#31
曹操たちが部屋を訪れてから3日後、彼女の言葉の通り、一刀と恋、風と稟は、陳留の城に来ていた。月と雪蓮の城で見慣れていたのか、その壮観に一刀は大した驚きも見せず、また風たちも一度訪れていたため、同様であった。
門番に曹操に会いに来たと伝えると、2人いたうちの1人が城内へと駆けていく。誘っておいて話を伝えてなかったのかと呆れながらも、律儀に問いに行く兵士は、さすが曹操の城の門番を任されるだけのことはあるのかもしれない。
―――待つこと5分。彼らを迎えに来たのは秋蘭であった。春蘭でもよかったのだが、万が一にも一刀と仕合を始めたら堪らないと、妹が来たその理由を、一刀たちは知る由もない。
「すまなかったな。姉者が伝えると言っていたのだが、どうも連絡がうまく回っていなかったみたいだ」
「あぁ…春蘭なら仕方がないかな」
「わかってくれるか………と、華琳様がお待ちだ。これから案内させてもらうよ」
その言葉と共に背を向けて歩き出す秋蘭の後ろを、4人はついていく。流石の風や稟も、前回は入ることすらできなかった城にいる現状に、ほんの僅かに緊張している様子が窺える。
歩くこと数分、ひと際巨大な扉の前に辿り着く。おそらく、玉座の間の入り口なのであろう。城の権力者が集うであろうその間の扉は、華美ではなく、厳かな雰囲気を醸し出している。
「では入ろうか」
「あぁ」
秋蘭の短い言葉に返事をし、広間の中に入った一刀たちの前には広大な空間と、その奥の玉座に座る曹操の姿があった。隣には猫耳型のフードを被った少女の姿もある。立ち位置からして忠臣の一人なのであろう。その距離はただの主と文官というには近すぎた。
対する曹操は4人が玉座の前まで案内されても立ちあがることはしない。また、それを気にする人間もここにはいない。風や稟はこういった形式は知っているし、一刀は知らなかろうが雰囲気で察する。………恋は言わずもがなである。
「よく来てくれたわね、北郷。そしてそちらの3人も」
「まぁ、お願いされたからね」
一刀がそんな風に軽く返すと、猫耳フードの少女がキッと一刀を睨みつけて口を開いた。
「ちょっとアンタ!華琳様になんて口のきき方してるのよ!!これだから男ってのは駄目なのよ。野蛮だし、礼儀も知らないし、変態だし、汚らわしい!華琳様!私はやはり男なぞを迎え入れるのは反対です」
「黙りなさい」
「しかしっ―――」
「桂花?」
「………はぃ」
その可愛らしい外見からは想像出来ないほどの罵倒が、その口からは飛び出した。曹操はそれを叱ることもないが、一言名を呼ぶだけで黙らせるあたり、彼女の主としての才と少女の忠誠心が窺える。が、―――。
「なぁ、曹操、帰っていいか?」
「駄目よ」
「だって、歓迎されてないようだし、俺だってあんな風に言われたら怒ることだってあるぞ?」
「それもそうね。桂花、さっさと謝罪なさい」
「………華琳様ぁ」
「駄目よ。それとも何?貴女は春蘭を凌ぐ武の持ち主を彼以外に探し出せるとでも言うつもり」
「………いえ。謝罪いたします。………………北郷と言ったわね。先の言葉は、その、謝罪するわ」
本当に苦々しく呟くその様子に一刀は呆れかえるが、気にしても仕方がないと彼女の主に向き直る。
「で、その娘は?」
「荀彧よ。私の軍師をしているわ」
「そうか。それで、先日の件だが………ちょっと訂正があってな」
「何?」
「こっちの娘…程昱というんだがな。故あって俺付の軍師となった。使うかどうかは予定通りそちらで測ってもらってかまわないが、なるとしても客将ということにしてくれ」
「あら、この間と変わらずなかなかの傲慢っぷりね」
「君ほどじゃないさ。それに、仕えさせたいと思うなら、それだけの器を見せつけてやればいいじゃないか。彼女にも………そして俺にもな」
「この私を試そうとはね………」
一刀の言葉に呟いた彼女は不敵な笑みを浮かべると、立ち上がり、堂々と言い放った。
「いいわ!絶対に貴方たちに認めさせてあげる!私こそが仕えるべき主に相応しいと!!桂花、その2人の軍師としての試験を行いなさい。どれだけ難しくても構わないわ。この曹孟徳に仕えるに足る人物か、貴女の目で直接判断するのよ。………いいでしょう、北郷?」
