人間は、思想や感性をそれぞれ持つことができる。
これは高次存在も同じことで、全ての意識は自由な意志を主張することができる。
現に、俺のハイアーセルフ達はとんでもない趣向を持っているわけだからな。
シャボン玉が大好きな奴、人の作り出した”モノ”を賞賛するのが好きな奴、
そして、”快楽”というものに最大の意味を見出す奴。
そいつらは、俺をここまで伸ばしてくれた師であり、友であり、母でもある。
ハイアーセルフってのは、そういう存在なんだ。
―2019年 とある大神の小談話より
ルミとシャボン玉の魔法使いたち Season1
Chapter4「可能の扉」
『それでは、今日のトレーニングを始めましょう。手順はもう分かりますね?』
ヘッドフォンから、いつもの音声ガイダンスが聞こえる。優しい語りが心地よい女の人の声だ。私は指示に従い、今まで教わった手順で、変性意識状態を作り出していく。
秋始めの頃に、定山渓の温泉宿で紅葉さんから貰ったデジタルオーディオプレーヤー。私はこれを、毎日欠かさず聴いていた。その中には、正体不明の謎のお姉さんが制作した音声トレーニングデータが仕込まれていて、最初のガイダンスには『これを毎日1つ、一度だけ聴いてください』と指示されている。
確かにそのようで、音声データの総数は大体100個!データ量にして約60ギガバイト!およそ3ヶ月分のトレーニングデータが入っていた。しかもそのデータ全てが私のためだけに作られていて、ガイダンス音声で私に指示を出す時も、必ず『あとりさん』と名前を呼んでくれるのだ。それだけ計画的に作り込んでいるなんて、本当にとんでもない人だ。
1個の音声データ自体の再生時間は、およそ30分ちょいで収まっていて、それぞれが私の進行に合わせたイメージトレーニングの内容になっている。今聴いているのは、いよいよ最後のデータだ。9月から始めて、12月半ばでようやくラスト。昨日のビデオチャットで留美ちゃんに報告したら、「そんなに沢山あったんですか!?」と驚かれてしまった。その後「流石、本気になると凄いですね……」と呟いていた。これは私に言っているのか、ガイダンスのお姉さんに言っているのかは分からないけど、多分後者だろう。ていうか留美ちゃんも、このデータの存在は知らなかったんだ。
ヘッドフォンからヴーン、とうねるような低音が流れ始める。これは最初のガイダンスで説明された”バイノーラル音”というものの一種らしく、”ヘミシンク”という音響技術らしい。ヘミシンクは、左右から僅かに周波数の違う音を流すことで、聴く人からはうねるような波形の音に聞こえるのだけど、そのうねりによって左脳と右脳の脳波を同調させることができるのだという。特許技術なのだけど、これも私だけのために使用許可を貰ったのだという。
ヘミシンク音が流れ、私は手順を振り返るように、確実な順番で下準備を進めていく。
まずは三度の深呼吸。その後は”箱”を想像する。これはトレーニングの際に邪魔な事柄を避けておくためのもので、不安事などが邪魔して集中しにくくなるのを防ぐためのものらしい。私はそこに、学校の授業を象徴する”教科書”データの入ったパッド型デバイスを入れた。他にも目覚まし時計や制服、今欲しいものや財布なども入れて、雑念となるものを箱の中へ避けておいた。
続いて、体そのものを振動させるように”ヴー”などと声を出す。これは自分の体と意識体という概念のものを同調させるための作業で、これを行うことで意識をより非物質の領域へ向けやすくするらしい。この辺りはまだよく分からないけど、『深く知る必要は無いので安心してください』と言われているので、あまり気にしてはいない。
