No.193767

「あなたとわたしは彼女と僕の」第8章

 悠木有紗にとって僕がどういう存在なのか、気にならないと言えば嘘になる。
 でも、僕が彼女にとって特別な存在だなんて妄想は、僕の頭の中にしまっておく。

 ただ一つ、ただ一つ言えることは、僕には彼女が必要だったって事だ。

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2011-01-03 19:43:21 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:269   閲覧ユーザー数:266

  第七.五章「再会」

 

 

 わたしが普通の病棟に移ったのはアレから一年後のことだった。

 その一年間、本当に色々なことがあった。

 

 治療チームが変わったこと。

 新しい薬を飲み始めたこと。

 みんなが死んでいったこと。

 

 つらくて悲しい記憶がほとんどだった。

 そんな中、あの死にかけていたジュンがわたしたちとの部屋に移されるぐらいに回復したのは本当にうれしかった。

 

 だけど、わたしはもうあの部屋にいない。

 わたしの病状が回復したからと先生は言っていたけど、たぶんそれは違うんだとわたしは感じていた。

 

 わたしがパパの子供だから、わたしは特別扱いされてるんだ。

 治る見込みのない病気にかかったので私は一度パパに捨てられた。

 でも病状が回復すると手のひらを返したように、周りの人たちがわたしを大事に扱うようになった。

 

 たぶん、パパが何か指示を出したんだと思う。

 それでもパパは一度もお見舞いには来てくれなかった。

 わたしはそれを悲しいとは思わなくなっていた。

 

 もうパパがわたしを愛してくれているだなんて幻想は抱いていない。

 わたしの体を蝕んだ病がわたしに色々なことを教えてくれた。

 

 生きること。死ぬということ。

 他人も身内も信用なんてできないこと。

 約束を守ってくれる人がいるということ。

 

 不治と言われた病を乗り越えたわたしは、もう普通の子供とは何もかもが違っていた。

 考え方も感じ方も、普通の人からみれば狂っているって言われても仕方がないぐらいにひん曲がっているのは自覚していた。

 そして、体も普通じゃなくなっていたことも。

 

 私は何でもやり過ぎてしまう体になっていた。

 持ったコップは握り潰してしまうし、一歩足を出せば自分で止まれないぐらいに踏み出してしまう。

 最初は真っ直ぐ立ち続けることもできずに転んでばかりだった。

 その所為でわたしの体は怪我だらけになっていた。

 

 普通の病棟でやっていたことといえば、その怪我の治療と、体を普通に動かせるようにするリハビリだった。

 もうあの病気の症状は全く出ていなかった。

 

 数ヶ月経って、わたしは退院することになった。

 それと同時に、わたしは死んだママの家族がいるウェールズに移り住むことが決まっていた。

 

『ほとぼりが冷めるまで日本を離れた方がいい』

 

 パパがそう言ったらしい。

 パパと一緒に住めと言われるより何倍もましだった。

 

 ただ、わたしには心残りがあった。

 ジュンのことだ。

 

 私と一緒にここを出ようと約束したジュン。

 でも退院するのはわたしだけだった。

 ジュンとはあの部屋を出るときに別れたきりになっていた。

 

 「もう死んだよ」。そんな答えが返ってくるのではないかと、誰にもジュンのことを聞けないでいた。

 退院する前日、わたしは思いきって先生にジュンのことを聞いてみた。

 そのとき先生は顔をしかめたけど、数時間後にジュンと会わせてくれた。

 

 ジュンは生きていた。

 あの部屋に置いてきてしまい心配したけど、ジュンも回復に向かっているそうだった。

 ただ、わたしと会ったジュンは無表情な顔でわたしを見つめていた。

 

「ジュン。どうしたの? 苦しいの?」

 

 わたしが心配の声をかけると、ジュンは困った顔に変わった。

 

「……誰?」

 

 わたしは息が止まる思いだった。

 

「有紗だよ。一緒の部屋だった正菱有紗だよ。

 髪の色とか変わっちゃったけどわかるでしょ?」

 

「ありさ? ……知らない」

 

 ジュンは首を大きく横に振った。

 

「わたしを知らない……そんな」

 

 そうだ。わたしがあの部屋にいた頃からジュンは不安定だった。

 それでもわたしを覚えていないことなんてなかったのに。

 

「あなた誰?」

 

 わたしが聞き返した

 

「柚山潤だよ」

 

 柚山潤……。確かにジュンの名前だ。

 なのに何か違う。この潤は前のジュンとは違う。

 

「みんなはどうしたの?」

 

「みんなって誰?」

 

 

 

 

 

  第八章「深山浩の場合」

 

 

