「………すぅ……ふぅー……ぅん…」
「……」
せっかく披露した宴会を台なしにしてしまったわね。
……あなたのせいよ、一刀。
「……<<ぎゅー>>」
「……あなたはそうやって、いつも通りのように装っているのね……」
明日になれば、この姿をもう見ることが出来ないというのに……
結以に一刀に残った時間について聞かれた時、そこで暴れないで済んでいたのは、どうしてだったのだろう。
もう、その天命という奴に逆らう力も、私には残っていないのかも知れない。
一刀本人はもうとっくに前から自分の生を諦めていたのだ。
いつからか。
馬騰の言う話だと、一刀は私が三国の同盟のための動きを始めた時から激痛に苦しんだと言った。
その時から……
いや、違う。
それはもっと前から……
もっと前…
凄く昔から…
「どうして気付かなかったのだろう。だからあなたはいつも自分のために生きることが出来なかったのね」
最初からだったのだ。
このすべてが始まる時から、一刀は自分の死を想定していた。
天の世界で事故にあって、親に捨てられたその時から、一刀は自分の死を考えていたのだ。
いつ自分の死が訪れても、淡々とそれを受け入れる準備が出来ていたのだ。
それって、どんな人生なんだろう。
そうなると一刀は、短い人生を通して人としての生を求めたことがないということになる。
自分の幸せを一度も考えたことがなかった。どうせいつ死ぬか分からない自分だと、そう思っていたからm優しい一刀は自分の幸せのために人を苦しませることができなかっ
た。
本当は自分の苦しさが、最も人たちの不幸せを生み出しているとも知らずに。
「助けてあげたい」
私にできることがあるとしたら…何をしてでもこの子をこのまま離さずに済むことが出来るとしたら、私はどれだけ不幸せになったっていいとも思ってしまう。
私の願いは叶った。
だけど一刀は?
一刀は私と一緖に居て本当に幸せだったのかしら。
もし一刀が今私の問いに頷いてくれるのなら、私ははっきり言い切れる。それは嘘だと。
この子に見せたいものが沢山ある。
これからももっともっと幸せになってもらいたい。
これからこの大陸に広がる幸せを、一刀にも味わってもらいたい。ずっと私の側に居させたい。
なのに、
一刀は私の元を離れる。
私の手が届かないところに行ってしまう。
明日になれば……
「……<<ギュー>>」
抱きついてくる一刀を私も力を入れて抱きしめ返す。
もっと感じたい。この子の温もりを……
「お母さん………」
「…お休みなさい。私の一刀…」
今夜だけ……あなたの母親になってあげる。
赤ん坊の時の記憶を持ってる人なんてそんなにない。
大体記憶に残ってるとしても、五、六歳の時からだろう。
ボクの場合、あまりにも衝撃的だったあの事故の記憶があって、それ以前の記憶はない。
ふと、思ってしまう。
あの事故以来、ボクの家族はバラバラになって、ボクは幸せを失った。
だけど、本当にそうだったのだろうか。
ボクはそれ以前には本当に平和で幸せな家族生活をしていただろうか。
母さんが再婚せず一人で住んでいた時、まだボクを見捨てなかった時に、偶然見かけた写真が一つあった。
それは、家族皆で遊園地に行って撮った写真だった。
あの写真の中のボクは笑っていた。だけど、ボクはいつも笑っていた。それがボクが幸せだった証拠には、多分ならない。
父さんは無表情な顔で、母さんもちょっと固まっていて、それでも少し微笑んでいる表情だった。ちょっと作りモノな笑みだという感じがした。
それはどこにもある平凡な家族が見せる顔で、それがボクの家族が幸せではなかったという意味ではない。
結局、写真一つではどっちにも決め付けることができなかった。
でも、そうなれば結局ボクの昔なんてどうとも言えなくなる。
あの事故の前のボクは、本当に幸せだったのだろうか。
言い切れなかった。
もしかしたら、ボクの家族はその前からそんなに危うい状況で、父さんは良く酔って帰ってきて母さんを殴っていて、母さんもあまりいい母親じゃなくて、前々からボクのこ
とをあまり気にしていなくて、だからあんな事故が起こった時、母さんはうまく対応出来てなかったのかも知れない。
