第一章 カミーユ・ビダン<配属>
地球連邦内にありながら、非武装中立として半ば独立しているかのような月面恒久都市連合最大の都市〈フォン・ブラウン〉。宇宙世紀〇〇二七年に完成してから、今日まで拡張を続けている。青年はその街から出立しようとしていた。士官学校を卒業し、配属先の〈グラナダ〉へと向かわなければならなかったからだ。士官学校の寮はギリギリまで追い出されはしないが、申請すれば寮よりは広い軍の官舎が用意されるのだから、それをしないのもバカらしかった。
「こことも、さよならだな」
エアポートでぐるりと見回す。ハイスクールを卒業し、家出同然にサイド7から士官学校へ入学して以来、自分が利用するのは初めてなのだ。彼にとってここは友人や先輩を見送るためだけの場所だった。
——アテンションプリーズ、アテンションプリーズ。お客様にご案内申し上げます。グラナダ航宙、グラナダ行き、十六時三〇分発、四六六便へご搭乗のお客様は、搭乗手続きの受付を開始いたしましたので、チェックインカウンターまでお越しくださいませ。
隣に坐っていた青年が勢いよく立ち上がる。
「カミーユ行くぞ!さっさとこんな所からおさらばだ」
「おいっ……ったく、人の気もしらないで」
青年の名はカミーユ・ビダン。士官学校を卒業したての地球連邦軍少尉である。もう一人はランバン・スクワーム。サイド7のハイスクール時代の先輩だが、一年浪人して入学したため同級生ということになる。顔なじみということもあり、学校でも寮でも付き合いがあったが、配属先まで同じになるとは思っていなかった。
ランバンはカミーユと荷物を置き去りにして、チェックインカウンターに走っていってしまっていた。仕方ないという表情で、カミーユがランバンの鞄を担ごうとした。が、重い。
「ん?な、なんだよ?!」
外見からすると考えられない重さだ。これなら人に取られることもないだろう。荷物を見捨てて、ランバンとともにチェックインカウンターに並んだ。
「何さ、あれ?」
「あぁ!本だよ、本。アンティークなんだぜ?」
カミーユは空手部に入っていたランバンは頭まで筋肉な体育会系のくせに、意外と読書家だったことを思い出した。カミーユにとって本は前世紀の遺物でしかない。
「紙が一番しっくりくるのさ」
「そんなもんかねぇ…?」
西暦時代に紙は記録媒体の主流を引退したのは既に旧世紀。百年以上昔の話だ。だが、紙媒体というものの需要はなくならなかった。フィルムペーパーという形が主流の今も、本屋というものも存在している。販売しているのは、情報メディアソフトパッケージの販売だ。その片隅に紙の本が売られていることはカミーユも知っていた。
「おい、アレ…」
「ブライト・ノア大佐じゃないか?」
士官学校時代に一度だけ面識を持ったことがあるが、相手が覚えていてくれている筈もなく声を掛ける気にはなれなかった。ブライト・ノアといえば、一年戦争で第十三独立機動部隊を率いて戦い抜いたニュータイプ部隊の司令である。たかが一度会ったぐらいの相手をいちいち覚えている筈もなかった。
「ほら行こうぜ?」
ランバンをせっついて先を急ごうとする。そうしなければランバンはブライトに挨拶へ行きそうな勢いだったからだ。しかし、ブライトが二人の方に視線を注いでいた。
「失礼だが…?」
「は、はいっ!」
ランバンが直立不動の敬礼を返した。苦笑するブライト。よく見ればブライトも私服である。だが、ランバンが敬礼をしてしまっているのに、自分だけやらないのは不自然だと思ったカミーユもランバンに倣った。
