5 〈
京滋は仏壇に手を合わせながら別れた時と変わらぬ茜の遺影を見つめていた。
「…………」
その後ろ姿を秀明は黙って見つめることしかできなかった。
結婚を申し込みに行った時も、今のように緊張していた。茜の父親は既に他界しており、父親代わりだった京滋に挨拶をしに行ったのだ。左程年齢の変わらない京滋であったが、当時からなんとも言えぬ迫力を醸し出しており、必死になって言葉を探していた記憶が残っている。しかし、それは今も同じだった。あの時と同じように、なんの言葉も見つからない。
気まずい沈黙が続く……
そして沈黙を破ったのは京滋であった。
「君が、この土地に帰ってきているとはな」
背を向けたまま一言そう呟いた。
重い一言だった。茜を神無月の家から奪うような形でこの町を出て、もう17年が過ぎている。駆け落ちをして飛び出したというのに、茜を守ることもできなかった。専門でなかったとはいえ医者である秀明が、茜の命を救えなかったのだ。京滋にどんな顔をすればいいのかなどわかるはずがない。
しかし、京滋の声は言葉とは裏腹に、秀明を責めているわけではなかった。
京滋は仏壇に一礼すると畳に手をつきゆっくりと振り返った。ただそれだけの行動なのに、京滋の持って生まれた迫力なのだろう。秀明は圧倒される思いだった。しかし、ここで視線をそらすわけにはいかない、これが茜を守れなかった報い。散々神無月家から逃げ回った罪なのだから……
その決心が勇気を与えたのか、意外にも秀明は真っ直ぐに京滋の顔を見ることができた。なんの感情を持たぬ顔を、強い眼力を持った瞳が見据えている。その視線に、少しひるみながらも、秀明は声を絞り出すのだった。
「正直言って、私もここには帰ってきたくはなかったんです。茜と駆け落ちをした私が、あなたに合わせる顔などあるはずがない。でも、私のような医者を受け入れてくれる病院が見つかったので、恥を忍んで戻ってきたのです。この一週間、あなたのところへ、何度も赴こうと考えました。こちらから赴かなくてはいけないことはわかっていたのですが、その勇気が出なかった。本当に、申し訳ありません」
秀明は、手をつき深々と頭を下げた。どんな状況であれ、本来こちらから挨拶に向かうのが筋なのは充分わかっている。しかし、秀明に落ち度はないにしても、茜を救えなかった後ろめたさが心の奥底に眠っており、どうしても茜の実家、神無月家に赴くことができなかった。
こんな不義理をしておいて、謝りようがないことはわかっている。どんな責めの言葉を言われても、言い返す言葉もない。秀明は覚悟を決めていた。いや、決めざるを得なかった。
しかし、頭を下げる秀明に投げかけられたのは、責めの言葉ではなかった。
「頭を上げて下さい。私は、責めに来たわけではない。秀明君が悪いのではないのだ。茜が死んだのは全て運命なのです。茜が自分の身のことをもう少し理解しておくべきだったのだ。君にも、我が神無月の宿命を良く話しておくべきだった。すまぬ、そのことを話さなかったのは私の罪だ。許してくれ」
今度は京滋が頭を下げた。いったい京滋はなにを言っているのだろうか、茜も同じことを言っていた。「神無月の宿命」とはいったいなんのことなのだろう。しかし、秀明にはなんとなく察しが付いていた。その運命はきっと双葉が絡んでいるに違いない。あんな不思議な産まれ方をしてきた双葉なのだから……
「そのことなん──」
「先程、茜によく似た娘さんを見た」
秀明の言葉を遮るように言葉を放つ。京滋もその話をしに来たのだろう。
「そうですか、双葉に会いましたか……茜に似ているでしょう。本当に茜によく似た可愛い娘に育ってくれました」
「やはりあなたのお子さんでしたか……本当に茜によく似ている。では、茜の横にある写真は?」
「双葉の姉、一葉です。双子だったのですが、一葉は茜と一緒に……」
その時、京滋の鋭い目が光った。
「本当に、双子として生まれてきたのですかな」
「えっ、いったいそれはどういう意味ですか」
秀明の顔色が変わった。茜が死んでから神無月家のことをできる限り調べてきた。茜の最後の言葉、双葉の不思議な出産。神無月家のことを調べればなにかわかるのではないかと思った。いや、そうしなければならないような気がした。双葉を守ってやれるのはもう秀明しか残っていないのだから……しかし、どこを調べようとそんな文献など残されていなかった。
神無月家は、日本の三大神の一人「
だが、その真相に今近づこうとしている。
京滋の言葉は、今まで秀明が知りたかったことに他ならない。いや、本当に知りたいのか秀明自身にもわからなかった。だが、この土地に戻ってきた時、全てが明らかになるような気がしていた。それが、今この時なのだろう。
しかし、京滋は秀明の質問には答えず一方的に話を続けた。
「娘さんの年は?」
「16歳です」
「誕生日は?」
「9月18日です」