その次は宣誓。英語でアファメーションというらしいけど、『目標を掲げて頭に留めておくようなもの』と言われているので、お姉さんが提示した宣誓を頭の中で述べていく。
この次がとても面白い。私の身体の周りに、風船のような”エネルギーのフィルター”をイメージで作っていくのだけど、『簡単に想像ができるように、これはシャボン玉にしましょう』と言われているので、留美ちゃんが私をシャボン玉で包み込んだときの体験をイメージして、”エネルギーのフィルター”を生成した。これは、トレーニング中に現れる不要なエネルギーをフィルタリングして、必要なものだけを取り込んでくれる便利なものらしい。
最後は、身体が眠らせたまま脳を覚醒させている状態を作る。これは催眠術で言う条件暗示の手法を使い、『10』という数字を頭の中でイメージすれば、すぐに移行することができるようにした。最初は想像が付かない状態だったけど、『金縛りみたいな状態です』と言われると大体納得できた。
これで準備は完了だ。
『準備ができましたね?それでは、続いて更に奥の領域へ進みましょう。いつものように、私は11、12までゆっくりカウントしますね』
そうお姉さんが指示すると、すぐに『11…』とカウントを始めた。その時点で、ヘミシンク音に微妙な変化が生じる。それに次いで、私の身体の感覚にも変化が訪れた。身体が広がっていく感じがする。イメージしたシャボン玉の膜一杯まで、自分の身体の感覚が広がり、認識する範囲が大きくなる。
『12。まずはここで一息つきましょう。認識できる範囲が広がった状態を少し慣らしてから、次の領域へ向かいますよ』
しばらく身体の状態を把握する。私がイメージしたシャボン玉の広さは、大体ベッドの1.5倍ぐらいの大きさで、私の身体とベッドをまるごと包み込んでいる感じだ。私の身体の感覚はそれぐらいに広がっていて、膜に触れると私の身体そのもののように触覚があるのかもしれない。
『それでは次へ行きましょう。今度は15までですね。始めますよ。13………14……………15。今、あとりさんは”時間”の概念を突破しました。”時間”を無視している状態です』
ヘミシンク音がさらに変化したのを実感し、時間の流れの変化を確認する。正直、時間がどう変わったのかは分からない。でも『とりあえずそう思っておいてください♪』と軽く言われているので、そういう事にしておいている。
『では、次へ行きましょう』
確か、この後は16から21までカウントするはず。お姉さんの説明によると、公式の手法なるものが存在するらしいけど、このデータは独自のプランを組んでいるのだとか。なので、ヘミシンク以外にも催眠術を応用した技法なども盛り込まれているという。
『16………17…………18………………』
ん?『19』のカウントをしない。どうしてだろう。
『今回のトレーニングは、この状態でスタートします。完全に私独自の手法を使わせて頂きますね』
なんと、ここで路線が変わった。どんな内容になるんだろうか。
『今から、あとりさんには夢を見て頂きます。しかしその夢は自分で自由にコントロールできるもので、所謂”明晰夢”というものです』
明晰夢。確かこれは、自分で夢を自覚している状態で、内容をある程度変化させることができる夢のことだったはず。催眠の方法で夢を見せられるのは、音声を聴いている限りでは初めてではないけど……?