 僕はそれまで単なる医学研究員だった。

 その研究も単なる難病の治療法を探るというありふれたテーマ。

 ただ僕の所属した研究機関が普通と違うのは、まだ確立していない治療法を極秘裏に人間で試している。

 それだけのことだった。

 

 確かにマスコミや人権団体に知れれば人権無視だと大合唱を受けるだろうが、そんなもの、表沙汰にならないだけで世界中どこでも行われている。

 医学の進歩とはそういう人体実験の上に成り立っているのは事実である。

 僕は僕の所属する研究グループを、MBAD研究の最先端を行くパイオニアとして自負を持っていた。

 しかし、僕たちの研究成果は芳しくなかった。

 

 MBADの症例解析は進んでいたが、その治療法はいつまで経っても判明することはなかった。

 まさに現代医学の限界がそこにあった。だからこそ、法も人権も無視してもなお、研究を進めようとした。

 

 端か見れば脳を弄(いじ)くり回し、人をオモチャのように扱っていたと見えただろう。

 実際、脳に直接投薬したこともある。

 生きたままを切開したこともある。

 人体実験と蔑まれようとも、僕はいつだって患者を生かす為に行っていた。

 

 そんな悶々とした研究生活が何年も続き、全く成果が上がらなかった僕は当然の如く一線から外された。

 いや、成果が上がっていなかったのは他の研究グループも同じであったが、僕は上司の顔覚えが悪かったのだろう、何の期待もされていないHシリーズの担当となった。

 

 そこで僕は黒川将人に初めて会った。

 いや、黒川はあの研究所では有名人だったので顔は以前から知っていた。

 有能なのにやり方が強引である為、上から目をつけられていた男だ。

 彼も僕同様、Hシリーズにとばされた一人だった。

 

 黒川と会って話しみると周囲の彼に対する評価が不当なものであると直ぐにわかった。

 彼の研究への熱意は尋常ではなかった。

 その溢れんばかりの情熱が彼を多少、強引な研究に駆り立てていたのだ。

 僕は彼の行動力を羨ましく思った。彼のようになりたいとさえ思った。

 だから彼について行くと決めたのだ。

 

 僕がHシリーズの担当になって半年、ある患者が安国病院に運び込まれた。

 末期のMBAD。幼少期の子供しか発症しないMBAD患者の中でも、あそこまで症状の進んだ患者は見たことがなかった。

 大抵はその前に死んでしまうからだ。

 

 そのとき、僕たちはその患者の特異性に気付いていなかった。

 絶対数の少ないMBADの実験体が増えたとしか思っていなかったのかもしれない。

 

 その患者を実験病棟に運び込む準備が刻々と進んでいた。

 そんな中、僕たちはその患者の母親に最後の承諾を取りに行った。

 

 僕たちの説明を聞くその若い母親は、ただ頷くばかりだった。

 恐らく、それが彼女にとっての精一杯だったのだろう。

 彼女の瞳に涙はない。

 既に枯れ尽くす程、涙を流してしまっことを皆知っていた。

 

「お気持ちはお察しします」

 

 皆がそう言った。僕も言った。

 それはある種の哀れみと自分には直接関係ないという安堵感だったのだろう。

 

 誰にも本当の意味で彼女の気持ちがわかるはずがない。

 自ら腹を痛めた子の死を前にして、手を握ってやることしか出来ない母親の気持ち。

 第三者として安全圏にいる僕でさえ容易に想像できる無力感。原因が先天性と知る母として責任感。

 無論、彼女に責任があると考える人は、女性蔑視に囚われた時代遅れとしか言いようのない古人だけだろう。

 

 しかし、健康に産んでやれなかったと本人が悔やむのを、誰が止めることが出来るだろう?

 そんなの出来やしない。今の彼女は生きた人とは思えない青白い顔で力無く佇んでいる。

 それが全てを語っていた。

 

「いいんですか? まだ成功例はないんですよ? それにこれは正規の治療ではないんですよ?」

 

「……わかってます。あの子が、あの子が少しでも生きる可能性があるのなら」

 

「奥さん。残念ですが、可能性は一%もありません……」

 

「このまま、このまま死なすよりは……」

 

「ご覚悟はわかりました。

 では、聞くのはこれが最後です。これは違法ですよ?

 成功しても失敗しても、表沙汰には出来ませんよ?

 そして、同意したのならあなたも……」

 

 同罪ですよ。そう続けようとした。しかし

 

「はい」

 

 彼女は何の躊躇いもなくそう言った。

 涙の枯れた彼女の瞳には決意だけが宿っていた。

 

 なんて強い人なのだろう。素直にそう思った。

 それとも母親というものは、皆こんなに強いのだろうか?

