砦の外で陣を張る兵達は丁度夜の食事を取るところで、各所から火を焚く煙が立ち上り良い匂いが漂ってきていた
男はフラフラと焚き火の周りに集まる兵の元へ行き、腰を下ろすと兵達はお疲れ様ですとばかりに集まり
火で煮込んだだけの料理を器に移し男に手渡した
「これ、先刻釣ってきたんですよ」
「おい、小便に行くとか言ってそんな事やってたのか。すいません昭様」
「あぁ、構わんよ。美味そうな魚じゃないか、秋蘭に食わせてやりたいな」
百人将の一人が魚を釣ってきたという兵士の頭を殴り、男に謝るが男は笑顔で許し美味そうに焼けた魚を
みて妻にも食べさせたいと呟いた。暗闇の中、ゆらゆらと燃える炎が辺りを暖かく照らし
笑顔で集まる兵に男は柔らかい笑顔を返していると、急に周りの兵の顔が固まり不思議に思って振り向くと
そこには秋蘭が立っていた
「魚、俺が呉の柴桑で食べたのと同じものだ。秋蘭に食べさせたいと思っていたんだ」
「ほお、美味そうだ。帰ってきたときに話してくれたモノだな」
兵達は持ち場を離れた事がバレたと硬直し、秋蘭が男の側に歩くのを見て波が引くように兵士達は離れていく
「で?この魚はどうした。生物など携帯できん、まさか持ち場を離れ釣ってきたのではあるまいな」
「俺が頼んだ。秋蘭に食べさせたいと思ってさ、華琳には内緒にしておいてくれ」
「フフッ、悪い夫だ。約束は出来んぞ、華琳様に問われたら私は報告せねばならない」
焚き火の側に座る男の隣に腰を下ろし、衣服を正すと差し出された焼き魚を一口、上品にほおばると
よほど美味かったのだろう、何時もの兵士達の前でしている少し冷たい表情が僅かに柔らかいモノになり
兵達は男がかばったこともあり、また寄せる波のように集まって行った
「夏侯淵様、此方はどうでしょうか?温まりますよ」
「いやいや、此方のほうが美味い。俺が長い兵士生活であみ出した一品をだな」
などと、男の隣に座る秋蘭はやはり何時もの近寄り難い雰囲気ではなく。柔らかく、何方かというと
温かい雰囲気を持つ事を皆は知っており、手に持つ糧食を次から次に差し出していた
「そんなに食えはしない。気持ちだけありがたく受け取ろう、皆早く食事を済ませて休めるものは休め」
何時もそうそう見ることのない表情に兵士達は顔を赤くし、頷いて食事の手を早めていた
「人気があるな、皆秋蘭の事が好きみたいだ」
「妬いたか?」
「ああ、勿論」
兵士達の姿を見て呟いた言葉に秋蘭は驚き、嬉しかったのか魚を置いて男の腕を取って頬を摺り寄せていた
「皆見ているぞ、珍しいな」
「良い、死ぬつもりなど毛頭ないが明日、我が身がどうなるかわからんのだ。だから恥ずかしいが甘えることにする」
「それが良い。だが、お前たち二人は私が守る。心配するな」
体を寄せて寄りかかる秋蘭の隣に座ったのは春蘭
兵達は春蘭の参加にも声を上げ喜び、秋蘭にした時のように食事を器に取り分け差し出していた
「姉者も皆と食事をしていたのだな?」
「ああ、霞は元より季衣と流琉も同じように皆と食事をとっている。私の真似だそうだ、私は昭の真似だというのに
私がしていることを凄い事だ等というのだ。おかしな事だろう?」
苦笑する春蘭は兵から差し出された物を口にし、皆と言葉を交わしていた
昔の彼女からは考えられなかっただろう。土嚢を運んでいた時もそうだったが
彼女は将として他の誰よりも成長をしているのだと男は感じていた
「それで、会議は終わったのか?」
「いや、まだ終わらないどころか未だ何も決まっていない」
「そうか、出来ることならば皆を死なせたくはないものだ」
真っ直ぐな瞳で兵達を見る春蘭に男は頷き、秋蘭はより強く男の腕を抱きしめるのだった
皆が兵の再編成。策の構築を行う中、男は相変わらず兵達と共に砦の修理をしたりフラフラと皆が食事をする輪の中に
入ったりと自由気ままに歩きまわっていた
放った斥候からは赤壁で呉と蜀が合流を果たしたとの情報が入り、さらには黄蓋が司令官に武器を向けたと言う事で
鞭打を受けたとの事が耳に入ってきていた。皆はそれぞれに驚いてはいたが、男は相変わらず