「あぁ」
「春蘭!貴女はその娘の武の力を測りなさい。貴女を負かした北郷が侍らせているのだから、相当の武の持ち主なのでしょう。存分に腕を振るいなさい!」
「はっ!」
その宣言と同時に荀彧が風と稟を手招きして玉座を出て行く。曹操は玉座の前に据えられた階段を下り、一刀たちの元へとやってきた。
「さて、北郷。貴方の実力をこの目で確かめさせてもらうわよ」
「俺?恋じゃなくて?」
「春蘭と秋蘭の言葉を疑う訳じゃないけど、直にその武を見せてもらうわ。ついて来なさい」
一刀と恋は、曹操と夏候姉妹の後をついて、廊下を歩いていくのであった。
案内に従って練兵場に到着した一刀は、口を開いた。
「さて、それじゃぁどっちからやる?」
「そうね…春蘭、どっちがいいかしら?」
「そうですね………先日は北郷と仕合いましたので、今度は恋とさせてもらえれば」
「わかったわ。呂布だったかしら?春蘭と勝負なさい」
「………………」
「呂布?」
返事をしない恋を疑問に思う曹操に、一刀は待ってくれと声をかける。
「恋、勝負はしたくないか?」
「………(ふるふる)」
「じゃぁ、どうして返事をしないんだ?」
「………………………ご飯」
「え?」
「恋が勝ったら、ご飯…食べさせて」
「………………だ、そうだけど」
「あら、呂布はそんなに多欲なわけではないようね。いいわよ。春蘭に勝つことができたら好きなだけ食べさせてあげるわ」
「………しゅんらん、やる」
「応っ!」
味を占めたな、と一刀は恋の成長に喜びつつも呆れつつ、練兵場に向かう春蘭に声をかけた。
「なんだ?」
「春蘭、これは師からの言葉として聞け。様子見などしようとするな。最初から全力でかかっていかないと、瞬殺だぞ」
「………わかった」
『師』という言葉に春蘭の意識が切り替わる。その様子を見ていた後ろの二人の反応はそれぞれであった。秋蘭は先日の姉の様子を知っているので特に反応も見せないが、曹操は、あの春蘭がと呟きながら、驚きの表情を作る。
そうしてそれぞれの得物を構えた恋と春蘭の間には、先日のように秋蘭が立ち、審判を務める。2人の様子を確かめた彼女は片手をあげて、掛け声と共にその手を勢いよく振り下ろした。
ガガキィッ!
「くっ!」
「……えっ!?」
声を上げたのは、恋の初撃を受けた春蘭と、彼女の主である曹操であった。前者はその戟に込められた力の強さに、後者は愛する部下が苦しげにあげた声に。
「………春蘭、ちょっと、強くなった」
呟く恋の声に僅かながら喜びが混じっていることに一刀は気づく。
勝てば美味しいものをたくさん食べられる喜び?そんな無粋なものではない。
強者と戦える喜び?そんな粋なものではない。
ただ、その成長に対する喜びが、彼女の声音には含まれていた。一刀が感動を禁じ得ずにいる間にも、彼女たちの闘いは続いていく。春蘭の剣は前回同様に力強く、かつ早いものではあるが、一振り一振りの間隔が少しだけ長くなっていた。
「春蘭……強くなってる」
「あぁ、我が師の教え通りにな!………くっ!考えながら剣を振るうというのは面倒ではあるが、なんというか、前よりもいい具合に剣が動いてくれる………はぁっ!」
「………ふっ。…一刀は強い。だから………一刀と修行すれば、きっと春蘭も強くなれる。………っ」
「高みからの言葉だが、恋に言われたら怒りも湧かんな。はぁっ!お前、手加減しているだろう?」
「………ん。……ご飯もいいけど。一刀が強くしたい、って思ってるから…恋も手伝う」
「ありがたい!だが、もう少し強くしてもいいぞ?」
「………………いく」
言葉の通り、春蘭自身もこれを稽古の一つと思っているのだろう。以前、一刀は言っていた。『恋は2人がかりでも倒せない』と。己が認めた師がそう言っているのだ。信じないわけがない。それと同時に彼女は、この時期に2人と出会えた幸運にも感謝していた。己が主はいずれ大陸に覇を唱える唯一の人物。その矛となるべき自分が、こうして強くなることを実感しているのだから。