もちろん、そうだとも言い切れない。
だけお不安になる。
結局ボクの人生でボクは本当に幸せな時なんて、あったのだろうか。
なかったとしたら、ボクは今まで何を見て生きてきたのだろう。
いっそのこと、あの時その母さんの新しい家族が住んでいた家のベランダで、落ちて死んでいたなら………
いや、できなかった。
ボクは死ぬことができない子だった。
あの時だって、あのまま手を放していた。
だけど、
スッ
それだけで、ボクはなんともないように一階の地面に立っていた。それでお終いだった。
だけど、こうも考えてみる。
それなら、もしボクが昔からあんなふこうな人生を生きてきたのだとすれば、
今この時ボクは、今まで生きてきて一番幸せな日々を過ごしてきたわけではなにのかと。
ボクは母さんのことが好きだった。
理由があったわけではない。言った通りに、母さんとの記憶は薄いし、ボクは母さんの家に行ってた頃には、もう母さんはボクのことを怖がっていた。
ただ母さんだったから、この世界でたった一人ボクが知っている人、そしてボクを知っている人だったから。ボクをこの世界に生まれるようにしてくれた人で、一番ボクが安
心できる人だったから。
でも、それだとしたら、
もしそれがボクが望んでいた母親の姿とすれば……
どうしてボクは華琳お姉ちゃんでは駄目だと今まで思っていたのだろう。
ふとここまでたどり着いてしまうと、何だか心の中のモヤモヤがどんどん広がっていく。
華琳お姉ちゃんはとてもいい人だった。
人の前では偉くてそして厳しくて、強い魏の王だっただった。
だけど、ボクが見ていた華琳お姉ちゃんは、優しくて、頼りになって、それなのに実はボクのように一人になることを怖がる人……
子供が母を選ぶことが出来るとしたら、ボクはきっと華琳お姉ちゃんを母さんにしただろうと思う。
華琳お姉ちゃんは、ボクが願っていた母さんの姿をしていた。
ボクのお母さんはボクのことを怖がっていた。そして、新しい子供が出来てからはボクの存在を自分の中から消してしまった。
それはきっと母さんには仕方ないことだったのだろう。
ボクをずっと心の中においていては、母さんは壊れていたかもしれない。
そうならなくて、ボクは本当に良かったと思っている。
だけど、
ボクは違う。
母さんはボクの代わりを得たけど、ボクにはなかった。
ボクは代わりなんていらないと思った。
だから、いつかさっちゃんが言った時にボクはこう答えた。
――華琳お姉ちゃんのことは好きだけど、母さんのこととはまた別だ
、と
……何が違うと?
大人だった母さんは壊れないために、ボクを忘れるために代わりの存在を得た。
なのに、子供のボクにはそれが必要ないと?
どんな意地張だよ。
ボクだって……母さんの代わりが……
……あぁ、そっか。
「<<パチッ>>だから……要らないって思ったんだ……」
華琳お姉ちゃんを…誰かの代わりに思うだなんて…そんな酷いことはできなかった。
だからボクは敢えて、そう思わないことにした。
でも、逆にそれは華琳お姉ちゃんとの間に見えない壁を作っていた。
「でも、ボクだって……」
「………」
「っん」
人の吐息が首筋に当たってゾクッとして振り向くと、華琳お姉ちゃんが隣でボクを見ながら寝ていた。
ここは……華琳お姉ちゃんの部屋だった。
外はまだ少し騒がしい。宴はまだ終っていないみたい。
酔って眠ってしまったボクを、華琳お姉ちゃんが連れてきたのだと思う。
…………
「<<かぁ>>///////」
うわぁ、ヤだ。全部覚えてる。
ボク華琳お姉ちゃんに母さんって……めっちゃ恥ずかしい。
「………はぁ…」
でも、なんていうか……
……酔ってる時には言えたけど……今は華琳お姉ちゃん寝てるし、言っても聞こえないね。
うん……
うん…
「………お母さん♡」
「……」
「……<<ゾクッ>>」
いや、ちょっと…変態だと思わないで欲しいんだけど。
これなんかゾクゾクする。
凄く嬉しい。
「お、お母さん」
「………」
「………お母さん」
「何?」
「!」
ちょっ!
ちょ、ちょっ!
