「斬蛇剣か・・・。アレほど陛下の意思を表すものはあるまい。なにせ国宝、如何に姉君である劉弁様でも
持ち出せぬ物じゃからな」
「ええ、劉弁様以上の陛下の意思であるとの証明。覆す事など出来ませんでしょう。ですがそれがいい」
黄蓋の言葉に隣に立つ周瑜は前方で巻き上がる砂煙を見ながら隣に居る黄蓋に心の余裕があるのか、徹底的に崩された
自分たちの大義と低迷する士気の中、一人微笑をたたえていた
倒壊した壁から入り込む朱に染められた鎧を纏う呉の兵士達
地中に杭のように埋め込まれた丸太を抜き取り、踏み倒すように砦内へと入れば
即座に反応した沙和が兵を集め侵入者を押し出そうと破壊された壁へと駆けつけていた
「お前たちーっ!大義は我等に有りなのーっ!呉のクソ共のケツの穴をその槍で増やしてやれなのーっ!!」
少々下品な言葉で兵を鼓舞しつつ、侵入者に壁のように立つ沙和
後ろからは沙和の声と言葉の落差に身を震わせ、駆けつけた加速を生かし呉の兵士へと突撃を開始した
そんな中、見張り台の上に居る男の眼に映ったのは周泰が混戦する兵士を掻き分け
背に背負う長い野太刀を器用に振り回し、魏の兵だけを切り捨てていく姿
「このまま冥琳様の指示通り劉弁様を保護、抵抗する場合は捕縛してでも・・・っ!?」
次々に切り捨て突き進み、中央の天幕を確認した瞬間。まるで体に槍が貫かれた様な衝撃を受ける
ゴクリと息を飲み込み掌で頬や肩、腹をさすり、外傷を確かめるが何も傷はなく、掌を見るが血もその手に付くことがない
何事かとそれでも体に何かが突き刺さるような感覚を探り、辺りを見まわし目線を上に上げれば
見張り台の上で見下ろす一人の男。唯だまって此方をじっと見ているだけ
新城で、そして柴桑で見た時とは全く違う。玉座の間で見た以上に異様な雰囲気を身に纏う男に肌が粟立つ
表情には怒りや憎しみなど一切感じられぬ無表情。むしろ穏やかにさえ感じる顔、眼から感じるのは
強烈な、体を貫く強い意志の光
周泰は背筋に冷たい汗が伝い、震え、体が完全に鎖に繋がれたかのように止まっていた
「周泰様ッ!」
声と同時に背中に振り下ろされる双剣。兵の声で恐怖の束縛から解かれた周泰は咄嗟に刀を盾のように横に構え
身を捻り、背後からの攻撃を防御するが崩れた体勢で受けたこともあり、軽く飛ばされてしまった
「劉弁様の所には行かせないのー!」
「あうっ。このっ」
地面に転がる周泰に構わず襲いかかる沙和の双剣、だが周泰は身を捻り地面に沙和の双剣が喰い込むと
体を立たせ、野太刀を構え沙和を無視して中央の天幕へと走る
「あっ!ずるいっ、まてー」
追いかける沙和、しかしそこは得意とする分野の違いからか追いつくどころか見る間に引き離されてしまう
周泰が立ち止まり、ようやく追いつくと思った時にはもう遅く。彼女は既に中央の天幕ヘと入っていた
「ああーっ!!これじゃ隊長に怒られちゃうのー」
涙目でそれでも諦めず、天幕へと走り続ける沙和。だが
ズドンッ!!
天幕から凄まじい、まるで投石車の岩が城壁にぶつかった様な音と共に、沙和の頭上を紫の固まりが飛んでいく
「・・・・・・え?」
驚きながら正面を見れば、崩れ落ちる天幕の中から一人、劉弁様が九環刀を手に舞い上がる砂煙の中央に立っていた
異様な光景に沙和は立ち止まり、もしやと後ろを振り向けばそこには周泰が
膝を着いて震えた手で野太刀を握るがその手からはすり抜けぼとりと地に落ちてしまう
「我が一撃で剣が折れぬか。百辟刀の類であるかその剣は、どうした?私を捕らえるのでは無かったのか?」
スタスタと九環刀を手に、呆気に取られる沙和の隣を通り過ぎ立ち上がらぬ周泰の元へと歩み寄る
自身の攻撃で折れぬ刀を百辟刀(繰り返し幾度も練られた剣)と口にする
それは自信の現れ、己が操る武は容易く武器を破壊すると
「そ・・・んな」
独孤求敗より伝えられし剣技によって衝撃は腕、脚に伝わり体を動かすことの出来無い周泰に
劉弁は無慈悲に九環刀を振り上げ、頭上に振り下ろそうと構えた
【殺られる】
そう覚悟し、眼を伏せ顔をしかめると耳に聞こえる呉の兵の声
次に聞こえるは馬の嘶き
眼を開ければ此方に向かい、突進してくる縄を解かれた騎馬二頭
侵入を果たした一人の兵士が繋がれた騎馬の縄を外し、尻を叩いて此方へと走らせたのだ
凄まじい速さで向かってくる大宛馬。沙和は劉弁様をお守りせねばと体を迫り来る馬と劉弁の間に滑り込ませるが