『それでは誘導していきますね。先程まで数えた数字を、今度は減らしていきます。ゼロまで数えた時、あとりさんの頭は……』
もうこの時点で意識が朦朧としていた。遠くでお姉さんが数字を減らしているのが、辛うじて聞こえている程度だ。そう考えていたら、一瞬だけ意識が”飛んだ”。
一瞬だけ真っ暗になった自分が、はっとして目を開いた。しかしそこは何も無い、真っ白な空間で、私の身体はそこでただ漂っているだけだった。
ということは、これは夢だ。明晰夢の状態に入れたって事なんだ。
『今、自分がどこにいるのかをイメージしてください。あとりさんは、今どこにいらっしゃいますか?』
遠くから声が聞こえる。これは多分、耳から入ってくるお姉さんのガイダンスだ。私は言われた通り、今自分のいる場所を思い浮かべる。すると、真っ白だった世界は一変し、自分が今現在いる部屋に変化した。
私の部屋は、夢の中でも現実と何ら変わらない。唯一違うのは、私はこの部屋を別の視点で見ていることだ。明晰夢へ入る前にイメージしたシャボン玉が私を包み、私はその中で浮かんでいる状態。相変わらず、重力の無いシャボン玉の中で動くのは難しく、私は身を任せるしか選択肢はなかった。
『目の前に何か見えるはずです。これは何でしょう』
また遠くから声が聞こえた。目の前には……これは何だろう。私の目の前の風景だけが霞んでいる。
『これが”私”です。そうですね……あとりさんのイメージしている私は一体どんな姿をしているのでしょう。目を閉じてイメージしてみて下さい』
なるほど、お姉さんをイメージしろということか。
私は目を閉じて、その姿を思い描いてみることにした。
多分外見は……。
『…いえ、やっぱりここは普通に対面しますか。目を開けて良いですよ』
あ、あれ?まあとりあえず目を開けてみる。
するとどうだろう。霞んでいた場所には、私が想像もしていないのに一人の女の人が、私の入るシャボン玉の中で、一緒に浮かんでいるではないか。私のように不格好な姿勢ではなく、美しい姿勢で私のほうを見つめていた。まるで重力の無い空間を無視して、自分の力で浮かんでいるようだ。
「私の姿は、あとりさんの想像通りでしたか?」
遠かった声は、急にリアルになった。目の前のお姉さんが実際に喋っているからだ。
その姿を私は確認してみる。身長は私よりも若干高めで、女の子の紅葉さんと同じく非常に長いブロンドの長髪。眼は綺麗なまでに澄んだ碧眼。美白色の肌はシミ一つ無く赤子のようだ。まるで法衣みたいなエプロンドレスは、青空を模したようなカラーリング。北欧の少女のような可愛らしさの中に、気品溢れる美しさが混在しているけど、何よりも決定的に大きな特徴は、その背には一対の白い羽根が広げられているのと、頭上に淡く金色の輪らしきものが見える。
「て……天使…!?」
そう、まるで天使だ。
キリスト教上で現れるものというよりは、ファンタジー作品で登場するような天使みたいだ。
「よく間違われますが、別に宗教上の理由はありませんよ。どちらかというと趣味でこのような姿を取っているだけです」
きっぱりと笑顔で言われてしまった。
「あなたが…ガイダンス音声の」
「そういう事になります。ちなみに、あとりさんが夢を見る前から、もうガイダンス音声は無かったんですよ」
夢を見る前ということは、カウントを止めて、数字を減らす前から…?
「え?じゃあ今までの声って…」
「実は、あとりさんの頭へ直接送っていたのですよ」
「……えぇっ!?」
そんな、一体どうやって!
「どうしてそんな事ができるか。答えはすぐに分かりますよ」
……そうか!
「スピリチュアル…ファクター」
「その通りです。S.Fは極めれば、このような事だって可能ということです。音声データに、私の思念のようなものを記録しているという事ですね。条件は、意志を記録したデータ以外の音声データを視聴して頂く事によって、あとりさんに向けて起動するように仕掛けていたのです」
S.Fでこんな事までできるんだ…。
「つまり、目の前にいる私は、本体の一時的なコピーのようなものです。あとりさんが目を醒ましたとき、このコピーは消滅することになりますが」
「消える?」
「といっても、本体である私自身に戻るだけなので、この対話の記録は残りますよ。その辺りの理由は、所謂"大人の事情"ということで」
ちょ、そんなんで済ませるんですかい。
「さて、S.Fを語る上で大事な概念を説明しようと考えているのですが、如何ですか?」
「大事な概念?」
「S.Fだって、コスト無しに使えるものではありません。何らかの媒体が必要になるわけです。それを紹介しようと思っています。大丈夫ですよ、少なくとも紅葉さんの説明よりは簡潔にします♪」
さりげなく比較してる…!