「あなたが私をお母さんって呼びながらへなへなしているのを見ているのも楽しくはあるけれど、」
「え、えっと、今のはね?あの……そう、夢でね!夢の中でお母さんに会って…」
「……へー、そう?夢で一刀のお母さんにね……」
「……………///////」
「……私が側に居るというのに他の女のことを考えるとはね」
ギュー
「い、痛い、痛い、ほっぺつねらないでー」
恥は避けたけど、痛い!
いや、そもそもこれは言い訳になってなかったのかも知れない。
「出来もしない言い訳を言った罰よ」
やっぱりなってなかったんだ!
「で、本当は?」
「………///////<<ふるふる>>」
「酔ってる時は散々言ったくせにね」
「忘れてー、お願い」
「一生覚えていてあげるわ」
「いやーあ!」
恥ずかしい!//////
「嬉しかったわ」
「……!」
「あなたがそれほど私のことを頼りにしてくれて……」
「…………」
華琳お姉ちゃんは微笑んでいた。
パァっと笑っているわけでもなく、ただ静かな笑顔をボクを見ていた。
その姿が、ボクがあれほど欲しかった何かだったと思ってしまうと…
「華琳お姉ちゃん……<<ぎゅー>>」
「………」
今まで散々一緖に居たのに、
ここで安心して眠れて、安らいで、幸せだったのに、
今夜は今までのとは違う嬉しさを感じてしまった。
その嬉しさはとても幸せに近いものだったけど、
それが幸せだけとは言えなかった。何故なら、気づくことがあまりにも遅すぎたせいだ。
この笑顔を、この安らぎを感じる次の夜がボクにはないからだ。
「華琳お姉ちゃん………」
「……」
どれだけ時間が過ぎただろう。
一刀が私の胸に顔を埋めて泣いていた。
「一刀……」
「……」
「私を見なさい」
「……ヤ」
「こっちを見て」
「やぁ……」
一刀は顔を伏せて私を見ようとしない。
「…あなたを初めて見た時は、単に面白い子だと思っていた」
「………」
「その次は、可哀想な子だと思っていたわ」
「………」
「次には我儘な子、そして優しすぎる子」
だけど、
「私に見えるあなたの姿が変わる度に、どんどんあなたの存在が私にとって大事なものになっていったわ。…あなたが居ない天下なんて意味を持たないとまで思いもした」
「………」
「あなたはどうなの?」
私のことが…
初めて会った時より大きくなっているのかしら?
「教えて、あなたにとって私がどんな存在か」
「………」
「……」
夜は長いわ。
あなたの答えなんていつまでも待ってあげるから。
「……好き」
結構な時間を使って、一刀はそう二音節呟いた。
「それだけ?」
「……好き…大好き……」
「後は?」
「………嫌」
「……言いなさい」
「…やぁ…」
また拒む。
だけど、私は聞かなければならない。
あなたの口から言ってもらわなければならない。
「私のこと、お母さんて言ってたわね」
「……///////」
「前々からそんなことよく聞かれてたわね。母子っぽいって…私たち」
「………」
「最初は嫌だったけど……今日あなたにまで言われたら……それもいいかなと思ったわ」
「…!」
「今まではそんなこと言われてもあなたが肉親のことが好きだってことは分かっていたから、口に出してどうのこうの言ったことはなかったけどね」
実際にそんなことを思ったのは一刀に病があるということを知った頃からだった。
一刀をもし最初から私の子として受け入れていたなら、一刀にこれまでのような酷い思いをさせないで済んだだろうか。
少なくとも私に病を隠して、一人で苦しむような状況はつくらなかったと思う。
最も、私は一刀に対してそんなことを思わなかった理由は、一刀がいつも母親のことを思っていたからだった。
私が知っている一刀はいつも母親のことを想っていた。
例え自分を捨てた親としても、人が母を悪く言うことを許さなかった。
だから、一刀には母の代わりの存在なんて要らないだろうと私も思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
良く考えてみると分かることだった。
自分を捨てて消えてしまった親、
まだ幼い一刀が代わりの誰かを欲しがることは当たり前だった。
そして、そしたら今まで一刀が周りから私との関係を勘違いする言い方をしても私に黙っていた理由も分かる。
