No.233695

猫鯨町の開かない扉

なーんか色々な方面から影響受けてる、だいぶん前に作った作品。アップルパラダイスを読んだのはつい一ヶ月前です。

2011-07-26 13:15:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:146   閲覧ユーザー数:144

 
 

今からざっと十世紀は昔。第一回世界協議会は衛星軌道上に位置する宇宙ステーションで行われた。地球上に存在する七つの国の首相たちは、皆が宇宙から地球を眺めながら、会議を開く事となったのだが……。彼らの目に映った地球に、国境などというものは存在しなかった。そんな、人間が勝手に生みだし作り上げた争いの軌跡など、地球という巨大な自然には刻まれる事は無かったのだ。

「今回の会議で我々が話し合うべき内容は、『国境のない地球』計画についてだ」

一人の首相はそう言い、『国境のない地球』計画の概要を説明した。七つの国の七つの言語を統一し、七つの国の七つの人種を統一し、七つの国の七つの通貨を統一し、七つの国の七つの領地を統一する事で、地球を本来あるべき姿へと変えていくのだ。勿論、それは決して容易い事ではなかった。単純計算でも二千年以上は掛かると推測されたこの計画は、あえなく計画倒れになりそうだった。世界中の、七つの国の七つの国民の意思が一つにならなければ。

 そして、地図上に大陸間の境界線は消え、地球を統括する政治本部は月に設置されることとなり、そこからネットワークで全都市に情報が送られる事となった。その間およそ千年、推測された期間よりも半分以上早く、計画は成功を収めたのだった。

 

 と、地球史で習った。つくづく思う、その発想は無かったと。よくぞまあそんな発想に思い至ったと感心する。まあ、お陰で今の地球は平和そのものだった。そしてこの町も。

 旧九州地区と呼ばれる場所に、私は住んでいる。猫鯨町、坂道の多い港町で、洋風建築が多く見られるのも特徴だ。港町ゆえか、異国文化の名残が濃く残っている。

「ん……んぅ……。もう、朝になったのか……」

 自然と目が覚めたにもかかわらず、眠気はまだ残っており、頭がぼうっとする。窓の外から聞こえる猫鯨の鳴き声、船が鳴らす汽笛の低い音。ああ、もう朝だ。もう一度そう確認し、私はゆっくりとベッドから身体を起こす。春も半分ほど過ぎ、桜の花はとうに散りきって青い葉を芽吹かせた。空気は少し暖かくなった為、ベッドから出やすい。着替えるのもそこまで億劫にはならない。セーラー服に着替え終わると、まるで見計らったかの様に壁に備え付けてあるモニターから声が聞こえた。ママだった。

『朱音、聞こえる? ご飯はもう出来てるから、早く下りていらっしゃい』

「ふぁ、ふぁぁぁい……んぅ」

あくびと返事が重なってだらしなくなる。私は室内用のスリッパを履き、部屋を出た。階下から仄かにいいにおいが漂っている。階段を下りてリビングの扉を開けると、ママとパパはすでにそこにいた。ママはお弁当を作り、パパはテーブルで電子新聞を広げている。

「おはよう、パパ、ママ」

「おはよう、朱音」

「ん、おはよう朱音。今日も相変わらず可愛いよ。そして髪がぼさぼさだよ」

パパは新聞越しにそう言った。手で触れると確かにぼさぼさだった。後で直せばいいやと思いながら、私はパパの向かいの席に座る。卓上にはすでに朝食が並んでいた。スクランブルエッグにトースト、バターとオレンジジュースとそれからサラダ。いつも通りの朝食だった。

「町内で玄関の扉が開かなくなる事件が続出……原因は不明か。まったくもって平和だな」

パパは新聞に目を通しながらそう呟いた。裏側から透けて見える新聞には、たしかにそういった内容の記事が書かれていたが、反転していて読み辛い。

「ほらほら二人とも、早く食べないと遅刻しますよ」

ママがキッチンから戻り、私の横の椅子に座る。パパはそれをきっかけに電子新聞の電源を切り、媒体を開いている椅子の上に置いた。

「それじゃ、頂きます」

「いただきます」

「いただきまーす」

 

 朝食を終え、私はママの作ったお弁当を手に自室に戻り、学校へと向かう準備を整え、まだ少しある時間をベッドに寝っ転がりながら過ごすことにした。いつもこうしているとうとうとし始めて、段々とまぶたが重たくなってきて……。

『朱音!! もう学校に行きなさい!!』

モニターから聞こえるママの声で我に帰るのだ。気付けば時間なんてあっという間に過ぎてしまう。この瞬間、もしかしたら私は時間を超越しているのかもしれない。いやまあ、違うか?

