「何?捕まったものたちが蓮華さまに会いたいと?」
「はい」
「何ぃー、冥琳、そんなに警戒することはあるまい。相手は子供一人と軍師一人じゃ。それに、こちらを害するつもりおらぬ」
「駄目です。祭殿と明命の話を聞いてもどうも常識的には咬み合わないことが多すぎますし、まだ信用できるとはとても言いかねます」
「はぁ…これだから堅物はのーぅ」
「……何か言いましたか、祭殿(ゴゴゴ)」
「ほぅ…堅殿の時から仕えてきたこの儂にたかが地位を得てして勝てることができると思うのかの…一体誰に向けてで気迫を出しておる(ゴゴゴ)」
「うわぁっ!二人とも落ち着いてください!祭さまも!それ以上熱くなると不味いですってばー!」
「…蓮華さま」
「…思春、あなたはどう思うかしら。あの天の御使いという子」
「……私なんかが口を挟むところではありませんが、彼の言う言葉に裏があるとは思えません。相手は子供。彼は単に、蓮華に話たいことがあると言っていました。それだけです」
「興覇、その話に責任を取れるのだろうな」
「冥琳、あまり思春を…」
「もし、蓮華さまの身に何かがあるとすれば、この甘興覇、この場でその罪で命を落とされても文句がございません」
「………いいでしょう。ただし、私も一緒に行きます」
「冥琳?」
「子供相手に鬼神暗鬼になっておるお主が一緒に行ったところで何の役にもたたんわ」
「勝手に吠えてください。祭殿はどうなのか分かりませんが、私はまだ雪蓮のことを忘れていません」
「…儂がそれを忘れておるとでもいいたいのか……(ごごご)」
「うわぁー!だから駄目ですってばー!!」
「ふん、いいでしょう。どうせ使者を迎えに行った穏と亞莎が帰ってくるまではまだ時間がまだ残っています。その間、あちらの言い訳をゆっくりと聞いてあげようとしましょう」
始めて会った私に、頭を下げた子供。
年ではシャオと同じぐらい、いや、そのいかのように見えたけど、そんな彼が魏で昔から噂されていた天の御使いという。
彼が頭を下げた理由は分かっていた。
彼が魏の者。そして私たちは、彼らに王を穢されて心から怒りを持っていた。
今でもその事実は変わらない。
その中で魏から親善の使者が来るとされた時、その話を振りきらなかったのは、ただ国力の問題であった。
甚だしい。
礼儀上の弔意の礼は黙って受けていたが、親善など甚だしいにもほどがあった。
力さえあれば、今時でも姉の仇を取るために魏に向かいたかった。
だけど、私は呉の王。
この国を、姉さまの国を守らなければならない。
自分の憎しみよりも、民の幸せを考えなければならない。
親善の使者を受けるとは言った。
ただ、忘れてはいない。忘れてはいけない。奴らは、我が王を穢した仇。孫呉は絶対魏を許さない。
だけど、それとは別として、天の御使いという者には興味があった。
明命に聞くと、彼は私が姉さまの場を去り軍を整備している間、姉さまを助けようとしていたという。
明命曰く、「私の邪魔さえなければ、雪蓮さまは生きて居られたでしょう」とまで言っていた。
明命を責める気にはならなかった。
もう過ぎたことだった。今更後悔したところで姉さまは戻ってこない。
それよりも今は、そんな経験を踏まえて、より孫呉のために力を振り絞る明命の姿が見たかった。
でも、一体何故?
あの天の御使いという者はどうして姉さまを助けようとした。
何の得もなかった。
危うけば、そこで明命に殺されたかもしれない。
色んな考えが浮かんでいたら、いつの間にか彼を軟禁している部屋までついた。
「蓮華さま、本当によろしいのですか?」
戸を開く前に冥琳がそう聞いてくる。
姉さまの親友として、冥琳はこの呉のために今まで尽くしてくれている。
多分、親友を失った憎しみは私のものよりも深い。
そんな彼女であればこそ、私みたいに天の御使いに興味が湧いたのかも知れない。
「私は構わない。冥琳こそ、大丈夫なの?」
「私のことはご心配なく。それでは…参りましょう。興覇、もしもの時は…」
「…御意」
思春は軽く頭を下げて、私を見て頭を頷いた。
戸の柄に手をつける。
この戸を開ければ、あの天の御使いが……
がらっ
「……むぅ…」
「……すー……すー」
「……」
「……」
「……(はぁ)」
ね、寝てる?
