No.208074

うたはね

初めまして。
古賀菜々実です。

前々から違うお話を投稿しようとしていたのですが、今回急にこんなお話を書きたくなり、筆をとりました。
きっと大なり小なり『私』のような経験を誰もがするはず。何かきっかけがないと、立ち止ったそこから動きだすのは難しいと思います。そのきっかけが『私』にとっては『彼女』だったわけです。

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2011-03-25 20:02:00 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:480   閲覧ユーザー数:464

 

金曜日の夜、駅前の広場。仕事帰りの人とこれから仕事の人、お酒に酔った人と

これからお酒に酔う人。色んな人たちが行き交うこの場所で、彼女は今日もひと

りで歌っていた。

薄青のダメージジーンズを穿き、シャツを肘まで捲ったラフなスタイルで、アコ

ースティックギターを手に力強く歌っている。

私はそんな彼女の姿を、少ないギャラリーに混ざって今日も眺めていた。

「ありがとうございまーっす!」

三曲ほど歌い終わると、彼女がギターを抱いたまま頭を下げる。

観客たちのまばらな拍手を受けながら、ギターを置いた彼女は足もとのペットボ

トルを拾い上げ、その中身を体の奥へと流し込んでいく。

あんなに汗だくになったら、ただの水でも美味しく感じるんだろうな。スポーツ

バッグから取りだしたタオルで顔を拭う彼女を眺めながら、そんなことをぼんや

り考えていた。

「おーい」

彼女がこちらに向かって大きく手を振る。

知り合いがいるらしい。私は何気なく振り向いてみた。

「違う違う。あんただよ、あんた」

視線を彼女に戻す。

目が合った。

念のため、確認するために私は自分の顔を人さし指で示した。

「そう、あんた。こっち来なよ」

驚いた。やっぱり私を呼んでいたのだ。

確かにここ何週間か、こうして彼女の姿を眺めていたけど、話したことなんて一

度もない。だから声をかけられるなんて思ってもみなかった。

どうしよう。

「おーい」

このままだと彼女の大きな声のせいで私まで目立ってしまいそうだ。

私はおずおずと歩道橋の階段から腰を上げ、行き交う人たちを避けながら彼女の

もとへと歩いていく。

「よっ」

目の前まで来ると、彼女は軽く手を上げた。

さっきまで弦を押さえていた長い指。

「ど、どうも」

私も軽い会釈で返した。

「ま、立ち話もなんだからさ。座りなよ」

彼女に言われるがまま、腰まである高さの花壇のブロックに座らされる。花壇と

いっても、広さのわりに植わっている花もまばらな寂しい花壇だ。まるで彼女の

路上ライブの観客のようだと思った。

そういえば、さっきまで彼女の歌を聞いていた人たちの姿が見えない。みんなも

う帰ったみたいだ。

「ふうっ」

彼女も私の隣に腰を下ろすと、痒そうに自分の茶色い頭をガリガリと掻いた。髪

は短いけど、それでも蒸れるらしい。

「怖い」

彼女はタオルを首にかけると、ぼそっと呟いた。

私は思わず聞き返す。

「何が怖いんですか」

「あんたが怖い」

私が?