「何処かで会ったことがあるように思ったのだが、そうか、フォン・ブラウン校の士官候補生だったのか」
「覚えていていただけて光栄であります!」
これはカミーユだ。ブライトにすれば、なんとなく懐かしい……そう、そこにいるのが当たり前だった一年戦争の時のアムロの様な雰囲気がしたから振り向いたのだ。だが、そこにはカミーユとランバンがいた。正直、残念には思っていた。そう、アムロが宇宙に来る筈はない。なのに何故?心の中で戸惑いながら、二人の少年に、任務に励むよう声を掛けて、立ち去った。
「ラッキーだったな?」
「あぁ…」
ランバンは嬉しそうに握手をしてもらった手に熱い視線を送っている。
カミーユは上の空だった。ブライト・ノアが自分をなんとなくでも覚えていてくれたことが、カミーユにはこの上なく嬉しいことだったのだ。その喜びに浸っていて、ランバンの声など馬耳東風といったところである。
「聞いてるのか?」
「うん…あ、搭乗開始だ。行こうぜ?」
「ちぇっ……ったく、全然、話聞いてないんだからさ!」
ランバンは先に行ったカミーユに悪態をつきながら、後を追う。
二人の搭乗する《ロンバルディアSSH−R46》は月に導入されている航宙旅客機では旧型の部類で、軍が手配した定期便であり、気の利いたスペースアテンダントも船内の娯楽も期待できそうにはなかった。二万キロメートルにもおよぶ月の玄関口である〈フォン・ブラウン〉と月の裏側である〈グラナダ〉では、如何にスペースシャトルとはいえど船内泊になるのは当然であった。
「えぇ〜っと、P5とP6……士官学校出たばっかりの新米士官じゃエコノミーがせいぜいか……」
「仕方ないだろ?自分らで旅費払わせられないだけでもマシだと思えよ」
ランバンの愚痴っぽさには慣れてはいたが、政府批判と取られかねない内容は控えて欲しいと思っていた。
二人が搭乗する〈ロンバルディアSSH−R46〉は二層式になっており、一等客席と二等客席——いわゆるファーストクラスとビジネスクラスが一階、三等客席——エコノミークラスは地下階となっていた。長距離機であるから、カフェテリアやバーなどもある。エコノミークラスではドリンクバー程度ではあったが。階層は仕切られており、スタッフ以外は出入りできない構造になっている。
手荷物を座席の上に収納し、ランバンは数冊の本を足許に、カミーユはノート端末を開いてネットワークケーブルをアームレスとの差し口に繋いだ。
「ゲームでもやるのか?」
「違うよ。暇つぶしに、レドが送ってきたレポートでもチェックしようかと思ってね」
ランバンにメモリーチップを示して、端末のソケットに差し込もうとする。ソケットから外されたメモリーのアイコンが画面から消えた。
「レドの奴なんだって?」
「それがさ、チップだけ送ってきたんだ」
「ふぅん?ま、後で俺にも読ませてくれよ。とりあえず、飲み物でも貰ってこないか?カミーユも行こうぜ」
「いや、いい。ひとりで行けよ」
面倒くさそうに、誘うなよと言いた気な表情をしてみせる。カミーユは基本的にオタクで変わり者なんだとランバンは思っていた。しかし、カミーユは自分の名前が女っぽいことを嫌っていただけなのだ。公衆の面前でカミーユ、カミーユと平気で連呼するランバンはいい奴ではあったが、名前を連呼するのだけは辞めてもらいたいと思っていた。
「カミーユってのが俺だって、誰にでも判っちゃうじゃないか…」
これはカミーユの自意識過剰である。幼なじみのファに言わせれば、「そんなの皆知ってるわ」ということになる。
——アナタはカミーユ・ビダンなのよ?