三人とも、天の御使いと一緒に捕まった魏の軍師が椅子に座ったまま寝ている姿を見て呆れて言葉も出なかった。
女の子は座ったまま頭だけかくっ、かくっとしながら居眠りしていて、天の御使いの子はそんな女の子の肩に頭を乗せて一緒に寝ていた。
「……くふぅ……」
「……ふー……ふぅー……」
「…申し訳ありません。直ぐにたたき起こします」
「やめておきなさい、思春」
二人を起こそうとする思春を止める。
明命と祭二人がここに来て、もう何刻も過ぎてる。
こっちは食事もとっくに終えたところだけど、こっちにはまだ誰も運んでないはず。
「どうします?起きないからには話なぞ聞けませんぞ」
「ふむ……間を置いてまた来ようかしら……うん?」
何かちょっとおかしい。
「冥琳、あの子、ちょっと変じゃないかしら」
「変とは…?」
「……少し、呼吸が荒いですね」
そう言った思春があの子に近づいては、額に手をつけてみた。
「……熱があるようです」
「熱?」
そういえば、会った時びしょ濡れで……。
「軍師の方は大丈夫のようですが、こっちはかなり熱いです」
「…思春、外に行って医者の手配を」
「…宜しいのですか」
「………子供に罪はないわ」
「…御意」
思春は許可を得てから急いで部屋を出た。
「……」
「…魏の者に情けなど要らないとは言わないでしょうね
そんな私を見て、冥琳がなにやら不機嫌そうな顔をしていたので、私はそう尋ねた。
「私を悪者にしないでください。…ただ、私は軍師です。必要とあれば相手が子供といえど手加減はしません」
「……それで構わないわ」
私も公私の区切りをつけないつもりはない。
ただ、なんだろう。
何故かあの子を見ていると、そんなことは忘れてしまいそうになる。
それではいけないのに、姉さまのことや、魏への恨みも、この子の姿を見ていると忘れてしまいそうになる。
そんなことを考えていたけど、どうやら私たちが思ったよりも、彼の状態は深刻なものだったらしい。
「治せないって、どういうことだ」
官吏の中で医術係の者を連れてきて御使いを診察させたけど、彼の口から出た言葉は驚くものであった。
「恐れながら、あの子供の病状は尋常でなく、多分建業にある者で彼を診れるものがいないかと存じます」
「ただの風邪ではないのか?」
冥琳が問い詰めると、医員は頭を下げながら答え続けた。
「はい…確かに見た目では水に濡れた身体をうまく乾かしていなかったせいで、風邪にかかっているように見えますが、あの子の病状はそれ以前からひどく進んでいるものでして……風邪になったことも、その病気のせいで既に身体が弱っているからではないかと思われます」
「なら、先ず表に出ている病でもなんとかすればよかろう」
「恐れながら、人が風邪にかかったということは、身体が病気を勝つために戦っているという証拠でありまして…今薬を使って熱を下げたりすることは、見た目では病を治したように見えますが、実際のところ身体はもっと危険な状況に陥りかねないかと……」
「…そんな……」
私は後ろを向いて、寝床のある部屋に運んできて横たわって眠っている天の御使いを見た。
彼の顔は赤くなっていて、一見でも苦しそうに息を立てていた。
「今はただ見ている以外には出来ることはないかと……」
「…彼を治せるものは……」
「恐らく……都にもそれほどの名医はないかと」
確かに、彼の病気が長い間続くものだとしたら、曹操がそれをただ見ていたはずがないわね。
「分かった。下がっていいわ」
医員は頭を下げてそのまま部屋を出た。
「思いがけず、厄介なものを受け入れてしまったものです」
冥琳がため息をつきながら言う。
彼女が思っていることは分かる。
この状況は、後で来るはずの魏の使者たちとの協商で不利なものとなりかねない。
だけど、今はそんな話を越えて……
「……すぅ……はあぁ……っっ」
「!」
また御使い子の様子がおかしい。
「………んっ……んんっ……!」
「ちょっと、これどうなってるのよ」
「どうやら魘されているようですね」
魘されてる?