劉弁は片手で沙和の腰を掴み、優しく突き飛ばすと九環刀を回転させる
背につけられた九つの輪は激しく叩きるつけられ耳を劈く凄まじい音を立て、突然の激音に馬は怯え混乱する
前足を上げ、体を浮かし劉弁の目の前にさらけ出される無防備な馬の腹
美しい笑を浮かべる劉弁は一刀のもと二頭の馬を真っ二つに切断
崩れ落ち血肉の雨が降り注ぐ中、劉弁は次はお前だと言わんばかりに九環刀の切っ先を周泰へと向けていた
「九環刀の使い方とはこういうモノだ、戦場の刀に相応しいだろう。お前のその長い刀も馬と兵を切り伏せる為の物か?」
己の力で壊れぬ武器に興味を持った劉弁は、周泰を殺した後にその刀を手にするつもりなのだろうか
再度、止めをさすためゆっくりと周泰の元へと近づいていく
「む?」
しかし、迫り来る馬のお陰で手足の痺れが取れるまで時間を稼げた周泰は苦々しい表情を作り顔をしかめ
地面に野太刀の切っ先を突き刺し土を劉弁へと舞い上げた
そして周りの天幕に刀を振り回し、崩れ落ち舞い上がる砂煙
劉弁は視界の無くなったなか、九環刀を二、三度振り回して視界を回復させるといつの間にか
周りには沙和の率いる魏の兵士が劉弁を中心に円を作り壁となっていた
「ほう、流石だな。名は?」
「えっ、あのっ!沙和は于禁って言います」
周泰が何処から来ても良いようにと警戒する沙和は、急に隆弁に褒められ何時もの特徴的な語尾が消えてしまい
劉弁はクスリと小さく笑う。そして周泰の気配が消えた事を確認し、九環刀を腰に収めると頭から被ってしまった
血肉を掌で払っていた
「えっとー、これを御使下さいなのー」
「良いのか?綺麗な刺繍のある良いものではないか」
「大丈夫なのー!洗えばまた使えるし、でもそれは小さな友達に貰ったものだからなるべくなら返してくれると
嬉しいです」
敬語なのかなんなのか、緊張してごっちゃになってしまっている沙和に優しく笑を返し
受け取った手ぬぐいを見れば可愛い兎の刺繍。おそらく小さなお友達とは交流のある民の子供なのだろうと察した劉弁は
手で乱暴に血肉を拭きとり、掌を自身の服でゴシゴシと拭き取ると口元だけ少し手渡された手ぬぐいで拭き沙和に返す
「助かった。いずれこの恩は返そう、小さき友と一緒にな」
「は、はいなのー!」
好意で差し出された物を使わぬなど出来ぬと僅かに、汚れぬように使い沙和に返した劉弁に感動した沙和は詠と同じよ
うに感動したのだろう。眼を潤ませていた
見張り台の上で一部始終を見ていた男は一度は手にかけた梯子から手を離し、先ほどと同じ場所へ座り込む
「行かないの?」
「ああ、あっちは大丈夫だ。沙和に任せておけば良い」
「そう、それで誰が来ていた?」
「周泰殿だ、劉弁様に吹き飛ばされて無理だと解ったんだろう。今さっき砦から出ていくのを見た」
「あの娘が来ていたのね。私もそっちを見れば良かったわ、劉弁様の勇姿が見れたのでしょう?」
頷く俺に華琳は残念と肩を落とした。恐らく捕縛目的だったのだろう保護だ何だと言っても
当の劉弁様が向こうに行く気は無い。見たところ舌戦の後だというのに士気が高い
周泰殿と若い兵の組み合わせだったのだろうな。そうでなければ劉協様から勅命と共に陛下の意志の証明とも言える
国宝を譲り受けた華琳をみて、大義を失ったというのにアレほどの動きを見せるわけは無いだろうし
劉弁様を捕縛など恐れ多くてとても出来やしない
「戦況はどうだ、変化したか?」
「凪と孫策がぶつかった。奇襲を跳ね返したし、此のままなら此方が勝つわね」
崩れた魚と翼を折りたたみ飲み込もうとする鶴を見ながら華琳は此方が勝と口にする
「だけど、何かがおかしい。確かに見事な奇襲だけど、兵数が余りにも少なくツメが甘い
貴方が賢者と言った周瑜がこの程度であるわけがないと思うのだけれど?」
隣でチラリと俺の方を見るその眼は何かを期待し、其れを受けとめ飲み込もうとする危うさを孕んだ眼だ
俺はその眼はあまり好きではない、己を確かめるのは結構だがそれで兄妹が死ぬなら許せるものでは無いからな
「言うとおりだろう、何か違和感がある。何となく感じるのは馴染みのある感覚なんだが」
「馴染みのある・・・」
「ああ、俺が敵の思考を読み取って操った時に、操られた相手から感じるモノ」
詠の背中からほんの僅かながら感じるのは焦燥感と恐怖、気持ちの悪いえもいわれぬこの感覚は
操られた時に感じる感覚だ。ならば此方は操られているというのか?詠自身は気がついて居ないのか?