戦が目の前に迫っているというのに、華佗と釣りをしたりしていた
「釣れないなぁ、長江の魚はどんな餌だと食いつくんだ?」
「それより良いのか?こんな所で俺と釣り等していて」
「大丈夫だ、それよりも腹がへった」
「ハッハッハッ、お前と居ると戦場だと言う事を忘れるな」
などと河で椅子をおいて釣り糸を垂れる二人。空は晴天で温かい風が吹き、二人はうつらうつらと眠りこけそうに
なっていた
「兄者っ!南から船が此方に向かって来ているようです」
「ん~?そうか」
「そうかって、向かってきているのは呉の船ですよ。しかも旗は」
「知ってる。それより釣竿頼む、華佗は・・・寝てるな。仕方ないか、ここの処、ずっと皆の治療をしてたしな」
息を切らせ、的盧を走らせて情報を伝えたというのに当の兄は何時もの調子、それどころか首をゴキゴキと鳴らし
腕を伸ばして背筋を伸ばし、あくびを一つすると弟の前髪を徐に掻き上げ、額の包帯を見ると頭を乱暴にではなく
優しく撫でて砦の方へとゆっくり歩いて行く
一馬は兄を追おうとするが、急に渡された竿が引っ張られそれ気がついた兄に「お、逃がすなよ。秋蘭の晩飯だ」
と言われ「えっ!姉者のっ!?」と必死に魚と格闘し始め男は手を振りその場を後にした
さて、此方から特に動いてはいない。ということは恐らく呉から逃げ出したという形で此方に来ているんだろうな
一馬が的盧で此処に来たならまだまだ砦に来るまで時間があるか、中でゆっくり待たしてもらうとしよう
などと考えながら砦に向かえば、砦の中でざわつく兵達。兵の垣根を前に男は一人ひとり声をかけて
兵の囲む中心へと進んでいけば、目に映るのは黄蓋と武器を交える霞の姿
「ほお、武を誇る者だと聞いておったのだが腰を落ち着けて戦う事が出来るようだな」
「ウチを知っとるとはアンタ何者や?返答次第では叩き切ったる」
黄蓋殿、一人で此処に来るとは大したものだ。この大軍の中を潜入してきたのか?
一馬の話の船は恐らく黄蓋殿を慕う者達なのだろう。わざわざ一緒に来るとは、よほど信頼されているのだな
武器を構え直すと同時に発する霞の盾の様な気迫。相手を押しつぶすように広がり背後には穏やかな空気が流れる
「面白い、守る者の気迫か。それを使える者はそうは居らん、少々本気を出さねばならんか」
シィイイッと口から息を搾り出す霞に挑発的な言葉を放つが霞は瞳を静かに体をユラリユラリと揺らし
その場に留まる霧のようにゆっくり腰を落とし、大地を掴むようにしてつま先に力を入れた
今にも凄まじい剣戟がぶつかり合うと兵達は息を呑むが、そんな空気を男は気にすること無く
演劇を見に来たかのようにキョロキョロと黄蓋の動きや様子、一緒に連れてきた少女を見ていた
ん?黄蓋殿の後ろに隠れている少女は誰だ?諸葛亮くらいの背の高さに魔法使いみたいな帽子だな
もしかしてあれが龐統か?面会するのに黄蓋殿と共に来たか
一人兵の後ろで黄蓋の動きをじっくりと観察し、思考を読もうとするが相変わらず何も読めず
後ろにいる「あわわわわ」と顔を帽子で隠している為か、この少女の思考も読めず男は残念だと思っていると
激しい剣戟の音と共に霞が距離を取るために後ろへ下がった
黄蓋は動かずその場に立ったままで、霞は少しだけ悔しそうに舌打ちをする
「何事だ、侵入者とは貴様の事か?」
「む、その蒼い衣装と武具、手に持つ弓。御主が夏侯淵か」
秋蘭の登場に霞はチラリと視線を向けるだけ、黄蓋はこれがあの夏侯淵かとばかりにその佇まいを良く見ていた
自分との戦いであるのに急に意識は自分からそれてしまったことに霞は顔を少しだけ怒りに染める
・・・まだダメか、血が上るのが早過ぎる。あれじゃ挑発に乗りやすいと思われるな
見ているのはここまでかと思った男は兵の間から抜け出し、霞の前に立つと頭をポンポンと撫でて額を指先で押す
霞は急に目の前に現れた男に少しだけ驚くと、何時もの調子で頭を撫でられ、額を押される頃には
怒りの表情が消え去っていた
「何や?昭の知り合いか?」