「はいぃー、ちょっと通りますねー」
「!?」
「!貴様がどうしてここに……!」
私と冥琳が振り向くと、そこには元の場所に軟禁されたまま寝ていたはずの魏の軍師が立っていた。
「お前は…」
「程昱と申します。でも今はちょっとそれどころじゃないのでちょっと失礼」
私たちにが居ることを気にもせず、私たちの間を通り抜けた、真っ直ぐ天の御使いの子が寝てる寝床に向かう。
「………っん…」
「はい…もう大丈夫ですよー」
そして、程昱が何をするのかと思ったらそのまま御使いが寝ている布団にもそもそ入ってきて彼の横に横たわって、彼の身体を抱きしめた。
そしたら…
「んんっ……んっ……ふぅ………すぅ……すぅ…」
御使いの吐息は直ぐに落ち着いて来て、普通に寝ている人のそれになった。
「どういうことだ?」
「まぁ、説明すると話が長くなりますけど……」
彼を抱きしめてるまま程昱を話を続けるかと思えば…
「……ぐぅー」
「一緒に寝るな!」
思わず大声をだしてしまうほど呆気ない行動。
「おおっ!魏の皆には受けたことのないまた新鮮な反応なのです……」
「戯言はそのぐらいにしてもらおう、程昱。こちらはその子に話があった。そもそも呼んだのはそっちの方だけどな」
冥琳は厳しそうにものをいう。
「そうですね……でも一刀君がこの調子ですし、今度はいつぞやに起きてくれるのやら……」
「今度って、前にもこんなことがあったの?」
「はい……丸一日ぐらいこうしてないと行けない時もありまして……なかなか困っちゃいますよ」
そう口では言っているが、あまり困ってそうにない、いや、寧ろかなり嬉しそうにしているのは気のせいかしら。
でも、次の時に私はそれが気のせいだったと確信した。
「華琳さまがこんな様子を見るとどう仰るものか……風は一刀君のことが心配でなりません……」
そう言いながら彼の顔を優しく撫でる程昱の手は、やがてはその頭を両腕に抱えて胸に抱きしめるのだった。
「………すぅー……ぅぅ……」
そしたら、御使いの寝顔が更に明るくなって、先まで痛みで悶々としていた顔はどこかに消え失せていた。
だけどその次の瞬間、その代わり少しさみしそうな顔になりながら寝てるはずなのに程昱の胸にもっと顔を埋めてくる。
その姿を側で見ていると、何故か神秘感というか…変な気分に陥っていた。
「まるで夜眠れない子を眠らせる母親よのぅ……」
「祭」
後ろを向くと、祭が私たちと一緒にその光景を見ていた。
そう、そういえば程昱をここに連れてきたのは……
「彼女を連れてきたのは…」
「ああ、儂じゃ。公瑾などんな暴言を言っているだろうかと心配になって助けに言ってみると、あの娘だけ顔が青くなって儂にあの子をどこに連れて行ったのかと聞くじゃろうが。まったく……」
「あなたはどこまで私を鬼にすれば気が済むのです」
「事実を言ったまでじゃ」
「…っ、私は……!」
「はい、そこ、あまり騒ぐと一刀が起きちゃいますので、喧嘩するなら出ていってくれますか?」
またもやぶつかりそうな冥琳と祭に程昱が制動をかけた。
それを聞いた祭は肩を疎めながら黙って、それを見た冥琳もそれ以上口は言わない。
「……祭、冥琳、二人とももう帰りなさい」
「蓮華さま、ですが…」
「どうせ今日は話ができそうにないわ。冥琳は明日魏の使者たちが来る予定だからその準備を……祭は、穏たちのところに行って、魏の将たちにこの状況を伝えなさい」
「……良いのか?」
「構わない」
「問題ないでしょう。寧ろ天の御使いが病状に居ると聞かれると、取り乱されてこっちに有利になります」
「公瑾、またお主はそうやって……」
「あぁーっもう!だから二人ともいい加減喧嘩はやめてさっさとでていきなさい!!」
「しーっ!」
「っ!す、済まない」
つい、素が出てしまった。
冥琳と祭をでさせて、私だけ椅子に腰をかけて、二人が絡みあって眠っている様子を見守っている。
…他にやるべきことがないわけではない。
なのに、その様子を見ていたいと思う私がそこにいた。
あの光景を見ているだけでも、何故か心が温まった。ここ最近王としての振る舞ってばかりで、気を抜く暇なんてなかったのに……
「他国の人たちの前で気を抜く王というのも…どうかと思いますけどね……」
「っ!!」
そ、そうだった!そういえば……すっかり忘れてた……
「……思いのほか、呉の新しい王さまは優しい御方のようで……」
「…ほっときなさい」
「いえ、いえ、関心しているのですよ。それに、風は安心しているのです」
「安心?」
「はい……」
程昱は御使いを見ていた顔を上げて椅子に座ってる私に目をあわせた。
「恐れながら、桂花ちゃんたちが来る前に少し言い訳を聞いてはいけないでしょうか」
「………いいだろう。聞かせていただく。今日のあの子の行動に免じてだ」
「ありがとうございますーー」
程昱はそう礼を言って話を続けた。
「先ず、私たちが攻めていた時のことですが、以前に申し上げたことがある通り、あの暗殺事件は功を焦った一部の統率が聞かなかった者どもの仕業であって、曹操さまは孫策さまとの聖なる戦いを望んでおられました」
「そんな話ならもう聞いている」
どんなに自分のせいではないと言っても、兵をうまく統率できなかったという言い訳は言い訳にもならない。
最も、戦争にて兵をうまく取り扱えなかったのは将の罪、それは進んでは君主の罪である。
その言い訳はそれが曹操のせいではないという言い訳にはまったくならない。
「ですが……この一刀君は戦争中突然曹操さまに向かってその戦いに異議を唱えながら、その場で曹操軍が撤退する決定的な理由を与えてました」
「……どういうことだ?」
「風が一刀君と呉の周将軍と黄将軍の話から推測するに、恐らく一刀君は、最初からこの戦いを止めるために、孫策さんを助けようとしたのではないかと思います」
「何?!」
この子は、姉さまがそんなことになるだろうと知っていたというのか?
