◇◆◇◆
『さぁ今年もやって参りました、第四十一回我慢大会!司会はもちろんこのオレ、大会を仕切らせたら大陸中に右にでるものはいない、伴伴児だ!――みんなノッてるか〜い?いぇーい!』
暑い。
「いぇーいっ!」
「フゥ〜ッ!」
「待ってましたーっ!」
暑い。
『おぉーっと!今年はいつもより元気があるじゃないか!もう一回いってみようか、いぇーい!』
「いぇーいっ!」
大柄で丸い体の、ちょび髭を生やした怪しい出で立ちのおじさんが大きな声を響かせる。
その人のオーバーな動きやらなんやらが、さっきから私の神経を逆撫でしている。
「……司会だかなんだか知らないですけど、遅れてきといて謝りもしないなんてどういう了見なんでしょうね。ねー、お嬢さま?」
「暑いのじゃあ……」
お嬢さまは早くもバテていてる。
その姿を見て、私もさらにバテてしまう。
「はぁ……」
「まぁ、あの人も忙しいらしいし、仕方ないんじゃない?」
左手にいるお嬢さまとは逆の、右隣に座った若い男の人が馴れ馴れしい態度で話してきた。
「なんですか、あなたは?」
「なんですかって……ほら、受付まで列んでたとき前にいただろ」
「……あー、あのときの」
そういえば、カマキリみたいに細い体と顔と目の感じは見覚えがあったような気がする。
だからといって、さっき会ったばかりの人に馴れ馴れしくしてほしくはない。
「もしかして、覚えてなかったの?」
「――で、あの人って本当に忙しいんですか?住所不定無職のほうが似合ってそうなんですけど」
「……忙しいらしいよ。今日のこの大会を合わせて十日間連続で司会やってるらしいから。ちなみに昨日は麻雀大会だったとか」
「へぇー。司会なんて、ある程度しゃべれるなら誰でもできるんじゃないですかね。わざわざあんな人に頼まなくてもいいと思うけどなぁ」
「それは……まぁ、どうだろうね。運営者の人たちに気に入られてるんじゃ――」
「あー、暑い……なんでこんな暑い時期に、なんでもっと暑くして、なんで我慢する必要があるんでしょうね。脱水症状で倒れたりしたらどうするんですか」
「そこらへんの管理はきちんとやってるみたいだよ。お医者も傍に待機してるし、毎年やっててそんな危ない――」
「おまけになんなんですか、この人数の多さ。ざっと見ただけでも五十人はいますよ。しかも参加者の倍以上の数の観客がいるなんて、みんな気でも狂ってるんじゃないですか」
「確かに年々人数は増えてるね。でもそれも仕方ないよ。だって――」
「絶対暑さで頭やられてますよ。それがまた暑いのを求めて、さらに頭をやられて――あ゛ー、もう!暑い!」
「それ以上はみっともないぞ、張勲」
名前を呼ばれて、お嬢さまの左隣に座った銀髪の女の人を見た。
目つきの悪いその人の額にも、私と同じように汗が滲んでいる。
「誰ですか」
「覚えていないのか?覚えていないとは心外だな。なら、改めて名乗ってやろう。私の名は――」
「いや、名前はいいです。知りたくないですし」
「ふっ、遠慮するな。名前を忘れられたくらいで怒るような私ではない。私の名は――」
「いや、本当に結構ですから」
『よし、それじゃルール確認といくぞ!』
司会のおじさんの声で私たちの会話が中断される。
『ルールはいつも通り、ひたすら暑さに耐えるという実に単純なものだ。我慢できなくなった者はいつでも会場から降りてきてもらって構わない。しかし、その時点で失格になるからな。それと布団から出た時点でも失格になるから気をつけろよ。そしてそして、参加者はただ暑さを耐えるだけじゃなく、途中で発生するいくつかの試練もクリアしなくちゃならない。暑さを我慢し、試練もクリアして最後に残った者が今回の優勝者となる。――どうだ!聞いただけで汗が止まらなくなるくらい熱い闘いになりそうだろ!みんなも汗だくになって最後まで応援してくれよな!』
「いぇーいっ!」
観客のみんなは盛り上がってるみたいだけど、それと反比例して参加者全員は早くもグロッキーになっていた。
あと、観客の能天気な雰囲気が参加者全員を苛つかせているんだろう。
少なくとも、私はかなり苛々している。
「なーなーのー……」
汗でびしょびしょに顔を濡らしたお嬢さまが私を見上げた。
子どもは大人に比べて汗をかく量が多いらしいから、お嬢さまも例外じゃないんだろう。
「どうしました?」
「もう、優勝しなくてもいいのじゃ……とくめーきぼーの称号もいらないから……早くやめたいのじゃあ……」
お嬢さまの気持ちはわかる。
私ももうそろそろ限界だった。