「ああ、呉の宿将。義将、黄蓋殿だ」
「へ・・・なにぃっ!!」
驚くのも無理はないな、何たって兵の眼を掻い潜り二人でこんな所に来ているんだから
俺は霞が俺を守ろうと体を前に出ようとするのを止めて、秋蘭の方に笑を向ければ秋蘭は手に持つ弓を腰に
矢を矢筒へ仕舞い、俺の隣に立つ
「ようこそ居らっしゃいました。お二人だけで居らっしゃるということは戦をしに来たのではなく
何か話をしに来たと言うわけでしょうか?」
「おお、流石よな。儂の姿を見るなり武器を向けるではなく礼を取るとは、曹操殿の気品、教養が見て取れる
例え敵対しておっても礼を尽くす。これが将のあるべき姿よ」
男が黄蓋に対し礼を取った事を賞賛し、自分自身も礼を返す黄蓋
隣に立つ秋蘭も同じく礼を取り、黄蓋はその姿を絶賛していた
「貴殿の言うとおり、曹操殿に話をと参上した。御目通り願えんか」
「ええ、勿論かまいませんよ。ところでそちらの方は?」
「鳳雛と言ってな、呉で面倒を見ておった・・・いわば娘か弟子のような者だ」
娘、弟子か。歴史を知っているからこそだろうな、龐統と言うのがバレバレだ
此処で突っ込むのもおかしいし、せっかく俺が知っている策をわざわざ持ってきてくれたのだから
それを壊す事もない。だが少しだけ、疑う素振りも見せなければかえって怪しまれる
敵が連れてきた知らぬ人物を最初から信じるなどすれば、変に警戒されかねん
「そうでしたか、ですが少々気になることが。失礼だと思ったのですが眼を見させて頂いたところ
そちらの方の思考が読めません、もしやそちらの方も真名に風を?」
「うむ、構わぬ。寧ろその行為は曹操殿を守るため、気にすることは無い。珍しいだろうが儂と同じで
風の真名を持つものでな、呉にいては魏に勝つためと変に利用されそうだったので連れてきた」
紹介された鳳雛は俺の前でちょこんとお辞儀をしてまた黄蓋殿の後ろへと隠れてしまう
ふむ、見たところそれほど気の強い性格ではないか。大きな音や俺が殺気を放っても体を震わせてしまいそうだ
本質は解からんが、将であるだろうしいざとなれば強い心を見せるだろうが
まぁいい、パッと見で全ては掴めない。だが人は見た目が全てでもある、動きや動作、口ぶりだけでも
性格や趣向を予測させてもらうとするか
「なるほど、承知いたしました。それでは」
俺は片膝を着けて両手を差し出す。すると黄蓋殿は理解したのか武器を、弓を俺に手渡してくれた
その姿に驚く霞と周りの兵士
「王に謁見するのだから当然であろう」
「ご理解頂き有難うございます。それではご案内いたしましょう。霞、華琳の元へ先に行って伝えてくれるか?」
「え!ウチ?それは構わんけどホンマに大丈夫なんか華琳の所に通して?」
俺の指名に驚き、いきなり現れた敵将に対し訝しげに睨みつけると黄蓋殿は「曹操殿の暗殺でもしようか?」
などと嘯き、霞が再び武器を構え周りの兵士達も声を上げ睨みつけながら槍を構えて向けるが
「それは面白い」
と男が一人大笑していた。男が笑えば秋蘭も安心して冗談だと理解し、口元に手を当てて微笑んでいた
「あーあほらし。華琳とこ行ってくるわ、あんたらゆっくり来たらええ」
霞も兵達も男の笑いに危険は無いと思ったのか武器を収め、霞に至っては馬鹿らしいと頭を一かきして呆れると
身を翻し、堰月刀を振り回しながら華琳の居る中央の天幕へと一人さっさと行ってしまった
「やはり御主は別じゃな、柴桑で相対した時のように儂を前にして落ち着きはなっておる」
「いえいえ、黄蓋殿には敵いません。それでは此方へどうぞ」
案内をする為、天幕の方へと俺と秋蘭で先導して向かえば兵達は列を作り黄蓋殿を迎え入れる形を作り出す
その姿に黄蓋殿は心底感心したようだ
「皆、儂が伏兵部隊をあのようにしたと知っておろう。なのにもかかわらず儂に憎しみをぶつける訳ではなく
このように礼を尽くし迎え入れる等と、今だ袁術への恨みを忘れぬ呉の兵に出来ようか」
「ええ、皆素晴らしく自慢の兄弟ですよ。ですが呉の方達も捨てたものでは無いでしょう?