証拠は何も無い、眼を見たわけではなく、友と呼びあえるほど近くに居たからこそ解る体から感じる僅かな変化
今でも十分敵を押しつぶし勝つことが出来るだが後方でゆっくりと歩くように前に進める周瑜殿の中軍
見張り台と言う高い位置で全体を確認しているせいか正面から見ることの出来ない余裕のある行軍という奴が眼に映る
「昭、私の側にいる任は解く詠の側へ」
「そうだな、恐らくはそれが正しい」
望遠鏡を華琳に手渡し立ち上がり、詠の元へ行くため梯子へ振り返ればそこにはある人物が此方を見据えて立っていた
「凪と孫策がぶつかった。もう少し、もう少しよ。頑張って凪」
詠の眼には前方で激突する孫策と凪
獣のようにしなやかな脚力で笑い声をあげながら俊敏に攻撃を繰り返す孫策に対し
何とかその速さに追いつき、拳と蹴りで襲い来る剣を弾き、いなし、間に気弾を放り込む
輝く光弾を孫策は肉厚の古錠刀を片手で振り回し、刀の腹に当てて強引に払いのけるように破壊する
ならばと接近し、拳の連打の後、気弾を目眩ましのようにして孫策の眼前で爆ぜさせ
動きの止まった所へ強烈な蹴りをねじ込むが、孫策の纏う白銀の鎧が其れを容易く弾き
笑を浮かべる孫策の古錠刀の全力で打ち込まれる一撃を凪は咄嗟に篭手で防御するが地面に体を転がしていた
「この鎧、百辟刀と同じ作りなのよね。だから、そんな攻撃じゃびくともしないんだからっ!」
先ほどの周泰のように、眼前に立ち虎のように覆いかぶさるかの如く襲いかかる孫策
真上から打ち下ろされる古錠刀の一撃を凪は腕を交差し、歯を食いしばり受け止めた
「私の閻王とて隊長から譲り受けた思いが詰まっている。その程度で砕けはしないっ」
閻王から覗く真蒼の布地、金糸で叢の文字が刻まれた刺繍が目に入ると
凪は押し込まれる古錠刀を強引に折れた膝を持ち上げ押し返していく
両拳に気を溜め、交差させた腕を爆発させるように気を放出させ、孫策の体を後方へずらすと
薄く、指先から肩まで。足先から脚の付け根まで膜のように気を纏わせると愚直に前進を開始する
前に男に言われた溜めの長い気弾は捨て、両拳と両脚だけで細かく、素早く、切り刻むように攻撃を繰り出していく
「早いわね、さすがに私もそれは追いつかないわ」
此方の攻撃を紙一重でかわし、頬を腕を肩を斬られても気にすること無く前進を続ける凪に
孫策は後ろへ下がってしまう。早い連撃に加え、此方の動きが少しでも止まると重い
拳を固めた一撃が襲ってくるのだから
凪に続くように周りの兵も少しずつ呉の兵を押しこんでいく、数の差も、士気の差もあるだろうが
眼前には呉王孫策の率いる兵士、其れを少しずつではあるが押しこんでいく姿に周瑜の隣で戦況を見ている
黄蓋は感嘆の溜息を漏らす、魏にも舞王以外に肝の座った者がおると
そんな前進する凪に押され、孫策は体勢を立て直すために大きく後ろに飛び、脚に力を貯めるように身を屈めると
グンッと顔を上げ、跳びかかる瞬間。詠は声を上げる
「今だ退がれっ、後ろに退くぞ!」
孫策の動きと共に、勢いを着けて押し返そうとする呉の兵はぶつかるはずの槍と槍をかわされ
肩透かしを食ったように蹌踉けるが即座に態勢を整え退がる魏の兵へと突撃を開始する
同じく凪も後方へと退がり、襲い来る孫策の攻撃を素早い拳と蹴りの連撃で撃ち落としていく
真正面から突き進み、迎え撃つならば恐らく凪は孫策の一撃をそう何度も受けることは出来ないだろう
愚直に突き進む、男から【槍】と評された凪は、何時しか唯まえへ突き進むだけではなく
柔軟に、軍師の言葉を信じ己の矜持よりも皆を優先させる道を取るようになっていた
「身を削ってまで前進してきたのに退いちゃうの?もっと攻めて来なさいよ」
「私が槍であるならば攻めるだけにあらず。弾き、いなし、敵の喉元に乾坤一の一撃を入れるが槍の役目」
己を武器の王である槍と表してくれた男の言葉を裏切らぬよう、凪は唯々、軍師の詠の言葉に従い
退きつつも、軍師からの反撃の言葉をじっと耐え、襲い来る古錠刀の腹を手刀で叩き剣筋を曲げ
横薙ぎを後方に回転、滑りこむように身を屈め退がり避け。必殺の一撃を狙い足に気を溜めていく
その様子を古錠刀を振り回しながら、更に鋭く細くなっていく眼で笑と共に襲いかかる孫策
此方の喉元を狙う牙に身を震わせながら歓喜し、誘い出されるまま前へ前へと突き進んでいった
「調子に乗りすぎよ、お陰で両翼が挟むように敵を囲んだ。出番よ一馬、周瑜の首をあげてきなさいっ!」
孫策率いる呉の兵が此方に気を取られ、何の疑問も持たず退いた此方に食いついてくる様子を見て手を振りかざし