「ですが、結局孫策さまを助けることに失敗、本陣に戻ってきた一刀君は、自分の身体に矢を打ち込み、曹操さまから戦う意志を奪い早々に軍を撤退させるように仕組んでいました。おかげで魏と呉両国とも、その戦いで最小限の被害で戦を終わらせることができました」
「……あの子は私たちのためにそんなことをしたというのか?」
「いいえ、魏か呉か…国を問わずただ人の命を助けるためにそんなことをしたのです」
「……!」
あんな子供が…誰かも知らない人たちのために自分の傷つけただと……。
「そして、一刀君はその後魏に帰ってきてから少し様子がおかしかったのです。そして、つい先週、やっと一刀君は今まで病を隠して振舞っていたことが判明されました。それもまた、孫呉との戦いの後、蜀と呉両国と同盟を結ぼうとする曹操さまの気の邪魔にならないため……」
「………こんな小さい子供が、どうしてそこまで…」
「………」
小さく音を立てながら寝ている御使いの様子はもう大丈夫なようだったが、それでもまだ程昱は布団からは出てこなかった。
姿勢から見ると、多分中で御使いに掴まって出られないのであろう。
「風は一刀君を知って日が浅いので、一刀君のことを詳しくはわかりませんが……一刀君は小さい頃の事故で喋れなくなった後、親に捨てられたそうです」
「……!」
「それから数年を一人で生き延びて、曹操さまや皆さんに出会って、親から受けられなかった愛を受けながらここまで来ました。ですが、一人で辛く生きてきた過去は、どうしても打ち消せないもの……戦いを見る度に、その戦いの中で死んでゆく人たちを見ながら一刀君は自分のように愛する人たちを失って悲しむ家族たちの辛さが見えたのかも知れません」
「………」
戦になると人が死ぬ。
当然のこと。
だけど、死にゆく人たちよりも辛いのは、残された者たち。
誰かの夫で、親で、息子だった者。
そんな者一人の死は、何倍、何十倍になって残されたものたちの心を刺す。
国の補償や、周りの慰みで癒されるものではない。
だが、それでも国の上に立つものたちは、そんな犠牲を踏まえてでも叶えたいものがある。
いや、少なくとも姉さまにはそれがあった。
戦で私たちは戦の勝利を見る。戦に勝っての利を見る。兵たちの犠牲を、悲しみに沈んでいてはこんなことはできやしない。
戦であの子は死んでゆく人たちを、残される人たちの悲しみを見ていた。だからこそ自分の身を犠牲にして、より多くの人たちを救ったという。
私は、本当に人を犠牲にする覚悟を持っているか?姉さまはそれを持っていた。だけど、私はそれを持っているか?
持っているとすれば、私はあの子に何といえばいい。
国のために人たちを犠牲にするのではなく、
人たちのために自分を犠牲にした天の御使いに……
大人の私は一体なんと言えばいい……
「複雑ですよね……風たちも……そして曹操さまもその気に落ちていました」
「…それで、戦をやめたというのか」
「……たった一人の子供の犠牲が多くの人たちを救ったといえば話はいいです。が、私たちにとって一刀君はもう国そのものよりも大事な存在となっているのです」
「…………私は…」
私に一番大事なものはなんだ。
国?
国とは何だ。
国とは民だ。
……なのに私は、国のために民を犠牲にしなければならない。
民たちに、国のために死ねといわねばなるまい。
……おかしい。おかしい話だ。
「或者は、華琳さまが覇道を捨てられたことを、魏の滅亡そのものとまで言うものまでありました。……だとすれば、魏はたった一人の子供に滅亡されたことになるでしょう。外からの患でもなく、内からの憂でもなく、ただ子供一人の理屈を乗り越えることができなかったのが魏の滅亡の原因と言えば、それもまた天命であるのかもしれませんね」
「天命……」
「………っ…」
あ
「……ん?」
「おや、起こしちゃいましたか?」
「……<<ふるふる>>」
御使いの子が起きた。
まだ眠気が残っている目を遅く瞬きながら、周りを見ていたら私と目が合った。
「………………」
「……」
「……………………!!!」
ボン!