でも……私にはやめられない理由があった。
『あと、優勝者には豪華賞品もあるから、参加者のみんなは張り切って臨んでくれよな!』
ここに連れてこられる前に見えた、立て看板の端に書いてあった『優勝賞品は金』の文字。
そこまでしか見えなかったけど、でも逆にそこだけははっきり見えた。
『金』なら、例えそれがお金じゃなくても、お金になるなにかはもらえるに違いない。
この先、なにをするにも軍資金は必要になる。
うだるような暑さをほんの少し我慢するだけでお金が手に入るのなら、このチャンスを逃すわけがない。
「なーなーのー……」
「……お嬢さま。せっかくですし、もう少しがんばりましょうか」
「えー……」
でも私一人じゃやる気がでないから、せめてお嬢さまは最後まで隣にいてほしかった。
○●○●
「暑いのじゃあ……」
ガマンできなくなった妾は布団をとって立ち上がった。
「お嬢さまー」
と思ったら、七乃に押さえられて布団もとれなかったし、立ち上がることもできなかった。
「お嬢さま、ガンバ」
「えー……」
これ以上、なにをがんばれと言うのじゃ……
そう言おうと思ったけど、しゃべったらもっと暑くなるからやめた。
『この時点での脱落者は五人!まだまだ参加者の大半は生き残ってるぞ。しかし無情にもふるいにかけられてしまう参加者がここで何人出てしまうのか――第一の試練、登場!』
うるさいおっさんの声でもっと暑くなってくる。
目を開けてるのもしんどくなって、妾は目をつぶった。
「暑いのじゃあ……」
頭の、髪の毛の生えてるとこも汗をかいてる。
早くこんなのやめて湯浴みしたいのじゃ……湯浴みは熱いから、やっぱり水浴びしたいのじゃ……
「お嬢さま」
七乃の声が聞こえて、妾は目を開いた。
「なんじゃ……?」
「下、見てください」
七乃に言われて、妾は下を見た。
妾の目の前に背の低い机が置いてある。
その上に置いてあったのは……
「……ラーメン?」
なんでラーメンが置いてあるのじゃ?
『第一の試練は熱々ラーメンだぁっ!参加者のみんなにはラーメン一杯を完食してもらうぞ。途中で食べきれなくなってしまった者は、スープよりしょっぱい涙を飲んでの失格になるからな!』
『しょっぱいスープとは失礼アルね!』
『なお、今回の大会にも、主催者である『中華定食キンポーロー』の主人がきてくれているぞ。もちろんこのラーメンもキンポーロー特製のラーメンだからな』
『みんな心して食べるヨロシよ!』
なんでラーメン?
「なんなのじゃ、これは?」
「えーと……食べなくちゃいけないみたいです」
「誰がじゃ?」
「私とお嬢さまと……ここにいるみんなです」
「――えぇっ!?」
びっくりした妾は布団をとって立ち上がった。
「お嬢さまー」
と思ったら、また七乃に押さえられて布団もとれなかったし、立ち上がれなかった。
「なんでラーメンなんか食べないといけないのじゃ!?こんな熱いの食べたくないのじゃ!」
「それは、まぁ……我慢大会ですし……」
「理由になっとらん!ガマン大会ってなんじゃ!?なんで大会に出てまでガマンなんかするんじゃ!?」
「袁術、少しは落ち着け」
七乃と反対のほうから声が聞こえて、妾はそっちを見た。
そこには知らない女が妾と同じ布団ぐるぐるの格好で汗をかいていた。
「……誰じゃ?」
「私か?私の名は――」
「いや、だから名前はいいですってば」
女はちょっとだけムッとしてから、箸を持って机の上のラーメンを食べはじめた。
「なんじゃ、今のは」
「べつにほっといていいんじゃないですか。さ、私たちも食べましょうか」
「うむ」
妾と七乃はラーメンの横に置いてあった箸を持って、ラーメンを――
「――って、違ぁあうっ!」
妾は箸を力いっぱい机に叩きつけた。
ラーメンの汁がちょっとだけ跳ねた。
「……チッ」
「妾は食べたくないのじゃ!暑いのに熱いラーメンなんか食べたくないのじゃあっ!」
「お嬢さま。熱いのは今だけですから。時間が経てば冷めますし、食べるのはそれからでもいいんですよ」
「イヤじゃ!冷めたラーメンなんてマズいではないか!そんなのもっと食べたくない!」
「それじゃ、考え方を変えましょう。食べたくないものともっと食べたくないものがここにあるとします。どうしても食べなきゃいけないとすれば、お嬢さまはどっちを食べます?」
「どっちも食べたくない!」
「……じゃあ、こうしましょう。このラーメンを食べてくれたら、宿にあるハチミツ、一日いくら舐めても注意しません。これならどうです?」
ハチミツ……?
