はそれに笑って答えます
「拙者らも漢中を空けていた期間が長かったのもありましてな
そうでなければ余裕もあったのですが、なかなか上手くはいかぬものでござる」
仲徳殿にも薄く作った酒を供しながら、拙者も席に座ります
「おお~
これはまた、ほんのり甘くて飲みやすいのです~」
「拙者にはそれは少し甘いのでこちらが好みですがな」
拙者は蕎麦を蒸留した酒を好んでおります
癖が強く嫌う方も多いのですが、それが癖になったというべきでしょう
「武骨者ではござるが、今宵は拙者でよければお付き合いできるでござるよ」
こうして特に何を語るでもなく、月を眺めながら酒を楽しんでいると仲徳殿が呟きます
「ここは不思議なところなのです~」
「不思議、ですかな?」
拙者の言葉にこくんと頷きながら仲徳殿は杯を傾けます
「私の基準では推し量れぬ事ばかりなのですよ
理解できる部分もありますが、それはとても一晩二晩で語り尽くせるものではありませんしね~」
確かに、数年を共にしてきた拙者ですら、たまに戸惑う事もありますからな
ただ、拙者はこう思うのでありますよ
「そうですなあ…
儒教の教えの原点に還ろうとしているのが、天譴軍なのかも知れませぬなあ…」
仁を為し徳を積む事によって自然と皆から選ばれる事で構築される社会
権威を誇るための為政ではなく、万民のために尽くす事を規範とした施政
今の拙者は一刀殿の理想をそう捉えており申す
むしろこういう事柄は公祺殿の方が余程弁も立ち、明確に話す事ができるでござろう
漢中にあるうちに、五斗米道が掲げる道教はかなり変わってきたと苦笑しながら申されておりましたが、それでも大きな“道”は変わっていない、と誇らしげに語っておりますしな
「今の我らにとっては水月鏡花と言うべきでありますなあ、この場所は」
子龍殿の言葉に拙者は苦笑します
とはいえ、それに言葉を返すのは野暮というものでありましょう
それらを本当に幽玄のものとしてしまうか、それは拙者らが語り聞かせる事ではないような気がします
「ああ、本当に月が見事だ……」
庭に造られた池に映える花月を肴に、皆で酒杯を重ねます
こうして夜は更けていきます
≪漢中/???視点≫
「よいしょっと……」
熊の毛皮を担ぎ直して、私は額の汗を拭いました
本当は近場で売りたかったのですが、一番高く買ってくれて邑で欲しいものが揃っているのは漢中だろう、との行商の方々が口を揃えて言うので、私が邑を代表して売りに来た訳です
私みたいな女の子がひとりで旅をしていたという事で関所では色々と心配されましたが、この毛皮や脂、胃や胆を干したものは私が捕らえた熊だという事を説明したところ笑われてしまいました
笑われたのがちょっと悔しかったので関所にあった閂をひとりで持ち上げてみせて納得してもらいました
役人さん達は驚いていましたが、なんでも関所の閂は男のひとが4人がかりで持ち上げて填めるのだそうです
「いや、笑って悪かったな
こりゃあ随分な力持ちだ
お嬢ちゃんならうちの近衛に志願したらすぐに採用されるんじゃないかな」
関所の役人さん達に妙に気に入られてしまった私は、そこでお昼をご馳走になって、ついでにという事で鎮守府に向かう馬に乗せてもらえることになりました
普通はこんなことはしないのだそうですが、女の子の一人旅ということで気を使ってくれたみたいです
こうして鎮守府についたところなのですが、田舎者の私にはなんというか、すごいところです
「うっわ~……」
熊の毛皮や脂や干した内臓を買ってくれるところも教えてもらって、役人さん達に挨拶をしてから城門を潜ったんですけど、なんというか都会です
旅費はもともと、どこかの菜館で日雇いでもして稼ぐつもりだったので大丈夫なんですが、こんな都会で私は生活できるんでしょうか?
圧倒されながらも役人さんに言われたところに行くと、そこは鎮守府でした
「………え?」
驚いて周囲にいた人に聞いてみると、私が持ってきたような漢方に使うようなものは、鎮守府にある五斗米道の道場が一番高く買ってくれる場合が多いのだそうです
大通りにある漢方や生薬を扱うお店は、他地方に輸出するものを扱ってる場合が大半なのだそうで、漢中に足りないと判断されたものは五斗米道が一番高く買い上げてくれるのだとか
ただ、普通の人はそういう事は知らないそうで、役人さんにやっぱり感謝です
「げ・ん・き・に、なれぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!!」
とか叫び声が奥から聞こえてくるのがなんか怖いんですが、受付の人も親切で、邑で予想していたよりかなり高く買ってもらう事ができました
(さて、あとは熊の毛皮を売って、帰りの旅費を稼がないと)
そう思って毛皮を背負い直したところで、いきなり声をかけられました
「おや、こんな小さな子がひとりで来るなんて珍しい事もあるもんだね」
「小さいのは認めますけど、これでも字もきちんとあります!」
むっとして思わず反論しちゃいましたが、相手の方は逆にまずいことを言ったと思ったようで、すぐに謝ってくれました
「ああ、見た目だけで判断してすまなかったね
ところでその背中の大荷物は一体なんなんだい?」
「熊の毛皮ですけど……」
「ふむ……
おい、そういえば防寒用の敷物は足りてたんだっけか?」
その女のひとは、いきなり受付の人にそう声をかけます
えっと……
もしかして、偉い人だったのかな……?
「鎮守府では足りていますが、重病患者用に建設中の邑の方で気落ちしないように敷物等を工夫する、という案はありましたが…」
「そうか
じゃあ熊の毛皮の敷物とかならどうだろうね?」
「そういうのもいいんじゃないでしょうか」
そんな感じで私の目の前で言葉を交わしていたんですが、女性はニカッと笑って私に向き直ります
「てな訳で、それもアタシらで買い取ろう
どうだい?」
「あ、ありがとうございます!」
思わず礼をとる私に、その女性は笑いながら尋ねてきました
「アタシは張公祺ってんだ
お嬢さんの名前を聞いても構わないかい?」
…………えっと
もしかして天譴軍の最高指導者とかのひとりの、張公祺樣?
びっくりしてあたふたする私を落ち着かせながら再度名前を尋ねてくる公祺様に、私はしっかりと答えます
「私の名前は典奉然
お会いできて光栄です!!」
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