 鞄を手に階段を下りて玄関に、しかし、どういう訳かパパが玄関で立ち往生していた。何度もドアノブを握って玄関を引っ張ったり押したりしている。一体何事か。パパは私に気付くと、困った表情を浮かべながら肩をすくめた。

「どうにもこうにも、玄関の扉が開かないんだ。押そうが引っ張ろうがうんともすんとも言わない」

ドアノブを握り、引っ張ってみる。押してみる。うんともすんとも言わない。鍵は開いているし、何かが突っかかっている訳でもなさそうだ。そう、まるで扉の模様の壁にくっついているドアノブを押したり引っ張ったりしているような感覚にとらわれそうになる。なんてったって、少しは動いてもいいはずの扉がまるで固まってしまったかのように微動だにしないのだ。

「うーん……困ったわね。ただでさえ遅刻寸前なのに、このままだと遅刻してしまうのは確定的に明らか」

「余裕を持たないからだぞ、髪の毛だってぼさぼさのままじゃないか」

「それとこれとは別よ」

まあ別かどうかは置いておいて、こうなったらいよいよ窓から出るしかないか……。何度か試しても開かない扉を前にそう考え始めたころ、ママが洗濯物の入った籠を手にして玄関に現れた。

「あら、まだ出ていなかったの? このままだと本当に遅刻しちゃうわよ」

「そうは言ってもね、ママ。玄関が開かないのよ」

「そうなんだママ、どうしてか玄関がうんともすんとも言わない」

ママは怪訝そうな表情で籠を置き、玄関のドアノブを握ると何の躊躇いもなく扉を押した。

「あれ?」

「あれ?」

パパと声が重なる。ママが押した扉は先ほどまでとは打って変わって難なく開いたのだ。一体どういった原理か、今の扉はいつもと変わらない扉である。ママは呆れた表情で溜息をつき、呆けていた私とパパは慌てて家を飛び出た。

「いってらっしゃーい」

背後からママの暢気な声が聞こえる。振り向くが、扉は何の変哲もない扉で、これといって変化があるわけではなかった。一体どういうことなのだろうか。そういえば新聞にも載っていた気がする……。

「それじゃあな朱音、事故に気をつけるんだぞ!!」

パパはそう言うと、家の前で別れた。家の前の坂道をパパは下り、そして私は頂上目指して駆け上がる。家が斜面の中間あたりにあるから、後ろを向けば海が水平線までよく見える。遠くで猫鯨が水を噴き出しながらニャーと鳴き、町にその声が響いた。一時間おきに聞こえるその声が、今が午前九時であることを告げる。

「あああっ、先生になんて説明すればいいのよう!!」

 

「あー? 玄関の扉が開かなかったって?」

「はい……」

 学校につき、真っ先に私は職員室に向かった。遅れた経緯を担任の福島先生に話すと、福島先生は困ったという風に顔をしかめた。どうにも、ほとんどの学年で玄関が開かなくなって遅刻している人が続出しているらしい。

「今朝の新聞にも載っているくらいにな、この状況は広まっているらしい。まったくどうしたものか……あ、あいつも玄関が開かなくなって遅刻した一人だぞ」

先生が指差す先、そこには見覚えのある顔。

「あれ、青森くん?」

「ああ、神奈川か……なんだ、お前も遅刻か? ってか髪の毛ぼさぼさだな」

近所に住む幼馴染の青森透だった。青森くんは同じく福島先生に経緯を説明し、それによるとやはり彼も玄関が開かなくなったらしい。私と違うところは、彼は結局窓から家を出たという事だけだったが。