兵に合図を送ると直ぐ様に煙矢を番え空高く撃ち放つ
蒼天に真っ赤な一筋の煙が立ち上ると左翼左前方、敵から見て右翼右後方の草群から突然現れる
劉の牙門旗を掲げた一馬を先頭とする騎馬兵
突然の出現。敵からの奇襲のお返しとばかりに詠の口元が笑に変わり
「勝った。周瑜の首、貰った」と呟くと前方で詠の瞳に信じられないものが映る
「知っているぞ、貴様が得意とするは伏兵。反転、中軍は矢を構え祭殿の指揮のもと敵伏兵を撃破せよ」
亀裂の様に口角を釣り上げ、冷たい笑みを浮かべる周瑜
前進をしていた孫策後方の中軍は急に止まり、反転
少しだけ後方に下がると正確に兵が伏していた場所へと振り向いて矢を番えた
「兵を伏すならそこしかあるまい。分り易すぎるぞ凡夫め」
笑を浮かべる周瑜の隣で弓兵を指揮するは黄蓋
その瞳は現れた一馬へと向けられ「撃て」との一言が戦場に響く
「一馬ッ!!!」
叫ぶ詠、その瞳に映るのは伏した草陰から突撃し、敵後方にたどり着くこと無く矢に撃ち殺されていく魏の兵士達
矢の雨降り注ぐ中、一馬は七星宝刀を振り回し、背には叢の文字が刻まれた兄と同じ蒼のベストをなびかせ
矢を受けながら一人周瑜の首を討たんと馬を駆る
「見事っ!」
黄蓋は数本の矢を受けつつも此方に向かい馬を走らせる一馬に敬意を込め、叫び周瑜の前に体を入れて矢を番え
一馬の額へと狙いを定めた
放たれる矢。風を切る音と共に寸分の狂いもなく一馬の額へと矢が襲う
「がああああっ!!」
放たれる矢の見えぬ一馬は一か八か、致命傷を負わぬため剣を目の前に縦に、額を被せ心臓を腕で隠しなお前へ駆けた
真っ直ぐ飛来する矢は縦に構えた宝刀の背を削り、一馬の額を割る
「~~~~~っ!!!!」
遠くで詠の声にならぬ声、割れた額からは血が吹き出し、そのまま後ろへとゆっくり崩れ落ちる
「・・・・・・て・・・きろ。我、と・・・いきよ」
顔を血で濡らし、矢は剣に弾かれ額当てを割り刺さる事は無かったが何時も付けていた額当てを真っ二つにし
大きく割られた額からは大量の血が流れ出す。眼は焦点が合わず、荒い呼吸を続けそれでも剣と手綱は手放さず
己を運び続ける的盧に共に生きよと声を振り絞った
一撃で葬る事が出来なかったかと再度矢を番え、今度は馬へと狙いを定めれば急に地鳴りの様な
そして確かに感じる大地からの振動
矢を番えたまま驚く黄蓋の瞳に映るのは、死に体の一馬を乗せたまま的盧は大地を削り搖るがせ
敵意を向ける黄蓋へと馬体を低く沈ませ凄まじい速さで突撃を開始した姿
「なんじゃとっ!?馬が己の意志でっ」
一馬が操るわけでもなく、ましてや普通の馬なら怯え、嘶き背に乗る者を振り落とすであろうが
的盧は背に乗る一馬が落ちぬよう、だがその目は怒りに燃えて力強く大地を削り黄蓋へと襲いかかる
「ちっ!」
異様な光景、信じられない出来事につい番えた手から矢が放たれる前に的盧はその豪脚で立ちはだかる兵を踏みつぶし
体で吹き飛ばし、突き抜け前足を高々と上げて黄蓋へと踏み貫くように撃ち落とす
「早いじゃとっ!?」
受け切れぬと判断し間一髪で避けた黄蓋は、地響きと共に目の前に陥没する地面を見た
流れ落ちる汗、過去敵の将にすらこれほどの恐怖を植え付けられただろうかと瞬きをし、ただ声を無くし驚くばかり
側に立つ周瑜もまた黄蓋が馬の攻撃を避けるなどという信じられない光景に
我が目を疑いその場から動けずに立ちすくんでいた
的盧はそんな硬直する兵士や将に気にすること無く、首を二度三度振り回し
振り上げた足で、体から落ちてしまった一馬を歯で咥え、浮かし、首に乗せて
すべらせるように背に乗せると威嚇の嘶きを一つ、此方に背を見せる孫策の兵へと突き進み
あっという間に兵を踏み潰しながらその場から姿を消していた
「な・・・何という馬じゃ。あんな馬は始めて見たぞ」
「え、ええ。アレは的盧ではありませんでしたか?」
「あ・・・・・・ああ、的盧とはあのような鬼であったのか」
大陸で言うところの化物、鬼と言う言葉を去りゆく的盧に向ける黄蓋
血飛沫を上げ、敵兵を踏みつぶして進む的盧に周瑜もただ呆然と見ている他なかった
「周瑜様、どういたしましょう」
「あ、いや。アレは無視しろ。何方にしろ騎馬一頭、何も出来はしない」
幻を見たのだと気を取り直し、周りの兵を落ち着かせ伏兵の襲いかかってきた後方を見れば
無残に全滅させられた魏の伏兵。想像通りの戦果に周瑜は笑を零していた
「敵伏兵は撃破した。これより中央に更なる突撃を掛ける。祭殿、此のまま雪蓮と共に砦へ」
