浩平がいなくなってからどれくらい経っただろう。
季節は夏。うだるように暑い日々が続いていた。
晴れ晴れとした太陽とは逆に、私の雰囲気は鬱屈としたまま。
友人の詩子はいつも気にかけてくれている。しかしその事実が、浩平がいないことを一層突きつけてくる。
ある雨の日のこと。
私はいつも通り空き地で傘をさし続けていた。誰もこない空き地で、いつ戻るかもわからないヒトを待ち続けている。
夏の雨なのに、蒸すよりも寒さが際立つ。
衣替えしたばかりの半袖には少し厳しいかもしれない。
「茜―」
「詩子」
珍しい。いつもの彼女なら、直接学校に乗り込んでくるのに。
「今日もこんなところにいるの?」
「うん」
「ここにいて、何かがあるの?」
「なにもないんです」
「じゃあ」
「それでも、待たないといけないんです」
浩平とはここで始まって、ここで途切れたままだから。
「そう」
気を悪くしただろうか。でも、詩子は私に笑いなおしてくれた。
「おっけー。まあ、遅刻しないようにしなよ~」
澪ちゃんもまってるんだし、と。私に背を向けて空き地をでていった。
上月澪。言葉が喋れないけど、元気いっぱいの後輩。元々、彼女も浩平を通じて知り合った。だから出会いを聞けば浩平を思い出してくれるかと思ったけど、そうではなかった。
浩平との思い出になると、靄がかかったように思い出せず、都合のいい解釈を返されてしまう。『あいつ』のときと、同じだった。
時計を見る。もうそろそろ行かないといけない時間。
普段なら諦めて学校に向かうのだけど……今日はここにいなきゃいけない気がしてならなかった。
しとしとと降る雨。寒さは更に増していく。
気づくと、吐く息も真っ白。寒すぎる。何かがおかしい。
「ゆき?」
寒いはずだ。雨はいつの間にか雪へと変わっていた。今は夏。雪がふるなんて、ありえない。
見間違えかとも思ったけど、雪は積もり続けている。空き地は枯れ草色から、真っ白い世界に埋め尽くされていた。
一面の銀世界。半袖の私には、いくらなんでも寒すぎる。
流石に帰ろうと思い、空き地の入り口を振り返る。
「え……?」
出口がなかった。振り返ればそこにあったはず。雪がいくらつもっていても、すぐに見つかる程度の位置にあったはずなのに。
寒さに腕を抱く。はぁ、と息は白くにごるだけで、全く暖めてくれなかった。
もしかして、ここが『あいつ』や浩平の行きたかった永遠なのだろうか。
そんなはずはない。こんな寒いだけの世界なんかあってたまるものか。
それでも否定はできず、途方にくれていた。
いつの間にか、私も永遠の世界を望んでいたのだろうか。そんなことまで頭に思い浮かんできたが、慌てて否定する。私は永遠なんかいらない。そもそも、少しずつ存在が削られていく終わりは、私に覚えはない。
「私は、浩平がくるまで待つんです」
誰も聞いていない。ただ自分を鼓舞するためだけの独り言。
傘の端をおろして、空を見上げる。
灰色の空。どんよりとして、すぐにでも落ちてきそうな天体。
「雪、つもってるよ?」
声が聞こえた。振り返ると、一人の少女。長い黒髪の、少し眠たげな表情と声。見たことのない制服。
「雪」
「あ、はい」
いつの間に時間が経っていたのだろう。雪が頭にも肩にもつもっていた。
「今日もさむいね」
「……そうですね」
私の中では、昨日までは暑かったのだけど、ここは合わせておく。
「こんなところで、何してるの?」
言う義理などない。けど、知らず口に出ていた。
「人を、待っているんです」
「待ってるんだ」
「はい」
「ずっと?」
「ずっとです」
「じゃあ」
少女は微笑んだ。同性ながら、どきりとした。
「わたしと、一緒だね」
眩しそうに、暗い雲の向こうの太陽を見透かして。
「大切な人なんだね」
「はい」
「大好きな人なんだね」
「はい」
「さみしいね」
「……はい」
でも、いつの間にか寒さはなくなっていた。
「わたしもね。人を待ってたんだ」
ぽつりと彼女は話し始めた。
「その男の子とは、物心つく前に出会ってね。いつの間にか好きになってた。年に数回、期間限定で会うだけだったけど、いつも楽しみに待ってたの」
その子、いつも苛めてきたんだけどね、と。楽しそうに微笑んでいた。その思い出が何よりも大事なのだろう。
「買い物いけば人を置いてどっかに遊びにいったり、お出かけの約束をすれば、朝早く一人で遊びにいっちゃったり」
どことなく、浩平を彷彿させる。長森さんも、同じような目にあっていたのだろう。
「でも、ある日を境に、彼はこなくなった」