ファは笑顔でそう言ってのけるのだろう。
ランバンがいなくなって、落ち着いて考えてみると、カミーユにはレドからのレポートというのが、何か重大な意味があるように思えてならなかった。メッセージがついていないことでランバンは逆に大した内容じゃないと思ったみたいだが、レドは本来そういうタイプではない。几帳面であり、今時には珍しく手紙を嫌がらないタイプだった。そういう意味ではランバンに似ている。
(ワイヤードクライアントは危険だ。)
宇宙世紀にはスタンドアローン型のクライアントノートは絶滅している。ネットワーク技術が発達し、どこでも無線ネットワークに接続できる世界では、スタンドアローン型はマニアックな代物と化していた。だが、カミーユはそういうものの方が安心できた。外界と遮断されている端末は、絶対に誰からも覗かれることがないからだ。だが、スタンドアローンクライアントは、先に官舎に送ってしまっている。手許にあるのはワイヤードクライアントだけだ。
「ほらよ」
「いらないよっ」
戻ってきたランバンが、コーラをカミーユに押し付けて、さっさと席に坐ってしまった。特に喉が渇いている訳ではなかったが、仕方なしにドリンクホルダーに収める。
「要らないって言ったろ?」
「旅は長いからな。その内、喉が渇くさ」
その時貰いにいけばいいじゃないかという声を飲み込んで、ワイヤードを巡回する。ランバンは、鞄から出した本の一冊を手に取った。古めかしい本に少しだけ興味を示すと、ランバンが照れくさそうに説明を始める。
「あぁ、これか?連合宇宙軍に配属になったことを伝えたら親父が送ってきたんだよ」
「オヤジさんが?」
「そ。俺には本を与えときゃ喜ぶと思ってるのさ」
「関心を持ってくれてるだけでもいい親さっ」
カミーユにとってランバンの両親は『いい親』の代名詞だった。連休の度に、会いにきたり、長期休暇にはスペースバスのチケットを送って寄越したりしてくれることは、羨ましいことなのだ。だが、当のランバンは親を煩がっていた。
(所詮、無い物ねだりなんだよな……人間って)
こういう時、何故かファのことを思い出す。恋人とかガールフレンドというよりも、幼なじみとか従妹という感じだった。だが、カミーユにとって母親という存在は希薄だったから、ファは何かとお姉さんぶったことも事実である。
「どうしてるかな……」
「誰が?」
「ファさ。ランバンも知ってるだろ?」
「あぁ、ファ・ユイリィな?付き合ってなかったのか?」
「そういう関係じゃなかったし」
そうかぁ?という疑り深い目を一瞬して、直ぐに本に視線を落とす。カミーユがひとりの世界に入っていったからだ。こうなると周囲の声が届かないことをランバンは知っていた。
カミーユたちがグラナダの連合宇宙軍に着任して数週間が過ぎた。
新任の少尉など階級が高いとされているだけで、実際の話、直属の部下がいる訳ではない。陸軍や海軍ならばまた話も違うのだろうが、モビルスーツパイロットは空軍の戦闘機乗りに匹敵する。整備兵の方が年もキャリアも上とくれば、手伝いの一つもやっておかなければならない。仲良くなっておけば、何かと都合がいいものだった。
手荒い新歓コンパも終わり、カミーユはグラナダ基地所属月方面軍第一〇三機動防衛大隊第一防衛中隊フラガ小隊に配属させられた。与えられた機体は、改修が済んだばかりのRGM−79R《ジムII》だ。士官学校でも基本操縦は《ジム》を愛機としていたので、さして違和感がなかった。チューニングが自分用になっていないこともあって、機動性が不充分だとは思ったが、それは整備長に頼んでみればいいことだ。
「ようやく非番かぁ……カミーユは明日予定ないだろ?どうせ暇してるんだから、一緒に街いこうぜ」
「ランバン、ど〜して、俺が暇だって思うんだ?」
「だって暇だろ?」