「応さ、扉を破壊。劉弁様の保護、ついでに曹操の首ももらうとしよう」
気を取り直し、敵の伏兵を逆に欺いた黄蓋達は孫策を後押しするように前進を開始
「左翼は此のまま会陽殿に任せ、右翼は蓮華様に耐えてもらう。全軍抜刀、矢のように敵砦を目指せっ!」
周瑜の号令の元、左翼と右翼に抑えきれるだけの兵を残して全軍を矢のように敵、中軍を押しこんでいく
伏兵を蹂躙され、あろうことか一馬の生死さえも不明になってしまった詠の頭は真っ白になる
策は完璧だった。敵も警戒をしない魚鱗の陣。ならば伏兵は完全に成功するはず
なのにも関わらず、敵は反転し。まるで伏兵が来ることが解っていたかのように
場所まで的確に予測し騎馬兵に対して有効な弓兵で矢の雨を降らせた
何が起こったのか、いったいなぜ伏兵が一人残らず殺されているのか
意味もわからず一歩、二歩と後ずさる
「あ・・・うぅっ」
ぐっと唇をかみしめ、頬を何度か手で張って親指の爪を噛むと頭を冷静に、何が起きたのかを把握しようと
考えを巡らすが上手くまとまらない。これでは駄目だと後退した兵をその場に止め、敵を押さえるようにするが
孫策の率いる兵は前進を止め、後方の黄蓋が矢の雨を降らす
「だろうな、二度も揺さぶられたのだ貴様ならとりあえず頭を冷やし考える時間を稼ぐため留まるだろう。
ならば此方は止まった兵に矢の雨を降らすまでだ」
次の動きをまるで慧眼と呼ばれる男のように読み取り、最も嫌な攻撃を指示する周瑜
先読みされ、動き全てを封じられる詠は、倍もある兵数なのにもかかわらず砦門の目の前まで進軍を許してしまっていた
「舞王が隣に居ないのは曹操の奢りと言えよう。まぁ居たところで此方は心など読ませぬがな」
指示を飛ばすたびに先手をうたれ兵の数を減らしてく詠の顔は蒼白に、それでも必死に
左翼の後方で待機する兵を中央に呼び寄せ、突破されないように厚みを持たせようとするが
其れと同時に周瑜は右翼を前進させ、魏の左翼を押しこんでいく
「あほうっ!なにやっとんのや詠っ!!一馬やられたどころか、うちとこの後方スッカスカにするやなんて!!」
「勝負は見えた。我に続けっ!」
「このっ、調子にのんなっ!!」
孫権の振るう南海覇王を螺旋槍で弾き、強引に兵を押し込む孫権率いる右翼を意地で受け止める真桜
重歩兵であることが功を奏しているのか、何とかギリギリではあるが少しずつ押し込まれつつ押しとどめていた
だがみるまに変形していく鶴の羽。畳んだ羽はまるでへし折られたように歪に折れ曲がり
魚の鱗がその身を誇示するように膨れ上がっていた
「左翼はまだ持つ、数だって多い、右翼の後方も、いや砦内の沙和を出して・・・」
「詠様っ!!前方からの矢が激しく前線を維持できませんっ!」
「くうっ、まだ持ちこたえてっ!こうなったら右翼を」
二倍の数である兵を徐々に減らし、陣形まで崩され明らかに焦りと焦燥を濃くしていく詠に周りの兵も不安が募ってしまう
アレほどの大義を掲げたにも関わらず押され、士気まで下がっていく兵に詠はさらに空回りし始め
拳を握り締め、伝令に感情のまま言葉をぶつけてしまいそうになった時、一瞬にして兵の顔が不安から
安堵の表情に変わる
「あ・・・」
急に変わる表情と雰囲気、肩に軽い衝撃があり詠が振り向けば男が詠の肩に手を置き、隣に立っていた
表情は柔らかく、兵は男の参上に士気を取り戻していた
「伝令、右翼の無徒に兵三百でそこから中央に斬りこめと伝えろ」
「はっ!」
無茶な男の指示に兵は一切の疑問も持たず、即座に走り出し
詠は何かを言おうとするが、何も言えず肩を落とし俯いてしまっていた
「顔を上げろ。俺の軍師ならば前を見ろ。俺の舞で奏でる詠(うた)は顔を下に向ける詠じゃない」
「うん」
いつの間にか砦の門まで下がっていた事に気が付き顔を歪めるが、男の言葉に
顔を上げ、唇を噛み締め目の前に迫る孫策をまっすぐ見据え男の隣に立つ
「気がついたか?今の状況」
「・・・僕の手の内が全て読まれてる」
頷く男は顔を上げた詠が冷静に、何時もの彼女に戻ったと確認するとその場に詠を残し前に進んでいく
「私も・・・」
着いて行こうとする詠を手で制し、前へ進む男の周りに兵が集まる
何も言わずとも降り注ぐ矢の雨から守ろうと兵達は盾を天にかざし、男の進む道を確保していった
「無徒様、昭様よりの伝令ですっ!三百を連れて横撃をかけよとっ!!」
武器を撃ち付け合う程普と無徒。無徒の後方から兵の叫び声が聞こえると無徒は吹出し笑い声を高らかに上げる