「は、はい。聞いてみたいです」
それでも、私はその話に興味があった。いや、無いはずがない。
この半年間で、私の目指すべき道が見え始めている。今まで漠然としていた進路が、"シャボン玉の魔法"習得の努力の中で、いよいよ明瞭になってきているのだ。私のやりたいこと。それは……。
「ありがとうございますっ」
そう言って、お姉さんは上手く姿勢を取れない私をぎゅっと抱きしめてきた。
え?何これ?
私は戸惑う。お姉さんに抱きしめられた瞬間から、胸がキュンとして甘酸っぱいような気持ちが全身へ広がるように爆発していく。切ないような嬉しいような、なんとも不思議な気持ちが、私の中を満たしていく。
「ぅぁ?」
私は恋というものをまだした事が無いのだけど、これがその気持ちだとしたら、なんと心地良いものなんだろう。
私の背に這わされるお姉さんの腕は、私の頭に乗せられ優しく撫でられる。この時、私は夏休みで一緒の部屋に下宿させてもらった結奈さんのことを思い出した。今まで生きてきた中で、あれだけ優しくされたことはあまり無い。目一杯の愛情を注がれて、当時の私は不思議な居心地の良さに、幼少へ還るような幸福感に"昇天"しそうになった。お姉さんの抱擁は、その時の気持ちを再現されるどころか、更に深い愛情を感じさせ、言うなれば一撃ノックダウンのような状態だ。
「そのまま、身を任せて良いですよ」
シャボン玉の中で浮かんでいるのもあってか、気持ちがふわふわしてくる。それと同時に包み込むような愛情で身体が蕩けていくような感じにもなってくる。あまりにも気持ち良くて、私はお姉さんに抱きつき、お互いが抱き合う姿勢へと発展した。
これが幸せって気持ちなのかな。そう思うと、次第に意識はゆっくりとブラックアウトしていく。明晰夢が普通の夢へ移行しているってことなんだろうか。
気を失うというわけでもなく、思考が粗くなるような感じだ。細かく物事を考えられず、ただただ気持ち良くて幸せと思うことしかできなくなっている。そう気づいた所で、私は夢をコントロールすることを"諦めた"。
目を覚ましたときには、やはり自分は布団の中にいた。これは、先ほどの体験が夢であったことを証明している。『予め寝る準備を済ませてから聴いてください』とのガイダンスだったので、いつでも"寝落ち"しても良いようにしていた。
目を開けてからすぐに、枕元のオーディオプレーヤーが無くなっていることに気づいた。ヘッドフォンも付けていない。あれ、どっかで外してたかな?
「おはようございます♪」
隣から楽しそうな口調で挨拶をされる。私はその方向へ頭を向けると、先程の夢の中で出てきた姿と全く同じ天使がそこにいた。
「………ぅえぇっ!?」
私は驚いてがばっと上半身を起き上がらせ、お姉さんのほうを向く。そして何度か自分の身体を触って状況を確認する。あれ、まだ明晰夢!?
「大丈夫ですよ、今度は現実(リアル)です」
そう笑って答えてくれたお姉さんは、慌てる私の手を軽く乗せるように押さえ、私の目を見つめる。もうこの時点でドキドキするんですが…!
「り、リア…ル?」
「はい、夢ではありませんよ」
私は身体を起こし、布団を除けてベッドの上に腰掛ける。
「初めまして、私がこのツールを作った"変態"です」
お姉さんはそう言って、私が聴いていたプレーヤーを左手に取り答える。
……変態?
「あ、あの」
「恐らく聞きたいことは山ほどあると思いますが、まあまずはお出かけの準備をしておいて下さい。朝御飯の準備もできているのでお待ちしておりますね」
な、何がどういう展開になっているのか?
お姉さんは私の部屋から出ていく前にドアの前で振り返ると、
「輝鳴大神ハイアーセルフ、"アバター"名をミレーニアといいます。宜しくお願いします、あとりさん」
……アバター?