小隊も一緒、部屋も隣、これで非番の日も一緒に居たら、あっちの世界の人間だと思われてしまう。それでなくてもカミーユはスポーツマンの割には線が細く名前が女っぽいこともあってからかいの対象にされがちだった。ランバンはそういうところがないから付き合いやすかったが、だからこそ、ここでは誤解されやすかった。
「明日はワイヤードクライアントを組み立てたいんだ」
「ちぇっ、グラナダ見物でもしようと思ってたのにさ」
グラナダ見物は少し心を動かされる。グラナダはカミーユにとっても初めての街なのだ。ワイヤードの組み立ては夜にすることにして、ランバンと街に出ることにした。
「で?何処に行くのさ?」
「当然、グラナダ歴史博物館だろ。一年戦争時代のジオンのモビルスーツなんかも展示してあるらしいぜ」
ランバンはジオニック通で、ジオンのモビルスーツに詳しい。てっきりジオニック社にあるモビルスーツ博物館に行くとばかり思っていたが違うらしい。そう思って聞いてみると「あそこは予約制だし、民間人ならともかく、俺ら軍人は……な」とのことだった。それもそうか、と納得した。
翌日、グラナダ市街西地区にあるグラナダ歴史博物館に入ると、ランバンがパンフレットを取ってくる。ランバンの目当ては新館らしいが、一通り見て回ることにした。
——月面恒久都市〈グラナダ〉は宇宙世紀〇〇三四年、サイド3建設のために設置された連合第二の月面恒久都市です。丁度月の裏側にあるグラナダは月の自転と公転周期が等しいために〈フォン・ブラウン〉市のように街から地球を見ることができない都市で……
手にしたナビゲーターから音声ガイダンスが流れる。録音には違いないが合成音声ではないのが驚きだった。ガイダンスの内容はカミーユが授業で習った程度の内容だ。
グラナダとサイド3の歴史的結びつきは、グラナダがサイド3建設のためにつくられたことでもわかる通り、グラナダは実質的にはサイド3の一部といっても過言ではない。グラナダの工業力はサイド3からの電力供給によって賄われているからだ。月の半ばを闇の世界に没さなければならないグラナダが最寄りで電力生産を行えるサイド3と友好関係を結ぶのは当然の成り行きである。
そんな中、宇宙世紀〇〇五九年、前年のジオン共和国独立を受けて、連邦政府はバルト政策——ジオン共和国に対する経済制裁を決定した。これは実際には無意味な行為だった。サイド国家は自給自足可能な恒久都市として建設されていたため、サイド3の経済に混乱はなかったからである。逆に窮したのはグラナダを始めとする月の裏側にある諸都市で、これらの都市は、地球連邦政府の経済制裁に加わらず、ジオン共和国寄りの態度を崩さなかった。
これを受けて、前年正式に発足した宇宙軍は六〇年代軍備増強計画を実施、手始めにルナツーを軍事基地化、宇宙世紀〇〇六四年には、新造されたサラミス級宇宙巡洋艦を中心に観艦式を強行し、地球連邦軍の威容を各サイドへ見せつけることで、独立へ走ろうとするスペースノイドを牽制しようとした。確かに各サイド政庁は弱腰となり地球連邦に面従することとなった。しかし、市民レベルでは、ジオン共和国の移民への呼びかけに走らせることとなり、かえってジオン共和国の人的資源の補完させる結果となってしまったのである。
そして、宇宙世紀〇〇六七年、連邦政府は、ジオン・ズム・ダイクンが提出したコロニー自治権整備法案を棄却、ジオン共和国は平和的解決の道を閉ざされてしまう。さらに翌年、ダイクンが暗殺されると、共和国内でダイクンと対立していた盟友デギン・ソド・ザビが第二代首相となり、デギン・ザビは、独立のための中央集権組織を作る方便として公国制をしき、宇宙世紀〇〇六九年八月十五日ジオン公国宣言がなされた。
これらは全て、地球連邦政府が引き起こした官僚主義による政府の柔軟性の欠如によるものだった。宇宙世紀に入り、人口の八〇%も宇宙に居住する時代になって、未だに宇宙生活や宇宙経済への認識がない地球連邦政府が、地球圏全体を掌握し支配しているといういびつな構造。そして、スペースノイドでありながら、地球連邦軍に入った自分たち。グラナダは最前線で反乱分子が多いにも関わらず、熟練パイロットや主流派は全く居ないという不自然な状況。何かが間違っているのは明らかだった。