 

 この瞬間、柚山潤はH-4という番号でしか呼ばれぬモノになった。

 それに心苦しさを覚え、母親の愛に僕は最大限の敬意を覚えた。

 

 今思えば、この時が引き返す最後のチャンスだったのかもしれない。

 それ以後の僕は研究に本当の意味で没頭していった。

 

 

 

 アレは何だったのだろう。

 今でも僕は彼の存在を理解出来ていかなった。

 病的な解離は重い病気をもった幼児期の子供によく見られる症状だった。

 それは自己防衛の一つの手段として人間に備わった機能とされている。

 僕らの研究所でも解離性遁走(とんそう)の類は度々起こっていた。

 

 ただ、あれ程に特異な解離性同一性障害は後にも先にもH-4ただ一人だった。

 当時はHシリーズの臨床による副作用と考えられていた。Hシリーズにコンセプトなどなかった。

 いわゆるヤケクソの研究だった。少しずつだが成果をあげているEシリーズやIシリーズと違い、そもそも期待の欠片も受けたことがない。

 

 事実を有体に言えば、廃品回収のリサイクルがHシリーズだ。

 運ばれてきた時から重篤だったH-4以外は全員、他のシリーズの『治療』が施し尽くされ、どうしようもなくなった『患者』が回されてきた。

 

 だからそれまで成功例もなかったし、担当研究員の自分自身、あの結果が信じられなかった。

 

 そのときの僕はその結果を奇跡としか思えなかった。

 本来なら奇跡とか偶然で得られた結果など、僕は単なるイレギュラーとしか思わなかっただろう。

 しかし、その副産物が異様過ぎた。

 

 彼が現れてから、研究の進展は驚異の一言に尽きた。

 彼は全てを理解していた。彼は全てを知っていた。

 彼の一言一言が研究になくてはならないキーパーツだった

 

 彼は一体何者だったのだろうか。

 一体誰が、被研体自身が研究を先導する者になるなんて予想し得ただろうか。

 彼と黒川さえいえばMBADの治療法は必ず完成する、僕はそう確信していた。

 

 しかし、その夢は人体実験の内部告発により脆くも崩れ去った。

 研究の出資者には権力者が多くいた。彼ら直ぐさま内部告発を隠蔽工作したらしい。

 その所為で世間に実験病棟が明るみに出ることはなかった。

 

 その一件により出資者たちはこぞって手を引いた。

 表向きは病院としてカモフラージュしていた研究所は、医療事故と起こしたと情報操作し閉鎖された。

 もとよりリスクの高い人体実験は、権力者に何の未練も感じさせなかったのだろう。

 

 証拠隠滅の一環として、彼らは実験体を僅かな成功例を残して『処分』された。

 そう、僕が『患者』として『治療』を行っていた人たちは、あいつらにしてみれば本当に単なる実験の道具でしかなかったのだ。

 

 当然、僕たち研究チームメンバーも解散を余儀なくされ、大量の口止め料を手に世間の闇に消えていった。

 もう僕らは陽の当たる世界には戻れない身になっていた。

 

 一時は実験病棟を解体に追い込んだ内部告発者を怨んだこともあった。

 しかし、今では彼の気持ちがよくわかる。

 倫理観から実験を止めようとしたのではないのだろう。

 ただ自分が、自分自身が耐えられなくなっていた。

 ヒトを人として扱わぬ自分自身に……。

 

 その告発者もとうに自殺した。僕もそう長く生き長らえるつもりはない。

 僕も切っ掛けさえあれば首をくくっていただろう。

 惨めにも無碍(むげ)に時間を過ごし、もうあれから十年が経ってしまった。

 

 僕が短いと感じた十年は、世間では本当に長いものだ。

 僕らの研究など過去の産物となり、誰の記憶にも残っていないだろう。

 そしてMBADの治療法は、正規の医学研究機関が研究を引き継ぎ、対症療法を確立された。

 症状の緩和と病状の進行を遅くすることは可能となっていた。

 

 僕らが研究を続けていれば、根本治療も可能になっていたのではないか。

 そんな思いがないと言えば嘘になる。

 しかし、僕にはもう、あの実験病棟は耐えられないだろう。

 

 僕には生きる意味がない。

 目的のない人生。夢も希望もない。

 本当にただ生きるだけの抜け殻。

 いっそ、死んでしまった方が世の中の為になるんじゃないかと真剣に考え始めたとき、あの噂を聞いた。

 黒川将人の噂を。

 

 贖罪などと言うつもりはない。

 ただ僕、深山浩が生きた成果を示したかった。

 最期の良心と言うには虫がよすぎる。

 僕はもう一度、彼に会いたかったのかもしれない。 

 

 

 

 

 

 

(第9章につづく)


 
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