初めは食事の為と考えていた恋も、初撃を防いだ春蘭にその意図を変えた。あの一刀が弟子として認めたのだ。ならば、自分にできることはその手伝いをするだけである。直接的な理由としては、好きな男を喜ばせたいというものに過ぎない。しかし、考えることが苦手な彼女は自分で必死に考えて、少しでも彼を手伝おうとしている。共にいるために。
「………凄いわね。春蘭が本気なのはわかるけど、呂布は底が見えないわ」
「………………あぁ」
「北郷…どうしたの?」
「いや………なんでもないよ」
「気になるじゃない、言いなさいよ」
「………そんな眼で見るなよ。わかったから。恋はさぁ、なんていうか、感情の表現が苦手なんだよ。あと、考えを表現することも。言いたいこともしたいこともたくさんあるけれど、どうやればいいのか分からない。どう伝えればいいのかわからない。そんな不器用な子なんだ。でもさ、その恋が、あぁやって春蘭の稽古をつけているのを見て………成長したんだな、って感傷に浸ってた」
「ふぅん………何て言うか、親莫迦ね」
「否定はしないよ」
「………つまらないわね」
それきり曹操と一刀は口を閉ざす。いまだ続く2人の攻防を見ながら、楽しそうに武器を振る部下の、あるいは愛する女性の姿をしっかりと目に焼き付けるのであった。
結局、一刻ほど続いたその稽古は、恋の腹の虫が間断なく鳴き始めたあたりで中断となった。勝敗はついていないがその実力差は明らかであり、曹操も恋への食事の提供を許可する。彼女の命を受けた春蘭は、恋と連れ立って厨房へと向かっていった。
練兵場に残った3人―――曹操、秋蘭、一刀―――は、向き合って雑談を交わす。
「それにしても、あの春蘭が大人しく稽古を受けるとわね」
「姉者はこの北郷との実力差を理解しています。また、恋の実力も北郷から聞いて知っていましたので、あぁやって冷静に仕合ができたのでしょう」
「そう………で、師である貴方は何か思うところはある?」
「ん…春蘭は強くなっているよ、この3日間で。彼女の中でどんな変化があったかは分からないが、心の状態で個人の武なんていくらでも変わり得る。元々実力も才能もあったんだ。後は、どれだけ理を追及できるかにかかっているかな、彼女の場合は」
「………理ねぇ。春蘭にはその才覚を生かした闘いの方があっていると思っていたのだけれど?」
「俺もそう思うよ。ただ、その才能を生かす為に、あらゆる状況を知っておかなければならない。一つの太刀筋に対して受け方は無数にある。またその逆もね。彼女がやるべきは、理を追及し様々な剣筋を知ることで、自身の持つ手の中から最善の一を選び取ることだ。才覚が本当に必要になるのはその後だよ」
「言いたいことはわかるわ。確かに、春蘭もそろそろ思考を身に着けるべきかもね」
一刀の説明に曹操も頷き、2人が去った方角を見やる。愛する部下はこれからもっと強くなる。それは確信している。そんな喜びがあるなかで、一つの懸念が浮かび上がった。
「ところで、北郷と呂布はどちらが強いのかしら?」
「………難しい質問だな。俺たちは一度も勝負したことがないからね」
「最強の座を求めようとは思わないの?」
「俺は恋が好きなんだよ。俺は彼女に命を救われた。そのことも少なからず関わってはいるが、俺が動く理由は唯一つ。恋に哀しい想いをさせない為だ。その為に、こうして旅をしてきたし、曹操の客将も請け負うつもりでいる」
曹操と秋蘭は、一刀の台詞に言葉を無くす。その言葉の額面通りの意味に圧倒されたわけではない。実際にその想いを口にし、実際にそれほどの行動をとる彼自身に絶句したのだ。
二人ほどの実力があるのならば、どこでも仕官できるだろう。ともすれば将軍すらも。しかし、それをしないということは、どこかに仕えていては成し得ないことがあるということだ。
この時代、どこかの権力に属していない者は、生きることはできても、腕のいい商人でもない限り満足のいく暮らしはなかなかに営めない。それを捨てて、こうして何かの為に旅をしている。その何かはわからないが、彼の言う通りならば、それを成せなければ彼の愛する者が悲しむということなのだろう。
聡い2人はその裏の意味までも察してしまう。そして、その想いを抱えた人間の偉大さをも。