唐突に何を言うんだ、この人は。

「歌ってる間もずっと見てて、歌が終わってもずっと見てて。正直怖いわ」

見られている側からすれば確かにそうなのかもしれない。でもこんな場所で路上

ライブをする人間が、そんなこと気にするのだろうか。

けれどそんなことを口にだせるはずもなく、無表情で淡々と話す彼女に、私が返

せる言葉はなかった。

どうやら彼女は私にいちゃもんをつけるようだ。文句を言って、お金でもふんだ

くるつもりなのだろうか。

「なーんてね。嘘だって」

変なことをされる前に逃げだそうかと本気で考えていたら、彼女はそう言って楽

しそうに笑った。

私の、荷物を強く掴んだ手から余計な力が抜ける。

「毎週来てくれてありがと。やっぱりファンにはお礼くらい言わないと、ミュー

ジシャンとして失格だよね」

ファンというわけじゃないんだけど、彼女の嬉しそうな顔を見ていると否定でき

なかった。否定する理由もないし、いいか。

「もうひとつお礼ついでに、聞いてあげるよ」

「何を聞いてくれるんですか」

さっきと同じような聞き返しかただった。

「悩みごと。ずっと暗ぁーい顔しててさ。そんなんじゃ幸せも逃げるよ」

また驚いた。

私が彼女のことを見ていたように、彼女も私のことを見ていたのだ。恥ずかしい

というより、少し気味が悪い。

「お姉さんが聞いてあげる」

自分とそんなに年が変わらないように見えるけど。いや、実はそうでもないのか

もしれない。だけどこの見た目の若さでアラフォーだったら、それはそれでやっ

ぱり気味が悪い。

「ほらほら」

何かで聞いたことがある。知り合いに話すより、赤の他人のほうが話しやすい場

合もあると。

今がそのときなのかもしれない。

でも、赤の他人になんて話したくない。当たり前だ。

例え悩みではないにしても、赤の他人に話すことなんかない。

当たり前。

……だけど、なんだろう。

彼女には話してもいいかもしれないと思っている自分がいる。

自分の中に、自分じゃない自分がいる。

一種の気まぐれだろうか。

「どした?」

気まぐれを起こしているのは彼女の持つ雰囲気なのか。それとも自分じゃない自

分の仕業なのか。

全く見当がつかなかった。

「んー?」

でも。

その気まぐれに付き合ってみるのも悪くないかもしれない。

「知り合いがいたんです」

「知り合いならあたしにもいるよ」

「違います。そういう意味じゃなくて。ついこの間まで一緒にいたんです。でも

、今は遠くに行っちゃって」

「どのくらい遠く?」

「すごく遠いところです。ものすごく」

「会いに行かないの?」

「会おうと思っても、簡単には会えないんです」

「ふうん」

彼女は曖昧な返事をしながら、それが癖なのか、自分の耳たぶを触った。イメー

ジと違い、ピアスの穴も空けていない白い耳たぶだった。

「でも会いたいんだ?」

私は彼女の顔をちらっと見て、すぐに人の波に視線を戻した。

「会いたい。すごく会いたい。会って、話がしたい」

「そっか」

蓋をしたペットボトルの口の部分を持って、中の水をゆらゆら揺らしている。ち

ゃぷんちゃぷんという音が聞こえてきそうだった。

「ねえ、本当に知り合いなの?友だちとか恋人とかじゃなくて」

私が静かに首を振ると、彼女はそれ以上聞いてこなかった。そうだとしても、そ

うじゃないとしても、それ以上は言いたくなかった。

「月並みなこと言っていいかな」

「どうぞ」

「そういうときはね、歌ってみるといいよ。会話はできないけど、伝えたい声は

届く」

それが月並みなことなのかわからないけど、私はまた首を振った。

「それならとてつもなく大きな声で歌わないといけませんね」

「大きい声じゃなくてもいいって。気持ちが乗っかってたら」

「じゃあ、あなたの声も遠いところに届いてるって言うんですか?ここで歌って

いても誰も聞いてないのに」

言ってしまってから、後悔した。彼女が楽天的なことを言うから、つい意地悪く

なってしまった。

ちょっと気まずい。

「そうだね」

認められてしまい、さらに気まずい。

「そんじゃ、今度はあたし個人の考え」

ちゃぷん、と水が跳ねる。

「フォレストガンプって知ってる?」

「それって映画の?」

「そっ。あれの最初のシーンでさ、白い羽根が一枚だけ空から降ってくんの。そ

れが風に舞ってるうちに、歩いてるひとにくっついたり車に飛ばされたりしてト

ムハンクスが拾うんだ」

彼女がなぜ映画のあらすじを語るのか、私はその意味を量りかねた。