その横顔は、どこか寂しそうで、だけどすごくきれいで。
「今日、七年ぶりに会うんだ」
待ち人に出会えるというのに、どこか浮かない顔。なんでだろう。もっと喜んでもいいはずなのに。
「今日の、いつ会う予定なんですか」
「うん……実はね、もう約束の時間から1時間半ぐらい過ぎちゃってるんだ」
大遅刻もいいところ。まあ、私も、学校に大遅刻しそうな身なので、そこまで言えないのだけど。
「やっと会えるのは嬉しい。だけど、すごく怖くもあるの」
はぁ、と白い息を吐く。
「わたしのこと忘れてたらどうしよう。あのときの傷がまだ治ってなかったらどうしよう……てね」
ああ、それは違う。本当はもっと違うことを恐れているはずだ。
「違うでしょう」
「え?」
「『また、会えなかったらどうしよう』」
それは、私自身が恐れている未来。待つのはかまわない。けど、希望を裏切られるのはつらい。
もし私に、明日浩平と出会えると言われたとしても、同じように逃げてしまうかもしれない。いや、逃げるだろう。
「うん、そうだね」
痛いところつかれちゃったなぁ、とつぶやく。
「必ず会えるのはわかってる。だけど、それでもこわいんだ」
好きなものを好きでい続けるのは難しい。
「そんなこと考えてたら、こんなところに迷い込んじゃった」
つくづく、私たちは似ている。
私も不安だった。浩平のことは信じている。けど、永遠の世界が居心地よかったら、戻りたいと思わないかもしれない。
妹さんの件もある。もしかしたら、つらい記憶のあるこの世界など、とうにイヤになったのかもしれない。
「私は貴女が羨ましいです」
「え?」
「だって、自分から会いにいけるんでしょう?」
遅刻したって、今から会いに行けばいい。七年間待ったのだ。二時間や三時間待たせても誰も怒らないだろう。
「私も、怖いです。だけど、今の私には信じ続けるしかないから。彼が帰ってくるのを待ち続けるしかないから」
貴女の七年間には及ばないかもしれない。そこまで待てないかもしれない。だから――
「私に、夢を見させてください」
ずっと信じて待ち続ければ、必ず再会できると。私の先輩として、一歩踏み出してほしい。
「うん、そうだよね」
やんわりと微笑むその顔に、もう迷いはなかった。
「一つ、教えてください」
「なに?」
「七年間待ち続けて、もうやめようと思ったこと、ありますか?」
「うん、あるよ」
何度も思った。待つのがつらくて、何度も送った手紙に全く返信がこなかったとき。
夢の中で前にどんどん歩いていく後姿を追いかけて、置いてかれて。あの背中に追いつきたくて陸上をはじめて。
「つらかったときもあるけど、それでも、わたしは待っていたかったんだ」
だけど、
「もう待つのはやめるよ。ちょっとだけ遅刻しちゃったけど、これから会いにいこうと思うよ」
「はい」
「ありがとう」
「こちらこそ……ああ、そうです」
「ん?」
「お名前、教えて頂いてもいいですか?」
「うん、わたしは名雪。水瀬名雪」
「きれいな名前ですね」
「うん、わたし、自分の名前好きだから」
「私は、里村茜です」
「茜ちゃんか。やさしそうな名前だね」
「私も、自分の名前好きですから」
それじゃあ、と。背中を向けて。
「「いってきます」」
雪は、もう止んでいた。
気づくと雨も止み、空からは太陽の光が差し込んでいた。
「お嬢ちゃん」
「え?」
いつの間にか人がいた。
「ここ、今日から工事始まるから、出て行ってもらえないかい」
人も環境も、変わらないままではいられない。
「こんな土地を遊ばせておくのも勿体ないからねぇ」
これもいい機会かもしれない。ただ待つだけではなく、探してみよう。浩平が帰ってくる方法を。
「そうですね。私も、もう行かないと」
「それじゃ、気をつけてな」
「はい」
それでは、私も先輩に負けずにこれからを歩いていこう。
It continues to the ONE episode...
◇ ◇ ◇
「雪、つもってるよ?」
「そりゃ、二時間も待ってるからな」
「わ、びっくり」
「わたしの名前、まだ覚えてる?」
It continues to Kanon...
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数年ぶりのONE二次創作。なんだかなで鍵作品は私の原点なんだなぁ、と思う。今の文章も目指した結果だけど、当時はこういった「つながる」物語が好きだったんだよなぁ……それはそうとして茜さんかわいい名雪かわいい