「教師の方たちの中にもこれが原因で遅刻する人が多々いてね、本当に困っているところなんだよ」

そう言い、福島先生は私達に教室に戻るように言った。青森くんと職員室を出、ふたりで教室に向かう。

 猫鯨港とは正反対の方向にある、小高い山の上にある学校。それが私の通う猫鯨高等学校だ。猫鯨町自体、平面な地形が港周辺にしかなく、他は全部この小高い山の斜面なものだから、なんかもう家が山積みになっているように見える。その頂上に君臨するこの学校は、そりゃあもう窓からのぞく景色が素晴らしい。ちなみにこの小高い山の名前は『小高い山』だ。

「神奈川も窓から出てきたのか?」

教室へ続く廊下を歩きながら、青森くんが話しかけてきた。この学校は少々構造が複雑で迷路の様だ。だから教室までの道のりも少々長い。

「ううん、ママが扉を押したらそりゃあもうすんなりと」

「へぇ、そりゃあ一体どういうことだ? うちなんて家族の誰もが押したり引いたりしてみたけれど、それはそれは動かない事、山の如し」

青森くんは困ったという感情を表した苦笑いを浮かべた。そうなると、なんだ、私のママは何か不思議な力でも持っているのか? そうこうしているうちに教室に付き、私と青森くんは丁度授業中の広島先生に断ってから、自分の席に着いた。とにかく朝からどっと疲れた。気がつくと私はゆっくりと暗闇の中に意識を落とし……。

「朱音、おい朱音!!」

 誰かの声で目を覚ました。周りはすでに授業から解放されて自由に会話をしたり、菓子類などを食べている生徒の姿。ありゃ、いつの間にやら眠ってしまったらしい。それはともかく、顔を起してみると前には鹿児島まわりがいた。リボンで縛った金色のツインテールと、

「まったく、本当にお前は寝るのが好きだな。そんなに寝てばっかりじゃ逆に背が伸びないぜ。髪もぼさぼさだし」

この特徴的な口調が特徴だ。ん、少し早口言葉っぽい。

「身長なんてどうでもいいのよ、あと髪型も。どうせ癖毛なんだし。それよりまわり、あんたも相変わらずここに来るのが好きね」

「私はただ朱音に会いたいだけだぜ。なんでも早々に『開かない扉』に遭遇したって話じゃないか。で、どうだった?」

「どうも何もないわ。学校に遅刻して無駄に疲れた、以上」

何だ、面白くない。と、まわりはぼやきながら、私の前の席に座りこんだ。そこは由奈ちゃんの席なのだが、まあいいか。どうせ今は休み時間だし。

「それはそうと、この開かなくなる扉に関する逸話、知ってるか?」

いきなりまわりは話題を振ってきた。まわりはこういった不思議な出来事などに目がなく、よく色々な噂の真相とかを暴いては、私に教えてくれる。別に知りたくもないのだが、こういった事を話すまわりの目はいつも輝いていた。

「いいえ、知らないわよ」

「俺も知らないな」

いつの間にか青森くんまで私のもとへと来ていた。いつも休み時間は私の席の周りに人が集まりやすい。静かに寝ていたいのに。青森くんは隣の席を借り、これでまわりも準備が整ったのか、その逸話について語り始めた。

 

「少し昔の話なんだけれど、ある女の人がずっと一人の男の人の事を想っていたんだ。最初は陰から眺めているだけだったんだが、段々とその行動がエスカレートしていき、ストーカーと同じか、それ以上にまでなっていったらしいぜ」

「え、なに、そういう雰囲気の話なの?」

 まわりは雰囲気を乱すなと言わんばかりに私を睨み、再び話を続けた。

「ある日の夜、その女の人は想いを寄せるその男の人の家の玄関をコンクリートで固め、家から出さないようにしたらしい。ただ、まだ考えが甘かったんだな、男の人は翌日、開かない扉を目前に、諦めて窓から家を出たんだ」

「あ、俺と同じだな」

まわりは青森くんに見向きすらせず、全く反応も示さないものだから青森君は少々落ち込んだ風に肩を縮込ませた。すこしばかりかいつもより小さく見える。

「その日の夜、今度は一晩かけて家の窓をコンクリートで塗り固めたんだ。男の人は二階のベランダから梯子をかけて家を出た。そしてとうとう女の人はその日の夜、二階の窓までをコンクリートで固めようとしたんだ。しかし、梯子を使って二階の窓を塗り固めようとした時、窓の向こう側にはその男の人がいたんだ。ずっと待ち伏せをしていたんだな。驚いた女の人はバランスを崩し、そのまま梯子が倒れて地面に叩きつけられ、死んでしまったらしい」