「歌もそうなんだって思ってる。あたしの歌が羽根になって、目の前を通り過ぎ

ていくひとたちにくっついてく。今度はそのひとが会うべつの誰かにくっつく。

そうやって歌の羽根がひとりで旅をしてって。そしたら、ここであたしの歌を聞

いてなかったひとにくっついた羽根も、遠くのあたしの知らないひとに出会える

わけじゃん」

彼女はペットボトルを翳した。街灯が水に映って揺れている。

「海外出張の多いリーマンにくっついた羽根は、よその国の誰かに出会える。宇

宙飛行士にくっついた羽根は、宇宙に旅立って火星人に出会う。そう考えたらね

、行けないところなんてないし、届かないところなんかないんだ」

彼女は水に揺らぐ月を見上げているのだろうか。

それとも、べつの何かを見ているのか。

「一グラムに満たない軽い羽根でもそこに込められた声も、想いも、残さず届く

。歌はね、相手がどんな場所にいたって届くんだ。気持ちが乗っかってたらね」

彼女はペットボトルを持った手を降ろすと、私の顔を見た。

「それと、もうひとつ。そう考えると、この星に住んでるひとって案外多いけど

、それでも少なからずみんな繋がってるんだって感じられる」

彼女の笑った顔。

そういえば、彼女の歌は力強いけど、歌っている間はずっと笑顔だったことを思

いだした。

「みんな、ひとりじゃないってさ」

楽しそうな笑顔。子どもが大切な宝物を見つけたときのような、そんな笑顔。

あのときに私が置いてきた、笑顔。

「だから、あなたは歌ってるんですか」

知らずに私の口をついた問いかけ。

「そうかも」

彼女は笑顔のままで返した。

そのまま見つめ合っているのが恥ずかしくて、私から視線を外した。

どこかに歩いていく人の足。その下にあるタイルの繋ぎめは、あみだくじのよう

になって、先へ先へと続いている。

「あー、なんかまた歌いたくなってきたぞ」

彼女はギターのストラップを首にかけると、私に手をさし伸べた。

「一緒に歌おうよ」

私は耳を疑った。

「一緒に、ですか」

「そう」

「む、無理です」

「無理なんてことあるかい。赤信号、みんなで渡れば怖くないって言うじゃん。

二人で渡ってみようよ」

彼女に無理やり腕を引っ張られ、強制的に立たされる。

私が俯いたままでいると、ややあってギターを弾く音が聞こえてきた。

「この曲……」

私も知ってる曲だった。

反射的に彼女の横顔を見た。

「おっ、どうやら知ってる曲みたいだね。一発目から大正解だ。あたしの曲でも

いいけどさ、それだと歌えないでしょ」

「いいんですか。著作権とか」

「カタいこと言わないの。こんなのカラオケで歌うようなもんだって」

「カラオケは使用料も払ってるんじゃ――」

「気にしない!」

彼女は宣言通り、気にせず歌いはじめる。

隣で、大きな声で歌われ、すぐ近くにいるのが恥ずかしくなる。当然だけど歌う

ことなんてできないから、私はしばらく黙って彼女の歌を聞いていた。

すると、目の前を行くスーツ姿の酔っ払い三人組のうち、坊主頭のおじさんが立

ち止まって歌いはじめた。気分が乗っているのはわかるけど、だいぶ音を外して

いる。

「さっきの続きだけど」

彼女が私にだけ聞こえる大きさで言う。

「意外と、みんな聞いてくれてるもんなんだよ」

ギターの音に負けない、芯の通った声。

気づけば、また何人かの人たちが立ち止まって彼女とおじさんの歌に耳を傾けて

いた。

さっきまで私が座っていた階段が目に入る。

そこにいた私の姿を今、重ねる。

私は息を深く吸い込んだ。

もう恥ずかしさはなかった。

迷いも、ない。

私も途中から二人の歌に参加した。思ったより大きな声が出て、自分でびっくり

した。あと、おじさんほどじゃないけど、上手く歌えないことにびっくりする。

 

聞こえてる?

近いうちにそっちに行くような、そんな気がしてたけど、勘違いだったみたい。

まだまだそっちへ行くのには時間がかかりそうだよ。

だから、次に会えるのもまだまだ先になるけど、飽きずに待っててよ。

こっちでこうして歌ってるからさ、嫌がらずに聞いててよ。

そっちからも、懲りずに見守っててよ。

 

私も歌う。力強く。

彼女のかき鳴らすギターにも、彼女の歌声にも負けないように。

歌の羽根を遠く遠く、遥か遠くの場所まで届けるために。

 

 
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