「ハハハハッ!昭様は面白いことをっ、伝えよ承知仕ったと」
「ぬ、張奐!御主まさかワシを此のままにしていくつもりか?」
「殺りたければ着いて来い、お前と違って儂は暇では無いのでな」
心底面白いと笑う無徒は双鈎槍を二本、力の限り投げ飛ばし
程普は蛇矛逆に怒りのまま力を込めて時間差で襲いかかる双鈎槍を一本ずつ弾き、砕く
「貴様あああああああぁぁぁあああっ!!!」
誇り高い一騎打ちを此の様にあしらわれ怒号を上げる程普
だが無徒は武器を投げとばす間に乗ってきた馬へと騎乗し、程普をその場に置き去りに
腰に携えた刀を抜き取ると中央へと突き進む
「兵三百は儂と共に横槍を入れる。死にたいものは儂と来い」
「無徒様。アレは如何致しますか?」
「ハッハッハッ!お前達で適当にあしらえ、適当にな」
無徒の言葉に兵達は即座に三百編成を組んで無徒を先頭に呉の横腹へと突き進んでいく
去り際に兵から程普の対処に問われ、適当に等と挑発するように言った言葉でさらに程普の怒りは膨れ上がるが
程普は襲い来る魏の兵を三名、一気に切り伏せ怒号を一人あげると
フゥ・・・と溜息のように息を吐き出し、怒りで真っ赤になった顔が元に戻る
「馬も無しに貴様を追うなどするわけないじゃろう。やる気まで失せてしまったわ。流れが変わった、帰る準備をするぞ」
つまらなそうに、呉の柴桑で見たような表情。湖面のような瞳をたたえた老兵は傷だらけで皺のある顔で
蛇矛を振り回し、すぐに部隊が退却出来るようにその場で無理に押し込まず、維持する隊形を指示した
中央では迫り来る孫策本隊に不安にかられ、矢を受け士気の下がる兵の中を男は進み
兵は男の出現に声を上げ武器を握る手に力を取り戻し士気を取り戻していく
前線で戦う孫策と凪のすぐ近くまで行くとその場に留まり戦う凪の姿をその場で見詰めるのみ
だが男の出現により士気の上がった兵達は崩れ落ちそうな前線を立て直し始める
此処で自分たちが折れれば舞王を、魏王曹操様と同格の存在が殺されてしまうと
降り注ぐ矢の中、兵は己を鼓舞し足を前へ前へと進める、この場に敵を留めることが出来ぬならば
前へ前へ、倒れてもなお前へ、楽進将軍のように突き進めと
凪と剣を交える孫策は、急に体に突き刺さる様な感覚を感じ視線を向ければ己の獲物
血の滴る肉を目の前にした獣のように狂気じみた笑を男に向けた
「・・・怖いなぁアレ」
全く怯えた表情はなく、何時もと変わらぬ笑顔で怖い等とつぶやき隣の兵の肩を叩いて孫策の方を指す
戦場で、矢の降る中で全く変わらず。それどころか笑を称える男に兵まで笑ってしまう
異様な雰囲気につい孫策気の手が止まる
敵兵を見れば前線だというのに魏の兵は柔らかい顔に、そして武器を手に急に精悍な誇りと強い意思の篭った顔になり
心には余裕が生まれジリジリと押し返し始めた
「何処を見ているっ!」
止まる孫策に先程よりも鋭さを増した凪の攻撃が襲いかかった
避けきれず、剣で僅かに軌道をずらしたが顔に拳がかすめ、口元から血を流す孫策は顔を歪めていた
蹈鞴を踏む孫策に凪は連続で攻撃を繰り出し、孫策は全てを捌くことが出来ず幾つもの攻撃を被弾し始めていた
「くっ、此処まで変わるとは」
「隊長の見ている今、無様な様を見せるわけにはいかない。何時までもその鎧で防げると思うな」
凪の言うとおり避けきれず被弾してしまう攻撃をわざと鎧で受け止めるが
全ての衝撃を吸収出来るわけもなく、体に蓄積され口からは拳で受けたものとは違う血が溢れ流れだしていた
それと同時に後方から声が上がる。横撃を受けたと理解した孫策は退き時だと
凪の攻撃を弾いて距離をとろうとするが、ピタリと密着され離れる事ができない
「じゃまよっ」
「はあああっ!」
忌々しく凪を睨む孫策だが此のままでは退くことが出来ず挟まれると焦る孫策に勘が働く
真っ直ぐ襲いかかる強烈な拳。右に避ければ回し蹴りで死ぬ、左に避けても死ぬ・・・だけどこの娘の攻撃ではないと
何方でも死ぬならソチラが面白いとばかりに左に避ければ凪と孫策の体に影がさす
振り抜いた拳に被せるように体を回し蹴りを放とうとした凪は影の存在に気が付き後方に飛び退こうとしたが
影の背で血だらけでぶら下がる一馬を見た凪は足を止め、頭上から振り下ろされる馬蹄を押さえ込もうと篭手を構える
孫策も気が付き、自分に襲いかかる馬蹄を剣を構え抑えこもうとしたがこれは無理だと悟り
「これは流石に予想外ね」
と呟き、諦めと馬に踏まれて楽進と共に死ぬのかと自分の死因に呆れ覚悟した
ズドンッ!