聞いておりますよ、都督殿と仲違いをされたようで想像するに黄蓋殿は呉を抜けだしたのでは?
貴女を慕って兵士が此方に向かっているようですよ」
「む、なかなかに情報が早い。優秀な斥候が居るようじゃ。しかし儂を追ってきた兵とはあ奴ら」
俺の言葉に少々驚いた様子の黄蓋殿。知らなかったのか?それともフリか?思考が読めんから
全く解らないが、演技の様な様子も見受けられる。まぁ良い、何方にしろ一度、調べさせてはもらうし
一纏めにして置けばいいだけだ
真っ直ぐ砦の中央にある大きめの天幕へと入れば心配した真桜が俺の側に駆け寄り、凪と沙和も同じくして
俺の側へと集まると、真桜は体を黄蓋殿との間にはさみ凪と沙和も俺を固めるように左右に立つ
「呉の将なんやろ隊長。変な事されんかったか?」
「大丈夫だ、それよりも華琳はどうした」
「華琳様は霞様の報告を聞いて、折角だからもっと広いところで話を聞きたいと外へ」
「天幕の後ろの旗を立ててたところに椅子と机を運んで、お茶もお菓子も用意してたのー」
槍と拳を構える凪と真桜。俺は槍を掴み、拳を下げさせ「客人だ、失礼なことはするな」と言えば
やはり霞同じ、驚いた表情を俺に向け黄蓋殿は笑っていた。血の気が多過ぎるなどうも
これでは黄蓋殿に未熟だと言われてしまうぞ
しかし沙和はお茶と菓子の用意でちょっと嬉しそうだ。改めて思うがこの二人に沙和の組み合わせは丁度いいのだな
沙和だけは少々落ち着いて対応できているようだ、と言っても頭の中はお茶とお菓子なんだろうが
「そうか、では案内してくれ。黄蓋殿が華琳に話があるらしい」
「はーい、御茶ー♪お菓子ーっ♪」
新城を出てて久しぶりに茶と菓子を楽しめると沙和は大喜びだが、客人が場から立ち去ってからにしてくれよ
と俺は少し溜息を吐き、秋蘭は案ずるなと耳元で囁いてきた。子供じゃないんだから秋蘭の言うとおりなんだが
喜びようを見るとなんだか不安でしか無い、というのが正直なところだ。奔放な妹たちを持つ
兄の心境と言うのはこういうモノなのだろうか
少々不安気に案内されるまま黄蓋殿と鳳雛を導き、案内された場所へと向かえばそこは牙門旗の真下
日当たりも良く、柔らかい風に牙門旗がたなびく。少々大きめの机、軍議をするときのものよりも大きなモノ
が用意されていた。恐らく劉弁様がいらした時に用意したものだろう、用意された茶も菓子も新城で
名のある店から持ってきたものだ。これは悪い言い方なら余り物だろうな
椅子は三つ、一つの席には華琳が座り、隣を春蘭と霞が固め桂花、稟、詠、無徒、季衣、流琉が立ち並び
この場に着いた凪達三人も同じように並び、俺は椅子を引いて黄蓋殿に進めると同時に
秋蘭は隣の椅子を引いて鳳雛に座るように促した
すると黄蓋殿は華琳に礼を取り、鳳雛も慌てて同じように礼を取る
華琳はその様子を見て、俺にチラリと視線を送って来た。どうやら自分が思っている様な事かと言っているようなので
俺は頷き返す「恐らくは考えているとおりだ」と。すると華琳はゆっくり、余裕をもって立ち上がり返礼した
「まさか突然現れこのように饗されるとは思いもよらなんだ」
「此方も貴女ほどの将が此処に兵も連れず現れるとは思っていなかったわ」
