捜索隊に助け出された後、分かったことが一つある。
俺様は、女だったらしい。
休止モードから復帰すると、分厚い梁と燻された天井が広がっていた。蛍光灯が真っ直ぐこちらへぶら下がっていて、見つめているとその輪の中に吸い込まれそうだった。
ロボットは布団を折って起き上がる。着ているシャツは目覚めたときのものではなく、この家で新しくもらったものだ。どちらも人間じゃないから必要ないと断ったのだが、押し切られて甘えてしまった。ロボットは有耶無耶のままにリットーの家に引き取られ、これで二度目の朝になる。リットー本人には何の感謝も無かったが、ここに居るのは何となく居心地が悪い。
隣にはもう一組の布団がしかれている。昨日の晩リットーが潜り込んだ布団だ。完璧に乱れきっていて中に人がいるのかどうか分からない。が、リットーのことだからどうせまだ寝ているのだろう。ロボットは遅刻寸前で家を飛び出すリットーを想像しながらふすまを開け、部屋を出た。
床板の少し反った廊下をくぐると、ビニルカーペット敷のダイニングキッチンに出る。元の古い家に取ってつけたような感じで、ダイニングというより食卓の置いてある台所だ。
ひと家族が団らんするには手狭なテーブルに、まだ一人分の朝食が残っていた。厚焼き卵と浅漬け、伏せられた茶碗と汁椀がその両隣に置かれている。
「よく眠れた?」
食器を拭いていたリットーの母さんが振り向いた。
「はあ」
ロボットに快眠もどうも無いのだが。
リットーの母さんは美人だ。清潔感があって、エプロンとスリッパがよく似合う。この人からどうやったらあんな馬鹿が生まれるのか、不思議で仕方ない。天災か、人災か、あるいは脳にクレヨンでも突き刺さっているのかもしれない。そんな下らない事を考えている最中なのに、リットーの母さんに顔をのぞかれロボットはどきりとした。そしてその両眼に見惚れているうちに、タオルと洋服一式を押しつけられた。
「早く着替えていらっしゃい」
「え、そんなに気ぃ使わないでください」
ロボットは汗をかかない。そう何度も着替える必要はないのだ。
「気を使うって、あなたその格好で外へ行くつもり?」
「外?」
「今日からロボットちゃんも学校よ。ここは田舎でしょう?学校まで遠いから、都会と同じ気持ちでいたら遅刻しちゃうわ」
「俺様がっすか?」
「あ、それからこれ」
きゅっと笑ったリットーの母さんに、ロボットは何かを持たされた。そしてぽんぽんと背中を押され、ダイニングから追い出されてしまった。
やれやれと廊下の壁にもたれかかり、ロボットは持たされたものを見つめる。
白紙の名札。ロボットは冷却ファンの唸る、人間よりも長く切れない溜息を吐いた。そこに書くべき名前を、ロボットは今も思い出せずにいた。
「すまねぇ、母さん、ご飯の神様」
ロボットはリットーの母さんの手前口の中に入れざるを得なくなった朝食を吐き出して、それに両手を合わせた。ロボットのパワーソースは電気、100Vコンセントからアダプタを介して充電する。いくら高性能ロボットといっても、炭水化物から発電する機能は無い。それに喉の奥にはファンとヒートシンクがあり、痩せ我慢は熱暴走の危険があった。
ロボットは今、またも流されて家から放り出されたところだ。自分に朝ごはんをすすめて引かなかったところを見ると、リットーの母さんはロボットというものを分かっていないようだ。あるいは自分のことを人間と間違えているのかもしれない。これからはもっとハッキリとものを言わなきゃ、その内完全に壊されてしまう。