言っていることの理解ができないまま、私はとりあえず仕度を始めた。
「…な、なんと」
テーブルに乗っているのは、ベーコンエッグにマカロニサラダ、玄米ご飯に加えてわかめの味噌汁!
な、なんなんだこれは…!
「さあ、どうぞどうぞ」
呆然とする私を、ミレーニアさんが座るように催促する。
「は、はい…い、いただきます」
あれ、何か違和感ありまくりなんですが。
「どうやって家の中に」
最初の疑問、どうしてミレーニアさんは私の家へ入ってきているのか。家には当然鍵がかかっているはずだし、普通はインターフォンを鳴らさないと……。
「一般住宅の電子錠程度なら、そう難しくはありませんよ」
そう言って、パッド型デバイスと謎の機器を取り出して見せる。
…ピッキングしたとな!
「あのー…、それって不法侵入じゃ」
「まあ細かいことは気にせずいきましょう」
いやいやいやいや、良くないと思うんですが!
「じゃあどうして私の家がここだって」
「ルミから聞きました。というよりは、このオーディオプレーヤーのある場所が判るようになっているので、追跡ができたわけです」
なん…だと?
「あと、両親が不在なのも大体分かっていたので、あとりさん一人なら大丈夫だと確信していましたから♪」
「た、確かに不在ですけど、一歩間違えればストーk」
最後まで言い切る前に、ミレーニアさんは私の頭を撫で宥める。
「あとりさんだからこそ、少し悪戯をしてみたくなっただけですよ。ルミの大切なお友達ですから、悪いことは絶対にしません」
「想像通り、やっぱり可愛い方ですね♪」と付け加えて事情を説明する。
確かに、不快なわけではない。むしろ居心地が良いのは間違いない。明晰夢での体験もあったためか、ミレーニアさんの奇行はともかく、私のことを想ってくれている人なのは、深く考えなくても分かる。が、一歩間違えればヤンデr……いや、考えるのはやめておこう。
「先程の夢で体験したものですが、早速解説させていただきます。そのままで良いので聞き流してくださいね」
私は朝食を頂きながら、明晰夢での出来事を思い返す。……気持ち良かった。それが一番強く印象に残っている。
「私があとりさんをハグした際、感情の変化が一気に現れたはずです。それにはしっかりとした理由が存在しているのです」
「理由?なんてものがあったんですか?」
単純に気持ち良いだけじゃなかったんだ。
「私はあの時にあとりさんへ向けて、あるエネルギーを送っていました。もちろんそれは非物質的で、普通では目に見えないものです」
「目に見えないエネルギー?」
「これはどんな人間、どんな生物、どんなモノにも存在している精神的なエネルギーで、宇宙に在る普遍的な”創造の原動力”のようなものですね。これをS.F技術と並行して、Pure Energy理論…イニシャルを取ってP.Eと呼んでいます」
P.E。
これが、S.F能力を扱うために必要なものって事なのかな。
「つまり、P.Eを簡単に言えば、ロールプレイングゲームで言うMP(マジックポイント)ですね」
わかりやすっ!てかそのまんまじゃん!
「そう考えると、P.Eは色々なものへ言い換えることが可能です。中世ヨーロッパの一部界隈ではこれを魔力と呼んだり、ある分野ではプラーナやエーテル等と名乗っていたり、呼び名は様々です。最近のスピリチュアリストは、これを”無条件の愛”などと呼んでいる方も多いですね」
「ん?どうして”愛”なんですか?」
S.F能力を扱うのに必要なMPなら、愛はそこまで関係無いように思えるのだけど。
「スピリチュアル界隈では、あらゆる意識の原動力、宇宙の根源たる力は”愛”であると考えられているのです。この”愛”を溢れんばかりまで満たし続けていくことで、今度は自分が”愛”を生み出す泉になれるという考え方を持っているようですね」
「実際のところは?」
「実は、この”愛”もまたP.Eとは違うものです。厳密に言えば、限りなく近いものと解釈できますが、純粋なものとは言い切れません。何故このような勘違いが生まれるか、少し考えてみましょうか」
「えっ」
「大丈夫ですよ。正解は存在しないものですから、自由に考えてみてください」
自由にって、こういう界隈に入ったこともないのにどうやって考えろと…?