……なかなかいい条件なのじゃ。
妾は暑さでぼーっとした頭で、ちょっとだけ考えた。
ちょっとだけ考えたあと、ちょっとだけ悩んだ。
それからそのあと……
「……やっぱり食べたくないのじゃ」
いくらでもハチミツが舐められるからって、やっぱり暑いので熱いのはイヤだった。
「それなら――」
「食べたくないと言っているものを、無理やり食べさせるのはどうかと思うぞ」
また隣の女がしゃべってきた。
「だから誰なのじゃ?」
「私の名は――」
「もう食べ終わったんですか?」
七乃の声で、女が持っていたラーメンの器が空になってることに気づいた。
「あぁ、そうだが?」
「おぉっ!こんなに熱いのよく食べられたのう!」
「まぁ……このくらいの事は余裕だ。造作もない」
「すごいのじゃ!」
「ふっ。煽てても何も出ないぞ」
「すいませーん!この人がおかわりほしいそうです!」
七乃が手を上げて、女のほうを指さした。
「――はぁっ!?」
『おっと!早くも食べ終わった者がいるようだ!しかもおかわりまで要求しているぞ!ずいぶんと余裕じゃないか』
「いや、私は頼んで――」
『彼女におかわり持ってっちゃって!』
「お、おい!」
隣の女に新しいラーメンが運ばれてくる間、妾は七乃の顔を見上げた。
「ななのぉ……妾、やっぱり食べたくないのじゃ……」
「お嬢さま……」
「優勝もいらないから……もうやめたいのじゃ……」
妾は泣かなかったけど、代わりに何本も汗の筋が顔を流れていった。
七乃は最初は目を合わせて、それから下を向いた。
「……わかりました」
これで、ようやくやめられるのじゃ。
妾はほぅっと息を吐いて、とりあえずひと安心した。
七乃がゆっくり顔を上げる。
「私がお嬢さまのぶんも食べますね」
「……へっ?」
七乃は机に向き直って、「よし」と一回言ってから箸を持ってラーメンを食べだした。
「えっ?」
「お嬢さま。がんばりましょうね」
「えー……」
違う……そうじゃなくて……
確かにラーメンは食べたくなかったけど、それよりもこの大会をやめたかったのじゃ……
△▲△▲
「ふふっ……」
暑くない。
暑くない。
暑いと考えるから暑くなるのだ。
考え方を変えてしまえばどうとでもなる。
だからこれくらいの暑さなど、まだまだ涼しいくらいだ。
私もまだまだ余裕だ。
私は湿った手の甲で額の汗を拭った。
手にも汗をかいているせいか、拭っても拭ってもあまり意味は無かった。
張勲の奇策でラーメン二杯を平らげる羽目となってしまい、私だけ余計な汗をかく結果になった所為だ。
さすがは、奴も大将軍と呼ばれた武将。
やはり侮り難い。
しかし、だ。
私も最強と謳われた将だ。
このくらいの小細工で怯むはずがない。
小細工抜きの力技でねじ伏せてやればいい。
「ふふっ……」
まだまだいける。
まだまだ余裕だ。
暑くない。
暑くない。
私はまた湿った手の甲で額の汗を拭った。
『第一の試練、ラーメン地獄での脱落者は八人!』
『ウチのラーメンを地獄呼ばわりなんて、アンタ何様のつもりアルか!』
『参加者は、まだ半数以上は残っている。今年の参加者は去年よりタフなようだな!しかしここでまたしても、非常な運命の天秤にかけられてしまう――第二の試練、登場!』
大丈夫だ。
私は大丈夫だ。
まだまだいける。
まだまだ――
「なんじゃ……これ……?」
袁術の声によって、私は意識を取り戻した。
自分に言い聞かせているうちに、意識が遠くへ飛んでいってしまってたようだ。
危なかった。
私は運営委員の男たちが座卓の上に置いていった物を、目を細めて見下ろした。
「……針と、糸?」
何だこれは。
一体何をさせるつもりだ?