どうせ優しい一刀のことだ。
私を代用に使うということに罪悪感を持っていたのだろう。
私は自分にもっと酷いことも散々したというのに……
「だから、嬉しかったわ。あなたに母親に言われて」
やっと、あなたに認められた気がした。
私があなたの母代わってあなたを慰めるに値する人だって……
「そんなの……もう遅いじゃない」
「遅くなんてないわ」
「もう遅いもん………」
一刀の声がどんどん泣き声になっていく。
「もう少し早く言っていれば……早く気付いていたら……苦しまずに済んだのに……幸せな時を増やせれたのに…」
「一刀……」
「もっと前から……お母さんて言いたかったの…ずっと前から…」
「ええ」
「でも、どうしても言えなくて…代わりもの扱いしてるようで嫌で……」
「わかってるわ。あなたは優しいから」
「いっそのこと、最後まで隠しきれていたらこんなに悲しまずに済んだのに」
「…それは違うわね」
このままあなたとお別れになってしまっていては…私たちの関係は何でもなくなってしまう。
ただの無機質な関係。魏の王と天の御使い。
人たちは私たちをそう覚えるでしょう。
だけど、実は違った。
実はもっと親しい関係。
もっと、互いに解り合った関係。
世界で誰よりも互いのことを知っている……
「あなたは私が産んだ子供でもないし、これからも私が子を生むとかそんなことはないでしょうけど…あなたを私の子だと思うことが悲しいなんて思ってないわ。例えあなた
にもう会えないとしても……あなたは違うの?」
「……ううん、嬉しい」
「なら…」
「でも……ヤ。これで終わりなんて…そんなのヤだ……」
……
「もっと…もっと居たい。もっと一緖に居たい……まだ…まだ死にたくない……もっとお姉ちゃんと一緖に居たい。もっと幸せになりたい……」
「……一刀」
「まだ……死にたくない……もっと一緖に居たい…」
「泣きなさい…お母さんが一緖に居てあげるから…いつまでも…」
「……お母さん……」
私たちの最後の夜が、
そうやって終わっていった。
・・・
・・
・
「………ふぅ…」
気がつけばいつの間にか眠っていたらしい。
一刀は…私の胸の中で寝息を立てながら眠っていた。
一刀…
私の腹から出た子ではないけれど、
だからこそ多くの感情をあなたと交わることが出来た。
あなたとの出会いから悔しいことは一つもない。
これが私たちの終わりだと言うことを省けば……
「……」
本当に…もっと一緖に居たい。
ずっと、ずっと一緖に居たい。
私の命が燃え尽きるまで、あなたと一緖に居たい。
なのに……
「いい雰囲気を立てているところを申し訳ないのですが……
「!誰!」
完全に不意に声を聞かれてパッと前を見た。
私の部屋ではなかった。
もっと広い場所。
そして、目の前に居たのは……
「!管路……!」
「…そんなに殺気を立てないでもらうと嬉しいのですが…」
「ふざけて…!」
「……ぅぅん…」
「!」
怒鳴ろうとしたのが、一刀が起きそうになってたから途中で声をしずめる。
「大人しく引いたと思えば、何を企んでいるの?ここはどこよ」
「貴方たちをここに連れてきたのはわたくしめではありません」
「あなたでなければ誰が……」
「儂じゃ……」
声のした方を振り向くと、一刀よりも小さな、子供一人が居た。
「あなたは…」
「会うのは初めてじゃったかの。儂の名は南華老仙。管理者たちの行動を監視する者じゃ」
「管理者……確か左慈がそんな言葉をしていたわね」
そう言えば、左慈は全てが終わると私に泰山に来るように言っていた。
「あまり時間が押しておったから、こっちから呼ばせてもらった。悪いが、今直ぐに北郷一刀を起こしてもらえるかの」
「一体何のつもりかしら。あなたたちは一体何を考えているの?」
「わたくしめたちが今考えていることはただ一つだけですわ」
「もとい、左慈あ奴ののぞみであるがのぉ……」
「「天の御使いに幸せな結末を……」」
まるで皇帝の御殿のような広い場所に置かれた私と一刀の前で、二人の『管理者』たちがそう呟いた
そして、
――一刀ちゃん……
あいつの声が…御殿のようなその広い部屋を響き渡った。
Tweet |
|
|
21
|
5
|
追加するフォルダを選択
おそらく、次回で最終回になります。
今までの鬱憤を、晴らしましょう。