とりあえず私は、今までの人生で得た知恵を振り絞って思考を巡らせてみる。その前にちょっと質問をしてみよう。
「P.Eっていうのは、無限に存在しているんですか?」
「そうですね、自分の中で増幅もできます。これはアジアでは”練氣”と言われたりもします。他にも相手への受け渡しだって可能ですし、周囲の環境から取り込むこともできます。実質無限と言っても良いですね」
「なるほどなるほど…。じゃあ、さっきMPみたいなものって言ってましたけど、最大値みたいなものってあるんですか?」
P.EがMPに値するものだったら、最大MPみたいなものもあるんじゃないだろうか。私はそう考えてミレーニアさんへ質問を投げかける。
「流石、鋭いですね。人の持てるP.Eには許容量が存在しています。人はそれを超えたP.Eを保持しようとすると、オーバーした分から無意識的に、何かに換えて消費しようとする性質があります。ここまで言えば、大体の答えがまとまるはずですね」
確かに、大体わかってきた。
許容量をオーバーした分のP.Eは、自分の無意識で何かに変換しようと試みるわけか。ということは、そのオーバーした分を”愛”という概念に変換した…みたいな感じかな。まだ”無条件の愛”というものがどういうものなのか、私にはさっぱり分からないけどそんなものだろう。
「その愛っていうのがどういうものなのかは分からないけど、オーバーした分をそれに無意識的に変換していたって事ですか?」
「それが現状の最適解だといわれます。P.Eに最も近い感情が”愛”なので、殆どの人はそれに換えようとするわけですね。やはり予想通り、素敵な洞察力と想像力を持っていらっしゃいますね」
ミレーニアさんは軽く拍手をし、満面の笑顔で私を誉める。いや、どちらかというと祝福?そんな感じがした。
なんだろう、ちょっと嬉しい。
「今のもP.Eの増加に貢献しているアクションなんですよ」
「えっ」
「人の成果を賞賛する際、相手がそれを受け入れた場合、お互いのP.Eを増幅させることになります。今のあとりさん、嬉しそうにしていましたからね」
む、顔に出てたんだ……!
驚く私を見て、ミレーニアさんは「小さな成果でも、誉められると良い気分になりますよ」と加えて私に言った。
「そんな簡単なことでP.Eって変動するんですか?」
「些細なことでも、結構な変化は現れるものですよ。気持ちの浮き沈みにも大きく影響が出る概念なので、落ち込んでいる時は連動してP.Eの流れも鈍いと考えられています」
じゃあ悩んでるときや憂鬱なときは、上手くS.F能力も扱えなくなるわけか。
「超過したP.Eの比率が多ければ多いほど、変換する量も多くなります。界隈で『強烈な愛のエネルギーを受けると自分が変質する』という表現を用いることがあります。それは絵にも代え難い”快楽”によって、自分の知らない人智を超えた幸福を知ってしまったから、ということも考えられます」
ここからが本題と言うかのように、ミレーニアさんは椅子から立ち上がり……立ち上がり?
「あ、食器を下げますね」
と言って、私が頂いた朝食の食器を台所で洗い始める。
え?ええ?