まわりが話し終わり、辺りがしんと静まり返った。かのような錯覚にとらわれたが、教室の中は相変わらず喧騒としている。

「とまあ、この女の人の亡霊が、想いを寄せる男の人を探して、家をの玄関を開かなくしながら彷徨っているっていうのが、この話の締めだな」

「うん、まあ、できそこないの怪談よりかは面白いけれど……」

 タイミングが良かったのか悪かったのか、チャイムが校内に鳴り響いた。いや、チャイムというよりは鐘の音と言った方が正しい気がする。なんてったって、まるでお寺で突く鐘のように重く響く音なのだ。

「お、もう時間だ。それじゃあ、また後でな」

まわりは手を振りながら教室から出ていき、私と青森くんは軽く手を振り返した。しばらく私と青森くんの間にだけ静寂が訪れる。一つだけ残っている、かつてからあった疑問。

「鹿児島って、クラスどこだったっけ?」

「うーん……」

 

 気がつくと、窓の外には海へ沈んでいく夕暮れ。教室には人影もなく、しんと静まり返っている。ああ、また眠ってしまったようだ。一体いつからだろうか、さっぱり記憶にない。

「あれから学校が終わるまで寝続けるとは、お前の居眠り癖も筋金入りだな」

と、誰もいないと思っていた教室内で声が聞こえた。隣の席に座りながら、呆れた表情を浮かべる青森くん。ああ、私を待っていてくれたのかしら?

「ふぇ、学校終わっちゃったの?」

「お前が寝ている間にな、もうみんな帰っちゃったよ」

「あうう、昼食のお弁当食べ損ねたぁ……」

私は立ち上がり、ぐっと背伸びをした。身体を伸ばすと節々が伸びて気持ちいい。私は数秒間背伸びをすると、机の中の教科書類を鞄の中に詰め込み、その鞄を手にした。それを確認すると青森くんも立ち上がった。

「お待たせ、それじゃあ帰りましょう」

「ああ、随分と待たされたよ。君を待っている間に猫鯨が二回は鳴いたぞ」

「いやまあそれはその」

青森くんは歩きだし、そのすぐ横を私も並んで歩く。学校を出、校門を抜けるとすぐに坂道になる。其処まで急でもないが、一直線な坂道なものだから少し気をつけないといけない。転んだら結構痛いのである。

「この時間帯に下校するのは久しぶりだわ。夕焼けが綺麗ね」

「日が沈むのは西側なのに、今俺たちの前に広がっている海は太平洋。なんか変な話だよな。猫鯨町から見て太平洋って東側だよな?」

唐突に、青森くんは言った。それを言ったら日が昇る方向もあの海からだが。

「世の中、説明の付かない事なんて山ほどあるわ。年に一度現れるUFOとか、一ヶ月間降りやまない雨とか、突然海に落ちてくるロケットとか、突然開かなくなる扉とかね」

「………………あれは?」

青森くんが指差す先に目線をやる。そこには、何処かの家の玄関の扉を抑えつけている、何処か影の薄い女性の姿。まさかとは思うが……その時、その女性は唐突にこちらに振り返った。その顔は真っ白で、まるで生きていないような……。あ、こっち来た。

「ちょ、青森くん急ごう」

「あ、ああ……」

私と青森くんは足早にその家の前を通り過ぎ、転ばないように気を使いながらちらっと後ろを振り向いた。なんと、足を動かさずに半ば浮いたような状態でこちらへと付いてくる。これはまずい、そう判断した私と青森くんは、歩を早めることにした。幸いにして私の家はもう少し先にある。後ろを振り向かず、一心不乱に走った。そして見えてきた赤い屋根の家、私の家だ。私は閉じられてたまるかと玄関の扉に飛びつき、それを思いっきり空けて中に飛び込んだ。そして扉を閉め、鍵をかけた。