——サイド3がジオン公国を名乗って以後も、グラナダは友好関係を築き、都市を発展させていきました。グラナダに本社を置くジオニック社はジオン公国軍と共同で機動兵器〈モビルスーツ〉の開発を行ったことでも知られています。
二人がモビルスーツの展示エリアに入ると、ランバンが歓声を挙げた。ガイダンスの声など、聞いてはいなかった。なら何のために十五ドルも払って借りたのか判らないが、ランバンはザクに釘付けだった。
「レプリカだとしても、やっぱりイイよな……ザクは……」
展示場の最も手前にあるモビルスーツは《ザク》だった。型式番号MS−06F《ザクII》。ジオン公国軍が一年戦争中に最も生産したモビルスーツである。ジオニック社とジオン公国軍兵器開発局が合同で完成させた、宇宙世紀の鉄の巨人。ミノフスキー粒子の電波干渉によって、レーダーという目を地球連邦軍から奪い、モビルスーツによる近接戦闘を仕掛け、三〇倍といわれた国力比を埋めるための技術の結晶だった。
——人類最初のモビルスーツは土木用重機であるモビルワーカー《クラブマン》をベースに開発された機体で、ジオン公国軍の最高責任者であったギレン・ザビによって「モビルスーツ」と名付けられ、MS−01の型式番号を与えられました。
七〇年代軍備増強計画によって連邦宇宙軍にマゼラン級宇宙戦艦が配備されると、これに対しジオン公国軍部はミノフスキー粒子撒布化における機動兵器の開発に着手、宇宙世紀〇〇七三年にはMS−01を完成させ、翌年ミノフスキー物理学の応用によって開発された新型熱核融合炉を搭載したYMS−05《ザク》を完成させる。この情報を入手した地球連邦軍上層部は一笑に付したという。しかし、ジオン公国はモビルスーツの有用性を検証し、モビルスーツ母艦機能を持つ巡洋艦ムサイ級を建造、教導機動大隊による演習を行い、軍備の拡充を図った。宇宙世紀〇〇七五年には、連邦軍内で、これを警戒したアレクサンドル・ゴップ大将ら技術将校はRX計画を企図し、計画の隠れ蓑とするために凍結したコロニー建造を再開、サイド7としてルナツーの管轄下で行った。
そして、宇宙世紀〇〇七七年、サイド6革命で《ザク》が実戦参加するが、大した活躍もなく、地球連邦軍はこれの有用性に気づくことはなかった。度重なる訓練と検証の結果、《ザク》は大幅な改修を施されMS−06A《ザクII》として生まれ変わったのだ。着々と増産されていくモビルスーツの配備によってジオン公国は開戦へと向かっていった。
「腹減らね?」
「……!」
ランバンがカミーユの視界いっぱいに顔を突き出す。驚くなどという表現ではカミーユのその時の表情に相応しいとは思えない。のけぞる様にして尻餅をついた。
「なぁにやってんだぁ?」
驚かせた本人は暢気なものである。ランバンが手を差し出すと、キッと睨みつけながらカミーユはその手を取って立ち上がった。ついた汚れを払う様にして、エントランスの近くにあるカフェテリアに黙って向かう。笑いを堪えたランバンが後に続いた。
「悪かったな」ぶっきらぼうに謝るランバン。
カミーユは別に怒っている訳ではなかったが、不機嫌だった。
「別にっ。怒ってないよ!」
「何か別のこと考えてたんだろ?」
ランバンはカミーユの様子から、そう判断していた。らしくない。カミーユはいつも周りに気を張っているように感じていたからだ。気分転換にと誘ったのだが、気分転換にならなかったのなら悪いと考えた。ランバンらしい気の回し方だった。
「いや、一年戦争って結局、スペースノイドのフラストレーションの捌け口だったんじゃなかいかって……さ」
「そうだろうな。オレだって、軍人やってなきゃ、連邦政府の批判ぐらいする」
「軍人か……あんまり、俺たちは軍人向きじゃなさそうだ」