押し黙った彼女たちに、照れているのだろうかと勘違いをしている一刀が声をかける。
「で、俺の実力を見る、って話はどうする?」
「え!あ、あぁ、そうね………秋蘭、貴女、相手できる?」
「………大変お恥ずかしい話ではありますが、先日の姉者との闘いぶりを見る限りでは、今の私ではその実力の半分も引き出せる気がしません」
「そう………どうしようかしら。いっそのこと、私が相手をしようかしら」
「華琳様!?」
主君のまさかの提案に、忠臣は思わず声をあげる。しかし、当の本人はいたて涼しい顔をしており、問いかけられた男も特に驚いた様子もない。
「それでもいいけど、これがちゃんと見切れたら相手をしてあげるよ」
「え?」
一刀の言葉に曹操が声を上げた瞬間、彼女の顔の横を風が通り過ぎる。一瞬の沈黙の後、意識を取り戻した曹操が目にしたのは、自分に向かって腕を伸ばした状態の一刀。顔を横に向けるとそこには妖しく光る一筋の刀。そこまで確認して、ようやく彼女は、一刀から突きが放たれたことを理解した。
「見えたかい?」
「………無理に決まってるじゃない」
「というわけで、君にはまだ俺の相手は無理だ。確かに素養はあるけれども、春蘭や秋蘭みたいに武の鍛錬を毎日行っているわけではないだろう?」
「それを言われると苦しいわね…」
「まぁ、もともと俺は食客として迎えてくれる、って話だったし、春蘭の稽古をつけている時にでも見てくれよ」
「わかったわ」
自分は恋の様子を見に行くと言い残して、一刀は練兵場の出口へと向かう。その様子を見ていると、ふと一刀が立ち止まり、振り返った。
「そうだった。さっきの一撃…動かなかった秋蘭を責めるなよ?止めに入ろうと思えば、彼女なら止められるくらいにはしたんだ。それをしなかったという事は、俺に殺気がないのをちゃんと理解していたんだからな」
そう言い残して、今度こそ一刀は出て行った。それを見送った曹操は、横に立つ家臣に問いかける。
「北郷の言う事は本当かしら?」
「えぇ。殺気がまるで感じられませんでしたので………それに、あれは優しい男です。無闇に人を傷つけるような輩ではありませんので」
「そう………それにしても、さっきの物言い………………」
「はい。もっと速く…それこそ私が動けないくらいの突きも放てると言っているように聞こえました」
「………恐ろしいわね、ふふ」
呟く彼女の表情は、言葉とは裏腹に明るいものであった。
その頃、城内のとある一室では―――。
「稟ちゃん稟ちゃん」
「何でしょう?」
「………………………」
机の3辺にそれぞれ少女が座っている。金髪の少女は木の塊をコロコロと指で転がし、眼鏡をかけた少女は机の上のものを見つめ、猫耳フードの少女は机に突っ伏していた。
机の上には将棋の盤。それは既に終わったものなのであろう。片側の本陣は数個の駒で囲まれており、どこにも逃げ場はないことを示している。
「稟ちゃんのお友達も、あまり大したことはありませんねー」
「まぁ曹操殿の軍師は彼女一人と言いますし、内政で忙しくて少し鈍ったものと考えてあげましょう」
「………………………」
「稟ちゃんは優しいですねー。ところで、この猫耳ちゃんは何故机に伏しているのでしょう?」
「言ってやらないであげましょう。曹操殿の唯一にして筆頭の軍師である誇りが、こうも完膚なきまでに――――――」
「だぁぁああぁっ!!うるさいわよ、アンタ達!!そう、郭嘉の言う通りよ!最近いい相手がいなくて鈍っていただけなんだから!そうと分かればもう一勝負やるわよ!!」
「えー何度やっても同じですよー。荀彧さんの打ち方は覚えてしまいましたしー」
「よいではないですか。風だって、久々に私以外の相手で嬉しいでしょう?」
「おやおや、稟ちゃんにはバレてましたか。そですねー。この様子なら風たちを不合格にはできませんでしょうし…仕方がないですねー」
そう返事をして駒を最初の位置に戻す風の目の前には、プライドがズタズタにされたのか、涙目で同じように駒を動かす少女がいた。
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