京滋の鋭い眼光が、更に鋭く輝き出す。その鋭い眼光に秀明も臆することなく、質問に答えていく。
「やはり、同じ日か」
「なにが同じなのですか?」
なにも答えてくれない京滋に、少し声を荒げて聞き返した。
「私の娘、咲耶と知流の誕生日と同じ日なのですよ。双葉君は」
それが神無月の宿命となんの関係があるのだろう。話を聞いている秀明には、なんのことだかわからず、ただ戸惑った表情を浮かべることしかできない。
双葉と京滋の娘。同じ日に産まれたことになにか意味があるのだろうか。
「いや……それがなにか」
「満月を流星が切り裂いた日、それが双葉君の生まれた日です」
「…………」
そんなことが天空で起こっていたことなど知らない秀明は、どう答えていいのかわからない。
「もう、うすうす気が付いていると思うが、我が神無月家には秘密がある。その秘密は双葉君にも関係している。そのことを伝えるために私は来た」
そう宣言した京滋は、ゆっくりと神無月家のことを語り始める──
* * *
神無月家は代々、神官として月神神社を守ってきた。
月神神社が、いつの時代にできたのかは定かではない。一説によると神話の時代までさかのぼると言われている。
日本の最高神、☆伊弉諾尊|イザナギノミコト))と☆伊弉冉尊|イザナミノミコト))から最後に生まれ出た。三大神の一人「月詠」を祭っており、伝説の三種の神器を影で守る神社であった。
三種の神器とは、
歴史の中で度々出てくる三種の神器であるが、それらは全てレプリカで真の三種の神器の力を発揮することができない。神の力を宿されている神器は、普通の人間に使うことが難しく。人に害を与えてしまう可能性も秘めている。神の力とはそれ程強大で危険な力と言うことだ。
月神神社が、三種の神器を有しているのには、人々に影響を与えないようにする他に、もう一つ大事な役割を持っていた。
それは300年に一度「月詠」の力が衰え、闇の力が活性化される年代がある。その時、人の世には魔物がはびこり、世を神の手から奪い取ろうとするのだ。
その魔物と対抗するために三種の神器を使い、魔物を退治する役目を担っているのが月神神社なのである。
しかし、三種の神器は人には使えない。それを使うために神無月家は神の命を受け、300年に一度、人を越える人が生まれ出る宿命を背負わされていた。
人を越える
天叢雲剣には〈月の
しかし、この世に生まれ出た〈月の子〉には、辛い試練が用意されている。神の力の一端を使えるようになるのだ。それは厳しい試練を乗り越えねば扱うことなどできない。その子らは、満月の夜に〈
では〈双心子〉とはなにか、〈月の子〉らは母親の胎内では、双子として育っていく。しかし、通常の半分程でこの世に生まれ出ることになる。本来であれば、命に関わる程の早産であるが、子供は二つの体を一つにして普通の子となんら変わらぬ大きさで産まれてくるのだ。そして、体を一つにして生まれ出た子供の中には魂が二つ宿される。その二つの魂を持つ子を〈双心子〉と呼んでいた。
〈双心子〉は、生まれ出た時、既にどの神器を扱うことができるか定められている。最初に生まれ出た〈双心子〉が「八咫鏡」を二人目が「天叢雲剣」を、そして、最後に産まれ出た〈双心子〉が「八尺瓊勾玉」を操ることができる。
そして、各々の神器を使いこなすために、〈双心子〉は厳しい試練に耐えなくてはならない。神器を使うためには、二つになった魂を一つにしなくてはならないのだ。
〈双心子〉には、魂ごとにある特性が宿っている。それは、共有している体にも僅かながら現れ、緑の瞳を持つ子は、神に通ずる神通力を。蒼き瞳を持つ子は、人を越えた強き力を持つ者とされた。その二つの力を一つにした時、神器を操る力が得られるのだ。
そして、〈双心子〉達は神無月の宿命に従い、ある年齢に達すると魂の融合を開始する。
〈月の守人〉は、互いを思いやり話し合いで魂を一つにし、戦いの中心となる〈月の狩人〉は、内なる世界で倒れるまで戦い続け、勝者が敗者の力を奪い取り一つとなる。
その厳しい試練を乗り越え、神器を扱うことができる〈月の使者〉となるのだ。
そして、次世代に続く〈月の使者〉の血筋を守るのは〈月の狩人〉の使命とされていた。歴代生まれ出た〈月の狩人〉は男子のみ。そして、〈月の守人〉〈月の繋人〉は女子しか生まれ出ていない。血筋を守る〈月の狩人〉は血を繋げ。〈月の守人〉〈月の繋人〉は子を宿すことは許されていなかったのだ。
血筋を守るため〈月の狩人〉は常に三人の子供をなし、300年後〈双心子〉を生む血筋を繋げていく。やはりこの子等も、月の力は持たなくとも〈月の使者〉には変わりはなく、月の力を繋げていく者達だった。
これは長い神無月家の歴史の中で一度も変わらぬ掟だった。
そう、茜という異端児が現れるまでは……
* * *
黙って話を聞いていた秀明だったが、京滋の話は普通の人間に理解できるような内容ではなかった。