顔を見合わせて吹き出す。スペースノイド共通の認識とでも言おうか。スペースノイドにとってジオンは『敵』という感覚ではなかった。しかし、ザビ家は『敵』だった。ふと見ると、カフェテリアの壁は一年戦争の年表になっていた。
宇宙世紀〇〇七九年一月三日。ジオン公国の宣戦布告によって一年戦争が勃発した。ジオン独立戦争の幕開けである。宣戦布告から三秒後、サイド6を除く各サイドおよび地球軌道パトロール艦隊に奇襲が仕掛けられたのだ。サイド5を除く各サイドの連邦宇宙軍派遣艦隊は潰滅、コロニー駐留軍は全滅した。そして、ジオン公国軍はGGガスによる大量虐殺を敢行した。これは、コロニーの基地化を恐れての軍事行動であると共に、既にジオニズムに賛同するスペースノイドはジオン公国への移民を済ませており、残存するスペースノイドは地球連邦政府の味方であるとの考えからだったと言われている。これによって、三十五億人もの人命が失われたのだった。
「やっぱりジオン公国軍のやったことは虐殺だろ?」
「一部の外人部隊の暴走だって発表しているけど、嘘だな」
暴走であることは一部事実であるかもしれない。しかし、GGガスを用意していたことが、虐殺が計画的なものであったことを裏付ける。外人部隊単独でそんなものを用意することなどできる筈がないからだ。これは同じ軍人として看過できない問題だった。しかし、上官に命じられたとして、自分はそれに歯向かえるか?と尋ねられれば二人とも、無言にならざるをえない。軍というのはそういうところだからだ。
その上、ジオン公国軍は前代未聞の作戦を実行した。『ブリティッシュ作戦』と呼ばれるコロニー落としである。サイド2〈ハッテ〉8バンチコロニー〈イフリッシュ〉を地球最大の軍事拠点であるジャブローに落下させようというのだ。直径六・四キロメートル、全長三〇キロメートルにも及ぶ大質量兵器である。ジオン公国総帥ギレン・ザビをして《メギドの火》と言わせた大量殺戮兵器と化したスペースコロニーの使用法である。グラナダから出発した第七機動歩兵師団とキリング・ダニンガン中将麾下の第三機動艦隊がコロニーを護衛、グラナダの軌道間輸送レーザーによって増設された核パルスエンジンに点火された〈イフリッシュ〉は地球落下軌道に乗った。
ジオン公国軍の企図を察した地球連邦軍はマクファティー・ティアンム中将率いる第四宇宙艦隊を中心にコロニー破壊作戦を展開、公国軍の第三機動艦隊と交戦、七〇%にも及ぶ被害を受けて撤退した。地球連邦軍は落下阻止には失敗したものの、傷ついたコロニーは落下中に崩壊、三つに分かれたそれは、オーストラリア、北米、太平洋上に落下。地球上の二億人が死亡したという。さらにこれによって起こった津波や台風、異常気象による二次災害による被害者は五億人以上になると言われている。一月十日、ダニンガン中将は作戦の失敗を確認して撤退した。この一連の戦いは一年戦争でもその熾烈な殺戮から特に『一週間戦争』と呼ばれた。
「……しかし、モビルスーツってのは凄いよな?」
「あぁ……中世期の第二次世界大戦の航空機と同じさ」
「無敵と言われた連邦軍宇宙艦隊も全く歯が立たないんだからな」
「無敵ったって、戦いもしないでの話だろ?まったく政府のお偉方ときたら現場の苦労なんて知りもしないんだからさっ……」
カミーユの言う通りではある。その連邦軍上層部がモビルスーツの有用性を確実に認識するにはもう一つの戦いを経なければならなかった。人類最大の宇宙艦隊戦と言われる『ルウム戦役』である。