この辺りまで思考を進めて、ロボットはこれではダメだと頭を掻きむしった。こんなナイーブな悩み方、ちっとも自分らしくない。早く学校へ行って、リットーの面倒を見てやろう。あの馬鹿な人間と一緒にいれば、少しは感覚が取り戻せるだろう。
秋津分校とかいうその学校は、あぜ道を田圃何枚分か行ったところにあった。山を背にして建てられた、校舎一つ、体育館一つの小さな学校だ。ひびが黒ずんだ鉄筋コンクリート造の建物は、風情が無いのに年季だけ入っている。
「あ!」
校門を掃除していた人間が突っかかってきた。頭に麦わら帽子とほっかむり、指定ジャージといういでたちの怪しいやつ。それが竹箒とちりとりを放り出して、こちらにのしのし近づいてきた。
「面白い格好だな、リットー」
ロボットは感想を言った。リットーは帽子の上から頭をかきむしる。
「俺はちっとも面白くない!」
「ドジョウすくいでもやってたのか?」
「するか!この前の行方不明の罰掃除だよ!」
「楽しいのか?それ」
リットーは肩を落とした。
「そう見えるんなら代われよ」
「やなこった」
「大体、なんでお前が学校来てるんだよ!」
「来ちゃ駄目か?」
「駄目!」
「でもリットーの母さんは行ってこいって。ほら、新しい服ももらったぞ」
俺様はシャツの裾に両手を突っ込んで見せびらかした。白地に黒で細いボーダーが入ったTシャツ。その下はオリーヴ色のショートパンツと黄黒赤のポンプフューリーだ。
「母さんが言っても駄目なもんは駄目なの!怒られるのは俺なんだぞ!」
「なんでリットーが」
「お前は俺の持ち物だろ?必要ないもの持ってきたら没収されちゃうんだ」
ロボットはハードディスクドライブに、ピンポイントで空き缶を投げつけられたような気がした。人間的に表現すると、頭にきた。
「ちょっと待て、なんで俺様がお前の持ち物になんだよ」
「当たり前じゃないか、俺が拾ったんだぞ」
リットーは悪気ゼロといった顔で返してきた。それがかえって癪に障る。ロボットがホイホイ人間の言うとおり動くことを当たり前みたいに考えている。ロボットはそういう奴が一番嫌いなのだ。
「冗談じゃねぇ、俺様は俺様のもんだ」
「そんなこと言ったってお前ロボットだろ?誰かの持ちものって事にしないと、不法投棄が歩いているようなもんじゃないか」
「だが俺様はお前を持ち主と認めた覚えはねぇ」
「あのとき俺が起こしてやらなかったらな!」
「その台詞はもう聞いた!」
二人は目と目の間に火花を散らし、骸骨を激突させて火花を散らした。
「やるか?!」
「やるさ!」
リットーが腰を落とし、這うような低さで地を蹴る。
ロボットも鋭く、リットーに組みつくように飛びかかる。
「リットーさん」
「はい!」
が、ロボットはそのまま地面に激突した。リットーの奴が飛ぶのを止めたせいで狙いが狂ったのだ。
関節をギャリギャリいわせて起き上がると、軍服姿にリットーの奴と同じ竹ぼうきを持った、若い男が立っていた。
「なんだてめぇ!」
「掃除は終わりにして教室に行きましょう」
男はロボットのことなど放りっぱなしでさっさと行ってしまう。リットーが胸を撫で下ろした。しかしこちらとしては納得行かない。ロボットはそいつにバンと指を向ける。
「おいコラァ!人のケンカに水差す、んぐ?!」
背後から口をふさがれた。リットーの奴だ。即行で振りほどく。
「あいつ俺様を無視したんだぞ!」
「分かったから黙れよ」
人差し指を唇に当てて言う。
「てめぇもてめぇだ、あんな根暗そうな奴相手にビクビクすんじゃねぇ!」
「だーかーらー」
「うーっす!」
別の声が後ろから飛んできて、リットーを押した。もみあげを細く編み込んだ、長めの髪の人間。多分自分と同じ女だ。