だが、秀明にも思い当たる節が沢山ある。茜が死に、双葉が産まれてきた時の出来事は、まさに今京滋が話したことと一致している。
双子として産まれてくるはずだった双葉は一人で産まれてきた。極端な早産でありながら全くの健康体で産まれてきているのだ。こんなことは常識では考えられない。
しかし、そのことを覚えているのは秀明のみ。その場に立ち会っていた神崎ですらそのことを覚えていない。
それは、茜の願い……秀明だけにはこの事実を覚えていて欲しいと言う思いが、秀明に記憶を残させたのだ。
それは秀明にとっても過酷な試練であった。あの後、何度神崎に聞いても双子のことは覚えておらず、いくら痕跡を捜しても双葉のエコー写真はおろかカルテにすら残っていなかった。そのために他人から気が触れたのではないかと思われ、自分でも茜が死んだショックで、おかしくなったのではないかと考えたこともあった。いや、一時は本当に気が触れたのだと思いこもうとしたこともある。しかし、茜の言葉が秀明を正気の世界に止めさせてくれた。
「娘をお願いします」その言葉が、秀明に勇気を与えてくれていたのだ。
そのためにも、京滋の話を理解しなくてはならない。
「それでは、双葉が……その〈双心子〉だと言うのですか」
「多分間違いないでしょう。〈双心子〉が産まれるのは世に三人だけ。本来であれば私の直系のみに産まれ出るはずでした。それは、今まで女系の〈月の使者〉は、子を作ったことがなかったからです。しかし、茜は子を作ってしまった。そして、不幸にも茜の子は〈双心子〉として生まれ、我が子咲耶と知流は、双子として生まれてきた。〈双心子〉として生まれ出るはずだった子が〈双心子〉として生まれ出ることができなかったのです」
なんという運命の悪戯なのだろう。何故、同じ日に子供が産み落とされねばならなかったのか……
「しかし、双葉が〈双心子〉だと言う証拠……いや、根拠はなんです」
「あなたは気付いていたのではありませんか、きっと双葉君には、不思議なことがついて回っていたはず」
その言葉になんの反論もできなかった。思い当たる出来事は一つや二つではない。双葉が〈双心子〉であれば理解できることが山のようにある。例えば、小さい頃お人形遊びをしている時「一葉ちゃんと遊んでいるの」と言っていた。母親と一緒に死んだと教えていたにもかかわらず「一葉ちゃんは私の中にいるのよ」と言って聞かなかった。双葉の体の中に一葉の心があるならそれも納得できる話だ。そもそも、双葉一人しか生まれ出てこず、もう一つの体は何処にも見あたらなかったのだから、双葉が〈双心子〉として産まれてきたことに他ならないのではないか。
そう理解しようとしても秀明のくだらない常識が、自分の目で見た事実を否定しようとしている。だが、これは変えられようのない現実なのだ。
「双葉にどうしろと言うのですか? その〈月の繋人〉になれと言うのですか」
「いや、娘さんには無理でしょう。〈月の使者〉としての修行を受けていないので、力をまともに発揮することはできないと思います。ただ……」
ここで初めて京滋は言葉を詰まらせた。
「ただ、なんですか」
「ただ、三種の神器を使うには、三人の〈月の使者〉がどうしても必要なのです」
「それではやはり……」
今から〈月の繋人〉としての修行を受けろと言うのだろうか。秀明はそう考えなくてはいけないような気がした。信じられないが鬼がこの世に存在しており、そして、鬼を倒すことができるのは〈月の使者〉しかいないと言われてしまったのだ。
「いや、三種の神器を使うためのカギとなって頂きたい。咲耶と知流では八尺瓊勾玉の力を引き出すことができない。この三種の神器が力を発揮しなければ鬼に勝つのは難しくなる。娘さんの危険は我等、神無月の者が払います。どうか、その時はご助力願いたいのです」
京滋は深々と頭を下げた。できることなら茜の産み落とした子供に、そんな危険を追わせることはしたくなかった。しかし、鬼が現れた今となってはそんな悠長なことは言っていられない。今の月神神社では鬼に対抗する力が小さすぎるのだ。
頭を下げる京滋の姿を見つめながら、秀明は途方に暮れていた。
「この土地に戻ってきたのも運命だったのでしょうか……これは、茜が導いてくれた道なのかも知れない。でも、過酷すぎる。なにも知らない双葉にその様なことを……」
父親として、できることはないのか? できることなら、双葉にそんな試練を背負わせたくはない。しかし、秀明には逃れられない運命の糸に、たぐり寄せられていくのを感じずにはいられなかった。
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突然訪ねてきた茜の兄・京滋は、双葉が〈双心子〉であることを告げる。その信じがたい話に秀明はただ戸惑うだけだった。
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