礼が済めば、華琳の着席を待って黄蓋殿がゆっくりと俺が引いた椅子へと座り
稟が丁寧に茶と菓子を持って給仕し始めた
さて、一応華琳の側に立つのも良いが側に居たほうが機微が解る。秋蘭は華琳の側に・・・
等と考えていると、秋蘭はそっと誰にも気がつかれないように袖を掴む
目を見れば離れたくないと少し下がった眉と濡れた瞳が言っていた
心配性だな本当にと思いながら、黄蓋殿から少し離れた所で秋蘭と二人で立つ
どうも何かあったときには華琳には春蘭と霞が居るから大丈夫、だが俺は心配だと言うことらしい
「それで、霞から話を聞いたけど何か私に話があるそうね」
「うむ、率直に言えば魏に降らせてもらおうと思ってな。もはや儂の、いや盟友孫堅と共に夢見た呉の姿は
無く。民の安寧を壊し心を裏切り、果ては陛下のお心までも踏みにじった。儂も敵国を討つためならばと耐えに耐えたが
もう限界だ。それに加え先の戦であそこまでの攻めを見せながら何を怖気付いたのか、あと一歩のところで攻め手を
緩め退きおった。これ以上無能な指揮官と共にいては兵を無意味に死なせ、戦を長引かせるだけだ」
怒り心頭と言ったところか黄蓋殿は酷い剣幕で、と言っても物腰は落ち着き強い口調でだが
よほど耐え切れぬとの事なのだろう。握りしめる手は白く、歯ぎしりまで聞こえてきそうなほどに憤怒していた
さて、これは演技なのかと聞かれれば俺は否と言うだろう。ということは本心でもあるということだ
だが本心はきっとその中で半分と言ったところだろう、上手な嘘の付き方は嘘にほんの少しだけ
本当の事を混ぜることだ。だから黄蓋殿の言葉から本心を抜き取るなら、民の安寧、陛下のお心、耐えに耐えた
後は全くの逆、無能ではなく優秀な指揮官、援軍に対する素早い判断、戦を早く終わらせる
つまりは優秀で機を見ることの出来る指揮官が、戦を早く終わらせるために何か企んでいるぞということか
多くの人達と交渉をし続けてきたかいがあったというものだ、眼を使えずとも言葉からその仕草から
探れば良い。貴重な情報を有難うと言っておきましょうか
「どうした?」
「いや、義将であると言った言葉が偽りにならずに済んだと思ってな」
つい笑っていたのだろう、不思議に思った秋蘭がさりげなく目線だけで俺の顔を覗き怪訝な顔をする
なので聞かれても差し支えないよう答えれば秋蘭は少しだけ不思議な顔をして目線を戻した
鳳雛はそんな俺と秋蘭を見ていたが、秋蘭の髪に隠された表情の機微に気付くはずもなく俺に気がつかれないように
そっと前を向きなおしていた
「随分な話だな。此方の兵をあれほど殺しておいてよくもぬけぬけとそのようなことが言える」
「落ち着きなさい春蘭。一番の原因というのは周瑜との確執かしら」
兵を殺された事を思い出したのだろう、春蘭の赤い目は燃えるよにギラつき黄蓋殿を睨む
周りの皆も動揺に怒り、辺りにはヒリついた空気が流れる
詠は大丈夫かと思い、目線を移せば詠の隣に立つ無徒が優しく手を握って詠を守るように立っていた
俺の言葉から皆に情報が伝わっていると理解していたのだろう、黄蓋殿は徐に椅子から立ち上がり