「おはようリットー。また面白い格好してるわね」
「コクウか。そのセリフはさっき聞いたよ」
どうやらコクウという名前らしい。
「で、これがその時のロボット?」
「そうそう」
「名前は?」
「ギャッ!」
ロボットはでっかく痙攣して声まで出してしまった。
「そいつを聞くなよ、心臓に悪い」
「名前が?心臓に?」
コクウは不思議そうな声。
「それがまだ教えてくれないんだよ。新しくつけようとしても嫌がるし」
「どんな名前にする気だったの?」
「北極壱號」
「あんた最低ね」
朝から爽やかでないものを聞かされて、コクウはげんなりした。ロボットもリットーのネーミングセンスを叩き直したくなったが、ピンチは脱したので我慢した。
最近改築されたのだろうか、校舎の中は外から見るよりずっときれいだった。床は白のタイル張りだし、壁はでかい鉄骨がバツの字に渡され補強されている。通り過ぎるクラスはどれも空き教室だったが、いくつかは大人たちがクラブ活動に使っているようで、かつてクラス掲示板だった壁に村のお祭りの写真や工芸品、スポーツチームのポスターなんかが貼ってあった。
「秋津小は今年で閉校なんだ」
寂しいことを、コクウが慣れた口調で言う。
「じゃあコクウたちはどうするんだ?」
「あたし達はもう卒業。下の子たちはクルマで街の学校に行くわ」
「ふぅん」
「ま、街っていっても田舎なことは変わらないけどね」
「ところでよ」
ロボットは気になることがあって話題を変えた。
「さっきの軍服男、誰だ?」
「軍服、あぁ、校長先生のところのロボットよ。チハっていうの」
「なんだか根暗そうな奴だったな」
「ロボットは大体そうよ」
「お前もチハを見習って、もっと大人しくしてくれよ」
リットーが要らない口を挟んできた。
「無理だ」
あきらめの溜息。
「じゃあせめて放課後までは隠れていてくれよ」
「へいへい」
「あと、明日からは来るなよ」
「うるせぇな、十まで言わなくても分かってるっつの」
「どうした、お前ら」
後ろから、ロボットのチハとは違う男の声。なんてことない一言なのに、なんだか干物みたいで硬そうな感じだ。よし、突っかかってやろう。と振り向こうとした瞬間、四本の腕に取り囲まれて縦長の箱に閉じ込められた。暗い。しかもカビ臭い。放り込まれた蓋も開かない。
ここは、掃除ロッカーじゃないか。ロボットは暴れた。
「おいリットー! 何のつもりだ! コクウ! ここから出してくれ!」
「黙れバカ!」
リットーが声を殺して怒鳴る。
「ンだと?!」
「一番見つかりたくない相手に見つかったのよ!」
同じようにコクウ。
「ん? おかしいな、もう一人見えたような気がしたんだけど」
「はははは、イヤだなぁドヨウ先生ったら」
「うふふふふ、疲れ目じゃあないですかねぇ?」
驚くほど白々しい二人の声が聞こえてくる。ロボットは覚悟を決めた。が、怒られるのはリットーなんだったと思い出した。なら別にいいか。
「ふむ、そうか。お前ら早く教室に入れ。特にリットーは、朝掃除をやってる間に遅刻癖を直さなきゃな」
ロボットは壁に頭をぶつけそうになった。なぜ納得する。
「はーい」
「どうもー」
なおも白々しい二人の声。続いて足音が二つ遠ざかっていく。ロボットは呆れ果て、違和感を覚えた。ドヨウ、リットー、コクウ。三人が行ったはずなのに、何故足音が二つだけなんだ。
「しまった!」
「やば!」
二人の悲鳴。
ブリキのドアがきしんだ。隙間明かりしか差さなかった掃除ロッカーは、一瞬にして皓々とした光に照らされる。油断した!