「ぜー、ぜー……はふぅ、焦ったぁ……。ん? 青森くんなんでいるの?」

安心して肩の力が抜けると、どっと疲れが襲ってきた。坂道を駆けてきたのだ、息切れも激しい。と、そんな私の横に同じく疲れて息を切らしている青森くんの姿が目に入った。

「なんでって……神奈川が俺の手を掴んで走り出したからだろ……。掴んで走るなら、その前に言ってくれよ……」

無意識のうちに青森くんの手を掴んで走っていたらしい。見ると、私は未だに青森くんの右手を強く掴んでいた。慌ててその手を離すと、私は青森くんに謝った。青森くんは笑いながら許してくれた、青森くんのそういう所が私は好きだ。

「しかし、まさかとは思うけれども……」

青森くんは閉じた玄関の鍵を開き、扉を押した。が、扉はびくともせず、そう、まるで今日の朝のように開く事は無かった。やっぱり、と、青森くんはため息をついた。ママは買い物に出かけているのか、家にはいなかった。仕方ない、少し恥ずかしいけれど青森くんにはママが帰ってくるまでうちで待っていてもらおう。

「………………」

って、ママったら鍵をかけないでお買い物に行っちゃったの!?

 

 窓の外は既に日も沈み切り、暗くなっている。港の灯りがちらほらと伺え、猫鯨の鳴き声が、今を午後六時だと告げる。青森くんはカーペットの敷いてある床にあぐらをかいて座っていた。カーテンを閉め、私は気晴らしにオーディオに録音してある曲を流した。ラジオの曲を録音したもので、私のお気に入りだ。聞き覚えのある落ち着いた雰囲気のナレーションが音楽をバックに流れ、部屋を包み込む。

『満点の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に、心を開けば……』

「ん、このナレーション、聞いたことあるような」

「聞いたことあるんじゃないかな? ロケットストリームっていう深夜ラジオなんだけれどね、これ大好きなんだぁ」

「へーえ」

青森くんは頷きながら、スピーカーから聞こえる声に耳を傾けていた。

『火星航空があなたにお送りする音楽の定期便、ロケットストリーム。皆様の宇宙飛行のお供を致しますパイロットは……』

「火星航空? 聞いた事無いな……」

「ほら、火星の植民都市計画があるでしょう? それに先駆けてつくられた航空会社が提供らしいのよ。で、移動手段がロケットだからロケットストリーム。ああ、癒されるわ……」

オープニングのナレーションが終わると、静かで深い音楽が流れ始め、まるで宇宙の旅をしているかのような気分になれる。それがこの番組の醍醐味である。永遠の闇の中に煌めく星空の中を、ロケットが静かに飛んでいく様が、目に浮かぶ所で。

「ただいまー、帰ったわよー!!」

ママの声が全てを台無しにした。壁にかかったモニターが映り、ママがそこに現れる。

『今日の夕御飯は中華よー!! って、ありゃりゃ、青森くんが来てたのね』

「お邪魔してます」

青森くんは立ち上がり、モニターに向かって一礼した。わざわざそんなに礼儀正しくする必要もないのに。

『いいのいいの、私の方こそお邪魔しちゃってごめんねー。ゆっくりしていきなさい、夕御飯も食べていくでしょ?』

「いやなにもそこまで……」

『よーし、張り切って作っちゃうぞー!!』

青森くんに有無を言わさないまま、ママはモニターを切ってしまった。青森くんは苦笑いしながら再び床に座ると、流れている音楽に耳を傾けながら話した。

「神奈川のお母さんはなんていうか、相変わらずいつも通りだね」

「あははー、まあうんその」

 私は苦笑しながら扉に手をかけ、部屋を出た……となるはずだった。しかし、扉はびくともしない。まさか……私は強く扉を引く。押す。横に引いてみたりもする。

「な、なあ、まさか……この扉も?」

背後から恐る恐ると言った風に、青森くんが言う。認めたくはなかったが、頷くしかなかった。部屋の扉までもが、とうとう開かなくなってしまったのだ。私は諦めて扉から離れると、そのまま力なくベッドに座りこんだ。

「そんな……部屋からも出られなくなっちゃうだなんて……。どうしてあの幽霊は私に固執するのよ!!」

「もしかしたら俺に固執してるのかもな」

青森くんも私の横に座り、そう言った。じゃあなんだ、あの幽霊は青森くんが好きだというのか。それはちょっと……女として黙っちゃおけない。

「それは私が許さないわ、絶対に!!」

私ははっきりと言い切った。青森くんは冗談だよと、苦笑しながら言うが、幽霊からしたらどうなのか。ここまで来るという事は少なからず青森くんに対して何かしらの執着心があるのだろう。と、その時、青森くんがこちらを見つめているのが視界の端に映り込んだ。