「あ、はい、ご、ごちそうさまでした」
さっきの核心に入るぞ!という空気は何だったんだろう。
「そういえば、こんなお話もあります」
二人テーブルを挟んで煎茶を呑む中、ミレーニアさんが先程の話の続きを始める。
「アメリカのあるスピリチュアル系コミュニティの集まりがあり、そこに数人の参加者がパーティを開いていました。そこで参加者のある男性が『私は師から、空を飛ぶ方法を教わりました。非常に難しくて私にはマスターできませんでしたが』と周りに話をしたといいます」
「空を飛ぶ方法?」
「つまり、S.F能力としての飛行能力ということですね」
空まで飛べるんだ!これは素直に凄いと思った。
「周りの参加者は興味を持って、男性へ実際にやってみて欲しいと頼みました。成功するかどうかは分かりませんが、彼は快く引き受けました。その場で目を閉じ、意識を集中させていくと、次第に彼の足が地面から離れていくのです。最終的には30cmほどまで浮かび、20秒も浮いていられたようです」
「20秒も!」
流石にそこまで高く…いや、30cmも浮けば凄いことなんだと思う。”シャボン玉の魔法”ならそれより上は簡単にいけるだろうけど、何も無い状態から浮かび上がるS.Fだとすると、相当の技量が必要になるんじゃないだろうか。私はミレーニアさんに聞いてみる。
「それって、もの凄く鍛錬が必要なんですよね?」
「そうですね。鍛錬というよりは、今まであとりさんがトレーニングした想像力に加え、それを現実へリアルに描く”創造力”が問われることになります」
そうか、今までが基礎だったんだ。想像したものを、今度は現実へ持っていく必要がある。そういうことか。
「この話には興味深い続きがあります」
「どんな話なんですか?」
「彼はその後、急に気を失いかけ崩れるように倒れてしまいます。周囲の人達に支えられて事なきを得ましたが、エネルギーを使いすぎたのかという質問に対して、彼はこう答えたといいます。『いいえ、逆です。あまりにも大量の愛がハートの中へ入ってきて、身体から力が抜けただけです。とても心地よくて幸せな気分です』と」
「P.Eは消費するものではない?」
「消費は確かにしています。が、先程私があとりさんを誉めたときの事を思い出してください。P.Eは些細なことでも変化する。つまり、彼は初めて空中浮遊に成功したことを喜んでいたと考えられます。それにより、消費する量よりも遥かに大きなP.Eが彼の中で生まれていたのかもしれませんね」
P.Eを消費するよりも、成功の喜びがそれを超えたのか!
「それって、もしかして実質減らないってことですか…?」
「無感情で行使すれば、減ることは間違いないはずですが、人間である以上感情や思考を消すことなど、ほぼ不可能です。なので、S.F能力を行使すればするほど、P.Eの量は増えていくと思って良いでしょう」
「じゃあ、逆を取れば失敗すればするほど減少していく?」
「それは本人のモチベーション如何で決まると思いますね。まとめると、P.EはS.F能力を行使すればするほど増加していきます。使いすぎるとオーバーロードのような症状に悩まされることになります。これをスピリチュアル・ハイと言う方は多いですが、私達はこれを『スピリチュアル・クライシス』と称しています。過剰にP.Eがオーバーすると気絶や精神障害などに至る危険も伴っているからです。S.F能力で必要なのは、オーバーロード状態になった際、増えすぎたP.Eをどう処理するかに懸かっているわけですね」
S.F能力を使いすぎれば、消費したはずのP.Eが逆に激増していて大変なことになる。これじゃMPって概念も何か違う気がしてきたなぁ。
ミレーニアさんは一つ話を終えたところで立ち上がり、パッド型デバイスをしまうと私へ「ではそろそろお出かけしますか」と伝える。
「え、ど、どこへ行くんですか」
「私達の家ですよ。ルミが呼んでいるので、迎えにきたのが本来の目的です。手伝ってもらいたい事があるみたいですよ」
へ?留美ちゃんが呼んでいるとな。それだったらビデオチャットで伝えてくれれば良かったのに。
私は早速外套を着て、携帯と今まで教わったS.F能力の解説をメモしたパッドデバイスを入れた鞄を持って、ミレーニアさんと一緒に玄関から表へ出る。その後、カードキーを差し込んで玄関の扉をロック状態にしたのを確認する。
私は家の外を確認する。……何も無い。
「ミレーニアさんはどうやって来たんですか?バスとか車とか」
そう、札幌の中でもこの藤野は交通があまり進んでいない場所だ。どちらかというとバスが多い地帯なので、電車も通らなければ地下鉄も真駒内(まこまない)まで行かないと無い。バスじゃなければ、多分どこかに車を停めているはずだけど……。
「そうですね、”上”を通ってきました」
そう言って、ミレーニアさんは空のほうを指差す。
「へ?」
「“空を飛んできた”ということですよ」
開いた口が塞がらない私を横に、ミレーニアさんは笑顔で答える。その羽根って本物だったんだ!