ジオン公国軍は、ブリティッシュ作戦の失敗をとりかえすべく、ヘルムート・ライオブルグ中将の第二機動艦隊にサイド5〈ルウム〉宙域を制圧させ、11バンチコロニー〈ワトホート〉を『第二次ブリティッシュ作戦』の対象としたのである。監視網を強化し、ジオン公国軍の動きを察知した地球連邦軍はヨハン・イブラヒム・レビル中将率いる第三宇宙艦隊を中核とした連合宇宙艦隊を派遣した。ジオン公国軍はドズル・ザビ大将率いる第一・第三機動艦隊を主力としてこれを迎撃したが、ドズル大将は三倍にも及ぶ敵直前での核パルスエンジンの取り付けは被害を出すだけであると中止させ、第二機動艦隊も戦場に投入した。このため、地球連邦軍は艦隊の五〇%以上を喪失した上に、司令長官たるレビル中将を捕虜にされた。ここに地球連邦軍は、宇宙艦隊と制宙権を失って敗北した。
この二つの戦勝を以て、ジオン公国は地球連邦政府に対し休戦協定を突きつける。これは事実上の降伏勧告だった。地球連邦軍の敗色は濃厚であり、連邦政府首脳は降伏を受諾しようとしていた。まさにその時、捕虜となっていたレビル中将が奇跡の生還を遂げ、全世界に向けて放送された「ジオンに兵無し」の演説によって、首脳部は徹底抗戦を決議し、NBC兵器や大質量兵器の使用禁止およびコロニーへの攻撃の禁止を謳った戦時条約の締結に留めることとなった。両軍はこれにより、戦争は終結のタイミングを失った。
「結局、レビル元帥が戦争をしたかったってことなんじゃねぇか?」
「そうでもないさ。レビル元帥はザビ家内部の不協和音を知っていたって噂もあるし」
「それ、根も葉もない噂だろ?」
ランバンは首を振って、最後のカツサンドを口に放り込んだ。
一説には戦争の長期化を危ぶんだデギン公王がレビル中将を逃亡させたという話もあるにはある。デギン対ギレン、ギレン対キシリアの政治的駆け引きが首脳部の不協和音の原因になっていたのは事実だ。
「ま、思惑はどうあれ、結局戦争は続いちまった訳だけどさ」
「一度始まった戦争は、終わりの時がくるまで終わらないんだ……」
戦争終結ができなかったジオン公国軍はかねてより計画していた地球侵攻作戦を実施、二月七日に第一次地球降下作戦を開始した。第一次降下部隊が旧ロシア連邦ウラル地方の資源地帯を制圧、第二次降下部隊は二方面作戦によりカリフォルニア基地と首都ニューヨークを制圧。第三次降下部隊はオセアニアの資源地帯を制圧、続く補充降下部隊でアフリカを制圧した。そして、地球降下作戦の本隊がオデッサに進駐することで、地球降下作戦は成功に終わった。抵抗らしい抵抗を受けなかったとも言われる地球降下作戦は、ミノフスキー粒子によるレーダー攪乱と、コロニー落としによって地上戦力の半数以上が破壊されたことによって、組織的抵抗が不可能になったからであるといわれる。
だが、ジオン公国軍の快進撃もそこまでだった。
支配地域を拡げ過ぎたジオン公国軍は延び切った補給線と慣れない地球の環境、日ごと激しさを増すレジスタンス活動に悩まされ、戦線は膠着状態となった。連邦軍は焦土作戦を行うことによって戦線を膠着状態にし、時間を稼ぐことで自軍の再編と『RX計画』によるモビルスーツの開発量産、『SCV−X計画』による正規航宙空母の建造、『ビンソン計画』による宇宙艦隊再建を柱に、兵員増強計画と地球連邦軍再編成の五つを同時並行して行っていたのである。これを『V作線』という。
そして、八ヶ月あまりが過ぎ、完成した《ガンダム》でモビルスーツ開発に目処を立てた地球連邦軍はジャブロー兵廠で、《ジム》を量産し、反攻作戦の実施に踏み切ったのである。
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機動戦士ガンダムおよびMSVの世界観をそのままに継承したもう一つのグリプス戦役。
政治の駆け引きと暗躍する軍需産業、内部闘争する軍閥という闇がはびこる澱み切った地球圏へシャアが帰還する。ジオン共和国軍人としてエゥーゴに関わっていくシャアの贖罪とは?停滞した時代に沈むアムロの悲劇とは?
宇宙世紀を大河ドラマと捉え、機動戦士Zガンダムの設定そのものを大幅に見直し、考証の上で描く新しい私訳機動戦士Zガンダムの第一章 カミーユ・ビダン<配属>。
士官学校を卒業したカミーユとランバン。二人は赴任先のグラナダに向かおうとしていた……。