「その通り、証拠として、ほれ」
いきなり胸元をはだけ、上半身の衣服を脱ぐ。俺は慌てて後ろを向き、見ないようにとしていたが
秋蘭が俺の袖をぎゅっと握って「バカ」と呟いた
どうしようも無いということも、公衆の面前でなにより客人の前で騒ぎ立てられないということで
拗ねたように眼を潤ませ頬を少しだけ染めて俺を責めていた。胸が高鳴るほどに顔も仕草もとても可愛いのだが
後でどうやって機嫌を取ろう、とりあえず一馬が魚を釣り上げることを祈らねば
「なんじゃ、舞王殿は初心じゃな。耳まで真っ赤ではないか」
「昭は真面目なのだ、不貞もせぬしこのような場で肌を露出させることなど思っても見ない事だろう」
顕になった肌に無数の鞭で打った痕。その痕に季衣や流琉は痛そうに顔を顰め稟や桂花達はなるほどと
いった風に頷く。無徒も俺と同じように後ろを向いて詠に「見ないの?」と誂われ
「もう見飽きました」と返して二人は笑っていた
俺を誂うように話す黄蓋殿に春蘭は俺を庇い「早く仕舞え」と一言
布ずれの音が止み、秋蘭が「もう良いぞ」との言葉で正面を向くが、どうもやり辛くなったというか何というか
「なるほど、それが周瑜との諍いで負った傷という訳ね」
「うむ、私怨と言われても仕方はなかろうが、儂が堅殿と夢見た呉をあのような無能な者達に踏みにじられるのは
耐えられん。せめて儂の手で今の呉を、まだ誇りを辛うじて保っている状態で引導を渡してやるのが呉に仕えた
慧眼の舞王に義将と称された儂の勤めであると思っている」
そう言って俺を見る黄蓋殿。相変わらずの砂嵐の思考ではあるが、言っていることは解る
華琳がもし民を裏切り、誇り無く信念無く武を振るうならば俺は迷わず華琳を殺すだろう、同じだ
本当なら辛いことだ、本当ならな・・・
「黄蓋、ならば我が軍に降る条件は?」
「呉を討つこと。そして・・・全てが終わった後、この儂を討ち果たすこと」
黄蓋殿の言葉にそこまでの想いで魏に来たのかと春蘭達将は言葉を無くしてしまう
呉を討ち取ったとは死ぬつもりなのだと
「孫呉が滅びたのならばこの儂に生きている意味などありはせん
ならばせめて、あの世で我が友に侘びの一つも入れさせて欲しい」
胸を張り、堂々と死兵となることを口にした。恐らくは呉を討ち取ったあと、真の呉の将として一人
魏に戦いを挑むのだろう。理解した春蘭はもはや聞くことなど無いと目を伏せる
霞は少しだけ納得がいかないのだろう。気質が俺寄りになっていることもあるんだろうな
生きて守る事を心情とするならば、死ぬことを考えるのは納得がいかなくなっているのだろう
「悪いけどその条件は呑めない。昭から進言されているの、呉を治めたとき必ず黄蓋、程普の二人の将は
捕え、力を借りよと。だからこの話は無かったことに、呉へ戻りなさい黄蓋」
よほど予想外の言葉だったのだろう。まさかここまでの思いを打ち明けたというのに、疑うのでは無く
昭に言われたからと言うだけで首を縦に振らないのだから
「恥を忍んで此処まで来たというのに、まさかそのようなことで断られるとはな」
「ええ、私も昭に同意見だからね。貴女を追って敵軍犇めく中に来た兵がいる等と報告を受ければ尚更でしょう?