ドヨウが掃除ロッカーに首を突っ込み、じろりと中を見渡した。
「おかしいな、確かに隠れたはずなんだが」
ドアがゆっくりと閉まっていく。光が徐々に細くなり、やがて掃除ロッカーは元の暗さに戻った。
セーフ。ロボットはロッカーの天井に貼りついて、間一髪難を逃れていた。CPUをじっくりと冷やすように溜息をつく。そして、嫌な浮遊感に気付いた。重心が上に行きすぎて、ロッカーが倒れているのだ。
「このドア立て付け悪いな。ん?」
ドヨウの独り言が悲鳴に変わる。衝撃。ロボットは貯金箱の中身のようにロッカーの中を跳ね回った。どうやらドヨウは逃げ切れなかったようだ。ロッカーから這い出て頭のバケツを持ち上げると、先生はロッカーの下敷きになってうわごとを口走っていた。
「授業に、行かねば! 生徒が、待って」
そこまででドヨウは事切れた。戻ってきたリットー、コクウと一緒に、ロボットはその姿を見下ろしていた。
先生が病院に運ばれて、高学年組は自習。となることをリットーは期待していたのだが、ドヨウ先生は驚くべき執念で復活した。土曜の授業三時間分をやりとげて、さっき保健室に運ばれたところだ。きっと気が抜けてしまったのだろう。
そして放課後掃除の時間。廊下で掃除ロッカーを開けたトウジが、死体でも見たかのような悲鳴を上げた。
「掃除中よ!喋らないでください!」
副委員長のソウコウが繋げて怒鳴る。また変わりばえのしない注意をやってるな、それにしても腹減ったな、とリットーは思ったが、そこで自分が大事なことを忘れていたと気付いた。ロボットのやつ、ひょっとして今もロッカーの中じゃないのか?頃合いを見て勝手に出てくるものだと思っていたのだが。
トウジが手を奥義千手観音のように振り回しながら、何故か一歩も動かずに悲鳴を上げ続けている。飛んでいき、そいつを押しのけロッカーをのぞき込む。やっぱり。あのポンコツロボットが、力尽きたボクサーのような格好でスリープに入っていたのだ。
「起きろガラクタ!」
自分が出し忘れていたことはとりあえず棚に上げ、リットーはロボットにゲンコツした。ロボットが起動する。
「痛ぇな!こんちくしょう!」
「死体が喋った!」
「リットー!さっきは黙っててやったけど、よくも俺様をこんなカビ臭ぇところに押し込めたな!」
「どうしたの?物騒ね」
これからケンカになるというところなのに、コクウがいきなり肩越しに首を突っ込んできた。
「あ、今朝のロボットさん」
「こいつ寝てやがったんだ」
「おいリットー!無視すんな!」
騒ぎを聞きつけたのか、強面のタイショ、委員長のシュンブン、副委員長のソウコウ、それに中学年と低学年のみんなも、組をまたいでやってきた。全員集合だ。
人垣に囲まれて、それまで怒鳴っていたロボットがなぜかうろたえた。人見知りをするどころか、初対面の相手を出会い頭にぶん殴るような奴なのに。
「なんでこんなに人間がいっぱいいるんだよ!どれが男でどれが女なんだ?おいリットー!」
「たしかに男か女かわかんない奴も居るよな、コクウとか」
「どういう意味よ」
「だから冗談じゃなくてだな!」
「質問が有ります!」
ぶつぶつ呟いていた物知りのカンロが声を上げた。ロボットがビクンと跳ね上がってカンロの方を見る。
「おどかすなよ!」
「あなたのモデル名と製造ロットを教えてもらえませんか?」
「な、なんだそりゃ」
カンロは顎をさすった。
「おかしいですね、普通ロボットは空で言える質問のはずなのに。いやそれを言うならロボットが人間に逆らうことからして有り得ないのであって。しかしロボットが製造ロットを回答しないことで何らかのメリットを得るとは」
強面のタイショが物知りのカンロのマシンガン難しい言葉を遮りヌッと出てきた。
「そんなよく分かんないことよりさ、名前教えてくれよ、名前」
ロボットがしゃっくりで死ぬ人間のような声で悲鳴を上げた。
「名前?俺様の?!」
「あ、僕も知りたい」
トウジが言う。
「かっこいい名前?」
眼鏡のウスイが続いた。
しかしロボットは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせるだけ。