「正直に言うと、この羽根では空は飛べません。人間の身体を宙へ浮かばせるほどの物理的な力は、この羽根にはありませんよ。なので、天使は普通に空を飛ぶことはできない証拠ですね」
そう言って、今度は明晰夢の時と同じように、後ろから羽織るように抱きしめてくる。抱きしめられると、何と言うかホッとする感じになる。これもまた、P.Eのプラスに影響している証なのかな。
「私の存在を意識していてくださいね。それでは、いきますよっ」
「え!?」
ミレーニアさんはそのままの語気で軽く地面を蹴るように飛び上がる。するとどうだろう。地面へ着地することは無く、そのまま私を抱えたまま宙へ浮かび上がっていく!
「え、えぇ!?」
「私は羽根だけではなく、S.Fを駆使して自らの重量を”消す”手法を使って飛びます。これは”軽気功”などと呼ばれたりもしますね。私があとりさんを抱きかかえるのは、存在を意識させて一緒にその効果を起こさせているわけです」
なんというか、冷静に説明されても驚きを隠せないんですが。でもすっごく楽しそうに解説してるあたり、説明するのが好きなのかな。
「それだけでは風に流されてしまうので、姿勢制御を要するわけです。私達の周りをみてください」
そう言われ辺りを見回すと、透明な膜のようなものが朧げに見える。それと一緒に金色のリングのようなものが三つ交差するように、球状に覆う膜を支えるように出現していた。
「これ…シャボン玉?」
「のように展開している制御機構のようなものです。まあ殆どルミのシャボン玉と性質は似ていますが、これを利用して推進や停止などの動作を行うわけです。結局羽根は補助ですね♪」
何か頭がこんがらがってきたぞ?
「それでは行きましょうっ」
そうミレーニアさんは告げ、見えない壁のようなものを軽く蹴ると、私達はさらに上空へと上昇していく。200メートルぐらい高度を上げたあと、背の翼を大きく広げ上昇を停止し、先程同様に見えない壁を横へ蹴り、留美ちゃんのいる定山渓、豊平峡へと飛行を始めたのだった。
この時、私はミレーニアさんのとんでもないS.F能力の扱い方に驚愕すると共に、S.Fという新しい科学分野の可能性について、もはや過剰ではないかとも思えるほど期待を抱いていた。
私は、こんな凄い技術を得るために勉強しているのか。どおりで、学校の勉強がギリギリになってしまうわけだ……!
「ところで」
「はい」
ちょっとだけ気になったことを、私はミレーニアさんに聞いてみる。
「ハイアーセルフって、何ですか?」
そう、ハイアーセルフ。最初に自己紹介されたときに名乗られたけど、ハイアーセルフとはなんぞや?
「そうですね……。簡単に言えば、”あとりさん自身”です♪」
「へ?」
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季節は冬。
あとりは秋頃に紅葉から貰ったデジタルオーディオプレーヤーを聴いて、S.F能力に必要な想像力のトレーニングを毎日行っていた。
そして今回が最後のデータ。
あとりは最後のトレーニングメニューをこなすべく、自室のベッドの中へ潜り込み、データを再生し始める。
この現実には無い、はるか上の"領域"。
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