別に江東を治めよ、太守になれ等と言っては居ないわ。それほどの信念と義があるならば
呉を治めたいなど口にしないでしょう?」
全てを見通したと言った風に話す華琳。黄蓋殿は眉根を寄せて立ち尽くす
此処で帰れば策は全て水の泡。それどころか連れてきた鳳雛の策さえも崩れてしまう
だが何があってもそれだけは口にできないと言うことだろう
もし口にすれば己の信念と義を失うことになる。例え嘘でも魏に力をかす等と言えば
兵達を、呉の皆を裏切る行為であるからだ。だから言えない
「呉を治めたとき、必ず宿将である貴方様方の御力が必要となります。この戦いが終わり、皆が平穏を手に入れた時
民には我等新しき人間の言葉などよりも古き賢人の言葉を。地に足をつけた方々の力なくしては真の平穏は有りません」
男は一人、前へ出ると黄蓋殿の目の前で膝を着き頭を垂れて腕を組み上下に二回振り
再拝稽首という最高の礼を取る。そして静かに頭を地に着けた
何の躊躇いもなく最高の礼を取る姿に黄蓋は愕然としてしまう
「何卒お願い申し上げる。魏の為ではなく、呉に住まう者のために御力をおかし下さい」
言葉は魏のためではなく民の為。私利私欲ではなく、見栄や面子でもなく
唯々民の為と頭を下げる男に大きな誇りを見た黄蓋は服を握りしめた
己の心もまた熱くさせられていたのだ、目の前で深く頭を垂れる男に肌が泡立っていた
黄蓋が口を開けず、鳳雛も同じように目の前の出来事に戸惑っていると
秋蘭が同じ様に男の隣で頭を垂れ稽首を取り、春蘭も同じくゆっくりと男の隣に立つと膝を折り頭を深く下げた
同時に凪達もまた同じように男の後ろで礼を取る
「・・・御主は本当に影じゃな。それが曹操殿の言葉、想いか」
椅子に座りその様子を見る華琳は少しだけ手に力が入って居ることが黄蓋の横目に映り、ボソリとつぶやく
「解った。だがそれは呉が完全に吸収され、儂も死ななかった時が条件だ。私怨なれば生き恥を晒し、生き続けるのも
罰となろう。戦には手をかさぬが民の為に身を捧げることを約束する」
頭を下げる男に近づき、黄蓋は手を取り握る。そして立ち上がらせ黄蓋は返礼として拱手という
腕を組、間に頭を通すようにする礼を返す
その姿を信じられないとばかりに驚いた表情で鳳雛は見ていた
「有難うございます。孔子の言葉にも有りますように我等は先人の知識、そして経験から学ばねばなりません
同じ過ちを、二度と戦など起こらぬ国を作るため。王の理想はそこに有ります」
「温故知新か、より良き秩序を建てるためには我等の知と経験が必要と言うか。嬉しいことよ」
男と黄蓋が固く握手を交わすところを見て、華琳は椅子から降り黄蓋の前へと進む
同時に秋蘭と春蘭は立ち上がり、華琳の両脇を固めるように立つ
「呉の討伐に貴方を加え、私の真名を呼ぶことを許しましょう」
「華琳様っ!」
討伐どころか真名までを許す華琳に桂花は抗議の声を上げた。当然だろう、彼女が此処に来たのは
罠か、それとも策か。疑うのが軍師としては当たり前なのだから
「何か不満でもあるの?」
「無論です。これが演技であると言う可能性もあります。幾ら礼を取り合ったとしても
軍師として疑いをなくすことは出来ません」
桂花の抗議に華琳は余裕のある笑みで返し、己自身も完全に信用しているわけで無いと言った
そして男に自分の真後ろに立つようにと促す
「義将である黄蓋が此処までしているのだもの。計略というならそれを見届けた上で使いこなして見せるのも
覇王の器というモノ。そして真の呉の将と言うのならば此方に牙を向いたとしても裏切とは言えないし」
「儂が魏に仇なすならば容赦はしないということか」
黄蓋の言葉に頷く華琳。桂花も納得は出来ないが、華琳の器をそして言葉を信じるだけだと仕方なく納得していた
そんな中、稟は別段表情を変えず。詠は腕を組んで稟を見ながら何かを考えているようで
季衣と流琉は早過ぎる展開と流れが良くわからず無徒の講釈を聞いていた
「ならば儂は王者に対し、非礼を働いてはなるまいな。華琳殿」
「真名は?」
「祭風(サイフォン)」
「なるほど、昭が心を読めない相手という訳ね。しばしその名を預かっておきましょう」
偽りの真名を口にする黄蓋は非礼であると解っているからだろう。少しだけ嫌な顔になってしまうのを隠すために
眼を伏せ顔の表情を無理やり隠した
だからだろうか、黄蓋はふと口を開き「儂なりの評価を三夏に」と言って華琳を真っ直ぐに見る