「どうしたんだよ、早く言えよ」
わがままのゲシが急かす。
「えっと、俺様は、北極、じゃなくて!」
ロボットは応えるが、へどもどで答えになっていない
「確かに、何事もまず自己紹介からと言いますし」
「掃除!」
「ごめんなさい」
委員長のシュンブンが言おうとして副委員長のソウコウに叩かれた。
「あたしもそれ聞いてない。教えてよ」
コクウがだめ押しの一言。
「り、りっとぉ」
ロボットは頭をがくがくさせて、もう泣き出す一歩手前だ。ロボットに涙は流せないが。というかこちらに振られてもどうしようもない。リットーだって知らないのだから。
「俺は、俺様の、名前は!」
そこでやはり、言葉は止まった。いくら待っても、ロボットからは関節が立てるチャタリングの音しか聞こえてこない。それがどれだけか続いたとき。
「あああああ!!」
ロボットは回路のどこかがトロけたかのように奇声を上げ、暴走した。わがままのゲシと委員長のシュンブンがすっ飛ばされ、欠けた人垣からロボットが飛び出す。
「ほっといてくれぇえええうぇ!!」
そして壁に一直線に衝突。弾かれたが何度もぶつかり、強引に向きを変えて逃げ出した。
「これはすごい運動性能だ!」
物知りのカンロが考えるのを止めて追いかける。
「逃げたぞ!」
叫ぶが早いか強面のタイショが駆け出した。
「廊下を走るなあ!」
副委員長のソウコウが三人を追って走り出す。
後はなし崩しだ。ハリケーンの後のようになった教室には、トウジとリットーの二人だけが残されていた。
「あ!」
トウジが声を上げた。
「どうした、いいともの録画でも忘れたか?」
「まずいよ! もしリットーのロボットが暴れて学校を壊したら!」
リットーは戦慄した。そんなことがバレでもしたら、朝掃除一ヶ月追加どころじゃない。卒業までトイレ掃除だ。
リットーとトウジはうなずきあって駆け出した。一刻も早くあの暴走ダンプを止めなければならない。
トウジは顔に似合わずべらぼうに足が早い。リットーも自慢じゃないが、本校とのレクリエーションでは強面のタイショとツートップを構えている。二人は瞬く間に他の生徒たちに追いついた。
「遅い二人とも!」
コクウが怒鳴ってきた。
「無茶言うな!」
「ロボットは?!」
「駄目だ、ビミョーに俺たちより早い!」
トウジの問いに応える強面のタイショ。
「もう、ダメ」
委員長のシュンブンが、へばって後方に流れていく。
「相手は疲れがありません! このままじゃ不利になる一方ですよ!」
物知りのカンロがこちらまで降りてきて言う。それはこちらも考えていたところだ。
校舎は鉄筋コンクリート造二階建てで、廊下を挟んで校庭側に空き教室と教室、裏山側に特別教室が並んでいる。長さ方向の両端に階段があるが、屋上に登れるのは片方だけでそれはロボットの逃走方向とは逆側だ。今背中側となっている階段の隣にはトイレがある。ロボットの脱出ポイントと言える昇降口は校庭側の中央だ。
「男子と女子に別れよう!男子はこのまま追撃!女子はUターンして反対の階段から下に!挟み撃ちにしよう!」
リットーは思考を走らせ怒鳴った。女子チームが散る。
「馬鹿な作戦だけはすぐ思いつくんだから!」
擦れ違う瞬間、コクウの捨て台詞が歪んだ音で聞こえてきた。
「すぐ気付くコクウもお互いさまだろ?!」
「リットー!トウジ!俺達は昇降口を押さえるぞ!」
強面のタイショががなり、すぐそこの空き教室に飛び込んだ。
「え、ヤバいよそれは!見つかったら本末転倒!」
トウジはためらっているがリットーは元々その気だった。タイショに続いて二階の窓から飛び出すと、雨どいに捕まり垂直降下する。壁面の出っ張りにふわりと着地。その上を走って昇降口のひさしに降り立つ。下をのぞいて安全確認。
「怒られたら二人のせいにするからね」
「どうせトウジは大して怒られないだろ」
リットーは振り向いて言ってやる。
「しゃあ!行くぜ!」
タイショが気を吐いた。
三人はコンクリートのひさしを飛び降りた。片手を縁に残し、速度を殺してから着地。ロボットが目の前に飛び込んできた。