『第二の試練は、その名も激烈糸通しだぁっ!参加者のみんなには目の前にある白い糸を針穴に通してもらう。一見簡単そうだが、暑さで集中力を欠いている参加者たちには正に地獄の一丁目を逆立ちで――』
「い、糸通し……」
やられた。
我慢大会の試練というからには、単に忍耐力を要するものだけと思っていたが、当てが外れてしまった。
こんな細かい作業までやらされるとは思ってもみなかった。
裁縫――というよりも、今まで生きてきた中でこんな小さな針に触れたことすらない。
私に出来るだろうか。
……いや。
「やってみせる!」
私は座卓の上の針と糸を引っ掴むと、早速両腕を構えた。
要は、この細い糸を正確にこの小さな針穴に通せば良いだけのこと。
簡単だ。
私は右手に持った糸を、左手の針穴に近づけた。
だが針穴を通る直前に、まるで上体を反らすようにして細い糸が針穴を拒む。
「くっ……!」
何回か挑戦するが、思うようにいかない。
それどころか集中すればするほど、玉のような汗が体中から噴き出してくる。
「ぐぬぬ……!」
「ちょっと。静かにやれないんですか」
何十回目かの手の先の上体反らしの後、声が聞こえ、そちらを見やった。
呆れ顔の張勲と目が合う。
「……邪魔をしないでもらえるか。私は真剣なんだ」
「さっきから声ばっかり大きくて、全然ダメじゃないですか。うるさいんですよ。黙ってください」
「そういう貴様は――」
何気なく見下ろした張勲の前の座卓に、視線が釘付けになった。
糸が通っている。
「なっ……!?」
「いや、だからいちいちそういう暑苦しいリアクションとらないでくださいよ」
さすがは大将軍。
とてつもない早技だ。
「……くくっ」
「……なに笑ってるんですか。気持ち悪い」
面白い。
「――面白い!」
目の前の壁は高ければ高いほど、越えた時の達成感が大きいというもの。
私は越えてみせる。
この高く分厚い、強大な壁を。
「ぬぉおおっ!」
私は糸をつまんだ右手を何度も針穴へと突き動かした。
「ぬぉおおおっ!」
何度も突き動かした。
「ぬぉおおおおっ!」
何度も。
「ぬぉおおおおおっ!」
何度も。
「……はぁっ、はぁっ」
しかし、細い糸の先は針穴を拒み続けた。
荒い息の私は、気づけば先刻の比ではない量の汗をかいていた。
目に入りそうになる汗を手の甲で拭う。
負けられない。
私は負けられない。
絶対に勝ってみせる。
「なぁーなぁーのぉー……」
隣から間延びした声が聞こえ、そちらを横目で見た。
「妾にはできんのじゃあ……代わりにやってたも……」
「仕方ないですねぇ」
「――ちょっと待て!」
私は堪らず、二人の会話に割って入った。
「なんですか」
明らかに不機嫌な顔の張勲の睨みを受け止める。
「さっきから何だ。代わりにラーメンを食べたり糸を通したり……甘やかし過ぎじゃないか?」
「自分ができないからってひがまないでくださいよ」
「なっ……!違う!私は断じて僻んでなどいない!」
「べつにいいじゃないですか。初めのルール説明のときにだって、手伝ったらダメって言われてないんですし。そもそものルール自体が穴だらけなんですよ。落ち度があるとしたら向こうのほうです」
そう言うと張勲は、私に見向きもしないで袁術から針と糸を受け取った。
「さ、お嬢さま。糸にツバつけてください」
「うーむ……」
袁術が糸の先を咥える。
「ほら、舐めて」
「こうかや……?れろ……れろ……」
今度は糸の先を舐める。
「もっと……もっと舐めてください」
「ん……ちゅっ……れろ、れろ……」
「そうです……上手ですよぉ……」
「んぁ……ん……ちゅぅ……ちゅっ……」
とろんとした目の袁術が暑さに頬を紅潮させ、糸を執拗に舐めている。
口の端からは涎が少し垂れていた。
「あぁっ……そう……」
「れろ……れろ……んちゅぅ……」
「いいですよぉ……もっと舐めて……先のほうを、もっと丁寧に……」
……何が「いいですよ」だ。
明らかに趣旨が違ってるだろう。
呆れた私は、視線を手元に戻そうとした。
すると、参加者の男たちの妙な視線を感じた。
参加者のほぼ全員がこちらを凝視している。
隣で糸を舐めている袁術を。
「そうっ……あっ……お嬢さま……」
「れろ……れろ……」
「すごく……いい、です……よぉ……」
『――おぉっと!どうしたことだぁ!?参加者たちが次々と倒れていくぞ!』
「は、早く運びだせ!」
「みんな顔が赤いぞ!うわっ、あつっ!」