「……なあ、神奈川」

「な、なに?」

青森くんのいたって真面目な視線に、少しばかりたじろぐ。こんなにまじまじと見られるのは初めてだし、何よりこの至近距離で見つめられるのも初めてだった。まあ、普通に生活していればこんな光景を見る事なんてないが。

「それっていうのはつまり、俺が違う女性に惚れられているのが嫌っていうことか?」

「………………」

そう……なのだろうか。確かに、あんな幽霊女が青森くんを好きになるなんて許せないと思った。それは相手が幽霊女だから……だけなのか? もし、同じ学校の女子だったら、私は、はいそうですかでそれを認められるのだろうか。……わからない。

「………………神奈川、俺、今なら言えそうな気がするよ」

「あ、青森……くん?」

青森くんの手が私の肩を掴み、無意識に身体がビクンとする。いやだ、すごくドキドキしている。つ、吊り橋効果よ!! きっとそうだわ、そうに違いない!! だって、青森くんに見つめられてドキドキするなんて……。

「俺、神奈川の事がずっと好きだった。小学生の頃からずっと言えなかったんだ、幼馴染で元よりそういう感情なしで付き合ってきたから、余計に。でも、言う、俺は神奈川が好きだ」

「え、ふえぇ……」

頭の中が混乱する。青森くんが私の事を好き? 好きってつまり、そういう好き? あああ頭がぐるぐるする!! 確かに私も青森くんが好きだけれど、いきなりこんな風に言われたら混乱してしまうのは当然の事だわ。

 その時、開かなくなっている扉が突然大きな音をたてた。私は驚きに恥ずかしながらも叫んでしまい、そのまま恥ずかしながら青森くんに抱きついてしまった。

「ななな、何々なんなのよ!! 私が一体何をしたっていうの!! 今日はこんなことばっかりよ!!」

ドン、ドン、ドンと、まるで向こうから強く扉を叩いているような音が続き、私は身体を強張らせた。

「も、もしかして、幽霊が怒っている……とか?」

「だとしたら、この状況を見てなお一層怒るだろうね……」

青森くんの言葉に、私は改めて今の自分の状況を確認した。私は青森くんの足に跨る様に座り、真正面から青森くんに抱きついていた。しばらく、頭の中が真っ白になった。ようやく頭が追いついた時、顔がどんどん赤くなっていくのが自分でも分かった。青森くんから少し身体を離すと、すぐ目の前に青森くんの顔があり、何とも言えない空気が漂う。いきなり告白された後という事もあり、余計に。

「……神奈川、お前の気持ちを聞かせてくれないか?」

「き、気持ちって……その、あうぅー……」

言わなきゃ駄目なのかな、この状況下で? それはいくらなんでも恥ずかしい、羞恥プレイもいい所だ。でも、目の前の真剣な表情をした青森くんを見ると、言わないという選択肢がすべて破壊される。私は意を決して、青森くんをまっすぐに見た。

「後で……また言い直させてね、こんな状況下じゃいやだもの」

そう言い、私は青森くんに顔を寄せ、そっと唇を重ねた。よくキスは甘い味とか言うけれど、何とも言えないものだった。ただ、好きな人とこうやってしているんだと思うと、頭の中が蕩けるような感じがする。これが甘いというものなのかもしれない。私はそっと青森くんから顔を離す。まだ唇に温もりが残るっている。

「うーん、よくわからん」

と、気が付くと既に扉を叩く音は止み、しんと静まり返っていた。冷静になって今の状況を確認し、私は慌てて青森くんの上から降りた。

「あ、のー……えへ、えへへへへ」

恥ずかしいので、笑って誤魔化す。だが、どうにも誤魔化しきれそうにはなかった。当り前ではあるが。私はもう一度、青森くんの側に寄り、唇を重ね合わせた。

 

 扉を押してみると、先ほどとは打って変って、簡単に開いた。幽霊はもうそこにはいなく、私たちの事はどうやら諦めてくれたらしい。それ以降、町でも開かない扉事件は無くなっていき、どうやら幽霊はこの町を出て言った様である。今もまだ、何処かを彷徨っているのだろうか。