舞い上がる砂煙、響く地響き。周りで見ていた兵もその化物の様な豪脚に驚き、砂煙に隠れた二人は死んだと思ったが
兵の眼に映るのは脚を二人の目の前に踏み下ろし、二人の真ん中に立つ男の肩に噛み付く的盧
的盧と一馬が此方に向かってくるのを見た男は孫策と凪が戦っているのにも関わらず其の身を兵犇めく中に投じて
抜けたと同時に凪と孫策の間に入り的盧の前に立っていた
的盧は男の姿を確認すると脚を少しだけ後ろに引いて地に下ろし、何かを伝えるように男の肩に噛み付いていた
動きが止まる孫策と凪、だが先に動いたのは凪
男の肩をつかみ、それを台のように孫策の顔へ飛び蹴りを放つが孫策は横に飛んで凪の蹴りを回避する
「・・・また助けられちゃったわ。やっぱり貴方をもらうことにする、だから死んだらダメよ」
「待てっ!」
「良い、それよりも来るぞ。陣形を維持しろ」
距離を離すことに成功した孫策は口に溜まった血を吐き捨て男に片目を瞑ってみせると
そのまま後方へ自軍の中へと下がり、凪はそれを追おうとするが男に止められる
男は的盧から一馬をゆっくり降ろし抱きかかえ、額に己の腰帯をまいて止血する
「あ・・・に、じゃ。みなを・・・・・・ごめん、なさぃ」
「謝るな、頑張ったな。帰ろう」
焦点の合わぬ眼で兄の服を血だらけの手で握り、涙を零す弟を優しく抱きしめて衛生兵を呼ぶ
その姿に凪は何も言えず、頷くと兵を維持させるため前進させ男を囲むように兵を配置
「呉の兵が来るぞ、迎撃態勢をとれっ!」
叫ぶ凪、だが男は「違う、そうじゃない」とだけ呟き応急処置の終わった弟を抱き上げ後方に下がっていった
「横撃、指揮する者が変わったか。此の様な大胆な指示、恐らくは曹操だろう。郭嘉は戦の記録で情報戦に特化した者
戦術には乏しいはずだ」
周瑜はそう分析すると兵の様子を見て考える。曹操の戦術も手の内にある、此のまま攻めても勝てるだろう
だが左翼、会陽殿の動きを見るに流れが変わったということだろう。あの方の鼻はよくきくと
「冥琳、退くことを儂は進める」
「祭殿もそう感じますか。解りました、引きましょう」
「少しは焦りが消えたようじゃな」
「ええ、もう祭殿に隠す事は出来ませんから」
まるで自分の娘を見るような眼で周瑜を見る黄蓋。周瑜もまた穏やかな顔を返す
「報告します。北から矢の雨が、魏軍本隊かと」
「早いな、流れが変わったということはこう言うことか。郭嘉が動いたのだろう、退くぞ全軍に通達せよ」
頷き、駆け出そうとする兵を黄蓋は引き止め「敵の旗は?」と問う
兵は「夏の旗が二種類、後は張と許と典の旗です」と答え、黄蓋は矢筒を三つ腰に携え
鉄鞭を腰紐に差し、一人前へと進んでいく
「祭殿?」
「殿は儂が務める。三夏の雷光と大剣が来ている、正真正銘の本隊じゃ。急がねば尻から丸呑みじゃぞ」
振り向かず前へと進む黄蓋に周瑜は肌がひりつく緊張を感じ、顔は固く、即座に声を張り上げ
後退、退却の指揮をし兵を急がせた
「さて、見える事は出来ぬだろうが夏侯淵よ。どれほどの者か次の戦で確かめさせてもらおう」
呟き矢を番え、兵を率いて殿の態勢を取っていく
後方に駆け周瑜の退却に同時に反応したかのようなタイミングで無徒の横槍の潜りぬけ孫策は黄蓋の隣を通り過ぎる
すれ違い様、口から血を流し笑う孫策を見た黄蓋は「三夏が揃ったか」と呟いていた
「一馬っ!!」
「大丈夫だ、気を失っているだけ。秋蘭達が向かっているなら華佗も一緒だ、診てもらおう」
後方に下がり、砦門の詠の元まで辿り着くと男は安心させるように詠に笑いかけ
そのまま砦の中へと入っていってしまう
「秋蘭たちが?」
「後は大丈夫だろう、任せる」
そう言って砦に消えると同時に北から大軍の咆哮と銅鑼の音が辺りに響き渡る
目線を向ければ魏の本隊、先頭を紅と蒼の夏の牙門旗が河を埋め、次々に上陸し砦へと走る
先陣は紅の夏、春蘭の率いる重歩兵。側面を秋蘭の弓兵と弩兵が援護し突撃を開始した
「まだ死ぬなよ。俺の弟なら俺より先に死ぬのは許さん」
「あ・・・うぅ」
砦の中へ入り、息を荒げる弟に声をかければ一馬は気を失ったまま応えるように呻きながら俺の服を掴む
沙和が俺を見たときは、腕にかかえられる一馬を見て駆け寄りすぐに砦内の衛生兵を呼び寄せた
俺は衛生兵に導かれるまま一つの天幕に入り、寝台に優しく寝かせると端で一馬の治療される様をじっと見ていた
「昭殿、弟君は大丈夫ですか?」
「俺の弟は簡単に死なんよ。それよりどういう事だ?」
天幕に入ってきたのは稟。先ほど見張り台で全体を見ていた俺と華琳の前に立ち、すでに本隊への連絡は済ませたと
言っていた。俺はそのまま前線を持たせる為に詠の隣に行き、華琳の策を伝えた
「全て理解しているでしょう。貴方の眼がすでに攻略されているという事はどういったことなのか、という時点で」