長い思考時間が過ぎてやっと私が誰か気づいたあの子は、布団から飛び上がって立った。
外を見るともうすっかり日が暮れている。
「………<<ぺこり>>」
「…良い。それより、病があったと聞く。何故もっと早く言ってくれなかったのだ」
「………」
御使い子は顔を逸らして困った顔をする。
だけど、直ぐにまた私に顔を向けた。
そして、懐から竹簡を一つ取り出して、私に差し出した。
「……」
「……<<ペコリ>>」
私がそれを貰い受けると、あの子はまた頭を下げてからそこに立って待っていた。
私はその竹簡を開いてみた。
『ボクはこの世界に来て、今まで感じたことがないほどの幸せな日々を送りました。魏の曹操お姉ちゃんや夏侯惇、夏侯淵お姉ちゃん、荀彧お姉ちゃんたち…そして他にたくさんの人たちが居てくれて、ボクは幸せでした。
反董卓連合の時、劉備お姉ちゃんたちのところに行ってたことを覚えています。皆優しい人たちで、皆が幸せに生きるための世界を作るために頑張っていると言ってました。
多分、それは呉のお姉さんたちも同じだと思います。皆人の幸せのために国を建てて、人たちを集めて、戦って、人たちを守ってきました。
だけど、その戦いが国と国の戦いになるのを初めて見た時、ボクはおかしいと思いました。皆人たちを守るために戦うはずなのに、どうして自分たちを守るために向こうの人たちを殺さなければならないのか。ボクは華琳お姉ちゃんが孫呉との戦いを始めようとするその寸前にそのことを聞いてみました。
そしたら……ボクが考えていたことが間違っていたって気づきました。誰も……人たちを守るためになんて戦ってなんていませんでした。ただ相手を潰すために、戦に勝つために戦をしていました。ボクはその先に何があるのか、戦に勝てば何がいいのか分かりません。だからボクは曹操お姉ちゃんにそれを聞きました。……曹操お姉ちゃんは教えてくれませんでした。ただ、それがそれほどの価値があるものだって言っていました。ボクは分かりませんでした。何も人の命より大事なものなんてありません。
金も、領土も、名誉も…いくらあったってそのために死んでいった人たちの命を返すことはできません。なのに、一体それよりも大事なものがなんなのか、一体何が皆を戦わせて、殺しあわせているのかボクにはまだわかりません。でも、これだけはわかります。今曹操お姉ちゃんが皆と仲良くしようとしているのは、本気です。本当に曹操お姉ちゃんは…戦うのをやめて人たちがもう戦いで死なない世界を作ってくれるって言っていました。
だから……言ってください。戦いで得られるその人の命よりも大事なものがなんなのか…もし、それが人の命よりも大事なものでなければ、どうか曹操お姉ちゃんたちを信じて、同盟に応じてください。そしたら、誰も戦で死にません。誰も大事な人を失って泣くことなんてありません。
……ボクが孫策お姉ちゃんをもう助けることができないって言われた時、初めて思ったことがあります。どうしてこんな風に死ななければならないのかって、どうして人を殺さなければ得られないそのものを望まなければならないのか……ボクがその人の命よりも大事なものが何か分かれば…ボクは死んでもそのモノを無駄にさせてしまいます。それにそれほどの価値が…人の命以上の価値があるのだったらボクはそんなもの、この世界に要らないと思います。それは人たちの幸せに何の必要もなにものですから……』
………途中から……私が何を読んでいるのかわからなくなってきた。
……前が見えなかった。
書いてあるものが良く見えなかった。
目の前のあの子を見ようとしたら、あの子の姿も良く見えなかった。
目に一杯涙を汲んでいた。世界が潤って見えた。
涙で歪んだ視界、それはきっと、あの子が見ていたはずの世界。
その世界を見ていたらもうその世界が見たくなくなって、私は涙を流してしまった。
泣いてしまった。
あの子を抱きしめて泣いた。
………呉は滅ぼされた。
Tweet |
|
|
20
|
5
|
追加するフォルダを選択
あまい、と言われるかもしれません。
実の世界はそんなにあまくないと言われるかもしれません。
でも、大丈夫です。この世界でだけは大丈夫なのです。
自分がそんなにあまいのですから……