ロボットが飛び飛びの悲鳴を上げる。廊下にとって返すが左手からは男子の追走。ロボットは転がるように右の方へと逃れる。リットー、タイショ、トウジは仲間と合流。走る。
「止まれ!ポンコツロボット!」
リットーが怒鳴り、合わせて他の男子達も大呼した。ロボットが一瞬振り向く。眼を戻したとき廊下の突き当たりが近い。階段とトイレも。ロボットは迷わずトイレへ飛び込んだ。二つ並んでいる内のアイコンの赤い方。男子にはこれ以上の追撃は無理だ。だがしかし。
女子トイレからいくつかの音が響いた。個室の戸を開け放つ音、モップが壁にぶつかる音、上履きがタイルを蹴る音。そこには女子の別動隊が待ち伏せている。
命からがら、トイレからロボットが逃げ出してきた。出会い頭。ロボットは一瞬激突を避けるかと思わせたが、突っ込んでくる。トイレ前、ちょっとばっちいがこのチャンスは逃せない。
「観念しやがれ!」
リットーの叫びを合図に、十人の男女が数に任せて飛びかかり、ロボットをついに人間団子の下敷きにした。いくらロボットの馬力が凄くても、これではもう逃れられまい。
ロボットはトイレ前の床と人間団子の間で捕食されたカエルのようにもがいていたが、やがて大人しくなった。それぞれめちゃくちゃな声を上げていたリットーたち生徒も、それを感じて黙る。
「あなたの負けです!さあ名前を吐くのです!」
その中で、物知りのカンロが最後に言った。
みんな押し黙り、ロボットが秘密を明かす瞬間を、積み上がったまま待った。リットーは一番下でロボットに乗っているのでめちゃめちゃ苦しいが、耐えるしかない。
「俺様は」
リットーは思考を止めた。ロボットのうめき声。
そこで一度引っかかり、次の声はせきを切ったように出た。
「そうだよ! 俺様はどーせ、自分の名前も分からねぇ馬鹿野郎だ! 仕事だって、持ち主だってそうだ! それが有ったことは分かるのに、どう頑張っても思い出せないんだ! みんなさぁ! そんなに食いつかなくたって良いだろ? 笑えよ! どうせこれを言わせて笑いたかったんだろ?!」
にやけ面をつくる頬の筋肉が重かった。いつからかギャグやドタバタの時間は終わっていたのだ。おちゃらけ者としてのプライドに責め立てられたが、リットーは耐えきれず笑うのを止めた。
ロボットは涙を流さずに泣いていた。濡れていない頬を、何度も何度も袖で拭う。その姿を真上から見つめ、ふと、背中が軽くなっていることに気付いた。上に乗っていた他のみんなが、いつのまにか立ち上がっていたのだ。ロボットを囲む眼が高い。リットーもそっと体重を抜き、四つんばいでロボットを見下ろした。すると彼女が今、どうしようもなく孤独なのだと分かった。みんなが気を使い、あるいは同情している。だからこそ孤独なのだ。今彼女を引っ張り上げられる人間は、自分をおいて他に無い。リットーはそう直感した。
「なあ」
「ほっとけ」
覚悟を決める。今必要なのは、
「馬ぁッ鹿!」
悪意だ。
「リットー!」
「ひどいよ!」
コクウ、トウジ、お前達はどうでも良いんだ。
「お前が馬鹿だってことくらい、言われる前から気づいてるよ!」
ロボットは顔を伏せたまま、応えようともしない。
「どうした? 文句があるなら言い返してみろよ、不良品」
ロボットの背が一度痙攣した。
「全く、拾ったのが俺以外だったら、今日まで保たずに粗大ゴミだったぜ。こんな優しい男に拾われて、お前は幸せ者すぎるよ」
リットーは思いきり溜息を吐いて、力一杯肩をすくめる。
「生意気ばっかりで、ロボットのくせにここ三日、何の役にも立ってないじゃん。むしろこっちは迷惑かけられてばっか! できの悪いロボットを持つと、主人は苦労するよ!」
生ぬるい沈黙の後、ロボットがすっくと立ち上がった。震えた息を吐いて、伏せていた顔をゆっくりと上げる。
「言わせておけばぁ!」
その下の顔は油火災のように怒り狂っていた。爆風に乗ったようにロボットが突っ込んでくる。リットーをぶっ倒し、そこでげんこつを振り上げる。
「ホントの事だろぉ!」
リットーも負けてはいない。ヘッドバッドでロボットを吹き飛ばす。
「ハッハァ!」