『参加者たちが次々と倒れていく中、自主的に脱落する者もいるぞ!』
『なんでみんな前屈みアルか?』
皆がばたばたと会場内を右往左往する中で、私一人が妙に冷静になれた。
再び針に糸を通してみる。
「……あっ、通った」
◆◇◆◇
「暑い……」
もうやだ。
帰りたい。
「暑い……」
でも、ここまできたんだから、なにがなんでも優勝して賞品をもらわないと。
それだけが私をまだこんなところへ繋ぎ止めている唯一の理由だった。
『第二の試練、激烈糸通しでの脱落者は三十人!今ので参加者が一桁にまで減ってしまった!恐るべし、激烈糸通し!さてさて、いよいよ大詰めとなる我慢大会の、ここが勝負の分かれ目――最後の試練、登場!』
私が布団に、顔にかいた大粒の汗を吸わせていると、妙な匂いが鼻をついた。
嫌な予感がした私は恐る恐る布団から顔を覗かせた。
黒い漆塗りの座卓の上に、見覚えのある器。
だけど中身はまるで違っていて――
『最後の試練は、激辛ラーメンだぁっ!参加者のみんなには激辛ラーメン一杯を完食してもらう!もちろんこの激辛ラーメンもキンポーロー特製のものだからな!』
『ウチの店で一番人気のメニューね!味わって食べるがいいね!』
『第一の熱々ラーメンと同じく、一切の水が飲めない状況でみんなには激辛ラーメンを食してもらう。水が飲みたくなったらここに準備してある水を飲みに降りてきてもいい。しかし、その時点で失格になるということもみんなには覚えていてほしい。地獄の辛さを味わい続けるか、優勝を捨てて天国の水へと飛びつくか、正にここは天国と地獄の境界線!例えるならそう、炎天下の中、イボガエルが――』
頭がくらくらした私は、額に手のひらを当てた。
じんわりと湿った汗の感触が伝わる。
さっきのラーメンでもしんどかったのに、それが激辛になるなんて……
「……ふふっ」
笑い声が聞こえて、私はそっちのほうをなんとなく見た。
例の女の人が私のほうを見て、勝ち誇ったような笑いを浮かべている。
「この勝負……貰った!」
女の人は箸をとると、器を空いたほうの手で持ち上げて中身を口の中へかき込んだ。
なにあれ、バカじゃないの。
「……ん゛っ!?」
女の人の手がぴたりと止まる。
かと思ったら、緩慢な動作で座卓の上にラーメンの器と箸を置いた。
「……辛ひ」
やっぱりバカだ。
だけど……困ったなぁ。
目の前のこれは、あの舌までバカになってそうな女の人が、食べ進めるのを躊躇うくらい辛いんだ。
そう考えたら、私は箸に触れることさえできなかった。
「――しかひ!わたひは!諦めなひ!」
女の人が騒ぎながら、またしてもラーメンをかき込んでいく。
やっぱりバカだった。
「にゃーにゃーにょー……」
お嬢さまが私にもたれかかってきた。
「どうしました?」
「もー、ヤじゃ……暑い……こんなのヤじゃ……今すぐやめたいのじゃ……」
私を見上げたお嬢さまの目に、涙が溜まっていた。
「もー……帰りたい……」
その声は、半分泣き声に近かった。
……なにやってるんだろ、私。
お嬢さまのためにここまでやってきたはずなのに、こんな辛い目に合わせちゃうなんて。
私、どうかしてるなぁ……
「ななのぉ……」
私はこぼれ落ちかけたお嬢さまの涙を指で拭った。
「……お嬢さま」
お金なんて稼ごうと思ったら、いくらでも稼げる。
でもお嬢さまは、今目の前にいるお嬢さましかいないんだから。
もっと大事にしないと。
私は決めた。
「お嬢さま」
『さぁ、激辛ラーメンを完食して優勝賞品を手にするのは一体どの参加者なのか!』
お金なんて……
『豪華賞品を――』
お金なんて……
『ここでしか手に入らない――』
お金……
『金――』
お……
「お嬢さま」
「ななのぉ……」
私はとびっきりの笑顔で、お嬢さまに笑いかけた。
「私が、お嬢さまのぶんも食べますね」
「……ほへっ?」
私は箸をとり、思いっきり握りしめた。
「な、七乃?」
お金がほしいとかじゃない。
ここまで進んだ道を引き返すなんて、諦めることなんてしたくなかった。
水の泡になんてしたくない。
例え優勝賞品がお金にならないようなものでも、ここで勝った証を形にしたい。
こんな私にだって、意地くらいある。
そうと決めたら、私は箸で麺をつまみ上げていた。
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中編です。
やぎ座のA型な私は、説明文がくどくなる傾向があります。