「これは舞王の最高の礼に対するお返しだと思って欲しい」
「ええ、解ったわ。それで私の三夏をどう評価してくれるのかしら」
期待のこもる華琳の眼差しに黄蓋は少し微笑み春蘭、秋蘭、そして昭とそれぞれを見まわし
「右手に大剣、左手に剛弓、背中に金剛盾。三夏とは華琳殿の武具」
三夏はそれぞれ華琳に対する民や兵を表していると言う。右手の大剣は誇りを、左手には忠義を、背には心をと
「背に背負うは兵の心、命。誰にも砕けぬ金剛の盾か」
評価に満足だったのか、久しぶりに見る満面の笑みで「なかなかの見立てね、昭の眼に引けを取らないかもしれないわ」
と言って、彼女に少し大きめに天幕を貸し与えるよう稟に指示を出した
「さて、儂に見張りの将を着けるのであろう?」
「そうね、一応はつけさせてもらうわ。昭」
背後に立つ男に誰か着けるようにと指示をすれば、黄蓋は何故、舞王が見張りを選ぶのだ?と少々不思議がっていた
なので男は「私は魏で警備隊や刺史の様な事をしているのですよ」と答えれば「王と同列のものが警備隊?」
と吹出し笑っていた。普通ならそれほどの位置にいて警備隊を率いている等と誰も考えないだろう
もっと上の要職について当たり前だと
「ククッ、すまんすまん。余りに意外だったものでな。では舞王殿の一番信頼している将を着けてもらおうか」
等と言われ、男は「じゃあ真桜」と即答し凪と沙和は動きが固まっていた
「えっ?ちょ、隊長っ!?」
「ん?何か問題有るか?」
「いや、問題はあるというか無いというか・・・」
「嫌なら変えるぞ、凪か沙和。黄蓋殿についてくれ」
男が凪と沙和に振り向けば、真桜は「いや、イヤや無いっ!行ってきますっ!!」と答え
黄蓋はまた大笑いをしていた
「昭殿は人気者のようだ。選ばれなかった者が気を落としておるぞ」
「え?いや、三人とも信頼はおけますが今、見張りとなるならば真桜かなと」
「なんじゃつまらん。ならばキチンと言ってやらんとあの年頃の娘は直ぐに気落ちしてしまうぞ」
笑いながら言われた男は暗い顔をする凪と沙和に不思議そうな顔をし、とりあえず二人の頭を撫でた
「何を気落ちしているのか分からんが、沙和は負傷した兵の看護を手伝うんだろう?凪は砦の外で前線の兵と見張り
真桜は丁度砦の修復が終わって手が空いてるから選んだんだぞ。三人共、手が空いていたら三人に着いてもらった」
と説明をされれば二人は何処かほっとした表情を浮かべて真桜も何処か安心したように溜息を吐いていた
元々差別したり誰かを特別視したりすることは無いと分かっていても、やはり一番に等と言われると
期待をしたりしてしまうらしく、そんな自分たちの心が嫌なのか二人は顔を赤くしていた
「う~ん。何となく理由が解った、俺の配慮が足らなかったな。すまない」
「そ、そんなことは有りません。自分が恥ずかしい・・・」
「でも三人共、隊長の一番信頼がおける将って解ったから嬉しいのー!」
二人は笑顔になり、気持よさそうに男の撫でる手を味わい
真桜はその姿に安堵したのか鳳雛と黄蓋を此方に来るようにと促す
「それでは失礼する。未だ話はあるのだが、それは後にでも」
「ええ、昼なら真桜か昭に。夜は直接私の所へ来ても良いわよ」
等とまるで暗殺しに来いと言わんばかりに際どい事を言う華琳に黄蓋はまた豪快に笑い「そうさせてもらう」
といって真桜の後に着いてその場を後にした
黄蓋殿の去る姿を見送っていると、なにやら冷たい空気が頬を抜ける
よく感じることのある馴染みのあるそれは、俺にはとてとてもとても厄介なもので
出来ればこの世で感じたくないモノの一位に入るであろう
「一番はあの三人か?」
そう耳元で囁かれ、ゆっくり振り向けば少し怖い笑を浮かべる秋蘭が俺の肩を掴んでいた
そういう意味ではないと言うのは重々承知しているのだろうけど、先程の黄蓋殿の件もあるのだろう
「あの時見えたか?それとも見えなかったか?」
温故知新、黄蓋殿。どうか戻ってきて貴女様の知恵と経験でこの状況から脱する術をお教えください
流れる嫌な汗をそのままに、俺は頭の中で大嫌いな神に祈りを捧げた
神よ、どうか一馬の釣竿に大量の魚がかかっていますようにと・・・・・・
Tweet |
|
|
55
|
12
|
追加するフォルダを選択
黄蓋、魏に参上
原作とはちょっと違う感じをお楽しみ下さい
今回はNight様のSS最終話UPに触発されて
続きを表示