バクダン焼きのようなタンコブを作ってリットーは笑う。しかしロボットは床に着地するやいなやリットーに突撃してきた。
どちらも譲らなかった。周りから色々なものを巻き込んで、取っ組み合いの大ゲンカ。
血で血を洗う私闘が続き、やがてリットーの体はロボットと絡まった。
「くそ、離れろ」
「それは俺の台詞だ」
二人はそれでもケンカを止めなかった。さっきとは違う理由で、周りの誰もがぼさっと見下ろしている。
そんな中、無口なケイチツがやってきてロボットの首筋を指差した。いつも何を考えているのか分からない、一言も喋ろうとしない二年生。
「これ、見て」
「あん?!」
ロボットが凶悪な眼を向けたがケイチツは動じなかった。
「首の後ろ」
「ったく、何なんだよこの忙しい時に」
文句を垂れながらロボットはモーターを唸らせてゴム人形のような姿勢を取り、拘束から抜け出した。そして自分の首筋を手洗い場の鏡に映し、見返した。
「えいち、えー、える。は、る」
何かつぶやいている。寄り集まったみんなの隙間から鏡を見ると、確かにやつの頸筋、バックパネル直上に「HAL」と刻印のある真鍮プレートが埋め込まれていた。くしゅくしゅの髪の毛に隠れて、今まで見えなかったのだ。
「ハル、俺様の、名前」
次の瞬間、ロボット、ハルが何に勝ったのか分からない勝利の雄叫びを上げた。そして、どういう因果かリットーにしがみついてきた。
「ハル! くぅ、なんて俺様にふさわしい、良い名前なんだぁ! 俺様、ついに名前を思い出したんだぞ!」
「思い出してはいないだろ」
さっきまでの暗さと真面目さはどこにいった、とリットーは呆れた。
「ありがとうリットー。俺様を元気づけるために、わざと怒らせてくれたんだな!」
意外な言葉が飛んできてそれを取りそびれる。顔が内側から熱せられるような感じ。このロボットから感謝されるなんて、とんでもない予想外だ。
「いや、わりと本音だったんだけど」
「恥ずかしがんなよこいつ!」
ハルの腕が締めつける。
「いてて! 折れる! アバラが折れる!」
これで落着か。そう思われたときだった。自前の幽霊的ビブラートをかけた、冷えた空気のような声が忍び寄ってきたのは。
「みぃ、つぅ、けぇ、たぁ、ぞぉおぉおぉおぉおぉお!」
紛れもなく、ドヨウ先生の声だ。見るとそいつは包帯とギプスに埋もれた体に悪霊のようなオーラをまとい、ハルの背後にうごめいていた。
蜘蛛の子を散らすようにみんなが逃げ去る。リットーも逃げたいが、クソ重たいハルがくっついてビクともしない。
「この侵入者事件、やはりリットー貴様が絡んでおったか」
この怒りを正面から食らったら骨まで蒸発してしまう。一周まわって大人しくしていたら危険な状態だ。
「ん? どうしたリットー」
ハルが不思議そうな顔をして、リットーを放した。その隙にダッシュで逃げようと踏ん張ったが、前に進むより先に身体が宙に浮かんだ。リットーは首をつままれた猫のように持ち上げられ、一八○度回転。
血管の浮き出たドヨウの両眼が、視界いっぱいに巨大化した。
「もうゆっゆゆっ赦さん! 貴様はいぃぃい一生、と、ととどトイレ掃除だぁあああ!!」
「ちょっと待って! 俺は止めたんだ! こいつが勝手に来ちゃったんだよ! だからトイレ掃除なら俺じゃなくてそいつに!」
リットーは必死でハルを指差した。ドヨウの怒りと眼がずいっと自分から離れていく。セーフ。冷や汗を拭ったが、まだ安心はできなかった。ドヨウの肩越しに、今度はハルがブチ切れていた。リットーは潜水艦映画に出てきた乗組員の気分になる。艦じゅうのバルブが海水を噴き上げ、いくら閉めても終わらないのだ。
「リットー、よく分かったぜ」
「はは、なんだよ」
「お前が自分のためなら」
ハルの眼がギラついた。
「友達を平気で裏切る奴だってことがなぁあああ!!」
ハルがドヨウの顔面を踏みつけ、のど頸を狙う悪魔のような速度で飛んできた。
「友達じゃなかったのかよ!」
「ンなもん忘れた!」
拘束をふりほどき、逃げ出す。リットーに明日はあるのか。
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