「それにしても、あれだけ固執するんだから、相手はよっぽどいい男だったんでしょうね」

「んー、どうなんだろうね。好きになった相手って、無条件で自分の中で一番にならない? テレビの中で見る大女優よりも、朱音の方が何倍も可愛いし、俺は好きだな」

 猫鯨高校の中庭。噴水やベンチが設置されていて、昼休みには生徒や教師がここで昼食などを食べたり、昼の一時をのんびり過ごしたりする。今はちょうど昼休み、私は青森くんと一緒に、中庭のベンチでお弁当を食べていた。

「そ、そうかな。えへへへへ」

青森くんに可愛いと言われ、顔がだらしなく緩んでしまう。付き合い始めてから呼び方も朱音に変わったし、なんだか気恥かしい。同じ理由で、私はまだ青森くんを透と呼べない。

「だらしないぜ、朱音。頬が緩み切ってしまっている」

と、背後からいきなり声をかけられ、振り向くとそこにはまわりが立っていた。にやにやとしながら、腰に手を当てている。どういう訳か、髪型がツインテールからポニーテールに変わっている。

「それにしても、最近めっきり無くなったな、開かない扉の事件。これで遅刻の理由にする事は出来なくなってしまった訳だが」

「ああ、あれね……。そういえば、どうして朱音のお母さんはあの時に扉を開ける事が出来たんだい?」

「それなんだけれど」

私は胸元から首に下げていたペンダントを取り出し、二人に見せた。よくわからない模様や呪文のようなものの刻まれた、金色の小さな円形のペンダント。

「こりゃまた……かなり年季の入ったお守りだな」

「あれ、まわり知ってるんだ。これね、ずっとずっとずーっと昔から、代々うちの家系に継がれてきた、とっても強力なお守りなんだって」

ペンダントは日光に照らされて眩しく光っている。この前の騒動の後、ママが私にくれたのだ。恋人の青森くん共々、いつまでも災厄が降りかからずに幸せに暮らせるようにって。

「なるほど、それでそのお守りに敵わず、幽霊は扉を塞いでいられなかったと……」

そういう事なのだ。ちなみに、このお守りはまだ世界が一つになる前から受け継がれていて、まだ一部地域で魔法が存在していた頃の物らしい。とは言っても、その頃の資料はとても少なく、はっきりとした事はまだ分かってはいないのだけれど。

 

 こうして、町で小さな問題となった開かない扉の事件は、誰も知らない所で呆気なく消えてしまい、猫鯨町には再び暢気な猫鯨の鳴き声が響いた。いや、今までもずっと響いていたけれどね。あの事件を経て、私には青森くんという恋人ができ、まわりは何故かポニーテールになった。青森くんはいつも通り、何も変わってはいないけれど。

「ああっ、遅刻する遅刻する!! パ、パンッ、パンちょうだいっ!! 焼かなくていいから生でいいからそのまま!! いいい行ってきまーす!!」

私は生の食パンを銜えながら、家を飛び出した。猫鯨はまだ鳴かない。私は自分なりの全速力で坂道を駆け上がる。と、途中で青森くんと出くわした。青森くんもその手にお握りを二つ持ちながら、坂道を走っていた。

「あ、青森くんっ!! おはよう!!」

「おはよう朱音っ!! 相変わらず頭ぼさぼさのままだね!!」

二人で坂道を駆け上がり、やっとこさ坂道が平坦になった頃に、正面に校門が見えた。そして、そこには見覚えのある姿。まわりが壁に寄りかかりながらこちらへと手を振っていたのだ。

「や、急がないと遅刻するよ、お二人さんっ」

「重々承知よ!!」

校門を走りすぎ、チラッと振り返ると、まわりは校門の処で手を振ったままだった。

「結局、まわりってどこのクラスに所属してるの?」

「さ、さぁ……」

未だに解明されていない謎は多々ある。どれも、不可思議で、でも、解き明かして見たら結構あっさりしている物なのかもしれない。開かない扉もただ単に幽霊が押さえていただけな様に、まわりも……。

「実はここの学校に憑いている座敷わらしだったりして」

「………………」

一概には否定できないのである。

 
 

 
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