稟の言葉に目を伏せる。詠も俺も、勿論華琳もある程度は此方の情報が漏れて居るのは理解し覚悟していた
だからこそ俺は一つ頷く
「眼を攻略されている。ということは他の情報も漏れているということだろう」
「ええ、此方の戦術、策。軍師のほとんどの癖や趣向が漏れていると今回の事で解りました。それに」
「それに?」
「アレほどの大義を掲げた以上、私達は退けなくなりました。私達は手の内を晒したまま退けぬ戦に身を投じる事になり
ます。今頃諸葛亮は昭殿をはめてやったと大喜びしているでしょう」
稟の言葉に俺は溜息を一つ。そして処置のお終わった弟の手を握る
遅れて入ってきた華琳は稟から状況を把握し、多くの兵が死に弟がこれほどの傷を負ってなお変わらず静かな
まるで嵐前の空に浮かぶ暗雲の様な男に顔を悲しみに染めていた
そんな中、一人。稟は天幕の端で誰にも気付かれず口角を釣り上げ、眼を細くし狂気じみた笑を浮かべていた
―赤壁付近―
赤壁の目の前で陣を張り、進軍を調整する呉軍本隊の一つの天幕に伝令が飛び込む
「諸葛亮様。呉の周都督からのお言葉です。大義は魏にあり、退却は成功。全ては手筈通りにとの事です」
「はいっ。ご苦労様ですっ」
心底嬉しそうに、今にも叫びだしそうな笑顔で応える諸葛亮。よほど嬉しかったのだろう
周りに鳳統そして呉の陸遜や呂蒙が居る中、一人はしゃぎそうになってしまい、我に帰って赤面していた
「巧くいきましたね~。朱里ちゃんの策通り、敵は劉弁様を引き連れ雪蓮さまとの舌戦に圧勝したようですよ~」
にこやかに笑い、間延びしたほんわかとした声で話す陸遜に力強く頷く諸葛亮
やはり恐怖を埋めこまれた人物に意趣返しとも言えることをやってのけた事に顔が戻らず
得意げに語り始める
「大義を掲げてしまい、退けなくなった魏は軍師の癖、戦術という手の内を晒したまま決戦を開始するしか無い
本来なら一度軍を退いて戦略などを洗いなおしたいでしょうがそれも出来ない
蛇斬剣まで出してきたのは予想外でしたが、天子様を奉戴した以上、姉君である劉弁様をお迎えし
戦場に証人として参上させる事は十分に考えられました」
「良かったね朱里ちゃん。これで魏と連合の兵の差は殆ど無くなったよ」
友の賞賛にますます笑顔になる諸葛亮。情報の奪取、そして天子様の姉の出現をみこし退けぬ戦いに引きずり込む
強かさに呂蒙は小さく「凄い」と一言。隣に立つ陸遜は「見習いましょうね~」とにこやかに返していた
「あの、ひとつだけ質問が」
「何ですか?」
「舌戦で掲げた向こうの揺るぎない大義はどうするのでしょう?もし蜀の兵や将の耳に入ってしまったら」
「それなら大丈夫です。先に全軍にある言葉を流布しておきました。【曹操さんは陛下を操ろうとしている】
【劉弁様は愚者】【劉弁様は曹操さんに飼いならされている】と三つだけ」
「ならばなぜ今回進軍した私達の軍にその事を?」
「進軍する前に流してしまってはその事が敵の耳に入り、魏は劉弁様を前には出さなかったでしょうね」
諸葛亮の代わりに応えるのは少し大人しめの鳳統。先にそんな噂が流れていては、砦で掲げた大義も滑稽に
見えるだけなんと用意周到な事かと呂蒙は此処でも感心していたが、同時に自分たちの軍は駒のように
扱われたのだと言うことと、周瑜はなぜそれを容認したのかと言う疑問が残ってしまっていた
「亞莎ちゃん、考えていることは解りますよ~。ですがもし蜀の兵があの場に向かった時を考えてみてください」
陸遜に言われ、あらためて考えれば答えは明確。進軍前に話が無ければ蜀の兵は全てが崩壊を起こすと
だが兵卒出の呂蒙には納得はすれども割り切ることが出来なかった。兵が多く死ぬことが解っていて後のために
無言で死ぬことがわかったまま軍を進めるなどと
呂蒙の複雑な顔を見て陸遜は耳元で小さく囁く「兵がどの程度死ぬか、それを見極め戦を進めるのも軍師ですよ~」と
その言葉に呂蒙は悲しみに染まった顔をし、目の前で嬉々として喜ぶ諸葛亮にモヤモヤとした不快感を覚えていた
「流石は劉勝さんの末裔と言われる劉備さんの軍師さんですねぇ。情報を操るのはお手の物といったところでしょうか~」
「戦で重要なのは情報。情報が手に入り、此方を優位に立たせ事を進めるのは雪蓮さんの祖である
孫武も重要だと言っています」
呂蒙の気持ちを感じてか、刺のある言葉を諸葛亮に放つ陸遜
繋がりの不明な末裔との言葉に、同じように孫堅が孫武の末裔であると不明確な事を叫んだ事を持ち出し
後の事も視野に入れ牽制しあう。戦が終われば最大の敵は目の前に居ると
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さて、次からようやく赤壁だと思います
もう少しで画竜編は終わり
続いて点睛編に入ります
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